脱進機を単独の技術分野として扱う教科書#
Sylvian Aubry(シルヴィアン・オブリ)の『Théorie des échappements』は、機械式時計の脱進機を、歴史的な方式から現代の機構、製造技術、検査まで広く扱うフランス語の専門書である。脱進機とは、歯車の回転を調速機の振動に合わせて解放し、その振動を保つための力を伝える装置をいう。スイスのFédération des écoles techniques(FET、技術学校連盟)が2016年に刊行した。1 2
本書は時計全体を概説する『Théorie d’horlogerie』で簡略に扱われる分野を掘り下げるために成立した。機構の形を覚えるだけでなく、現代の脱進機を古い方式や加工・測定の問題と関連づけて調べることを目的とする。FETは主な対象を高度な時計教育を受ける人とし、深い数学的予備知識を必須としない理論書と説明している。1
書誌と版の識別#
| 項目 | 確認できる内容 |
|---|---|
| 原題 | Théorie des échappements |
| 著者 | Sylvian Aubry |
| 付録の執筆者 | Nicolas Déhon(国立書誌の記載) |
| 出版者 | Fédération des écoles techniques、Le Locle |
| 初版年・対象言語 | 2016年、フランス語 |
| ISBN | 978-2-940025-51-0 |
| 頁数 | スイス国立書誌は368頁、FETの商品紹介は370頁 |
| 判型 | FETはA4、国立書誌は31 cm |
書名は表紙画像と国立書誌では複数形の échappements である。FETの商品ページの書名欄には単数形の échappement も見えるが、同ページの説明本文では複数形となっている。本記事では表紙と公的書誌に合わせる。1 2 3
368頁と370頁という差は、その資料の記載を併記した。前付などの数え方の違いか、仕様の違いかは、現物の全丁を照合していないため確定できない。同じISBNの記載にある数値差を、根拠なく「改訂増補」と解釈しない。1 2
どのような内容を調べられるか#
携帯時計と据置時計を分ける構成#
公開目次には、現代の携帯時計用、歴史的な携帯時計用、据置時計用の機構が別のまとまりとして現れる。現代の項目はスイスレバー、コーアクシャル、双安定ばねを用いる方式など、歴史的な項目はシリンダーやデテントなどを含む。据置時計の項目では、フック、グラハム、ブロコなどの方式を扱うことが分かる。3
この区分から読み取れるのは、製品の年代順だけで脱進機を並べた本ではないという点である。携帯時計と据置時計という使用条件の異なる対象を分け、古い方式と現代方式の双方を調べる入口を設けている。ただし、公開目次に名前があることと、その方式の設計式や調整工程をすべて実読したことは別である。3
加工技術と周辺機構#
目次にはLIGAとシリコンの深掘り加工であるDRIEも掲げられる。前者は微細な形状を作るためのリソグラフィー・電鋳・成形に関係する技術、後者はシリコンを深い方向へ刻む加工である。機構の設計と、その小さな部品をどう作るかという問題が同じ本の射程に入っている。3
高振動数の脱進機、トゥールビヨン、カルーセルも独立した項目を持つ。また、FETは双安定ばねを使う脱進機の設計に必要な計算を付録で説明すると案内する。「双安定」は安定した状態を二つ持つことを指す。もっとも、具体的な設計値や各付録の証明内容は、公開された紹介だけから再構成しない。1 3
実際に確認できる20–21頁#
測定機器メーカーBCD microtechniqueは、自社のGR20が本書に掲載されたことを、開いた本の写真とともに公開している。その写真では20–21頁を確認でき、左頁にテンプの消費する動力についての説明、右頁に「1.5 Moyens de contrôle(検査手段)」がある。4
21頁は光学的な検査を取り上げ、測定を接触せずに行えることなどを述べる一方、部品上のほこりの測定に対する影響にも触れる。下部では、形状の欠陥を調べる測定と、長さ・直径・角度などの寸法を調べる測定を分ける。機械の動作原理に加え、その部品が意図した形にできたかを確かめる工程も扱う具体例である。4
これは機器メーカーが公開した限られた見開きの実読である。GR20の独立した性能試験や、本書の検査手段全体の網羅性を証明する資料としては扱わない。4
成立の背景#
Simoninが掲載するFETの刊行説明は、1975年の『Échappements et moteurs pas à pas』、1998年の『Théorie d’horlogerie』を前史として挙げる。後者に脱進機の章があっても、専門領域の詳細を十分に扱う単独の教材が求められ、2011年に見直しが始まったという。技術の変化を反映するため、単なる旧版の訂正ではなく、新しい一冊として制作されたと説明される。3
この説明は刊行者側の成立史であり、第三者による教育効果の実測ではない。一方、本書が教育の参照資料となった事実は、Haute École Arcの2025–2027年「Conception complications」モジュール資料で確認できる。そこでは『Théorie d’horlogerie』などと並んで参考書に挙げられている。この授業資料だけから、スイスのすべての学校で必修教材になったと一般化することはできない。5
他書・翻訳との関係#
FETは2023年刊の『Théorie des montres compliquées』を、基礎的な『Théorie d’horlogerie』と専門的な本書を補うものと位置づける。したがって、時計全体の基礎、脱進機、複雑機構という分担が読み取れる。後の書名が本書の新版を意味するわけではない。6
イタリア語版は『Teoria degli scappamenti』という別書名で、スイス国立書誌2020年第8号に、2019年刊、368頁、Nicolas Déhonの付録、Cédric Turel訳、ISBN 978-2-940025-66-4として記録される。フランス語原版と翻訳を識別できるが、両版の本文の相違までは今回比較していない。7
参照するときの注意と確認範囲#
確認したのは、FETの紹介、国立書誌、公開目次、BCDが掲示する20–21頁の写真、教育課程資料、および翻訳の書誌である。全368頁の通読ではなく、未確認の章の数式、演習の解答、図版の詳細について評価はしていない。公的目録は版の同定に、公開見開きは実際の説明方法の例に、授業資料は参照された事実の確認に用いた。1–7
FETの紹介からは販売・配布を扱う機関をたどれる。書影と見開き写真は公開されているが、再配布を認める明示的な条件を確認できないため、画像は転載せず資料の所在を参考文献に示す。1 4
参考文献#
- Fédération des écoles techniques, “Théorie des échappements”, 2016年刊の書誌・紹介、2026年10月22日閲覧。
2. Bibliothèque nationale suisse, Le Livre suisse, 2017/17, 項目1008、BN 001904352、印刷頁90/PDF 95頁、2026年10月22日閲覧。
3. Éditions Booksimonin, “7681 – Théorie des échappements – AUBRY Sylvian”, 刊行説明・公開目次、2026年10月22日閲覧。
4. BCD microtechnique SA, “Le GR20 dans l’ouvrage sur la théorie des échappements”, 本書20–21頁を開いた写真および書影を掲示。本文画像を実読、2026年10月22日閲覧。
5. Haute École Arc, Descriptif de module: Conception complications 2025–27, RS535.1.25.213, 2024年10月18日版、3頁「Bibliographie」、2026年10月22日閲覧。
6. Fédération des écoles techniques, “Théorie des montres compliquées”, 2023年刊の紹介、2026年10月22日閲覧。
7. Bibliothèque nationale suisse, Le Livre suisse, 2020/08, 項目235、Teoria degli scappamenti、2020年4月30日、2026年10月22日閲覧。