同じ星と時計から、違う時刻が得られる#
観測者の個人差(personal equation、ドイツ語 persönliche Gleichung、フランス語 équation personnelle)は、天文観測で同じ出来事の時刻を測っても、観測者によって系統的な差が生じること、またその差を表す補正量をいう。ここでの「equation」は、数学の等式だけを意味する言葉ではない。観測値を比較可能にするための補正という、実用天文学の用法がある。1 2
時計が正確に秒を刻んでいても、その秒と星の通過を結び付ける人間の判断まで同じとは限らない。19世紀の天文台では恒星の通過から時計のずれを求め、二地点の地方時の差から経度を決めた。この連鎖に入る観測者差は、時計の進み遅れや電信の伝達時間とは別に扱う必要があった。単に観測回数を増やすだけでは、同じ方向へ偏る誤差は消えない。1 3
この用語を「反応が遅い人は常に遅く記録する」とだけ理解すると、眼と耳を使う古い観測法を説明できない。通過は予測でき、時計の音との対応を判断するので、記録は早い側にも遅い側にも偏りうる。また、二人の差が分かっても、どちらが真の瞬間に近いかは、それだけでは決まらない。1 2
眼耳法と時計の検査#
秒の音を、星の位置に変える#
子午儀や子午環の望遠鏡は、天体が子午線を通過するように据え付けられる。接眼部には細い糸が複数あり、星像がそれぞれの糸を横切る時刻を測る。眼耳法(eye-and-ear method)では、観測者は時計の秒の音を数え、通過の前後の打音で星がどこにあったかを見て、その間を小数秒へ換算する。1 4
例えば21秒の音で星が糸の手前にあり、22秒の音では通り過ぎているとする。手前から糸までの距離が、その1秒で進んだ全距離の3分の1なら、短い区間で等速とみなして21と3分の1秒と推定する。これはWundtが説明した観測の例である。時計の文字盤から小数を直接読む方法でも、星が通った後の単純な反応時間を測る方法でもない。4
複数の糸は一つの通過について複数の測定を与える。ただし、中央の糸と他の糸の位置の違いを補正しなければ、そのまま同一時刻の観測として平均できない。望遠鏡の方位、軸の水平、視準線にも誤差があり、既知の恒星位置と時計を比較する前に器械の補正を行う。これらと観測者差を混同すると、時計自身の誤差へ別の原因を押し込むことになる。3
相対的な差と絶対的な補正#
以下は補正の意味を示すための簡略モデルである。時計と器械の誤差を別に補正した上で、観測者Aの記録を t_A = t + b_A + ε_A と書く。t は同じ時間尺度で表した真の通過時刻、b_A はその条件での平均的な偏り、ε_A は一回ごとの変動で、すべて時間の単位である。記録が遅い場合の b_A を正と定めれば、記録へ加える補正は −b_A になる。この符号の定義は、史料が書くA−Bなどの向きと必ず区別する。1 2
二人が同じ出来事を測った記録の差には、b_A − b_B と、一回ごとの変動の差 ε_A − ε_B が入る。変動の平均をゼロと仮定できる条件で繰り返し比較すれば、平均的な時刻差から相対的な個人差 b_A − b_B を推定できる。二人とも0.2秒早く記録していれば、二人の差はゼロでも絶対的には正しくない。絶対的な補正を知るには、人間の判断から独立した通過の基準が要る。2
同じ人が二つの対象を同じ偏りで観測すれば、時刻差を取ったときに偏りは相殺する。一方、星の明るさ、見かけの速度、測定法が違えば、同じ偏りを仮定できない。個人差は生涯不変の個人番号のような定数ではなく、人と器械と観測条件の組合せについて検査する量である。1 3 5
キネブルック事件とベッセルの比較#
1795–1796年のグリニッジ#
ネヴィル・マスケリンは、助手David Kinnebrook(デイヴィッド・キネブルック)の記録が自分より遅いと述べ、1796年に助手を解雇した。マスケリンの説明では、1794年から1795年前半には一致していたのに、1795年8月頃から約0.5秒、1796年1月には約0.8秒の差になった。この記述は二人の比較であり、マスケリンを独立した絶対基準とする検定ではない。1 6
1996年にMollonとPerkinsは観測原簿と書簡を再分析した。小数秒の末尾数字には両者とも偏りがあり、キネブルックは1795年秋には多くの値を整数秒へ丸めていた。二人の判断が単に一定時間だけ平行移動していた、という説明では原簿の特徴を尽くせない。したがってこの事件を、優秀な助手が純粋な生理的遅延だけのために罰せられた、と単純化することにも注意が要る。6
観測を入れ替えて差を取り出す#
Friedrich Wilhelm Bessel(フリードリヒ・ヴィルヘルム・ベッセル)は、二人の間に本人の意志では変えられない一定の差がありうると考え、比較を進めた。1819年にSeebergでLindenau、Enckeと試みた観測は、対応する第二の晴夜が得られず、結果を出せなかった。差がゼロだったという実験ではない。1
1820年12月、ケーニヒスベルクではHenrik Johan Walbeckと天の赤道近くの10星を選び、5星ずつを分担し、次の観測日には担当を入れ替えた。望遠鏡は182倍で使用した。時計の歩度を未知量として残しても、逆向きの組合せから二人の差を分離できる構成だった。四組から求めたWalbeckの遅れは1.145、0.985、1.010、1.025秒で、平均1.041秒となった。注意を強めても、この大きな差は解消しなかったとベッセルは述べる。1
1823年3月28日と4月15日のArgelanderとの比較では、Argelanderの通過時刻が平均1.223秒遅かった。しかし、対象の突然の出現・消失を観測させると差は0.222秒、月の暗い縁での恒星の出現・消失では0.281秒だった。さらに、ベッセル自身が1秒打ちの時計から半秒打ちの時計へ替えると、1秒打ちの場合より0.494秒遅く記録した。同じ変更でStruveとArgelanderにはそのような差が認められなかった。1
これらの数字は、人間一般の反応時間を定める値ではない。観測法や打音の周期を変えれば、同じ人の判断も変わるという歴史的実験結果である。ベッセルは、異なる人の通過観測を不用意に混ぜる危険を述べ、経度測定では観測者の地点交換を勧めた。自分の天文台ではこの種の通過観測を自ら行い、混在を避ける方針も説明している。1
この主要報告は、1822年の観測を収める巻の1823年刊行序文に置かれた。後の論文集では「通過観測における個人差」という見出しが付けられたが、研究の成立と用語の命名は区別しなければならない。Hoffmannの学史研究は、ベッセル自身がpersonal equationに当たる表現で発見を名付けたわけではないと指摘する。1 7
電気的記録は何を変えたか#
時計の秒と観測者の接点を紙へ残す#
天文台の記録用クロノグラフは、時計の信号と観測者の信号を、動く紙面へ刻む装置である。観測者は星が糸を横切るときに電気接点を操作する。時計の秒に対応する記録を物差しにして、観測信号がその間のどこにあるかを後で読める。眼で星を追いながら耳で数え続ける負担は減るが、通過を判断して指を動かす過程は残る。2 8
Airyが1854年のグリニッジ観測巻で説明した装置では、円錐振子で調速する時計が真鍮の円筒を2分で一回転させた。円筒には羊毛布の上に紙を巻き、長手方向へ移動する枠に二つの穿孔針と電磁石を載せる。一方は基準時計の毎秒の接点、他方は望遠鏡側で観測者が操作する接点によって紙へ孔を開けた。円筒を動かす時計と、秒の尺度を送る通過観測用時計は、役割が異なる。8
毎秒の接点を振子へ付ける方式には、接触するばねの位置の変化が時計の歩度を乱す問題があり、Airyの説明では脱進車の軸に付けた60歯の車でばねを接触させる方式へ変更した。記録器を加えること自体が基準時計に機械的な負荷を与えうるのである。電気的記録は観測を自動的に無誤差にする装置ではなく、人間の判断と時計の信号を保存し、比較と再読を容易にする装置だった。8
人工星で絶対的な補正を測る#
人工星の通過時刻を機械的接点で記録し、同時に観測者にも通過を測らせれば、二つの差から絶対的な個人補正を調べられる。Charles Wolfは1863年7月からこの問題を研究したと1872年の本人報告で述べた。ただし、実際の観測へ補正を適用する装置は、人工星を見せる条件も実際の観測へ近付ける必要があると強調した。5
Wolfは自身の実験で、訓練によって補正が小さく安定すること、星の進行方向・速度・倍率が結果へ影響することを報告した。一方、残る差の原因を網膜の光刺激の持続に求めたのはWolfの解釈であり、すべての観測者差を説明する現代の確定理論として読むべきではない。ベッセルが自分の倍率比較で影響を見いださなかったことと、Wolfが人工星で速度依存を認めたことは、条件も観測者も異なる結果である。1 5
グリニッジのW. H. M. Christieが1887年に発表した測定器は、この考えを実際の子午環に組み込んだ具体例である。製作はTroughton & Simmsで、望遠鏡を水平・北向きにし、その前に口径7.5インチ、焦点距離約51フィートのレンズを置く。焦点位置に人工天体の孔を開けた板を動かし、太陽光・月光・散乱昼光を鏡で導いて照らす。小孔は恒星を、直径6インチの開口の左右の縁は太陽や月の縁を表す。9
板を載せた台車は溝付きの三つの車輪で二本のレールを走る。駆動時計が水平の真鍮円板を回し、その表面へ縁を押し当てた別の円盤を摩擦で回す。接触点を中心から遠ざければ速くなり、中心を越えれば方向が逆転する。ねじ、歯車、滑車、重錘で張った紐を介して台車へ運動を伝える。James Simmsが考案したこの変速機構により、極に近い遅い星から赤道の星の約3倍の速度まで再現する設計だった。9
人工天体側と固定側の白金接点が触れる瞬間を、クロノグラフへ記録する。白金は小さな真鍮ねじの先に付けられ、エボナイトの薄板で絶縁された部分を含む支持構造によって接触高さを調整する。接点が通過と本当に一致するかは、子午環の赤経マイクロメーターで星像と糸を重ねて確かめる。静止像を二等分するときの個人差には反転プリズムの接眼部を使い、検査器自身の設定へ人の偏りが入ることも考慮した。9
精度の限界と補正の使い方#
一人につき一つの補正では足りない#
| 条件 | 問題と対策 |
|---|---|
| 同じ人・同じ測定法で二つの通過の差を取る | 偏りが一定なら相殺しうる。恒常性を検査する必要がある。1 |
| 異なる人の記録を結合する | 相対的な補正と、その測定時期を確認する。2 |
| 通過から突然の出現・消失へ方法を替える | 通過で測った補正をそのまま転用しない。1 |
| 星の速度・明るさ・方向を替える | 同じ条件を再現する人工星や、条件ごとの比較が必要になる。5 9 |
| 地点間の経度を求める | 観測者を交換し、補正が期間中安定しているか繰り返し比較する。1 3 |
経度を時間で表す場合、24時間が360度に対応するため、0.1秒の時刻差は1.5秒角の経度差となる。これは同じ時間尺度の地方時を比べる角度換算であり、0.1秒を地表の一定距離へ直接換算する式ではない。距離への影響は緯度にも依存する。3
地点交換で個人差を消す方法にも仮定がある。Aが東、Bが西で測り、次に二人を交換すれば、同じ経度差に入る個人差の符号が逆になる。二組の結果の平均から相殺を期待できるのは、二人の偏りが交換の前後で同じ場合である。時計の歩度、器械差、信号伝達時間まで何も検査せず消えるわけではない。3
Repsoldの自記マイクロメーターは、星が固定糸を横切る瞬間にキーを押す代わりに、可動の垂直糸を星に追随させ、所定位置を通るところで自動記録する。瞬間を判断する仕事を連続的な追随へ変える方式である。1911年のDreyerの説明は個人差の大幅な低減を述べるが、これは人が介在するすべての誤差が普遍的にゼロになる、という保証ではない。3
実際、J. C. Hammondが1921年に報告した米国海軍天文台の1911–1918年の観測では、6インチ子午環にWarner & Swasey製のRepsold型手動自記マイクロメーターを使い、近接する一対の糸で星を追い、反転プリズムも併用していた。それでも人工星による5人の検査では、赤緯0度に対応する記録へ加える補正が−0.011〜−0.026秒残った。これらはその装置・条件での補正値であり、現代の器械一般の性能値ではない。Hammondは極付近の遅い星の結果には確定性が低いこと、恒星観測からの比較には器械定数の求め方も影響することを明記した。自記方式への変更と、残る偏りを検査することは、両立していたのである。12
Wundtは1874年の生理心理学書で、動く指針と音を組み合わせる実験と天文観測を比較した。注意をどの感覚へ向けるか、刺激が予測できるかによって、同時と感じる位置が変化する問題として扱ったのである。天文学で見つかった差は、人を測定系の外に置かず、測定の条件として調べる実験心理学の課題にもつながった。4
現在の秒の定義は、恒星を人が見て通過時刻を判断する手続きではなく、セシウム133の遷移に対応する周波数に基づく。1967年の原子的定義への変更は、天文観測と秒の実現の関係を大きく変えた。10 個人差の歴史が示すのは、高性能な時計を用意するだけでは比較全体の精度を保証できないということである。出来事、感覚、接点、記録器、時間尺度がどのように結び付いているかを確かめて、初めて時計を検査する観測の精度を論じられる。
年表#
| 年月 | 出来事と意味 |
|---|---|
| 1795年8月–1796年1月 | マスケリンがキネブルックとの差を約0.5秒から0.8秒へ増加したと記す。1796年の解雇へつながる。1 6 |
| 1819年 | ベッセルがSeebergで比較を試みるが、対応観測のための第二の晴夜を得られず結果なし。1 |
| 1820年12月16–22日 | Walbeckとの担当入替え比較。平均差1.041秒。1 |
| 1823年 | Argelanderとの3月28日・4月15日の比較と、半秒打ち時計を用いた実験を報告。人と観測条件の関係を調べる。1 |
| 1823年 | 1822年観測巻の序文としてベッセルの主要報告が刊行される。7 |
| 1825年7月 | Knorreの訪問を利用した比較を追加。観測者間の関係を再検査する。1 |
| 1832年3月 | Argelander、Busch、ベッセルの比較。Argelanderとベッセルの差は1.061秒で、1823年の1.223秒とは一致しない。1 |
| 1854年観測巻 | Airyがグリニッジの電気的穿孔記録器と時計への接点取付けを説明する。8 |
| 1863年7月以降 | Wolfが個人差の実験研究を進める。1872年の本人報告で開始時期・条件・解釈を説明。5 |
| 1874年 | Wundtが天文観測と感覚の時間関係を実験心理学の議論へ取り入れる。4 |
| 1876年 | ベッセルの報告と追補が『Abhandlungen』第3巻に再録される。1 |
| 1885年 | グリニッジにChristieの個人差測定器が設けられる。11 |
| 1887年 | Christieが測定器の設計を発表。速度・方向・明るさ・天体の縁を検査対象とする。9 |
| 1921年5月20日 | Hammondが米国海軍天文台の1911–1918年の6インチ子午環観測を報告。自記方式にも残る補正を実測する。12 |
| 1967年 | 秒が原子的に定義され、時間の単位の基礎が天体から原子へ移る。10 |
| 1996年 | キネブルックとマスケリンの観測原簿・書簡の再分析が公表される。6 |
参考文献#
- Friedrich Wilhelm Bessel, “Persönliche Gleichung bei Durchgangsbeobachtungen” および追補, Rudolf Engelmann編『Abhandlungen』第3巻、1876年、pp.300–304。主要部は『Königsberger Beobachtungen』第8部序文の再録。ETH-Bibliothek, Rar 1461, DOI。閲覧2026-10-15。
- Edward S. Holden, “The Personal Equation”, Popular Science Monthly, 1875年2月。相対・絶対補正の説明、Figs.1–3、電気的記録の節。閲覧2026-10-15。
- J. L. E. Dreyer, “Time, Measurement of”, Encyclopædia Britannica, 1911年版。“Determination of Time”“Longitude”と末尾のpersonal errorの段落。閲覧2026-10-15。
- Wilhelm Wundt, 『Grundzüge der physiologischen Psychologie』第19章, 1874年。眼耳法、Fig.152、指針と音の時間関係、個人差の節。Leipzig大学公開転記。閲覧2026-10-15。
- Charles Wolf, 『Notice sur les travaux scientifiques』, Paris, Gauthier-Villars, 1872年、pp.1–4。本人による研究報告。DOI。閲覧2026-10-15。
- J. D. Mollon and A. J. Perkins, “Errors of judgement at Greenwich in 1796”, Nature, 380, 1996年3月14日、pp.101–102。観測原簿と書簡の再分析。閲覧2026-10-15。
- Christoph Hoffmann, “Constant differences: Friedrich Wilhelm Bessel, the concept of the observer in early nineteenth-century practical astronomy and the history of the personal equation”, British Journal for the History of Science, 40, 2007年、pp.333–365。公開要旨と注1–5で刊行年・用語・再録見出しを確認。閲覧2026-10-15。
- George Biddell Airy, 1854年『Greenwich Observations』序文のクロノグラフ説明(Graham Dolanによる公開転記)。駆動系、二系統の穿孔針、時計の接点の説明。閲覧2026-10-15。
- W. H. M. Christie, “Description of the Personal Equation Machine of the Royal Observatory, Greenwich”, Monthly Notices of the Royal Astronomical Society, 48, 1887年、pp.1–4。設計・図・調整手順。閲覧2026-10-15。
- NIST, “A Brief History of Atomic Time”。1967年の秒の定義変更を説明する段落。閲覧2026-10-15。
- Graham Dolan, “The Personal Equation Machine (used with the Airy Transit Circle)”。1885年設置の説明とChristie原文の転記。閲覧2026-10-15。
- J. C. Hammond, “Personal Errors in the Use of a Self-Registering Micrometer”, The Astronomical Journal, 33, 1921年5月20日、pp.155–157。1911–1918年の米国海軍天文台6インチ子午環での観測・人工星による検査。閲覧2026-10-15。