スタンダード・タイム・カンパニー

スタンダード・タイム・カンパニー

時計をそろえる事業#

スタンダード・タイム・カンパニー(Standard Time Company)は、英国で電気信号を使って顧客の時計を基準時に合わせる事業を展開した会社である。ロンドンの時計商バロー・アンド・ランド(Barraud & Lund)の事業を背景とし、19世紀後半から銀行、商店、工場、公共施設などに時刻を届けた。名前や所有関係は時期によって変わるため、同社の歴史を一つの法人が同じ名称で存続した歴史とは限らない。1 2

時刻を定めることと、それを離れた場所の時計に示すことは別の問題である。英国では鉄道や電信の発達に伴ってグリニッジの時刻が広まったが、個々の時計は少しずつ進んだり遅れたりする。顧客は時計を定期的に合わせる必要があった。同社の事業は、基準となる時計と顧客の時計を電線で結び、決まった時刻にずれを補正することで、その手間を減らそうとした。1 3

時計商から時刻配信へ#

バロー・アンド・ランドはクロノメーターを扱い、ジョン・アレグザンダー・ランドのもとで時計の同期にも取り組んだ。The Clockworksの所蔵時計の解説によれば、同社は1868年からこの分野に進み、ロンドンのコーンヒル41番地に拠点を置いた。1882年にはスタンダード・タイム・アンド・テレフォン・カンパニーという名称でクイーン・ヴィクトリア街19・21番地に移った。1886年には後継者たちがスタンダード・タイム・カンパニーを株式市場に出した。2

1883年の同時代記事は、グリニッジからの毎時の信号を専用線で受ける時計商の一つとしてバロー・アンド・ランドを紹介している。信号を受け取る側がそれを自分の基準時計の比較や、別の時計への配信に用いる構成だった。時刻の供給には天文台、回線、事業者、顧客という複数の段階があり、天文台の時計が顧客の時計を直接動かしていたと一括りにはできない。3

電気信号で分針を戻す#

同社が扱ったランド式の同期時計は、それ自体が機械式時計として動き続ける。グリニッジ王立博物館が所蔵する番号4543の時計では、ぜんまいで動く振子時計に同期装置が加えられている。毎時の電気信号で文字盤の12時位置にある二本のピンが動き、分針を挟むようにして正時の位置へ戻す。分針が59分から1分の範囲にある場合に正時へ合わせる仕組みで、どれほど大きいずれでも直せるわけではない。4

The Clockworksの別の現存例には二つの電磁石があり、信号で軟鉄の部品を引き、てこを介して針の両側のピンを動かす。同期は時計の動力や脱進機を電気式に置き換えることではなく、独立して動く機械式時計の表示を周期的に補正する方法だった。この個体の文字盤にはランドの特許と旧住所が記され、所蔵館は1878〜1882年頃のものと推定する。2

当時の説明では、事業者側に通常用と予備の基準時計があり、グリニッジの信号と比較して誤差を調整していた。1883年の記事は配信設備や予備時計を詳しく記す一方、顧客数などは当時の報告として読む必要がある。配信器はロンドンを12の回線に分け、各回線への信号を扱った。顧客の時計は信号が途絶えても自力で動き続けるが、次の補正までに生じるずれは残る。受信、比較、補正、回線と装置の保守がそろって初めて、離れた時計に時刻を伝えるサービスが成立した。3

顧客と競争#

同期時計は銀行や商店だけでなく、工場や酒場など、複数の人が同じ時計を見る場所でも役立った。研究者デイヴィッド・ルーニーとジェームズ・ナイは、天文台の基準時とロンドンの酒場、ランカシャーの綿工場などを結ぶ事業者として同社を位置づけている。The Clockworksは初期の電気信号の加入料を年5ギニーと記す。時刻の配信は単なる技術の普及ではなく、利用者の必要、費用、回線や制度にも左右された。1 2

別の方法も併存した。ベルヴィル家はグリニッジで比較した携帯クロノメーターを顧客のもとへ運び、時計を合わせるための基準時を提供した。ルース・ベルヴィルの活動は、電信によるサービスと競合しながら続いた。電線で一斉に時計を補正する方式と、携帯時計を持って顧客を訪れる方式は、同じ時刻を届ける異なる方法だった。5

1908年には300を超える加入者があり、商店、酒場、銀行、新聞社、工場や鉄道が含まれたと研究者マリー・ヴェントゥーラは記している。同研究は時刻配信が1964年まで続いたとする。6

同社の名称・経営は変遷し、The Clockworksはさまざまな形態で20世紀半ばまで時刻サービスが続いたと説明する。これは、初期のランド式同期装置がそのまま同じ形で使われ続けたことを意味しない。現存時計は、電気通信を使って既存の機械式時計を結び付けた初期の試みを具体的に示している。1 2

年表#

  • 1868年:バロー・アンド・ランドが時計同期の分野に進む。2
  • 1876年:ランドの時計同期機構に関する英国特許が成立したと所蔵館は説明する。番号には資料間の相違がある。4
  • 1878〜1882年頃:コーンヒルの住所を記した現存同期時計が製作されたと推定される。2
  • 1882年:スタンダード・タイム・アンド・テレフォン・カンパニーの名称でクイーン・ヴィクトリア街へ移る。2
  • 1883年:バロー・アンド・ランドの基準時計、配線、同期装置が同時代の技術記事で紹介される。3
  • 1886年:後継者たちがスタンダード・タイム・カンパニーを株式市場に出す。2
  • 20世紀半ば:名称や形態を変えながら時刻サービスが続いたとされる。2

参考文献#

1. David Rooney and James Nye, “‘Greenwich Observatory Time for the public benefit’: standard time and Victorian networks of regulation”, British Journal for the History of Science, 2009, Cambridge Core(2026年11月3日閲覧、要旨・注)。

2. The Clockworks, “Synchronised dial clock, 1870s”, 所蔵品解説(2026年11月3日閲覧)。

3. “Time-Keeping in London II”, Popular Science Monthly, January 1883, Wikisource(2026年11月3日閲覧)。

4. Royal Museums Greenwich, “Serial number: 4543”, 所蔵品 ZBA0673(2026年11月3日閲覧)。

5. Royal Museums Greenwich, “The Greenwich Time Lady: Ruth Belville”, 解説(2026年11月3日閲覧)。

6. Marie J. Ventura, Divergent Timescapes, doctoral thesis, University of St Andrews, pp. 191–194, 機関リポジトリ(2026年11月3日閲覧)。