アブラアム=ルイ・ブレゲ —— 生涯と遺産

アブラアム=ルイ・ブレゲ —— 生涯と遺産

アブラアム=ルイ・ブレゲ(Abraham-Louis Breguet、1747年1月10日―1823年9月17日)は、ヌーシャテルに生まれ、パリを拠点に活動した時計師である。自動巻き懐中時計、報時装置、耐衝撃機構、ひげゼンマイ、トゥールビヨンを扱い、携帯時計の精度・使いやすさ・意匠を一体として設計した。その仕事には王侯向けの特注品だけでなく、一針式の予約販売時計、航海用クロノメーター、天文観測器具も含まれる。118

ブレゲの名は発明者、工房の署名、後世の企業、ひげゼンマイや針の形式の名称という複数の意味を持つ。これらは同じものではない。1823年以後の「Breguet et Fils」の製品は後継工房の仕事であり、「Spiral Breguet」の銘はひげの形式を示し、ブレゲ工房製の証明にはならない。また工房の時計は、設計者と部品製作者、組立・調整者の協働によって完成した。1

生涯と経歴#

ヌーシャテルからヴェルサイユ、パリへ#

ブレゲは1747年1月10日、ヌーシャテルで生まれた。1921年の蒐集家デイヴィッド・サロモンズの伝記は、少年期に父を失い、時計師であった継父を通じて職業に接し、1762年、15歳でヴェルサイユの時計師に徒弟入りしたと記す。数学が時計製作に必要だと考え、パリのコレージュ・マザランでアベ・マリーの授業を受けたという教育歴も同書に伝わる。ただし少年期の細かな事情は後世の伝記に依存しており、当時の学籍・徒弟契約の直接記録とは区別すべきである。118

ヴェルサイユとパリには、宮廷の注文を受ける時計師、科学器具製作者、金工・宝石加工の職人が集まっていた。フェルディナン・ベルトゥーやジャン=アントワーヌ・レピーヌとの関係はFHHの伝記にも記されるが、誰の工房で何年間正式な徒弟として働いたかという契約の詳細までは同資料から分からない。ここで重要なのは、薄型時計と航海用精密時計を別々の専門分野とせず、双方の技術を参照できる環境に置かれたことである。2

1775年、結婚後のブレゲはパリのシテ島、ケ・ド・ロルロージュに工房を開いた。建物はセーヌ沿いの通りとドーフィーヌ広場に面していた。アベ・マリーの仲介でフランス宮廷との接点を得たとされる。工房の住所の番地は年代によって変わるため、時計・証明書の番地の違いだけで転居と判断できない。サロモンズは初期の51番地と後の79番地について、番地変更の可能性を指摘している。13

宮廷の注文と技術開発#

1780年前後には「ペルペチュエル」と呼ぶ自動巻き懐中時計を製作した。1783年頃には報時用のゴングばねと独特の細い針、1786年にはギヨシェ装飾、1790年頃にはパラシュート耐衝撃装置の試験を進めた。これらは一つの年代にまとめて完成した機械ではなく、時計ごとに組み合わせと形態を変えながら発展した。ルイ16世、マリー・アントワネットらの顧客との関係も、この時期に形成された。13

宮廷の嗜好は装飾だけに向いたわけではない。自動巻きによる巻上げの手間の軽減、暗所で時刻を知る報時、薄いケースという実際の使い勝手が重要だった。ブレゲは高価な複雑時計と簡素な時計を製品体系の中に置き、脱進機や宝石軸受の仕様、ケース素材、付加表示を用途と価格に合わせた。1822~23年頃の工房の商品案内は、民間用時計と海軍・天文学・物理学用器具を明確に二部に分けている。1

革命、避難、事業の再建#

1793年、フランス革命の激化の中でスイスへ避難し、1795年まで故郷に留まった。ブレゲ社の年史によれば、離れている間も残ったパリの工房を指揮した。1795年にパリへ戻り、ひげゼンマイの端末形状、シンパティーク時計、一針式時計などの構想を事業として展開した。3

サロモンズは、革命家マラを救った恩により通行許可を得たという話や、避難後に英国へ渡って二年間仕事をしたという話を紹介している。しかし、その伝記は創業年を1769年頃と推定するなど、現在の工房資料と一致しない部分を持つ。革命期の所在を追うときは、スイスへの避難という工房資料の記述と、英国・マラに関する伝承を分けて扱う必要がある。13

英国時計師ジョン・アーノルドとの関係は、現存時計に具体的な証拠がある。ブレゲはアーノルドの初期時計にトゥールビヨンを組み込み、その息子ジョン・ロジャーに贈った。時計の銘文は、父アーノルドの記憶に捧げる贈物であることを記す。交流は「外国の発明をそのまま模倣した」という図式より、双方の精密時計の成果を理解し、部品・技法・人材を往来させた関係として捉えるのが適切である。1

帝政期と科学機関との関係#

1798年、エジプト遠征前のナポレオン・ボナパルトはブレゲの時計を三点購入した。1808~14年にはナポリ女王カロリーヌ・ミュラが34点の時計・クロックを取得し、1810年6月8日に腕に着ける時計を特注した。フランスの政治体制が変わる一方で、英国・ロシアを含む外国顧客も工房の重要な市場となった。39

息子アントワーヌ=ルイ(1776–1858)は事業に加わり、1807年頃から「Breguet et Fils」の名称が使われる。ここで「ブレゲ製」は父一人の手作業の意味ではない。時計の製作台帳には、軸受石、針、ケース、彫刻、調整を担当した複数の職人と、その支払が記録された。工房の設計方針を保ちながら専門職の仕事をまとめることも、ブレゲの役割だった。1

1814年12月10日の王令で経度局(Bureau des longitudes)の構成員となり、1815年10月27日には王室海軍時計師(Horloger de la Marine Royale)へ任命された。翌1816年には科学アカデミーへ入った。海軍時計師の称号は本人に与えられた終身の職であり、フランス海軍向けの時計をすべて独占して供給する意味ではなかった。2326

航海用時計の役割は、船内で基準地点の時刻を保ち、天体観測による現地時刻との差を経度に換算することである。精度だけでなく、温度変化、輸送、船体運動に耐え、比較と調整ができることが求められた。工房の商品案内には、ジンバルに懸架した航海時計、船へ時刻を運ぶ携帯クロノメーター、観測用の独立秒針、望遠鏡に付ける計時器が並ぶ。13

海事時計について、工房史研究者エマニュエル・ブレゲは1815~23年の製作を78点、そのうち海軍向けを22点と集計する。1817年には航海時計の取扱説明を刊行し、1820年12月16日の顧客宛書簡では、天文観測との比較を三か月続けて十分な規則性が得られなければ時計を買い戻すと提案している。納品だけでなく、使い方と実地での検証までを含む関係だった。23

1823年9月17日、パリで死去した。息子が工房を継承し、さらに孫のルイ=クレマンの時代へ続いた。本人の死後に完成した複雑時計や、後代の巻上げ機構を含め、工房史と創業者の生涯の範囲は区別される。118

技術革新とその原理#

自動巻きペルペチュエルと過巻き防止#

「Perpétuelle」は、持ち歩くときの運動を利用して主ゼンマイを巻く懐中時計の呼称である。永久機関ではなく、外部から与える身体運動をエネルギー源とする。自動巻きの原理にはブレゲ以前の先行例があり、ブレゲの貢献は、巻上げ機構、過巻き防止、残量表示、耐衝撃、防塵などを信頼できる時計へ統合したことにある。工房資料では1780年前後に最初の製品が現れ、現存する初期作品として1782年完成のNo.1/8/82が挙げられる。13

サロモンズが実物を調べたペルペチュエルでは、白金、または白金と金からなる重りが上下に動き、二つの香箱を巻く。重い素材を使う理由は、限られたケース内で慣性を得るためである。原理的には、重りの相対運動をラチェット等で一方向の巻上げへ変換する。歩行の大きさ、時計の置き方、機構の摩擦により巻上げ量は変わるため、「どの使用条件でも一定時間で満巻きになる」という性能とは異なる。1

二つの香箱軸の突出部分には短いねじが切られ、そこを小部品が上下する。主ゼンマイの巻上げ状態に対応した移動の一方を残量表示へ、他方を重りの停止へ利用する。満巻きになると重りが動けなくなり、主ゼンマイを余分に巻いて破損させるのを防ぐ。これは、今日の自動巻き腕時計で滑りばねを用いて香箱内を滑らせる方式と、同じ過巻き防止の課題に対する異なる機械的解決である。1

1822~23年頃の商品案内には、二日、作品によっては三日の間に約15分歩いて携帯すれば巻上げを保つという当時の説明がある。これは工房が提示した使用条件であり、現代の試験で再現された保証値ではない。密閉性を高めて塵を避けることも強調され、操作のため文字盤側は開く一方、機械側を使用者が容易に開けない構造とされた。自動巻きは単独の付加機能ではなく、開閉を減らして調整状態を守る設計でもあった。1

二香箱、輪列、薄型化#

ブレゲの二香箱には、単に持続時間や出力を増やす目的以外の例がある。サロモンズはNo.4004の証明書に基づき、共通の小歯車を両側から駆動する配置によって、片側の香箱だけが与える横荷重を相殺し、軸受の摩擦を減らす意図を説明した。二つの力が同じ回転方向のトルクを与えながら、互いに反対方向の横成分を持つようにする。1

この説明は「香箱が二つなら必ず荷重がゼロになる」という一般則ではない。荷重の釣合いには歯車の位置、歯形、伝えるトルクが関係する。幾何配置と出力が違えば残留荷重も生じる。作品の証明書が伝える設計目的と、理想化した力の釣合いを区別することが大切である。No.4004は1823年9月1日にデミドフ伯へ販売されたと同書に記録され、二香箱、補償テンプ、宝石軸受、耐衝撃装置を備える。1

薄型時計では部品を単に小さくするだけでは済まない。香箱、輪列、脱進機を横に配置し、一枚の地板に受けを組み合わせることで高さを減らす。一方、高精度を優先する一部の時計にはフュゼーを用い、主ゼンマイがほどけて出力が変わる問題に対応した。薄さと動力の均一化は常に両立するわけではなく、目的に応じて方式を選んだ。1

1822~23年頃の工房案内は、同じ直径での薄さ、輪列軸の支持長さ、輪列や調速器の見通しを重視している。設計が整理されていることは、製造だけでなく修理の容易さにつながる。修理時に分解箇所が増えれば、損傷や組立誤差の可能性も増えるため、部品を点検しやすく配置することは長期的な品質の一部となる。1

宝石シリンダーと複数の脱進機#

ブレゲはすべての時計へ一つの脱進機を採用したわけではない。シリンダー、レバー、デテント、自然脱進機などを、価格、用途、厚さに応じて使った。シリンダー脱進機ではテンプ軸に設けた中空部の縁へガンギ車の歯が作用する。金属同士の接触に代えてルビーを用いる工夫は、接触面の摩耗や摩擦を扱う試みである。宝石を使っても接触そのものがなくなるわけではない。1

1822~23年頃の案内では、報時時計を三つの等級に分類した。第一等級は脱進機に加えて輪列の軸受もルビーとし、内蓋は金。第二等級は同様の配置ながら宝石を脱進機に限り、内蓋は金めっき真鍮。第三等級には通常の配置の脱進機と耐衝撃装置を採用する。高級品だけの物語では見えにくい、仕様の違いを説明して価格帯を分ける製品体系があった。1

観測や航海用にはデテント脱進機の直接衝撃が有利だが、携帯時の衝撃や確実な再始動という別の課題がある。スイスレバー脱進機はテンプへレバーを介して力を与え、往復それぞれで衝撃を供給する。ブレゲの仕事はこれらの方式の長所と短所を見ながら、接触面、ばね、部品配置を改良する連続した実験だった。117

ゴング、リピーターと音響設計#

1783年のブレゲの報時上の革新は、ベルに代えてばね状の発音体を用いることだった。最初のゴングは直線状に地板を横切り、のちにムーブメントの外周に沿って曲げられた。ベルの高さを必要とせず、薄型化しやすい。時、四半時、半四半時、分をどの単位で知らせるかは別の問題で、報時機構を備える時計すべてがミニッツリピーターであるわけではない。6

打撃回数を定める機械部分と、音を生む部分を分けて考えると構造が分かりやすい。ラックとスネイルなどの読取り機構が現在の表示に応じた打数を決め、別のエネルギーでハンマーを動かす。ゴングは打撃を受けて振動し、取付部とケースを通じて音を外へ伝える。音質は発音体の材質・寸法、固定の仕方、ハンマーの接触時間、ケースの機械的な結合に影響される。1

実物には「au toc」と、ゴングを叩く方式を併用したものがある。サロモンズは、ケースを直接叩く鈍い音をau tocと区別し、時をケース、分をゴングで知らせる例を記した。またハンマーが直接ゴングを叩かず、小さな中間ハンマーを介して柔らかい音を得る工夫にも言及する。したがって歴史的な報時は、ベルから一斉にゴングへ置き換わった単純な段階ではなく、用途に応じた複数の音の作り方を持つ。1

パラシュート耐衝撃装置#

テンプ軸の細い先端は摩擦を減らすのに有利だが、時計を落としたときの荷重に弱い。ブレゲは軸端を円錐形にし、対応する小さな受皿を板ばねで支えた。衝撃時に支持部が弾性的に移動して負荷を逃がす。試験は1790年頃、ペルペチュエルへの採用は1792年頃から、完成形の展示は1806年と工房資料は説明する。これらは試作・導入・公表をそれぞれ指す年代である。4

重要なのは「強い材料にする」だけでなく、支持構造に可動性を与えるという解決である。衝撃の間、受石と軸の相対変位を許し、ばねの復元作用で通常の位置へ戻す。ただし許容できる変位には限界があり、すべての落下で破損しない装置ではない。軸だけでなく針、文字盤、ケースも損傷し得るため、耐衝撃装置を時計全体の無条件の安全保証とみなせない。1

タレーランの集まりで時計を床へ落として実演したという話は、ブレゲ社も家族に伝わる逸話として紹介する。機構が現存することと、この社交の場の会話が同時代記録で確認できることは異なる。時計史では仕組みの実証と、発明者をめぐる印象的な伝説を分けて読む必要がある。4

ブレゲひげと等時性、温度補償#

テンプとひげゼンマイは、慣性と弾性を組み合わせる振動系である。外端を固定した平ひげは、伸縮時に中心が移動し、軸受へ横方向の力を与えたり、重力の影響が姿勢によって変わったりする。1795年のブレゲひげでは外周の末端を一段高くし、内側へ向かう端末曲線を設け、より同心的に伸縮させようとする。15

小振動・線形ばね・一定の慣性を仮定した理想模型では、テンプの周期は次で表せる。これは作用を比較するための現代の力学模型であり、ブレゲの実測値を与える式ではない。

\[ T=2\pi\sqrt{\frac{I}{\kappa}},\qquad \frac{\Delta T}{T}\simeq\frac12\left(\frac{\Delta I}{I}-\frac{\Delta\kappa}{\kappa}\right) \]

Tは周期(秒)、Iはテンプの慣性モーメント(kg m²)、κは角変位当たりの復元トルク(N m/rad)である。後式は変化が小さい場合の一次近似。慣性が増せば周期は長く、ばねが硬くなれば短くなる。実際には脱進機からの衝撃、空気抵抗、軸受摩擦、端末の境界条件などが加わる。末端を上げただけで完全な等時性を得るわけではなく、端末の形、固定位置、調整を含めて性能が決まる。1

温度変化ではテンプの寸法だけでなく、ばねの弾性も変わる。ブレゲの一部の時計には異なる金属を組み合わせた補償バーがあり、温度に応じて緩急針の位置を動かし、ひげの有効長を変える。サロモンズが記録した小型時計には白金テンプもあるが、これを「白金なら温度誤差が消える」と解釈してはならない。小型化に伴う配置の制約の中で、膨張の小さい素材を選ぶ対策だった。1

巻上げ残量、温度補償、ひげの同心性、姿勢差は別々の原因を扱う。自動巻きで出力が比較的安定しても重力による姿勢差は残り、トゥールビヨンがあっても温度変化は残る。ブレゲの精密時計は、これらを互いに代わるものとしてではなく、組み合わせる対策として設計された。1

トゥールビヨンの特許と限界#

1801年6月26日、革命暦9年メシドール7日、ブレゲはトゥールビヨンに十年間の特許を得た。テンプ、ひげ、脱進機を回転するキャリッジに載せ、垂直に保持した懐中時計で生じる方位による歩度差を平均化する。キャリッジの動力は輪列から受け、ガンギの小歯車が固定車に噛み合う。輪列、キャリッジ、脱進機の相対運動を一つの計時系に組み込む必要がある。17

特許に先立つ1800年12月24日の申請資料には、内務大臣に宛てた本人の添付書簡がある。そこでブレゲは、重心位置による誤差を補償し、軸と穴の周方向に摩擦を分散させ、油の状態が変わっても潤滑条件を均一に保つことを目的として述べた。さらに製造設備への支出を回収し、発明の日付を確保するため十年間の権利を求めている。これは発明者が考えた利点と事業上の動機を示す一次文言であり、すべての利点が実機で完全に達成されたことを証明する試験記録とは区別される。25

初期の作品には一分回転だけでなく、四分など異なる回転周期がある。回転を速くするほど、各方位での誤差を短い時間で通過させられる一方、部品の加工・釣合い・動力の条件も変わる。ブレゲのNo.282が一分回転、No.2555が四分回転であることを同社の技術解説は挙げる。20

平均化の意味を示す単純な模型として、一定の垂直姿勢での歩度誤差を方位角φの関数e(φ)とし、回転速度が一定、誤差が一回転の間に変わらないと仮定すると、回転後の平均は次になる。

\[ \bar e=\frac{1}{2\pi}\int_0^{2\pi}e(\varphi)\,d\varphi \]

周期的に正負へ変わる成分は平均で小さくできるが、どの角度でも同じ向きの誤差は残る。垂直と水平の差、温度やゼンマイ出力の変化、衝撃まで自動的に消す式ではない。これは特許の効果を概念的に説明する模型であり、特定の作品の精度の証明には個別試験が必要である。17

キャリッジを回すために追加の仕事が必要なので、軽量化、軸受、歯車の同軸性、部品の釣合いが重要になる。トゥールビヨンの存在だけで普通の調速器より高精度だと保証できない。固定姿勢で使う懐中時計という歴史的な課題と、腕で頻繁に姿勢が変わる現代の時計では、運用条件が違う。20

自然脱進機と潤滑の問題#

自然脱進機は、二つのガンギ車から交互にテンプへ直接衝撃を与える構想である。レバー式の往復それぞれへの衝撃と、デテント式の直接衝撃という長所を組み合わせ、滑り接触面の油への依存を減らそうとした。ブレゲが試みた方式では一方の車から他方へ歯車で動力を伝えるため、二車の慣性、噛合いの隙間、従動車の位置の不確実さが問題になった。17

時計師デレク・プラットの2009年の技術論文は、これらに加え、休止の確実性の問題を論じる。ジョージ・ダニエルズの独立二輪脱進機は二つの輪列で二車を別々に駆動し、別の解決を図った。したがって現代の直接衝撃脱進機を「ブレゲの機構がそのまま量産された」と捉えるのは適切でない。共有する課題と、異なる動力伝達・安全機構を比較すべきである。17

触読時計とシンパティーク#

「à tact」は、ケース外の矢印と外周の突起から触って時刻を読む時計である。1799年から販売され、1800年2月18日にはジョセフィーヌが小型No.611を購入した。触読は文字盤を見る、音を聴くという方法に加わる第三の情報経路であり、金、エナメル、真珠、ダイヤモンドを用いた装飾品にも組み込まれた。14

外側の矢印は、単に時針と同じ速さで常に回り続けるとは限らない。サロモンズと工房の商品案内が説明する方式では、指で動かした矢印が時刻に対応する位置で止まり、その位置をケースの突起と比較する。暗所でも、慣れれば四半時以下の間隔を見積もれるという工房の説明がある。指が力を加える部分を通常の針から分けることで、読取り操作を独立させる工夫だった。1

「シンパティーク」は、親クロックへ専用の懐中時計を載せ、その針を時刻へ合わせ、歩度を調整する方式である。1795年6月26日の息子への書簡には、寝るときに親時計へ載せ、朝あるいは一時間後には親時計と合う構想が記される。1798年の博覧会に展示され、1814年には英国摂政皇太子向けの現存例が作られた。821

整時と調整は異なる。整時は針の示す時刻を正しくする操作、歩度調整は、その後どの速さで進むかを変える操作である。1822~23年頃の工房案内は、正午あるいは午夜に針が前後に動き、親時計へ合うと説明し、同時に内部の調整も戻るとする。親時計を基準に子時計の状態を機械的に修正するため、両者の結合位置、子時計側の専用機構、基準クロックの安定性が必要になる。1

すべてのシンパティークが自動巻上げまで行うわけではない。サロモンズは、整時だけの王室の例と、巻上げ機構を持つ後代の例を分けて記述した。名称を共有しても機能は作品ごとに異なる。機械振動の同期を利用する二重振子や二重テンプと、親子の時刻を結合機構で合わせるシンパティークも、原理の異なる装置である。1

二重調速器と同期実験#

ブレゲは、一つのケースに二つの独立した輪列とテンプを置く時計、二本の振子を持つクロックも製作した。1822~23年頃の案内と1819年の展示資料は、共通の支持体がわずかに弾性変形することを介して振動系が影響し合うという説明を載せる。歯車で直接連結するのではなく、支持体を通じた微小な力学的結合を利用する発想である。1

同時代の説明には、片方の振子を止め、脱進機の作用を切った状態から他方の振動で再び振れ始める実験、空気の作用を遮っても運動が伝わる実験が記される。二重時計についてはブヴァールとアラゴが三か月試験し、二度の真空試験を行ったと工房は述べる。これは空気だけを伝達経路とする説明を避けるための検討だった。ただし工房が報告する試験の記述は、計測データ・不確かさを備えた現代の試験報告とは異なる。1

現存品を調べたサロモンズの記録では、No.2788は1818年10月2日に英国の摂政皇太子へ、No.2794は1821年9月3日にルイ18世へ販売された。両者ともテンプ間の距離を調整でき、二組の表示を持つ。このような配置は、同期の成立が部品の存在だけでなく、自然振動数の近さと結合の強さに依存することを示唆する。二つを並べればどの時計でも精度が上がるという一般則ではない。1

カレンダー、太陽時、観測用計時#

工房の商品案内は、単純日付、年単位の暦、閏年を扱う暦を区別していた。単純日付の一例では30日の次にゼロへ進んで止まり、使用者が翌月初日に戻す方式を説明する。月末の異なる日数を人が処理する時計と、機構で処理する時計を同じ「永久カレンダー」とは呼べない。ブレゲの複雑時計は後者を備えるが、その原理のすべてを1795年に初めて発明したとするより、個別作品の製作記録に沿って扱うべきである。1

均時差表示は、一様に進む平均太陽時と季節によってずれる視太陽時の差を示す。工房には差そのものを扇形表示で示すものと、平均時と太陽時を別々の分針で示すものがあった。年を周期とするカムの形状を使い、針の間隔を変える。暦機構はカムがどの時期を指すかを維持するためにも必要となる。太陽時表示と均時差の数値表示は関連するが、同じ表示ではない。1

「観測用二重秒針」の工房案内は、一方の秒針を観測の始めに停止し、終わりに再始動する間も、他方は動き続けると説明する。両者の位置の差を分の経過と併せて読む方式であり、経過時間を時刻表示から切り離す工夫である。1820年を開発年とするFHHの年史に加え、1822~23年頃の当事者の製品説明で機能を確認できる。現代のゼロ復帰を備えるラトラパンテと、すべての操作が同一とは限らない。12

望遠鏡の接眼部へ取り付ける天文計時器No.3165も製作した。サロモンズが引用する証明書では、1820年11月14日にスミスへ販売され、観測視野に現れる回転表示と十字線を用いて秒以下を読む。星を見たまま時計の表示も確認できるため、視線を別の時計へ移す操作を減らせる。目盛の細かさ、観測者が読み取れる細かさ、実際の時間精度は区別しなければならない。1

意匠、材料、精密加工#

針、数字、ギヨシェ#

1783年頃に現れたブレゲ針は、先端付近に偏心した丸い抜きを持つ細い針で、金や青焼き鋼から作られた。円形の抜きだけでなく、細い軸と長い先端によって時刻目盛を読む形が特徴となる。同社の製作記録の解説には、針の製作者ヴォージュール、テヴノンなどの名が残る。ブレゲ様式の成立も、専門職人による加工を伴う仕事だった。6

ギヨシェは、旋盤の規則的な運動と刃物の送りによって細かな反復模様を刻む技法である。文字盤の銀地に刻む模様は単なる飾りではなく、時刻、秒、残量等の表示区域を区切り、光の反射の見え方を変える。手で彫る不規則な装飾とは違い、機械の運動を制御して規則性を与える。1786年を採用の節目とする年史がある。123

1822~23年頃の商品案内は、針の軽さ、金属のつや消しと光沢の対比、ケース縁の丸み、結晶ガラスの形、ギヨシェを全体の比例の中で説明している。線画ではその見え方を十分に再現できないとも述べ、見かけの印象を良くするため図を縮めず、寸法の正しさを選んだとしている。この記述は、外観を装飾の種類の一覧ではなく、寸法・輪郭・質感を含む設計として捉えていたことを示す。1

宝石、金属、加工と保存#

サファイアやルビーは、軸受や接触部の摩擦・摩耗への対策に使われた。No.160では特殊なサファイア製レバー、巻上げ重りの動きを制限する部分のサファイアローラーも記録される。硬い材料を採用すると摩耗には有利な一方、割れや加工の難しさが生じる。軸受穴の形、研磨、軸端との隙間を適切に作らなければ、宝石の数を増やすだけではよい時計にならない。1

金、銀、白金は用途が違う。金と銀はケース・文字盤・構造部品に、白金は密度を利用する自動巻きの重りなどに使われた。鋼はばねや必要な高強度部品に残り、「金を多く使う時計」を「すべての部品が金」と読み替えることはできない。ブレゲ工房の案内も、素材と機能を組み合わせた仕様の違いを示している。1

当時の時計を調べる際には、現在の状態が販売時の状態とは限らないことに注意が必要である。サロモンズは、清掃によって薄い署名が消えた例、文字盤や裏蓋を交換した例、脱進機を別の方式へ改造した例を記録した。No.124の証明書の説明と実物を比較すると、後世に英国式レバーへ改造されていたという。現物、製作帳、販売証明、修理記録を合わせて考える必要がある。1

作品と顧客#

No.160「マリー・アントワネット」#

No.160は、自動巻き、報時、永久カレンダー、均時差、残量表示、温度計、独立秒針を集めた複雑懐中時計である。王妃へ贈るため1783年に注文されたとする話は、19世紀末に文章化された口承に遡り、発注者の身元は確定していない。王妃本人あるいはフェルセン伯の発注と断定する根拠にはならない。現代の工房研究は1827年の完成を示し、父の死後に息子の工房が完成させた作品となる。10

サロモンズは、透明な水晶部を通して機構を見ることができ、金を広く使う一方、鋼が必要な箇所には鋼が残ると記す。白金の重り、二つの香箱、補償テンプ、特殊なサファイア製レバー、ひげ、独立秒針が組み合わされる。透明な外観は単に内部を飾りとして露出するだけでなく、複数の機構が小さな空間に収まる構成を理解する手掛かりになる。1

独立秒針は通常の小秒針とは別に起動・停止できる。サロモンズはその歯車の極端な薄さと、星形部品の先端どうしが止まる死点を避ける工夫を観察した。巻上げ重りには強い運動の際に手動で停止する操作部もあり、使用者による状態の切替えを機構に組み込んでいた。これらは、機能数の多さだけでなく、複雑な機構を操作するための安全と順序を考える必要があったことを示す。1

工房の史料研究ではミシェル・ヴェーバーらの共同作業が確認され、1812~14年の各年に大量の製作工数が計上される。後にサロモンズの蒐集に入り、エルサレムの美術館に収蔵された。1983年の盗難と2007年の回収を経験し、2008年にはブレゲ社が別の復刻作品No.1160を公開した。原作と復刻は番号も製作時代も異なる作品である。10

No.2639とカロリーヌ・ミュラ#

カロリーヌ・ミュラの注文したNo.2639は、腕に装着することを最初から目的とした時計の重要な記録例である。1810年6月8日の特注帳には腕輪用リピーターの注文があり、形は薄い楕円、取付けは髪と金糸の腕輪と説明される。正確な寸法、文字盤の形、腕輪の留め具を示す図は現存資料から分からない。ブレゲ社は最初の既知の腕時計と位置づける一方、FHHは最初期の腕時計の一つと説明しており、優先権の評価と記録された事実を分けるのが適切である。92

製作は17人による34工程に及んだ。1811年12月初めに一度完成へ近づいたものの、針の駆動機構を改め、金のギヨシェ文字盤をアラビア数字の銀ギヨシェ文字盤へ替え、最終的に1812年12月21日に完成した。腕へ装着する形式だけでなく、報時、薄さ、温度計、表示を小さな構造へまとめる仕事だった。24

1849年3月8日にはカロリーヌの娘ルイーズ、ラスポーニ伯爵夫人による修理依頼が記録される。軸の研磨、温度計と報時の復旧、文字盤の手入れ、全体の清掃・調整を行い、3月27日に返却された。1855年8月の巻上げ用と時刻合わせ用の鍵の注文が、同社の台帳で追える最後の記録となる。24

そのため、完成後の所有を追うには王妃本人の注文記録だけでなく、次世代の修理帳も重要になる。現在のReine de Naplesコレクションはこの歴史に着想を得るが、寸法図に基づくNo.2639の厳密な複製と同じではない。9

親子時計、王室の時計、観測用クロック#

英国王室のシンパティークは、1814年のNo.666と専用時計No.721に対応する現存例である。時計を載せる位置が外装の意匠へ組み込まれ、親クロックと小型時計を一つの設計として扱う。王室の保管者によれば、ジョージ4世は子時計を日常的に携帯したと考えられる。作品が王室の調度品であると同時に、持ち歩く時計の基準でもあった。821

オーストラリアのPowerhouseが保管する平均時レギュレーターH9890は、1818年にトマス・ブリスベンが2,500フランで購入した。水銀補償振子とグラハム脱進機を持ち、1821年にオーストラリアへ渡り、パラマタ天文台、のちにシドニー天文台で使われた。1847年の閉鎖後の保管、1858年の再使用を経て1912年に置き換えられたと同館は記す。装飾時計だけでなく、長く使われた科学器具としての実績が具体的に分かる。11

振子時計は携帯時計と異なり、重力が復元力になる。振子の温度補償は、棒が伸びても有効長が変わりにくいよう、膨張する素材を組み合わせる。この作品の水銀補償と、工房が別の製品に使った亜鉛による補償は同じ構造ではない。ブレゲの名だけで仕様を一括せず、各器具の脱進機と振子を確認する必要がある。111

証明書から見える作品の幅#

サロモンズは87点の時計と6点のクロック等を、工房の証明書と実物に照らして説明した。以下はその一部であり、現在の所蔵先や現物の全状態を示す一覧ではない。「販売」は完成日と同義ではなく、改造・後代の販売があることにも注意が必要である。1

時計番号証明書等に記載された販売・顧客機構・作品の特徴史料上の位置
1481792年12月、プラズラン公ペルペチュエル、ミニッツリピーター、暦、残量表示、温度計、補償テンプサロモンズp.32、複雑自動巻きの構成例
1791792年9月4日、マリー・アントワネット金ケース、四半時リピーター、エナメル文字盤、バージ脱進機、フュゼーp.50、No.160とは別の購入品
1241800年、セガン自動巻き、報時、暦、二香箱。のちに英国式レバーへ改造p.34、原構成と後代の現物の違い
6951801年、リュシアン・ボナパルト青エナメルとダイヤモンドの触読時計、ルビーシリンダーp.34、作品代4,000フランと特製ケース代5,000フランを区別
1211806年9月11日、ジェローム・ボナパルトミニッツリピーター、中央独立秒、補償テンプ、耐衝撃p.32、独立秒と通常の秒表示を併用
18061807年5月25日、ミュラ公妃四半時報時、暦、温度計、裏蓋の肖像用スペースp.35、腕時計注文以前の購入例
11871810年4月13日、ロシアの商会トゥールビヨン、残量表示、起動停止できる秒表示p.49、精密計時と観測操作の組合せ
24611811年10月12日、スペイン王族半四半時報時、偏心した時表示、外周の分表示、日付p.35、表示配置と報時の選択
25691812年、モローを介して引渡しトゥールビヨン、レバー脱進機、エナメル文字盤p.34、販売先の詳細に限界がある例
26231814年5月1日、アントワーヌ王子四半時報時、月齢、補償テンプp.35、月齢を実際に備える作品例
27881818年10月2日、英国摂政皇太子二つの輪列・テンプ、中央秒針、二組の時刻表示p.31、二重調速器
27941821年9月3日、ルイ18世二組の独立機械、調整できるテンプ間隔p.31、No.2788と異なる仕様
36241821年6月21日、デミドフ一針式スースクリプシオン、銀ケース・金の縁、ルビーシリンダーpp.49–50、比較的簡素な価格帯
40041823年9月1日、デミドフ伯二香箱、レバー脱進機、補償テンプ、宝石軸受p.50、軸受荷重を意識した二香箱
41121829年6月1日、ゴディング平均時と太陽時、暦、半四半時リピーターpp.50–51、本人死後の販売例

表からは、顧客の名声以外の違いも読める。同じ一家にも、音で知る時計、触って知る時計、正確な秒を測る時計が売られ、表示配置や機構の組合せが違う。番号、証明書番号、証明書の発行日、販売日も別の情報である。複数回発行された証明書には新しい証明書番号が付くとサロモンズは指摘し、番号だけで年代を直線的に並べる方法への注意を促している。1

顧客管理、予約販売、工房の組織#

スースクリプシオンの当事者資料#

「Souscription」は予約・前払による販売で、一針式の懐中時計を指す。1796年に販売例が現れ、1797年の広告によって広められた。比較的大きな文字盤と一本の針、単純化したムーブメントが特徴である。英国Science Museumにも1795~1815年の範囲に年代づける銀ケースの作品が保管される。1213

サロモンズは、ブレゲ本人のフランス語広告「Souscription de montres d’une nouvelle construction」を全文再録した。そこでは天文学・航海用時計は高度に進歩した一方、一般用のよい時計は高価だと述べ、比較的手頃な価格で精密時計に次ぐものを提供する構想を説明する。この「手頃」は当時の工房の価格比較であり、一般労働者が容易に買える価格だったと判断するには別の賃金・購買力資料が必要である。1

広告は直径25リーニュ、一本の針、五分ごとの細目盛、銀ケースに金の縁を記す。代金は600リーヴルで四分の一を予約時に支払い、納品は予約順とする。借入れには高い利息が必要なので前払を望むという資金上の理由も本人が説明する。単に「古い宮廷顧客を失ったので売れた」という物語より、複数個を一度に製作して均一性と精度を得るための運転資金という明示された目的が重要である。1

同じ広告には、機械を分解しなくても輪列、脱進機、調速器、温度補償部が見通せること、修理を各国で行いやすくすること、転落への保護を備えることが述べられる。設計の簡素化は機能を減らすだけではなく、組立と保守をしやすい構造を標準化する試みだった。精度、堅牢さ、視認性、価格を同時に整える製品である。1

一本の針は12時間で一回転するため、一時間の間に五分ごとの目盛を置けば位置から分も概算できる。したがって分針を省くことは「時しか読めない」と同義ではない。一方、秒単位の観測用計器を代替するものでもない。時計の使用目的に合わせ、必要な読みの細かさを選んだ設計と理解できる。1

特注と外注、専門職の分担#

工房案内の冒頭には、直径、厚さ、付加機能、針の配置を組み合わせ、顧客の好みに合わせた時計を構成できると書かれる。これが特注の柔軟性である。ただし「二つと同じものがない」といった絶対的な評価は、スースクリプシオンのような共通形式を持つ製品の存在と両立しない。個別設計と反復可能な製品体系を併用していた。1

「montres mixtes」は、工房の図面と指揮の下で外部製作し、脱進機と調速器を工房で仕上げる製品として明示される。したがって正規品を「すべての部品を本人がパリの一室で作った時計」と定義できない。設計管理、最終仕上げ、調整、署名という工程が、分業された生産を一つの製品にする。1

時計を納めるまでには、針、ケース、文字盤、宝石加工、輪列加工、脱進機、組立、調整の専門性が必要になる。作業代と担当者を残す台帳は、単なる顧客リストではなく、製造工程の研究資料でもある。研究者が作品を評価するときには「何の機能があるか」に加え、誰がどの部品を作り、どの段階で工房に戻ったかを検討できる。124

台帳、署名、修理#

ブレゲ社は創業以来、注文、販売、所有者を記録してきたと説明し、現在はパリのヴァンドーム広場で保存する。購入者が登録されることと、古時計を鑑定して真正性を確認することは別の手続である。資料が残る範囲に応じ、販売日、最初の所有者、仕様などを照合する。台帳に記載があるから現物のすべての部品が当初のままと保証されるわけではない。15

秘密署名は、文字盤上の微細な銘によって工房の仕事を識別する試みだった。本人の予約販売広告にも、機械による特殊な印を加えて模倣の利益を小さくする説明がある。サロモンズは署名のない真正品、文字盤の交換、清掃で銘が薄れた場合を指摘した。署名の有無だけに頼らず、機構、材料、番号と台帳、加工の特徴を合わせて判断する必要がある。1

No.2639の1849年の修理記録は、最初の納品後も時計と顧客の関係が続いた具体例になる。現在の時計の研究でも、完成時の状態、後年の変更、保存・修復を区別することが不可欠である。顧客管理の史料は、発注者の名だけでなく、作品が次世代へ引き継がれた経緯を明らかにする。9

科学、文化、後世への影響#

観測器具と時計以外の製作#

ブレゲ工房は天文台の基準時計、携帯クロノメーター、接眼計時器を組み合わせ、時刻を測る、運ぶ、読み取るという一連の用途を扱った。星が子午線を通過する瞬間と時計の表示を比較する観測では、時計の歩度だけでなく観測者の読取り操作も重要になる。No.3165のような接眼器具は、この観測の手順を機械設計の問題として扱う例だった。1

工房の1822~23年頃の案内には軍隊の歩調を整える計器もある。毎分60~125の拍を表示し、指針の設定で速度を変え、音でも拍を確認する仕様だった。歩数の累計を数える万歩計と、行進のリズムを示す計器は違う。軍事的な用途を説明するときは、何を計測・制御する器具かを明確にする必要がある。1

三種類の金属を重ねて接合した薄い帯による温度計も商品案内に記載される。熱膨張の差が帯の曲がりを変え、長い帯を小さな空間へ収めて温度変化を読み取る。工房は応答の速さを利点とした。時計の温度補償で熱膨張を相殺することと、温度計で熱膨張の差を表示へ利用することは、同じ材料特性を異なる目的へ使う例である。1

同案内には、針から黒い印を文字盤に付ける「compteur à pointage」もあり、1821年にフランスの製作者が特許を取った原理の改良だと明記される。本人の製品資料に先行発明を認める記述があることは重要である。計時・記録技術をすべてブレゲ一人の発明にまとめるより、製作者間で技術が発展した過程として読むことができる。1

文学に現れる時計の名前#

ロシアの詩人アレクサンドル・プーシキンの『エヴゲーニイ・オネーギン』は、時計の名が社交生活を表す言葉になった具体例である。1825年に刊行された第1章の第15節では、散歩を続ける主人公に「брегет」が食事の時を音で知らせ、第17節ではその音がバレエの始まりを知らせ、主人公が劇場へ向かう。時計は精密機械であると同時に、食事や観劇に合わせて動く上流社会の日常の小道具として描かれる。28

原作に時計の型番や機構の詳細はなく、この場面から作家本人の所有品を特定することはできない。一方、固有の名を説明なしに日常の時計として登場させる描写は、ブレゲの名がロシアの文学世界でも認識されていたことを示す。28

継承、保存、研究#

1823年以後、息子と孫の時代に工房の仕事は続いた。1870年にはエドワード・ブラウンが事業を引き継ぎ、1970年にはショーメへ、1987年にはインヴェストコープ等へ、1999年にはスウォッチ・グループへ移った。1999年9月14日の買収発表では、ブレゲ、ヌーベル・レマニア、ヴァルダー等を含むグループの構成も示された。18世紀のパリ工房から現代のスイス製造組織への移行は、創業者本人の製作とは別の企業史である。316

サロモンズの1921年の書物は、作品の証明書、操作方法、観察を多数残した重要な資料である。一方、創業年、No.160の完成時期、本人をめぐる逸話などには後の研究と異なる説明がある。工房の宣伝文、蒐集家の伝記、現物の観察、学術的な史料研究は、それぞれ異なる立場から書かれる。価値のある資料でも全記述を同じ確度で用いることはできない。110

現物が残ることも、機械が完全に当初の状態を保つこととは異なる。時計の長い使用期間には文字盤、脱進機、ケースが交換され、保存のための加工も行われる。Powerhouseのレギュレーターも、部材とケースの修復・置換を経験した。美術品としての外観、作動する道具としての状態、技術史の証拠としての原部材の三つを、保存の判断では合わせて考える必要がある。111

現代の継承をどう捉えるか#

ひげの端末形状、耐衝撃支持、薄型報時、自動巻き、姿勢差の平均化という課題は現代にも残る。しかし、現代の時計がすべてブレゲひげを用いるわけではなく、ひげの材質と端末は用途に応じて異なる。ブレゲ社は2006年からシリコン製ひげと脱進機を導入し、のちにシリコンで立体的な端末を作る製法も開発したと説明する。延性のある金属線を曲げる工程と、脆いシリコンを成形する工程は同じではない。5

プラットの論文は、ダニエルズによる自然脱進機の再検討と、独立二輪方式、プラット自身のルモントワールを用いる解決を記す。ブレゲの遺産は、古い形を保存するだけでなく、本人が解決しきれなかった摩擦・慣性・安全性の課題を新しい材料と構造で検討することにもある。17

2025年のClassique Souscriptionは、歴史的な一針式の考え方を腕時計へ移した製品で、創業250周年の新作として発表された。2026年にはトゥールビヨン特許から225年となる。現代のメーカーによる記念と製品開発は、歴史的機構の評価を伝える一方で、現代製品の性能はその製品自身の構造・試験で評価する必要がある。1922

年表#

月・日を史料で確認できる項目はその精度で、それ以外は年単位で示す。発案、試験、特許、販売、後継工房の仕事を区別する。

時期生涯・工房・技術・作品根拠
1747年1月10日ヌーシャテルで出生18
1762年15歳でヴェルサイユへ徒弟入りしたとする後世の伝記1
1760~70年代パリで数学を学び、時計製作の技術を形成。細かな修業年月には限界がある12
1775年パリのケ・ド・ロルロージュで独立3
1780年前後最初のペルペチュエルが現れる13
1782年初期の現存自動巻きNo.1/8/82が完成3
1783年頃ゴングばね、独特の針・数字の形式6
1786年ギヨシェの採用の節目23
1790年頃パラシュート耐衝撃装置の試験4
1792年頃ペルペチュエルに耐衝撃装置を導入4
1792年9月4日王妃へのNo.179の販売を証明書に記録1
1793~95年スイスへ避難し、1795年にパリへ復帰3
1795年ブレゲひげの端末改良5
1795年6月26日息子への書簡でシンパティークの構想を説明8
1796年最初のスースクリプシオン販売例13
1797年一針時計の予約販売を広告で展開113
1798年シンパティークを博覧会に出品。ナポレオンが遠征前に三点購入321
1799年触読時計の販売開始14
1800年2月18日ジョセフィーヌへ触読時計No.611を販売14
1800年12月24日トゥールビヨンの技術資料と申請書簡を提出25
1801年6月26日トゥールビヨンに十年間の特許7
1806年耐衝撃装置の完成形を博覧会で披露4
1807年頃息子が事業に加わりBreguet et Filsへ1
1808~14年カロリーヌ・ミュラが34点の時計・クロックを取得9
1810年6月8日カロリーヌが腕に装着するNo.2639を注文9
1812年12月21日腕に装着するNo.2639が完成24
1814年8月英国摂政皇太子にシンパティークNo.666と時計No.721を販売21
1814年12月10日王令により経度局の構成員となる23
1815年10月27日王室海軍時計師に任命される23
1816年科学アカデミーへ入る26
1818年ブリスベンが天文観測用レギュレーターを購入11
1818年10月2日二重調速器No.2788を英国摂政皇太子へ販売1
1819年展示資料で二重振子・二重テンプの実験を説明1
1820年双秒計時の開発27
1820年11月14日天文観測用接眼計時器No.3165を販売1
1821年ブリスベンのレギュレーターがオーストラリアへ渡る11
1821年9月3日二重調速器No.2794をルイ18世へ販売1
1822~23年頃民間用と科学・航海用を分けた工房の製品案内1
1823年9月17日パリで死去。息子の工房が仕事を継続18
1825年1月6日双秒計時のNo.4009をホエーリーへ販売27
1825年『エヴゲーニイ・オネーギン』第1章に時計の名が登場28
1827年後継工房でNo.160が完成10
1849年3月8日No.2639をラスポーニ伯爵夫人が修理に出す9
1858年ブレゲ製レギュレーターをシドニー天文台で再使用11
1870年時計事業がエドワード・ブラウンの手へ3
1912年シドニー天文台のレギュレーターが置き換えられる11
1921年サロモンズの作品研究書を刊行1
1970年ブレゲ事業をショーメが取得3
1983年No.160がエルサレムの美術館から盗まれる10
1987年インヴェストコープ等が取得16
1999年9月14日スウォッチ・グループが買収合意を公表16
2006年現代のブレゲ社がシリコン製ひげ・脱進機を導入5
2007~08年No.160を回収、別作品として復刻No.1160を公開10
2009年3月プラットが二輪脱進機の技術論文を刊行17
2023年9月ブレゲ没後200年18
2025年4月創業250周年に一針式のClassique Souscriptionを発表19
2026年6月トゥールビヨン特許225周年22

参考文献#

史料の性格を記す。現代のメーカー年史と解説は工房資料へのアクセスを持つ一方、ブランドの説明という立場も持つ。サロモンズの作品観察・証明書引用と、同書に再録される当時の工房のフランス語広告・製品案内も区別して参照する。ウェブ資料の閲覧日は2026年10月7日。

  1. David Lionel Salomons, Breguet (1747–1823), 1921. 公開原本。pp.7–16(工房・伝記)、23–29(技術・操作)、30–51・60–61(作品・証明書)、71–75(署名・証明書・原稿)、77–94(1822~23年頃の工房案内再録)、99–104(予約販売広告・1819年展示資料再録)。生涯・日付に後の研究と異なる箇所があり、実物観察と再録一次資料を主に参照。
  2. Fondation Haute Horlogerie, Abraham-Louis Breguet。人物・技術年史。革命後の帰還年に他の資料と食違う記載があるため、その部分は採用せず。
  3. Montres Breguet, La Maison Breguet、英語版年史。創業、革命期の避難、顧客、事業継承の工房年史。
  4. Montres Breguet, Invention du dispositif antichoc dit « pare-chute »。試験・導入・公表の年代、機構、家族に伝わる逸話。
  5. Montres Breguet, Invention of the “Breguet balance-spring”。端末形状、温度補償、シリコンでの継承。
  6. Montres Breguet, Invention du ressort-timbre et dessin des aiguilles et chiffres Breguet。ゴングの形態、針の材質・形式、製作者の記録。
  7. Montres Breguet, Obtention d’un brevet pour un tout nouveau type de régulateur nommé « Tourbillon »。1801年6月26日の十年特許の解説。特許全頁を確認した資料とは区別。
  8. Royal Collection Trust, The ‘Sympathique’ clock, RCIN 2861。1814年の所蔵品解説と1795年6月26日の本人書簡の引用。
  9. Montres Breguet, Order for the first watch designed to be worn on the wrist。No.2639の注文・仕様・1849年修理記録の紹介。
  10. Emmanuel Breguet, The “Marie-Antoinette” watch No.160, Quai de l’Horloge, no.10。製造台帳研究、機能、来歴、伝承の成立、復刻。
  11. Powerhouse Collection, Breguet mean-time regulator clock, H9890, Geoff Barkerによる解説、2007年。現物の構造とオーストラリアでの使用・保存履歴。
  12. Science Museum Group, ‘Subscription’ Pocket Watch in Silver Case by Breguet, 1795–1815。所蔵品の同定・材質・年代。
  13. Montres Breguet, Sale of the first subscription watch。1796年の販売と1797年の広告展開。
  14. Montres Breguet, Sale of the first “tact watch”。1799年の販売、No.611とジョセフィーヌ。
  15. Montres Breguet, The Breguet Records。台帳の保存と、登録・鑑定の区別。
  16. The Swatch Group, The Swatch Group Ltd. acquires Groupe Horloger Breguet from Investcorp S.A., 1999年9月14日。買収当事者の発表。
  17. Derek Pratt, In Breguet’s Footsteps…, Horological Journal, 2009年3月、pp.106–110。時計師本人による自然脱進機、独立二輪方式、製作研究の技術論文。
  18. Montres Breguet, Bicentenary of the passing away of Abraham-Louis Breguet, 2023年9月17日。生没日。
  19. Montres Breguet, Classique Souscription 2025, 2025年4月24日。創業250周年製品の当事者発表。
  20. Montres Breguet, Principles of the Tourbillon, Quai de l’Horloge。回転周期、重量・動力・姿勢差の技術解説。
  21. Montres Breguet, Présentation de la première « pendule sympathique »。1795年構想、1798年展示、No.666・721の販売。
  22. The Swatch Group, Breguet: 225 years since the invention of the Tourbillon, 2026年6月26日。特許225周年の当事者発表。

23. Emmanuel Breguet, Chronométrie de marine et navigation en mer, Quai de l’Horloge, no.7。任命王令、製作台帳の集計、1817年の説明書、1820年の本人書簡を紹介する工房史研究。 24. Swatch Group, Breguet – Les 200 ans de la première montre-bracelet, 2012。No.2639の製作・修理台帳の具体的記録。 25. Emmanuel Breguet, À propos de la naissance du Tourbillon, Quai de l’Horloge, no.2。INPI所蔵の1800年特許申請添付書簡の全文転記を含む。 26. Musée du Louvre, BREGUET Abraham Louis, Collection du département des Arts graphiques。生没日と科学機関との関係。 27. Montres Breguet, Invention of the chronomètre à doubles secondes。1820年の開発とNo.4009の1825年販売記録。 28. Александр Сергеевич Пушкин, Евгений Онегин, 第1章、第15・17節。1959年作品集を底本とするロシア語転写、Wikisource。