シャルル=エドゥアール・ギヨーム#
シャルル=エドゥアール・ギヨーム(Charles-Édouard Guillaume、1861年2月15日–1938年6月13日)は、スイス出身の物理学者で、フランスのセーヴルにある国際度量衡局(BIPM)で研究生活を送った。ニッケル鋼の異常な性質を精密測定に役立て、1920年のノーベル物理学賞を受けた。温度で長さが変わりにくいインバーと、弾性率の温度変化を小さくするエリンバーが代表的な成果である。同じ物理学者のエドゥアール・ギヨーム(1881–1959)とは別人である。123
彼が時計史に残したものは、完成時計の独創的な外観より、振り子、テンプ、ひげぜんまいの材料を選び直す方法だった。既存の温度補償機構に部品を足すだけでなく、合金の組成と加工を制御して、時計が遅れる原因そのものを小さくする。その仕事は研究所だけでは成立せず、フランスの製鉄所とスイスの時計師・部品会社を結ぶ長い共同作業となった。4

図:シャルル=エドゥアール・ギヨーム、1920年頃。撮影者不詳。所蔵:ETH-Bibliothek(Portr 08563)。出典:Wikimedia Commons、E-Pics。ライセンス:CC BY-SA 4.0(変換画像も同条件)。変更:縮小・JPEG変換、トリミング・色調変更なし。
時計師の家から国際度量衡局へ#
フルリエとチューリヒでの教育#
ギヨームはヌーシャテル地方のフルリエに生まれた。父と祖父は時計業に従事しており、家族の仕事はロンドンとも関わっていた。本人はヌーシャテルで学び、1877–1878年に当地のアカデミーへ通った後、1878年冬にチューリヒの連邦工科大学の前身校へ進んだ。大学アーカイブに基づくETH図書館の記録では、1882年8月4日に数学教員の資格にあたるディプロマを取得している。1
1883年にはハインリヒ・フリードリヒ・ヴェーバーの指導で博士号を得た。授与機関はチューリヒ大学である。当時の連邦工科大学には博士号授与権がなかったため、「チューリヒ工科大学で博士号を取得」と一括する略歴には注意が必要になる。短期間の砲兵士官勤務を経て、同年にBIPMへ助手として入った。15
1888年にエミリー・マリー・アンヌ・タウフリープと結婚し、子どもは3人いた。1901年には母校から物理学の教授職への誘いを受けたが、セーヴルに残った。時計業の家に生まれた物理学者が、時計工房の経営ではなく国際的な測定標準の仕事を職業基盤にした点が、その後の発明の性格をよく示している。1
温度計と標準器を扱う仕事#
初期の仕事には水銀温度計の補正と校正があった。金属製の物差しを精密に比較するとき、長さだけを読めばよいわけではない。温度計の読みがずれていれば、物差しの膨張を正しく差し引けない。ギヨームは、長さの測定を温度の測定と一体で考える環境で経験を積んだ。5
1889年にはメートル条約に参加する各国へ白金イリジウム製の標準器が配布された。しかし、その高価な材料を日常の測定器へ広く使うことは難しかった。本人の1920年講演によれば、1891年に、安価でありながら測定に必要な安定性を備える金属を探し始め、まず純ニッケルを検討した。長い健全な棒を製造する難しさが、別の合金を調べる契機となった。4
BIPMでは1889年にadjointとなり、1902年に副局長、1915年に局長へ進んだ。局長在任は1936年までで、その後は名誉局長だった。「1889年のadjoint」と「1902年の副局長」を同じ役職として扱うと経歴がずれる。16
インバーの発見はどこから始まったか#
異常に大きな膨張と小さな膨張#
出発点は、最初から「膨張しない鋼」を狙った成功実験ではなかった。1895年3月、BIPMのJ. R.・ブノワは、砲兵関係のニッケル鋼製標準器が予想より大きく膨張することに気付いた。1897年の報告では、この試料の組成をニッケル22–23%、クロム2–3%程度とし、正確な値は不明だと断っている。7
1896年5月、ギヨームが別の、クロムを含まないニッケル鋼の棒を測ると、今度は白金よりも膨張が小さかった。ニッケルを増やせば性質が二つの金属の中間へ滑らかに近づく、という単純な予想では説明できない。彼は製造元のアンフィの製鉄所、Société de Commentry-Fourchambaultに試料の供給を依頼し、ニッケル含有量を変えながら系統的に測った。7
当時の方法は、温度を変えた水槽内の棒と、基準となる白金イリジウムの棒を顕微鏡で比較するものだった。1897年報告の表では、0°Cから約38°Cの測定から求めた膨張係数が、ニッケル約36%付近で小さくなる。1920年講演では、所定の添加物と加工状態の試料について、最小付近をニッケル35.6%、線膨張係数を約1.2×10⁻⁶/°Cと示した。これは長さ1mの棒が1°Cの変化で約1.2μm伸びる程度を意味する。47
ただし、この数字はあらゆる「インバー」に共通する定数ではない。微量元素、熱処理、冷間加工で値は変わり、最小となる組成も動く。インバーは「絶対に変化しない金属」ではなく、目的とする温度範囲で膨張を非常に小さくした鉄・ニッケル系合金と理解する方が正確である。4
工場と研究所が必要だった理由#
工業化には、試料を一度うまく溶かせば済むわけではない。同じ組成を再現し、棒や細線へ加工し、異物や不均一な部分を避け、最終製品の性質を揃える必要があった。ギヨームは1920年講演で、アンリ・ファヨールのもとで企業が600種類を超える合金を提供したことに謝意を示している。この数は研究期間全体の協力を振り返ったもので、1896年の1年間に600種類を試したという意味ではない。4
また、冷えたインバーには長期間かけて寸法が変わる性質が残った。ギヨームは熱処理による変化を追い、微量の炭素や添加元素の影響も調べた。小さな熱膨張と長期安定性は別の問題であり、精密な標準器として使うには、処理と定期的な比較が欠かせないと述べている。4
時計への三つの応用#
| 応用 | 主に抑えるもの | 設計上の要点 |
|---|---|---|
| インバー振り子 | 温度による振り子の有効長の変化 | 棒だけでなく振り玉・支持位置を含めて補償する |
| ギヨーム・テンプ | 従来の補償テンプに残る中間温度誤差 | 鋼に代えるニッケル鋼の、膨張曲線の曲がりを利用する |
| エリンバーひげぜんまい | ばねの弾性率の温度変化 | 適切な膨張率の単一金属テンプと組み合わせる |
これらは同じ合金をどこへでも使う三例ではない。寸法の温度変化、弾性の温度変化、両者の非線形な釣合いという、異なる課題への解答である。4
振り子時計の補償を簡素にする#
振り子は、有効長が長くなるほどゆっくり振れる。普通の金属棒が暖まって伸びれば時計は遅れるため、水銀や複数の金属の膨張差を使う補償振り子が考案されていた。ギヨームは棒の膨張自体を小さくし、残った伸びを振り玉の上向きの膨張などで補う方法を説明した。棒をインバーへ替えただけで、組み上がった振り子全体の補償が自動的に完成するわけではない。4
水銀振り子ではケース内の上下の温度差も問題になる。インバーによる構造の簡素化は、液体を使う方式や複雑な補償構造と比較する利点となった。一方、棒の経時変化や支持部、時計を置く環境は残る。詳しい構造はインバー振り子で扱う。4
ポール・ペレとひげぜんまいの実験#
温度が上がると一般的な鋼のばねは弾性率が下がり、同じ変形から戻ろうとする力が弱くなる。ギヨームの仕事は、膨張係数だけでなく、この弾性率の温度変化も合金によって異なり、正にも負にもなり得ることを時計へ利用した点にある。4
ラ・ショー=ド=フォンの時計師ポール・ペレは初期のインバー研究に関心を寄せ、試料を時計のひげぜんまいにして試験した。工学者マルク・チュリーも関わり、1897年夏にはニッケル約28%や45%の合金から補償ひげぜんまいが作られたと、METASのフィリップ・リシャールは説明している。寸法変化が最も小さい約36%の合金が、そのまま最適なばね材料になるわけではなかった。8
初期の合金ばねには、組成を少し変えるだけで弾性の温度特性が大きく動くこと、温度範囲の中央と両端で歩度が違うことなどの難しさがあった。ギヨームは1920年に、初期の補償ばねと単一金属テンプの組合せでは、0°Cと30°Cで歩度を揃えても15°C付近に1日20–25秒の差が残る例を記した。普通時計への工業的普及と、高級クロノメーターの要求を満たすことは別だった。4
ギヨーム・テンプと中間温度誤差#
従来の補償テンプは、鋼と真鍮の二金属の弧を使う。温度が上がると弧が内側へ曲がり、周囲の重りが軸へ寄って慣性が減る。これが、鋼のばねが弱くなって振動が遅くなる影響を打ち消す。しかし二つの温度で歩度を合わせても、その間の温度で進む残差が生じる。これが中間温度誤差である。4
ギヨームは、テンプの鋼側を特定のニッケル鋼へ置き換え、その膨張曲線の二次の項を利用して、ばね側の非線形変化に合う補償を作ろうとした。1920年講演では1899年に設計計算を行い、ニッケル45%の合金を用いたと述べる。約36%の低膨張インバーと、このテンプの合金を同一の組成だと考えることはできない。4
本人によれば、1900年にはP. D.・ナルダンとポール・ディティスハイムがこのテンプを使って温度補償の成果を得た。リシャールの解説も両時計師による試験とヌーシャテル天文台への提示を挙げる。ギヨームは自分で全工程を製作した時計師ではなく、材料特性と計算を示し、製作者が時計に組み込んで結果を確かめる協働の中心だった。48
講演にある「完全な補償」は、この温度誤差の解決についての本人の表現である。姿勢、振幅、潤滑、衝撃などを含む、時計のあらゆる進み遅れが消えたことを意味しない。
エリンバーへの道と工業化#
弾性率を変えにくくする#
エリンバーは「élasticité invariable」、すなわち変わりにくい弾性に由来する名である。低膨張を意味するインバーと混同してはいけない。ギヨームの説明では、鉄・ニッケルの二元系で温度係数がゼロになる組成は、組成をわずかに違えるだけで性質が外れやすく、適する温度範囲も狭かった。クロムなどを加えて、その変化を穏やかにする方向を探した。4
本人は1912年頃に着想し、翌年、クロム5%と10%の系列で実験を進めたと回想している。ピエール・シュヴナールのねじり試験を含む研究、硬さや加工性を整える添加元素の検討も関わった。1912年を着想、1918–1919年を特許化・実用化の過程、1920年を成果報告として分けると、資料に現れる異なる「発明年」を理解しやすい。489
ばねの弾性率が変わりにくくなれば、二金属の切りテンプを使わず、単一金属のテンプで温度に対して安定した振動系を作れる。ただし「ばねの温度係数がゼロ」であればどんなテンプでもよいわけではない。テンプの膨張も慣性を変えるため、ばねと組み合わせて材料を選ぶ必要がある。4
ギヨームは1920年時点で、単純な組合せが良い結果へ近づける一方、調整師が少しずつ追い込む細かな補償調整には限界があると記した。精密時計への導入は進んでいたが、最上級の精密クロノメトリーへの普及にはなお留保を置いていた。受賞時に全時計が一斉にこの方式へ移ったわけではない。4
発明の公表と、量産できることの違い#
時計部品の供給にはFabriques de Spiraux Réunies(FSR、ひげぜんまい製造会社の連合体)が関わった。技術史家ヨハン・ボワヤの資料研究は、1901年のギヨームとFSRの契約や、アンフィの素材を時計用に加工するときの品質問題を論じている。1905–1908年頃の苦情には、不均質な材料や亀裂が現れ、良い実験結果から安定した製品へ至る間に工程上の障害があった。9
米国特許US1106206とUS1106207は、1912年2月20日出願、1914年8月4日特許で、ギヨームを発明者、FSRを譲受先としている。両公報は、初期合金ばねの弾性限が低く永久変形しやすいことを課題に、ニッケル27–31%の鉄・ニッケル合金へクロム、タングステン、バナジウムなどを組み合わせる方法を示す。細く圧延・伸線でき、均質で一定の性質を持つことが求められており、低膨張だけでは時計用のばねにならないことがわかる。これらは発明者の設計を記した公報で、量産製品の性能を実証する試験報告ではない。1011
ボワヤの研究が掲載するスイス特許CH82081の表紙は、ギヨームとFSRを出願者とする「クロノメーターおよび時計用の補償ひげぜんまい」で、1918年6月4日出願、1919年9月1日公表と読める。着想、出願、公報の刊行、商品化は区別する必要がある。また、ペレの初期合金ばねに関する権利と、後のエリンバー系の特許を、すべてギヨーム単独の一件の発明へまとめることもできない。9
エリンバー系のばねも磁気や腐食などの問題をすべて解決した材料ではなかった。後の材料開発は、温度以外の環境や加工上の課題も引き受けて進む。ギヨームの意義は、ただ一つの完成合金を残したというより、組成、熱処理、加工、測定、時計への組込みを往復する開発の仕方を定着させたことにある。49
受賞、晩年、残された資料#
1920年のノーベル物理学賞の授賞理由は、ニッケル鋼の異常の発見によって物理学の精密測定へ貢献したことだった。腕時計だけへの賞ではない。インバー線による測地基線の測定、長さの標準器、時計の調速装置は、一つの材料研究から枝分かれした応用だった。34
著述も広く、温度測定、単位と標準、ニッケル合金などを扱った。たとえば『Traité de thermométrie』(1889年)、『Unités et Étalons』(1894年)、『Les applications des aciers au nickel』(1904年)がある。研究論文や技術書を通して知見を共有する活動は、製鉄所から時計部品工場までをつなぐ仕事と並行していた。5
1936年にBIPM局長を退き、1938年6月13日にセーヴルで死去した。死亡日について、ノーベル財団の略歴には5月13日という記載があるが、フランス国立図書館の典拠は6月13日としている。本記事は後者を採用する。学位授与機関の場合と同様、有名な機関の短い略歴であっても、別の記録との照合が必要な例である。125
個人資料はラ・ショー=ド=フォンの国際時計博物館(MIH)にあり、ETHの大学アーカイブにも学生記録や書簡などが残る。BIPMは2020年10月17日にノーベル賞受賞100周年のシンポジウムを開催し、測地・時計・精密計測にまたがる仕事を振り返った。現代に続く意義は「温度の影響を完全になくした」という神話よりも、微小な誤差を測り分け、その原因を材料と製造工程までさかのぼった研究にある。16
年表#
| 年月 | 出来事 |
|---|---|
| 1861年2月15日 | フルリエに生まれる。12 |
| 1877–1878年 | ヌーシャテルのアカデミーで学ぶ。1 |
| 1878年冬–1882年 | チューリヒの連邦工科大学の前身校で学び、1882年8月4日にディプロマ取得。1 |
| 1883年 | チューリヒ大学で博士号。BIPMへ入る。1 |
| 1888年 | タウフリープと結婚。15 |
| 1891年 | 安価な長さ標準器の材料を探す研究を開始したと回想。4 |
| 1895年3月 | ブノワがニッケル・クロム鋼の大きな膨張に注目。7 |
| 1896年5月 | 別のニッケル鋼の小さな膨張を測り、アンフィとの系統的研究へ。7 |
| 1897年 | BIPM記録に組成と膨張の測定を報告。ペレらと合金ばねの試験が進む。78 |
| 1899–1900年 | ギヨーム・テンプを設計し、ナルダンとディティスハイムが試験。4 |
| 1901–1902年 | FSRと契約。1902年にBIPM副局長となる。19 |
| 1912–1913年 | エリンバーにつながる三元合金の着想と実験。4 |
| 1915年 | BIPM局長に就任。16 |
| 1918年6月–1919年9月 | 補償ひげぜんまいの特許CH82081をFSRと出願、公報刊行。9 |
| 1920年12月11日 | ノーベル物理学賞受賞に伴い「Invar and elinvar」を講演。4 |
| 1936年 | 局長を退き、名誉局長となる。16 |
| 1938年6月13日 | セーヴルで死去。2 |
| 2020年10月17日 | BIPMが受賞100周年のシンポジウムを開催。6 |
史料の範囲#
1920年講演は発見者自身が研究の筋道をまとめた重要資料である一方、成果の評価や普及の程度は本人の立場から語られている。1897年の測定記録、大学アーカイブ、公的な人物典拠、企業資料を扱った後世の技術史研究を併せて読む必要がある。とくに、講演の性能例を現在の市販合金やすべての時計の保証値へ読み替えることはできない。
個々の時計の製造番号、全作品の初採用、全特許の権利範囲を網羅するものではない。ギヨームの主な貢献を、製作者・試験者・素材供給者の役割と分け、確認できる測定と応用の過程から捉えている。
参考文献#
1. ETH Library, “Charles Edouard Guillaume (1861–1938),” 大学アーカイブの学生記録・1901年人事記録・所蔵案内を含む。ETH図書館(閲覧日:2026年11月6日)。
2. Bibliothèque nationale de France, “Guillaume, Charles-Édouard (1861-1938),” FRBNF12924047、生没日と同名人物の識別。BnF典拠(閲覧日:2026年11月6日)。
3. Nobel Foundation, “The Nobel Prize in Physics 1920,” 授賞理由。授賞概要(閲覧日:2026年11月6日)。
4. Charles-É. Guillaume, “Invar and elinvar,” Nobel Lecture, 11 December 1920, Nobel Lectures, Physics 1901–1921, pp. 444–473。発見と測定pp. 444–453、弾性・加工・経時変化pp. 454–463、時計応用pp. 468–472。本人の講演PDF(閲覧日:2026年11月6日)。
5. Nobel Foundation, “Charles Edouard Guillaume – Biographical,” Nobel Lectures, Physics 1901–1921, Elsevier, 1967掲載版。初期研究・著作を参照。学位授与機関と死亡日は資料1・2と照合。略歴(閲覧日:2026年11月6日)。
6. BIPM, “Symposium to celebrate the centenary of the award of the Nobel Prize in Physics to Charles-Édouard Guillaume,” 2020。開催記録(閲覧日:2026年11月6日)。
7. Comité international des poids et mesures, Procès-verbaux des séances de 1897, 局長報告pp. 78–80、ギヨーム報告「Étude sur les aciers au nickel」pp. 97–100。BIPM原記録PDF(閲覧日:2026年11月6日)。
8. Philippe Richard(METAS), “Charles-Édouard Guillaume et son héritage: Perspective suisse,” BIPM受賞100周年シンポジウム資料、2020、スライド5–9。公的機関の解説PDF(閲覧日:2026年11月6日)。
9. Johann Boillat, “Des alliances pour des alliages III: le béryllium des spiraux,” Bulletin SSC, no. 88, décembre 2019, pp. 29–36、特にpp. 30–31(契約・素材品質・CH82081の公報表紙図3)。時計技術協会公開PDF(閲覧日:2026年11月6日)。
10. Charles Edouard Guillaume, Balance-spring having elasticity increasing with a rise in temperature, US1106206, 1912年2月20日出願、1914年8月4日特許、全3頁。米国原公報PDF(閲覧日:2026年11月6日)。
11. Charles Edouard Guillaume, Balance-spring having elasticity increasing with rise in temperature, US1106207, 1912年2月20日出願、1914年8月4日特許、全2頁。米国原公報PDF(閲覧日:2026年11月6日)。