チャールズ・フロッドシャム ― 航海時計と等時性の研究

チャールズ・フロッドシャム#

チャールズ・フロッドシャム(Charles Frodsham、1810年生とされる、1871年没)は、19世紀ロンドンの時計師、航海用クロノメーター製作者である。海軍向けの精密時計を扱う一方、ヒゲゼンマイの等時性を論じ、万国博覧会の審査と報告にも携わった。彼の仕事は、精密な部品を作る職人技と、振動の理論、観測による調整、製品を供給する工房経営を結び付けている。1 2

同名の事業は本人の死後も続いた。文字盤に Charles Frodsham と記された時計がすべて本人の生前に作られ、本人の手で組み立てられたとは限らない。年代、屋号、製造番号、後年の改造を個別に確認する必要がある。3

家業から独立した時計師へ#

父ウィリアム・ジェームズ・フロッドシャムはクロノメーター製作に携わり、Parkinson & Frodshamの共同創業者だった。チャールズは1824年に父の徒弟となり、1830年代半ばには独立した事業を営んだ。London Metropolitan Archivesの事業史は創業を約1834年、1837年の所在地をフィンズベリーのThe Pavement 12番地とする。科学博物館の人物記録にも1824年の徒弟入りと初期のロンドンの住所が記される。3 4

生年には資料の食い違いがある。科学博物館とLondon Metropolitan Archivesの目録は1810年とするが、王立天文学会の1871年の追悼文は1811年4月15日と記す。同時代の追悼文を含む異説があるため、出生年は資料に帰属させて記す。1 3 4

1843年、ジョン・ロジャー・アーノルドの死後、その事業とストランド84番地の店舗を引き継いだ。事業史によれば1843年から1858年までの屋号は Arnold and Frodsham、その後は Charles Frodsham である。アーノルドの既存事業と名前を継いだことは、顧客や製品の来歴を考えるうえで重要だが、銘だけで各部品を誰が作ったかは決められない。3

1854年にはヴリアミーの事業を取得し、王室の時計の管理職に就いた。精密な航海時計に加え、宮廷の時計を維持する仕事が加わった。1851年のロンドン万国博覧会では新しいクロノメーターを紹介し、1862年の同地の国際博覧会では時計部門の審査員と報告者を務めた。王立天文学会の追悼文は、彼が時計師組合の長も二度務めたと記録する。1 2

振動を保つという課題#

航海用クロノメーターは、船上で基準となる時刻を保ち、観測した現地時刻との差から経度を求めるための時計である。テンプとヒゲゼンマイが往復振動し、脱進機が歯車の動きを刻む。温度や姿勢、摩擦、動力の変化があっても歩度を安定させることが、製作と調整の課題だった。

フロッドシャムの論文『Isochronism of Balance-Springs』は、振幅が変わっても振動の時間ができるだけ変わらないという等時性を扱う。彼は半振動を小さな時間に分け、テンプが平衡位置へ向かうときに加速し、通過後に減速する過程を図で説明した。理想的なばねの力の法則だけで時計全体の精度が保証されるわけではなく、実際の時計では脱進機や摩擦も関係する。5

同論文には、ヒゲゼンマイの曲線を調整し、長い振りと短い振りでの進みを比較する実務上の議論もある。付録の討議では、ぜんまいの力を弱めて振幅を減らす試験と、油の変化で抵抗が増える実使用とが同一ではないことが論じられた。これは当時の調整者が試験条件と実際の使用条件を区別していたことを示すものであり、特定の現存時計の精度を証明する数値ではない。5

王立天文学会の追悼文によれば、彼は等時性についての論文により1847年に土木技術者協会のテルフォード・メダルを受けた。公開されている米国議会図書館所蔵の複製は出版年を1862年頃とする版であり、受賞年とその複製の出版年を混同しないことが大切である。1 6

現存する時計から見る仕事#

木箱のジンバルに収められた航海用クロノメーターの機械

図1:Ladd Observatory所蔵のフロッドシャム銘クロノメーターNo.2299の機械。後に電信回路が追加された。作者:Ktr101。出典:Wikimedia Commonsのファイル説明。ライセンス:CC BY-SA 4.0。変更なし。

Royal Museums Greenwichの航海用クロノメーター「2025 / 1851」は、同館が約1843年、John Roger ArnoldとCharles Frodshamの両名に帰属させる作品である。一日巻きで、鋼製のらせんヒゲゼンマイとアーンショウ型のテンプを備え、ジンバルで支持される。現在はデテントが欠けている。工房の引継ぎ期を示す現物だが、失われた部品を含め、現状が製作当初の完全な姿ではないことにも注意したい。7

同館の懐中時計No.3483は約1839年の作品として記録され、フルプレートの機械、フュージー、英国式レバー脱進機を備える。箱入りの航海時計だけでなく、携帯時計も扱っていたことが分かる。フュージーは主ぜんまいの力の変化を円錐形の滑車と鎖でならす装置であり、レバー脱進機は往復するテンプの動きと歯車の進みを結ぶ。8

ガリレオ博物館は、1851年の博覧会に出品された4分の3プレート時計の刻印「AD. FMSZ」を1850年を示す符号として説明する。FRODSHAMの文字順に数字を対応させ、Zをゼロに使ったという。銘や符号は作品を調べる手掛かりになる一方、単独で製造工程や所有者まで確定するものではない。9

著述とその後#

フロッドシャムは1862年の博覧会で時計部門の報告を書き、同年には時計製作に関する別の著述も公表したと追悼文に記される。製造者が技術を実物だけでなく文章と審査を通じて共有したことは、産業と科学の接点を示す。1

1871年の死後、事業は息子に引き継がれた。後の法人化は1893年で、本人の時代より後の出来事である。London Metropolitan Archivesには後継事業の議事録や製造帳簿が残るが、公開目録に記された製造帳簿は1876年以降であり、本人の全作品を直接記録した帳簿と同一視はできない。3

年表#

  • 1810年:ロンドンで出生とされる。1871年の追悼文には1811年説がある。1 4
  • 1824年:父ウィリアム・ジェームズの徒弟となる。4
  • 1834年頃:独立事業を開始。3
  • 1843年:J. R. アーノルドの事業を引き継ぐ。3
  • 1847年:ヒゲゼンマイの等時性論文でテルフォード・メダルを受ける。1
  • 1851年:ロンドン万国博覧会で新しいクロノメーターを紹介。2
  • 1854年:ヴリアミーの事業を取得、王室時計の管理職に就く。2
  • 1862年:ロンドン国際博覧会で時計部門の審査と報告を担当。1
  • 1871年:死去。事業は息子に引き継がれる。1 3

参考文献#

1. Royal Astronomical Society, Obituary: Charles Frodsham, Monthly Notices, vol. 31, 1871, p. 101.

2. Antiquarian Horological Society, Marine, Pocket and Wristwatch Chronometers: The Story of Charles Frodsham, 2026年講演記録。

3. London Metropolitan Archives, Charles Frodsham and Company, 所蔵資料目録。

4. Science Museum Group, Charles Frodsham, 人物記録。

5. Charles Frodsham, Isochronism of Balance-Springs, pp. 10–12, 15–18, 24–26.

6. Library of Congress, Isochronism of balance-springs, 書誌記録。

7. Royal Museums Greenwich, 2025 / 1851, 所蔵品ZAA0058。

8. Royal Museums Greenwich, Pocket watch No. 3483, 所蔵品ZAA0415。

9. Museo Galileo, Charles Frodsham, 人物記録。