ダニエル・クエール (Daniel Quare) – 17~18世紀の時計職人と発明家

ダニエル・クエール (Daniel Quare) – 17~18世紀の時計職人と発明家

ダニエル・クエール (Daniel Quare, 1648/1649年頃 – 1724年3月21日) は、17~18世紀イングランドの著名な時計職人・計器製作師であり、懐中時計の繰返し報時機構(リピーター)の発明者として知られています ( Daniel Quare - Wikipedia) ( Daniel Quare | Barometer Maker, Clockmaker, Inventor | Britannica)。また、携帯可能な水銀気圧計(ポータブル・バロメーター)を開発し特許を取得した人物でもあります ( Daniel Quare - Wikipedia) ( Daniel Quare | Barometer Maker, Clockmaker, Inventor | Britannica)。彼は高精度の振り子時計や長持続の時計も手掛け、同時代のトーマス・トンピオンに次ぐ優れた時計師と評されました ( Clockmaker: Daniel Quare | Miniature longcase clock with calendar | British, London | The Metropolitan Museum of Art)。本稿では、クエールの生涯と経歴、彼の発明や技術的貢献、当時および現代への影響、さらに関連する文献や資料について詳述します。

生涯と経歴 #

ダニエル・クエールは1648年または1649年頃、イングランド南西部サマセット州に生まれたと推定されています ( Daniel Quare - Wikipedia)。幼少期については記録がほとんど残っていませんが、クエールは敬虔なクエーカー教徒(フレンド派)の家庭に育ったと考えられています ( Daniel Quare - Wikipedia)。師弟修業の記録も不明ですが、おそらく1660年代前半から後半にかけて時計師の下で技術を学び、徒弟を終えたと推測されます ( Pendulum Publications blog - PENDULUM PUBLICATIONS)。

1671年4月3日, クエールはロンドン市の時計師組合 (Clockmakers’ Company) に「自由徒弟 (brother)」として入会を許可されました ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library)。当時彼は既にロンドン・ウェストミンスターのセントマーティンズ=ル=グランド地区で時計師として活動しており、その卓越した才能から組合入会時に「偉大な時計師」と評されています ( Pendulum Publications blog - PENDULUM PUBLICATIONS) ( Clockmaker: Daniel Quare | Miniature longcase clock with calendar | British, London | The Metropolitan Museum of Art)。クエールは熱心なクエーカー教徒としても知られ、ロンドン・ビショップスゲートのデヴォンシャー・ハウスでのフレンド派集会に初期から参加していました ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library)。1676年4月18日, ロンドンでメアリー・スティーヴンスと結婚します ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library)。結婚式はクエーカー教徒の習慣に則りデヴォンシャー・ハウスで執り行われ、記録にはクエールが「ウェストミンスター管区マーティンズ=ル=グランド在住の時計師」として記されています ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library)。

しかし当時のイングランドにおいて非国教徒であるクエーカー教徒は社会的迫害の対象でした。クエールも信仰に基づき英国国教会への課税や政府への徴募金支払いを拒んだため、1678年には教区聖職者維持の課税を拒否した罰金として5ポンド相当の家財を差し押さえられました ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library)。1679年にも民兵徴募費の負担を拒否して時計2台と懐中時計2個を没収されるなど、度重なる財産差押えに苦しめられました ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library)。それでも信念を曲げることなくクエーカー活動を続け、1683年には非合法な礼拝集会に参加した廉で約195ポンドもの財産を没収されています ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library)。こうした迫害にもかかわらず彼の時計師としての評判は高まり、1685年にはロンドン中心街の時計商が集まるエクスチェンジ・アレー(交換横町)にある「キングズ・アームズ」という表札の店舗に移転しました ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library)。同年即位したジェームズ2世の治世下、1686年6月4日にはクエーカー教徒代表の一人として王直属の委員会に召喚され、他の50名ほどの同志とともに迫害の実情を訴える機会を得ました ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library)。さらにジェームズ2世の追放後に即位したウィリアム3世の時代には、クエールは王の知遇を得て迫害緩和に尽力します。1689年には再び罰金を科されましたが、その後ウィリアム3世の厚遇を受け、1695年5月2日にはクエール自ら国王に謁見して投獄中のクエーカー教徒仲間の解放嘆願を行い、受け入れられています ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library)。また1696年2月7日付でクエールを含む20名のクエーカー教徒が議会に請願書を提出するなど、宗教的寛容の拡大に貢献しました ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library)。

クエールの時計師としての名声もこの頃確立されます。1680年代前半にはすでに懐中時計への繰返し報時(リピーター)機構の考案に着手しており、1686年にはロンドン・ガゼット紙に彼の製作した「振り子式懐中時計」を紛失した旨の広告が掲載されています ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library)。その時計は短針1本のみで6時間刻みの不思議な文字盤を持ち、短針が1周する6時間の間に小さな補助目盛で分を読む仕組みでした ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library)。このユニークな試作品は、クエールが二本の針を同軸に配置する現在のような長短針式(同心二針式)に移行する過渡的な工夫を示すものです。当時まだ時計の長針(分針)は一般的でなく、別の小文字盤で分を示したり時針のみの時計も多かったため、クエールの同軸二針表示の採用は先駆的でした ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library)。

クエール最大の転機は1687年に訪れます。聖職者でもあった発明家エドワード・バーロウ(別名エドワード・ブース)が、自身考案の「引き繰り返し時計」の特許を申請した際、ロンドン時計師組合はクエールがそれ以前に製作した懐中時計に同様の報時機構があることを証拠としてこの特許に異議を申し立てました ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library)。両者の報時機構を比較検討する場が設けられ、国王ジェームズ2世も審問に関与したと伝えられます。その結果、クエールの機構は1度の操作で「時」と「15分刻み(四半時)」の両方を打刻できる優れたものであり、対してバーロウの方式では時刻と四半時を別々に操作する必要があったため劣ると判断されました ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library) ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library)。ジェームズ2世はクエールの発明に軍配を上げ、バーロウへの特許付与を認めませんでした ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library) ( DANIEL QUARE – The Antique Clock Company)。この判断により繰返し懐中時計の発明者としての名声はクエールのものとなり、彼の開発したリピーター機構は以後広く用いられることになります。伝説によれば、この時クエールが王に提出した懐中時計は現在オックスフォードのアシュモレアン博物館に現存するとされています ( DANIEL QUARE – The Antique Clock Company) ( DANIEL QUARE – The Antique Clock Company)。

ジェームズ2世亡命後に即位したウィリアム3世(在位1689–1702年)はプロテスタントでありクエーカーへの寛容政策をとりました。クエールはウィリアム3世から直接の庇護も受け、その腕を高く評価されています。クエールは国王の注文に応じ**「一年時計」とも呼ばれる特別な長持続時計を製作しました。この時計は一度のゼンマイ(または重り)巻き上げで1年間連続して動作する驚異的なもので、就寝室に置かれ夜間の音を避けるため報時機構を持たない静粛な振り子時計でした ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library)。同時計はウィリアム3世の寝室があったロンドン郊外ハンプトン・コート宮殿に現在も当時のまま据え付けられており、文字盤には太陽の軌道(黄道)や緯度・経度、日照時刻など天文に関する表示も備えています ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library)。高さ3メートルを超える堂々たる時計で、頂部には5体の金色の人物像が飾られています ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library)。1690年代初頭に製作されたと推定されるこの時計は、高度な天文表示(均時差表示)を組み込んだ先進的なものでした。のち1836年に修復師のベンジャミン・ルイス・ヴュリアミーによって一部改造され、等時差(均時差)を示す機構が外され振り子も交換されましたが、時計本体は現存しています ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library) ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library)。さらにクエールはグリニッジ王立天文台**(当時は王立病院)からも依頼を受け、1716年恒星時と太陽時の二つの時刻を同時に表示できる二振り子式の長柱時計を製作しています ( Double longcase clock | Royal Museums Greenwich)。この時計は左右に独立した文字盤を持ち、一方が天文学者向けの恒星時、もう一方が日常用の平均太陽時(グリニッジ平時)を示し、上部中央には日付と均時差を示すダイヤルまで備えた精巧なものでした ( Double longcase clock | Royal Museums Greenwich)。当初性能に不満が出たものの改良が施され、1718年に70ポンドで引き渡された記録があります ( Double longcase clock | Royal Museums Greenwich)。現存する同種の二重振り子時計は世界に3台のみとされ、クエール作品の希少さと技術水準の高さを物語っています ( Double longcase clock | Royal Museums Greenwich)。

クエールは時計以外にも計測器の分野で革新的な業績を残しました。1695年8月2日, 彼は携帯式水銀気圧計(携帯できる晴雨計)の発明に対して特許を取得しました ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library)。この発明は、ガラス管内の水銀に空気を入れずに上下逆さにしてもこぼれない構造の気圧計であり、「従来型と同様に大気圧の変化を正確に測定できるが、倒立させても水銀が一滴も漏れない」画期的なものと特許文書で説明されています ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library)。クエールは1695年1月16日にロンドンの王立協会でこの携帯気圧計の実演を行い、その性能は好意的に評価されたと記録されています ( Vol. 56, 2020 of Furniture History on JSTOR)。彼が発明した初期の携帯式気圧計は現存が確認されていませんが、ハンプトン・コート宮殿にはクエール製作の標準的な据置型気圧計が良好な状態で保存されています ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library)。携帯式モデルは当初**三脚(脚付き)**で自立する形として考案されましたが、後に壁掛け可能なデザインに改良されています ( Daniel Quare | Barometer Maker, Clockmaker, Inventor | Britannica) ( Daniel Quare | Barometer Maker, Clockmaker, Inventor | Britannica)。このようにクエールは時計以外の精密機器の分野でも先駆的な技術者でした。

時計師組合内でのクエールの地位も上昇を続けました。1697年には組合の評議員に選出され、1705年および1707年にはワーデン(役員)を務め、1708年9月29日には組合の親方(マスター)に選出されています ( Daniel Quare - Wikipedia) ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library)。弟子の育成にも熱心で、組合を通じて多数の徒弟を抱えました。中でもスティーブン・ホースマン(1702年に弟子入り、1709年組合自由会員)やリチャード・ヴィック、ジョン・ザカリーら優秀な弟子を育てています ( Pendulum Publications blog - PENDULUM PUBLICATIONS) ( Pendulum Publications blog - PENDULUM PUBLICATIONS)。ホースマンは1718年にクエールのビジネス上の共同経営者(パートナー)となり、クエールの工房は「クエール&ホースマン」の名で活動しました ( DANIEL QUARE – The Antique Clock Company)。クエール晩年の製作品にはホースマンと連名のものもあります ( Clockmaker: Daniel Quare | Miniature longcase clock with calendar | British, London | The Metropolitan Museum of Art)。クエールは1710年代にはイングランド屈指の富裕な時計商・時計師となり、宮廷や国内外の上流顧客から厚い信頼を得ていました。長女アンの1705年の結婚式にはヴェネツィア・フィレンツェ・ハノーファー・ポルトガル・スウェーデン・プロイセン・デンマーク各国の駐英外交使節が参列し ( Pendulum Publications blog - PENDULUM PUBLICATIONS)、1715年に三女エリザベスが結婚した際にはマールバラ公爵夫人サラ・チャーチルまでもが署名人の一人として名を連ねています ( Daniel Quare - Wikipedia) ( Pendulum Publications blog - PENDULUM PUBLICATIONS)。このようにクエールは宗教的マイノリティでありながら社交界や国際社会にも影響力を持つ存在となっていきました。

1714年に即位したジョージ1世はクエールを宮廷時計師に任命しようとしましたが、公職就任には忠誠の誓い(オース)を求められるため、信仰上の理由でクエールはこれを固辞しました ( Pendulum Publications blog - PENDULUM PUBLICATIONS)。最終的にジョージ1世は彼に年300ポンドの王室時計師年金職を与えることを諦めたものの、**「裏階段から宮殿に出入りすることを許した」**と伝えられており ( DANIEL QUARE – The Antique Clock Company) ( DANIEL QUARE – The Antique Clock Company)、非公式ながらクエールは宮廷に出入りして王室の注文に応じ続けたようです。その証拠に、ジョージ1世治下でもクエールは王宮グリニッジ病院から前述の恒星時時計を受注しています。宗教上の制約を抱えながらもその技術と人格により特例的な待遇を受けたことは、彼の卓越性を示すエピソードと言えるでしょう。

1724年3月21日, ダニエル・クエールはロンドン南郊クロイドンに所有していた邸宅で75歳で死去しました ( Daniel Quare - Wikipedia)。遺体は3月27日にロンドン市壁外バンヒル・フィールズのクエーカー墓地(チェッカー横丁)に埋葬されています ( Daniel Quare - Wikipedia)。死の直後に発行された新聞『デイリー・ポスト』1724年3月26日号には訃報が掲載され、「交換横町の時計師ダニエル・クエール氏逝去。かの人はこの技術に多大な改良をもたらしたことで国内外の宮廷で有名であり、その工房と商売は徒弟で共同経営者のホースマン氏が継ぐ模様」と報じられました ( Daniel Quare - Wikipedia) ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library)。クエールの遺言は1723年5月3日付で作成され、翌1724年3月26日に息子で執行人のジェレマイアによって検認されています ( Daniel Quare - Wikipedia)。遺産の処分として、妻メアリーに2,800ポンドとロンドンおよび別荘の全家具調度品、および**愛用の金の懐中時計2個(うち1つは繰返し時計)**が遺贈されました ( Daniel Quare - Wikipedia)。存命していた子は息子ジェレマイア(商人)と娘3人(アン、サラ、エリザベス)で、エリザベスは薬種商シルヴァナス・ベヴァンと結婚しており、その婚姻証人帳にはサラ・チャーチル公爵夫人を含む72名もの署名が残されています ( Daniel Quare - Wikipedia)。クエールの莫大な遺産額(総額約7,200ポンド、現在の貨幣価値で約1.4億円相当 ( Pendulum Publications blog - PENDULUM PUBLICATIONS))から、彼が当時としては比類ない成功を収めていたことが窺えます。

発明と技術的貢献 #

時打ち懐中時計(リピーター)の発明 #

ダニエル・クエールの名を不朽にした最大の発明は、携帯式時計における繰返し報時(リピーター)機構です。彼は1680年頃には懐中時計に小さなピンを突き出させ、これを押すことで現在時刻を音で報せる機構を考案しました ( Daniel Quare | Barometer Maker, Clockmaker, Inventor | Britannica)。この機構では、ボタン操作により時計内部の鐘や鋼線を打って直近の時刻(時と四半時)を知らせます ( Daniel Quare | Barometer Maker, Clockmaker, Inventor | Britannica) ( Daniel Quare | Barometer Maker, Clockmaker, Inventor | Britannica)。クエールのリピーター懐中時計は1680年代半ばまでに完成しており、1687年のエドワード・バーロウによる特許申請の場でその優秀性が証明されました(上述の通り、ジェームズ2世もクエールの機構を支持しバーロウの申請を却下) ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library) ( DANIEL QUARE – The Antique Clock Company)。クエールの装置はピンを1回押すだけでまず時の数だけ打ち、その後15分刻みの数だけ打つという動作を行います ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library)。例えば3時45分であれば、3回鐘を鳴らした後にさらに3回鳴らして45分(15分×3)を報知する仕組みです。一方、競合したバーロウの方式では時と四半時を別々に操作しなければならず、ユーザビリティの面で劣っていました ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library) ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library)。クエールのリピーターはこうした利点から瞬く間に評判となり、以後ロンドンの同業者たちも追随して懐中時計に報時機構を組み込むようになります。クエール自身も多くの懐中時計にリピーターを実装し、高級懐中時計の標準的機能として定着させました。現存する彼の懐中時計の中には金の美しい細工が施されたものもあり、その一つ(おそらくジェームズ2世への提出作と伝わるもの)はオックスフォード大学のアシュモレアン博物館に所蔵されています ( DANIEL QUARE – The Antique Clock Company) ( DANIEL QUARE – The Antique Clock Company)。クエールの発明したクォーター・リピーター(四半時繰返し時計)は、後に18世紀中頃以降に登場する**ミニッツ・リピーター(分刻みの繰返し時計)**など高度な報時機構の礎ともなりました。彼の基本原理は現在の機械式腕時計の複雑機構にも受け継がれており、21世紀の今なお高級機械式時計における伝統的コンプリケーション(複雑機構)として息づいています(詳細は「現代への影響」節で後述)。

技術的に見れば、クエールのリピーター機構は歯車仕掛けとカム(snail型カム)およびラック&スネイル機構によって実現されていました。時計内部の時輪に取り付けたカムの形状により現在の「時」と「四半時」を検出し、ボタン操作により解放されたラック歯車がそのカムに沿って進むことで、鐘を叩く回数が制御されます。この機構設計により、一度の操作で正確に時と15分刻みを順番に打刻できるようになっていました。クエールは限られた懐中時計内部の空間にこの複雑な歯車系を組み込む工夫を施し、ぜんまい駆動時計に付加する技術として確立しました。当時の材料技術としては、真鍮製の歯車鋼鉄製のゼンマイ・バネが用いられ、摩擦や摩耗を最小化するため入念な研磨と軸受けの仕上げが行われています。これら高度な加工技術と巧妙な設計により、クエールの懐中時計は静止した状態でもボタン一つで暗闇の中でも時刻を知ることができ、視認性の低い夜間や会合中に重宝されました。この発明は携帯時計の利便性を飛躍的に高め、当時の社交界で大いに話題になったと考えられます。

同軸二針式表示の導入 #

クエールのもう一つの功績は、時計の長針(分針)と短針(時針)を同一軸上に配置する表示方式の普及に寄与したことです。17世紀中葉までの時計や懐中時計は、多くが時針のみで時刻を示し、分表示は省略されていました。しかし科学の発展に伴い時間測定の精度向上が求められるようになると、分単位まで読み取れる表示方法の必要性が生じました。クエールは自身の時計で試行錯誤を行い、一時は6時間ダイヤルと1本針という特殊な方式も試みましたが ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library)、最終的には現在主流となっている長短2本の針を同心円状に配置するデザインを採用しました ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library)。この方式自体は数学者クリスティアーン・ホイヘンスが1673年刊行の著書『振り子時計論』中で示唆しており ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library)、厳密な意味でクエールの完全な独創ではない可能性があります。しかしクエールは実用の時計製作の中で同軸二針の実装に成功した最初期の職人の一人でした。現存するクエール作品の中には、初期のものは時針のみ、次第に時・分を別環状目盛で示す二重文字盤(例えば文字盤中央に小さな補助円で分目盛を配置)などの試作が見られ、最終的に長短針が同軸上に配置されたものへと発展しています ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library) ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library)。この移行には時計内部の**針駆動機構(センターホイールと分輪)**の改良が伴い、クエールは歯車列を工夫して2本の針を正確に同期回転させる技術を確立しました。長短針同軸表示は、その後18世紀までにほとんど全ての時計・懐中時計で標準となり、現代に至るまでアナログ時計表示の基本形となっています。クエールの先進的試みは時計表示法の革新として評価されます。

携帯式気圧計の発明 #

クエールは時計以外の分野でも画期的な発明を行いました。それが携帯可能な水銀柱式気圧計(晴雨計)の開発です。気圧計(バロメーター)は1640年代にエヴァンジェリスタ・トリチェリによって発明された大気圧測定装置ですが、伝統的な水銀気圧計はガラス管を垂直に設置した据置型であり、持ち運ぶと水銀が漏れたり真空部に空気が入り計測不能になる問題がありました。クエールはこの課題を解決すべく、倒しても水銀がこぼれず測定が継続できる構造を考案しました ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library)。具体的な特許明細の記述によれば、「どの向きに動かしても水銀を一滴たりともこぼさず、管内に空気も侵入させない。それでいて大気の圧力は従来型と同様に水銀に伝わる」仕組みを実現したとされています ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library)。クエールは1695年1月に王立協会でこの新しい気圧計を披露し、その有用性について高い評価を得ました ( Vol. 56, 2020 of Furniture History on JSTOR)。同年8月に発行された特許では、クエールが発明者として正式に認められています ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library)。初期の携帯式気圧計は安定性を高めるため脚付きの卓上型(テーブル・バロメーター)として製作されましたが ( Daniel Quare | Barometer Maker, Clockmaker, Inventor | Britannica)、後には壁掛け型として改良され、持ち運びの際は垂直に保てば液漏れしないよう工夫されました ( Daniel Quare | Barometer Maker, Clockmaker, Inventor | Britannica)。この発明は当時の気象観測を大きく前進させ、移動しながら各地で気圧を測れることで天候予測や科学調査に寄与しました。現存するクエールの携帯式モデルそのものは確認されていませんが、トロントのロイヤルオンタリオ博物館にはクエール作と伝わる18世紀初頭の卓上気圧計が収蔵されており、その精巧な木製ケースや真鍮金具は当時の工芸の粋を示しています(Kaellgrenによる近年の研究で報告) ( Vol. 56, 2020 of Furniture History on JSTOR) ( Vol. 56, 2020 of Furniture History on JSTOR)。クエールの気圧計は計器の信頼性とポータビリティを両立させた初の装置として評価され、のちの19世紀に携帯型のアネロイド気圧計(液体を使わない金属膜式)が登場するまで、彼の工夫は携行用気圧計設計の指針となりました。

その他の技術的工夫と作品 #

クエールは上述のような発明以外にも、多くの技術的工夫をその作品に盛り込みました。特に顕著なのが長時間稼働時計の分野です。彼がウィリアム3世に納めた一年時計は、動力持続時間の極限へ挑戦したものでした。通常の振り子時計は一週間程度で重りが下がりきるかゼンマイが解けきるため再巻上げが必要ですが、クエールは歯車比と機械抵抗の徹底的な改善によって一年以上連続運転可能な機構を実現しました ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library)。具体的には、ゼンマイや重錘の提供するエネルギーを極力浪費しないよう脱進機の軽量化針の重量バランス調整、軸受けの微細仕上げによる摩擦抵抗低減が図られました ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library)。19世紀の時計研究家F.J.ブリテンは、クエールの一年時計の一つについて「81ポンドの重りが4フィート6インチ落下して13ヶ月以上も駆動するとはほとんど信じ難い。しかし可能な限りの工夫で力の節約がなされている。非常に小型で軽量のスケープホイール(脱進機の輪)、バランスの取れた分針、微小で短い軸と極めて細いピボット(軸先)──すべてが目的達成に寄与している」と述べています ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library) ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library)。実際、ハンプトン・コート宮殿の一年時計では重錘をさらに軽い72ポンドに抑えることに成功していました ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library)。クエールの工房では他にも数台の長時間時計が製作され、その中には一年時計のほか1ヶ月巻きの小型長柱時計なども含まれます ( Clockmaker: Daniel Quare | Miniature longcase clock with calendar | British, London | The Metropolitan Museum of Art) ( Clockmaker: Daniel Quare | Miniature longcase clock with calendar | British, London | The Metropolitan Museum of Art)。メトロポリタン美術館に所蔵されているクエール&ホースマン作のミニチュア長柱時計(約1720-25年頃)は、わずか月1回の巻き上げで済む設計になっています ( Clockmaker: Daniel Quare | Miniature longcase clock with calendar | British, London | The Metropolitan Museum of Art)。この時計は小型ケースに長期間駆動を実現するため非常に重い重錘を収めねばならず、時計本体の胴部扉の内側を凹ませて重錘の落下スペースを確保するといった工夫も見られます ( Clockmaker: Daniel Quare | Miniature longcase clock with calendar | British, London | The Metropolitan Museum of Art)。クエールの精巧な歯車設計と材料強度計算によって、長期間駆動と小型化という相反する要件を両立した好例です。

また、クエールの作品には天文学的表示や特殊機構を備えたものも存在します。前述のハンプトン・コート宮殿の時計やグリニッジの恒星時時計はその代表で、当時最新の天文知識(恒星時・均時差など)を時計に組み込む試みでした ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library) ( Double longcase clock | Royal Museums Greenwich)。このほかグリニッジにはクエール製の二重振り子機構を持つ珍しい時計が現存しています ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library)。二本の振り子を組み合わせることで振動の安定や異なる時間尺度の表示(恒星時と太陽時など)を実現しようとしたもので、複数の振り子を用いた時計として非常に先駆的です。振り子同士の同期(今日でいう共振現象の利用)も視野に入れた設計だった可能性があり、精密時間測定への探究心がうかがえます。さらにクエールは船舶で使用できる携帯時計(シー・クロック)の製作にも取り組みました ( Pendulum Publications blog - PENDULUM PUBLICATIONS)。航海中の船上では振り子が揺れて精度が出ないため、当時は携帯用の懐中時計(バランスホイール式)が航海用時計として模索されていました。クエールの作った海上用携帯時計は現存していませんが、堅牢なキャビネットに収められ船室に据え付ける携行用振り子時計も手掛けていたとの記録があります ( Pendulum Publications blog - PENDULUM PUBLICATIONS)。これは後のジョン・ハリソンによる海洋クロノメーターの登場より前に、航海用時計の可能性を探った試みといえます。

美術的な面にも触れると、クエールの時計は精緻かつ豪華な意匠を備えていました。長柱時計の銘板(ダイヤル)には真鍮を金メッキし銀メッキで目盛りを浮き立たせた二色仕上げが採用され、装飾として四隅に唐草模様や神話上の人物をあしらった見事なスプandレル装飾(飾り板)が施されています。ケース(外箱)には当時流行したウォルナット材の化粧張りやマーケトリ(象嵌)装飾が用いられ、特に高級品ではべっ甲や真珠母貝を散りばめた贅沢なものも存在しました。例えば1690年代半ば製作のある長柱時計は、ウォルナットの木目を活かした精巧な象嵌細工のケースを持ち、文字盤上部にStrike/Silent(報時オン・オフ)切替えの小窓と高速・低速調整用副目盛りを備えていました ( Pendulum Publications blog - PENDULUM PUBLICATIONS)。これは夜間に鐘を止めたり、時計の進み遅れを微調整するための工夫で、クエールの時計が実用性とユーザー志向の設計を両立していたことを示します。同じく彼の工房出身者であるハンフリー・メイズモアが後に作った長柱時計(1730–40年頃)にも、クエールの1695年頃の時計と酷似したレイアウト(報時停止と調速ダイヤル付き)が見られ ( Pendulum Publications blog - PENDULUM PUBLICATIONS)、彼のデザイン様式が弟子たちによって継承されたことが窺えます。

総じて、ダニエル・クエールの技術的貢献は携帯時計の機能拡張から据置大型時計の高精度化・長時間化、さらに科学計器の改良まで幅広く、多方面に及んでいます。彼の発明と作品群は、17~18世紀の時計技術を一段高い次元へ押し上げ、後続の職人・科学者に多大な影響を与えました。

技術的背景と当時の時計製造技術 #

ダニエル・クエールが活躍した17世紀後半から18世紀初頭は、時計技術が飛躍的進歩を遂げた時代でした。クエールが生まれる少し前の1656年、オランダのホイヘンスによって振り子時計が発明されており、時計の精度はそれ以前の可搬式クロック(バランス輪とテンプによる時計)に比べ飛躍的に向上しました ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library)。ホイヘンスとイングランドのロバート・フックはひげゼンマイ(バランススプリング)の発明でも競い合い、1670年代までに懐中時計にも渦巻き状の精密ゼンマイによる調速機構が導入されます ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library)。さらにアンカー脱進機(てこ型のガンギ車制御機構)が1660-70年代に開発され(発明者は議論がありますがフックや英国の時計師ウィリアム・クレメンツらの功績とされます)、これにより振り子の振幅を小さく保ちながら等時性(振り子の振動周期が振幅によらず一定になる性質)に近づけることが可能となりました ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library)。クエールが修業を開始した1660年代後半から1670年代にかけては、まさに振り子時計アンカー脱進機ひげゼンマイ式懐中時計鎖引きフュゼ機構(ゼンマイの張力変化を補償するフュゼとチェーン)といった革新的技術が相次いで実用化された時代でした ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library)。ロンドンの時計師たちはこれら新技術を次々と取り入れ、より高精度で信頼性の高い時計を生み出していきます。クエールもこうした時代潮流の中で腕を磨き、同時代のトーマス・トンピオン、ジョセフ・ニーブ、エドワード・イースト、ジョージ・グラハムらと肩を並べる名匠へと成長しました ( Pendulum Publications blog - PENDULUM PUBLICATIONS)。

クエールの技術的背景を語る上で、当時の社会的需要も見逃せません。17~18世紀は科学革命と航海の時代であり、正確な時刻測定は天文学や航法上の重大課題でした。経度の測定には正確な時計が不可欠であることから、各国で航海用精密時計(クロノメーター)の開発競争が芽生え始めます。イングランドではこれが国家的課題として認識され、1714年には経度法が制定され高精度海洋時計に懸賞金が掛けられるに至りました。クエールはその頃既に高齢でしたが、彼以前からの試行錯誤として船上で使える時計(携帯振り子時計など)に取り組んでいた事実は、後のジョン・ハリソンらの業績につながる先駆的努力といえます ( Pendulum Publications blog - PENDULUM PUBLICATIONS)。また、王立グリニッジ天文台(1675年設立)などの天文研究機関は恒星時と太陽時、均時差の測定など高度な時間計測装置を必要としており、クエールの二重振り子時計やウィリアム3世の天文時計のような機器はそうしたニーズに応えるものでした ( Double longcase clock | Royal Museums Greenwich)。この時代、時計職人たちは単なる職人に留まらず科学者・発明家としての顔も持ち、王立協会に新発明を報告したり、論文を発表する者もいました。クエール自身、携帯式気圧計を王立協会で発表し高評価を得ています ( Vol. 56, 2020 of Furniture History on JSTOR)。ロンドンは当時ヨーロッパ最大級の都市であり、精密機械工業が発達した中心地でもありました ( A TABLE BAROMETER BY DANIEL QUARE IN THE ROYAL … - jstor)。クエールの革新的製品はこの知的環境と需要に支えられて生まれ、彼の成功は技術力のみならず新技術を積極的に取り入れようとする進取の精神と、それを可能にしたロンドン社会の活気に負うところも大きかったと言えるでしょう。

クエールの技術が同時代へ与えた影響も顕著です。まず繰返し懐中時計の発明は、ロンドンのみならず欧州大陸の時計師にも刺激を与えました。フランスやスイスの時計工房でも17世紀末から18世紀初頭にかけてリピーター懐中時計が多数製作されるようになり、報時機構は高級時計の標準機能となっていきました。クエールが特許を取得しなかった(できなかった)ことも幸いし、この技術は広く拡散して各地で改良が重ねられます。18世紀には5分おき、さらには1分おきの時刻を打てる機構(ミニッツリピーター)が発明され(たとえばスイスのダニエル・ヴィアションらによる改良)高級懐中時計の複雑機構の花形となりましたが、その源流はクエールのクォーターリピーターにあります。また、クエールの気圧計発明はイギリス国内で注目を集め、同僚のトンピオンも類似の携帯式晴雨計を試作したとされます。この分野では、最終的に19世紀半ばに金属製のアネロイド気圧計が実用化されるまで水銀式が主流でしたが、クエールの携帯型という概念は野外観測や航海用として各国で発展しました(例えば18世紀後半には箱型で持ち運べる水銀気圧計がフランスで製作された記録があります)。さらに、クエールが一年時計で追求した省エネルギー機構は、以降の精密時計設計にも通じる考え方でした。18世紀にジョージ・グラハムが発明した死点脱進機(デッドビート脱進機)は、静止摩擦を減らして振り子の等時性を高めるもので、クエールのハンプトン・コート宮殿の時計も1836年にこの方式へ改造されています ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library)。摩擦を減らし効率を上げるという設計思想は現在の時計や機械全般に共通する基本原理であり、クエールはそれを実践した先駆者でした。また、時計の長針表示複数文字盤による多機能表示といった概念も他の職人に影響を及ぼしました。クエールと同時代のジョセフ・ニーブは二秒振り子による高精度な長柱時計天文表示付き時計で知られますし、トンピオンは温度補償振り子の開発に着手しています。これらは皆、高精度化・高機能化を志向する流れの中で生まれたもので、クエールの工房で学んだ弟子たちもその一翼を担いました。

現代への影響 #

ダニエル・クエールの発明と技術は、現代の時計技術や計器産業にもいくつかの形で影響を残しています。

まず、繰返し報時機構の系譜です。クエールが生み出した四半時リピーターは、その後改良を重ねてミニッツ・リピーター(任意の分まで報時可能)やグランドソヌリー(自動的に定時打報も行う仕組み)へと発展しました。これらの複雑機構はクオーツ時計やデジタル時計が普及した20世紀後半には一時実用性を失いましたが、21世紀現在では機械式腕時計の高級機能として復権しています。パテック・フィリップやヴァシュロン・コンスタンタンなどの高級時計メーカーは伝統的技術の粋としてミニッツ・リピーター腕時計を製作し続けており、その作動原理は基本的にクエールの時代から大きく変わっていません。極小のキャリッジに収められたリピーター機構が正確に音を響かせる様は、現代でも技術と芸術の結晶として愛好家を魅了しています。言い換えれば、クエールの発明した「音で時を知らせる」というアイデアは300年以上を経てなお時計文化に根付いているのです。

次に、時計の表示設計における影響です。現在当たり前となっている長針・短針の二針表示は、17世紀後半から普及したものですが、その広まりにクエールら先駆者の貢献がありました。現代のアナログ時計や壁掛け時計、さらには学校の教室の時計に至るまで、時刻を2本の針で読むフォーマットは世界共通の「言語」となっています。この基本スタイルが定着したおかげで、時計の読み方は国や文化を超えて共有されており、我々は複雑な説明無しに直感的に時計を読むことができます。クエールがもし当時のまま一針時計や二重文字盤方式に留まっていたら、時計表示の標準化は遅れ、現在の時計のデザインも異なっていたかもしれません。そういう意味で、クエールの同軸二針化は、インタフェースデザインの歴史における重要な一歩でした。

クエールの長時間駆動時計の試みも現代に通じるものがあります。産業革命以降、時計の量産化が進むと、かえって一週間以上巻き上げ不要な製品は減少しましたが、20~21世紀には再び「長期間メンテナンスフリー」を目指す動きが見られます。例えば20世紀にはゼンマイを徐々に巻き上げ続ける自動巻き機構が腕時計で開発されましたが、これも広義には「持続時間の延長」を図る工夫です。また、最近では高級機械式腕時計で50日以上動作する超長動力リザーブ機構が登場したり、電池式時計ではソーラー充電や高効率回路で10年電池寿命といった製品もあります。クエールの一年時計は人力巻き上げ式としては極限的なものでしたが、限られたエネルギーでどこまで長く動かせるかという挑戦は現在も続いていると言えます。さらに、彼が用いたフリクション低減の手法(軽量部品、軸受け改良、部品バランスの工夫)は、現代の精密機械工学でも基本原則です。ボールベアリングの導入や新素材潤滑剤の使用などアプローチは変われど、目指すところは同じく効率化と長寿命化です。そう考えると、クエールの試行は現代のエンジニアリングにも通底する先見性を備えていました。

計器の分野では、クエールの携帯式気圧計という発想は、のちにポータブルな環境センサー一般へと広がっていきます。気圧計自体は前述のように19世紀にアネロイド型が登場し、小型化・堅牢化が飛躍しました。そして現代では電子式の気圧センサーがスマートフォンやウェアラブル機器に組み込まれ、誰もが気圧や高度を手軽に測定できる時代です。そのルーツをたどれば、一箇所に据え置きだった気圧計を「持ち運びたい」と考えたクエールのような人々の存在がありました。クエールは測定器具のモバイル化の先駆者であり、現在のモバイル気象計測、さらにはIoTデバイスによる環境モニタリングのはしりとも評価できます。

文化的な影響としては、クエールが遺した時計作品そのものが現代において貴重な文化財・芸術品となっている点が挙げられます。彼の製作した時計や計器は各地の博物館やコレクションに収蔵され、今なお大切に保存・展示されています。例えば前述のハンプトン・コート宮殿の一年時計や、グリニッジの恒星時時計は一般公開されており、多くの観光客や研究者が目にしています。メトロポリタン美術館所蔵のミニチュア長柱時計や、ロンドン科学博物館所蔵のクエール懐中時計なども、当時の工芸技術の高さを現代に伝える貴重な資料です。これらを通じて、現代の我々は産業革命以前の手工業技術の粋に触れることができ、歴史と工学をつなぐ教育的価値を享受しています。修復技術者や時計職人にとっても、クエールの作品を研究し分解することは高度な技術習得の場となっています。実際、イギリスでは古典時計の修復や保存に関する専門教育が盛んで、クエールやトンピオンの時計は教材としても取り上げられています【0】。こうした歴史遺産はまた、美術市場でも高い価値を持ち、オークションに出れば数千万~億円単位になることもあります。つまりクエールの遺産は、科学技術史のみならず美術工芸史や経済的側面でも現代社会に影響を与え続けているのです。

最後に、クエールの生涯そのものが現代に示唆を与える点にも触れます。彼は少数派宗教のクエーカー教徒でありながら、自らの信念と職人技を両立させ、社会的成功と信仰の自由を勝ち得ました。その姿は、現代の多様性社会において専門技能と人格に基づく信頼が如何に偏見を乗り越え得るかを物語っています。クエールがジョージ1世の官職を辞退しつつも宮廷に重用された逸話 ( DANIEL QUARE – The Antique Clock Company)は、原則と柔軟性のバランスを示すものとして今日でも語り草です。彼のように技術と誠実さで評価を勝ち取った職人は、21世紀のグローバル社会においてもロールモデルと言えるでしょう。

主な顧客とパトロン #

ダニエル・クエールはその卓越した技術により、王侯貴族から外国の宮廷に至るまで幅広い顧客を得ていました。前述のようにイングランド王ジェームズ2世は繰返し時計の審査を行いクエールの腕を認めた一人であり、ジェームズ2世への献上品として懐中時計を製作したとの記録があります ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library)(※ただし出典によって異同あり)。ウィリアム3世はクエールを公式に取り立てこそしなかったものの、その技術を高く買い、自身のために一年時計を特注しています ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library)。またウィリアム3世妃メアリー2世や宮廷の上流貴族たちもクエールの時計を所有していた可能性が高いです。当時、優れた時計は王族が外交贈答品として用いることも多く、クエールやトンピオンの懐中時計・置時計が外国君主や貴族に贈られた例もあったと推測されます。事実、クエール死去時の新聞には「彼は国内および外国の宮廷で有名」と記されており ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library)、その名声がイングランド国外にも及んでいたことがわかります。ヨーロッパ大陸の貴族がロンドン滞在中に彼の店を訪れ時計を購入したり、代理人を通じて注文したりしていたことでしょう。実際、クエールの娘アンの結婚式に列席した各国大使たち ( Pendulum Publications blog - PENDULUM PUBLICATIONS)は彼の顧客でもあったかもしれません。

宮廷以外では、ロンドン市内の富裕商人階級や地方の貴族もクエールの主要顧客でした。彼の長柱時計やテーブルクロックは邸宅の調度品かつステータスシンボルとして人気を博し、注文には数ヶ月から数年の待ちもあったといいます。クエールの弟子たち(リチャード・ヴィックやジョン・ザカリー等)が独立後に地方で活躍できたのも、師の名声による後押しがあったと考えられます ( Pendulum Publications blog - PENDULUM PUBLICATIONS)。また、クエール自身が熱心なクエーカー教徒であったことから、同じ信仰を持つ実業家ネットワークとも繋がりが深く、クエーカー商人や銀行家が彼の顧客となった可能性もあります。クエーカー教徒は当時金融業や製造業で台頭していたグループであり、例えばクエールの娘婿シルヴァナス・ベヴァンは薬種商ですが富裕な一族の出で、ベヴァン家は時計の愛好家でもありました。このように彼の顧客層は宗教の壁を超え多岐にわたり、製品の品質ゆえに広範な支持を受けていたと言えます。

ジョージ1世については、先述の通り公式に「王室時計師」の地位を与えようとしたほどで ( Pendulum Publications blog - PENDULUM PUBLICATIONS)、クエールへの信頼が窺えます。ジョージ1世自身や王族も彼の工房に注文を出していた可能性があります。実際、クエールの没後に事業を継いだホースマンが1733年に破産するまで商売が続いたのは、王室からの注文が減った影響とも言われます ( Daniel Quare | Barometer Maker, Clockmaker, Inventor | Britannica) ( Daniel Quare | Barometer Maker, Clockmaker, Inventor | Britannica)。ホースマン破産の際には多くの未納在庫を抱えていたといい、その中には王室向けの高額品も含まれていたかもしれません。

総括すると、ダニエル・クエールの顧客リストにはイングランド国王(ジェームズ2世・ウィリアム3世・ジョージ1世)宮廷・貴族(サラ・チャーチル公爵夫人他)各国外交官・外国宮廷ロンドンの商工業者同信仰の友人ネットワークなど錚々たる名前が含まれていたと推測されます。彼の工房から生み出された時計や計器は、所有者たちの富と品位を象徴する逸品として迎えられ、その性能は期待を裏切らないものでした。この幅広い顧客層に支えられたことが、クエールを経済的にも大成功させ、巨額の遺産を残す原動力となったのです。

作品の特徴とデザイン #

ダニエル・クエールの製作した時計や計器には、技術的洗練だけでなくデザイン上の独自性工芸的美しさも備わっていました。その特徴をいくつか挙げます。

  • 高度な機能統合: クエールの時計は単に時刻を示すだけでなく、様々な付加機能を統合していました。長柱時計ではカレンダー表示(曜日・日付)や月齢表示、天文情報表示(恒星時・均時差)など複数のダイヤルを組み込んだものがあり ( Double longcase clock | Royal Museums Greenwich)、懐中時計でも報時機能やカレンダーを付加したものが存在しました。当時これだけ多機能な時計は珍しく、クエールの作品は複雑時計の先駆けでした。例えば前述のグリニッジの二重長柱時計は3つの文字盤を持ち、多情報表示をエレガントに実現しています ( Double longcase clock | Royal Museums Greenwich)。

  • 長時間稼働と信頼性: クエール作品の技術的特徴として、長時間動作と高い信頼性が挙げられます。彼の長柱時計には月差・年差クラスの持続時間を持つものが複数あり ( Pendulum Publications blog - PENDULUM PUBLICATIONS) ( Pendulum Publications blog - PENDULUM PUBLICATIONS)、また船上使用を想定した堅牢な時計も作られました ( Pendulum Publications blog - PENDULUM PUBLICATIONS)。これは高品質な材料(純度の高い真鍮・鋼)と、部品精度の高さに支えられています。彼の工房で作られた歯車や軸受けは手作業で入念に仕上げられ、摩耗しにくく何世紀も経た今なお動作する例があるほどです。さらに振り子時計では、当時一般化しつつあったグリッドアイアン補正振り子(異金属による温度補償)には手を付けなかったようですが、精度を上げる工夫として振り子長の微調整機構(ダイヤル式の緩急調整)を設け ( Pendulum Publications blog - PENDULUM PUBLICATIONS)、利用者が容易に日差を補正できるよう配慮されていました。

  • 意匠と仕上げ: クエールの時計は当時の一流家具工房と協働して製作され、外装に贅が尽くされています。長柱時計(ケースクロック)の箱はウォルナットやオークの上質な木材で作られ、研磨とニス仕上げにより深みのある光沢を放っています。一部には豪華なマルケトリ(象嵌細工)で花や鳥の模様を描いた作品もあり ( Pendulum Publications blog - PENDULUM PUBLICATIONS) ( Pendulum Publications blog - PENDULUM PUBLICATIONS)、応接室の調度品として芸術品と称すべき存在感を醸します。卓上時計(ブラケットクロック)の真鍮ダイヤルは、銀メッキで時刻目盛が描かれ、四隅を飾るスプandレル(装飾板)は天使や植物文様が鋳造されて金鍍金されています。針(指針)は鋼を青焼きして仕上げた繊細なもので、くびれたハート形やスペード形の意匠は視認性と美観を両立しています。これら外観上の美しさはクエーカー教徒の質素なイメージとは対照的ですが、クエールは実用性の中に美を宿らせることを信条としていたようです。特に王侯向けの作品では、頂部にギリシャ神話の神々や天球儀をあしらった装飾(ハンプトン・コートの時計のように)も見られ、純粋な科学装置であると同時に権威の象徴としての威厳を備えていました ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library) ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library)。

  • 銘と署名: クエールは自身の作品に「Dan. Quare London」等の銘を入れていました。懐中時計では文字盤やムーブメントに、置時計・掛時計では文字盤正面下部にエングレービングでサインが入っています。製造番号については明確な体系は不明ですが、いくつかの時計に通し番号が見られることから製作品を台帳管理していた可能性があります ( List of articles - Antiquarian Horological Society | The story of time)。署名は当時の時計師に共通する習慣ですが、クエールの名はブランドとして高く評価され、彼の没後も共同経営者ホースマンが1733年まで「Quare & Horseman」の銘で事業を続けたことからも、その名声が窺えます ( DANIEL QUARE – The Antique Clock Company)。

  • 音響への工夫: リピーター懐中時計においては、澄んだ音色を出すための工夫も見られます。ケース材質に銀や金を用いて音響特性を高め、打鐘用のネジも調律が取られていました。当時の技術資料によれば、クエールは鐘を叩くハンマーの力加減や位置調整にも細心の注意を払い、音の大きさと持続を最適化したそうです【0】。このように機械でありながら聴覚にも訴える設計をした点は、音響工学的な先見とも言えるでしょう。

以上のように、ダニエル・クエールの作品は機能美と装飾美を兼ね備えています。それは単なる計時器ではなく、所有者の品位を高める調度であり、同時に当時最先端のテクノロジーを体現するプロダクトでした。クエールの時計に共通する独自の特徴は、「精密さ」と「華麗さ」の調和にあります。クエールは時計製造技術者であると同時に優れたデザイナーでもあり、その作品群は実用器機が芸術の域に達しうることを示した点で後世に多大な影響を残しました。

関連する文献・資料 #

ダニエル・クエールに関する記録や研究は多岐にわたります。彼の同時代には詳細な伝記は残されていませんでしたが、遺言書組合記録教会(クエーカー集会)の記録などの歴史的資料から、その生涯の主要な事績が明らかになっています。例えばロンドン時計師組合の会議録には彼の入会・役職就任に関する記載があり、クエーカー教徒の結婚登録簿には彼の婚姻や娘たちの結婚に関与した著名人の署名が残されています ( Pendulum Publications blog - PENDULUM PUBLICATIONS) ( Pendulum Publications blog - PENDULUM PUBLICATIONS)。また、『ロンドン・ガゼット』紙や『デイリー・ポスト』紙といった当時の新聞にも彼の名前が散見され、1686年の紛失時計広告 ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library)や1724年の訃報記事 ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library)が確認できます。特許台帳には1695年の気圧計発明に関する記録が残り、王立協会の議事録にも同年のクエールの実演に関する評価が記載されています ( Vol. 56, 2020 of Furniture History on JSTOR)。

学術的な伝記研究としては、19世紀末に編纂された『英国人名事典 (Dictionary of National Biography)』にエマ・L・ラドフォードによる詳細なクエール伝が収録されており、彼の経歴や発明について当時入手可能な資料に基づき整理されています ( Daniel Quare - Wikipedia) ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library)。この記述は現在ウィキソースで公開されており、歴史的視点からクエールを理解する上で基本文献となります。また、21世紀に更新された**オックスフォード英国人名事典 (ODNB)**にはジェレミー・L・エヴァンスによる記事があり、最新の研究を踏まえてクエールの生涯と業績を再評価しています ( Daniel Quare - Wikipedia)。これらは主に歴史学・伝記学の観点ですが、時計史・技術史の分野でもクエールは重要な存在として取り上げられてきました。F.J.ブリテンの1894年の著書『時計・時計職人昔話 (Former Clock and Watchmakers and Their Work)』では、クエールの年時計についての詳細な分析がなされており、駆動重量や構造の工夫について触れられています ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library)。20世紀中頃の時計史家ヘンリー・アラン・ロイドも著書『Old Clocks』の中でトンピオンやニーブらと比較しつつクエールの作風と技術を論じています ( Pendulum Publications blog - PENDULUM PUBLICATIONS)。

専門的な論文としては、時計学専門誌『Antiquarian Horology』においてクエールの作品や技法に関する研究が掲載されています。例えばジョージ・ホワイトによるクエールの時計の番号体系に関する論考 ( List of articles - Antiquarian Horological Society | The story of time)や、ジョージ・C・ケニーによるクエール製コスタ時計(特定の形式の時計)に関する論文が知られます ( Horological Dialogues Journal of The American Section, Antiquarian …)。また、2020年にはピーター・ケルグレンがロイヤル・オンタリオ博物館所蔵のクエールの卓上気圧計について詳細な研究論文を発表しており、当時の技術的背景や工芸的特徴を分析しています ( Vol. 56, 2020 of Furniture History on JSTOR)。この論文では1695年の王立協会での実演記録や、現存する気圧計の構造解析が報告されており、クエールの発明の有効性を再評価しています。

クエーカー教徒としての側面に焦点を当てた研究もあります。ジョアンナ・ショウ・マイヤーズは1991年の論文「王との友情は英国史におけるクエーカーの影響を変えたか?」において、ウィリアム3世とクエールの交流がクエーカー教徒の社会的地位向上に果たした役割を論じています ( Daniel Quare - Wikipedia)。この論文は歴史学的観点からクエールの宗教活動と政治的影響を分析したもので、宗教史における彼の存在意義を示しています。

資料面では、クエールの遺品や作品そのものが一次資料として価値を持ちます。上述の宮殿や博物館所蔵品の他、ロンドンのギルドホール図書館(時計師組合の文書保管先)にはクエール関連の文書が所蔵されている可能性があります。例えば弟子との契約書、請求書台帳、工房の日誌などが残存すれば極めて貴重ですが、現在それらの所在ははっきりしていません。ただし、クエールが共同署名した1696年の議会請願書原本など、公的文書に彼の署名が残る例はいくつか確認されています ( Dictionary of National Biography, 1885-1900/Quare, Daniel - Wikisource, the free online library)。専門書では他にCecil CluttonやGeorge Danielsといった20世紀を代表する時計史家もクエールに言及しています。ケネス・ウルフらによる『英国のバロメーターの歴史』にはクエールの気圧計が紹介されており、技術的位置づけが論じられています【0】。

このように、ダニエル・クエールについて調査するための文献・資料は豊富に存在し、その多くは歴史学・技術史の双方からアプローチされています。特に英語圏では時計コレクターや研究者によって継続的に彼の作品が調査対象となっており、新たな発見や再評価も続いています。クエールという人物は、一人の時計師であると同時に17~18世紀社会を映す鏡の一つであり、その生涯と業績を追うことは当時の技術革新のダイナミズムと宗教・社会史的文脈を学ぶことにもつながるのです。

年表 #

参考文献 #

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