エドワード・ジョン・デント ― 材料の実験から航海と公共の時刻へ

エドワード・ジョン・デント ― 材料の実験から航海と公共の時刻へ

エドワード・ジョン・デント#

エドワード・ジョン・デント(Edward John Dent、1790–1853年)は、ロンドンで航海用クロノメーター、天文台の精密時計、公共時計を製作した時計師である。鋼のばねを巧みに仕上げるだけでなく、ガラス、異種金属、保護膜などを試し、温度、腐食、長期の歩度変化を材料から考えた。ビーグル号の観測を支えた時計と、ウェストミンスターの大時計の受注は、その仕事が海上の測量と都市の時刻表示の両方に及んだことを示す。1 3 6 16

名前の帰属には注意が必要である。1830年代の Arnold & Dent のアーノルドは、1799年に亡くなった父ジョンではなく、息子ジョン・ロジャー・アーノルドである。またデントは1853年に亡くなっており、大時計の完成や1874年の金星日面通過用時計を、本人の製作として一続きに扱うことはできない。工房の銘、発案者、製作者、後年の改造者を分けると、その功績を具体的に理解できる。1 16 19

生涯と工房#

ろうそく製造の徒弟から時計師へ#

デントは1790年8月19日にロンドンで生まれた。Seven Dials Trustの顕彰資料は、1804年に祖父のもとでろうそく製造の徒弟となり、同居先の時計師リチャード・リッポンを通じて時計の仕事へ関心を移したと説明する。Mariners’ Museumの歴史解説は、1807年にGaudinのもとへ移ったとする。これらは後世の経歴整理であり、学校の履修内容や徒弟契約原本を直接示すものではない。1 2 3

1814年には独立した活動が始まり、Seven DialsのKing Street、現在のNeal Street周辺に仕事場を置いた。旧『英国人名辞典』はCallam Brothersでの指導や、その後のVulliamy、Barraudとの仕事も記す。初期の修業先の順序には資料差があるが、ロンドンの複数の時計工房と接点を持ち、航海時計の経験を積んだことは経歴の重要な骨格である。1 2

1829年、グリニッジのクロノメーター試験で第1位の報奨を得た。試験の受賞は、既知の時計を継続して比較し、歩度の安定を評価する制度との関係を示す。「一生にわたって何秒しか狂わなかった」といった宣伝上の数字へ、そのまま換算できるものではない。1 3

アーノルドとの共同事業、リッポン家との協力#

1830年、ジョン・ロジャー・アーノルドと提携し、84 Strandで Arnold & Dent を営んだ。アーノルドが引き継いだクロノメーターの伝統と、デントの材料実験が接する時期である。ガラスばねの1836年原稿は二人の共同名義で、さらにデントの友人・弟子Frederick Ripponが、ばねの製作に有益な助力を与えたことを明記する。共同署名の研究を、デント一人の手作業で完成したと描くべきではない。1 4

共同事業は1840年9月に解消された。以後デントは82 Strand、Cockspur Street、Royal Exchangeの店舗を展開した。リチャード・リッポンの未亡人Elizabethと結婚し、その息子FrederickとRichardが継承に関わった。旧人名辞典は、相続の条件として二人がDent姓を用いることになったと記す。Frederick Ripponと、後継者Frederick Dentを別々の無関係な時計師と考えると、研究から事業継承へのつながりを見失う。1 2

デントは1833年にInstitution of Civil Engineersの準会員となり、時計に関する講演や著述も行った。旧人名辞典は、1841年の講演集、1842年のクロノメーターの誤差に関する著書、ディプレイドスコープ、コンパス、時計の管理、アネロイド気圧計に関する出版を挙げる。工房の商品だけでなく、使い手が測定と管理を理解するための説明にも取り組んだ。1 12

顧客は個人の旅行者だけではなかった。旧人名辞典は海軍省、東インド会社、グリニッジ天文台との仕事と、1843年のRoyal Exchangeの時計製作への選定を記す。同年のロシア訪問では、クロノメーターによる貢献に対し皇帝の命による金メダルを受けたという。デントの1845年の説明書にも王室とロシア皇帝への時計製作の肩書が印刷されるが、これは製作者自身の営業上の表示であり、個々の発注書や王室認定書を直接照合したものとは区別する。1 12

1853年3月8日、ロンドンで死去した。ウェストミンスターの大時計は前年に受注したばかりで、完成は後継者の仕事となった。1 16

航海の時刻を作り、比較する#

ビーグル号は一台の時計だけで航海しなかった#

ロバート・フィッツロイの1839年刊『航海記』付録には、1831年11月14日にビーグル号へ搭載された22個のクロノメーターの表がある。そこにはArnold & Dentの箱型No.661とNo.633、懐中型No.261が載る。No.633とNo.261の所有者欄はフィッツロイであり、これをダーウィン個人の時計と呼ぶ根拠にはならない。デントの時計は航海を支えた複数の時計の一部だった。6

海上では、時計が示す基準地点の時刻と、現地の天体観測から得た時刻との差を経度へ換算する。平均太陽時で1時間の差は経度15度に対応するが、時計だけで船位が決まるわけではない。観測、比較、各時計の進み遅れの把握が不可欠である。

フィッツロイは時計を船の動揺が比較的小さい位置へ置き、木箱の周囲におがくずを入れ、向きを一定に保ったことを記す。巻上げの時刻を定め、正午に時計を比較した。多数の時計を持つことは、平均を取るだけでなく、異常な歩度を見分ける手段だった。航海全体の経度測定の良否を、特定の製造番号の単体精度として紹介することもできない。6

オーストラリアへ渡ったNo.220#

Powerhouse所蔵H9895は、デントNo.220の航海用クロノメーターである。木箱の中の金属製ジンバルで時計を支え、白い文字盤に時刻、秒、巻上げ状態を示す目盛を置く。館の製作年代は1828–1846年と広く、初期の番号系列だけから特定の一年へ絞り込むことはできない。7

この時計はパラマッタ天文台で使われ、同台閉鎖後に保管された。1858年にシドニーで検討したWilliam Scottは、使用可能な状態とは判断しなかった。英国から届いた経路には海軍経由と購入の可能性が挙げられるが、確定していない。現存品はデントの海外との接点を示す一方、長期の保管と状態変化も伴う。現在の存在だけを、生涯変わらない精度の証明にはできない。7

ガラス製ひげぜんまい――成功と限界を同じ実験で読む#

形を整えるだけでは解決しない誤差#

テンプの慣性と、ひげぜんまいの復元力が振動の速さを決める。ばねの寸法が熱で変わることに加え、弾性的な性質が温度で変われば、同じテンプでも歩度が変わる。1836年のArnold & Dent原稿は、外形が正確な金属ばねでも材料内部の均質さが問題になると論じ、軽く、弾性があり、大気の影響を受けにくい候補としてガラスを試した。4 5

ガラスばねの構想全体をデントが初めて考えたわけではない。BulstrodeとMeekの資料研究は、James Scrymgeourが1828年に平面のガラスばねを作った例と区別し、Arnold & Dentによる1833年の円筒形ばねの公表を位置づける。平面ばねと、巻きが高さ方向に並ぶ円筒形ばねは同じ構造ではない。8

40秒は、完成品の日差を意味しない#

1836年の原稿とRoyal Societyの公刊要約は、32°Fから100°F、すなわち約0–38°Cの間で、温度上昇による24時間あたりの遅れを比較する。報告値は金8分4秒、鋼6分25秒、パラジウム2分31秒、ガラス40秒だった。4 5

これは温度の影響を比較する試験で、完成した市販クロノメーターの総合的な日差規格ではない。ガラスにも変化が残るため、通常の金属ばねに合わせた補償テンプをそのまま使うと補償が過大になる。原稿はガラス円板のテンプへ移り、銀と白金の積層部分を用いて、残る変化を補償する図を示す。温度に強い材料を選ぶことと、時計全体を調整することは別の仕事だった。4

壊れやすさについても実物試験を行った。冷却箱を使った12°F、約−11°Cでの試験と、1833年9月のHMS Excellentにおける砲撃の近傍試験が記される。後者には大砲との距離や艦内の置き場所が記され、その条件でばねが持ちこたえたという観察である。現代の落下試験や、あらゆる衝撃に耐える保証と同じものではない。4 5

年単位の加速という難問#

No.616は1833–1836年にグリニッジで、No.790は調査船Fairyを含む環境で試された。原稿はガラスばねの利点を述べながら、時計が徐々に進む傾向を、完全な成功を妨げる問題として明記する。静置した時計と海上で使った時計の双方に現れ、著者らは材料の変化を疑ったが、原因を確定できなかった。Royal Societyの要約にも継続的な加速が記される。4 5

現代の分析は、その実験を「割れるので失敗した」という一言へ縮める見方を修正している。BulstrodeとMeekは、British Museumに残る展示用ばね1958,1006.3009と、テンプに付いた1836年のばね1958,1006.3394を調べた。電子顕微鏡の元素分析と蛍光X線分析から、ばねの鉛・カリウムを含むガラスと、テンプ円板のガラスの違いを示した。ただし表面と形状の影響を受ける分析であり、工房の製造配合表を復元したわけではない。8

この研究の意義は、完成した代替材料の普及だけにない。温度による弾性変化、長期変化、補償機構を別々に調べる必要を可視化したことである。後年Airyがデントの1833年公表に温度補償研究の優先権を認めたことには、他の時計師との競合も伴った。認定の経緯を離れて、すべての温度誤差をデントが最初に発見したと一般化することはできない。8

特許と加工――錆、動力、温度へ複数の手を打つ#

薄い保護膜をばねに付ける#

1836年4月23日の英国特許No.7067は、ばねなどの錆を防ぐ被膜に関するものだった。1837年のドイツ語『Polytechnisches Journal』には、英語の特許誌から訳した仕様の本文がある。デントは湿気だけでなく作業者の呼気にも言及し、油分を除いたばねに薄いワニスを付け、乾燥・加熱する手順を記す。硬い厚膜でばねの運動を妨げないことが要点である。3 9

これは「錆びない新金属」の発明ではなく、既存材料の表面を保護する工程の提案である。訳文は保護用ワニスを特定の一配合に限定しないことも記す。被膜の存在だけから、長期使用で歩度に影響しなかったことまでは導けない。9

1840年の特許は一つの脱進機に限られない#

1840年9月10日のNo.8625も、1841年の同誌に同時代訳が残る。振り子への力の与え方、振幅を変えて熱による周期変化を補う構想、三つ以上の香箱を共通の輪列へつなぐ構成、まとめて巻く仕組み、乾燥した気体を入れる密閉ケース、電気化学的に金などを金属部品へ付ける処理が扱われる。3 10

動力については、三つ以上のばねを組み合わせ、強く巻かれた範囲だけを使いながら、一度の巻上げで8日以上動かす構想を記す。通常より幅広い、または厚いばねにせず、長い持続を得ることが目的である。環境については、内部の空気や湿気を管理し、油や金属の変化を抑えようとする。表面処理では、洗浄した鋼のばねや補償テンプへ薄い耐食性の金属を密着させる。いずれも特許文中の提案であり、全作品に採用された実績や、記述どおりの性能を示す測定結果とは区別する。10

訳文は請求対象の境界も記し、二つだけの香箱、図示した振り子・脱進機そのもの、乾燥気体の条件を伴わない単なる密閉ケースなどを一律に発明として請求していない。「あらゆる密閉時計」や「複数香箱全般」の独占だったと説明するのは広すぎる。10

中間温度誤差とステープル形テンプ#

通常の補償テンプを低温と高温で合わせても、中間温度に同じ補償が得られるとは限らない。ばねの弾性変化と、重りの移動による慣性変化が、温度の間で完全には一致しないためである。Mariners’ MuseumのBettsによる解説は、1842年のNo.9302を、この問題へ対応する補償テンプの特許とする。3

同館の現存模型NA0099.16は約1870年のもので、デント本人の製作年に遡る作品ではない。幅広い二金属の横材の両端に、U字形の二金属部分が置かれ、その上に調整用の重りが付く。温度が上がると横材の端とU字部分が変形し、重りの位置を変える。その動きにより、中間温度で不足する補償を連続的に加えようとする仕組みを示している。3

No.9302の原仕様書・原図は探索したが取得できなかった。ここでの特許番号と目的の帰属は、実読した所蔵館の歴史・技術解説に基づく。現存模型の構造説明を原特許の全請求範囲へ置き換えず、原資料が未発見であることを、特許や機構が存在しなかった証明とも扱わない。3

天文台の時計と、時計を合わせる光学器具#

No.587――プルコヴォへ届かなかった精密時計#

Royal Museums GreenwichのZAA0605、デントNo.587は1842年頃の天文用レギュレーターである。プルコヴォ天文台向けに計画され、Airyの考案したルモントワール付きデッドビート脱進機を持つ。Airyの1842年発表は、ロシアの大きな温度変化が通常のデッドビートに問題を生むことを設計の背景に挙げる。ルモントワールは、重錘からの動力を小さな蓄力部分へいったん渡し、脱進機へ与える力を整える装置である。11 13

現存時計の記録では、同軸の二つの車を円筒形ばねが結び、片方の車の拘束と、もう片方の車からパレットへの作用を組み合わせる。真鍮の輪列、12インチの銀色文字盤、時・分・秒を分けた表示、水銀による温度補償振り子、マホガニーのケースを備える。これは現存品の記述であり、すべてのデント時計に同じ構造があったという意味ではない。11

1842年10月の発送を伝える書簡があるものの、巻上げ中の動力維持機構に問題があり、No.587は発送品に含まれなかったという。同館はロシアへ送られず工房に残ったとみており、1977年の競売以前までの来歴を記す。1851年の大博覧会では、Airyの発明として展示された。注文先、実際の納入、展示された設計者名を分ける必要がある作品である。11

ディプレイドスコープ――二つの太陽像を合わせる#

デントの1845年刊、第4版の説明書は、ディプレイドスコープの使い方だけでなく発案の経緯も述べる。前面のガラスで一度反射した像と、内部の二つの反射面を経た像を作り、二つが反対向きに動いて一致する瞬間を観測する。器具を子午線へ正しく据えると、太陽像の一致がその場所の視太陽正午を示す。12

説明書は像の縁の接触、一致、分離を時計で記録し、最初と最後の時刻の平均から中心の通過を求める方法を示す。時計が示す平均太陽時と比較するには均時差が必要で、グリニッジの時刻へ直すには観測地点の経度差も必要である。器具そのものが時刻を刻むわけでも、据えた場所で自動的にグリニッジ時刻を示すわけでもない。12

発明の帰属について、同書はデントが1840年に影を使う案をJ. M. Bloxamへ話したところ、Bloxamが単反射と二重反射の案をすでに研究していたと記す。デントはその優位を認め、製作を引き受けた。さらにデントの費用でBloxam名義の特許を取り、権利を譲り受け、商品に製作者・所有者としてDentの名を付けたと説明する。銘のDentを光学原理の唯一の発明者と読むことは、本人の説明にも合わない。12

Whipple Museumには1843–1853年頃の実物、資料1313がある。真鍮とガラスの光学部、鋳鉄の台、調整部を備える。同館にはデント銘の船用コンパス2884も残り、ジンバルと調整部を伴う航海器具の製作を確認できる。時計を作る仕事に、時刻を観測する器具と航海の測定機器が隣接していたのである。14 15

ウェストミンスターの大時計#

受注した本人、完成させた後継者#

英国議会の建設年表によると、1846年に時計の製作者を選ぶ競争が始まり、Airyが審査に関与した。1852年、Edmund Beckett Denisonの設計に基づく大時計の製作をデントが受注した。しかし翌1853年にデントは死去し、Frederick Dentが1854年に機構を完成させた。設計をDenison、製作の着手をEdward John Dent、完成をFrederickに分けて述べるのが適切である。16 17

時計が塔で動き始めたのは1859年5月31日で、大鐘が初めて時を告げたのは同年7月11日だった。1854年の完成と1859年の運転開始は異なる段階である。またBig Benは本来大鐘の呼称であり、デントが鐘を鋳造したわけではない。最初の鐘はJohn Warner & Sons、代わりの鐘はWhitechapelの鋳造所が担った。16 17

大きな針の負荷と振り子を切り離す#

塔時計では、外に出た針へ風などの力が加わる。輪列の負荷の変化がそのまま振り子への力に現れると、時刻の基準も乱される。Denisonの二重三脚重力脱進機は、持ち上げた小さな重りから振り子へ力を与え、針を動かす輪列の負荷変動の影響を小さくする。これをデント単独の脱進機発明とすることはできない。18

議会の現行解説は、機構を約5トン、長さ約4.7メートル、幅約1.4メートルとし、振り子の長さを4.4メートル、重さを310キログラム、刻みを2秒とする。ここで2秒は一振りの間隔で、往復の周期とは区別する。航海用の小さなテンプ時計と大きな振り子時計は外形こそ違うが、外部の環境と動力の変化から振動を守るという課題を共有している。18

後継事業と現存資料が伝えるもの#

デントの名を持つ製品は死後も作られた。グリニッジ所蔵No.2009(ZAA0604)は1874年の金星日面通過観測用時計群の一つで、エジプトのMokattamで使われた。No.2016(ZAA1293)も同じ時期の時計で、1923年に時報信号用へ改造され、1924–1949年のBBCの時報に関わった。これらは事業と技術の継承を示すが、1790年生まれの本人の作品ではない。19 20

No.2016には電気接点を加えるなどの変更があり、1929年からShortt時計による制御・補正を受けた。1949年には水晶による時報へ交代した。残る機械時計を見たときには、1874年の観測用時計、1920年代の時報装置、その後の制御系という複数の時代が重なっている。19

ウェストミンスターの時計塔では2017–2022年に大規模な保存修復が行われた。ガラスばねはBritish Museumで、クロノメーターや天文時計は各地の博物館で保管・研究されている。現在デントを評価する基盤は、名字を掲げる商品の宣伝だけでなく、観測記録、技術原稿、現存部品、保存作業を照合できることにある。8 11 19 21

デントの仕事には、一つの材料で全問題を消し去る万能の解決はない。ガラスの低い温度感度と長期の加速、金属ばねの加工性と腐食、補償テンプの両端温度と中間温度、振り子の規則性と外部の負荷が、別々の検討事項として現れる。その区別を実験と製作へ持ち込み、航海者、天文台、公共時計の異なる用途へ応じたところに、時計師としての特徴がある。

主要年表#

年出来事帰属・確度
1790年8月19日ロンドンに生まれる旧人名辞典・顕彰資料。1 2
1804–1807頃ろうそく製造の徒弟から時計の仕事へ移る修業先の順序には後世の資料差。2 3
1814独立した製作活動Seven Dialsの仕事場。2
1829グリニッジ試験の第1報奨試験の受賞を終生の精度と同一視しない。1 3
1830Arnold & Dentを結成相手は息子John Roger Arnold。1
1831ビーグル号へ複数のArnold & Dent時計を搭載フィッツロイの機器表。6
1833年4月・9月ガラス円筒形ばねを公表、砲撃近傍で試験公表は資料研究、9月13日の試験は1836年原稿で確認。4 8
1833Institution of Civil Engineers準会員となる時計以外の技術者社会との接点。1
1836年4月23日保護膜の特許を取得No.7067。同時代の仕様訳。3 9
1836年5月ガラスばね研究をRoyal Societyへ提出・発表Arnold & Dentの共同名義。4 5
1840年9月10日動力・環境・表面処理などの特許No.8625。同時代の仕様訳。3 10
1840年9月アーノルドとの共同事業を解消正確な日には資料差がある。1 3
1841–1842講演集とクロノメーターの誤差に関する著書旧人名辞典の書誌。1
1842補償テンプの特許No.9302、天文時計No.587特許原仕様書は未取得。No.587は予定先へ届かなかった。3 11
1843–1845ディプレイドスコープを販売し説明書を刊行光学案はBloxam、商品化はDent。1845年に第4版。12 14
1851大博覧会にNo.587を展示脱進機はAiryの発明として記録。11
1852ウェストミンスター大時計受注Denisonの設計。16
1853年3月8日本人死去大時計の完成前。1 17
1854Frederickが大時計の機構を完成Edward本人の死後。16 17
1859年5月31日・7月11日塔時計が運転開始、大鐘が時報開始二つの出来事の日付を区別。16
1874後継事業の時計を金星日面通過観測に使用No.2009、2016など。19 20
1923–1949No.2016の改造とBBC時報への利用電気接点と後年の制御を伴う。19
1977No.587が競売に現れる所蔵館の来歴記述。11
2018ガラスばねの資料・技術研究を公刊2017年の現存部品分析を含む。8
2017–2022大時計塔の保存修復公的な保存事業。21

参考文献#

本文・原稿・所蔵館記録の閲覧日:2026年10月11日。手書き原稿は指定箇所、原著は指定ページを実読した。原特許を取得できていない箇所は本文でも明記した。

  1. George Clement Boase, “Dent, Edward John”, Dictionary of National Biography, vol.14, 1888。全文の公開転記を確認。後世の伝記であり戸籍・工房帳そのものではない。
  2. Seven Dials Trust, “Edward John Dent”, 顕彰プレートと経歴解説。仕事場、修業、家族の本文確認。
  3. Jonathan Betts, “Staple balance from chronometer”, Mariners’ Museum, NA0099.16/1941.0201.000024, 2002年記述。約1870年の現存模型と、Dentの経歴・No.7067、8625、9302の解説を確認。原特許の代わりになる全仕様書ではない。
  4. John Roger Arnold and Edward John Dent, “On the application of glass as a substitute for metal balance-springs in chronometers”, Royal Society AP/20/3, 1836。原稿画像02–18と23を実読。図、温度・冷却・砲撃試験、Ripponへの謝辞、No.616・790、加速の記述を確認。観測表全数の再計算はしていない。
  5. Arnold and Dent, 同題の公刊要約, Abstracts of the Papers Printed in the Philosophical Transactions of the Royal Society of London, vol.3, pp.391–392。原稿と公刊要約の温度比較値・加速の表記を照合。同じ研究由来の要約であり、別の試験ではない。
  6. Robert FitzRoy, Narrative of the Surveying Voyages of His Majesty’s Ships Adventure and Beagle, vol.2, Appendix, 1839, pp.325–330。搭載時計表と管理・比較方法の本文確認。
  7. Powerhouse, “Marine chronometer, in case, brass / wood / metal / glass / bone / ivory, made by Edward John Dent”, H9895、No.220。製作年代、現存状態、パラマッタからの来歴と輸送経路の不確実性を確認。
  8. Jenny Bulstrode and Andrew Meek, “Edward John Dent’s glass springs, archive and technical analysis combined”, Antiquarian Horology, 39(2), 2018, pp.225–243。UCL書誌と公開著者原稿を確認。実読箇所は著者原稿pp.1–9、15–19。UCL書誌はBulstrodeのみを表示するが、原稿はMeekの技術分析担当を明記する。
  9. “Verbesserungen an Chronometern und anderen Zeitmessern … Edward John Dent … am 23. April 1836”, Polytechnisches Journal, Bd.65, Nr.XXXI, 1837, p.132。Repertory of Patent-Inventions, May 1837, p.271からのドイツ語訳。本文全体を実読。英語原仕様書は未取得。
  10. “Verbesserungen an den Chronometern und anderen Zeitmessern … Edward John Dent … am 10. Sept. 1840”, Polytechnisches Journal, Bd.81, Nr.LI, 1841, p.199以下。Repertory of Patent-Inventions, May 1841, p.280からのドイツ語訳。六項の提案と請求対象の限定を実読。英語原仕様書は未取得。
  11. Royal Museums Greenwich, “Astronomical regulator”, ZAA0605、Dent No.587、1842年頃。詳細機構、予定された納入、展示、1977年競売の記録本文確認。
  12. Edward John Dent, A Description of the Dipleidoscope, or Double-Reflecting Meridian and Altitude Instrument, 4th ed., 1845, pp.7–9、12–19。公開スキャン本文確認。Bloxamとの関係、光学原理、均時差と経度補正を確認。
  13. George Biddell Airy, 1842年11月11日の時計脱進機に関する発表, Monthly Notices of the Royal Astronomical Society, 5(25), pp.221–222。公開スキャンのp.221を実読。p.222の全文は未取得のため、細かな構造は現存品記録による。
  14. Whipple Museum, “Dipleidoscope”, 資料1313、1843–1853年頃。現存器具の本文確認。発明名義はDent原著の説明を優先。
  15. Whipple Museum, “Marine compass”, 資料2884、1850年頃。銘、ジンバル、調整部の記述確認。
  16. UK Parliament, “Big Ben: key dates”。競争、受注、機構完成、1859年の時計・鐘の運転開始を確認。
  17. UK Parliament Heritage Collections, “Around the clock”。Edwardの死去、Frederickによる完成、鐘の製作者の解説確認。
  18. UK Parliament, “Great Clock facts”。重力脱進機、寸法、重量、振り子の刻みの本文確認。
  19. Royal Museums Greenwich, “Regulator clock”, ZAA1293、Dent No.2016、1874。時報用改造、Shortt制御、BBCでの使用、1949年の交代を確認。
  20. Royal Museums Greenwich, “Astronomical regulator”, ZAA0604、Dent No.2009、1874。金星日面通過観測と使用先の本文確認。
  21. UK Parliament, “Big Ben conservation”。2017–2022年の保存修復の完了に関する公的説明を確認。