ジョージ・ダニエルズの生涯と技術革新および時計産業への影響

ジョージ・ダニエルズの生涯と技術革新および時計産業への影響

ジョージ・ダニエルズ(George Daniels、1926年8月19日–2011年10月21日)は、英国の時計師・発明家・時計史の著述家である。古時計の修復から出発し、ムーブメントだけでなくケースや文字盤も製作する仕事を追求した。代表的な発明はコーアクシャル脱進機で、オメガが1999年に量産腕時計へ採用した。少数の手製時計と量産技術への提案を両立させたことに、彼の活動の特徴がある。1 2

その仕事には、時計を一人で構想・製作する方法、香箱からテンプへ力を伝える脱進機の改良、歴史的作品を読む研究、後進への教育という四つの面がある。たとえば「スペース・トラベラー」は平均太陽時と恒星時を一つの時計へ収める課題に取り組み、コーアクシャルは力の伝達面における滑りと潤滑への依存を減らす課題に取り組んだ。この二つでは、採用した脱進機の構造も異なる。3 4

生涯と仕事の形成#

修理の現場と時計学の学習#

ダニエルズはロンドンのエッジウェアに生まれた。子供の頃に拾った腕時計の内部に心をひかれたという回想は、彼自身が後年語った出発点である。困窮した家庭から時計の修理を仕事にするまでの道のりは、自伝や評伝の重要な主題になっている。ただし、幼少期から完成した発明家だったとみなすより、後の修理・学習・修復の蓄積を見た方が、その技術の形成を理解しやすい。5 6

陸軍勤務を終えた1947年以降、彼はロンドンで時計修理の仕事をしながら夜間の時計学教育を受けた。本人の口述史では、1947年11月の除隊後にエッジウェアで修理職を得て、仕事とNorthampton Polytechnicの夜学を並行させたと語る。29自分で学んだ技能が多かったことと、学校で学んだ経験があったことは両立する。The London Archivesの資料群には、Northampton Polytechnicで1951–52年に受けた講義のノートが残る。実務で身に付けた技能と、理論を系統的に学ぶ過程の双方が、経歴のなかに位置付く。5 6

修理は、すでにある機械を分解し、摩耗、汚れ、調整、過去の補修を見分け、再び動く状態へ戻す仕事だった。新しい時計を設計する場合には、そこで理解した部品の働きに加え、歯車の配置、材料、加工順序、調整、外装までを自分で決める必要がある。Science Museumは、分業された時計産業のなかで修理と製造が異なる職務だったことを指摘し、この違いをダニエルズの経歴を読む背景としている。6

クラットン、ブレゲ、歴史的な時計#

収集家セシル・「サム」・クラットンとの交流は、ダニエルズが優れた古時計を調べる機会を広げた。自動車への共通の関心もあったクラットンは、時計の収集家や関連機関への接点を持っていた。二人は1965年に『Watches』を刊行し、1975年にはClockmakers’ Companyの時計コレクションを記述する図録でも協働した。修復の実務と、収集品を比較して記述する研究は、ここで結び付いている。5 7

とりわけ大きな影響を与えたのが、アブラアム=ルイ・ブレゲだった。ダニエルズはブレゲ作品を調べ、修復し、1975年に『The Art of Breguet』を刊行した。時計の外観を模倣するだけでなく、過去の製作者が精度、操作、表示、携帯性の課題をどう解いたかを検討する姿勢は、自作時計にもつながる。Science Museumによれば、彼は1960年代にハリソンのH5の保存にも携わった。歴史的作品は、著述の題材であると同時に、実物から学ぶ対象でもあった。6 8

彼の活動を「孤立した一人の天才」だけで説明することは難しい。収集家が研究対象を提供し、組合や博物館が作品を保存し、出版社が知識を伝えた。The London Archivesの目録には、修復の覚書や図、費用を記した台帳も含まれる。完成品の華やかさの背後には、調査と修理を積み重ねる日常の仕事があった。5

自作時計からマン島の工房へ#

初期の製作には、1953年の航海用クロノメーターがあるとDaniels Londonは紹介している。独創的な懐中時計の出発点となったのは、1960年代末のクラットン向けの時計である。1969年製として競売記録に現れるこの個体は、金と銀のケース、クロノメーター脱進機、一分トゥールビヨン、戻り式の時表示を組み合わせていた。修理の仕事で得た知識を、一つの完成品へ統合する段階に進んだことが分かる。9 10

ダニエルズは、完成した時計を自分で評価した後に販売する仕事の進め方を重視した。したがって、全作品を顧客の仕様に従う受注生産とみなすことはできない。一方で、セス・G・アトウッド向けの時計や、クラットンに渡った初期作品には、具体的な収集家との関係がある。作品の課題、購入者、完成後の来歴を分けて見ると、彼の独立性と、収集家の支えの双方が見える。11 12

Fondation Haute Horlogerieの編纂した略歴によると、1982年に仕事の拠点をマン島へ移した。41ここでの工房は、少量の手製時計、脱進機の試作、後のロジャー・W・スミスとの協働の場になった。生産量の多さより、設計と製作の判断を一人が把握できることを重視した点は、後に「ダニエルズ・メソッド」と呼ばれる方法の核になっている。ただし、個別の手製時計と、既製ムーブメントや共同作業を利用したシリーズは区別する必要がある。1 11

脱進機の課題と二つの解法#

レバー脱進機の何を変えようとしたか#

機械式時計では、ぜんまいの力を歯車で伝えるだけでは、制御された間隔で針を進められない。脱進機は歯車の進みをいったん止め、テンプの振動に合わせて解放し、同時に振動を続けるための小さな力を与える。この「止める」と「力を渡す」の働きをどの部品に担わせるかが、ダニエルズの設計課題だった。4

従来のレバー脱進機では、歯車の歯とアンクルの石が接触して滑る過程で力が伝わる。潤滑油はその接触を助けるが、油の状態が変われば抵抗や時計の歩度に影響しうる。ダニエルズの特許は、鎖錠とインパルスの機能を分けることによって、力を渡す接点の潤滑への依存を小さくする構造を説明している。これは歯車や軸受を含む時計全体の摩擦が消えるという主張ではない。4

比較の要点は、機構の名称の新しさだけではない。腕時計では、止まった後に振動が始まること、携帯中の動きに対応すること、小さな容積へ収まること、加工と調整が可能であることも必要になる。特許明細書も自己起動を設計上の要件として扱っている。高精度の据置時計で成立する仕組みが、そのまま腕時計に使えるわけではない。4

独立二重輪脱進機#

独立二重輪脱進機は、二つの輪列がそれぞれのガンギ車を駆動し、共通するテンプへ力を渡す方式である。ガンギ車とは、鎖錠と解放を受ける脱進機の歯車をいう。スペース・トラベラーIIでは二つの香箱と逆方向に回る輪列があり、Y字形の鎖錠部品がその進みを制御する。二つのガンギ車が別の輪列で駆動されることが、後述するコーアクシャルとの重要な違いである。3

この構造は、平均太陽時と恒星時という異なる速さの表示を、一つの調速機へ結び付ける設計にも利用された。太陽の動きに合わせる日常の時刻と、恒星を基準とする時刻では、一日の長さの定義が異なる。二つの文字盤を置くだけでなく、それぞれの歯車比と力の供給を設計する必要がある。スミスは実機を整備した立場から、太陽時側13歯、恒星時側14歯のガンギ車が共通のテンプを駆動する点を特徴としている。3

二つの輪列があっても、二つの独立したテンプを共振させる時計ではない。また、二輪を使うという共通点だけでブレゲの自然脱進機やコーアクシャルと同一視することもできない。力の供給源、軸の配置、輪列同士の結び付き、鎖錠部品の役割を比べる必要がある。ダニエルズは、歴史的脱進機の課題に別の構成で答える試みを続けた。3 4

コーアクシャルの一周期#

コーアクシャルは、同じ軸の上にある歯列を利用しながら、鎖錠とインパルスを別々の石に担当させる脱進機である。欧州特許EP0018796B1の図1–5の実施形態では、アンクルに二つの鎖錠石20・21とインパルス石26があり、テンプ側にもインパルス石25がある。石はすべて同じ役割なのではなく、歯車を止める石と、振動を保つ力を受ける石に分かれる。4

動作は、次のように追える。

  1. ガンギ車は一方の鎖錠石に止められている。テンプが中央付近へ戻ると、テンプ側の振り石がアンクルのフォークに入り、鎖錠を解く。
  2. 片方向の振りでは、ガンギ車の歯がアンクル側のインパルス石を押し、力はアンクルを介してテンプへ届く。その後、反対側の鎖錠石が次の歯を止める。
  3. テンプは慣性で進み、ヒゲゼンマイの復元力で反転する。再び中央付近へ戻ると、もう一方の鎖錠が解かれる。
  4. この逆方向の振りでは、ガンギ車の歯がテンプ側のインパルス石へ直接力を渡す。歯車は再び鎖錠され、この周期を繰り返す。4

したがって、「両方向の振動ですべて直接駆動する」という説明は正確ではない。一方はテンプへの直接インパルス、もう一方はレバーを経由する間接インパルスである。両方向とも振動維持の力を受けるが、力の経路が異なる。この違いを保つと、レバー式の扱いやすさと、滑りの少ない力の伝達を両立させようとした狙いが理解できる。4

図1–5には半径の異なる二列の歯を持つ構成が示されるが、明細書は単一の歯列を使う別の実施形態も記す。特許の対象を、後世の量産機の外見や、必ず別部品二枚を重ねる構造だけで説明してしまうと、発明の範囲と実物の世代差を混ぜることになる。原特許の実施形態から、ダニエルズの試作、オメガの量産構造、スミスの改良へと、製品に使われる構成は展開した。4 13

特許の日付と、性能の限界#

欧州出願EP80301358.0の英国優先日は1979年4月30日、欧州出願日は1980年4月25日である。出願公報A2は1980年11月12日、検索報告A3は1981年1月28日、登録公報B1は1984年11月7日に公表された。着想、設計、優先出願、公開、登録は同じ出来事ではなく、「1980年に発明と登録がすべて済んだ」とまとめることはできない。14

登録明細書は、力を与える接点と鎖錠の分離を中心に、自己起動、安全機構、部品配置の複数の例を説明する。一方で、特許は特定の量産腕時計を長期間実測した試験報告ではない。明細書が目標とする低潤滑依存から、すべての機種のすべての接点が無給油でよい、保守が永久に不要、クォーツより精度が高い、と結論することはできない。4

オメガは、コーアクシャルによる摩擦の低減が長期の精度安定と保守上の利点につながると説明している。この説明はメーカーの技術評価で、異なる時計を同じ条件で比較した独立実測値とは区別される。時計にはぜんまい、輪列、軸受、ケースや防水部品もある。脱進機の改善は重要だが、時計の寿命と保守は機械全体の問題でもある。2

手仕事、材料、設計の統合#

ダニエルズ・メソッドの範囲#

Daniels Londonは、ダニエルズが時計を製作するための34分野のうち32の技能を習得した、と説明している。この数字は、設計から機構、ケース、文字盤までを把握する広い仕事の範囲を示す当事者側の表現である。すべての製品の全素材や全要素を例外なく一人だけで作ったという、部品表上の証明とは区別したい。1

実際、ミレニアムではオメガの初期コーアクシャル・ムーブメントを利用し、スミスと協働した。アニバーサリーは、マン島で製作する独自の英国製ムーブメントへ進む計画だった。二つを区別することで、ダニエルズの理想と、各シリーズで採った製作上の選択を具体的に説明できる。共同作業の存在は、個別の手製作品で実現した広い技能の価値を失わせない。11

『Watchmaking』の出版社掲載目次を見ると、工房と工具、鋼と真鍮の仕上げ、旋削、歯車とカナ、小部品、石入れ、脱進機、ぜんまい、ムーブメント設計、テンプとヒゲゼンマイ、ケース、ケースと文字盤のギヨシェへと話題が広がる。単に脱進機だけを発明した人物ではなく、機能と加工を一つの時計へ結び付けようとした著者であることが、この構成にも表れている。15

デレク・プラットとの関係にも、実際の部品製作の協力がある。二人を知る時計研究者Jonathan Bettsは、プラットがダニエルズの一部の腕時計に使う非常に小さなガンギ車のカナを製作したと記す。カナは歯車と噛み合う小さな歯車部分で、こうした証言は、完成品の作者と特定の部品を助けた職人を分けて理解する手掛かりになる。これをプラットがコーアクシャル全体を発明したという主張へ広げることはできない。39

スミスの記録に残る加工と指導#

スミスが2012年の『Horological Journal』に寄せた回想には、作業の具体的な場面がある。1998年に仕事を始めた際、薄い金板から針を切り出し、曲げないようにやすりで形を整える課題に取り組んだという。また、文字盤のギヨシェでは銀の試験片で練習を重ねた。完成した複数の文字盤のうち多くが検査で不合格になったという話は、仕上げを外観の飾りだけでなく、製作技能と品質判断の問題として教えていたことを伝える。16

この証言の価値は、性格を示す逸話だけにない。小さな針の形を手で整え、切削した模様の質と、文字盤部品の収まりを確かめるという工程が分かる。設計した部品が実際に作れ、組み合わさり、読めるものになるまでを、一人の製作者が理解することが重要だった。一方、後継工房のチーム製作は、ダニエルズの個人作とは異なる製作体制である。16 13

機構と読みやすさ#

ダニエルズの時計は、複雑な内部機構を持ちながら、時刻や暦を分けて読ませる意匠を備える。スペース・トラベラーIIでは、恒星時と平均太陽時の表示に色の異なる針が使われる。グランド・コンプリケーションでは、表側に月相、月、曜日、日付、秒と温度の表示を配し、裏側のガラス窓から均時差、年暦、巻残量の機構を見せる。ギヨシェ、表示の位置、針の形は、機構を収めるための設計とも結び付く。3 12

金のケース、銀の文字盤、青焼き鋼針、真鍮の地板といった材料の記述は、個別作品の所蔵・出品記録で確かめられる。ただし、これらの材料が使われたことから、すべての作品が同一合金、同一加工法、同一の性能を持つとは推定できない。熱補償、振幅、摩擦の改善も、実際に備えた機構と、一般的な時計理論を分けて読む必要がある。3 10

評価と晩年#

ダニエルズは1980年にClockmakers’ CompanyのMasterを務め、同年に同団体のTompion Medalを受けた。Masterは組合の役職で、時計を製作できる資格の取得年を意味しない。British Horological Instituteでは1980–81年に会長を務め、1981年にGold Awardを受けている。団体の運営、著述、製作上の革新が、時計界のなかで評価された経緯である。30 31 32

MBEは1981年12月31日公表の新年叙勲に記載され、CBEは2009年12月31日公表の2010年新年叙勲に記載される。公表日と、通常の叙勲年の呼び方にはこのような関係がある。2001年には、スイスのラ・ショー=ド=フォンにある国際時計博物館MIHのGaïa賞を、工芸・創作部門で受けた。1994年のCity Universityの名誉博士号と合わせ、英国の専門団体、大学、国家叙勲、スイスの時計博物館という異なる場での評価が確認できる。5 33 34 35

2011年9月に訪ねた記者の取材では、ダニエルズはまだ完成していない複雑時計を示し、約80%できていると語っていた。これは製作者本人による進捗の表現で、完成した遺作の仕様や後年の分析結果を確定するものではない。同年10月21日に死去し、工房の継承とアニバーサリーの製作はスミスへ託された。未完の仕事と、他者へ受け継がれ完成していく仕事が、晩年には並存していた。36 16

代表作と顧客・所蔵の関係#

最初の航海時計とブレゲ式三輪時計#

初期の航海用クロノメーターは、修理から製作へ移る過程をよく示す。Sotheby’sの2017年出品記録によれば、ダニエルズはMercerの半製品を購入し、脱進機、ケース、文字盤、針を自分で仕上げた。フュジー、維持動力、二金属の補償テンプ、アーンショウ型デテント脱進機を備える二日巻の時計として記述される。原材料から全体を設計する後年のユニーク作品とは、製作の出発点が異なる。37

年代は、Daniels Londonが1953年、Sotheby’sが1952年頃、The London Archivesの略歴は最初のクロノメーターの銘を1954年と記す。これらが着手、完成、刻銘の違いを示すのかは確定していない。1950年代初頭の製作として位置付けつつ、各資料の年の精度を保つことができる。5 9 37

1968年にはブレゲの三輪時計の再製作も行った。2017年出品のNo.3225は、もう一例No.3224とともにブレゲ台帳へ記載されたものとされ、1968年12月20日の証明書の写しが付く。三輪の輪列とピンホイール脱進機、均時差、グレゴリオ暦とフランス革命暦、重錘位置による曜日の表示を持つ。元になった歴史的設計を読み、動く時計として再び構成した仕事である。38

この作品は、ダニエルズがブレゲという名に敬意を表しただけでなく、具体的な輪列と暦表示を製作対象として理解したことを示す。同時に、ブレゲ名義の台帳登録と、後の「Daniels London」銘の独創時計は、作者・ブランドの示し方が異なる仕事でもある。38

クラットンの時計とアトウッドの時計#

1969年のクラットン向け懐中時計は、初期作品の設計を具体的に見る例になる。1998年のAntiquorumの出品記録では、二つの香箱、クロノメーター脱進機、一分トゥールビヨン、逆跳びの時表示を備え、文字盤とケースの金銀の組合せも記述される。機能の異なる部分を組み込みながら、一つの表示へまとめた作品である。これは後のコーアクシャルとは異なる脱進機を用いた初期作品である。10

初作を作る過程について、ダニエルズは2003年収録の口述史で、設備と工具の不足、ギヨシェの練習、ケース製作の習得を語っている。クラーケンウェルのケース職人Oliverに、ケースを作る代わりに作り方を教えてもらい、自分で完成させたという。彼はこの指導を1968年、報酬を約40ポンドと回想する。年月と金額は本人の後年の証言だが、個人製作の技能が、他の熟練工から学ぶ過程も含んでいたことが分かる。17

同じ口述史では、クラットンに初作を1,900ポンドで売り、約四年後に8,000ポンドで買い戻したと述べる。最初の販売が次の仕事を支え、作品が収集家の間を移動しながら自分の手にも戻るという関係だった。これらは本人が後年に回想した取引の金額である。18

セス・G・アトウッドのTime Museumへ渡った「アトウッド」の時計は、独立二重輪脱進機の展開に位置付けられる。Phillipsの作品一覧は、ケースの刻印年を1975年、アトウッドへの販売を1976年としている。刻印、製作の完了、売却は異なる日付になりうる。この作品を、名称の似た二輪構造という理由だけで、欧州特許のコーアクシャルの初採用作と呼ぶことはできない。12

スペース・トラベラーI・II#

スペース・トラベラーの着想には、アポロの月面着陸に象徴される宇宙旅行への関心がある。Daniels Londonが伝える経緯では、ダニエルズは収集家に先の二重輪時計を譲り、その後、複雑さと精度をさらに改善する次作を作ろうとした。「宇宙旅行者」という名称には、携帯時計で異なる時の尺度を表す技術的な遊び心が込められている。火星での実用試験を行った時計という意味ではない。19

IIの2017年出品記録には、二つの香箱、逆回転する輪列、共通のテンプに加え、平均太陽時・恒星時それぞれの時分秒、月齢と月相、均時差、クロノグラフが記載される。平均太陽時の針は金色、恒星時とクロノグラフの針は青焼き鋼で、別の時間系を見分ける工夫がある。クロノグラフは経過時間を測る機構で、切替えにより太陽秒と恒星秒のどちらでも計測できる。3

均時差は、見かけの太陽の動きに基づく時刻と、均等に進む平均太陽時との差である。一方、恒星時は恒星を基準にした地球の回転に対応する。IIではこれらを別の表示と輪列に結び付けており、月相や暦を含め、異なる周期を一つの携帯時計のなかで扱っている。機構の役割を分けて読むことが、この作品の複雑さを理解する鍵になる。3

製作年代には資料差がある。Sotheby’sは1982年頃、Science Museumの2026年解説は1981年、Phillipsの作品一覧は1983年とする。作品を特定せず単一の年にそろえるより、1980年代初頭の作品とし、個別資料が付す年を残す方が適切である。また、Daniels Londonの紹介文には時間差や歯車比の改善値について単位の読み方が難しい記述があり、実機を独立測定した保証値として扱うことはできない。3 6 12 19

IIは2006年の回顧展や2010年のSalon QPに展示され、ダニエルズの個人コレクションから2012年11月6日の競売、さらに2017年の競売へと移った。Science Museumは2019年、個人所有者から借り受けたIIの展示を発表している。展示先と所有者を区別すると、その後の作品の公開経路を正確に追える。3 20

グランド・コンプリケーション#

1987年のグランド・コンプリケーションは、複数の表示・報時機構を集積した懐中時計である。製作者側の解説は一分トゥールビヨン内のコーアクシャル脱進機、永久暦、月相、ミニッツリピーター、温度計、巻残量、均時差などを記す。ミニッツリピーターは、求めに応じて時刻を音で知らせる機構である。定時に自動で鳴る報時と同じ意味ではない。21

この作品では、表示機構を増やすだけでなく、時計を駆動し、調速し、読める形へまとめる必要があった。一分ごとに回転するトゥールビヨンとコーアクシャル、日々進む暦、要求に応じて動くリピーターは、同じ速度で動く装置ではない。製作者側の説明は、単一の香箱による36時間の持続、巻残量を示す差動ねじ機構、二つのゴングを用いる報時、バイメタル温度計を記す。機能名の一覧だけでなく、こうした個別の構成から作品を理解できる。21

Phillipsは2019年の出品記録で、直径62mmの18金時計、手巻き、コーアクシャル、一分トゥールビヨンとして記述し、落札額を242万スイスフランと公表している。ダニエルズの没後にも市場に現れたことを示す個別記録である。クロノグラフを備えた四分トゥールビヨンの別作品と、同じ複雑機構を持つものとしてまとめないことが重要になる。12

四分トゥールビヨンと腕時計への展開#

ダニエルズの作品には、一分式とは回転周期の異なる四分トゥールビヨンがある。製作者側の腕時計解説は、手巻き、コーアクシャル、四分トゥールビヨン、銀のギヨシェ文字盤などを記す。回転周期や外装だけから、懐中時計版と同一の設計だと推定せず、作品ごとの仕様を見る必要がある。22

1994年のトゥールビヨン・クロノグラフ懐中時計は、アニバーサリーの意匠上の参照先にもなった。Daniels Londonは、手巻きのアニバーサリーが日付、巻残量、秒表示を持ち、その外観がこの1994年の時計に通じると説明している。先行作品の外観や設計思想を、後の腕時計へ再構成する経路がここにある。11

ミレニアムとアニバーサリー#

ミレニアムは、スイス時計産業がコーアクシャルを受け入れたことを記念する協働シリーズだった。Daniels Londonによれば1998年に始まり、オメガの初期生産ムーブメントを利用した。スミスの現行年表は、当初十二本の計画から拡大し、イエローゴールド48本、ホワイトゴールド8本を製作、最後の納品を2001年とする。個別の手製時計の数と、このシリーズの総数は分ける必要がある。11 13

シリーズ数には、時点と集計範囲による差も残る。スミスの2012年の回想はミレニアムを50本と記す一方、現行の本人年表は材質別に計56本と記す。現行説明を明示したうえで、古い記録に別の数があることを残せば、試作品や個別仕様の扱いを確定しないまま数字だけを統一することを避けられる。13 16

アニバーサリーは、コーアクシャルの35周年に結び付けられた計画で、独自の手巻きムーブメントをマン島で製作する方向へ進んだ。計画開始は、スミスの現行年表が2009年、Daniels Londonの説明は2010年とする。スミスはダニエルズの死の数週間前に試作時計を見せ、2011年11月のSalon QPで完成試作品を公開したと回想している。本人の最終確認と、死後の公開・製作継続を分けて追える例である。11 13 16

スミスの現行年表は、イエローゴールド35本に加え、プラチナ、ホワイトゴールド、ローズゴールドを各4本とし、シリーズの完成を2025年に置く。「35周年」と「全材質を合算した製作数」は同じ数字ではない。ダニエルズの構想と様式を、後継工房が長期にわたって製品として完成させた経緯を示している。13

オメガの量産化と機械式時計の位置#

携帯して試す腕時計#

腕時計サイズでの試作を具体的に示すのが、Science Museum GroupのL2015-4220、Clockmakers’ Museum No.1309である。同館の記録は、ダニエルズがパテック・フィリップの依頼で1981年に既存ムーブメントをコーアクシャルへ改造し、スイスでケースと文字盤を取り付け、1982年初めに返却されたと説明する。既存製品への組込みによって、機構を携帯用の寸法に収めて試す工程が見える。40

同館は、本人がこの時計を十年間続けて使い、その間、脱進機は処置を必要とせず良好に動いたと記す。これは特定の試作機の使用記録であり、時計全体の全接点が無給油だったことや、後の量産時計すべての保守間隔を示すものではない。試作の実物と所蔵番号に結び付けることで、長期使用の説明にも対象と範囲が与えられる。40

少量の手製時計から量産工程へ#

ダニエルズが最初の自作時計に取り組んだ時代には、電子式、続いてクォーツ式の時計が広がっていた。Science Museumの解説は、クォーツの精度、保守、価格の変化が、機械式時計の製造と修理の仕事に大きな圧力を与えたことを背景としている。ダニエルズの時計は、石英振動子と同じ方法で時間を測る製品を作る方向へ進まず、機械の設計と製作に別の価値を見いだす試みだった。6

彼自身の口述史では、スイスの工場へ提案しても、評価や製造へ進めることが難しかった経緯が語られる。これは発明者の立場から見た回想であり、各社の技術判断をすべて代表する記録ではない。同じ証言で彼は、オメガが量産工程の難題を解いたことを認めている。少数の試作を製作できることと、部品を繰り返し安定して作ることは、異なる達成だった。23

オメガは1999年にキャリバー2500を発売し、その後、2005年に3313系クロノグラフ、2007年に8500、2008年に小型時計向け8520・8521へと展開した。とくに8500について、同社は脱進機を中心にムーブメント全体を設計し、量産工程も整えたと説明している。発明者の提案が、複数の大きさや機能を持つ製品へ広がる過程を確認できる。2

ただし、2007年の新ムーブメント登場をもって、当時の全製品が一斉に同じ脱進機へ切り替わったとすることはできない。2010年の同社説明でも、今後の機械式時計への展開にはSpeedmaster Professionalの例外が記される。モデル系列や世代を区別して読むことが、工業化の実態を理解するうえで重要である。2

発明者の評価と量産品の実測#

2003年の口述史でダニエルズは、自分たちが製作した時計の性能には満足していると語る一方、オメガ量産品の実際の成績は詳しく知らないと述べている。この区別は重要である。発明者が自作時計で得た経験、量産メーカーの評価、個々の時計に対する長期測定は、それぞれ異なる範囲の証拠になる。23

コーアクシャルが時計産業へ与えた影響は、滑りを抑える構造を大量生産の機械式腕時計に導入した点に、具体的に求められる。これを「以後の新脱進機はすべてダニエルズの影響」と広げるには、個別の設計者の証言や技術上の接続が必要になる。独立二重輪、コーアクシャル、共振、定力機構は、時間を安定して測るという課題を共有しても、別の装置である。2 4

後継者、著作、教育#

ロジャー・W・スミスとの協働#

スミスは時計学校で学んだ後、ダニエルズの『Watchmaking』を手掛かりに自作懐中時計へ取り組んだ。本人の年表は、最初の時計が厳しい評価を受け、次の時計を何度も作り直しながら1997年初頭に完成させ、1998年にミレニアムで協働を始めた流れを記す。最初の面会、作品の評価、仕事を共に始めた時期を、一つの「弟子入り年」にまとめると経緯が見えなくなる。13

ダニエルズの指導は、書物を読むだけでは身に付かない手の動きや、仕上がりの判定に及んだ。スミスの回想は、1998年からの最初の九か月を集中的な訓練として記す。2011年にはアニバーサリー試作が本人の検査を受け、死後は工房の道具と資料、時計の維持・修復を引き継いだ。製作方法を伝えることと、既存作品を保守することが、同じ継承のなかにある。16

スミスは2001年に自社を設立し、後にはコーアクシャルをさらに改良した時計を作るようになった。2018年には英国時計製作への貢献によりOBEを受章した。師弟を同じ人物の延長として見るより、共同仕事を経て、後継者が独自の設計と工房を発展させた流れとして理解できる。13

他の時計師との実在する接点#

2010年6月24日、F.P.Journeはロンドンでダニエルズをたたえる会を開き、特製時計を贈ったと自社の記録に残している。これは、実在する時計師が彼をどう評価し、交流したかを示す具体例になる。この贈呈は、ダニエルズの仕事が後の独立時計師に評価され、同時代の交流の場を持っていたことを伝える。24

技術の比較では、F.P.Journeのクロノメーター・オプティマムが二輪直接衝撃のEBHP脱進機を持つ一方、クロノメーター・レゾナンスは二つの調速機の共振を利用することを区別する必要がある。ブレゲらの先行研究が参照される点が共通していても、これらを一律にコーアクシャルの派生、または同じ自然脱進機の復活と呼ぶことはできない。25 26

Science Museumは2026年の解説で、スミスとCharles Frodsham & Co.がダニエルズの脱進機と製作思想を受け継ぐ例を挙げる。ここでも、少人数の工房が時計を製作することと、ダニエルズ本人の個人製作を区別しつつ、その設計思想が後世へ届く経路を見ることができる。6

著作は何を伝えたか#

『Watches』(クラットンとの共著、1965年)、『The Art of Breguet』(1975年)、『Watchmaking』(1981年)、『The Practical Watch Escapement』(1994年)、自伝『All in Good Time』(2000年)は、異なる役割を持つ。時計史の比較、特定の製作者の研究、製作技法、脱進機の検討、自身の回想を、同じ種類の資料として読まないことが大切である。5

『Watchmaking』は、個別の加工と完成する時計の関係を示す手引として、スミスの初期製作にも使われた。現在の出版社紹介と目次からは、機構だけでなく工具、材料、仕上げ、ケース、文字盤を含む構成が確認できる。2011年版の書誌は初版1981年と区別される。また、Michael Clerizoの評伝『George Daniels: A Master Watchmaker & His Art』は2013年刊である。後年の版や評伝を、本人がその時点で発表した原著と取り違えない必要がある。13 15 27

教育支援と資料の保存#

George Daniels Educational Trustは、時計学だけでなく工学、医学、建築・建設の教育も支援対象とする。British School of Watchmakingの案内は、同校のWOSTEP P04・P05課程に進む学生への支援を記し、他組織に雇用されておらずスポンサー支援も受けていない学生であること、経済的困難や学業成績を確認することなどを条件に挙げる。資金援助は、工房で直接教える方法とは別に、技能を身に付ける人を支える仕組みになっている。28

ダニエルズの文書は、The London ArchivesのLMA/4636として整理され、設計図、計算、著作の草稿、写真、書簡、修復台帳などに分かれる。同目録は2012年の寄託と2013・2015年の追加を記す。工房と実験ムーブメントのスミスへの継承、時計の博物館展示、文書のアーカイブへの保存は別の経路である。後世の研究は、これらの資料と作品を照合することによって、本人の回想だけでは分からない仕事の細部へ進める。5

2026年8月、スミスは生誕100年の回想で、ダニエルズの未完の懐中時計を完成させる仕事を現在進めていると述べた。未完作は、保存する対象であるとともに、本人の設計を後継者が読み解く具体的な仕事になっている。42

ダニエルズの残したものは、特定の脱進機だけに限られない。修復した歴史的時計、自ら完成させた作品、製作を説明する著作、教えを受けた製作者、保存された仕事の記録が相互に結び付いている。少量の手仕事と量産工程への提案の双方に取り組んだ経歴は、機械式時計が何を改善し、何を価値として残すのかを考える具体例になっている。2 5 16

年表#

日付の精度は資料に合わせた。着手、刻印、完成、販売、公開が別の年になる作品や、本人の回想と後年の図録で年代に差のある事例は、その区別を保って記す。

年・時期出来事と意味
1926年8月19日ロンドンのエッジウェアに生まれる。1 5
幼少期拾った腕時計を開け、その機構にひかれたと後年回想する。5
1947年軍務を終え、時計修理の仕事と夜間学習へ進む。6 29
1951–52年Northampton Polytechnicの夜間講義を受講。講義ノートがLMA/4636に残る。5
1950年代前半初期の航海用クロノメーター製作。公式略歴、刻銘、後年の出品記録で年の付け方に差がある。9 5 37
1960年頃クラットンとの交流を通じ、古時計の研究・修復の機会を広げる。12
1960年代ハリソンH5の保存に携わる。6
1965年クラットンとの共著『Watches』刊行。5
1968年本人の回想では、ケース職人Oliverの指導を受け、初作のケースを自分で製作する。17
1968年12月ブレゲ式三輪時計No.3225の証明書。No.3224とともに製作した二例として記録される。38
1969年クラットン向けの初期自作懐中時計。一分トゥールビヨンとクロノメーター脱進機、戻り式時表示を組み合わせる。10
1970年代前半独立二重輪脱進機と、その具体的な時計の製作へ進む。12
1974年Daniels Londonはこの年までにコーアクシャルの設計を完成したとする。特許手続の日付とは別である。1
1975年『The Art of Breguet』刊行。5 8
1975年クラットンとClockmakers’ Companyの時計コレクション図録を刊行。7
1975–76年アトウッドの時計。出品資料では1975年の刻印と1976年の売却を区別する。12
1979年4月30日コーアクシャル欧州出願の基礎となる英国優先出願GB7915006。14
1980年Clockmakers’ CompanyのMasterとTompion Medal。BHI会長は1980–81年。30 31 32
1980年4月25日欧州出願EP80301358.0。14
1980年11月12日EP0018796A2公開。14
1981年1月28日同出願の検索報告A3公開。14
1981年BHIのGold Award。32
1981年『Watchmaking』初版刊行。5 6
1980年代初頭スペース・トラベラーIIを製作。資料には1981年、1982年頃、1983年という表記差がある。3 6 12
1981年12月31日公表新年叙勲でMBE。通称1982年新年叙勲に当たる。33
1981–82年パテック・フィリップのムーブメントをコーアクシャルへ改造。ケース・文字盤取付後、本人へ返却。40
1982年FHHの編纂略歴では、この年にマン島へ拠点を移す。41
1984年11月7日コーアクシャル欧州登録公報EP0018796B1公表。4 14
1987年グランド・コンプリケーション。一分トゥールビヨン内のコーアクシャルと、暦・報時などを組み合わせる。12 21
1991年頃四分トゥールビヨン腕時計。コンパクトなクロノグラフも備える。22
1994年『The Practical Watch Escapement』刊行。5
1994年City Universityから名誉博士号を受ける。5
1994年後のアニバーサリーの意匠にも参照されるトゥールビヨン・クロノグラフ懐中時計。11
1997年初頭スミスが第2懐中時計を完成させ、ダニエルズの評価を受ける。13
1998年スミスとのミレニアム製作を開始。11 13
1999年オメガがコーアクシャル搭載キャリバー2500を発売。2
2000年自伝『All in Good Time』刊行。5
2001年MIHのGaïa賞、工芸・創作部門。35
2001年ミレニアム最終納品。スミスが自身の会社を設立。13
2003年5月Web of Storiesの口述史を収録。修理、製作、収集家、工業化について本人が語る。17 18 23
2005年オメガが3313系コーアクシャル・クロノグラフを展開。2
2006年7月80歳を記念するロンドンの回顧展。IIの展示記録も残る。3 5
2007年オメガがコーアクシャルを中心に設計したキャリバー8500を発表。2
2008年オメガが小型時計向け8520・8521へ展開。2
2009–10年アニバーサリーの計画。スミス年表は2009年、Daniels Londonは2010年とする。11 13
2009年12月31日公表2010年新年叙勲でCBE、時計学への貢献が記される。34
2010年6月24日ロンドンの会でF.P.Journeから特製時計を贈られる。24
2011年死の数週間前、スミスがアニバーサリー試作を本人に見せる。16
2011年9月本人への取材で未完の複雑時計を紹介。本人は約80%完成と語る。36
2011年10月21日死去。工房はスミスへ受け継がれる。1 16
2011年11月Salon QPでアニバーサリー完成試作品を公開。16
2012年文書のThe London Archivesへの寄託が始まる。2013・2015年に追加。5
2012年11月6日コレクションの競売。スペース・トラベラーIIはlot9として記録される。3
2013年3月Michael Clerizoの評伝刊行。27
2017年スペース・トラベラーIIをSotheby’sが再出品。3
2018年スミスがOBEを受章。13
2019年IIがScience Museumで借用展示される。Grand ComplicationはPhillipsで競売される。20 12
2025年スミスの現行年表ではアニバーサリー・シリーズを完成。13
2026年8月生誕100年。Science Museumが作品と継承を紹介。スミスは未完懐中時計の完成に取り組んでいると述べる。6 42

資料の読み方と不確実性#

作品の総数は、試作を含むか、個別の懐中時計と腕時計をどう分けるか、協働シリーズを加えるかによって変わる。Daniels Londonは試作を除くユニークな時計を27点とする一方、The London Archivesの目録は懐中時計24点と個別腕時計4点を含む別の内訳を記す。スミスの2026年の回想は懐中時計24点と腕時計2点の計26点とし、関連する資料にも数え方の差が残る。個別作品、試作、共同シリーズを分けた生産原簿による照合は、この差を理解するうえで重要になる。421 5

また、口述史は本人の意図や経験を知る重要な資料だが、数十年前の出来事の年や金額は後年の回想である。競売図録は、特定の作品の仕様と来歴を調べる資料として有用でも、時計の独立した精度試験を常に伴うわけではない。IIの2017年状態報告も、動作を記す一方で計時精度は試験していないと明示する。発明の価値を伝える際にも、資料が確かめている範囲を保つ必要がある。3 17 18

参考文献#

閲覧日はいずれも2026年10月22日。口述史は公開されているトランスクリプト、書籍の出版社ページは紹介・目次・書誌を確認した。資料の成立時期と、その資料が扱う出来事の時期は区別している。

1. Daniels London, Dr. George Daniels CBE, 日付記載なし。生没日、作品数の集計範囲、メソッド、略歴。

2. Swatch Group / Omega, Omega’s Co-Axial Story, 2010年8月22日。メーカーによる量産展開と技術評価。

3. Sotheby’s, Watches, London 2017, lot 121: Space Travellers’ Watch, 2017年。実物仕様、来歴、状態報告、Roger Smithの整備経験に基づく寄稿。

4. George Daniels, EP0018796B1, Watches, clocks and chronometers and escapements therefor, 1984年11月7日。登録公報の表紙、説明列1–6、請求項、図1–7。原公報PDFの図と本文も照合。

5. The London Archives / AIM25, DANIELS, George (1926–2011), GB 0074 LMA/4636, 目録。略歴、講義ノート・修復台帳・文書群の範囲と寄託。個々の未公開手稿の全文を読んだものではない。

6. Anna Rolls, Science Museum, Happy birthday George Daniels!, 2026年8月19日。生誕100年の作品・修復・継承解説。

7. City of London / Guildhall Library, Clocks and clockmakers, 2023年1月26日更新。Clutton / Danielsの1975年コレクション図録と時計史資料の案内。

8. Philip Wilson Publishers / Bloomsbury, The Art of Breguet, ISBN 9781781301074の版の出版社紹介。初版年は5の著作一覧も参照。

9. Daniels London, The Watches, 日付記載なし。1953年の航海用クロノメーターと作品群。

10. Antiquorum, George Daniels, made for Cecil Clutton in 1969, lot 128, 1998年5月11日。初作の構成と付属品。

11. Daniels London, The Anniversary Watch, 日付記載なし。Millenniumの協働、Omega製ムーブメント、Anniversaryの計画・製作分担。

12. Phillips, The Geneva Watch Auction: NINE, lot 34, Grand Complication, 2019年。個別作品の仕様、実売記録、作品一覧。販売者の評価表現と仕様記録は区別。

13. Roger W. Smith, Evolution, 現行年表。初期作品、協働、製作数、2018年受章、2025年シリーズ完成。

14. European Patent Office, Register: EP80301358, 原出願記録。優先日・出願日・公開日・登録公表日。出願公報はEP0018796A2。

15. Philip Wilson Publishers / Bloomsbury, Watchmaking, ISBN 9780856677045、2011年版。出版社紹介、目次、版の書誌。ここでの構成紹介は原著全章の読了に基づく要約ではない。

16. Roger Smithほか, Tributes to Dr George Daniels CBE FBHI 1926–2011, Horological Journal, 2012年1月、特に6–7頁。針と文字盤の製作指導、試作、工房継承の当事者記録。

17. George Daniels, Web of Stories, 28. Working for nearly two years on my first watch, 2003年5月収録、2008年1月24日公開。公開Transcript。ケース製作の指導と初作の工程。

18. George Daniels, Web of Stories, 29. Selling and rebuying my first watch, 2003年5月収録、2008年1月24日公開。公開Transcript。本人が回想する初作売買。

19. Daniels London, The Space Traveller, 日付記載なし。命名と製作の経緯。紹介中の数値・単位には未解消箇所があるため精度保証値へ転用していない。

20. Science Museum, The Space Traveller II, 2019年8月1日。個人所有者からの借用展示。

21. Daniels London, The Grand Complication Watch, 日付記載なし。機構、前後の表示、駆動と報時の仕様。

22. Daniels London, Four-Minute Tourbillon Wristwatch, 日付記載なし。1991年頃の腕時計の具体仕様。

23. George Daniels, Web of Stories, 48. Persuading Omega to take an interest in the co-axial escapement, 2003年5月収録、2008年1月24日公開。公開Transcript。量産化と本人の把握する性能範囲。

24. F.P.Journe, Dîner F.P.Journe en hommage à George Daniels à Londres, 2010年6月24日の会の主催者記録。

25. F.P.Journe, Chronomètre Optimum, calibre 1510, 現行メーカー説明。EBHP機構と製作者の解説。

26. F.P.Journe, Chronomètre à Résonance, calibre 1520, 現行仏語メーカー説明。共振と2000年の腕時計初出。

27. Thames & Hudson, George Daniels: A Master Watchmaker & His Art, Michael Clerizo、2013年3月4日、ISBN 9780500516362。出版社の紹介・書誌。

28. British School of Watchmaking, George Daniels’ Educational Trust — Educational Bursaries, 現行の支援案内。対象分野、課程、応募条件。

29. George Daniels, Web of Stories, 14. Moving from watch repairer to watchmaker, 2003年5月収録、2008年1月24日公開。公開Transcript。除隊、修理職、夜間学習。

30. Worshipful Company of Clockmakers, Past Masters Since 1631, 2023年の公式一覧、第2頁の1980年欄。

31. Worshipful Company of Clockmakers, Tompion Medal, 公式受賞者一覧、第1頁の1980年欄と授賞理由。

32. British Horological Institute, Daniels Millennium Watch Breaks Records, 2021年6月28日。BHI会長とGold Awardの記録。時計の製作数の確定には利用していない。

33. The London Gazette, issue 48837, 12頁・13頁, 1981年12月31日付補遺。MBE Civil Divisionの区分とGeorge Daniels, Horologistの掲載を照合。

34. The London Gazette, issue 59282, Supplement N7, 2009年12月31日。CBE、Dr George Daniels, MBE, Master Watchmaker, 時計学への貢献。

35. Musée international d’horlogerie, Les lauréats, Prix Gaïa, 公式受賞者一覧。2001年George Daniels、Artisanat-création部門。

36. Serge Debrebant, The Final Interview With George Daniels, 2011年9月取材、2021年10月21日再掲載。未完時計についての本人発言。記事の再掲載年と取材年を区別。

37. Sotheby’s, Watches, London 2017, lot 119: G.W. Daniels marine chronometer, 2017年。仕様、製作範囲、Roger Smith寄稿。

38. Sotheby’s, Watches, London 2017, lot 120: Breguet et fils No.3225, 2017年。1968年製、証明書、二例の登録、機構、来歴。

39. Jonathan Betts, Remembering Derek Pratt — A Master of All Times, 2017年11月3日。面識ある時計研究者による寄稿。ダニエルズの一部腕時計への部品製作協力。

40. Science Museum Group / The Clockmakers’ Museum, Prototype wristwatch with a co-axial escapement, by Patek Philippe and George Daniels, L2015-4220 / No.1309。個別試作時計の製作・使用記録。

41. Fondation Haute Horlogerie, George Daniels, 日付記載なし。機関編纂の事典略歴。1982年のマン島移住を記す。

42. Roger W. Smith, George Daniels at 100, 2026年8月19日。本人との交流と未完懐中時計の完成に向けた仕事を記す当事者の回想。