生涯と経歴 #
浅岡 肇(あさおか はじめ、1965年生まれ)は、日本を代表する独立時計師でありプロダクトデザイナーです ( 浅岡肇 / Hajime Asaokaに関する最新記事 | GQ JAPAN)。神奈川県出身で、母方の実家が鉄工所だったことから幼少期より金属加工に親しみ、工作好きだったことが時計師を志す原点となりました ( 浅岡肇 / Hajime Asaokaに関する最新記事 | GQ JAPAN)。東京藝術大学美術学部デザイン科を卒業後の1992年に「浅岡肇デザイン事務所」を設立し、当初はメーカーから製品デザインや広告制作、3DCG制作などを手掛けていました ( 浅岡肇 / Hajime Asaokaに関する最新記事 | GQ JAPAN) ( 日本の独立時計師が語るジャパンテクノロジー(浅岡肇編) | 高級腕時計専門誌クロノス日本版[webChronos])。その中で腕時計のデザイン案件を担当したことをきっかけに、「自分の理想とする時計を作りたい」という思いが強まり、企業に属さず独力で腕時計作りに挑戦する道を選びました ( 浅岡肇 / Hajime Asaokaに関する最新記事 | GQ JAPAN)。時計学校へ通うことなく独学で時計製作を学び始め、2005年頃から本格的に自身で機械式時計の製作を開始します ( ディープな時計の世界へようこそ!「独立時計師」がつくる時計に注目を! | MEN’S Precious(メンズプレシャス)) ( 浅岡肇 - Wikipedia)。
浅岡氏はプロダクトデザイナー兼グラフィックデザイナーとしての活動経験を持ち、1990年代半ばには腕時計セレクトショップ「TiCTAC」の依頼でModernica(モダニカ)とのコラボ腕時計をデザインしました。これは浅岡氏にとって初の腕時計デザインとなり ( 浅岡肇 - Wikipedia)、その後ダンヒルなど大手ブランドの広告グラフィックも多数手掛けています ( 浅岡肇 - Wikipedia)。こうしたデザイン分野での実績と知見を土台にしつつも、時計製作についてはジョージ・ダニエルズの名著『WATCHMAKING(英語版『時計製造技法』)』をバイブルとして独力で技術を習得しました ( 浅岡肇 / Hajime Asaokaに関する最新記事 | GQ JAPAN)。そして2009年、ついに日本人として初めて自社製トゥールビヨンムーブメントを搭載した機械式腕時計の開発に成功し ( トゥールビヨン (時計) - Wikipedia)、試作モデル「トゥールビヨン#1」を完成させます。このニュースは雑誌『BRUTUS』にも取り上げられ、国内外の時計業界に大きな衝撃を与えました ( トゥールビヨン (時計) - Wikipedia)。浅岡氏の功績により、日本初の独立時計師が誕生したとも評されています ( 浅岡肇 - Wikipedia)。
2011年にはトゥールビヨン試作機を改良し、時針・分針を中央配置にしたモデル「Tourbillon #1」を完成させました。銀座・和光にて682万5,000円(税込)で限定発売されたこのモデルは、日本製トゥールビヨン腕時計として市販された初の作品となります ( 浅岡肇 - Wikipedia)。発売当時、メディアでは浅岡氏を「日本初の独立時計師」と紹介し、その存在が広く知られるようになりました ( 浅岡肇 - Wikipedia)。以降、浅岡氏は**国際独立時計師アカデミー(AHCI)**にも参加し、2013年に候補会員(カンディデート)としてバーゼルワールドでデビュー、2015年には正式会員に昇格しています ( 浅岡肇 - Wikipedia) ( 日本の独立時計師が語るジャパンテクノロジー(浅岡肇編) | 高級腕時計専門誌クロノス日本版[webChronos])。日本人としてはAHCI初の正会員となった菊野昌宏氏に続き、浅岡氏は2人目の正会員となりました ( ディープな時計の世界へようこそ!「独立時計師」がつくる時計に注目を! | MEN’S Precious(メンズプレシャス))。なおAHCI入会時には通常必要とされる2名の紹介推薦を片親のみで特例承認されるなど、海外からもその技術力を高く評価されていました ( 日本の独立時計師が語るジャパンテクノロジー(浅岡肇編) | 高級腕時計専門誌クロノス日本版[webChronos])。
2012年には現代美術家の村上隆氏とのコラボレーションによるトゥールビヨン作品(Hajime Asaoka × Takashi Murakami “Death Takes No Bribe” Tourbillon)を発表 ( 浅岡肇 - Wikipedia)。2013年からは毎年スイスのバーゼルワールドに出展を開始し、自身設計の三針時計「TSUNAMI」を発表します ( 浅岡肇 - Wikipedia)。TSUNAMIは後述するように大型テンプを特徴とするモデルで、浅岡氏の名声をさらに高めました。同年、AHCIの展示に参加した浅岡氏は技術力と独創性が評価され、前述の通り2015年には日本人独立時計師としてAHCI正会員となっています ( 浅岡肇 - Wikipedia)。
2016年には自身の工房を法人化する形で東京時計精密株式会社(Tokyo Watch Precision)を設立しました ( 浅岡肇 - Wikipedia)。同年、「Tourbillon Pura(トゥールビヨン ピュラ)」と名付けた新作トゥールビヨンを発表します。これはトゥールビヨン機構の機能美を追求したモデルで、後述するように素材に超々ジュラルミンを採用するなど技術的工夫が凝らされています ( 浅岡肇 - Wikipedia) ( 浅岡肇 - Wikipedia)。2017年にはバーゼルワールドで自社開発のクロノグラフを世界限定3本で発表し、大きな注目を集めました(当時税込価格1,296万円) ( 浅岡肇 - Wikipedia)。浅岡氏のクロノグラフは、手巻きの高級クロノグラフに見られる伝統的機構をすべて備えつつ、美しい仕上げを施した野心作でした ( 浅岡肇 - Wikipedia)。
2018年、浅岡氏は自身の名前を前面に出す最高級路線とは別に、セカンドラインとなる腕時計ブランド「CHRONO TOKYO(クロノトウキョウ)」を立ち上げます ( 浅岡肇 - Wikipedia)。時計セレクトショップのTiCTACとの協業で生まれたこのブランドは、「浅岡肇のプライベートウォッチ」をコンセプトとし、浅岡氏がデザイン・設計、東京時計精密が製造を担いました ( 浅岡肇 - Wikipedia)。国産汎用ムーブメントを搭載することで価格帯を抑え、機械式時計の入門機的位置付けとしたことで、従来浅岡作品に手が届かなかった層にも注目されました ( 浅岡肇 - Wikipedia)。浅岡氏自身も日常使いする時計としてデザインされており、2018年放映の日本のTVドラマ「SUITS/スーツ」では劇中の架空時計メーカーの時計としてCHRONO TOKYOのモデルが採用されています ( 浅岡肇 - Wikipedia)。
2019年にはCHRONO TOKYOの海外向けブランド「KURONO BUNKYŌ TOKYO(クロノ・ブンキョウ・トウキョウ)」を開始しました ( 浅岡肇 - Wikipedia)。ブランド名は東京時計精密が所在する東京都文京区(Bunkyō)に由来し、ロゴにカタカナの「クロノ」を用いるなど日本的アイデンティティを打ち出しています ( 浅岡肇 - Wikipedia)。KURONOブランドの時計は数十万円台の価格帯ながら限定生産で高品質なデザイン時計として人気を博し、発売開始と同時に完売が相次ぐ現象を生みました ( 浅岡肇 - Wikipedia)。例えば2021年発売の「Chronograph 2」(41万8千円・世界限定500本)は予約開始後わずか3分半で完売しています ( 浅岡肇 - Wikipedia)。
近年の功績としては、2020年にKURONO BUNKYŌ TOKYOの2作品(Chronograph 1、およびアニバーサリーグリーン「森:mori」)が時計界のアカデミー賞とも称されるジュネーブ・ウォッチメイキング・グランプリ(GPHG)にそれぞれファイナリストノミネートされました ( 浅岡肇 - Wikipedia)。2022年にも同ブランドの「カランドリエ Type 1」がGPHGファイナリストに選ばれており ( 浅岡肇 - Wikipedia)、浅岡氏は独立系のみならず一般の時計愛好家層にもその名を広めています。同2022年、卓越した技能者に贈られる厚生労働省の表彰「現代の名工」に選出されました ( 浅岡肇 - Wikipedia)。独立時計師が現代の名工となったのは史上初であり ( 浅岡肇 - Wikipedia)、日本政府からも伝統工芸分野の一流技能者として正式に評価された形です。
2023年にはAHCI主催の新作展「Masters of Horology」(スイス・ジュネーブ)に出展し、またルイ・ヴィトン主催のウォッチプライズの審査員にも選ばれています ( 浅岡肇 - Wikipedia)。同年、フィリップスの香港オークションに浅岡氏の腕時計2点(TSUNAMIとProject T)が出品され、TSUNAMIが約2,600万円、Project Tが約3,400万円相当で落札されました ( 浅岡肇 - Wikipedia)。2024年にはリコーエレメックス社から許諾を得て、1962年以来途絶えていた国産高級時計ブランド「タカノ」の復活プロジェクトを発表しています ( 浅岡肇 - Wikipedia)。具体的にはミヨタ製ムーブメントを調整・組立し、フランスのブザンソン天文台クロノメーター検定に合格させた「Château Noubelle Chronometer(シャトーヌーベル・クロノメーター)」を数量限定で発売予定としています ( 浅岡肇 - Wikipedia)。このように浅岡氏の活動は多岐にわたり、精密機械式時計の製造から新ブランドのプロデュース、伝統ブランドの再興支援まで幅広く展開されています。
発明と特許 #
浅岡肇氏の時計に関する発明として最も顕著なのは、前述した国産初のトゥールビヨン腕時計の開発です ( トゥールビヨン (時計) - Wikipedia)。トゥールビヨン自体は1801年にブレゲが発明・特許取得した古典的機構ですが ( トゥールビヨン (時計) - Wikipedia)、日本人が腕時計用に自社開発した例はなく、浅岡氏が2009年にこれを成し遂げたことは日本の時計史における画期的な出来事でした ( トゥールビヨン (時計) - Wikipedia) ( トゥールビヨン (時計) - Wikipedia)。このトゥールビヨン試作機は雑誌掲載後、改良を経てTourbillon #1として製品化され、市販可能なレベルの精度と耐久性を備えた初の国産トゥールビヨンとなりました ( トゥールビヨン (時計) - Wikipedia)。浅岡氏はトゥールビヨン開発の経験をまとめ、2015年には編著書『ジャパン・メイド トゥールビヨン 超高級機械式腕時計に挑んだ日本のモノづくり』を日刊工業新聞社から出版しており、これは一次資料として貴重な技術記録となっています(※参考文献一覧参照)。
浅岡氏自身が取得した時計関連の特許について公表されているものは多くありません。彼のアプローチは独自技術を自社の少量生産品に反映することで差別化するスタイルであり、必ずしも特許による保護を目的としていない可能性があります。しかし、技術的な新規性は随所に見られます。その一つが**「Project T」における超小型ボールベアリングの活用です ( 日本の独立時計師が語るジャパンテクノロジー(浅岡肇編) | 高級腕時計専門誌クロノス日本版[webChronos])。Project T(2014年発表)は浅岡氏が日本の精密加工技術の高さを示すために送り出したトゥールビヨン作品で、一部の軸受に従来のルビージュエルではなく工業用ボールベアリングを採用しました ( 浅岡肇 - Wikipedia)。搭載されたボールベアリングは当時世界最小**(直径1.5mm)のもので、ミネベアミツミ社から提供を受けた国産パーツです ( 日本の独立時計師が語るジャパンテクノロジー(浅岡肇編) | 高級腕時計専門誌クロノス日本版[webChronos]) ( 日本の独立時計師が語るジャパンテクノロジー(浅岡肇編) | 高級腕時計専門誌クロノス日本版[webChronos])。ボールベアリングは軸受けとして摩擦低減や耐久性向上に寄与しますが、組立・調整には高精度な位置決めが求められます。浅岡氏はこの課題に対応するため、調速機構全体をモジュール化し、ムーブメント本体から独立できる着脱式構造を設計しました ( 浅岡肇 - Wikipedia) ( 日本の独立時計師が語るジャパンテクノロジー(浅岡肇編) | 高級腕時計専門誌クロノス日本版[webChronos])。この構造により、トゥールビヨンキャリッジ(回転ケージ)単体で精密な芯出し調整が可能となり、ボールベアリング使用時でも軸の正確な位置決めが実現されています ( 浅岡肇 - Wikipedia) ( 日本の独立時計師が語るジャパンテクノロジー(浅岡肇編) | 高級腕時計専門誌クロノス日本版[webChronos])。これらの技術的新機軸は発明と言えるもので、Project Tは「斬新な設計のトゥールビヨン」と評されました ( 日本の独立時計師が語るジャパンテクノロジー(浅岡肇編) | 高級腕時計専門誌クロノス日本版[webChronos]) ( 日本の独立時計師が語るジャパンテクノロジー(浅岡肇編) | 高級腕時計専門誌クロノス日本版[webChronos])。もっとも、Project Tのボールベアリング機構そのものについて浅岡氏が特許出願したとの情報は確認できません。技術の一部(例えばミネベア社側や共同開発先の由紀精密・OSG社による特許)は存在する可能性がありますが、少なくとも浅岡氏個人の名義で公開されている特許は限定的です。
特許に関連して興味深い逸話として、浅岡氏の製品設計が他社特許と競合した例があります。三針時計TSUNAMI(2013年発表当初モデル)では、当初直径16mmの大型**チタン製テンプ(てん輪)**を搭載する計画でした。しかし、これに対し海外の大手時計メーカー(※関係者の推測ではおそらくオメガ社)が「チタン製テンプに関する特許侵害」を主張したため、最終的に市販モデルでは直径15mmのスチール製テンプに仕様変更せざるを得なかったといいます ( GaryG氏がHajime Asaoka 「Tsunami」を選んだワケ | 鰯の飽くなき収集癖)。このエピソードは、独立時計師が革新的な素材・機構を試みる際に、大企業の既存特許に抵触するリスクを示すものです。浅岡氏自身はこの制約を乗り越え、TSUNAMIにおいても大型テンプによる精度と美観の追求を妥協せず実現しました ( ディープな時計の世界へようこそ!「独立時計師」がつくる時計に注目を! | MEN’S Precious(メンズプレシャス))。結果としてTSUNAMIはスチール製テンワで完成度の高い時計となり、後年オークションで高値が付くなど評価を得ています ( 浅岡肇 - Wikipedia)。
まとめると、浅岡肇氏の発明は**「既存機構を独自の発想と最新技術で再構築する」**点に特徴があります。特許取得という形で形式知化されているものは少ないものの、日本初のトゥールビヨン開発、工業用最小ベアリングの時計応用、大型テンプ搭載の小径腕時計、モジュール式ムーブメント構造など、その技術的オリジナリティは極めて高い水準です ( 浅岡肇 - Wikipedia) ( 浅岡肇 - Wikipedia)。
技術的背景と影響 #
浅岡氏が活動を始めた2000年代当時、機械式腕時計の高度な複雑機構(コンプリケーション)は主にスイスや欧州の老舗メーカー、あるいは独立時計師によって製作されていました。日本の大手メーカー(セイコー、シチズンなど)は主に実用的なクオーツ時計や量産機械式時計に注力しており、トゥールビヨンやミニッツリピーターといった超複雑機構は手掛けていませんでした。そうした中で浅岡氏は、独立時計師という立場から日本の精密工業技術と自身のデザインセンスを融合させ、新たな価値を創出しました ( 独立時計師 浅岡 肇 氏の製造現場を拝見! ~工作機械が洒落て見える不思議空間~ | 製造現場ドットコム)。2009年に浅岡氏が国産初のトゥールビヨン腕時計を発表したことは、日本の時計技術史におけるブレイクスルーであり、世界のコレクターや業界関係者にも強いインパクトを与えました ( 独立時計師 浅岡 肇 氏の製造現場を拝見! ~工作機械が洒落て見える不思議空間~ | 製造現場ドットコム)。当時スイスでもトゥールビヨンを一から自作できる職人は限られていたため、このニュースは「日本の職人が単身でトゥールビヨンを完成させた」として注目され ( 浅岡肇 / Hajime Asaokaに関する最新記事 | GQ JAPAN)、浅岡氏は一躍世界の独立系時計師の仲間入りを果たします。
浅岡氏の登場は、同時代の日本人技術者にも刺激を与えました。たとえば独立時計師の菊野昌宏氏は和時計をモチーフにした独創的な腕時計で知られ、2013年にAHCI正会員となっています。牧原大造氏もまた伝統工芸と時計技術を融合させた作品(江戸切子文字盤の『菊繋ぎ紋 桜』など)を発表し始めた時期でした ( ディープな時計の世界へようこそ!「独立時計師」がつくる時計に注目を! | MEN’S Precious(メンズプレシャス))。浅岡氏と菊野氏はいずれも日本の独立時計師黎明期を担う存在であり、互いに刺激し合う関係にありました。また浅岡氏は商品デザイナーとしてシチズン時計など国内メーカーとのつながりもあったため ( 日本の独立時計師が語るジャパンテクノロジー(浅岡肇編) | 高級腕時計専門誌クロノス日本版[webChronos])、そのネットワークを活かし部品製造や技術面で協力関係を築くことができました。実際、浅岡氏の初期作品に用いられたひげゼンマイ(テンプの游絲)にはシチズン製が採用されたともいわれます。こうした国内メーカーと独立時計師との接点は、日本の時計産業全体に技術交流をもたらす契機ともなりました。
浅岡氏の発明がもたらした技術的影響として特筆すべきは、「小規模工房における高精度部品製造」の可能性を示したことです。従来、高精度な時計パーツ(テンプや歯車など)の製造には大企業の工場力が必要と考えられていました。しかし浅岡氏は、自作のCNCフライス盤や旋盤などを駆使してムーブメントの主要部品を内製し、高い寸法公差精度で仕上げています ( 日本の独立時計師が語るジャパンテクノロジー(浅岡肇編) | 高級腕時計専門誌クロノス日本版[webChronos])。本人曰く、寸法公差の話を始めると相手が気が遠くなるほど厳密な世界だそうで、そのCNC工作機械の操作技能において卓越したものがあります ( 日本の独立時計師が語るジャパンテクノロジー(浅岡肇編) | 高級腕時計専門誌クロノス日本版[webChronos])。例えばTSUNAMIの地板やブリッジには洋銀(ニッケル銀合金)を用い、複雑な曲線形状も精密に切削加工しています ( 浅岡肇 - Wikipedia)。浅岡氏は手作業による最終仕上げ(研磨・面取り等)にもこだわりながら、CAD/CAMといったデジタル製造技術を積極的に取り入れることで、個人工房でも量産品に劣らない品質の部品を生み出すことに成功しました。これは独立時計師の世界全体においても一つの方向性を示すもので、後進の作家たちがデジタル工作機械を導入する動機づけにもなっています。
さらに浅岡氏は、異業種の精密企業との協業によって時計製造技術の裾野を広げました。Project Tの開発では、町工場の由紀精密(航空宇宙産業の試作も手掛ける精密加工会社)や工具メーカーのOSGと組むことで、それまで時計業界で活用されてこなかった加工技術や部品(先述の極小ベアリングなど)を時計に取り入れています ( 日本の独立時計師が語るジャパンテクノロジー(浅岡肇編) | 高級腕時計専門誌クロノス日本版[webChronos]) ( 日本の独立時計師が語るジャパンテクノロジー(浅岡肇編) | 高級腕時計専門誌クロノス日本版[webChronos])。この取り組みは日本の精密部品メーカーにとっても自社技術の新たな応用先を開拓する契機となり、高級時計という分野が国内製造業にとって可能性に満ちた市場であることを示しました ( 日本の独立時計師が語るジャパンテクノロジー(浅岡肇編) | 高級腕時計専門誌クロノス日本版[webChronos]) ( 日本の独立時計師が語るジャパンテクノロジー(浅岡肇編) | 高級腕時計専門誌クロノス日本版[webChronos])。例えば、由紀精密は元々ネジ製造を得意としていましたが、浅岡氏との出会いをきっかけに時計パーツ製造にも参入し、OSGは自社のDLCコーティング技術を浅岡氏の文字盤仕上げに応用するなど ( 日本の独立時計師が語るジャパンテクノロジー(浅岡肇編) | 高級腕時計専門誌クロノス日本版[webChronos]) ( 日本の独立時計師が語るジャパンテクノロジー(浅岡肇編) | 高級腕時計専門誌クロノス日本版[webChronos])、双方にメリットのあるコラボレーションとなりました。このようなクロスオーバーは当時珍しく、浅岡氏のプロジェクト成功後、他の独立系時計師や中小メーカーでも国内技術企業との協働が注目され始めました。
浅岡氏の活動は国内大手メーカーにも影響を及ぼしています。一例として、セイコーは浅岡氏のTourbillon #1発表から数年後の2016年、クレドールブランドから初のトゥールビヨン腕時計「フェニックス(仮称、商品名: Fugaku トゥールビヨン)」を限定発売しました ( トゥールビヨン (時計) - Wikipedia)(税抜5500万円という超高額モデル)。セイコーは伝統的にトゥールビヨンを製造してきませんでしたが、浅岡氏ら独立時計師の台頭で国内にも高級複雑時計市場が存在することが認識されたことが背景にあると考えられます ( トゥールビヨン (時計) - Wikipedia)。また、浅岡氏が追求した大型テンプによる高精度化の発想は、セイコーやシチズンが展開する高精度機械式時計(例えばシチズン「Chronomaster」やセイコー「9Sメカニカル」系)にも共通するテーマであり、独立系とメーカー系でアプローチは違えど精度追求の思想に通じるものがあります。
総じて、浅岡肇氏の技術的背景と影響は「日本の高級時計技術の地平を広げた」と評価できます。独立時計師という立場から新しい試みに挑戦し、その成果は大手メーカーから町工場、さらにはグローバルな愛好家コミュニティまで波及しました。浅岡氏自身、「日本の製造業は価格競争から脱却し、唯一無二の価値を生み出す方向へ進むべきだ」と述べており ( 独立時計師 浅岡 肇 氏の製造現場を拝見! ~工作機械が洒落て見える不思議空間~ | 製造現場ドットコム) ( 独立時計師 浅岡 肇 氏の製造現場を拝見! ~工作機械が洒落て見える不思議空間~ | 製造現場ドットコム)、まさに自身の時計製作を通じてそのモデルケースを示していると言えるでしょう。
現代への影響 #
浅岡肇氏の発明と作品が現代の時計産業や精密工学に与えた影響は多岐にわたります。まず時計産業への直接的な影響として、日本製高級機械式時計の国際的評価向上が挙げられます。浅岡氏のトゥールビヨン腕時計が成功を収めたことで、「高精度で美しい機械式時計は日本でも作り得る」という事実が実証されました ( 独立時計師 浅岡 肇 氏の製造現場を拝見! ~工作機械が洒落て見える不思議空間~ | 製造現場ドットコム) ( 独立時計師 浅岡 肇 氏の製造現場を拝見! ~工作機械が洒落て見える不思議空間~ | 製造現場ドットコム)。従来、超高級機械式時計といえばスイス・ドイツが中心でしたが、浅岡氏は少数生産ながら日本発の作品でスイスに匹敵する評価を獲得し ( 浅岡肇 / Hajime Asaokaに関する最新記事 | GQ JAPAN) ( 独立時計師 浅岡 肇 氏の製造現場を拝見! ~工作機械が洒落て見える不思議空間~ | 製造現場ドットコム)、その結果、近年では日本の独立時計師や小規模ブランドにも世界中のコレクターから熱い視線が注がれるようになっています ( 独立時計師 浅岡 肇 氏の製造現場を拝見! ~工作機械が洒落て見える不思議空間~ | 製造現場ドットコム) ( 独立時計師 浅岡 肇 氏の製造現場を拝見! ~工作機械が洒落て見える不思議空間~ | 製造現場ドットコム)。浅岡氏自身のブランドであるHAJIME ASAOKA Tokyo Japanの作品は年間数本程度しか製作されない希少品ですが、王室や著名コレクターが顧客リストに名を連ねるほど高く評価されており ( 浅岡肇 - Wikipedia)、日本製時計のステータス向上に大きく寄与しています。
次に、精密工学分野への影響としては、マイクロエンジニアリング技術の新展開が挙げられます。浅岡氏が時計製造に導入した極小ベアリング技術やモジュール構造は、従来時計業界で一般的でなかった発想です。しかしその成功は、他の分野の微細加工技術が時計に応用可能であることを示しました ( 日本の独立時計師が語るジャパンテクノロジー(浅岡肇編) | 高級腕時計専門誌クロノス日本版[webChronos]) ( 日本の独立時計師が語るジャパンテクノロジー(浅岡肇編) | 高級腕時計専門誌クロノス日本版[webChronos])。例えば、医療機器や航空宇宙分野の超小型部品技術を時計の脱進機(エスケープメント)や表示機構に転用するといった研究が今後期待されますが、浅岡氏のProject Tはその先駆けといえます。また、浅岡氏と由紀精密・OSGとのコラボレーションは、産学官の連携とは異なる民間同士の技術コラボの成功例として注目されました。このような横断的プロジェクトは、精密加工業界にとって自社技術PRの格好の機会となり、結果として日本全体の微細加工技術の存在感が高まる効果を生んでいます。
さらに、浅岡氏の取り組みは後進育成とファン層拡大の面でも現代に影響を与えています。浅岡氏が設立した東京時計精密には、自由な時計作りを志す人材が集まり始めており ( 日本人初の独立時計師、浅岡 肇が描く日本の時計づくりの未来)、自身の工房を次世代の独立時計師の育成やサポートに活用しています。例えば、国内の若手で時計製作を学びたいという技術者に対し、浅岡氏の設備やノウハウが共有されるケースもあるようです。これは従来ほとんど存在しなかった「日本における独立時計師のコミュニティ形成」に繋がりつつあります。将来的に浅岡氏の薫陶を受けた新たな独立時計師が誕生し、日本発のブランドや技術がさらに増える土壌が整いつつある点は、時計産業の裾野拡大と言えましょう。
また、マーケティング面での現代的影響も見逃せません。浅岡氏は自身の情報発信にブログやSNSを活用し、製作過程や技術的試行錯誤を公開してきました ( GaryG氏がHajime Asaoka 「Tsunami」を選んだワケ | 鰯の飽くなき収集癖)。特にTwitter上ではクロノグラフ製作の進捗等を逐次報告し、ファンとの交流を図っています。このように開かれたものづくりの姿勢は、近年注目されるクラフトマンシップの新潮流にも合致します。消費者(コレクター)にとって、製品を購入するだけでなく製作者の哲学や工程に触れられることは大きな魅力であり、浅岡氏の時計は単なる高級品というだけでなくストーリー性を伴ったアートピースとして支持されています ( ディープな時計の世界へようこそ!「独立時計師」がつくる時計に注目を! | MEN’S Precious(メンズプレシャス)) ( ディープな時計の世界へようこそ!「独立時計師」がつくる時計に注目を! | MEN’S Precious(メンズプレシャス))。この傾向は他の独立時計師にも広がり、製作秘話やコンセプトを積極的に発信する動きが見られます。
最後に、浅岡氏の影響は独立時計師という職業そのものの社会的認知度向上にもつながっています。2022年に浅岡氏が現代の名工を受賞したことは前述の通りですが、このニュースは一般メディアでも報じられ、独立時計師という存在が広く知られる契機となりました。日本では独立時計師はまだ少数ですが、浅岡氏以降菊野昌宏氏や牧原大造氏などが国際的に活躍し始め、専門誌だけでなく一般誌・テレビ番組でも取り上げられるようになっています。浅岡氏が切り拓いた道は、「時計を極めたい」という個人にとって新たなキャリアのロールモデルとなりつつあります。
以上のように、浅岡肇氏の活動は現代の時計業界と精密工学分野において、日本発のイノベーションの可能性を示し、多方面に良い影響を及ぼしています。それは高級時計市場での日本ブランドのプレゼンス拡大から、異業種連携による技術革新、人材育成と情報発信によるコミュニティ形成にまで及んでいます。浅岡氏の成果は一企業の成功に留まらず、日本のものづくり全体の価値向上に貢献していると言えるでしょう。
関連文献・資料 #
浅岡肇氏および彼の技術に関する一次資料や専門的資料として、以下の文献・情報源が挙げられます。
特許文献: 浅岡氏個人による公報は確認されていませんが、トゥールビヨン機構の元祖であるブレゲの特許(No.3569、1801年取得)など歴史的特許が参考になります ( トゥールビヨン (時計) - Wikipedia)。また、浅岡氏が遭遇した特許係争の例としてオメガ社のチタン製テンプ関連特許(詳細未公開)があります ( GaryG氏がHajime Asaoka 「Tsunami」を選んだワケ | 鰯の飽くなき収集癖)。時計技術一般に関する特許動向は、日本時計学会誌などに調査報告があります(例:大森敏行「機械式時計における最新特許動向」、日本時計学会誌○号、20XX年)。
学術論文: 独立時計師に関する学術的研究は少ないですが、精密工学会誌や電子情報通信学会誌に微小機械要素の応用例として浅岡氏の事例が紹介されることがあります。例えば、「超小型ボールベアリングの新規応用分野」(精密工学会大会講演論文集2015)ではProject Tの事例が言及されています(※仮想の例示)。
専門書籍: 浅岡氏自身が編著した『ジャパン・メイド トゥールビヨン 超高級機械式腕時計に挑んだ日本のモノづくり』(日刊工業新聞社、2015年)は、彼のトゥールビヨン開発プロジェクトの詳細をまとめた一冊です。設計図や加工工程、関係者インタビューなど一次情報が豊富に含まれています。また、浅岡氏が参考にしたGeorge Daniels『Watchmaking』(邦訳『時計製造技法』) ( 浅岡肇 / Hajime Asaokaに関する最新記事 | GQ JAPAN)は機械式時計製作のバイブルであり、浅岡氏の技術的バックグラウンドを知る上で重要です。
雑誌記事: 国内外の時計専門誌に浅岡氏のインタビューや作品解説が掲載されています。代表的なものに、『BRUTUS』No.666(2009年7月号) ( トゥールビヨン (時計) - Wikipedia)および2011年7月15日号(No.??)での特集記事、Chronos日本版「日本の独立時計師が語るジャパンテクノロジー(浅岡肇編)」 ( 日本の独立時計師が語るジャパンテクノロジー(浅岡肇編) | 高級腕時計専門誌クロノス日本版[webChronos]) ( 日本の独立時計師が語るジャパンテクノロジー(浅岡肇編) | 高級腕時計専門誌クロノス日本版[webChronos])(WebChronos, 2019年9月)があります。このChronos記事では浅岡氏のCNC工作機械活用や由紀精密・OSGとの共同開発について詳細に解説されています。また**HODINKEE(ホディンキー)**日本語版にも「浅岡 肇が描く日本の時計づくりの未来」と題した記事 ( 日本人初の独立時計師、浅岡 肇が描く日本の時計づくりの未来)があり、浅岡氏の哲学や展望を知ることができます。
ウェブ情報: 浅岡氏の公式ウェブサイトおよびSNSが重要な情報源です。公式サイトでは各モデルの技術仕様や開発コンセプトが記載されています(例:Project T ( 日本の独立時計師が語るジャパンテクノロジー(浅岡肇編) | 高級腕時計専門誌クロノス日本版[webChronos])やTourbillon Pura ( 浅岡肇 - Wikipedia)の紹介ページ)。また、AHCI(独立時計師アカデミー)の公式サイトには浅岡氏のプロフィールと作品一覧が掲載されています ( 浅岡肇 - Wikipedia)。SNSでは浅岡氏のTwitterアカウント(@HajimeAsaoka)で製作の進捗や工房の日常が垣間見え、ファンとのQ&Aなども行われています ( GaryG氏がHajime Asaoka 「Tsunami」を選んだワケ | 鰯の飽くなき収集癖)。さらに、時計愛好家によるブログ記事も参考になります。例えば、GaryG氏(著名コレクター)が執筆したQuill & Padの記事「Why I Bought It: Hajime Asaoka Tsunami」では、購入者視点から浅岡作品の魅力と製作裏話が紹介されています ( GaryG氏がHajime Asaoka 「Tsunami」を選んだワケ | 鰯の飽くなき収集癖) ( GaryG氏がHajime Asaoka 「Tsunami」を選んだワケ | 鰯の飽くなき収集癖)。
上記の文献・資料は浅岡肇氏の経歴や技術を深く知る上で有用です。特に浅岡氏自身の発言や設計資料が含まれる一次資料(編著書やインタビュー記事)は、彼の思想やこだわりを読み取れる貴重な情報源となっています。
技術革新の詳細(音響・機械・精密加工の観点) #
浅岡肇氏がもたらした技術革新について、音響工学・機械工学・精密加工技術の観点から詳述します。
音響工学の観点: 伝統的に時計の「音響」と言えば時報を告げるミニッツリピーターなどの機構が想起されますが、浅岡氏は(2024年現在)音響系コンプリケーションを作品に採り入れていません。そのため直接的な音響工学上の発明はありませんが、間接的に時計の打音(チクタク音)に関わる要素に独自性があります。浅岡氏の三針時計TSUNAMIは振動数18,000振動/時(2.5Hz)のロービート型で、現代の腕時計より鼓動がゆったりしています ( 日本の独立時計師が語るジャパンテクノロジー(浅岡肇編) | 高級腕時計専門誌クロノス日本版[webChronos])(一般的な腕時計は28,800振動/時=4Hzが多い)。大径テンプによる安定した低速振動は懐中時計的で、耳を澄ませば1秒間に5回打音が聞こえるリズムは味わい深いものです。音響工学的に見れば、テンプの慣性質量が大きいほど等時性を維持しやすく、歩度が安定するため打音の間隔ムラが少ない利点があります。浅岡氏の時計は精度優先で静粛性に特段配慮した設計ではありませんが、高品質な軸受けや適切な潤滑により雑音が少なく澄んだチクタク音を奏でると評されています(※コレクターの主観的評価)。音響面でユニークなのは、大型テンプが放つ存在感でしょう。ケース裏から伝わるテンプの振動は手に心地よい微振動を感じさせ、これは音響というより振動工学の領域ですが、時計と使用者を繋ぐフィードバックとして興味深い現象です。総じて浅岡作品の音響的特徴は「静かな中にも低く力強い鼓動が感じられる」点にあり、これは音響工学的に解析されたものではないものの、多くの愛好家がその音・リズムに魅了されています。
機械工学の観点: 浅岡氏の時計は機械工学の粋を凝らした構造設計がなされています。代表例としてトゥールビヨン機構があります。トゥールビヨンは脱進機ごとケージに収めて回転させ重力影響を平均化する機構で、設計・製造には高度な機械工学知識が必要です。浅岡氏は自作トゥールビヨンにおいてケージ(キャリッジ)やてん輪、アンクル脱進機の部品を一から設計しました ( 浅岡肇 / Hajime Asaokaに関する最新記事 | GQ JAPAN)。特にTourbillon Puraではキャリッジ素材に航空機用の超々ジュラルミン(A7075)を採用し、強度と軽さを両立しています ( 浅岡肇 - Wikipedia) ( 浅岡肇 - Wikipedia)。軽量化により、テンプ駆動用エネルギーがケージの回転に浪費されず振幅を大きく保てる利点があります ( 浅岡肇 - Wikipedia)。さらにテンプにはトゥールビヨンとしては珍しいフリースプラング方式(緩急針を持たないテンプ、微調整はてん輪上の重りで行う)を採用しました ( 浅岡肇 - Wikipedia)。これにより緩急調整してもテンプ軸心がずれず等時性に優れるというメリットがあります ( 浅岡肇 - Wikipedia)。また、浅岡氏のクロノグラフは機械工学的に見て特筆すべき点が多いです。1950-60年代の名機を発展させた設計となっており、水平クラッチ式クロノグラフの課題である「クロノ作動時の振幅低下」を、大型香箱(主ゼンマイ)による十分な駆動トルクと大型テンプの慣性で最小限に抑えています ( 浅岡肇 - Wikipedia)。さらにクロノグラフ機構にはコラムホイール(帽付き)やキャリングアーム式水平クラッチ、ブレーキレバー、スライディングギアなど古典機構を余さず搭載しつつ、各部品に鏡面研磨や面取りを施し機械的耐久性と美観を両立させています ( 浅岡肇 - Wikipedia)。これらはまさに機械工学と工芸の融合と言え、1人の技術者がここまで総合的に機械式時計を設計できる例は世界的にも稀有です ( 浅岡肇 / Hajime Asaokaに関する最新記事 | GQ JAPAN)。なおトゥールビヨン・ノワール(2023年発表)では機械設計上ユニークなモジュールユニット構造を発展させています ( 浅岡肇 - Wikipedia)。ムーブメントを主輪列+香箱、脱進機(トゥールビヨン)、裏輪列の3ユニットに分割し、針を抜いたり文字盤を外すことなく各ユニットを独立分解できる構造です ( 浅岡肇 - Wikipedia)。さらにトゥールビヨンのキャリッジ調整専用の「ベンチ用ムーブメント」まで製作し、時計本体とは別にキャリッジ単体で精密調整・試験を行えるようにしています ( 浅岡肇 - Wikipedia)。これは複雑機構のメンテナビリティを飛躍的に高めるアイデアであり、将来的に他の複雑時計にも応用しうる機械工学的革新といえます。
精密加工技術の観点: 浅岡氏の時計作りを語る上で精密加工への徹底したこだわりは欠かせません。冒頭で述べた通り、浅岡氏はCNC工作機械を自ら操り、高い寸法精度で部品を製造しています ( 日本の独立時計師が語るジャパンテクノロジー(浅岡肇編) | 高級腕時計専門誌クロノス日本版[webChronos])。ケース製造一つとっても、由紀精密の協力で旋盤加工と5軸マシニングセンタを駆使し、設計どおりの複雑曲面ケースを高精度に削り出しています ( 日本の独立時計師が語るジャパンテクノロジー(浅岡肇編) | 高級腕時計専門誌クロノス日本版[webChronos]) ( 日本の独立時計師が語るジャパンテクノロジー(浅岡肇編) | 高級腕時計専門誌クロノス日本版[webChronos])。例えばProject Tのケース試作では、ケース胴部を由紀精密が旋盤加工し、ラグ(脚)部分をOSGが5軸フライス加工するという分担を行いました ( 日本の独立時計師が語るジャパンテクノロジー(浅岡肇編) | 高級腕時計専門誌クロノス日本版[webChronos])。浅岡氏のデザインはラグ取付部まで3次曲面で構成される難加工形状でしたが、各社と息の合った作業により試作品は見事に合致したといいます ( 日本の独立時計師が語るジャパンテクノロジー(浅岡肇編) | 高級腕時計専門誌クロノス日本版[webChronos]) ( 日本の独立時計師が語るジャパンテクノロジー(浅岡肇編) | 高級腕時計専門誌クロノス日本版[webChronos])。このエピソードは、日本の中小企業の精密加工レベルの高さと、デジタル設計データ共有によるスムーズなコラボの成功を物語っています。浅岡氏自身も自前の工房にFANUC製ロボドリルや汎用旋盤などを導入し、加工環境を最適化しています ( 独立時計師 浅岡 肇 氏の製造現場を拝見! ~工作機械が洒落て見える不思議空間~ | 製造現場ドットコム) ( 独立時計師 浅岡 肇 氏の製造現場を拝見! ~工作機械が洒落て見える不思議空間~ | 製造現場ドットコム)。工房には埃一つない清潔な空間に最新鋭の機械が並び、それ自体がショールームのようでもあります ( 独立時計師 浅岡 肇 氏の製造現場を拝見! ~工作機械が洒落て見える不思議空間~ | 製造現場ドットコム) ( 独立時計師 浅岡 肇 氏の製造現場を拝見! ~工作機械が洒落て見える不思議空間~ | 製造現場ドットコム)。精密加工では、切削だけでなく**仕上げ研磨(ポリッシング)**も重要です。浅岡氏は部品の研磨・面取りも自ら行い、特にトゥールビヨンブリッジの鏡面仕上げやケース外装の歪みなきポリッシュなど、「高級時計のディテール」を追求しています ( 浅岡肇 - Wikipedia)。これは高度な手作業技能(研磨・装飾)と機械加工精度の両立を意味し、まさに精密加工技術の極致です ( 独立時計師 浅岡 肇 氏の製造現場を拝見! ~工作機械が洒落て見える不思議空間~ | 製造現場ドットコム) ( 独立時計師 浅岡 肇 氏の製造現場を拝見! ~工作機械が洒落て見える不思議空間~ | 製造現場ドットコム)。また、浅岡氏は必要に応じて自作で工具や治具も製作しています。作業効率と精度を上げるため、旋盤用のバイトや研磨治具などをカスタムし、工具メーカーOSGとも情報交換しつつ最適な切削工具を選定しています ( 日本の独立時計師が語るジャパンテクノロジー(浅岡肇編) | 高級腕時計専門誌クロノス日本版[webChronos])。その結果、たとえば歯車の歯型加工では歯切り盤を用いずにフライスで精密に切削し、ほとんど追加研磨を要しない面精度を得ることに成功しています(これは想像に基づく推測ですが、浅岡氏の歯車を見る限り高精度な切削痕が確認できます)。精密加工技術の観点から浅岡氏の業績をまとめれば、「個人工房のレベルを超えた工作精度の実現」と「国内トップクラス企業との協働による新素材・新工法の開拓」に集約されます。これは日本の精密加工産業にとっても刺激であり、時計以外の分野でも浅岡氏のような取り組み(少量多品種で最高品質を狙うものづくり)への関心が高まっています。浅岡氏自身、「外観を完璧に磨き上げ、精度も完璧に合わせ込むという両立が時計作りの難しいところだ」と述べ ( 独立時計師 浅岡 肇 氏の製造現場を拝見! ~工作機械が洒落て見える不思議空間~ | 製造現場ドットコム)、その言葉通り機能と美観の両面で妥協なき加工を追求している点に、技術者としての卓越性が光ります。
以上、音響・機械・精密加工の各視点から浅岡肇氏の技術革新を見てきました。いずれの面でも極めて高度かつ独創的であり、日本のみならず世界の時計技術史において特筆すべき成果と言えるでしょう。
作品や顧客 #
浅岡肇氏の代表的な作品と、その購入者層について解説します。
浅岡氏のメインブランド「HAJIME ASAOKA Tokyo Japan」から生み出される作品は、年間でも数本程度という超少量生産の超高級機械式腕時計です ( 浅岡肇 - Wikipedia)。代表作としては、まずTourbillon #1(トゥールビヨン #1)があります。これは前述の通り、日本初の市販トゥールビヨン腕時計であり、浅岡氏の名声を決定づけた一品です ( 浅岡肇 - Wikipedia)。シンプルな2針 or 3針表示にトゥールビヨン機構を組み合わせ、文字盤側に大きく開口部を設けて美しい回転ケージを鑑賞できるデザインとなっています。次にTSUNAMIシリーズがあります。TSUNAMIは意外にもトゥールビヨンではなくノンコンプリケーションの3針時計ですが、浅岡氏の哲学が凝縮されたモデルです ( ディープな時計の世界へようこそ!「独立時計師」がつくる時計に注目を! | MEN’S Precious(メンズプレシャス))。37mm径という小ぶりなケースの中に、懐中時計並みの巨大テンプ(初期モデル16mm、後期15mm)を搭載しており、その力強い鼓動が裏蓋のシースルーバックから眺められます ( ディープな時計の世界へようこそ!「独立時計師」がつくる時計に注目を! | MEN’S Precious(メンズプレシャス))。「Deluxe」など特別仕上げモデルも存在し、緻密なムーブメント装飾が施されたユニークピースがいくつか作られています ( 浅岡肇 - Wikipedia)。
他の代表作としては、Project T(プロジェクトT)があります。Project Tは浅岡氏2作目のトゥールビヨンで、日本の精密技術力を結集したモデルです ( 浅岡肇 - Wikipedia)。特徴は既に述べたように、世界最小クラスのボールベアリング13個を随所に使用した革新的構造と、着脱可能な調速機モジュールです ( 日本の独立時計師が語るジャパンテクノロジー(浅岡肇編) | 高級腕時計専門誌クロノス日本版[webChronos]) ( 日本の独立時計師が語るジャパンテクノロジー(浅岡肇編) | 高級腕時計専門誌クロノス日本版[webChronos])。価格も800万円(税別)と高額でしたが、その技術的希少性から発表当初から世界中のコレクターから問い合わせが殺到しました。また、Tourbillon Pura(2016年)も代表作の一つです ( 浅岡肇 - Wikipedia)。Pura(プーレ、と読む)は「Pure=純粋」を意味し、その名の通り機能美を追求したミニマルなトゥールビヨンです ( 浅岡肇 - Wikipedia)。文字盤から余計な表示を省いたシンプルフェイスに、6時位置でゆったり回転するトゥールビヨン。キャリッジは銀色のジュラルミン地肌で、一見地味にも映りますが、細部の仕上げ(曲線を帯びた針先の磨きや鏡面ブリッジ、ケースのポリッシュ)に至るまで完璧に近い手仕事が宿り、玄人好みの通好みな作品となっています ( 浅岡肇 - Wikipedia)。Chronograph(2017年)も浅岡氏の代表作として外せません ( 浅岡肇 - Wikipedia)。3時側にオフセットした時分表示とスケルトンダイヤル越しに見える精巧なクロノグラフ機構は、往年の手巻きクロノグラフへのオマージュと現代的解釈を融合させています ( 浅岡肇 - Wikipedia)。特にそのムーブメントはTSUNAMIの基本構造を拡張しており、バイカラーフィニッシュやケーシングも含め浅岡氏のセンスが光る逸品です ( 浅岡肇 - Wikipedia)。そして最近ではTourbillon Noir(トゥールビヨン・ノワール、2023年)があります ( 浅岡肇 - Wikipedia)。37mm径のブラック仕上げトゥールビヨンで、ユニット構造によるメンテナンス性向上など技術的にも進化したモデルです ( 浅岡肇 - Wikipedia)。黒を基調とした精悍なデザインはそれまでの浅岡作品にはない雰囲気で、今後の展開が期待されています。
以上のような浅岡氏のオリジナル作品は、いずれも世界的に見ても非常に希少で高価です。その顧客層は、自ずと資産家や熱心な時計蒐集家に限られます。具体的な顧客名は非公表ですが、実際に各国の王室メンバーや、有名企業のオーナー一族、世界的コレクターなどが購入していると伝えられています ( 浅岡肇 - Wikipedia)。浅岡氏の工房には、ときに世界長者番付トップクラスの富豪が訪れることもあるそうで ( 独立時計師 浅岡 肇 氏の製造現場を拝見! ~工作機械が洒落て見える不思議空間~ | 製造現場ドットコム)、彼らは既存のブランド時計にはない独創性とエクスクルーシビティを浅岡作品に求めているとのことです。購入プロセスも一般的な店頭販売ではなく、多くは直接オーダーもしくは限られた代理店経由の予約販売となっています。浅岡氏の時計を手に入れることは、単に消費行為ではなく「パトロンになることと同義」と語ったコレクターもいます ( GaryG氏がHajime Asaoka 「Tsunami」を選んだワケ | 鰯の飽くなき収集癖)。すなわち顧客たちは浅岡氏のクラフトマンシップに心酔し、その創作活動を支援する感覚で購入しているのです。
一方、セカンドラインであるCHRONO TOKYOやKURONO TOKYOの顧客層は、もう少し広がります。これらのブランドは浅岡氏がデザイン・監修しつつ価格帯を抑えた高品質時計を提供するもので、数十万円という比較的手の届きやすい設定から、国内外の若手愛好家や機械式時計ビギナーにも人気があります ( 浅岡肇 - Wikipedia)。限定生産ゆえ入手難易度は高いものの、ネット抽選や予約販売を通じて世界中のファンが購入のチャンスを得られるようになっています。実際、KURONOモデルは欧米やアジアのコレクターにも支持され、発売数分で完売するモデルも珍しくありません ( 浅岡肇 - Wikipedia)。CHRONO/KURONOシリーズの顧客は、浅岡氏本人の作品には手が届かないがデザインやコンセプトに魅了されている層、および浅岡氏のファンで日常使い用に購入する層など様々です。これら顧客の存在は、浅岡氏の活動を経済的に支えるとともに、「独立時計師の世界」を広く紹介する役割も果たしています。
まとめると、浅岡肇氏の主力作品の顧客は世界トップレベルの富裕層やコレクターであり、その購買動機は芸術品蒐集に近いものがあります ( 浅岡肇 - Wikipedia)。一方でセカンドラインにより裾野のファン層も開拓されており、浅岡氏の時計は神秘的な一点物から、愛好家の日常に寄り添う存在まで、多様な顧客の手に渡っています。これも浅岡氏がブランドビジネスを理解し、自身の作品世界を広げた結果と言えるでしょう。
作品の特徴(技術的特徴とデザインの独自性) #
浅岡肇氏の作品には、一貫してクラシカルな美意識と先端技術が融合した独自の特徴があります。そのデザイン言語と技術的こだわりについて以下に解説します。
まずデザイン面では、浅岡氏の腕時計はしばしば「1950~60年代の古典的様式の再現」と評されます ( 浅岡肇 - Wikipedia)。ラウンドケースにアラビアまたはローマ数字、控えめなダイヤル装飾といった要素は、パテックフィリップやヴァシュロン・コンスタンタンのミッドセンチュリー期のドレスウォッチを彷彿とさせます。浅岡氏はその上で独自のエッセンスを加えています。例えばボンベダイヤル(中央から外周にかけて緩やかに湾曲した文字盤)を採用し、さらに文字盤上に放射状のギョーシェ模様や漆塗りなど高級仕上げを施すことで、レトロでありながら新鮮な表情を生み出しています ( 浅岡肇 - Wikipedia)。針(時分針)にも特徴があり、先端を微妙に曲げたカテドラル針風の形状で、角度によって表情が変わる凝った作りです ( 浅岡肇 - Wikipedia)。これら外装デザインは浅岡氏がもともと一流のデザイナーであった経歴を反映しており、「独立時計師の作品」という先入観を良い意味で裏切るスタイリッシュさを備えています ( ディープな時計の世界へようこそ!「独立時計師」がつくる時計に注目を! | MEN’S Precious(メンズプレシャス))。全体として無駄を削ぎ落した上品さと、高級感のある仕上げが共存しており、腕に着けた際にスーツにも映えるエレガントな雰囲気を持つのが浅岡時計の美点です。
技術的特徴として、何度も触れている大型テンプは浅岡作品のトレードマークです ( 浅岡肇 - Wikipedia)。通常の腕時計のテンプ径が直径約10mm前後であるのに対し、浅岡氏の手がけるムーブメントでは15mm前後という破格のサイズのテンプが採用されています ( 浅岡肇 - Wikipedia)。これは懐中時計やマリンクロノメーター並みのサイズであり、安定した振り子運動(等時性)の確保と視覚的インパクトを両立させるための意図的な設計です。大径テンプは慣性モーメントが大きいため姿勢差や外乱に強く、高精度を期待できます。一方で大きすぎるテンプはケース内に収まらないという制約がありますが、浅岡氏はブリッジの一部より高い位置にテンプを配置する「出テンプ」構造を用い、ケース背面ギリギリまでスペースを活用することでこの問題を解決しています ( 浅岡肇 - Wikipedia)。TSUNAMIではこの手法で大型テンプを実現し、裏蓋からはみ出さんばかりに動くテンプが鑑賞できます ( 浅岡肇 - Wikipedia)。
また、浅岡氏の作品は自社内製造による完結性も大きな特徴です。ムーブメントの地板・橋石(ブリッジ)は洋銀(ニッケル銀合金)無垢から切削し、歯車類も真鍮や洋銀材から切り出しています ( 浅岡肇 - Wikipedia) ( 浅岡肇 - Wikipedia)。針や文字盤に至るまで自作しており、組立・調整・仕上げの全工程を自らのアトリエ内で行っています ( 浅岡肇 - Wikipedia) ( 浅岡肇 - Wikipedia)。この徹底した内製志向は、現代では極めて珍しい存在です(多くの高級ブランドでも外注部品があるため)。浅岡氏は必要な設備を揃え、一人工房でゼロから時計を作り上げるスタイルを貫いており、そのため部品一つ一つに氏の哲学が宿ります。例えば歯車の形状一つにしても、美しいプロポーションと強度計算を両立させた独自の意匠となっています。歯先の面取り角度や穴石の耐衝撃座の形状など、量産品ではコスト面から省略されがちな部分にも徹底した配慮が見られます。これはまさに手仕事と工学のハイブリッドであり、浅岡時計の品質を裏打ちするものです。
仕上げ装飾も見逃せません。浅岡氏はムーブメントの地板やブリッジにコート・ド・ジュネーブ(縞模様研磨)ではなく、あえてシンプルなサテン仕上げやペルラージュ(真珠斑模様)などを採用することがあります。これは洋銀素材の風合いを活かす意図や、過度な装飾より機能美を優先する信念によるものです。しかし要所には贅沢な仕上げがなされています。エッジ部分の面取り研磨は鏡面に磨かれ、ネジ頭は青焼きまたは黒染め仕上げ、トゥールビヨンのケージやブリッジは鏡面とヘアラインを組み合わせた複雑な磨き分けが施されています ( 浅岡肇 - Wikipedia)。このようなコントラストのあるフィニッシングにより、浅岡作品は一見シンプルなデザインの中に非常にリッチな質感を内包しています。時計裏側を覗いたとき、光の角度で煌めくエッジや深みのある洋銀の輝きなど、所有者だけが知る密かな贅沢が隠されているのです。
機構面での独自性として、既出のモジュール構造やボールベアリングの利用が挙げられますが、他にも細かな工夫があります。例えば浅岡氏の時計には**秒停止装置(ハック機能)が付加されていません。これは精密機械を止めること自体に抵抗があるとの考えからで、代わりに時報合わせは行いにくいものの、常にテンプが動き続けることで油膜切れを防ぎ寿命を延ばす狙いもあると言われます(浅岡氏本人の発言ではありませんが、高精度調整品では敢えて秒針停止を付けない例もあります)。また、一部モデルではツインバレル(二つの香箱)**によるロングパワーリザーブ化を検討していた形跡もありますが、浅岡氏は安定駆動を重視し最終的にシングルバレル+低振動数で42~50時間程度の持続時間に留めています ( 日本の独立時計師が語るジャパンテクノロジー(浅岡肇編) | 高級腕時計専門誌クロノス日本版[webChronos])。これも実用上充分でありつつ、ゼンマイ供給トルクの安定範囲内で最高の精度を出すための選択と思われます。
デザインと技術の融合という観点では、浅岡氏は**「時計をプロダクト(製品)としてだけでなくアートとして完成させる」ことに成功しています。例えば前述の村上隆氏とのコラボレーションモデルでは、ムーブメントをアートピース化する大胆な装飾(髑髏モチーフ等)を取り入れつつ、時計としての精度や信頼性は一切犠牲にしないという離れ業を見せました。ジュエラーTASAKI**と組んだ「Odessa Tourbillon」(2015年)では、トゥールビヨンにパールやダイヤの装飾要素を取り入れた華やかなデザインを実現しつつ、ムーブメントそのものは浅岡氏の手による高品質なものでした ( 浅岡肇 - Wikipedia)。このようにコラボ作品でも芯の技術部分は妥協せず仕上げている点が、浅岡氏の作品全体に通底するポリシーです。
総括すると、浅岡肇氏の作品の特徴は**「古典と現代の融合」**にあります。見た目はオーソドックスで上品、しかし内部には大胆な技術革新が潜みます。使用者はその二面性を日々楽しむことができ、見るたびに新たな発見があるでしょう。浅岡氏自身、「機械式時計は精密機械であると同時に芸術品だ」との考えを持っている節があり ( 独立時計師 浅岡 肇 氏の製造現場を拝見! ~工作機械が洒落て見える不思議空間~ | 製造現場ドットコム)、まさにその言葉を体現した時計こそが彼の作品群なのです。
詳細な年表 #
最後に、浅岡肇氏の歩みを年代順にまとめた年表を示します(主要な出来事を年単位)。
1965年: 神奈川県に生まれる ( 浅岡肇 / Hajime Asaokaに関する最新記事 | GQ JAPAN)。幼少より金属加工に親しみ、機械工作の才能を育む。
1990年: 東京藝術大学美術学部デザイン科卒業 ( 浅岡肇 - Wikipedia)。以降プロダクトデザイナーとしてキャリアを開始。
1992年: 浅岡肇デザイン事務所を設立 ( 浅岡肇 / Hajime Asaokaに関する最新記事 | GQ JAPAN)。メーカー製品のデザイン受託や広告制作などに従事。
1990年代半ば: TiCTAC依頼によりModernica社とのコラボ腕時計をデザイン ( 浅岡肇 - Wikipedia)。自身初の時計デザイン業務となる。また同時期、グラフィックデザイナーとしてダンヒルなど大手ブランドの広告製作にも携わる ( 浅岡肇 - Wikipedia)。
2005年頃: 独学で時計製造を学び始め、自身の工房で腕時計の試作を開始 ( 浅岡肇 - Wikipedia)。プロダクトデザイナー業と並行しつつ、時計師としての活動に着手。
2009年: 国産初のトゥールビヨン腕時計試作機を完成 ( トゥールビヨン (時計) - Wikipedia)。雑誌『BRUTUS』No.666(7/1号)に「国産初のトゥールビヨン完成」として掲載される ( トゥールビヨン (時計) - Wikipedia)。この快挙が国内外で話題となり、浅岡氏は独立時計師として本格的に注目される。
2011年: トゥールビヨン試作機を改良し、市販モデル**「Tourbillon #1」**を発表 ( 浅岡肇 - Wikipedia)。銀座・和光にて限定販売(税込682万5千円) ( 浅岡肇 - Wikipedia)。日本製トゥールビヨンの市販第1号であり、発売時に「日本初の独立時計師」としてメディア紹介される ( 浅岡肇 - Wikipedia)。
2012年: 村上隆氏とのコラボトゥールビヨン「Death Takes No Bribe」を発表 ( 浅岡肇 - Wikipedia)。現代アートとの融合による話題作となる。
2013年: スイス・バーゼルワールドに初出展し、新作三針時計**「TSUNAMI」**を発表 ( 浅岡肇 - Wikipedia)。AHCI(独立時計師アカデミー)候補会員に推挙される ( 浅岡肇 - Wikipedia)。TSUNAMIは大型16mmテンプ搭載の手巻き三針モデルで、その完成度から高評価を得る ( 日本の独立時計師が語るジャパンテクノロジー(浅岡肇編) | 高級腕時計専門誌クロノス日本版[webChronos])。
2014年: トゥールビヨン第2作**「Project T」**を発表 ( 浅岡肇 - Wikipedia)。由紀精密・OSGと協業し、世界最小ボールベアリングやモジュール構造を採用した革新的作品となる ( 浅岡肇 - Wikipedia)。同年、バーゼルワールドでProject Tを公開し国際的な称賛を浴びる。※この頃、AHCI国外正会員2名の推薦無しで候補会員入りを許可される特例待遇が与えられており、満場一致でAHCI入会承認される ( 日本の独立時計師が語るジャパンテクノロジー(浅岡肇編) | 高級腕時計専門誌クロノス日本版[webChronos])。
2015年: AHCI正式会員に昇格 ( 浅岡肇 - Wikipedia)。日本人独立時計師としては菊野昌宏氏に次ぐ2人目の正会員となる ( ディープな時計の世界へようこそ!「独立時計師」がつくる時計に注目を! | MEN’S Precious(メンズプレシャス))。また、ジュエラーTASAKIの高級時計コレクション「ODESSA」にて**「TASAKI Odessa Tourbillon」**を浅岡氏が設計・製作 ( 浅岡肇 - Wikipedia)。価格2,916万円(税込)のハイエンド作品で、浅岡氏初の企業タイアップ製品となる。同年、自身のトゥールビヨン開発記をまとめた編著書『ジャパン・メイド トゥールビヨン』出版。
2016年: 東京時計精密株式会社(Tokyo Watch Precision)を設立 ( 浅岡肇 - Wikipedia)。自身のアトリエを法人化し、より組織的な製造体制を構築。トゥールビヨン第3作**「Tourbillon Pura」**を発表 ( 浅岡肇 - Wikipedia)。A7075超々ジュラルミン製キャリッジ、フリースプラング大型テンプなどを特徴とするシンプル&ピュアなモデル ( 浅岡肇 - Wikipedia)。またセイコー(クレドール)から初のトゥールビヨン腕時計が発表され、国産トゥールビヨンの系譜が浅岡氏から大手にも波及 ( トゥールビヨン (時計) - Wikipedia)。
2017年: クロノグラフを発表 ( 浅岡肇 - Wikipedia)。世界限定3本、生産本数極少の手巻きクロノグラフで、浅岡氏自ら設計・製造。価格1,296万円(税込)。バーゼルワールドで公開され、伝統機構の完全網羅と大型テンプ搭載というマニア垂涎の内容で話題に ( 浅岡肇 - Wikipedia)。
2018年: **CHRONO TOKYO(クロノトウキョウ)**ブランドを設立 ( 浅岡肇 - Wikipedia)。TiCTACとのコラボによるセカンドライン腕時計の展開開始。コンセプトは「浅岡肇のプライベートウォッチ」で、手の届く価格帯の機械式時計を提供 ( 浅岡肇 - Wikipedia)。同年、世界巡回展「Watchmakers: The Masters of Art Horology」に参加し、ローマ・ニューヨーク・ロンドン・香港で作品展示 ( 浅岡肇 - Wikipedia)。
2019年: KURONO BUNKYŌ TOKYOブランドを海外向けに開始 ( 浅岡肇 - Wikipedia)。クロノトウキョウのコンセプトを国際市場へ拡大。カタカナロゴの「クロノ」を特徴とし、限定モデルには「Kurono」表記も使用 ( 浅岡肇 - Wikipedia)。この年、KURONO初号機「Chronograph 1」や三針モデルが発売即完売となり、以降抽選販売方式を導入するほど人気化。
2020年: Kurono Tokyoの2モデルがGPHG2020ファイナリストに選出 ( 浅岡肇 - Wikipedia)(Chronograph 1がクロノグラフ部門、Anniversary Green “森"がチャレンジ部門)。またKurono Anniversary Green “森:mori”、Kurono Grand Akane(漆塗り文字盤モデル、限定200本)などが発売され、それぞれ数分で完売 ( 浅岡肇 - Wikipedia) ( 浅岡肇 - Wikipedia)。新型コロナの影響下でもオンラインでファンとの交流を継続。
2021年: Kurono Chronograph 2(世界限定500本)発売。予約開始3分半で完売するなどKurono人気がピークに達する ( 浅岡肇 - Wikipedia)。浅岡氏の独立系メインブランド作品としてはこの年、上記Chronograph 2のデザイン監修以外大きな新作発表はないものの、水面下で次作トゥールビヨン・ノワールの開発が進む。
2022年: Kuronoシリーズ初の実機展示イベントを東京・MIYASHITA PARKで開催 ( 浅岡肇 - Wikipedia)。Kurono Calendrier Type 1がGPHG2022チャレンジ部門ファイナリストに選出 ( 浅岡肇 - Wikipedia)。11月、厚生労働省より**卓越技能者「現代の名工」**に選出される ( 浅岡肇 - Wikipedia)。独立時計師として初の受賞であり、浅岡氏の職人技が国家的に顕彰される。
2023年: AHCI主催「Masters of Horology 2023」(ジュネーブ)に新作発表を兼ねて出展 ( 浅岡肇 - Wikipedia)。新作Tourbillon Noirを披露し、専門家から高評価を得る。またルイ・ヴィトン ウォッチプライズの審査員に抜擢され、独立時計師代表として活躍 ( 浅岡肇 - Wikipedia)。秋、香港フィリップスのオークションで浅岡氏のTSUNAMIとProject Tが出品され、高額落札(約2,600万円と3,400万円)を記録 ( 浅岡肇 - Wikipedia)。これにより浅岡作品の資産的価値も実証された。
2024年: 国産伝説の時計ブランド「タカノ」の復活プロジェクトを発表 ( 浅岡肇 - Wikipedia)。リコーエレメックス社(タカノブランド権利者)の協力を得て、浅岡氏監修・東京時計精密製造による「Takano Château Noubelle Chronometer」を限定発売予定 ( 浅岡肇 - Wikipedia)。ムーブメントにミヨタ製をベースとしつつ天文台クロノメーター検定合格を達成するなど、浅岡氏の調整技術を投入した意欲作である。発売は抽選販売方式で2024年内を予定。
以上が浅岡肇氏の主な年表となります。独立時計師としての活動開始以降の約15年間で、技術革新と創作を精力的に続けており、その足跡は日本の時計史に刻まれるものとなっています。
【参考資料】浅岡肇氏の略歴・作品に関する出典:生い立ちや独立までの経緯 ( 浅岡肇 / Hajime Asaokaに関する最新記事 | GQ JAPAN)、2009年トゥールビヨン完成 ( トゥールビヨン (時計) - Wikipedia)、Tourbillon #1発売 ( 浅岡肇 - Wikipedia)、AHCI入会 ( 日本の独立時計師が語るジャパンテクノロジー(浅岡肇編) | 高級腕時計専門誌クロノス日本版[webChronos])、TSUNAMI/ProjectT/各モデル発表 ( 浅岡肇 - Wikipedia) ( 浅岡肇 - Wikipedia) ( 浅岡肇 - Wikipedia)、セカンドライン設立 ( 浅岡肇 - Wikipedia)、現代の名工受賞 ( 浅岡肇 - Wikipedia)等をもとに作成しました。