ジョン・アーノルド ― 精密時計を航海の道具へ変えた時計師

ジョン・アーノルド ― 精密時計を航海の道具へ変えた時計師

ジョン・アーノルド#

ジョン・アーノルド(John Arnold、1735/1736年頃–1799年)は、コーンウォール出身でロンドンを拠点とした時計師である。デテント脱進機、温度補償テンプ、円筒形ひげぜんまいとその端末曲線を組み合わせ、携帯できる精密時計の実用化を進めた。時計史での重要性は、ある機構を単独で「発明した」という評価に尽きない。船上で使う時計を、継続して製作・調整・供給できる商品へ育てたことにある。1 2 3

本稿の対象は父ジョンであり、息子のジョン・ロジャー・アーノルド(John Roger Arnold、1769–1843年)とは区別する。父子の工房署名 John Arnold & Son、父の死後も使われた銘、後年に交換された部品があるため、銘だけで作者や製作年代を決めることはできない。以下では、製作当初の特徴と現存品の状態も分けて扱う。4 8 13

生涯、家族、工房#

ボドミンからロンドンへ#

アーノルドはコーンウォールのボドミンで生まれた。Science Museum Groupの人物記録は1735年、同館の家族肖像の記録や旧『英国人名辞典』は1736年または1736年頃としている。洗礼簿を直接照合できていないため、生年は1735/1736年頃とする。1 2 4

父が時計師で、そこで技術を学んだという伝記がある。その後オランダへ渡り、英国へ戻ってからも定住以前は各地で仕事をしたとされる。家族との争い、ドイツ語の習得、銃器修理で生計を立てた話は後世の伝記に含まれるが、本人の日記や徒弟契約で確認した事実とは区別が必要である。学校教育や修業期間の正確な月日は未確定である。2

ロンドンでの営業場所は比較的明瞭である。所蔵館記録には1762年のストランド地区Devereux Court、1769年のSt James’s Street、1771年のAdelphi地区2 Adam Street、1783年以降の102 Cornhillが載る。工房の移動は、王室周辺の顧客との関係から、科学・航海の需要を持つ都市の商業活動へと仕事が広がった経歴を追う手がかりとなる。ただし住所の変更だけから顧客構成や売上まで推定することはできない。1

王室への小時計と家族の仕事#

1764年、ジョージ3世に指輪に収めた極小のリピーター時計を披露したという記録がある。ここでのリピーターは、操作すると時刻を音で知らせる機構であり、時計の小型化と打刻機構の両立が評判につながった。贈呈品の寸法、報酬額、「世界最小」といった細部には後世の記述差があるため、本稿では断定しない。2 3

Robert Davyによる1783–1787年頃の家族肖像には、時計を調べる父ジョン、息子ジョン・ロジャー、妻マーガレット(Margaret Arnold、1743/1744年頃–1789年)が描かれる。同館は息子が1783年から時計師として活動していたとする。絵画は家族と時計製作の結びつきを示す同時代の物資料だが、妻の具体的な加工工程や経理上の担当まで読み取れる史料ではない。4

妻が経営を支えたという伝承はある一方、旧専門書には父の病気の際の妻の役割が記され、現在の妻の没年記録と整合しない箇所もある。再婚、別の妻、年代の誤記という可能性を資料なしに選ぶことはせず、家族の労働分担の詳細は未確定とする。3 4

晩年と父子の継承#

父は1799年に死去し、息子が事業を継いだ。後年のArnold & Dentによるガラス製ひげぜんまいの研究は、1830年代の息子とEdward John Dentの活動であり、父の発明ではない。父子の名前を一つの経歴にまとめると、父が死後の試験や共同事業を行ったかのような誤りになる。2 11

なぜ精密な航海時計が必要だったか#

船上で経度を求めるには、船の位置で観測した時刻と、出発地など基準地点の時刻との差を利用できる。地球の一回転を平均太陽時の24時間に対応させると、時差1時間は経度15度、時計の時刻誤差1秒は経度角15秒に相当する。この換算は原理の説明であり、実際の位置誤差には太陽観測、船の動揺、読み取り、航路上の条件も加わる。距離への換算は緯度に依存するため、「時計が1秒ずれると船の位置は常に同じ距離だけずれる」とは言えない。

John Harrisonらの仕事によって、航海用時計という方法の有効性はすでに示されていた。次の課題は、複雑な一台を成功させることに加え、必要な船へ供給できる設計と製作体制を作ることだった。アーノルドとトーマス・アーンショウは、この課題を担った競争相手である。Gouldは両者について、部品製作を分担しながら最終的なひげぜんまいの取付けと調整を重視したと論じている。ただし、それは後世の歴史家による製作体制の解釈であり、近代の完全互換部品による大量生産と同一視すべきではない。3

初期の海上試験は成功ばかりではない#

Royal Societyには、1771年製とされるアーノルドの箱入り時計が残る。同会の記録は、これらが1772年に始まるクックの第2回航海のために用意され、海上で良好な結果を得られなかったことを明記する。後年の名声を、最初の試験から一貫した成功だったと描くことはできない。5

同会所蔵の時計にはコレクション上の番号36・37があるが、作品上の製作者番号とは別である。記録された時計の裏にはNo.3の署名がある。後述する懐中時計No.1/36と、Royal Societyの所蔵番号36を混同してはならない。5

またScience Museum Groupの1771年頃のNo.1は、現在の状態ではばねデテント脱進機や補償テンプを持つ。こうした現存品の機構を、そのまま1771年当初に採用済みだった証拠とするには改造履歴の検討が必要である。アーノルド作品には、長い使用の間に技術更新を受けた例が複数ある。6 7

発明、特許、機械の働き#

デテント脱進機――自由な振動と確実な解放#

時計の輪列は動力を伝えるが、テンプ・ひげぜんまいの振動が時間の尺度を作る。輪列が振動子に絶えず接触すると、摩擦、動力の変化、潤滑状態の変化が振動へ影響する。デテント脱進機では、ガンギ車を止める部品であるデテントと、テンプへ力を渡す作用を分け、必要な瞬間以外は振動をできるだけ自由にする。3 10

作動を概念的に整理すると、ガンギ車はロックされ、テンプ側の解放用の石がデテントを動かすとロックが外れる。ガンギ車の歯が別の衝撃石に力を渡し、デテントは次の歯を止める位置へ戻る。逆向きの通過では細い通過ばねが逃げ、不要な解放を起こさないようにする。これは機構の説明であり、全てのアーノルド脱進機の細部が同じだったという意味ではない。8 10

軸で回転する「軸付きデテント」と、薄い弾性部分で曲がる「ばねデテント」は区別される。No.28は軸付きの現存例、No.326はばね式の現存例である。ばね式はデテント支点の構成を簡潔にできるが、それだけで耐衝撃性、解放量、戻り、材質疲労の問題がなくなるわけではない。7 8

温度補償――ばねの変化を慣性で相殺する#

説明のためにテンプを一つの慣性体、ひげぜんまいを線形のねじりばねと考えると、周期は

[ P=2\pi\sqrt{I/\kappa} ]

で近似できる。ここで(P)は周期(秒)、(I)はテンプの慣性モーメント(kg m²)、(\kappa)はねじり剛性(N m/rad)である。小振幅、線形弾性、一定の温度、摩擦と衝撃を無視する理想モデルであり、歴史的作品の精度をそのまま予測する式ではない。微小変化についてこの式を微分すると、(\Delta P/P\approx\tfrac12(\Delta I/I-\Delta\kappa/\kappa))となる。この後式は前式からの説明上の導出である。21

温度によってひげぜんまいの剛性が変化するなら、周期を一定に保つためには慣性も相応に変える必要がある。補償テンプでは、異なる熱膨張をする二つの金属を組み合わせ、温度に応じた曲がりによって重りの位置を変える。重りの寄与は概ね(mr^2)であるため、半径(r)の変化が慣性を変える。この説明は現存品と特許の対象を理解するための力学的整理であり、アーノルド自身がこの数式を用いて設計したという主張ではない。8 9 10

アーノルドの補償機構は一種類ではない。S形などの形状を経て、独立した二金属部分と調整用重りを用いる構成が残る。製作上は金属同士の接合、肉厚、曲げ、重りの位置、左右の釣合いを同時に管理する必要がある。温度試験でうまくいく設定が、別の温度でも同じように働くとは限らない。のちのガラスばね研究を扱うBulstrodeとMeekの論文は、温度補償の中間温度誤差をめぐる19世紀の議論を示し、初期の補償を最終解決と扱う見方を戒める材料となる。10 11

円筒形ひげぜんまいと端末曲線#

円筒形(helical/cylindrical)のひげぜんまいは、高さ方向に巻きが並ぶ。端部はテンプ側と固定側に拘束されるため、単に均一な円筒を巻けば完全な同心運動になるわけではない。端末の形状を調整することは、ばねが開閉するときの偏りを減らし、振幅による周期差を抑えるための重要な作業となる。9 10

アーノルドの1782年の特許は、円筒形ばねの両端を曲げ、伸縮をテンプ中心に対して同心にすることを対象に含む。これは平面ひげぜんまいの外側端末を持ち上げる、いわゆるブレゲ巻上げと関連する課題を扱うが、立体形状は同一ではない。円筒形は高さを必要とし、薄い時計への実装では別の制約を持つ。9 10

材料も重要である。BulstrodeとMeekは、父が1770年代後半から加工硬化した金のひげぜんまいを使い、息子も父の死までその使用を続けたと記す。金の耐酸化性という利点と、長期の弾性的な挙動は別問題である。「金なので常に鋼より高精度だった」という評価は、この事実からは導けない。11

特許で確認できる範囲#

日付・番号目録上の対象読み取れる範囲
1775年12月30日、英国No.1113時計用ばねと温度による影響の補償父の特許。目録本文を確認したが、原仕様書・図面は未照合
1782年5月2日、英国No.1328脱進機、補償テンプ、円筒形ばね両端の曲げ父の特許。端末曲線を対象に含むことを確認

以上はWoodcroftの特許目録を基に編まれた研究用一覧により確認した。旧人名辞典も番号1113・1328を記す。現代ブランド資料の一部には1782年の番号を1382とする表記があるが、目録と旧人名辞典では1328で一致している。特許の取得は、その構想全体が先行例のない「世界初」だったことや、全ての請求範囲が法的に有効だったことまで証明しない。2 9

作品を通じて見る設計と更新#

No.28――初期の懐中デテント時計#

Clockmakers’ Museum No.419、Science Museum Group資料番号L2015-3332。銀鍍金ケースのロンドン検定印は1776–1777年で、署名は John Arnold Invt. et Fecit No.28。白いエナメル文字盤に小秒針を備え、軸付きデテントと円筒形ひげぜんまいを持つ。同館はこの形式のアーノルド懐中時計の、記録され現存する最初期例として扱う。ただし現在のS形テンプは1779–1782年頃の形式で、後から加えられた部品である。7

この作品は、外装の検定年、基本機構の製作、テンプの更新が別の時点になりうることを示す。初採用年を決める際には、現存品の写真だけでなく部品の製作層を調べる必要がある。

No.1/36――懐中時計の試験と「クロノメーター」#

Royal Museums Greenwich所蔵ZBA1227は、1778年のロンドン検定印を持つ22金の懐中時計No.1/36である。同館は1779–1780年頃の約13か月にわたるグリニッジの試験と、1780年の出版をこの作品に結びつける。船用の箱時計とは異なる、携帯する精密時計としての意義がある。12 14

アーノルドの1780年の冊子には Pocket Chronometer の語が題名にある。所蔵館はこれを近代的な意味での用語の使用に結びつけている。ただし「chronometerという語を人類で初めて作った」とまでは言わない。原著の書誌は確認できるが、試験の全日程、姿勢別日差、集計値は原表との照合が必要である。14 15

この作品の所蔵館ページには、説明文の父ジョンと、Creator欄の息子John Rogerが一致しない点もある。1778年の作品を息子の独立した発明と断定する根拠にはできず、本稿は父の作品として述べる説明文と歴史的文脈に従い、メタデータの不一致を未解決事項として残す。12

No.326/627――機構と加工を細部から読む#

Royal Museums Greenwich所蔵ZAA0067は、1788年頃の懐中時計ムーブメントを、1810年頃に小型の船用箱時計へ改装したとされる。署名は John Arnold & Son、番号326/627。フュゼ、巻上げ中の動力維持機構、ばねデテント、円筒形ひげぜんまいの両端末を備える。現在の振動数は毎時18,000振動、テンプ径は約20.1mmと測定されている。8

同館の技術記録は、鋼を内側に用いた二金属部分、ねじ上の補償重り、調整の痕跡を記載する。外側材料の“Platina”という記載だけで、純粋な白金と同定してはならない。また部品の交換や後年の刻銘もあるため、今日測定した数値・材料・形状の全てを父の製作当初の仕様とみなすことはできない。8

フュゼは主ぜんまいの力の変化を異なる巻取り半径でならす機構であり、補償テンプは温度、端末曲線はばねの展開、脱進機は輪列との接触という別々の課題を扱う。この作品を読む際は、一つの「高精度機構」が全てを解決したと考えるより、複数の誤差要因を別々に抑える組合せとして理解するとよい。

顧客、協力者、競争相手#

アーノルドの仕事は王室の小時計に始まって終わるものではない。クック航海に結びつくRoyal Societyの現存時計は、国家的な航海・科学の需要を示す。Royal Society自身は、後の設計が海軍および東インド会社で採用されたことも述べる。受注と使用者の全一覧は未確認であり、これを全船への普及率や製作総数へ換算していない。5

当事者の書簡にはさらに具体的な関係が現れる。1809年5月26日、Nevil MaskelyneがJoseph Banksへ書いた手紙は、BanksがWilliam Blighへ贈ったアーノルドNo.160に触れる。また、経度委員会が1791年に注文したアーノルドの時計2点とアーンショウの5点を比較したとする。これは父の生前の注文と死後の論争を結ぶ一次証言だが、手紙はMaskelyne側の報告であり、航海観測の原表そのものではない。16

アーンショウとの帰属論争#

ばねデテントをめぐって、アーノルドとアーンショウは優先権を争った。現存する最終形式だけから、誰がどの年に着想したかを逆算することは難しい。特許、試作、口頭での開示、他人の工房での加工、公開実演は異なる出来事であり、先行性の判断にはそれぞれの史料が必要になる。10 17

経度委員会は1804年3月、機構の作用を調べるため、アーンショウとジョン・ロジャーに模型の製作を命じた。父は1799年に死去しているので、この模型を「父が1804年に作った」としてはならない。RMGの記録は両者への報酬を各3,000ポンドとするが、これは先行の支給を含めた評価額と、新たに支払われた額を分けて読む必要がある。父が一度に3,000ポンドを受領したという説明にはしない。2 17

前述のMaskelyne書簡は、Blighの9地点の経度比較では8地点でNo.160がアーンショウの2点より良かったと報告する。これは特定の時計と比較条件の証言である。「全てのアーノルド時計が全てのアーンショウ時計に優った」という一般的順位にも、脱進機の発明者を確定する証明にもならない。16

ブレゲとの関係とトゥールビヨンの混同#

アブラアン=ルイ・ブレゲとアーノルドの交流は、息子たちが相手の工房で学ぶ関係として時計史に記される。出会いの契機については、オルレアン公の時計に感嘆してパリへ向かったという逸話もあるが、その旅行の正確な日程は未確定である。18

ブレゲの歴史担当者Emmanuel Breguetによる仏語記事は、1801年6月26日のトゥールビヨン特許と、1809年にアーノルドの息子へ贈られた実験時計No.169を記す。父への敬意、父の時計を用いた後年の改作、トゥールビヨンの発明者は分ける必要がある。父への献辞は、それだけで父をトゥールビヨンの発明者とする証拠ではない。19

British Museumには父のNo.11をブレゲが改作した作品の所蔵記録がある。ただし同館の詳細記録は未読で、改作時の製作費や贈呈の正確な月日は未確認である。原作品の製作年と、ブレゲによる改作年は区別する必要がある。20

死後から現代へ#

実用品として使い続けられた時計#

1794年頃のNo.485/786は、サセックス公向けに作られたとされ、のちにBelville家がグリニッジの正確な時刻をロンドンの時計業者へ運ぶため使用した。所蔵館は1834年からの使用、1856–1892年の未亡人の活動、その後の娘Ruthの1940年までの活動を記す。時計は「Mr. Arnold」と呼ばれた。13

ただし同じ記録は1840年頃の大幅な改装、銀ケース、アーンショウ式ばねデテントへの変更、後期の補償テンプを明記する。したがって長期使用は、1794年の未改造機構がそのまま146年間精度を保った証明ではない。継続的な補修と変更を経て精密時計が社会の時刻供給に組み込まれた事例として見るべきである。13

継承された課題と研究#

アーノルドの歴史的影響は、海上時計の供給、ばね端末の調整、温度と慣性の関係、実測による評価という複数の系統に分かれる。Ditisheimの技術史は、円筒形ばねから平面ばねの端末曲線、さらに数学的な研究へという問題の継承を論じている。父の形状を、現代のあらゆる高精度機械式時計へ直接つながる単一の発明と扱うことは避けたい。10

2026年の調査時点でも、各博物館の作品記録と技術研究は、生年や作者メタデータ、改造履歴を再検討する必要を示している。現代のブランド名や記念モデルは歴史への関心の表れではあるが、それだけで18世紀からの経営・技術の連続性を証明する資料にはならない。本稿では現在の販売モデルや広告上の「世界初」を父の経歴へ加えていない。

年表#

年月出来事根拠・留意点
1735/1736年頃ボドミンに生まれる所蔵館・伝記で生年差。洗礼簿未確認。1 2
1750年代頃父のもとで時計製作を学び、オランダを含む各地で働いたとされる具体的な年次・徒弟契約未確認。2
1762年ロンドンDevereux Courtで営業所蔵館の人物記録。1
1764年ジョージ3世に指輪のリピーター時計を披露寸法・報酬額は断定しない。2 3
1769年St James’s Streetで営業。息子John Rogerの生年住所記録と家族肖像の記録。1 4
1771年2 Adam Streetへ移る。初期の箱時計を製作現存品の後年の機構変更に注意。1 5 6
1772–1775年クック第2回航海に関連する海上試験初期アーノルド時計は良好な結果を得られなかった。5
1775年12月特許No.111312月30日。原仕様書未照合。9
1776–1777年No.28のケース検定年S形テンプは後年追加。7
1778年No.1/36のケース検定年作者欄の父子不一致が残る。12
1779–1780年頃No.36を約13か月試験原表未読のため細かな開始・終了日と数値は保留。14 15
1780年懐中クロノメーターの試験結果に関する冊子本文閲覧には制限あり。15
1782年5月特許No.13285月2日。脱進機、補償、ばね端末を対象。9
1783年以降Cornhillでの父子工房の活動法的な共同経営の開始日と区別。1 4
1783–1787年頃Robert Davyが家族肖像を描く所蔵館による年代範囲。4
1788年頃No.326/627の懐中ムーブメント1810年頃の改装と区別。8
1789年妻Margaretが死去所蔵館記録。4
1791年経度委員会がアーノルド時計2点を注文1809年Maskelyne書簡に記載。16
1790年代ブレゲとの交流、息子たちの修業を通じた関係正確な渡航日程未確定。18
1794年頃No.485/786製作後年Belville家が使用。13
1799年父が死去、息子が継承本稿では没月日を確定しない。2
1804年3月経度委員会が脱進機模型を発注相手は父ではなく息子John Roger。17
1809年ブレゲが息子へ実験トゥールビヨン時計を贈呈父の生前製作との混同に注意。19
1809年5月MaskelyneがBanksに試験と航海比較を報告5月26日付。当事者の立場を持つ証言。16
1810年頃No.326/627を小型箱時計へ改装父の没後。8
1830年代息子とDentが新材料のひげぜんまいを研究父の業績に含めない。11
1834–1940年Belville家がNo.485/786で時刻を配達1840年頃に大幅改装。13
1923年Gouldの専門書が刊行作品、議事録、試験を総合した後世の研究。3
2026年10月本稿の資料確認生年、改造履歴、メタデータ差を再点検

調査上の限界#

洗礼簿、徒弟契約、全顧客台帳、工房の生産台帳、1775・1782年の原特許全頁は直接確認できていない。製作総数、作品の「初採用」、王室向けリピーターの音響特性、各部の加工公差や材料組成は、一般解説から推測で埋めていない。音を発する作品があることは確認できるが、音圧、固有振動数、打刻部材を分析した測定資料は未取得であり、音響工学の定量評価は行わない。

現存品の所蔵館記録、後世の研究、当事者の証言は、それぞれ成立時期と立場が異なる。1780年のNo.36原著やBritish MuseumのNo.11の詳細記録は未読のため、原試験表の数値や改作の細部は本稿の確定事項に含めていない。

参考文献#

閲覧・取得確認日:2026年10月6日。直接未読の資料はその旨を個別に記した。

  1. Science Museum Group, “John Arnold”, 人物cp37105。所蔵館人物記録。本文確認。

  2. H. T. W., “Arnold, John”, Dictionary of National Biography, 1885–1900年版。伝記の公開転記本文確認。逸話の原史料とは区別。

  3. Rupert T. Gould, The Marine Chronometer: Its History and Development, J. D. Potter, 1923, 特に第7章pp.105–115と関連章。公開スキャンを取得して本文確認。OCRを用い、細かな試験値は原表未照合のため不採用。

  4. Science Museum Group, “Portrait oil painting of John Arnold and family 1783–1787”, Robert Davy, 資料1868-248。同時代の肖像と現在のカタログ。本文確認。

  5. Royal Society, “Marine chronometers by John Arnold”, 1771年製作とされる時計、image-rs-8496。現存品の所蔵館記録。本文確認。

  6. Science Museum Group, “Marine chronometer by John Arnold”, 1771年頃、Clockmakers’ Museum所蔵。現存状態の記述本文確認。

  7. Science Museum Group, “Pivoted-detent escapement watch by John Arnold”, No.28、L2015-3332/Clockmakers’ Museum No.419、1776–1777。原ケースと後年テンプの記述を確認。

  8. Royal Museums Greenwich, “Marine chronometer”, John Arnold & Son No.326/627、ZAA0067、1788–1810年頃。詳細な物資料・技術記録本文確認。

  9. Mario Biagioli, 研究用の科学機器特許一覧, 発行年記載未確認、英国内一覧p.1と注。Woodcroft目録に基づくNo.1113・1328の掲載本文を取得して確認。原特許仕様書ではない。

  10. Paul Ditisheim, “De la production des chronomètres de marine au XVIIIe siècle — John Arnold”, Journal suisse d’horlogerie掲載文の公開アーカイブ、元掲載年未確定。仏語技術説明本文確認。死亡年・贈呈年等に不整合があり、それらの日付は不採用。

  11. Jenny Bulstrode and Andrew Meek, “Edward John Dent’s glass springs, archive and technical analysis combined”, UCL公開著者原稿、公開ファイルの刊行年未確定、特にpp.1, 4–5。資料調査と物理分析を組み合わせた研究。本文確認。

  12. Royal Museums Greenwich, “Pocket chronometer”, No.1/36、ZBA1227、1778。本文確認、Creator欄と本文の父子不一致に留意。

  13. Science Museum Group, “Spring detent watch by John Arnold, used by Ruth Bellville and family to distribute GMT c.1834–1940”, No.485/786、L2015-3341/Clockmakers’ Museum No.429。本文確認。

  14. Royal Museums Greenwich, “John Arnold’s pocket chronometer No.1/36”, 所蔵館図版解説、刊行年記載なし。試験・1780年出版・用語に関する本文確認。図版は本稿に転載しない。

  15. John Arnold, An Account of the Going, during thirteen months, at the Royal Observatory at Greenwich, of a Pocket Chronometer invented and made by J. Arnold, 1780、Google Books/Google Playの書誌では24頁。公開書誌とビューア情報確認。原著全頁は未読、試験値の根拠として用いない。

  16. Nevil Maskelyne to Joseph Banks, 26 May 1809, letter1908, in Neil Chambers ed., The Scientific Correspondence of Sir Joseph Banks, 1765–1820, vol.6, Pickering & Chatto, 2007/Routledge再刊。公開プレビューの校訂書簡本文を取得・確認。手書き原本は未照合。

  17. Royal Museums Greenwich, “Model of Earnshaw’s escapement”, ZAA0123、1804。父子区別、模型命令、報酬、帰属論争の所蔵館本文確認。

  18. Fondation Haute Horlogerie, “John Arnold”, 仏語百科事典、刊行年記載なし。交流に関する本文確認。工房帳原本ではない。

  19. Emmanuel Breguet, “À propos de la naissance du Tourbillon”, Quai de l’Horloge, no.2, Breguet公式公開版。INPI所蔵特許書簡の転記、特許日、1809年贈呈の本文確認。メーカーによる歴史解説として立場を明示。

  20. British Museum, “chronometer watch; box; tourbillon watch”, 資料1958,1201.1848、John Arnold No.11/Breguet改作。参考情報:直接本文未読。検索索引上の書誌を探索したが直接アクセス403のため、細部の確定根拠には用いない。

  21. MIT OpenCourseWare, “Harmonic Oscillation”, Chapter 1, 8.03SC Physics III: Vibrations and Waves, Fall 2016, torsion pendulum節。教育機関の公開講義本文確認。ねじり振動の一般モデルの根拠であり、アーノルドの設計計算の史料ではない。