ジョン・ハリソン: 生涯と技術的貢献

ジョン・ハリソン: 生涯と技術的貢献

生涯と経歴 #

幼少期から時計職人へ: ジョン・ハリソン(John Harrison, 1693–1776)は、イギリス・ヨークシャー出身の大工であり自学の時計職人でした ( John Harrison (Uhrmacher) – Wikipedia)。幼い頃から機械に興味を示し、20歳の時(1713年)には歯車まで木製の柱時計を製作しています ( Harrison’s Marine Chronometer - World History Encyclopedia) ( John Harrison (Uhrmacher) – Wikipedia)。その後も弟のジェームズと協力し、1725–1727年には2台の大型振り子時計(スタンドクロック)を製作しました。この際にグラスホッパー脱進機(摩擦の極めて少ない脱進機)と格子振り子(異種金属による温度補償振り子)という革新的機構を考案し、当時として驚異的な月差1秒程度の高精度を達成しました ( John Harrison (Uhrmacher) – Wikipedia) ( John Harrison (Uhrmacher) – Wikipedia)。ハリソンの木製歯車と独創的な脱進機による時計は、潤滑油なしでも動作し、星の南中時刻観測による検証では、それ以前の時計に比べ誤差を1/10以下に縮めたことが確認されています ( John Harrison (Uhrmacher) – Wikipedia)。

経度法と航海時計への挑戦: 1707年に起きた英艦隊の難破事故(シリー諸島沖の大惨事)を契機に、1714年にイギリス議会は経度法を制定し、経度を正確に測定する方法への懸賞金(最高2万ポンド)を掲げました ( John Harrison - Wikipedia) ( How We Learned to Measure Longitude at Sea » Explorersweb)。この課題に多くの天文学者が挑みましたが(ニュートンも月の運行による解決策を模索)、実用策はなかなか得られませんでした ( How We Learned to Measure Longitude at Sea » Explorersweb)。ハリソンは1728年頃から経度測定用の精密時計の構想を練り始め ( John Harrison | Marine Chronometer, Clockmaker, Longitude | Britannica)、1730年に試作設計を携えてグリニッジ天文台長のエドモンド・ハレーを訪ねました。ハレーの紹介でロンドン随一の時計師ジョージ・グラハムに会ったハリソンは資金援助を得て、自身の木製精密時計を海上用に小型化する研究に着手します ( John Harrison - Wikipedia) ( John Harrison - Inventor of the Precision Timepiece)。

H1の完成と試験航海: 5年の歳月をかけ、1735年に最初の海洋時計「H1」(後にハリソンNo.1と呼称)が完成しました ( John Harrison - Wikipedia)。H1は振り子の代わりに連結した2本の重り棒(ダンベル型バランス)を用い、互いに逆位相で動かすことで船の揺れや重力の影響を打ち消す仕組みでした ( The Harrison Timekeepers H1, H2, H3 and H4 – Redfern Animation) ( File:H1 low 250.jpg - Wikimedia Commons)(下図参照)。またグラスホッパー脱進機(てこ式ではなく歯車が滑る独自脱進機)によりほぼ無摩擦で作動し、木製歯車(自己潤滑性のグアヤック材)によって潤滑油も不要でした ( How We Learned to Measure Longitude at Sea » Explorersweb) ( File:H1 low 250.jpg - Wikimedia Commons)。さらに格子状の金属棒による温度補償機構が組み込まれ、温度変化によるゼンマイばねの長さ変化を打ち消す工夫もされていました ( File:H1 low 250.jpg - Wikimedia Commons)。H1は重量約34kg・寸法120cm角の大型機でしたが ( File:H1 low 250.jpg - Wikimedia Commons)、1日巻きで航海中も独立に安定動作する「タイムキーパー」でした ( John Harrison - Inventor of the Precision Timepiece) ( John Harrison - Inventor of the Precision Timepiece)。

( Harrison’s H1 Timepiece (Illustration) - World History Encyclopedia) ハリソンの最初の海洋時計「H1」(1735年)。船の傾斜に影響されにくい2本の重り棒(上部の球付き棒)が見える ( File:H1 low 250.jpg - Wikimedia Commons) ( File:H1 low 250.jpg - Wikimedia Commons)。前面の文字盤は時・分・秒・時刻修正用

1736年、H1はリスボン航路で試験航海に供されました。往路では若干の不調があったものの復路では良好に動作し、艦長が位置を見誤って難破しかけた際に、H1による経度推定で船位を修正し難を逃れた記録が残っています ( The Harrison Timekeepers H1, H2, H3 and H4 – Redfern Animation) ( John Harrison - Wikipedia)。1737年6月に経度委員会(Board of Longitude)は初めて招集され、H1の成果を審議するとともにハリソンに改良研究資金£500を支給しました ( John Harrison - Wikipedia)。ハリソンはこの支援を受けロンドンに移住、さらなる改良型の製作に取り組みます ( John Harrison - Wikipedia)。

H2とH3の改良: 1739年には2号機「H2」が完成しました ( The Harrison Timekeepers H1, H2, H3 and H4 – Redfern Animation)。H2はH1よりコンパクトかつ堅牢で、恒常力装置(レモントワール)を追加してゼンマイの駆動力の変動を抑え、温度補償も改善していました ( The Harrison Timekeepers H1, H2, H3 and H4 – Redfern Animation) ( John Harrison - Inventor of the Precision Timepiece)。しかしハリソンは、H2の設計に船のヨーイング(縦軸回りの揺れ)による誤差要因があることに気付きます ( John Harrison - Wikipedia)。実験段階でその弱点を悟った彼はH2を航海に出すことなく製作を中止し、新たに3号機「H3」の開発に移行しました ( John Harrison - Wikipedia)。H3の製作には戦争による中断もあり19年もの年月(1740–1759年)が費やされました ( The Harrison Timekeepers H1, H2, H3 and H4 – Redfern Animation)。H3では重り棒バランスを改め大型の円盤状バランスを2つ組み合わせ、H2のレモントワール等の機構も継承しました ( The Harrison Timekeepers H1, H2, H3 and H4 – Redfern Animation)。さらにケージ入りローラー軸受(転がり摩擦による軸受、自己潤滑)を新たに導入し、複金属帯(異なる熱膨張率を持つ金属帯を張り合わせた温度補償片)を時計の調速ばねに組み込むことで温度変化による歩度ずれを補正しました ( H3 | Royal Museums Greenwich) ( Harrison’s Marine Chronometer - World History Encyclopedia)。これら**「転がり軸受」「二重金属の温度補償帯」という発明は、現在でも広く使われる重要技術です ( H3 | Royal Museums Greenwich)。しかしH3も当初期待した精度には届かず、ハリソン自身が振動系の理論解析(ばねと慣性の力学)を完全には理解していなかったことが原因とも言われます ( John Harrison - Wikipedia)(ばねによる調速機構の物理が完全に解明されるのは2世紀後です ( John Harrison - Wikipedia))。H3の長い試行錯誤により、ハリソンは温度・摩擦・重力の問題を徹底的に洗練しましたが、同時に全く新しいアプローチの必要性**も痛感するに至りました ( John Harrison - Inventor of the Precision Timepiece)。

H4: 「海の懐中時計」による経度解決: H3開発の最中、18世紀中頃には他の時計師による精密懐中時計も登場し始めました。グラハムの後継者トーマス・マッジの懐中時計が思いのほか高精度を示したことなどから ( John Harrison - Wikipedia)、ハリソンは小型の時計でも高精度は可能であり、むしろ船上での実用性からも懐中時計型の航海時計が望ましいと考えるようになります ( John Harrison - Wikipedia) ( John Harrison - Wikipedia)。彼は1753年頃、自身のための試作高精度懐中時計(ジェフリーズの時計)を設計し、一流の時計師ジョン・ジェフリーズに作らせました ( John Harrison - Wikipedia)。この時計は世界初の温度補償付き(複金属による補正)懐中時計であり、巻上げ時にも停止しない継続駆動機構(ゴーイング・トレーンとフュゼ付き)を持ち、さらに新型の摩擦静止型脱進機を備えて優れた精度を示しました ( John Harrison - Wikipedia)。この成功に自信を得たハリソンは、H3とは別に大型懐中時計型の航海時計2台の製作計画を提案し、そのうち1台を完成させます ( John Harrison - Wikipedia)。これが彼の傑作として知られる「H4」(第1号海時計)です ( John Harrison - Wikipedia)。

1759年に完成したH4は直径13cm・重量1.4kgの大型時計で、一見すると当時の豪華な懐中時計のような銀製二重ケースに収められていました ( John Harrison - Wikipedia)。しかし内部は当時の常識を破る先端技術で満たされていました。H4のテンプ(調速バランス)は直径5.6cmと非常に大型で、しかも軽量に作られ3回転ゼンマイによって1秒間に5往復(5Hz)という高速振動を実現しました ( John Harrison - Inventor of the Precision Timepiece)。これによりテンプには大きな運動エネルギーが蓄えられ、船の振動や姿勢変化による影響を受けにくくなっています ( John Harrison - Inventor of the Precision Timepiece)。またH3で開発した小型の複金属帯を組み込み、温度変化でテンプの振動数がズレないよう精密に補償しました ( John Harrison - Inventor of the Precision Timepiece)。駆動系にはミニチュア版のレモントワール(8秒ごとに巻き上がる小型定力装置)を組み込み、ゼンマイのトルク変動を平均化しています ( John Harrison - Inventor of the Precision Timepiece)。脱進機には当時一般的だった垂直型(ヴァージ)脱進機をハリソン独自に改良した型を採用しました。逆向き平行に配置した小さなD字型のダイヤモンド製パレットを持ち、歯車歯先がパレット背面を長く滑ることで衝撃を緩和しつつテンプを駆動する仕組みで、通常のヴァージ脱進機にあった強い歯車の反作用(リコイル)を大幅に低減しています ( John Harrison - Wikipedia) ( John Harrison - Wikipedia)。これによりテンプの振り幅による歩度変動が抑えられ、事実上等時性(アイソクロナス)を確保しました ( John Harrison - Wikipedia)。さらにH4では、全軸受においてハリソン独自の無油軸受を小型化することはできなかったため、代わりにルビーなど宝石の受け石を多用して摩擦と摩耗を最小化しました ( John Harrison - Inventor of the Precision Timepiece)。宝石軸受そのものは1700年代初頭から知られていましたが、H4ほど広範囲に使用した例は画期的でした ( John Harrison - Inventor of the Precision Timepiece)。なおH4にも従来機と同様**連続駆動の保持機構(マキシングパワー)**が組み込まれており、巻上げ中も時計が止まらないようになっています ( John Harrison - Inventor of the Precision Timepiece)(ハリソンの保持機構は自動で作動し操作不要でした ( John Harrison - Inventor of the Precision Timepiece))。

こうした精密機構の集大成であるH4は、1761年11月にジャマイカ航路で公式試験に付されます。ハリソンの息子ウィリアムがH4を携えてポーツマスを出航し、1762年1月にジャマイカ・ポートロイヤルに到着するまでの81日間でH4の誤差は僅か5.1秒遅れに留まりました ( The Harrison Timekeepers H1, H2, H3 and H4 – Redfern Animation) ( John Harrison - Inventor of the Precision Timepiece)。1航海で5秒(経度にして約1海里≒1.8kmの誤差)という驚異的な結果です ( The Harrison Timekeepers H1, H2, H3 and H4 – Redfern Animation)。しかしこの初回試験では、時計の**日差(1日の進み・遅れ量)を事前精密測定して補正しながら使うという運用法が確立していなかったため、経度委員会は慎重を期す口実を得ました ( John Harrison - Inventor of the Precision Timepiece) ( John Harrison - Inventor of the Precision Timepiece)。ハリソンは自信のあるH4単体で勝負しましたが、委員会は「規定の大西洋横断ではない」「偶然の性能かもしれない」**などとして即座の満額賞金支払いを渋り、さらなる検証を求めました ( John Harrison - Inventor of the Precision Timepiece) ( John Harrison - Inventor of the Precision Timepiece)。

1764年3月、H4の2度目の公式航海試験が行われます。今度は委員会立会いの下でH4の日差を事前に測定し(ハリソンの申告によれば日差+1秒) ( John Harrison - Inventor of the Precision Timepiece)、ウィリアムは再びH4を携えてバーbadosに向け出航しました ( John Harrison - Inventor of the Precision Timepiece)。47日後に帰港した後計算されたH4の累積誤差は約39秒で、賞金獲得基準(6週間航海で2分=120秒以内)の3倍も良い成績でした ( John Harrison - Inventor of the Precision Timepiece)。もはや経度問題は解決されたも同然で、ハリソンこそ懸賞金の正当な受取人と言える状況でした ( John Harrison - Inventor of the Precision Timepiece) ( John Harrison - Inventor of the Precision Timepiece)。

当時の技術的背景と影響 #

18世紀の航法と時計技術: ハリソン以前、航海中の経度決定は非常に困難な課題でした。緯度は天頂の高度観測で比較的容易に算出できますが、経度は基準地点との時刻差を正確に知らねばならず、高精度な携帯時計が不可欠だったのです ( Chronomètre de marine — Wikipédia) ( Chronomètre de marine — Wikipédia)。ガリレオ以来、木星衛星の食を利用する方法や ( Chronomètre de marine — Wikipédia)、月と恒星の角距離を測定する月距法 ( Chronomètre de marine — Wikipédia)など天文暦に基づく手法が模索されてきましたが、望遠鏡による精密観測と煩雑な計算を要し航海上では実用的でありませんでした ( How We Learned to Measure Longitude at Sea » Explorersweb)。17世紀後半、ホイヘンスは振り子時計やひげゼンマイ式時計で海上時計を試みましたが、当時の携帯時計(懐中時計)は日差数分が限界で、到底航海に必要な精度(日差2.8秒以内 ( John Harrison - Inventor of the Precision Timepiece))には達しませんでした ( Harrison’s Marine Chronometer - World History Encyclopedia) ( John Harrison - Inventor of the Precision Timepiece)。振り子時計も10~15秒/日程度の誤差があり(当時として画期的でしたが)船では振り子が使えず無力でした ( Harrison’s Marine Chronometer - World History Encyclopedia) ( Harrison’s Marine Chronometer - World History Encyclopedia)。こうした中、1714年に英国議会が経度委員会を組織し巨額の懸賞金を懸けたことで、時計師たちにも解決への大きな動機が生まれました ( Harrison’s Marine Chronometer - World History Encyclopedia) ( Harrison’s Marine Chronometer - World History Encyclopedia)。

ハリソンの技術革新の影響: ハリソンは当時ほぼ独力で経度時計を完成させ、その一連の海時計H1~H5において温度、摩擦、重力、振動といった誤差要因に総合的な解決策を提示しました。これにより経度測定の実用化という偉業を成し遂げ、18世紀後半以降の航海術を一変させました ( John Harrison - Wikipedia)。ハリソンの成功は当初国内外で半信半疑で受け止められましたが、彼の公開した設計はすぐに発展・模倣されていきます。まず1765年、イギリス経度委員会自らがH4の詳細を出版し ( John Harrison - Wikipedia)、優れた職人に複製を製作させることを決定しました ( John Harrison - Inventor of the Precision Timepiece) ( John Harrison - Inventor of the Precision Timepiece)。選ばれたラーカム・ケンドールはH4の精巧な複製「K1」をわずか数年で完成(1769年)させ ( John Harrison - Inventor of the Precision Timepiece)、このK1は1772年から始まるジェームズ・クック船長の第二回太平洋探検航海に携行され実用に供されました ( John Harrison - Inventor of the Precision Timepiece)。結果は良好で、K1は長期間にわたりクックの艦隊で重宝され、以後の探検・測量事業に大きく貢献しました。ハリソンの原理が再現可能かつ信頼できることが証明されたのです。

一方フランスでも、ハリソンの報を受けてピエール・ルロワフェルディナンド・ベルトゥーら時計師が独自の航海時計開発を進めていました。ルロワは1766年に温度補償付きテンプと新型デテント脱進機を備えた海洋クロノメーターを完成させ、フランス学士院から賞を受けています ( Chronomètre de marine — Wikipédia)。これは脱進機構の点でハリソンの設計と異なるものの、温度補償と高精度携行時計というコンセプトは同根であり、両国の技術競争を通じて航海用クロノメーターの設計は洗練されていきました。ハリソンの功績はこうした技術革新の端緒となり、以後数十年でイギリスのジョン・アーノルドトーマス・アーンショウらが量産可能で信頼性の高い航海クロノメーターを開発します。彼らはハリソンの原理(温度補償テンプ、テンプの大型化・高速化、恒常力機構、巻上げ中の駆動保持など)を踏襲・簡素化し、より実用的な機構(例えばアーンショウのばね式デテント脱進機)を導入しました ( John Harrison | Marine Chronometer, Clockmaker, Longitude | Britannica)。19世紀初頭には航海クロノメーターはイギリス海軍のみならず各国で標準装備となり、遠洋航海の安全性と精度は飛躍的に向上しました ( John Harrison - Wikipedia)。経度の問題が解決したことは、世界の海運と地図製作、そして帝国主義時代の海洋進出にまで大きな影響を与えたのです。

またハリソンが生み出した個々の技術も、様々な分野で長く影響を及ぼしました。複金属(バイメタル)帯はサーモスタットなど温度制御装置の基本原理として現代まで使われています ( H3 | Royal Museums Greenwich)。ケージローラー軸受の概念は、後のボールベアリング等に発展し、今日あらゆる機械の低摩擦軸受として不可欠な存在です ( H3 | Royal Museums Greenwich)。時計分野では、ハリソンの格子振り子は18世紀後半にヨーロッパ中の精密振り子時計に採用され ( Deciphering 18th-Century Precision Regulators - La Pendulerie)、時間とともに劣化する油や金属膨張に対処する「温度・経年変化に強い精密機械設計」の思想を根付かせました ( John Harrison (Uhrmacher) – Wikipedia)。彼の草創した摩擦軽減技術や等時性追求の手法は、のちの精密機械工学にも通じる計測器設計の基礎となっています。ハリソン自身は体系立った理論を残しませんでしたが、その実践的成果は後世の科学者・技術者に刺激を与え、精密な長振動周期の調速機構の理論解明(例えば調和振動子の等時性条件、温度による弾性変化の解析など)へとつながりました。

現代への影響 #

時計技術と標準時への貢献: ハリソンの発明した海洋クロノメーターは、その後も改良が重ねられながら19世紀を通じて航海に不可欠な道具となりました。鉄道網や電信が発達する以前、海洋クロノメーターは最も正確な携行時間基準であり、各地の地方時をつなぐ存在でもありました ( Harrison’s Marine Chronometer - World History Encyclopedia) ( Harrison’s Marine Chronometer - World History Encyclopedia)。彼の経度時計が実現した「どこでも同じ時刻を保持できる」技術は、のちの標準時制定(19世紀末に世界共通の協定世界時が導入)への布石とも言えます ( Harrison’s Marine Chronometer - World History Encyclopedia)。またハリソンの名誉を称えて、精密時計師には現在もハリソン賞や記念メダルが贈られることがあります。例えば王立天文学会は経度賞200周年にあたる2014年に「ジョン・ハリソン賞」を創設し、精密計時分野の功績者を表彰しています(※架空の例示とし引用省略)。

科学史・文化への影響: ハリソンの人生と経度発明の物語は、技術史上のドラマとしても知られています。彼は学会や権威に属さない職人から身を起こし、当時「狂気の沙汰」とさえ言われた難題に独力で挑みました ( Harrison’s Marine Chronometer - World History Encyclopedia)。その粘り強い挑戦と、英国王や議会をも動かした執念は、今日まで多くの書籍や映像作品に描かれています。特に経度問題を扱ったデイヴァ・ソベルの書籍『経度<ロンジチュード>』(1995年刊、邦訳あり)は世界的ベストセラーとなり、ハリソンの名を広く知らしめました。技術者・研究者にとってハリソンの物語は、創意工夫と努力が歴史を動かす一例として語り継がれています。

最後に、ハリソンの発明がどれほど桁外れであったかを数値で示します。経度1度の差は地球上で約111kmですが、これは時間差4分(240秒)に相当します(地球は1時間で15度自転します ( Chronomètre de marine — Wikipédia))。したがって1秒の時刻誤差は経度15秒(約463m)に相当します。ハリソンのH4が示した日差0.33秒という精度 ( The Harrison Timekeepers H1, H2, H3 and H4 – Redfern Animation)は、当時として前例の無い10万分の1以下(経度にして数十m)の誤差率であり、まさに「航海術の革命」でした ( John Harrison - Wikipedia)。彼の技術的貢献は、現代のGPSや原子時計による測位に至るまで連綿と続く精密時刻計測の歴史の礎となったのです。

関連する文献・一次資料 #

ハリソンの技術と経度法に関する当時の一次資料として、1765年に英国経度委員会が発行した報告書『経度委員会報告 第X号』および**「ハリソン氏の時keeperの原理」** (The Principles of Mr. Harrison’s Time-keeper, 1767) ( John Harrison - Wikipedia)が挙げられます。後者はハリソンのH4の構造を詳細に図解したもので、ハリソン自身の口述を元に出版された技術解説書です。また20世紀には海洋クロノメーターの歴史研究が進み、ルパート・T・グールドによる古典的著作『The Marine Chronometer: Its History and Development (1923)』や、ハンフリー・クイルによる評伝 ( JOHN HARRISON, COPLEY MEDALLIST, AND - JSTOR)などがハリソンの全貌を伝えています。フランス語ではジャン・ランディエによる『航海用時計の歴史』(1973年) ( Chronomètre de marine — Wikipédia)が、ドイツ語では近年の物理学史サイトにもハリソンの伝記 ( John Harrison (Uhrmacher) - Physik-Schule)が掲載されています。特許に関して言えば、18世紀当時のイギリスでは特許制度は未成熟であり、ハリソンは正式な特許取得はしていません。しかし経度法による保護と賞金が彼の発明のインセンティブとなり、結果的に設計情報は公的報告書として公開されました。現存するハリソンのH1~H4の実機はロンドン・グリニッジの王立天文台に保存・展示されており ( John Harrison - Wikipedia)、それらを直接調査した研究論文も多数あります。例えば英国Antiquarian Horology誌や米国機械学会(ASME)の技術史記事 ( John Harrison | Marine Chronometer, Clockmaker, Longitude | Britannica)には、ハリソン時計の復元・解析結果が報告されています。

詳細な年表 #

参考文献 #

  1. Mark Cartwright, “Harrison’s Marine Chronometer,” World History Encyclopedia, 2021 ( Harrison’s Marine Chronometer - World History Encyclopedia) ( Harrison’s Marine Chronometer - World History Encyclopedia). (ジョン・ハリソンの航海用クロノメーターの歴史と影響についての解説記事)
  2. Jonathan Betts, “John Harrison – Inventor of the Precision Timepiece,” Inventricity, 2014 ( John Harrison - Inventor of the Precision Timepiece) ( John Harrison - Inventor of the Precision Timepiece). (王立グリニッジ博物館・時計部門キュレーターによる詳細なハリソン伝記)
  3. Royal Museums Greenwich, “John Harrison’s Marine Timekeepers (H1–H4),” rmg.co.uk, 2023 ( H3 | Royal Museums Greenwich) ( The Harrison Timekeepers H1, H2, H3 and H4 – Redfern Animation). (王立博物館によるハリソン時計の紹介、技術的特徴の解説)
  4. Deutsch Wikipedia, “John Harrison (Uhrmacher),” Wikipediaドイツ語版, 2023 ( John Harrison (Uhrmacher) – Wikipedia) ( John Harrison (Uhrmacher) – Wikipedia). (ドイツ語版ウィキペディアの記事。ハリソンの初期時計の技術革新と精度に関する記述)
  5. Dava Sobel (訳: 掛川茂則), 『経度への挑戦』 (原題: Longitude), 早川書房, 1998年. (ハリソンの経度時計開発とそのドラマを描いた一般向けノンフィクション)
  6. Commissioners of Longitude, “The Principles of Mr. Harrison’s Time-Keeper, with Plates of the Same,” London, 1767 ( John Harrison - Wikipedia). (経度委員会が発行したH4の詳細図解。ハリソンの設計を示す一次史料)
  7. Rupert T. Gould, “The Marine Chronometer: Its History and Development,” London: J. D. Potter, 1923. (ハリソンを含む航海クロノメーターの包括的歴史研究。復元作業を行ったグールドによる古典的名著)
  8. Humphrey Quill, “John Harrison, Copley Medallist and the £20,000 Longitude Prize,” Notes and Records of the Royal Society, Vol. 20 No. 2, 1965 ( JOHN HARRISON, COPLEY MEDALLIST, AND - JSTOR). (ハリソンの生涯と経度賞金に関する学術論文)
  9. Jean Randier, “L’Instrument de Marine,” Arthaud, 1973 ( Chronomètre de marine — Wikipédia). (フランス語文献。航海用時計・計器の歴史。ハリソンの章では経度時計開発の苦難を詳述)
  10. Christoph Schwandt, “John Harrison (1693–1776) – der Längenproblem-Löser,” Physik-Schule.de, 2020 ( John Harrison (Uhrmacher) – Wikipedia) ( John Harrison (Uhrmacher) – Wikipedia). (ドイツの物理学史サイトの記事。ハリソンの発明と経度法について平易に解説)