ジョン・ロジャー・アーノルド

ジョン・ロジャー・アーノルド

クロノメーター工房を継承し、温度補償を発展させた時計師#

ジョン・ロジャー・アーノルド(John Roger Arnold、1769–1843)は、ロンドンとその周辺で活動したイギリスの時計師である。海洋クロノメーターの発展を担ったジョン・アーノルドの息子で、父の工房を継ぎ、1821年に新しい温度補償テンプの特許を得た。1830–1840年にはエドワード・ジョン・デントとArnold & Dentを経営した。123

父が18世紀に成立させた脱進機やひげぜんまいと、息子による19世紀の改良は区別する必要がある。1775年・1782年の父の特許やCookの航海を、息子自身の発明・使用実績とすることはできない。一方、息子の仕事も既存機構の販売だけには収まらない。補償テンプ、鍵を使わない巻上げの採用、デントとの材料研究、海軍と測量航海への供給に、実物と記録の残る仕事がある。245

生涯と工房#

父のもとでの修業とパリ#

アーノルドは1769年に生まれた。父の工房で時計製作を学び、後世の研究紹介では1783年からの徒弟修業が記される。Sotheby’sの作品解説は18歳で父の共同経営者になったとし、Gouldは共同経営の成立を約1790年とする。Arnold & Son署名の使用、共同経営、日常業務の移譲を同じ出来事とみなすと、父子の仕事の区分を誤りやすい。127

1790年代には、父と親交のあったアブラアム=ルイ・ブレゲのもとで、パリの時計製作を学んだ。研究紹介は滞在を1792–1794年とし、ブレゲの息子Louis Antoineが父アーノルドのもとで学んだ交換関係も伝える。一方、Sotheby’sの解説はパリから一年後に帰ったとし、滞在の厳密な日程には資料差がある。父のロンドン工房とブレゲのパリ工房の間で技術を学んだことが、彼の経歴の重要な特徴である。67

ロンドンでは1796年にClockmakers’ CompanyのFreemanとなったとする作品カタログがあり、同団体のMasterを務めたのは1817年である。Masterは職能団体の長という役職で、熟練した時計師一般を表す呼び名とは異なる。公式の歴代Master名簿は1817年の欄にJohn Roger Arnoldを記載している。37

父の死後の継承と技術の説明#

父は1799年に死去した。Gouldが再録した同時代の訃報は、父が約3年前に業務を退き、息子が図面と模型を引き継いだと述べる。訃報には発明の優先権を強く主張する宣伝的な表現もあるため、その評価と、業務継承の証言を分けて読む必要がある。Sotheby’sの解説も1796年の書簡に日常業務の移譲が記されるとし、正式な移譲文書の日付は1799年5月10日だという。ジョン・ロジャーは父子工房の機構・製作技術と名称を受け継いだ。27

父とトーマス・アーンショウの技術をめぐる論争にも関わった。1804年3月、経度委員会はアーンショウとジョン・ロジャーに、それぞれ脱進機の拡大模型を作るよう命じた。委員会が評価しようとしたのは時計の成績だけでなく、機構の働きと技術的な貢献だった。1805年3月7日に同委員会へ提出された『Explanation of Time-Keepers, Constructed by Mr. Arnold』も、父の機構を息子が説明した資料として知られる。89

報奨の説明では、既に父へ支払われた研究援助と、息子への最終支払いを区別しなければならない。博物館の解説はアーノルド側とアーンショウ側がそれぞれ3,000ポンドを受けたとまとめる一方、Gouldは父への既払金1,322ポンドと息子への残額1,678ポンドを区別する。報奨の決定・支払い・説明書の刊行にも1805–1806年の幅があり、息子が一度に3,000ポンドを受け取ったと単純化すべきではない。289

工房と協力者#

営業の中心はロンドンで、工房と住居はEltham、Dalston、Chigwellとも関わっていた。1821年の特許を紹介する同時代のドイツ語記事は、彼をEssexのChigwellの時計・クロノメーター製作者として記載する。Strandの販売拠点と郊外の製作拠点を、同じ場所と考える必要はない。610

重要な協力者が、父の時代から工房で働いたThomas Prestである。GouldはPrestをジョン・ロジャーの工房長と記し、1820年に懐中時計を吊り環側から巻く方法を特許にしたと説明する。現存するアーノルド製No.47にはPrest方式の巻上げが組み込まれている。製品の署名はアーノルドだが、巻上げ方式の発明者はPrestであり、署名と各機構の発明者を分けて理解できる例である。24

デントとの共同経営とフロッシャムへの継承#

1830年、アーノルドはEdward John Dentと10年間の共同経営を始めた。Arnold & Dentは84 Strandを拠点に海洋クロノメーターを製作し、航海への供給と実験研究を行った。1831年のBeagle船載表には、同社製で同社所有のNo.661が載っており、メーカーが航海へ時計を提供した具体例になっている。2511

共同経営期には、テンプとひげの材料、磁気、温度と歩度の関係を調べた。ただし、同社名で発表された研究をすべてアーノルド単独の発明とすることはできない。ガラスひげの研究ではデントの役割が大きく、実験に関わったFrederick Ripponの仕事も技術史に記録される。212

契約は1840年に終わり、デントは自分の店を開いた。アーノルドは1843年に死去し、事業はCharles Frodshamへ移った。未完成品を含む工房の仕事が継承されたため、アーノルドの名がある時計についても、父子時代、ジョン・ロジャー単独、Arnold & Dent、フロッシャムによる完成・更新という製作段階を見分ける必要がある。267

温度による誤差と1821年のテンプ#

温度補償が必要になる理由#

テンプはひげぜんまいの復元力で往復する。温度が変わると、金属部品の寸法だけでなく、ひげの弾性も変化し、振動の周期が変わる。船が寒い港から暑い海域へ進めば、出港時に測った歩度だけで航海中の誤差を補正できるとは限らない。211

原理を理想的なねじり振動として示すと、周期は次のように書ける。

\[ P=2\pi\sqrt{\frac{I}{\kappa}},\qquad \frac{\delta P}{P}\simeq\frac12\left(\frac{\delta I}{I}-\frac{\delta\kappa}{\kappa}\right) \]

Pは一往復の周期(秒)、Iはテンプの慣性モーメント(kg·m²)、κはひげのねじり剛性(N·m/rad)である。右の式は小さな変化に対する左式の一次近似。線形の復元力を仮定し、摩擦、脱進機からの衝撃、ひげ自身の慣性、振幅による変化は省く。現代の説明用のモデルであり、アーノルドがこの式で設計したという意味ではない。13

鋼のひげが熱で軟らかくなると、κの低下によって周期が長くなる方向へ働く。補償テンプは温度上昇時に重りを中心へ近づけ、Iを減らして相殺する。真鍮と鋼の熱膨張の違いを組み合わせれば、温度変化を重りの位置の変化へ変換できる。しかし二つの温度で歩度を合わせても、その中間まで完全に合うとは限らない。いわゆる中間温度誤差は、温度と弾性、重りの移動、慣性モーメントの関係全体を調整する問題である。2

二金属の横棒と支柱#

アーノルドの1821年の英国特許はNo.4531である。1835年の『Polytechnisches Journal』の失効特許一覧は、1821年1月27日付で、彼が改良クロノメーター用テンプの特許を得たと記す。後世の書誌は題名を新しい、または改良された膨張テンプとする。2910

その機構についてGouldは、真鍮と鋼を接合した横棒が熱で曲がり、両端の支柱に取り付けた重りを動かす構造を説明する。William Hardyのテンプに似た外観でも、Hardyの方式が二枚の帯の相対的な伸びを利用するのに対し、アーノルドの横棒は接合された二金属自体の曲がりを使う。材料を組み合わせる方法の違いが、支柱の動きと重りの軌道を変える。2

Gouldによれば、この装置は最初は全体のテンプとして設計され、後には主テンプの上へ重ねる補助棒としても使われた。その後者では、ストップが低温側で重りを外へ動かすのを抑え、熱い側では中心へ近づくことを許した。これは1821年の原特許の請求範囲を示す説明ではなく、後世の技術史が記録する使用形態の発展である。2

No.4531の原明細書・図面は見つかっておらず、ここでの構造説明は実読したGouldの技術史に基づく。現物を研究したJonathan Bettsも、1821年型を中間温度誤差の十分な解決とする見方には慎重で、デントによる二金属部品の追加との違いを指摘している。特許の存在、機構の工夫、実際の補償性能はそれぞれ別の問題である。214

デントの改良と機械的な限界#

デントは重りをU字またはS字の二金属片で支持し、横棒の曲がりに加えて支持片自身の曲がりも利用した。Gouldは、これによって高温側と低温側の重りの移動を異ならせ、補償の近似を改善できる一方、複雑で繊細な構造が普及の妨げになったと評価する。1821年のアーノルド案を、そのまま後代のデントの完成形と同一視してはいけない。214

温度に敏感な細い部品と、激しく往復する重りを組み合わせる設計には、剛性と慣性の問題もある。支柱を長くすれば動きを拡大できるが、往復方向が変わる際のねじれや、回転中に外へ引かれる効果が強くなり、調整した形を保持しにくくなる。Gouldが述べる後代の改良では、重りを低く置くことも対策となった。陸上での補償と、海上で壊れずに調整を保つことを合わせて考える必要がある。2

時計作品と製作技術#

父子の移行期の懐中クロノメーターNo.146#

1796年頃とされる懐中クロノメーターNo.146は、父子の工房から息子の仕事への移行を考える作品である。Sotheby’sの現物記述は、銀製ケースの1796年の刻印、JRAの文字盤署名、アーノルド型スプリング・デテント脱進機、Z形テンプ、金の円筒形ひげ、フュゼを記載する。一方、ムーブメントのJohn Arnoldの署名から「& Son」が取り除かれていること、温度補償に変更があることも記す。ケースの年と全ての機構の完成年を同一視できない。7

この時計は息子が父の方式を引き継いだ具体例だが、金ひげやデテントを息子が初めて発明した証拠ではない。現物に残る署名・変更痕と、父子の経営史を合わせて判断する必要がある。27

No.407:1812年頃の箱クロノメーター#

Royal Museums GreenwichのNo.407(収蔵番号ZAA0065)は、ジョン・ロジャー製の1日巻き海洋クロノメーターである。ぜんまいには1812年6月のRobert Clarkの銘がある。文字盤は分表示を主とし、時と秒を別の小文字盤に配したレギュレーター形式。時間を確認する実用器具として、表示と機構を観察できる。15

構造はフュゼ、チェーン、巻上げ中も動力を保つ維持動力装置、アーノルド型スプリング・デテント、円筒形ひげを組み合わせる。フュゼは巻きがほどけるにつれて変わるぜんまいの力を、円錐の作用半径の変化で補う。巻上げ中の維持動力は、この動力均等化とは別の役割である。215

所蔵館の実物調査は、部品の対応を示す点刻、組立位置を示す印、磨かれた鋼部品、真鍮の歯車と石を記録する。温度補償テンプには鋼と、当時「platina」と呼んだ特殊合金を組み合わせた部分がある。名称だけから元素としての白金と断定できない。製作工程の印と部材の観察は、署名だけでは分からない工房の仕事を伝える。15

同館が記載する振動数は毎時14,400振動で、一方向の振動を数える通常の表記なら毎秒4振動、一往復は毎秒2回となる。ただしこれは現存品の記述であり、歩度の精度を表す数値ではない。時計には後代の分針や損傷があり、現在はデテントの一部も失われている。当初の完全な状態と、保存された現物を区別する必要がある。15

No.47:Prestの鍵なし巻上げ#

Science Museum Groupが所蔵する1821年のNo.47は、金製ケース、銀の文字盤、秒小文字盤、鋼の針を備える。ムーブメントにはアーノルドの名とPatent、No.47が刻まれ、ルビー製シリンダー脱進機、広いリムの鋼テンプ、sugar-tongs型の補償、Prest方式の鍵なし巻上げを組み合わせる。4

この時計の価値は、航海用デテント式だけを作る工房という理解を広げる点にある。日常用の懐中時計でも、脱進機の材質、温度の影響、巻上げの扱いやすさを考えていた。ルビー製シリンダーという観察から、特定の摩擦係数や寿命を推定することはできない。またGouldの説明ではPrestの方式は巻上げ用であり、現代の竜頭のように巻上げと針合わせを一つの操作系へ統合した完成形と同一ではない。24

材料研究、顧客、航海での使われ方#

ガラスひげと温度の測定#

Arnold & Dentは1833年、金属のひげに代えてガラスを用いる実験を公表した。BulstrodeとMeekによる史料・現物研究は、非金属化だけでなく、磁気、材料の均質さ、弾性、温度を同時に扱う研究だったと説明する。実物のガラスひげを分析したMeekの材料研究と、当時の時計師の説明は区別されている。12

利点への期待が大きくても、完成後に歩度が長期に変わる問題が残った。1836年には海軍のFrancis Beaufortが、デントの時計に関する試験記録の継続を求めていた。研究は新しい材質の製品を出すだけでなく、時間をかけて性能を追う必要を示した。1833年の同社名義の発表を、ジョン・ロジャー自身がガラスひげを単独発明したという主張へ置き換えることはできない。12

この研究は精密時計の評価にも関わる。温度を記録せずに進み遅れだけを調べると、材料と補償の働きを見分けにくい。BulstrodeとMeekは、ガラス部品の研究が天文台の温度を伴う試験方法と関係したことを、書簡と制度の変化から論じている。12

Beagleの時計:購入、貸与、所有を分ける#

FitzRoyの1839年の航海報告は、1831年11月14日にBeagleへ積んだ22個の時計を、製作者、番号、所有者、巻きの持続日数とともに列挙する。そのうちアーノルド関係は次のとおりである。11

船内記号製作者表記製作者番号形式・巻き日数所有者
FArnold & Dent661箱型・2日Arnold & Dent
G同上633箱型・1日FitzRoy
H同上261懐中型・1日FitzRoy
LArnold634箱型・2日FitzRoy
SArnold465箱型・1日英国政府

表の「Arnold」は当時の署名表記であり、各時計の製作年をこの船載表だけから確定できない。一方、FitzRoyが個人所有する時計、政府所有品、メーカー所有の提供品が混在することは明確である。ダーウィンが同船に乗ったからといって、これらをダーウィンの所有時計とは呼べない。11

FitzRoyは、時計をジンバル付きの木箱に収め、船の運動の中心に近い低い位置の棚へ、おがくずで支えて固定したと説明する。船内の同じ方向へ12時を向け、不要に持ち運ばず、一定の担当者が巻上げと比較を続けた。8日巻き以外は毎朝9時に巻き、毎日正午に比較した。器械の品質に加え、設置場所、取扱い、比較記録が航海の計測を支えていた。11

さらにFitzRoyは、出港と入港の気温が似ていて歩度が再び近くなっても、航海途中の高温・低温で誤差が蓄積していた可能性を指摘する。二つの港で時計がよく合うことだけでは、その間も正しく動いたとは言えない。この使用者の報告は、アーノルドとデントが取り組んだ温度補償の課題を、実際の航海の側から説明する。ただし、FitzRoyの磁気・電気に関する推測を、そのまま確立した原因と扱うことはできない。11

ブレゲから贈られた時計#

ジョン・ロジャーは、父の記憶を記念するブレゲのトゥールビヨンの受贈者でもある。Emmanuel Breguetの工房史研究は、実験時計No.169が1809年に父アーノルドの息子へ贈られたと記す。同じ論考は1800年12月の申請書簡をフランス語で再録し、1801年6月26日のブレゲの特許と区別して説明する。16

この贈り物は両工房の交流を示すが、息子や父がブレゲのトゥールビヨンを発明したことを証明するものではない。時計の献辞、受贈、発明者、特許名義は異なる事実である。ジョン・ロジャーは製作者であると同時に、父の技術と交友関係を受け継ぐ相手としても歴史に現れる。16

評価と技術の継承#

Gouldは1923年の技術史でジョン・ロジャーの技量と経営を厳しく評し、デントが工房の評判を回復したと述べた。これは影響の大きい歴史家による評価だが、それ自体は生産台帳でも個々の時計の試験結果でもない。同じ著書はアーノルドの1821年の装置とその補助棒への発展を詳しく説明する。人物への評価と、具体的な技術の記述を分けて読むことで、父の名だけに依存した後継者という説明にも、一人で全てを発明した英雄という説明にも偏らずに理解できる。2

残る作品と航海の一覧が示すのは、既存の良い機構を作り続けること、協力者の方式を製品へ組み込むこと、材料の問題を試験すること、使用者が時計を比較し続けることが一つの産業を支えた過程である。フロッシャムへの事業継承と、博物館による部品・改造履歴の研究は、その工房の仕事を後代へ伝えている。241115

現代のArnold & Sonは、1995年のスイスでのブランド再興と、2010年のManufacture La Joux-Perretとの関係を自社年史に記す。これは歴史的名称の現代的な継承であり、ジョン・ロジャー本人の19世紀の工房・特許・製品と、現代製品の性能を同じものとして評価することはできない。17

年表#

資料が年単位の項目は年で示す。工房の共同経営、作品の製作、特許、後年の研究を区別する。

時期生涯・工房・技術・作品根拠
1769年ジョン・アーノルドの息子として出生1
1783年父の工房で徒弟修業を始めたとする研究紹介6
1780年代後半–1790年頃父子の共同経営。開始年には資料差がある27
1790年代パリのブレゲ工房で学ぶ。研究紹介は1792–1794年とするが、滞在期間には資料差がある67
1796年Freeman、父からの日常業務移譲の時期。No.146の銀ケース刻印717
1799年5月10日の正式な移譲文書が紹介される。父が死去、時計事業を継続27
1804年3月経度委員会が息子とアーンショウに脱進機模型を命じる8
1805年3月7日『Explanation of Time-Keepers』を経度委員会へ提出9
1805–1806年父の技術に対する報奨と説明書の刊行。累計と残額を区別289
1809年ブレゲの実験トゥールビヨンNo.169を贈られる16
1812年頃海洋クロノメーターNo.407。ぜんまいの銘は1812年6月15
1817年Clockmakers’ CompanyのMaster3
1820年工房長Prestが鍵なし巻上げ方式を特許にする2
1821年1月27日改良補償テンプの特許No.4531210
1821年Prest方式を備える懐中時計No.474
1830年デントと10年の共同経営を始める25
1831年11月14日BeagleへArnold & Dent、Arnoldの時計が積まれる11
1833年Arnold & Dentが磁気、材料、ガラスひげの研究を公表12
1836年ガラスひげの試験継続と温度記録が問題となる12
1840年デントとの共同経営が終わる2
1843年死去。事業はフロッシャムへ2717
1923年Gouldのクロノメーター技術史が刊行2
1995年現代のArnold & Sonがスイスで再興したとする自社年史17
2010年現代の同社がLa Joux-Perretの一部となる17
2017年大英博物館でガラスひげの材料分析を行う12
2019年4月Sotheby’sがNo.146の現物記述を刊行7

参考文献#

ウェブ資料の閲覧日は2026年10月10日。原作品の銘・現存部品、同時代の記録、後世の技術史、現代メーカーの年史を区別する。戸籍と顧客・製造台帳の全体は確認できず、父子工房を通じた総製作数や全顧客の一覧は断定しない。

  1. Science Museum Group, John Roger Arnold, 1769–1843。人物の同定・生没年。
  2. Rupert T. Gould, The Marine Chronometer: Its History and Development, J. D. Potter, 1923。pp.113–115(継承・報奨・デント)、162(ガラスひげ)、187–190(Hardy・1821年装置・デントの改良)、220(Prestの巻上げ)。後世の専門技術史であり、原特許とは区別。
  3. The Worshipful Company of Clockmakers, Past Masters since 1631, 2022年版。p.1、1817年欄。
  4. Science Museum Group / The Clockmakers’ Museum, Watch with Prest’s keyless winding by John Roger Arnold, L2015-3307、Clockmakers’ Museum No.378。製作者番号47、1821年、現物の機構・材質・銘。
  5. Dent London, History。1830年の共同経営、1830年代の研究・顧客。現在のメーカーによる年史。
  6. American Watch and Clock Organization掲載、The long productive life of John Roger Arnold, Chronometer Maker, 著者・刊行年表示未確認。スライド3(教育)、10(店舗・工房)、16–17(Prest)、20–24(共同経営と継承)。研究紹介の二次資料で、推測表現と事実記載を区別して参照。
  7. Sotheby’s, Watches, London, 16 April 2019, lot 36, John Arnold & Son No.146。現物の署名・部材・刻印・変更と、父子の業務移譲に関するカタログ解説。
  8. Royal Museums Greenwich, Model of Earnshaw’s escapement, ZAA0123。1804年3月の模型発注、報奨制度の解説。作品自体はアーンショウ製。
  9. George Clement Boase and William Prideaux Courtney, Bibliotheca Cornubiensis, vol.3, 1882、Arnold, JohnおよびArnold, John Rogerの項。1805年提出の説明書と1821年特許の書誌。説明書の提出日と1806年刊行を区別する。
  10. Polytechnisches Journal, Verzeichniß der in England vom 22. December 1820 bis 3. Februar 1821 ertheilten und jezt verfallenen Patente, 1835、Bd.56、Miszellen。John Roger Arnoldの項。同時代のドイツ語特許告知。原明細書ではない。
  11. Robert FitzRoy, Narrative of the Surveying Voyages …, vol.2, Appendix, Henry Colburn, 1839、pp.325–328。1831年船載表、設置・巻上げ・比較、温度と歩度に関する使用者の一次記録。Darwin Onlineの全文転写を確認。
  12. Jenny Bulstrode and Andrew Meek, Edward John Dent’s glass springs, archive and technical analysis combined, UCL公開著者稿、刊行年表示未確認。PDF pp.1–7、10–11、17–19。1833–1836年の文書研究、2017年の現物分析と温度試験史。再録・引用された当時の書簡と著者の分析を区別。
  13. MIT OpenCourseWare, Harmonic Oscillation, Chapter 1, 8.03SC Physics III: Vibrations and Waves, Fall 2016、ねじり振動節。現代の一般原理。
  14. The Mariners’ Museum, Jonathan Bettsによる物資料解説、John Roger Arnold Patent No.4531 Balance, 2002。展示品は1870年頃とされ、1821年当時の原品とは区別。特許型と中間温度誤差に関する専門家の解釈。
  15. Royal Museums Greenwich, Marine chronometer, John Roger Arnold No.407, ZAA0065、1812年頃。文字盤、ムーブメント、脱進機・テンプ・ひげ、輪列、銘、損傷・部品交換の現物調査。
  16. Emmanuel Breguet, À propos de la naissance du Tourbillon, Quai de l’Horloge, no.2。1800年申請書簡のフランス語再録、1801年特許、1809年のNo.169贈呈。ブレゲ工房の史料研究。
  17. Arnold & Son, Heritage。1796年の業務移譲、1821年の特許、1843年の継承、1995・2010年の現代企業史。現在のメーカーによる年史。