ジョン・シェルトン:天文観測と重力実験を支えた時計師

ジョン・シェルトン:天文観測と重力実験を支えた時計師

ジョン・シェルトン(John Shelton)は、18世紀のロンドンで天文観測用の精密振子時計を製作した時計師である。グリニッジでの検査、セントヘレナでの重力比較、タヒチの金星日面通過観測、ジュネーヴの観測所へと、彼の時計は異なる場所の計測を結び付けた。成果を支えたのは時計単体の精度だけではない。温度による長さの変化を抑える振子、輸送後に長さを再現する工夫、地面への固定、太陽や星による歩度の検査までを含む仕事だった。1349

グレアムの仕事場から独立した注文へ#

シェルトンの経歴は、科学者が残した記録と現存する時計から具体的に見えてくる。ジェームズ・ショートが1752年に王立協会へ示した振子の研究では、彼はジョージ・グレアムに雇われて天文時計を製作する主要な人物として紹介される。ショートはシェルトンから聞いた話として、グレアムが1737年に鋼と真鍮の棒、てこを組み合わせた温度補償振子を作ったと記した。これは製作現場を知る職人の証言であると同時に、ショートが技術の先行例を論じるために採録した資料でもある。1

その振子は、鋼棒が温度上昇で延びると、てこによって振子を持ち上げて長さの変化を打ち消す構想だった。ただし、同じ論文はグレアムの時計に突然の歩度変化が現れたことも記す。補償の原理が成立することと、実機が安定して動くことは別の問題だった。シェルトンの証言は、温度補償の原理だけでは説明しきれない、実機の歩度変動も伝えている。1

1760年12月20日付の王立協会の会計資料は、フリート・ストリートのシュー・レーン、「文字盤の看板」を掲げるシェルトンから、マスケリンが器械を購入したことを伝える。現在の目録では、複合振子と二重の無垢マホガニー製ケースを持つレギュレーターが品目として記載され、12月23日の評議会で支払承認、翌24日にダヴァルが支払ったとされる。請求書の目録記述から、科学者、王立協会の会計、時計師の工房が一つの注文でつながっていたことが分かる。2

1881年に刊行されたロンドン時計製作者組合の歴史は、組合のJournalから転載した1766年7月16日の記録で、John Sheltonをリヴァリへの加入承認者に挙げる。リヴァリは組合内の資格であり、この日付を独立開業や時計師としての仕事の開始日とは扱えない。12

生年には資料間の相違がある。王立協会の現在の紹介は1712–1777年とするが、Clocktimeの人物解説は1702年生、1712年の徒弟入りとする。出生年と徒弟入りの年を確定する原記録が揃わないため、ここでは生年を一つに定めない。グレアムの仕事場での役割を、そのままグレアムとの徒弟契約の証明に置き換えることもできない。113

何のための「天文時計」だったのか#

天文時計、またはレギュレーターは、観測で得た時刻を保持し、別の観測や時計との比較に使う基準器である。時刻そのものを時計の文字盤だけから決めるのではない。観測地で太陽や星が決まった方向を通る時刻を調べ、時計がどれだけ進むか、遅れるかを測る。こうして定めた歩度を使えば、観測と観測の間の時間を時計に委ねられる。34

ここでは、恒星を基準にする恒星時と、平均的な太陽の運動を基準にする平均太陽時を分けなければならない。同じ時計でも、どちらを基準として比較するかによって、数値で表す進み・遅れは異なる。シェルトン時計の史料にある「一日何秒」という値は、比較相手、日長の定義、振子の調整状態を伴う観測結果であり、時計師が保証した一律の製品精度ではない。34

また、航海へ運ばれた時計だからといって、海上で動かし続けるマリンクロノメーターとは限らない。マスケリンとクックの報告が詳述するのは、振子時計を陸上に据え付けて使う方法である。航海は計器を観測地へ運ぶ手段であり、船が揺れる間にもグリニッジの時刻を保ち続ける海時計とは、必要な構造も運用も異なっていた。34

セントヘレナで重力を比べる#

時計を運び、同じ振子長を再現する#

ネヴィル・マスケリンが1761年にセントヘレナで行った実験は、シェルトン時計の性格がよく分かる例である。王立協会はグリッドアイアン式の補償振子を持つ時計を用意し、出発前にはジェームズ・ブラッドリーがグリニッジに据え付けて歩度を検査した。マスケリンの報告によれば、華氏約50度の条件で恒星時に対して一恒星日あたり11秒遅れていた。3

グリッドアイアンは、異なる金属の熱膨張を組み合わせて、振子の有効長の変化を抑える方式である。この装備があるからといって、温度の影響を検査しなくてよいわけではなかった。マスケリンは時計のケース内に温度計を置き、朝・昼・夜の温度を記録した。補償機構への信頼を、実測条件の記録で補っていたのである。3

輸送時には振子を取り外さず、振子玉の形に合わせた二つの木片で前後から挟んでケースに固定した。上部も小さな木片で保持し、吊り下げ部分の近くが動かないようにした。現地で木片を外した後には、振子棒の印と調整ナットの指標を使って、グリニッジと同じ振子長へ戻した。単に「同じ時計を持ってきた」だけでなく、比較に必要な長さを再現する手順が説明されている。3

時計はジェームズ・フォート近くの谷、海面から85フィートの場所に据えた。石壁の石と石の間へ大きな木片を打ち込み、時計の背を四本のねじで固定し、底は平らな石で支えた。重いケースと壁への固定は、振子の支点が揺れるのを抑えるための実験条件だった。3

歩度差を重力差として読む#

マスケリンは太陽の南中時刻に均時差を適用して、平均太陽時に対する時計の歩度を求め、恒星の通過観測とも照合した。報告の結論では、同じ長さに調整した時計について、グリニッジとセントヘレナの重力の比を

\[ g_{\mathrm{Greenwich}}:g_{\mathrm{St\ Helena}} =10{,}000{,}000:9{,}975{,}405 \]

とした。これは1761年の観測と彼の計算による比であり、現在の標準重力値を示すものではない。両地点で振子の振幅を鉛直から片側1度45分に揃えたとも記している。3

この実験の考え方は、振子の長さを保てば、振動の速さの差から重力の差を調べられるというものだ。逆に、温度、輸送、固定方法によって振子の有効長や運動が変われば、それを重力変化と取り違えるおそれがある。そのため史料に並ぶ輸送用木片、温度計、壁へのねじ止め、振幅の記録は、付随的な道具立てではなく結果の意味を支える情報である。3

マスケリン自身は、この一つの比較から地球の形を確定しようとはしなかった。地球内部の密度が一様でなければ、重力は外形だけでなく内部構造にも依存すると論じ、異なる種類の実験を含めて証拠を増やす必要を述べる。時計の高精度と、そこから何を推論できるかという限界を分けた報告だった。3

タヒチの仮設観測所と金星日面通過#

1769年6月3日の金星日面通過は、世界各地の観測を比べて太陽系の大きさを求めるための国際的な観測機会だった。チャールズ・グリーンとジェームズ・クックの報告には、タヒチでシェルトンの補償振子時計を使った様子が残る。4

報告によれば、1769年4月13日にロイヤル湾へ投錨し、15日に湾の北端を観測地に選んだ。しかし、砦と器械の準備が整ったのは5月10日で、それ以前の観測には秒針のある携帯時計を使い、太陽高度の観測で歩度を調べていた。シェルトンの天文時計が到着時から連続して全観測の基準になっていたわけではない。4

大型テントの一端には、グリニッジで用意した木枠を地面にしっかり固定し、時計をできるだけ低く据えた。さらに約1フィート外側に別の保護枠を設け、事故で触れて動かされることを防いだ。振子の長さもグリニッジでの状態に合わせた。約12フィート離れた別の観測所には、補助時計とジョン・バードの天文四分儀が置かれた。報告は主時計と補助時計を区別しており、この記述だけで補助時計の製作者まで決めることはできない。4

原論文の観測表には、太陽の等高度観測から求めた時計による平均正午、時計近くと観測所の温度・気圧、雲や霞、観測の良否が並ぶ。基準時計があるだけでは観測時刻の正しさは保証されず、時計を天体で検査し、その際の環境も記録する必要があった。4

観測値の集計では、40の結果の平均は平均太陽時に対して一日20.8秒の遅れ、最初と最後の観測を使った37日間の計算では一日約20.9秒の遅れとなった。これに対し、付記は同じ振子長でのグリニッジの事前試験を一日1分45.8秒の進みとする。N. M.と署名されたマスケリンの注は、この比較からグリニッジとタヒチの重力比を1,000,000対997,075と算定している。セントヘレナの実験と比較時期も時系も異なり、二つの論文の歩度を一つの時計の性能値として混ぜてはいけない。4

また、5月29日の記録には巻上げと、針を10分57秒進めた操作があり、集計はその進め量を補正している。このような人為的な操作を記録から除かないと、時計が自然に大きく進んだという誤った評価になる。6月3日の表には日射を受けた時間も記され、補償振子の有無だけで現地での動作を説明していない。4

このときの振子時計の役割は、金星が太陽の縁に接する現象に時刻を与えることだった。時計の歩度を細かく調べる作業と、望遠鏡で接触の瞬間を判断する作業は別である。精密な時計を用意すれば接触観測の曖昧さまで自動的に消える、という理解はできない。論文はクックとグリーンによる接触時刻と見え方を個別に残している。4

現存する時計は同じ仕様ではない#

シェルトン銘の時計は、製作当時の構造と後年の改造を分けて見る必要がある。また、似た時計が複数の遠征に使われたため、「クックの時計」という呼称だけで個体の来歴をまとめることはできない。567

所蔵・資料番号確認できる特徴と来歴区別する点
王立協会 MOB/029マホガニー張りの長箱時計。現在の館の紹介はクック第2・第3次航海や後年の北極探検での使用を伝えるその記録を、第1次航海の時計の同定へ流用しない
Science Museum Group 1914-5911768–69年頃の機械。デッドビート脱進機、逆配置のグリッドアイアン振子、鋼のナイフエッジと瑪瑙の支持面を記載後年の改造を含む。現ケースは1882年製で、クック使用個体かは証拠不足と館が明記
Royal Museums Greenwich ZBA1765約1769年、一か月巻き。五輪列、六本の柱、巻上げ中の動力保持、補償振子などを持つ1816年のジョン・R・アーノルドによる振子ばね・脱進機の仕事を示す銘がある
アーマー天文台の平均時時計ジョージ3世のリッチモンドの観測所で1769年の日面通過観測に用いたとする所蔵者記録。1841年に王室コレクションから移管タヒチへ運ばれた時計とは別個体
ジュネーヴ科学史博物館 MHS 19911775年にマルク=オーギュスト・ピクテがロンドンで購入。観測所で長く使用同館の二冊の冊子で平均時・恒星時の説明が異なるため、使用時期と用途を区別

出典:5678910

脱進機、輪列、後補部品#

グリニッジのZBA1765は、グレアム/シェルトン型とされる背の高い二枚の地板を六本の柱で結び、重錘で五輪列を動かす。一か月巻きの動力源と、巻上げ中にも時計を動かす機構が記載されている。脱進機には長い鋼製アンクルとルビーの爪があり、補償振子は目盛を伴う。観測用時計では、巻上げの際に時刻の連続性を失わないことも設計上の課題だった。7

ただし、この時計には1816年のアーノルドによる仕事を示す銘が残る。現在のルビー爪や振子ばねを、すべて約1769年のシェルトンの製作仕様とみなすことはできない。現物の細部を正確に記述しても、それだけで製作時の姿を復元したことにはならない。7

サイエンス・ミュージアムの1914-591も同様である。館は機械の支持部や脱進機を具体的に記載する一方で、後年の改造があること、現在のケースが米国沿岸測地機関で使われていた1882年に作られたことを明記する。この個体の現在の外観を、そのまま金星観測遠征へ運ばれたケースの姿とは説明できない。6

補助時計と観測者の耳#

シェルトンの名は、基準時計を補うジョーニーマン時計にも残る。この種の時計は観測者の近くで秒を数え、主時計との比較を助ける。現存する作品と復元品は区別が必要で、Royal Museums GreenwichのZAA0602は、オックスフォードにあるシェルトン時計をもとにウィリアム・アンドルーズが1970年に製作した復元である。秒・分の二つの表示と毎分の打音を持つが、電気巻上げを備えるこの復元の仕様を、18世紀の原時計へそのまま戻してはいけない。11

ケンブリッジとジュネーヴの時計#

ダンソーンが寄贈したレギュレーター#

ケンブリッジのセント・ジョンズ・カレッジにも、約1764年のシェルトン時計が残る。大学の所蔵解説によれば、天文学者リチャード・ダンソーンが他の観測器械とともに寄贈し、1764年末から1765年初めに到着したと考えられている。月巻きの五輪列、30歯のデッドビート脱進機、グリッドアイアン振子、巻上げ中の動力保持を備える。デッドビートは、振子の振動の大部分で、ガンギ車の歯を爪の停止面で休ませ、ガンギ車を逆転させない脱進機である。14

同大学の解説は、ウィリアム・ラドラムの1769年の観測報告を引用し、歩く床から時計を隔離する石の台と壁の支持を説明する。時計は1859年の天文台閉鎖まで使われたとされ、1966年には国立海事博物館へ貸し出され、1992年に大学へ戻った。天文観測用に繰り返し作られた時計であっても、現物ごとに注文・利用・保存の経路が異なっている。14

ピクテによる購入と町への時刻供給#

1775年、ジュネーヴの天文学者ピクテはロンドンでシェルトンのレギュレーターを購入した。科学史博物館が所蔵するMHS 1991は、鋼・木・エナメル・真鍮を用い、John Shelton, Londonの署名を持つ。館の『Le théâtre des instruments』は、子午儀のそばで恒星や惑星の通過観測に恒星時を与え、20世紀初頭にも稼働して市の時計師へ平均時を供給したと説明する。9

一方、同館の別冊子『T’es où ?』は、観測者へ平均太陽時を与えた時計として紹介する。ここで恒星時と平均時を同じものとして扱うことはできない。観測時刻を保持する用途と、市の時計師へ時刻を渡す用途を分け、冊子によって説明の範囲が違うことを残しておく必要がある。910

この例は、シェルトンの時計が探検隊の観測だけに役立ったのではなく、定住する観測所の時刻業務にも使われたことを示す。観測者のそばの基準器から、町の時計製作者が頼る時刻の供給源へと、同じ器械が長い期間使い続けられたのである。9

年表#

時期資料で追える出来事
1737年ショートが1752年に採録したシェルトンの証言では、グレアムがてこ式の温度補償振子を製作。本人の出生年や徒弟契約を示す記録とは別である。
1752年ショートの論文が、シェルトンをグレアムの天文時計製作に携わった主要な職人として紹介。
1760年12月20–24日王立協会の会計目録にシェルトンの補償振子時計の購入、支払承認、支払日が記録される。
1761年マスケリンがセントヘレナで時計を用い、グリニッジと重力を比較。報告書簡は7月30日付。
1762年1月21日セントヘレナの時計の報告が王立協会で朗読される。論文の巻年表示と実際の報告日を分ける。
1764年末–1765年初め所蔵大学の推定では、ダンソーン寄贈の時計がセント・ジョンズ・カレッジへ到着。
1766年7月16日1881年の時計製作者組合史が転載する記録で、シェルトンのリヴァリ加入が承認される。
1769年5–6月クックとグリーンがタヒチでシェルトンの天文時計を据え付け、6月3日の日面通過を観測。リッチモンドでも別のシェルトン時計が用いられる。
1771年11月21日タヒチの観測報告が王立協会で朗読される。
1775年ピクテがロンドンでレギュレーターを購入し、ジュネーヴへ持ち帰る。
1777年王立協会の現在の人物表示が没年とする年。
1816年現存ZBA1765に、アーノルドによる振子ばね・脱進機の仕事を示す銘が残る。
1841年リッチモンドで用いた時計を含む王室コレクションが、ヴィクトリア女王からアーマー天文台へ贈られる。
1882年現存1914-591の交換ケースが米国で製作される。
20世紀初頭ジュネーヴの時計が観測所でなお使われ、市の時計師へ平均時を供給。
1970年アンドルーズがシェルトンのジョーニーマン時計をもとに復元品を製作。
現在王立協会、英国の博物館、アーマー、ジュネーヴなどに時計と製作・観測資料が残る。展示の有無は所蔵と区別する。

出典:1–14

シェルトンの位置づけ#

シェルトンの重要性は、温度補償や天文観測を一人で発明したという物語にあるわけではない。グレアムの仕事を知る製作者として、科学者の注文を形にし、その時計が遠い土地で比較できるようにしたことにある。観測記録を読むと、精密計時は歯車の内部だけで完結せず、輸送、固定、温度の記録、天体による校正、観測者の仕事を含んで成立していたことが分かる。134

現存時計の後補部品と来歴を区別すれば、18世紀の製作者の仕事と、その後の利用者・修理者の仕事の両方を見失わずに済む。シェルトンの時計は、天文学と精密機械製作が共同で作り上げた計測の基盤を、具体的な器械と記録によって伝えている。679

参考文献#

  1. James Short, A Letter … concerning the Inventor of the Contrivance in the Pendulum of a Clock, to Prevent the Irregularities of Its Motion by Heat and Cold, Philosophical Transactions, 47、pp.517–524、1752年、特にpp.521–522。原論文。グレアムの製作とシェルトンの証言。

2. The Royal Society, AB/1/2/1/25, Account for items bought by Mr Maskelyne from John Shelton, at the diall on Shoe Lane, Fleet Street, 1760年12月20日。会計資料目録。目録記述を参照。

3. Nevil Maskelyne, Observations on a Clock of Mr. John Shelton, made at St. Helena, Philosophical Transactions, 52、pp.434–443、1761–62年。原論文、DOI。1761年7月30日付書簡、1762年1月21日朗読。

4. Charles Green and James Cook, Observations made, by appointment of the Royal Society, at King George’s Island in the South Sea, Philosophical Transactions, 61、pp.397–421、1771年。原論文、DOI。設置、観測表、時刻比較。

5. The Royal Society, Regulator, MOB/029。所蔵品の紹介。時計の外観、人物表示、航海と実験での使用履歴。

6. Science Museum Group, Clock used for transit of Venus observations, 1769, 1914-591、構成部品Pt1–2。所蔵記録。機械と後補ケース、個体の来歴の不確実性。

7. Royal Museums Greenwich, Astronomical regulator, ZBA1765。現物記録。構造、銘、約1769年の帰属。

8. Armagh Observatory and Planetarium, Regulators, “Shelton Mean Time Clock”。所蔵紹介。王室時計と1841年の移管。

9. Musée d’histoire des sciences de Genève, Le théâtre des instruments, “Régulateur astronomique”, MHS 1991、p.64。館の冊子。署名、購入、恒星時と平均時での使用。

10. Musée d’histoire des sciences de Genève, T’es où ?, “Régulateur”, MHS 1991、p.60。館の冊子。別冊子の平均時の説明。

11. Royal Museums Greenwich, Clock, ZAA0602、William Andrewes、1970年。復元時計の記録。原作品と復元の区別。

12. S. E. Atkins and W. H. Overall, Some Account of the Worshipful Company of Clockmakers of the City of London, 1881、p.105。史料集。1766年7月16日のJournal転記。原組合台帳と刊行された転記を区別。

13. Clocktime, John Shelton (younger)。人物解説。生年・修業年は王立協会の人物表示と相違するため、確定した出生記録として扱わない。

14. St John’s College, Cambridge, John Shelton Regulator c.1764。現物と沿革の解説。ラドラム1769年の記述は大学解説中の引用による。

各オンライン資料の確認日:2026年10月24日。