ルイ・モワネ (Louis Moinet, 1768–1853)

ルイ・モワネ (Louis Moinet, 1768–1853)

ルイ・モワネは、フランスの時計師・著述家であり、美術と天文観測にも取り組んだ人物です。短い時間を秒の60分の1まで読み取る「ティエルス計器」(Compteur de tierces)と、1848年に刊行された2巻の時計技術書によって知られています。本人の著書には、完成させた器械の使用経験、他の時計師の技術の紹介、まだ試験を求める段階の提案が併存しています。その区別を追うと、高速計時という一つの発明にとどまらず、材料加工、組立・調整、音響、観測の手順を結び付けて考えた仕事が見えてきます。1 2 3

生涯と時計製作#

美術から精密機械へ#

モワネは1768年、フランス中部のブールジュに生まれました。現代の時計文化財団FHHの伝記は、裕福な農家に生まれ、少年時代から地元の時計師のもとへ通い、20歳前後でイタリアへ渡ったと述べます。ローマとフィレンツェでは建築、彫刻、絵画、宝石彫刻を学んだとされます。本人の著書にも、この滞在の具体的な回想が残ります。1 3

第1部314–315頁の脚注では、ローマのフランス人時計師からカメオの制作に用いる工具を手に入れ、友人の家具職人Yves Livinecのために楕円加工の装置を備えるギヨシェ旋盤を仕上げさせたと記しています。フィレンツェでは、トスカーナ大公の大臣Manfredini伯爵から提供された工房で宝石彫刻を行い、そのための作業台を執筆時にも所有していると述べます。後年の時計学書の中に、美術制作と機械工作が接する若い日の経験が織り込まれているのです。1

帰国後のパリで美術を教え、1800年頃から時計学に活動の重心を移したというのがFHHの説明です。同財団は、スイスの時計産地へ長く滞在したこと、ラランド、ブロンズ工芸家ピエール=フィリップ・トミール、機械人形制作者ロベール=ウーダンらとの交流も挙げています。ただし、これらの出会いをすべて同じ年の出来事と捉えることはできません。現代のデジタル展示は、別に1804–1806年のブールジュでの美術教育を記録しています。3 4

ブレゲとの協力と著作をめぐる問題#

モワネはアブラアム=ルイ・ブレゲと親交を結び、時計に関する考えをまとめるための秘書・執筆協力者も務めました。FHHによれば、この著作計画自体は完成せず、多くの手稿が残りました。現代ブランドの年表では協働期を1815–1823年としています。3 4 7

モワネ自身は第2部512頁で、名前を伏せた老時計師とその相続人をめぐる経緯を回想しています。自分の技術書の初期章を見せたところ、その時計師の仕事を代わりに記述するよう勧められ、口約束で執筆を始めたという話です。相手が亡くなった後、相続人が手稿を要求し、複写の交渉、時計学に関する書類の差押え、訴訟へ進み、最後には公証人の文書による手稿の売却で解決したと述べます。そして、自分が刊行した技術書はその初期稿を含まないと主張しました。2

これは執筆当事者による説明であり、匿名の相手の心情や訴訟の全経過まで確定する記録ではありません。それでも、モワネの著述が、職人の技術を誰が記録し、誰がその原稿を所有するのかという問題と切り離せなかったことを示す資料です。2

現代のデジタル展示によると、1823年にはパリのPorte Saint-Martin付近、Rue Meslay 32番地に精密器械の工房を構え、1837年にはパリ・クロノメトリー協会を創設して会長となりました。協会は当初37名からなり、FHHはルイ・ベルトゥー、アンティード・ジャンヴィエ、ルイ=フレデリック・ペレ、ベンジャミン・ヴリアミーらとの交流も挙げています。3 4

1853年5月21日にパリで死去し、ペール・ラシェーズ墓地に葬られたとされます。同展示の出生証明書の説明は1768年12月7日なので、この生没日で計算する満年齢は84歳です。4

ティエルス計器と天文観測#

ティエルス計器の正面。中央の長針、三つの積算表示、上部の二つの押しボタンが見える

図1:ルイ・モワネのティエルス計器。写真作者:LouisMoinet。出典:Wikimedia Commonsの個別ファイルページ。ライセンス:CC BY-SA 3.0 Unported。加工:Hohumによる既存トリミング版を縮小。掲載画像にもCC BY-SA 3.0を適用。

秒の60分の1を必要とした理由#

ティエルスは、時を分、分を秒と60分割した後、さらに秒を60分割する単位です。モワネは第2部第1531項で、自分の計器を時計の形をした器械として説明し、天文観測と物理実験への用途を挙げています。観測や実験に要する時間を細かく測るための器具でした。2

本人の説明では、望遠鏡の視野に張られた細線が近接していると、星の通過を見て、時計を拡大鏡で読み、記録してから再び接眼部をのぞく間に、次の線を見逃してしまいます。あらかじめ線と線の間を星が通る時間をティエルスで測っておけば、一つの観測を失っても、正しく捉えた隣の線の観測から中央の時刻を求める助けになります。必要だったのは、単に小さい数字を表示することだけでなく、人間の目、時計の音、読み取りと記録を組み合わせる観測手順を補うことでした。2

発想のきっかけとして、モワネはBordaに由来する小型の可動四分儀を挙げます。もともとは船上で使うための器械でしたが、陸上観測に転用するため、水平環、交差する水準器、軸、三脚などを加えたと記しています。その水平環の目盛を分単位で刻んだ人物としてFortinが登場します。この箇所の役割は光学器械の目盛加工です。2

高周波の調速機と現存個体#

第2部127頁の脚注でモワネは、ルビーを備え、注油した脱進機を製作させ、毎時216,000 vibrationsで動かして、長期間に目立つ摩耗や摩擦の増加を認めなかったと報告します。このvibrationを片振動として数えると、毎秒60片振動、往復する一周期を数える周波数では30Hzとなります。毎時28,800片振動、4Hzとの比は7.5倍です。2

細かい刻みで読めることと、観測者の操作、器械の歩度、温度や姿勢などを含む測定全体の誤差は区別する必要があります。1/60秒という表示の区分だけから、どの条件でも測定誤差がその範囲に収まるとはいえません。同様に、本人の長期使用の報告は貴重ですが、現代的な条件を定めた精度・耐久試験そのものではありません。2

現存する個体のChristie’s出品記録は、銀製ケース、直径64.7mm、金めっき真鍮製のムーブメント、フュジーと鎖、シリンダー脱進機、青焼きした平ひげを記載しています。巻き上げの残量で変わるぜんまいの力に対して、フュジーは鎖を受ける半径を変え、輪列へ伝わる力の変化を抑える機構です。5

現物写真を伴うRevolutionの技術解説によると、中央針は毎秒一周し、別の3表示が秒・分・時を積算します。二つの押しボタンが始動・停止と中央針の帰零を受け持ち、残る表示は手動で戻します。現代のハートカム式と同じ帰零ではありません。同解説は、ルビー製シリンダー、棒形のテンプ、白金の調整おもり、13石、約30時間の持続も記載しています。これらは後年の現物解説に属し、モワネの第1531項に全仕様が書かれているわけではありません。6

時計文化財団FHHは、計器が1815–1816年にブレゲ工房のJean-Nicolas Fortinによって製作されたと説明しています。一方、本人の該当頁は製作担当者を名指していません。製作の着想、器械の加工、後年の修復と年代判定は、それぞれ異なる資料から知られる事項です。2 3

年代判定と「最初のクロノグラフ」#

Christie’sの出品時の年代表示は約1820–1830年でした。現在の所有者であるAteliers Louis Moinetは、防塵蓋の刻印から1815年着手、1816年完成と判断したと説明しています。競売時と再調査後では年代の評価が異なります。またガンギ車の歯数は、出品記録が32歯、後年の写真解説が30歯を記しており、両者の記載を一つの測定結果として扱うことはできません。5 6 7

Guinness World Recordsは、1816年にモワネが制作した個体を「First chronograph」として2016年6月1日に確認したと記録しています。同記録は、2012年にジュネーヴのChristie’sでJean-Marie Schallerが購入した経緯も記しています。「最初」という位置付けはこの現存計器の始動・停止・帰零と年代に基づく認定です。クロノグラフという名称、紙に時刻を記す器械、通常の時計へ積算機構を加える設計は、別々の歴史的な段階を持ちます。14

モワネ本人は第1531項の脚注で、この器械を量産したい人には相互に有利な条件で提供できると述べています。これは製造への意思を示しますが、実際の量産や売買の記録を意味するわけではありません。現存個体の技術的意義は、商品として広く普及したことよりも、観測の具体的な不便に対して高周波の携帯計器を作り、その使用目的を残したことにあります。2

輪列、調整、材料への工夫#

全ピニオンを12歯とする二つの試作#

モワネは第2部366頁と479頁の脚注で、VaudのAudemarというエボーシュ製作者に、独自の配置を持つ懐中時計の機械を2個作らせたと述べています。特徴は、脱進機側を含め、輪列のピニオンをすべて12歯としたことです。本人はそれらをまだ使っていないblancs-roulantsとして所有しており、小型時計にも12歯ピニオンを使えることの実例に挙げています。2

歯数の少ないピニオンでは、歯が接触する位置と歯形、歯先の逃げ、切削の誤差が噛合いに強く関わります。モワネの議論は、歯を細くしすぎず、噛合いの余裕を確保しながら滑らかに力を伝えるという問題に向けられています。479頁では、スイスの工具による加工の精度を評価し、予定していたパリ製ピニオンを供給する必要がなかったとも述べます。設計の可能性を、工作精度と合わせて示そうとした試みです。2

FHHはこの2キャリバーを温度差に対する精度の改善と結び付けて紹介しています。ただし本人の上記脚注は、12歯採用の実現可能性と噛合いを述べるもので、温度補償の試験成績は示しません。輪列設計と温度による歩度変化への対策を、同じ作用として説明することはできません。2 3

球頭のひげ持ちと職人のための調整機構#

第2部第10章冒頭には、テンプのひげぜんまいの外端を固定するひげ持ちと、テンプ受けを組み合わせる具体的な工夫があります。ひげ持ちの頭を小さい鋼球とし、それを溝のある2枚の鋼板で挟み、4本のねじで締めます。先にねじを緩めてひげぜんまいが無理のない位置を取れるようにし、その位置を変えずに締めるという考えです。2

さらに、ひげ持ちを載せる腕をテンプの中心の周囲に少し回せるようにし、反対側の腕に置く角穴付きの小ピニオンから調整します。これにより、時計を組み立て直した後でも、ひげ持ちとひげぜんまいの関係を保ち、テンプを取り外して油を乱すことなく脱進機を正しく調整できると説明しています。ここでの狙いは組立・修理をする職人の調整作業です。所有者が巻鍵で日常の巻上げを容易にするための機構とは異なります。2

同書の第1部200頁に登場する可動ひげ持ちはValletの工夫として紹介されています。それを、すべてモワネの発明に数えることも適切ではありません。彼の本は自作の発表だけでなく、他者の改善を描き、比較し、保存する場でもありました。1

耐震装置は何を目指したか#

モワネは第2部第1446項で、脱進機の軸間距離を変えないことと、衝撃を和らげることを両立する耐震案を述べています。従来のばね受けを柔らかすぎると批判し、通常の受け板に近い外形で、軸端を支える部分は硬く保ち、外周に沿って十分な長さを持たせる構造を提案しました。見えるほど大きくたわまなくても、わずかな弾性が衝撃を和らげるという発想です。2

本人はこれを、ルビー製のシリンダーを保護する案と結び付けながら、時間と意欲のある時計師に試験してほしい提案として明示しています。したがって、完成品で落下試験を通過した装置、あるいは20世紀の耐震機構へ直接受け継がれた機構とまではいえません。第10章のひげ持ち構造へ「新しいpare-chute」を載せられるという記述も、調整機構と耐震装置の役割を区別して読む必要があります。2

ぜんまいの熱処理と香箱をめぐる記述#

第1部42頁では、ぜんまいの鋼帯を均一に赤熱して油で焼き入れ、その後に加熱した鉄の上を滑らせ、淡い麦藁色、金色、紫、青へと色を見ながら段階的に焼き戻す工程を説明します。これは硬さだけでなく、折損せず、曲げた後に元へ戻る弾性を得るための仕事です。色は温度計の数値の代わりに職人が工程を判断する手掛かりとして登場します。1

FHHは別に「ressort de barillet denté」をモワネの改善として挙げています。ただし、この短い表現だけで、ぜんまいの帯そのものに歯を付けた構造やその効率を再現することはできません。本人の熱処理の説明も、それ自体を歯付ぜんまいの発明を示す文章とはできません。主ぜんまい、香箱の歯、焼入れ・焼戻しの工程は、部品と加工を分けて理解する必要があります。1 3

目覚ましと円錐振子#

防塵と音の大きさを両立させる#

モワネが自用に作った目覚まし時計は、第1部第154項に具体的な経緯が残ります。時計側にはシリンダー脱進機を使い、打鐘側にはアンクルを使いました。機械を埃から守る内蓋を付けたところ、鐘とハンマーが大きいにもかかわらず音が弱まり、内蓋を外すとよく響くことに気付いたといいます。しかし、埃が入るままにすることも望みませんでした。1

そこで鐘をやや大きく、高くし、ケースも作り直しました。ケースの側面と内側の真鍮製の環に開口を設け、側面のボタンで内側の環を少し動かすと、穴が重なって開き、ずらすと閉じるようにしたのです。本人は、内蓋を残したまま開口を開くと、鐘をケース外へ出したときに近い響きを得られたと報告します。音量をハンマーの強さだけで解決せず、鐘の周囲の空間、防塵、ケースから音を出す経路を一緒に設計した例です。1

また、いつも同じ音で起こされると耳が慣れて再び眠ってしまうという使用上の観察も添えています。音の効果を機械の構造だけでなく、使う人の習慣まで含めて考えていました。ただし、これは本人の経験に基づく説明で、現代的な音圧測定や睡眠実験ではありません。1

ホイヘンスの原理を継ぐ公共時計案#

モワネの「放物線振子」の説明は、往復する振子とは異なり、重りが連続して円を描く円錐振子を対象とします。第2部第1587項で、本人はこれをホイヘンスの発明として扱っています。円運動の半径が変わっても周期の変化を抑えるため、放物線に関係する経路と吊り方を考える機構です。1 2

モワネは、絹糸を曲面に沿わせる方法の実用上の弱点に触れ、直交する二つの刃による吊り方や、小さな円を描かせる構成を説明しました。動力は長穴を持つクランク腕から伝え、円運動の振幅変化を許します。休止と落下のある脱進機の音を伴わないため、病人の寝室のように静けさを求める用途には向いても、秒の停止と音を手掛かりにする天文観測には必ずしも向かないとも述べます。2

本人はこの種の機構を、パリの通路を飾る時計の計画へ採用するつもりでした。しかし進行が遅れ、自分が手を引いた後に普通の時計案へ替えられたと回想しています。設計の装飾構成は建築家Normand父の仕事で、技術書の扉絵にも使ったと記しています。ここに残るのは、原理の新発明を主張する話よりも、既存原理を再検討し、静かな運動と公共空間の意匠へ結び付けようとした計画です。2

時計作品と顧客#

モワネの装飾時計では、機械の製作者と、像・台座・鋳造・彫金を担当する工芸家を分ける必要があります。トミールとの協業はFHHにも挙げられますが、同じ神話の人物を表す時計でも、同一個体や同一注文を意味するわけではありません。所蔵番号や銘、来歴を伴う作品から見ると、時計が美術工芸の中に置かれた様子を具体的に理解できます。3

ピッティ宮殿のフェルディナンド3世胸像時計#

イタリア文化省の目録0900095710は、ピッティ宮殿の所蔵番号MPP12276の時計を、トミールとモワネに帰属させています。制作年代は1815年頃。金めっきと彫金を施した青銅、黒大理石、白エナメルを用い、トスカーナ大公フェルディナンド3世の帰還を記念する胸像を組み合わせます。女性像の持つ本に1814年5月1日を示す銘があり、時計の装飾が政治的な記念と結び付く作品です。8

カンバーランド公の壺形時計#

David Roche Foundationの所蔵研究は、後のハノーファー王エルンスト・アウグストがカンバーランド公であった時期に注文した壺形時計を、1810年パリ製と紹介しています。新古典主義の壺の姿を時計へ取り込み、人物像を大きく載せる胸像時計とは異なる意匠です。同所蔵者は、David Rocheが代理人を通じて2005年10月のハノーファーの売立で取得した経緯も記録しています。9

ホワイトハウスのミネルヴァ時計#

ジェームズ・モンロー時代のホワイトハウスの調度として知られるミネルヴァ時計も、モワネとトミールの作品として紹介されています。購入は1817年とされます。一方、1952年8月14日のトルーマン大統領の書簡は、モンロー本人の大統領在任期の購入であり、支払書類を1818年5月4日にモンローが承認したと説明しています。購入と支払承認は別の時点で、二つの年を同じ出来事として混同する必要はありません。3 7 10

ナポレオン時計とジェファソンの時計をめぐる同定#

ユトレヒトのMuseum Speelklokに所蔵される「ナポレオン時計」No.0602は、1805年頃のパリ製とされる壺形の音楽時計です。文字盤の下にナポレオンとジョゼフィーヌの肖像があり、演奏中には二人の天使が冠を下ろします。内部のオルガンは12鍵・12本の金属製開管を持ち、単旋律の曲をシリンダーの表面に螺旋状に配置しています。12

FHHは、1806年作の「ナポレオン時計」について、8日巻き、時・分・日付の表示、日付針の内部に置いた小さな象牙球による月相表示を説明しています。これに対し、Speelklokの所蔵目録は1805年頃とし、製作者名もLouis Moinet le jeuneと記します。これらの記述を無条件に同一個体の仕様へ合わせることはできず、本稿の人物への同定には名乗りの区別も必要です。3 12

また、リヨン市が1805年に皇帝へ贈ったという伝来説について、同館は後世の競売時に現れた書簡だけでは市の発注や実際の贈呈を証明できないと説明しています。皇帝夫妻を表す作品の存在と、皇帝からの注文の確定は別の問題です。12

ジェファソンに関係する時計には、パリのモワネ作とする所蔵記述もあります。Poplar Forestの博物館研究記事は、Susan R. SteinのMonticello所蔵品研究に基づき、金色の真鍮製の棚置き時計を紹介しています。古典風の人物が柱上の地球儀へ手を伸ばし、文字盤の下に有翼像、上にランプを配置する意匠で、パリのLouis Moinet作と記されています。11

一方、ジェファソンが1790年にWilliam Shortへ送った詳しい注文仕様は、二本のオベリスクに囲まれた別の時計を対象とします。Monticelloはその1791年の製作をLouis Chantrotに帰属させています。この仕様をモワネへの注文内容として読むことはできません。各作品を分けることで、ジェファソンの時計への関心と、特定の時計師・工芸家の仕事を混同せずに追うことができます。13 16

FHHと現代ブランドは、ほかにロシア皇帝アレクサンドル1世、ジョージ4世、ミシェル・ネイ、ナポリ王ジョアシャン・ミュラなどの名を挙げています。ミュラの時計は、時・分・秒・曜日・日付・月・月相を四つの文字盤へ組み合わせ、背面から機械を見せる構成とブランドが説明します。こうした顧客一覧と個々の注文記録、そして現存作品の帰属は、証拠の範囲を分けて考える必要があります。3 7

時計学書の制作と後世の評価#

モワネの技術書は、通常『Traité d’Horlogerie』と呼ばれます。1848年の著作として知られますが、書名は版や目録により異なり、ETH図書館の所蔵目録は『Nouveau traité général astronomique et civil d’horlogerie théorique et pratique』としています。2部の本文には、機構の原理、輪列の計算、加工と組立、天文・航海用の精密時計、振子、測定器械が含まれます。本文の図と数値を照合し、他の著者の記載を訂正したり、実作者からの通信を取り入れたりする姿勢が特徴です。1 2

第2部514頁では、分冊を間隔を空けて刊行したため全体の流れが断続的になったこと、印刷経験の不足、以前の手稿を手放したことなどを、不完全さの理由として挙げています。また、図の版刻を担ったWormser、装飾文字を刻んだDouchin、印刷者Maltesteを名指して謝意を記します。本は、一人の時計師の知識だけでなく、図を作り、文字を刻み、刷る人々の仕事によって成立していました。2

ティエルス計器の再発見と現代ブランドによる収集・展示は、モワネを広く知らせる契機となりました。ただし、「忘れられた天才」という評価と、本人の具体的な仕事は区別して見ることができます。未使用の試作輪列、職人向けのひげ持ち、試験を求める耐震案、防塵と音響を考えた目覚ましは、それぞれ完成度や用途が異なります。それらを一括して現代の時計へ直接継承された発明とするより、どの問題に、どのような解を考えたかを読む方が、彼の技術の幅を理解できます。1 2

同名ブランドの2014年の自社発表は、Ateliers Louis Moinetが2004年に設立されたと記しています。17 現在、その名を用いるこのスイスの会社は、歴史上のモワネ本人の工房とは時代を隔てた会社です。デジタル展示は作品と資料を紹介し、Guinnessの記録も現存する計器の所有者を同社としています。2018年にはブールジュでImpasse Louis Moinetが命名されたと同展示は記録しています。著作のデジタル公開と現物の再調査により、21世紀の読者は、後世の伝記の要約だけでなく、本人が説明した観測と工作の場面へ戻ることができます。4 14

年表#

年・時期出来事根拠
1768年ブールジュに生まれる。現代展示が示す出生証明書の日付は12月7日3 4
1780年代末頃~1790年代ローマ、フィレンツェへ滞在。本人は宝石彫刻とManfrediniの工房を回想1 3
1790年代後半帰国後、パリで美術教育に従事したと後世伝記が記す3 4
1800年頃以降時計学を主な仕事とし、スイスの時計産地にも滞在3
1804–1806年ブールジュで美術を教えると現代展示が記録4
1810年頃カンバーランド公の壺形時計。後の所蔵者研究が1810年パリ製と記す9
1815年頃フェルディナンド3世胸像時計。イタリア文化財目録の年代8
1815–1816年ティエルス計器の着手・完成と現在の所有者が判断。競売時の年代表示は約1820–1830年5 7
1810年代~1823年ブレゲの著作への協力。現代ブランド年表は1815–1823年を協働期とする3 4 7
1817–1818年モンロー時代のミネルヴァ時計購入と支払承認7 10
1823年Rue Meslay 32番地に精密器械工房を開くと現代展示が記録4
1837年パリ・クロノメトリー協会を創設し会長となると現代展示が記録4
1848年2巻の時計学書刊行。本人の器械・工作経験と他者の技術を集録1 2 3
1853年5月21日パリで死去。現代展示がペール・ラシェーズ墓地への埋葬を記録4
1952年8月14日トルーマンがミネルヴァ時計とホワイトハウスの古い調度について書簡を送る10
2004年Ateliers Louis Moinet設立と同社が後に発表17
2005年10月David Rocheがカンバーランド公の時計をハノーファーの売立で取得9
2012年ジュネーヴのChristie’sで現代ブランドのSchallerがティエルス計器を購入14
2013年以降計器の再調査と公開。年代・機構をめぐる現代的解説が広まる6 7
2016年6月1日Guinnessが1816年製の計器をFirst chronographとして確認14
2018年ブールジュのImpasse Louis Moinet命名を現代展示が記録4
2020年10月1日Guinnessが1816年製の計器をFirst high-frequency stopwatchとして確認15

参考文献#

  1. Louis Moinet, Nouveau traité général astronomique et civil d’horlogerie théorique et pratique, 第1部、1848年刊として知られる著作。ETH-Bibliothek Zürich, Rar 17375:1。原著デジタル版。実読重点:印刷42、83–84、197–198、200、205–206、314–315頁。閲覧2026-10-23。

2. 同、第2部。ETH-Bibliothek Zürich, Rar 17375:2。原著デジタル版。実読重点:印刷127、365–366、430–431、451–452、479、512–514頁。第10章扉の無番号頁は512頁と514頁の間。閲覧2026-10-23。

3. Fondation Haute Horlogerie, Louis Moinet。現代の人物解説。閲覧2026-10-23。

4. Louis Moinet Digital Museum, The Life of Louis Moinet。現代ブランドの歴史展示。閲覧2026-10-23。

5. Christie’s, Louis Moinet, Compteur de tierces, lot 5553708。現物出品記録、Details / Lot Essay。閲覧2026-10-23。

6. Revolution Watch, Ahead Of Its Time: Louis Moinet’s “Compteur de Tierces” From 1816 Is Now Earliest Known Chronograph。現物写真と技術解説。閲覧2026-10-23。

7. Ateliers Louis Moinet, Inventor of the Chronograph および Yesterday。現所有者による年代判断と歴史解説。閲覧2026-10-23。

8. イタリア文化省、作品目録0900095710、所蔵番号MPP12276。閲覧2026-10-23。

9. The David Roche Foundation, Club Fermoy No.31、2022年、7–8頁、Today’s Treasure。所蔵者研究PDF。閲覧2026-10-23。

10. Harry S. Truman, Letter to Junius B. Wood, 1952-08-14。書簡転記。閲覧2026-10-23。

11. Karen E. McIlvoy, Traces of Jefferson’s Time at Poplar Forest、Thomas Jefferson’s Poplar Forest。Susan R. Stein, The Worlds of Thomas Jefferson at Monticello, 1993年、381頁を参照する博物館記事。閲覧2026-10-23。

12. Museum Speelklok, Tafelklok met orgelpijpen en automaten, Napoleonklok, 0602。閲覧2026-10-23。

13. Thomas Jefferson Foundation, Mantel Clocks、David Thorson、2024年6月。閲覧2026-10-23。

14. Guinness World Records, First chronograph。記録確認日2016-06-01。閲覧2026-10-23。

15. Guinness World Records, First high-frequency stopwatch。記録確認日2020-10-01。閲覧2026-10-23。

16. Thomas Jefferson, Enclosure: Jefferson’s Instructions for Procuring Household Goods, 6 April 1790、Founders Online、米国国立公文書館、Papers of Thomas Jefferson, 第16巻、321–324頁。原文転写、閲覧2026-10-23。

17. Ateliers Louis Moinet, Les Ateliers Louis Moinet receives an IIPP award at UNESCO、2014-07-11。同社設立年についての自社発表。閲覧2026-10-23。