ルイ・ルコルドン:自動巻特許とロンドンの時計流通

ルイ・ルコルドン:自動巻特許とロンドンの時計流通

ルイ・ルコルドン(Louis Recordon)は、スイス出身でロンドンに活動拠点を置いた時計師・商人である。1780年の自動巻時計の英国特許、スペンサー&パーキンスと連名で署名された時計、ブレゲ製品の英国での販売を通じ、ジュネーヴ、パリ、ロンドンの時計製作と顧客をつないだ。彼の名が入った時計を読むときは、特許を取得した者、機械を製作した者、商品を販売した者を分けて考える必要がある。123

スイスからロンドンへ#

ジャン=クロード・サブリエの時計史研究を抜粋した『FPJournal』は、ルコルドンをヴォー地方のサント=クロワに出自を持ち、ジュネーヴを経てロンドンへ移った人物とする。ジュネーヴから来たシャルル・デュポンとの協業も記す。一方、幼少期、徒弟契約の内容、誰から自動巻の着想を得たかを示す原記録は、これらの作品記述からは分からない。ペルレやブレゲとの関係を、確認できない師弟関係へ置き換えることはできない。1

生没年にも相違がある。サブリエの抜粋は1728–1824年、アンティコルムの作品目録は1756–1826年とする。サザビーズが示す1778–1824年は活動期間であって、生没年ではない。生没年と活動期間は種類の異なる記録であり、二つの生没年説は解消していない。124

ロンドンでの仕事場として確認されるのは、ソーホーのグリーク・ストリート、その後のチャリング・クロス地区のコックスパー・ストリートである。サザビーズの人物解説は、1797年にジョサイア・エマリーの事業を継承したとする。現存する天文時計にも「Recordon Late Emery London」という署名が記録される。「late Emery」は以前エマリーが営んだ事業との連続性を示す表記であり、ルコルドンの全作品をエマリーが製作したという意味ではない。25

歩く動きをぜんまいへ変える#

1780年の特許#

ルコルドンの名と結び付く英国特許はNo.1249である。サザビーズの目録は1780年3月18日の出願、7月17日の登録を記し、王立グリニッジ博物館も1780年の同番号を自動巻時計の歴史に位置付ける。ここでいう「pedometer-wind」は、歩行などによる身体の上下動を巻上げに使う方式を指す。歩数を数えて表示する機能を指す語ではない。26

特許の一次資料を探索したが、原登録簿と明細書全体の本文は取得できなかった。以下の技術説明は、実読したサブリエの解説と、現物を扱った競売目録に基づく。特許に含まれる全方式や法的な権利範囲を復元する説明ではない。127

基本となるのは、機械の縁近くを支点として動くおもりと、それを支える戻しばねである。時計を持つ人が動くと、おもりが時計本体に対して揺れ、その往復運動を巻上げへ利用する。サブリエは、縁に軸を置いた振動おもりと戻しばねを1780年特許の特徴として説明する。中央の軸を中心におもりが一周できる、今日の多くの自動巻腕時計のローターとは配置が異なる。16

「自動」という語も、外から仕事を与えなくてよいという意味ではない。人の運動を受けて主ぜんまいへエネルギーを蓄える仕組みであり、動かさず置けば蓄えた力を使って止まる。巻上げる仕組みと、時を刻む振動の規則性を保つ仕組みも別である。自動巻を備えるだけで、温度変化や姿勢差に対する精度が保証されるわけではない。6

現存品から分かる巻上げと停止#

No.141と署名された時計は、アンティコルムが1785年頃のスイス製とした、20金・エナメル・宝石装飾の自動巻・四半刻リピーターである。目録は、おもりの軸にあるコイルばね、爪とラチェットを介する片方向の巻上げを記述する。ラチェットは逆戻りを抑えながら、一方向へ回転を進めるための部品である。7

この個体では、主ぜんまいが十分に巻かれると、香箱のふたのピンによって鋼製の腕が持ち上がり、おもりを止めると説明される。歩き続けても巻上げを無制限に続けないための仕組みである。目録はさらに二重車のデュプレックス脱進機と、ケース背面の鐘を鳴らす四半刻リピーターを記す。ただしNo.141の構成を、ルコルドンの全時計や特許の全実施形態へ一般化することはできない。7

署名と部品年代から作品を読む#

スペンサー&パーキンスとの連名#

No.145の自動巻時計は、おもりに「Recordon Spencer & Perkins」と署名される。サザビーズは機械を1780年頃とし、主ぜんまいに1780年5月27日の署名日付があることを年代の手掛かりとする。一方、現在の銀鍍金ケースには1807年のホールマークがあり、文字盤も後補とされる。時計は一度作られた状態のまま伝わるとは限らず、機械、ぜんまい、ケースの年代を分けて読む必要がある。2

No.141にも同じ連名が見えるが、その目録が記す外装はヌーシャテルの刻印を持つ。ロンドンという署名の地名だけで、外装から機械まで全てをロンドン製と判断することはできない。これらは製作と販売の複数の仕事が結び付いていたことを考える具体例だが、連名だけから各人が作った部品や持分を確定することもできない。27

旅の時計に重なる三つの名#

1785年頃とされた大型の馬車時計No.2035は、時刻表示、四半刻の自動打ち、要求に応じた四半刻リピーター、アラームを備える。機械にはThomas Grignon、ダストキャップにはMarkwick Markham, Recordon London、文字盤にはRecordon Londonという異なる署名が記録される。四本脚の台で置いて使うことも、環で吊るすこともできる。8

この作品では、時刻の輪列にフュジーと鎖を使い、四半刻打ちとアラームには別の香箱がある。フュジーは円錐形の部品に巻く鎖の作用半径を変え、ぜんまいの力の変化をならす装置である。自動巻時計だけでなく、携帯・旅行、報時、顧客向けの外装を含む商品をルコルドンが扱ったことが見えてくる。もっとも、目録が推測する最終注文主の地域までは、文字盤の数字だけで確定できない。8

ブレゲと英国の顧客をつなぐ#

ルコルドンはブレゲのロンドン代理人でもあった。その役割は、単にフランスの時計をそのまま英国へ運ぶ以上のものとして、個々の売買記録と署名に表れる。ブレゲNo.2097について、アンティコルムは1807年10月17日、2,160フランでルコルドンへ売却されたと記す。この時計はルビー製シリンダー脱進機と四半刻リピーターを備え、ケースはJolyのNo.1361とされる。ルコルドンへの売却と、その先の最終顧客への販売を混同しないことが大切である。4

王室との関係を具体的に示すのは、ジョージ3世のためのブレゲNo.1297である。ブレゲ社の解説は、1808年に同王が取得した時計で、文字盤と地板にルコルドンの名が入り、ブレゲの署名はトゥールビヨンのキャリッジの下に控えめに置かれたと記す。サザビーズが紹介する製造台帳の記録では、1808年6月29日、英国王のためルコルドンへ送られた。39

トゥールビヨンは、調速機と脱進機を載せた枠を回して、姿勢による進み遅れの偏りを平均化しようとする機構である。このNo.1297では枠の回転が4分周期であり、温度計、巻上げ残量表示、観測用秒針の停止装置も備える。英国向けの表示には「Whirling About Regulator」という英語が使われる。署名がルコルドンでも、トゥールビヨンの発明やこの機械の製作をルコルドンへ帰属させる根拠にはならない。9

署名を控えた理由についてブレゲ社は、ナポレオンとの戦争中、英国王がパリの時計師の名を掲げることの外交的な事情を推測する。この説明は興味深いが、当人の指示書を伴った確定的な動機として扱うべきではない。製造、英国での販売、注文主、署名の使い分けを区別するだけでも、ルコルドンが時計史の中で担った役割が明瞭になる。3

王室の振子時計とアーマーへの来歴#

アーマー天文台は、ルコルドンが1795年頃にロンドンで製作し、ジョージ3世のキュー天文台で使われた時計を所蔵品として紹介している。装飾的なマホガニーのケースを持ち、温度と気圧の両方を補償した最初の振子時計ではないか、とする説明も添える。ただしこれは所蔵機関が示す評価であり、発明の優先権が独立に立証されたという意味ではない。10

チャールズ・モランの『アイルランド歴史科学機器全国目録』は、同館のARM065、全国番号3991を「RECORDON Late Emery LONDON」と記録する。高さ1,980mm、文字盤径275mmのマホガニー製ケースであり、1841年にヴィクトリア女王からアーマー天文台へ贈られたジョージ3世の機器群に属する。製作年代の欄は1778–1817年という幅を持つ。天文台の推定1795年頃は、サザビーズが示す1797年のエマリー事業継承より前になる。「Late Emery」という署名と製作・継承の厳密な前後関係には、資料上の不確実性が残る。2510

重要なのは、目録がこのケースには振子も重錘もないと記す点である。したがって、所蔵館の短い紹介だけから当初の気圧補償機構や精度を図解し、現存状態が当初設計を完全に残すと説明することはできない。製作者名、王室での使用、1841年の移管、調査時の残存部品は、それぞれ別に裏付けられる情報である。510

年表#

年代確認できる出来事・作品根拠
生年・没年1728–1824年と1756–1826年の二説がある。活動期間1778–1824年との混同に注意124
1778年以降ロンドンでの活動期間の始まりとして示される2
1780年3月18日・7月17日英国特許No.1249について、出願・登録の日付が目録に記される2
1780年5月27日現存するNo.145の主ぜんまいに記された日付。ケースの年ではない2
1785年頃連名の自動巻・四半刻リピーターNo.141、大型馬車時計No.2035とされる作品78
1795年頃キューで使われた所蔵時計の製作年代として天文台が示す。全国目録の年代幅は1778–1817年510
1797年サザビーズの解説がエマリーの事業継承年とする2
1807年10月17日ブレゲNo.2097がルコルドンへ売られたとされる4
1808年6月29日英国王のためブレゲNo.1297がルコルドンへ送られたと製造台帳の紹介にある9
1841年王室の機器群がアーマー天文台へ移る。ARM065もその一つ5
1992年No.141がアンティコルムの現物目録で詳細に記述される7
1995年モランの科学機器目録が刊行され、ARM065の状態と署名が記録される5
2016–2021年No.145などの作品目録とサブリエの研究抜粋が、自動巻の特許・署名の検討資料となる12

ルコルドンの重要性は、自動巻を一人で発明したという単純な物語には収まらない。揺れるおもりを時計の巻上げへ取り込む特許、複数の名が重なる現存品、ブレゲの製造台帳と英国向けの署名、王室から天文台へ移った振子時計という異なる証拠を合わせると、発明、製作、流通を結ぶ時計師として捉えられる。1235

参考文献#

  1. Jean-Claude Sabrier, 「La montre à remontage automatique」書籍からの抜粋、FPJournal, no.5, 2021, pp.2–3。F.P.Journe公開PDF。

2. Sotheby’s, “Recordon Spencer and Perkins, London”, Celebration of the English Watch Part II: John Harrison’s Enduring Discovery, 2016, lot36, No.145。作品目録。

3. Montres Breguet, “Les Tourbillons de l’inventeur”, Quai de l’Horloge, no.8。製造者・台帳保管者の解説。

4. Antiquorum, “Vendue à Recordon — Breguet No.2097”, 2008年11月16日, lot207。作品目録。

5. Charles Mollan, Irish National Inventory of Historic Scientific Instruments, Samton, 1995, pp.13–14, ARM065/3991。Trinity College Dublin公開PDF。ファイル名の2020年は電子化ファイルの識別子であり、書籍の刊年は標題紙の1995年。

6. Royal Museums Greenwich, “Pocket watch”, ZAA0695(作者不詳、1800年頃)。所蔵品解説。ルコルドン本人作の同定資料ではなく、pedometer-windと特許番号の説明を参照。

7. Antiquorum, “Recordon, Spencer & Perkins, London, No.141”, 1992年10月17日, lot468。作品目録。

8. Sotheby’s, “Recordon, London”, George Daniels: A 20th Century Innovator, 2017, lot36, No.2035。作品目録。

9. Sotheby’s, “A Masterpiece Fit for a King: George III’s Breguet Pocketwatch”, 2020。No.1297の調査解説。

10. Armagh Observatory and Planetarium, “Regulators”, Recordon節。所蔵機関の解説。

各オンライン資料の確認日:2026年10月24日。