ポール・ディティスハイム

ポール・ディティスハイム

時計の精度を材料、観測、潤滑から追究した時計師#

ポール・ディティスハイム(Paul Ditisheim、1868年10月28日–1945年2月7日)は、スイスのラ・ショー・ド・フォンで活動した時計師、クロノメーター製作者である。観測所の精度競技で知られる一方、その仕事は、温度で変わる金属の性質、船や観測所で使う時計の読み取り方、小型機構の摩擦、油の保持という相互に関係する問題に及んだ。1898年から物理学者シャルル=エドゥアール・ギヨームと協力し、後年には化学者ポール・ウォーグと潤滑の研究を進めた。1 2

彼の特徴は、時計を一つの発明だけで説明できないことにある。デテント脱進機とアンクル脱進機を用途に応じて比較し、温度補償された大型のクロノメーターと直径6.75 mmの小型ムーブメントを製作した。さらに、機械式時計の刻みを電気接点で取り出して毎秒の音にする装置を自ら発表している。材料、製作、精密調整、試験、観測者の操作を結び付けた仕事として見ると、その広がりが理解しやすい。3 4 5

生涯と仕事の場#

時計産業の家庭から独立工房へ#

ディティスハイムはラ・ショー・ド・フォンに生まれた。父Gaspardはアルザス出身の時計製造業者、母はJulie Ditisheimで、家族は1871年に同市の市民権を得た。『スイス歴史事典』は時計学校での就学を1884–1887年とし、その後に外国で修業したと記す。スイス国立博物館の伝記では、1888年にパリ、ベルリン、イギリスのコヴェントリーで経験を積んだ経歴が紹介されている。1 2

1892年、彼は自分の時計調整工房を開いた。1895年にはヌーシャテル観測所の競技で成果を上げ、航海用時計の部門にも仕事を広げた。調整とは、単に表示時刻を合わせる作業ではない。姿勢や温度、ぜんまいの巻き上げ状態などで変わる歩度を測り、機構と材料を組み合わせて、その変動を小さくする仕事である。ディティスハイムの経歴は、こうした精度を専門とする工房から発展した。1

ギヨームとの協力は1898年から続く。低膨張合金や弾性の温度変化が小さい合金を時計へ応用するには、物理学上の性質だけでなく、実際のひげぜんまいとてんぷで試験する必要があった。1900年の国際クロノメトリー会議でギヨームは、ディティスハイムの懐中クロノメーターによる比較を、新しい補償てんぷの効果を確かめる例として取り上げている。ディティスハイムは、合金を発明したギヨームと同一人物ではなく、時計への実装と調整・評価を担う協力者だった。6

1917年には健康上の事情を背景に事業を株式会社化し、研究へ比重を移したと『スイス歴史事典』は記す。Paul DitisheimとSolvilの名を持つ時計がこの時期以降の資料に現れるが、本人の工房、会社の再編、後続するブランドの活動は区別する必要がある。1920年代にはパリでウォーグと潤滑の研究を行った。スイス国立博物館は1929年に事業を売却してパリへ移住したとし、1932年に出願した米国特許でも本人の住所はパリとなっている。1 2 7

第二次世界大戦中の1940年にはニースへ移り、1943年にスイスへ戻り、ジュネーヴで暮らした。ユダヤ系の彼にとって、これは戦争と迫害のもとでの移動でもあった。1945年2月7日にジュネーヴで死去した。生涯の晩年を含め、精密時計の研究は、地域の時計産業だけでなく、フランスの化学研究や国際的な観測・試験制度との関係の中で進められた。1 2

時計史の著述も晩年の仕事に含まれる。『スイス歴史事典』は共著『Pierre le Roy et la chronométrie』(1940年)と、『Le spiral réglant et le balancier depuis Huygens jusqu’à nos jours』(1945年)を著作として挙げる。前者はピエール・ル・ロワとクロノメトリー、後者はホイヘンス以来の調速ひげぜんまいとてんぷを題する書物であり、時計の材料と調整を研究した人物が、その歴史にも関心を向けたことを伝える。1900年にはレジオン・ドヌール勲章シュヴァリエに叙されたことも同事典に記録されている。1

協力者と役割の違い#

ギヨームは金属の膨張と弾性の性質を研究し、ディティスハイムはそれを個々の時計で検証した。ウォーグは潤滑剤と金属表面の扱いを研究し、ディティスハイムは試験するクロノメーターを提供した。これらは師から弟子への一方向の継承というより、物理学、化学、時計製作を横断する協力である。6 8

また、Solvilに属する特許をすべて本人の発明とすることもできない。1932年公開の米国特許US1859866Aでは、発明者はWerner Albert Dubois、権利の譲渡先はFabrique Solvil des Montres Paul Ditisheim S.A.である。本人の名が会社名に含まれていても、発明者欄とは別である。この区別は、てんぷの各方式を理解するうえでも重要になる。9

温度補償を時計の中で成立させる#

ひげぜんまいとてんぷを一組として扱う#

てんぷ時計では、ひげぜんまいの復元力とてんぷの慣性が周期を決める。小振幅の理想的なばね振動子として表せば、周期は

\[ T \simeq 2\pi\sqrt{I/\kappa} \]

となる。ここで I はてんぷの慣性モーメント、κ はひげぜんまいの角変位に対する有効な復元係数である。これは原理を整理する近似で、実時計の脱進機による衝撃、振幅、摩擦、ばねの形状までそのまま表す式ではない。温度で κ が変わるなら、I の変化と組み合わせて周期の変化を減らす必要がある。Duboisの特許も、ばねの弾性係数とてんぷの慣性を対応させる問題から説明を始めている。9

鋼のひげぜんまいを使う従来の補償てんぷでは、温度上昇でばねが弱くなる効果に対し、二種類の金属の膨張差でてんぷの部分を内側へ動かし、慣性を小さくして補った。しかし、ばねとてんぷの温度応答が全域で一致するとは限らない。二つの温度で歩度を合わせても、その間に残る誤差があり、これが中間温度誤差の問題となる。6

ギヨームは低膨張のニッケル鋼を利用し、鋼と真鍮の組み合わせを改めることで、この温度応答のずれを減らそうとした。1900年の会議報告では、ディティスハイムの複数の懐中クロノメーターで、新しいてんぷの補償を比較した結果が述べられている。本報告は長期安定性には長い観察が必要だとし、1902年刊の脚注では、その後の試験が新しいてんぷの安定性を確認したと補足する。当時の試験による確認と、あらゆる条件での完全な補償は同じ意味ではない。6

エリンバーとアフィックス#

後のエリンバー(Elinvar)は、弾性の温度変化を小さくすることを目的とした合金である。このひげぜんまいを使えば、鋼ばねのための大きな補償を減らし、単一金属のてんぷを利用できる。しかし、製造時の組成、加工、熱処理などによって、残る温度誤差は個々のばねで異なる。ディティスハイムの1934年公開特許は、同じ溶解材から作ったばねでも、その後の加工が補償の違いに関係すると説明している。7

そこで、単一金属のてんぷに小さな二金属部品を取り付け、残りの温度誤差を調整するアフィックスが用いられた。二金属の膨張差によって部品が曲がり、その先の重りが内外へ移動する。てんぷ外周へ一端を固定した小さな曲線部品なので、大きな切断リム全体を動かす方式とは構成が異なる。1934年特許の図3・4は、どちらの金属を内側にするかによって、加熱時に補償ねじをてんぷのリムへ近づけるか、離すかを選べることを示している。7

初期アフィックスのスイス原特許の本文は未取得である。時計修復・収集資料のClinique Horlogèreは、CH91169とCH98234をこの発展に関係する特許として紹介し、1920年代の実物を比較している。この初期の特許同定は同資料に帰属する。一方、ここで説明する曲げ方向と製造工程は、本文と図を確認できるディティスハイム本人の米国特許に基づく。7 10

1934年特許が扱う製造の問題#

US1982726Aは、スイスで1931年4月2日に出願した案件に基づき、米国では1932年3月26日に出願、1934年12月4日に公開された。発明者はPaul Ditisheimで、対象は補償てんぷに取り付ける二金属部品の製造方法である。アフィックスという考え方の最初の成立年を、この米国公開年に置くことはできない。7

特許は従来の加工として、鋼の円板の溝へ真鍮を入れて接合し、旋盤で二金属の輪を作り、穴を開けてから曲線部品へ分割する手順を説明する。これに対する提案は、長い平らな二金属帯から部品を取り、てんぷのリムに合う曲率へ曲げる方法である。接合した帯の製造には圧延など複数の方法を挙げ、曲げと切断の順序が異なる実施例も示す。小さな部品を輪から切り出す方法だけに限定せず、材料の帯から繰り返し作れるようにする製造上の工夫だった。7

また、曲げた部品の熱処理で形状を安定させる工程を述べている。ここから読めるのは、製造時の形状と材料の扱いを補償機構へ結び付けた設計である。特許が存在すること自体は、全製品の精度、耐磁性、量産時の歩留まりを証明しない。7

DuboisのUS1859866Aは別の構成で、切れ目を持つ単一金属のリムと、膨張率の異なる付加質量を組み合わせる。アフィックスの取り付けの難しさにも言及し、例えばリムの自由端に異種金属を入れる方式を示す。会社の名は共通していても、ディティスハイム本人の二金属帯の製造特許と、Duboisによるてんぷ構成の特許は、発明者も扱う問題も区別できる。9

脱進機を用途から選ぶ#

1900年の分類論#

ディティスハイムは1900年の国際クロノメトリー会議で「脱進機の分類」を発表した。報告は、脱進機がてんぷへ衝撃を与える局面、停止を保持する局面、てんぷが自由に動く弧を分けて考える。ここでの関心は、ある脱進機の名称だけで時計の優劣を決めることではなく、動作と使用条件を比較することにある。3

デテント脱進機は精密なクロノメーターで重要だったが、衝撃や運搬による停止などの扱いにも注意を要する。アンクル脱進機は携帯して使う時計と親和性が高い。会議報告は、フランスとイギリスの海軍で、振動のある水雷艇などにアンクル式のデッキウォッチを使う例を挙げる。ただし、この記述は方式の採用例であって、そのすべてをディティスハイム個人への発注とする根拠ではない。3

五分の一秒の機械から毎秒の音を取り出す#

1922年、本人は「秒を打つアンクル式クロノメーター」をスイス自然科学会の会合で報告した。同じ基本構成で、デテント式とアンクル式の二つの版を用意したという。天体が目盛や基準線を通過する瞬間を見ながら秒の音を数える「目と耳」の観測では、聞き分けやすい秒の信号が役に立つ。彼は、アンクル式の運搬・操作上の利点を保ちながら、その信号を出すことを目指した。5

報告の時計は毎時18,000振動、すなわち毎秒5振動で動く。ここでの振動数は時計学の刻みの数であり、毎秒5往復という意味ではない。5回の刻みごとに電気接点が働き、電磁石のアーマチュアを動かす。共鳴箱でその音を聞かせ、分の始まりは一拍を無音にして区別する。観測者が速い刻みを直接数えなくても、毎秒の明瞭な信号と分の区切りが得られる仕組みである。5

本人は、電話の受話器を使う方法や、リレーで音を強める方法も述べる。電源には携帯できる電池を使い、船の甲板や観測所内の別の位置でも、時計自体を運ばずに音を聞けるようにした。電気は信号を取り出して伝えるために使われており、時を刻む基準は機械式のてんぷとひげぜんまいである。水晶時計のように電気的発振で歩度を定めるものではない。5

現存する作品と、その記録が語る範囲#

小型時計――6.75 mmに収める摩擦の問題#

1899年の『La Nature』は、ディティスハイムの極小時計を紹介している。ギヨームによる記事は、ムーブメントの外径を3リーニュ、すなわち6.75 mm、全体の質量を95サンチグラム、すなわち0.95 gと記す。ガンギ車は0.75 mg、ひげぜんまいは直径1.78 mmで0.1 mgだった。これらは1899年の掲載記事の測定記載であり、現在の同定済み収蔵品を再測定した値ではない。4

同記事は、新しく清掃・注油した状態では28時間動くが、油が濃くなると15–16時間へ短くなると説明する。ぜんまいにまだ力が残っていても、摩擦によっててんぷの振幅が不足し、脱進機を進められなくなるという指摘である。小さく作ることと、長く安定して動かすことは同じ課題ではない。4

ギヨームはこの問題を、相似な形状の縮小では体積が長さの三乗、表面積が二乗に比例するという幾何学的な比較で説明した。小型化で蓄えられるエネルギーが減る一方、表面に関係する作用や毛管力の比重が増すという見方である。これは小型機構の制約を説明する当時のモデルで、あらゆる軸受の摩擦が寸法の二乗に厳密に従うという法則ではない。4

懐中トゥールビヨンNo.16639#

Phillipsの現物カタログには、ムーブメント・ケース番号16639、直径56 mm、18金のハンターケースを持つ懐中トゥールビヨンが記録されている。カタログが記す機構は、1分で回るキャリッジ、アーンショウ型のスプリング・デテント脱進機、ギヨーム式てんぷである。金とプラチナの調整ねじも記載される。11

同資料は1903年という年代を挙げる一方、ケースの英国刻印の年字は1909年とする。ムーブメントの年代と現存する外装の刻印を、単一の製造年月へまとめることはできない。また、94.9点というキューの成績は時計に刻まれた表示として紹介されている。これは現物の記録として重要だが、ここで参照する資料は試験台帳の原本ではない。競技の点数を、そのまま任意の温度・姿勢での日差へ換算することもできない。11

Solvil No.1001――観測用の表示と操作#

Christie’sのカタログにあるSolvil No.1001は1921年頃の箱型クロノメーターで、中央の秒針、五分の一秒の外周目盛、偏心した24時間の時・分表示を備える。記載された機構はアンクル脱進機、ギヨーム式てんぷ、青焼き鋼の平ひげぜんまいである。真鍮の枠を持つ箱に入り、外側のローレット付き車から間接的に針を合わせる構成も説明される。12

この個体の秒表示は、1922年の本人の報告が扱う観測用時計の問題と関係する。ただし、カタログに電気接点や受話器の付属が記されていない以上、No.1001を秒音装置の現存完成品と同定することはできない。似た表示や同時期の製品でも、付加装置の有無は別に確認すべき事項である。5 12

Science Museumの交換式脱進機を伴う時計#

Science Museum Groupの所蔵品1925-193は、Paul Ditisheimから受け入れたクロノメーターである。主な時計の構成は、真鍮のケージ、アンクル脱進機、ギヨーム式てんぷ、鋼のひげぜんまい、ガラス蓋を持つマホガニー箱と記載される。さらに、取り外せる別のケージとして、デテント脱進機とエリンバーひげぜんまいを含む部品が保存されている。13

この資料は、脱進機とばね・てんぷの組み合わせを変えて比較できる構成を、現物に即して伝える。目録の最上位では1925年とする一方、部品別では時計を1900–1910年頃、外箱を1925年と記す。したがって、時計の全構成部品が1925年に同時製造されたとは断定できない。異なる年代情報を持つ組み合わせとして扱うのが、所蔵記録に忠実である。13

潤滑、気圧、試験条件#

油の種類だけでなく、留まる場所を考える#

1926年のLéopold Reverchonの記事は、ディティスハイムとウォーグの協力を、時計の潤滑に関する具体的な試験として紹介する。動植物由来の油は経時変化が問題となり、鉱油は安定性を期待できても、金属表面で広がって必要な軸受から離れやすい。ウォーグは、金属表面へ非常に薄いステアリン酸の層を作り、鉱油を所定の場所に保持する処理を研究した。同記事は彼をClichyのWisner研究所の責任者として紹介している。8

記事の図2は、ディティスハイムの時計3個を使った、1925年10月のヌーシャテルでの観測結果を示す。2個は鋼ひげぜんまいとギヨーム式てんぷ、1個はエリンバーひげぜんまいと単一金属・アフィックス式てんぷで、試験温度の範囲は−21.5°Cから+48°Cだった。ここで比較されているのは、鉱油と表面処理を実際のクロノメーターへ用いた結果である。8

この取り組みは、油を不要にする設計ではない。油を軸受に保持し、温度変化の下でも仕事をさせる研究である。また、記事中にはさらに広い温度域の試験構想も述べられるが、図示された試験の温度範囲とは区別される。潤滑、ばね、てんぷを含む時計全体の記録から、油だけの性能を独立に取り出すこともできない。8

時計を取り巻く空気と磁気#

スイス国立博物館の伝記は、ディティスハイムが気圧や磁気の影響にも取り組んだこと、1924年に標高3,135 mのゴルナーグラートへ航海用時計20個と小型の腕時計12個を運び、気圧の影響を比較したことを紹介する。温度だけを合わせれば、使用場所の条件がすべて同じになるわけではないという問題意識が、ここにも表れている。2

ただし、これは博物館による後世の解説であり、個々の時計の圧力係数や耐磁限界を示す原試験記録ではない。1934年特許も、残留磁気の問題が少ない金属を材料の選択肢として挙げるが、その記述から、すべてのDitisheim時計が一定の磁界に耐えると判断することはできない。用途に応じた条件の確認と、製品全体の性能保証は別の段階である。2 7

使用者、評価、現在残る仕事#

ディティスハイムの仕事を支えた利用の場は、観測所、航海、精度を試験する研究機関だった。スイス国立博物館は、イギリス海軍、極地探検、航空などへの供給を紹介する。Solvil No.1001には政府や米国海軍への供給者であることを示す銘も記録される。ただし、こうした伝記や製品上の銘は、各発注の年月、数量、採用した全機種を確定する契約台帳ではない。2 12

評価の中心には観測所競技があり、『スイス歴史事典』は1895年のヌーシャテルでの成果を、国立博物館は1912年のキューでの記録を挙げる。そこから見えるのは、時計を外部の試験へ送り、精度を比較する環境との深い関わりである。競技用に調整された個体の成績と、市販されたすべての時計の実使用成績は分けて理解する必要がある。1 2

現在の継承を最も具体的に示すのは、所蔵品と読める資料である。Science Museumの時計は脱進機・材料の組み合わせを残し、当時の論文は観測のための音や小型化の限界を伝える。原特許では、二金属部品をいかに作るかまで追うことができる。これらはSolvilという名称の後代の使用とは別に、本人の設計上の考え方を確かめられる根拠となる。3 5 7 13

ディティスハイムの仕事は、精度を一つの機構の優秀さだけへ還元しない。ばねの材料に合わせててんぷを補償し、脱進機を使い方に合わせ、観測者へ伝える信号を整え、微量の油が留まる表面まで調べる。その各段階を実物と試験に結び付けた点に、時計史上の意義がある。

年表#

年月出来事資料で確認できる内容
1868年10月28日ラ・ショー・ド・フォンに生まれる父Gaspard、母Julie。1
1871年家族が同市の市民権を取得地域への定着。1
1884–1887年時計学校で学ぶ『スイス歴史事典』の就学期間。1
1888年頃外国で修業パリ、ベルリン、コヴェントリーを博物館伝記が挙げる。2
1892年独立した調整工房を開く精度を専門とする仕事の基盤。1
1895年ヌーシャテルの競技で成果航海用時計への展開。1
1898年ギヨームとの協力が始まる金属材料と時計への応用。1
1899年極小時計が『La Nature』に掲載6.75 mm、0.95 g、潤滑と作動時間の記述。4
1900年国際クロノメトリー会議で発表本人の脱進機分類、ギヨームによる比較試験の報告。会議録は1902年刊。3 6
1900年レジオン・ドヌール勲章シュヴァリエHLSの経歴記録。1
1903年/1909年No.16639の年代情報カタログの1903年とケース年字1909年を区別。11
1912年キューでの精度記録博物館の歴史解説による。2
1917年事業を株式会社化健康上の事情と研究への比重移動。1
1921年頃Solvil No.1001アンクル式の箱型クロノメーターの現物記録。12
1922年秒音を出す時計を発表毎秒5振動から毎秒の電気・音響信号を取り出す。5
1924年ゴルナーグラートで比較気圧の影響を調べたことを博物館が紹介。2
1925年10月潤滑の温度試験3個の時計、−21.5°Cから+48°C。8
1925年Science Museum所蔵品の年代情報最上位の年代表示と、部品別の製造年代を区別。13
1926年潤滑研究の雑誌報告ウォーグの表面処理とディティスハイムの試験時計。8
1926年2月6日Duboisの案件をスイスで出願後のUS1859866A。発明者とSolvilの帰属を区別。9
1929年事業を売却、パリへ移住国立博物館の伝記による。2
1931年4月2日二金属部品の製造案件をスイスで出願後の本人のUS1982726A。7
1932年3月26日同案件を米国で出願本人の住所はパリ。7
1932年5月24日US1859866A公開Duboisによる切断リムと付加質量の構成。9
1934年12月4日US1982726A公開二金属帯からアフィックスを作る方法。7
1940年ニースへ移る戦時の移動。2
1940年ピエール・ル・ロワに関する共著HLSに記録される書誌。1
1943年スイスへ戻るジュネーヴで暮らす。2
1945年2月7日ジュネーヴで死去76歳。1
1945年ひげぜんまいとてんぷの歴史書HLSの著作書誌。1
現在時計・特許・学術報告が保存・公開されるMuseumの部品記録と原文を通じ、異なる設計を比較できる。5 7 13

参考文献#

  1. Anne Jeanneret-de Rougemont, “Ditisheim, Paul”, Historisches Lexikon der Schweiz, ドイツ語版、2000年版、2004年4月14日編集。生没、家庭、教育、1892年工房、ギヨームとの協力、1917年の事業変更、パリでの研究を記す歴史事典。(閲覧:2026年10月12日)
  2. Gabriel Heim, “Paul Ditisheim, Weltmeister der Zeitmessung”, Schweizerisches Nationalmuseum, 2018年4月30日公開、2025年12月17日更新。修業、利用者、気圧試験、晩年の移動についての博物館の歴史解説。(閲覧:2026年10月12日)
  3. Paul Ditisheim, “Classification des échappements”, Congrès international de chronométrie. Comptes rendus, 1900年会議、1902年刊、pp.40–46。本人による脱進機の動作と用途の比較。CNAM所蔵デジタル原文。(閲覧:2026年10月12日)
  4. Charles-Édouard Guillaume, “Montre minuscule”, La Nature, 1899年上半期、p.162。小型時計の寸法・質量・作動時間と縮小による制約を述べる当時の記事。本文とページ画像を確認。(閲覧:2026年10月12日)
  5. Paul Ditisheim, “Chronomètre à ancre battant la seconde”, Actes de la Société helvétique des sciences naturelles, 103, 1922, pp.196–197。本人による発表報告。機械式振動から毎秒の音を取り出す構成を記す。(閲覧:2026年10月12日)
  6. Charles-Édouard Guillaume, “Les aciers au nickel et leurs applications à la chronométrie”, Congrès international de chronométrie. Comptes rendus, 1902, pp.90–112、特にpp.106–110。合金の応用、Ditisheimの時計による比較、長期観察の必要性についての当事者報告。(閲覧:2026年10月12日)
  7. Paul Ditisheim, US1982726A, “Process of manufacturing bimetallic appendixes for monometallic balances”, 1934年12月4日公開。原特許PDF。図、説明、10項の請求を確認。構造・工程の記述であり、全製品の性能試験ではない。(閲覧:2026年10月12日)
  8. Léopold Reverchon, “Graissage scientifique en chronométrie”, La Nature, 1926年上半期, pp.56–59。図2を含むp.57。当時の報道記事。ウォーグの表面処理と時計3個の温度試験を述べる。観測所の原台帳そのものではない。(閲覧:2026年10月12日)
  9. Werner Albert Dubois, US1859866A, “Regulating device for clockworks”, 1932年5月24日公開。原特許PDF。Solvilへの譲渡を記す。発明者、切断リム、異種金属の付加質量、エリンバーの残留温度誤差を確認。(閲覧:2026年10月12日)
  10. Clinique Horlogère, “Paul Ditisheim, chronométrier à La Chaux-de-Fonds”。時計修復・収集資料。初期アフィックス特許番号と1920年代の実物比較について参照。紹介するスイス原特許の本文は未取得。(閲覧:2026年10月12日)
  11. Phillips, Paul Ditisheim No.16639, lot 138。現物を扱った販売カタログ。機構、ケース刻印、試験点数の刻銘を記録。試験原台帳の代用ではない。(閲覧:2026年10月12日)
  12. Christie’s, “An Important Swiss two-day centre-seconds marine chronometer with lever escapement”, No.1001、1921年頃の個体。現物の表示、アンクル脱進機、ギヨーム式てんぷ、ケース操作と銘を記す販売カタログ。(閲覧:2026年10月12日)
  13. Science Museum Group, “Chronometer movement in brass cage”, 1925-193 / co467。所蔵機関の実物記録。提供者、交換用ケージ、ひげぜんまい、部品ごとの年代を確認。(閲覧:2026年10月12日)