ピーター・ヘンライン(Peter Henlein)

ピーター・ヘンライン(Peter Henlein)

生涯と経歴 #

ピーター・ヘンラインは15~16世紀ドイツ・ニュルンベルクの職人で、携帯式時計(懐中時計)の発明者とされる人物です ( ピーター・ヘンライン - Wikipedia)。生年は1479年または1480年頃と推定され、1542年8月にニュルンベルクで没しました ( ピーター・ヘンライン - Wikipedia)。もともとは鍵職人(錠前師)として修業を積み、当時の鍵職人は現代でいう精密機械工のように複雑な機械装置の製作にも関わっていました ( Peter Henlein | Encyclopedia.com)。1504年9月、ヘンラインは仲間の鍵職人との喧嘩に巻き込まれ、相手が死亡する事件が起きます ( Peter Henlein - Wikipedia)。ヘンラインは裁判を逃れるためニュルンベルクのフランシスコ会修道院に逃げ込み、1504年から1508年まで保護を受けました ( Peter Henlein - Wikipedia)。この修道院は科学や天文学の知識の中心地でもあり、匿われている間にヘンラインは時計製作の技術を深めた可能性があります ( Peter Henlein - Wikipedia)。1509年11月に和解が成立し、以後ヘンラインはニュルンベルクでマイスター(親方)として公認されて活動を再開しました ( Peter Henlein – Wikipedia)。彼は生涯に3度結婚し、市民として身を立てながら**「マイスター時計職人」**として評価を高めていきます ( Peter Henlein - Wikipedia) ( Peter Henlein - Wikipedia)。1541年にはニュルンベルク近郊のリヒテンアウ城の塔時計を製作・設置する依頼を受けており、大型時計も手掛けるようになっていました ( Peter Henlein – Wikipedia)。1542年、ニュルンベルクで亡くなり、同市の聖カタリーナ教会に埋葬されています ( Peter Henlein - Wikipedia)。

当時の技術的背景 #

ヘンラインが活躍した時代、機械式時計はようやく実用化されたばかりでした。初期の機械式時計は重りの落下する力を動力源としており、重りを吊るす高さが必要なため大型で固定式のものしかありませんでした ( Portable Clocks | THE SEIKO MUSEUM GINZA)。教会の塔や公共施設の大型時計が主流で、携帯できる時計は「考えられない」状況だったのです ( Portable Clocks | THE SEIKO MUSEUM GINZA)。15世紀になるとゼンマイばね(メインスプリング)が発明され、重りに代わる駆動源として用いられるようになりました ( Portable Clocks | THE SEIKO MUSEUM GINZA)。ゼンマイは重りに比べて小型で、時計を傾けたり運んだりしても影響が少ない利点がありました ( Portable Clocks | THE SEIKO MUSEUM GINZA)。このゼンマイの登場により、時計の小型化・可搬化への道が開かれます。しかしゼンマイそのものはヘンライン以前の15世紀前半には既に使われ始めており、現存するゼンマイ式時計が2つ確認されています ( ピーター・ヘンライン - Wikipedia)。つまり、ヘンラインがゼンマイそのものを発明したわけではありません ( ピーター・ヘンライン - Wikipedia)。

ではヘンラインの功績は何かというと、小型ゼンマイ式時計の実現でした。彼はゼンマイと歯車機構を極限まで小型化し、当時としては画期的な「身に着けて持ち運べる時計」を作り上げました ( Peter Henlein - Wikipedia)。それまでにも卓上時計を小型化しようという発想はありましたが、ヘンラインはそれを一歩進め、胸ポケットや袋に入れて携行できる携帯用の時計という新しい技術の創造に成功したのです ( Peter Henlein - Wikipedia)。この小型時計は傾けてもあらゆる向きで動作し、重量駆動を使わず連続して時を刻む点で当時の人々を驚嘆させました ( Peter Henlein | Encyclopedia.com)。ニュルンベルクは当時「職人の都」として知られ、ルネサンス期の創意工夫に富んだ雰囲気の中で様々な金属工芸や精密機械工業が発展していました ( Peter Henlein - Wikipedia)。ヘンラインもそうした知的で技術革新に積極的な空気の中で腕を磨き、この環境が彼の卓越したクラフトマンシップの土台となりました ( Peter Henlein - Wikipedia)。鍵職人として培った精密加工の技能と発想力が、時計という新分野に応用され、結果として世界初期の携帯時計が生み出されたのです ( Peter Henlein - Wikipedia) ( Peter Henlein - Wikipedia)。

携帯時計の発明と代表作 #

ヘンラインは1500年代初頭から、小型のゼンマイ式時計(当時は「小さな時計 (Uhrlein)」などと呼ばれました)を作り始めました ( Peter Henlein | Encyclopedia.com)。彼の作った時計は真鍮製の小さな懐中時計で、豪華な装飾を施した香炉(ポマンダー)型や円筒型の容器に収められていました ( Peter Henlein - Wikipedia) ( Peter Henlein - Wikipedia)。1505年製とされる火煆(金メッキ)のポマンダー型時計は、おそらくヘンラインの作品であり、現存する世界最古の懐中時計の一つとみなされています ( Peter Henlein - Wikipedia)。また、1504~1508年頃に彼が製作した鉄製の円筒形懐中時計は一度ゼンマイを巻くと約40時間連続で動作したと伝えられています ( ピーター・ヘンライン - Wikipedia)。この時計は後にフィラデルフィアの記念堂に現存するとされます ( ピーター・ヘンライン - Wikipedia)。1511年頃には、ゼンマイを用いた卵形の携帯時計が登場し、後世「ニュルンベルクの卵」(Nürnbergisches Ei) と呼ばれました ( ピーター・ヘンライン - Wikipedia)(※この愛称が文献に登場するのは1571年以降で、卵形の懐中時計が流行するのはヘンライン没後の1580年代です ( Peter Henlein - Wikipedia))。ヘンライン自身は主に球形の香炉型時計を製作しており、これらは中世の香料容器(ビザンティンやイスラム由来のポマンダー)に時刻機構を組み込んだものでした ( Peter Henlein - Wikipedia)。

( File:German - Spherical Table Watch (Melanchthon’s Watch) - Walters 5817 - View C.jpg - Wikimedia Commons)ヘンラインの代表作の一つに、1530年製作の球体懐中時計があります。この金色の球形時計は上下二つの半球からなり、蝶番で開閉して内部に文字盤を備えています ( Homepage-Titel - Pomander Watches)(写真は蓋を開いた状態)。文字盤には12時間分の目盛りと時針があり、ケース外側には複数の孔が空けられていて、蓋を閉じたままでも時刻を読み取れ、香薬の匂いも発散する仕組みです ( Spherical Table Watch (Melanchthon’s Watch) | The Walters Art Museum)。この時計は宗教改革者フィリップ・メランヒトンが所蔵していたもので、現存する最古の製作年刻印付き時計(底部に「1530」の銘あり)とされています ( Spherical Table Watch (Melanchthon’s Watch) | The Walters Art Museum)。時計内部は鉄製のムーブメントで、簡単なアラーム(時報)機能も備わっていました ( Pomander Watches - Homepage-Titel)。ぜんまいを一度いっぱいに巻いて約12~16時間動作し、時刻の精度はおおよそ30分単位という粗いものでした ( Spherical Table Watch (Melanchthon’s Watch) | The Walters Art Museum)。このメランヒトンの球体時計は現在アメリカ・ボルチモアのウォルターズ美術館に収蔵されています ( Peter Henlein - Wikipedia)。ヘンラインの作品と確実に断定できる署名入りの時計は残っていませんが、同時代の記録や技術的特徴から彼の作と考えられる懐中時計が数点伝存しており、そのいずれもが当時の貴重な工芸品として丁寧に作られています ( Homepage-Titel - Pomander Watches) ( Homepage-Titel - Pomander Watches)。

顧客と当時の評価 #

ヘンラインの携帯時計は、16世紀当時のヨーロッパで非常に高価かつ珍しいステータス・シンボルでした ( Peter Henlein - Wikipedia) ( Peter Henlein - Wikipedia)。そのため、主な顧客は王侯貴族や高位聖職者、都市の名士たちです。記録によれば、ニュルンベルクの評議会(市当局)がヘンラインの時計を購入して各国の要人へ贈り物として送り、その中には神聖ローマ帝国の諸侯や宗教改革の指導者も含まれていました ( Peter Henlein - Wikipedia)。例えば、宗教改革者のマルティン・ルターやその協力者フィリップ・メランヒトン、ザクセン選帝侯フリードリヒ3世(ルターの後援者)、ブランデンブルク大司教アルブレヒト(マインツ大司教を兼ねる有力聖職者)、メクレンブルク公国の宰相カスパー・フォン・シュヴェニッヒ、神聖ローマ皇帝の顧問メルクリーノ・ガッティナーラらの名前がヘンラインの顧客として挙がっています ( Peter Henlein - Wikipedia)。ヘンラインの懐中時計は高位層の間でファッション性のある装身具としても人気を博し、衣服に下げたり携帯されたりしました ( Peter Henlein - Wikipedia)。

当時の知識人からもヘンラインの技術は賞賛されています。1511年、人文主義者ヨハネス・コクレウスは著書の付録でニュルンベルクの賛辞を綴り、その中で若き職人ペーター・ヘレ(ヘンライン)について「わずかな鉄から多くの歯車を持つ小時計を作り上げ、重りなしでどの向きでも40時間時を告げ、懐や袋に入れて携帯できる」と絶賛しました ( Peter Henlein - Wikipedia)。またニュルンベルクの年代記作者ヨハン・ノイドルファーは1547年に「香炉型の小さな時計を作ることを発明した」とヘンラインを評しており ( Peter Henlein - Wikipedia)、彼が当時すでに**「携帯時計の発明者」**として認知されていたことが分かります。ヘンライン自身も1524年には金メッキの香炉時計1台の製作代金として15フローリン(現在の数十万円から数百万円に相当)を受け取った記録があり ( Peter Henlein - Wikipedia)、これらの事実は彼の時計が当時いかに高価値であったかを物語っています。当時の時計は実用性よりもむしろ富と技の結晶として人々を魅了し、ヘンラインはその第一人者として高い名声と一定の財を手にしていました ( Peter Henlein - The Inventor of the Watch) ( Peter Henlein - The Inventor of the Watch)。

発明の影響とその後の時計技術 #

ヘンラインが生み出した携帯式時計は、現代につながる時計産業の礎を築いたと評価されています ( Peter Henlein - The Inventor of the Watch)。彼の功績によって「時間を持ち運ぶ」という概念が現実となり、人々は携帯可能な時間計測技術に夢中になりました ( Peter Henlein - Wikipedia)。もっとも、ヘンラインの時計は構造上かなり精度が低く、日差で数時間も狂うことがありました ( Peter Henlein - The Inventor of the Watch)。また携帯できるとはいえ動かしながら正確な時間を維持することは困難で、ゼンマイの力も巻き始めと終わりで大きく変動するため進み遅れが一定しない問題もありました ( Peter Henlein | Encyclopedia.com)。このため、当時から「ドイツの時計はすぐ壊れるし正確でない」という評価もあり、シェイクスピアは戯曲の中で気まぐれな女性を「ドイツの時計みたいにいつも狂っている」と皮肉っています ( Peter Henlein | Encyclopedia.com)。しかしヘンラインの発明が引き起こした携帯時計ブームは職人たちに新たな課題を与え、1520年代にはプラハの技師ヤコブ・ツェッヒがフュゼ(鎖巻き糸巻)機構を開発しゼンマイの力の不均一を補正することで時計の精度を向上させました ( Peter Henlein | Encyclopedia.com)。この改良によってヘンラインの「ニュルンベルクの卵」が抱えていた欠点は克服され、携帯時計は実用面でも発展を遂げます ( Peter Henlein | Encyclopedia.com)。以降、16世紀後半~17世紀にかけてヨーロッパ各地で懐中時計の製造が広まり、フランスやスイスなどでも洗練された機構やデザインの時計が作られるようになりました。ニュルンベルクでは1565年に世界初の時計職人ギルド(組合)が結成され、時計師という職業と時計産業が公式に認知されるようになります ( 時計の発展に貢献した30人のキーパーソン⑱ペーター・ヘンライン | MEN’S EX ONLINE | )。こうした動きは、ヘンラインが示した技術と市場の可能性が大きな契機となりました。ヘンライン自身、「近代時計の父」として後世に語り継がれており ( Peter Henlein - The Inventor of the Watch)、彼の発明した携帯時計はその後の技術革新(振り子時計やてん輪ヒゲゼンマイ式時計など)を経て精密化し、最終的には現代の腕時計やスマートウォッチに連なる長い歴史の出発点となったのです。

なおヘンライン個人の名声については、彼の死後しばらくはドイツ国内の専門家に知られる程度でしたが、19世紀に入ると再評価が進みました。1905年、ニュルンベルクで懐中時計発明400年祭が開催され、時計博覧会や記念のヘンライン像(ヘンラインの泉)が建立されています ( Peter Henlein - Wikipedia)。1939年には彼の生涯を題材にした映画『不死の心(Das unsterbliche Herz)』が制作され、同年ドイツで「時計の発明者ヘンライン」と記した切手も発行されました ( Peter Henlein - Wikipedia)。ニュルンベルクのヴァルハラ神殿には「懐中時計発明者ヘンライン(1542年没)」と刻まれた銘板が飾られています ( Peter Henlein – Wikipedia)。こうした顕彰はしばしば愛国的な美化を伴いましたが、一方で20世紀後半以降は学術的な検証も進み、ヘンラインの実像と功績が丹念に調べ直されています ( Peter Henlein – Wikipedia) ( Peter Henlein – Wikipedia)。

関連する史料・文献・展示 #

ヘンラインと彼の時計に関する当時の記録や現存資料、研究には以下のようなものがあります。

  • 同時代の記録: 上述のヨハネス・コクレウスによる1511年の著述(ニュルンベルク賛歌の中のヘンライン讃辞) ( Peter Henlein - Wikipedia)や、ヨハン・ノイドルファーによる1547年の記述 ( Peter Henlein - Wikipedia)が、ヘンラインの発明を伝える一次資料として重要です。また1524年のニュルンベルク市の会計簿にヘンライン製の時計購入費(15フローリン)支払いの記録が残っています ( Peter Henlein - Wikipedia)。

  • 現存するヘンライン時計: 確実にヘンライン作と断定はできないものの、技術的特徴や伝来から彼の作品と考えられる初期の携帯時計がいくつか現存しています。代表例が1530年銘の球体懐中時計(メランヒトンの時計)で、ボルチモアのウォルターズ美術館に所蔵されています ( Peter Henlein - Wikipedia) ( Spherical Table Watch (Melanchthon’s Watch) | The Walters Art Museum)。他に、かつて「1505年の香炉時計」と呼ばれる真鍮製懐中時計が21世紀になって個人コレクションから再発見され、専門家委員会による調査が行われました ( Watch 1505 - Wikipedia) ( Watch 1505 - Wikipedia)(この時計は内部に「PHN 1505」という微小な刻印があることなどからヘンライン作と目されましたが、後代の改造が判明し真作かどうか議論が続いています ( Portable Clocks | THE SEIKO MUSEUM GINZA) ( Portable Clocks | THE SEIKO MUSEUM GINZA))。ドイツ・ニュルンベルクのゲルマニア国立博物館にも、かつてヘンライン作と伝えられた16世紀初頭の香炉型時計(「ヘンラインの箱時計」)が収蔵されており、2014~2015年に同館で開催された特別展「ヘンラインと初期懐中時計」(Henlein-Uhrenstreit展)では、最新の研究成果とともにこれらの実物が展示されました ( Peter Henlein – Wikipedia)。

  • 研究文献: ヘンラインに関する包括的研究としては、時計史家ユルゲン・アーベラーによる著書『In Sachen Peter Henlein(ヘンライン事件について)』(1980年) があり、ヘンラインの生涯と作品に関する詳細な調査がまとめられています ( Peter Henlein – Wikipedia)。また前述の2014/15年のニュルンベルク展の図録・論文集(トーマス・エーザーによる解説論文など)では、最新の史料発見(例えばヘンライン自身の書簡の発見 ( Peter Henlein – Wikipedia))も踏まえた学術的評価がなされています。さらに『Deutsche Uhrmacher-Zeitung』『Neue Deutsche Biographie』といった専門誌・事典にもヘンラインに関する項目や論考が掲載されています ( Peter Henlein – Wikipedia)。一般向けには各国の百科事典や時計史の書籍でヘンラインの名が触れられており、日本語では『時計年表』 ( ピーター・ヘンライン - Wikipedia)などに簡潔な紹介があります。

これらの史料や研究を総合することで、ピーター・ヘンラインは**「携帯時計の父」**として、その波乱に富んだ生涯と革新的技術、そして時計産業発展への貢献が明らかになります。彼の発明した小さな時計は、当時の人々に時間の新たな価値を認識させ、やがて産業革命以降の大量生産によって広く一般社会に普及していきました。その意味で、ヘンラインの功績は現在まで脈々と続く時計技術・文化の源流として位置づけられているのです。 ( Peter Henlein - The Inventor of the Watch) ( Peter Henlein - Wikipedia)