フィリップ・デュフォー(Philippe Dufour、1948年生)は、スイスのヴァレ・ド・ジュウを拠点とする独立時計師である。古い複雑懐中時計の修復で学んだ機構と仕上げを、自らの名前を付ける腕時計へ発展させた。1992年のグランド&プティ・ソヌリ、1996年のデュアリティ、2000年のシンプリシティは、報音、歩度の平均化、単純な機械の完成度という異なる課題に取り組んだ作品である。1 8
時計師としての形成と独立#
学校から海外の修理現場へ#
デュフォーは1948年、ヴァレ・ド・ジュウのル・サンティエに生まれた。15歳のころに機械の仕事を望み、地元の時計学校へ進んだ。本人の回想によると、当初から時計師を志していたのではなく、学校で自分の工具を作り、精密な仕事を学ぶうちに関心を深めたという。1967年に卒業し、ジャガー・ルクルトで働き始めた。2 8 40
初期の仕事は工房内の製作に限られない。ドイツではアフターサービスを経験し、英国のファーブル・ルーバでは修理部門の再編や時計師の指導に携わった。スイスへ戻って初期のクォーツ時計のサービスを担当した後、ヴァージン諸島のムーブメント工房でも働いた。所属団体AHCIの経歴は、帰国を1974年とする。帰国後にはジェラルド・ジェンタ、オーデマ・ピゲ、コモール・ウォッチで仕事をし、薄型機械の調整やリピーターの装飾にも関わった。2 8
こうした修理現場では、使われた時計にどのような問題が起こるかを直接見た。本人が後年、長く使え、整備できる機械を重視する理由を語るとき、その出発点には新品の外観だけでは分からない使用と修復の経験がある。2 18
修復から自らの複雑時計へ#
1978年、デュフォーは独立した。本人は、コモールでの仕事が終わった後に工房を買い取ったことを転機として述べる。主な取引先となったのが、後にアンティコルムとなるジュネーブのGalerie d’Horlogerie Ancienneだった。本人の回想では、そこで五年以上にわたり複雑懐中時計を修復した。古い時計の文字盤に記されたブランドや販売地が違っても、内部の複雑機構には故郷ジュウ渓谷で作られたものが多かったという。2 8
修復は、失われた工程へ近付く仕事でもあった。デュフォーは古い機械や工具を集め、過去の職人がどのように加工したかを試した。こうして得た知識をもとに、19リーニュ、約43mmのグランド・ソヌリ機械を作った。ル・ブラッシュのレイモン兄弟による報音機構などを先例とし、自分で設計と製作を行う過程が、後の腕時計へつながる。1 12
製品化を引き受けたのはオーデマ・ピゲだった。同社へ五つのグランド&プティ・ソヌリ懐中時計を納め、最初の納入は1982年、最後は1988年と記録される。オーデマ・ピゲの収蔵記録にも、デュフォー開発のCalibre 19GSMV、機械番号265036、1987年製、五つのうち第五号という個体がある。製作と納入には時差があり、収蔵記録の製造年だけで最後の納入年を置き換えることはできない。27 28 51
本人はこの五つの懐中時計について、一つごとに二千時間以上を要したと回想している。委託製作では完成した時計が発注者の名前で扱われる。自分の仕事を自ら説明し、その責任も引き受けるため、デュフォーは自名の時計の製作と販売へ向かった。2 40
自名の懐中時計と最初の腕時計#
1989年には自分の名を文字盤と機械に記したグランド&プティ・ソヌリ懐中時計No1を完成した。2021年の現物記録は、18Kイエローゴールド、ケース径60mm、34石とする。機械の19リーニュという寸法と、外装を含めたケース径は異なる。この懐中時計についても、出品解説は二千時間以上の製作を記す。27
次の課題は、グランド&プティ・ソヌリとミニッツリピーターを腕時計へ収めることだった。1992年にバーゼルで発表した腕時計は、その組合せを実現した世界初の例として知られる。複雑機構を作るだけでなく、少ない操作で機能を選べるようにした点が作品の特徴である。1 17 41
発表すればすぐに事業が安定したわけではない。2018年の本人への問答によると、シンガポールを訪れ、自名の懐中時計と腕時計を提示したところ、両方が売れ、さらに三つの注文を受けた。1989年という懐中時計の完成年と、腕時計発表後の販売の経緯は分けて考える必要がある。40
ソヌリを腕時計へ収める#
自動報音と求めに応じる報音#
グランド・ソヌリは正時に時数を、15分ごとには時数と四半時の数を自動で鳴らす。プティ・ソヌリは正時には時数を鳴らすが、15分・30分・45分には時数を繰り返さず、四半時の数だけを知らせる。ミニッツリピーターは、使う人が求めた時に時、四半時、残りの分を報音する。17
たとえば三時三十分なら、グランド・ソヌリの自動報音は三時を示す打音と二つの四半時を示す音を鳴らす。プティ・ソヌリではその時刻の三時を繰り返さない。この切替は鳴る音を減らすだけでなく、時数を読み取る部品をいつ働かせるかを変える機構を必要とする。17
時刻を進める香箱と、報音用の香箱は別である。リューズを互いに逆方向へ回して巻き上げる。ケース側面の二つのスライダーは自動報音の有効・無効とグランド・プティを選び、リューズ中央のボタンはミニッツリピーターを作動させる。自動報音の設定とは別に、任意の時刻を聞くことができる。17 41
時刻を音へ読み替える機構と保護#
工房でデュフォーと仕事をした時計師ロン・デコートは、1996年の技術論文で、本人の図面を使って機構を説明した。時刻は段の付いたカムであるスネイルと、それに当たるラックで読み取る。ラックの移動量を打刻へ変えるため、歯車が回る順序だけでなく、各ラックが解放される時点と、報音後に戻る順序を整える必要がある。17
グランドとプティの違いには時数ラックの制御が関わる。プティでは、正時以外の四半時に時数を鳴らす動きを抑え、正時にはそれを許す。分を示すラックも通常の自動報音では働かず、リピーターを要求した場合に解放される。時刻表示用の輪列と、音を鳴らす輪列は、こうした制御部品で結び付いている。17
操作中の保護も重要である。針を合わせているときは報音の開始を抑え、リピーターのボタンを押している間も打刻輪列を止める。ボタンを放してから報音を始めることで、各ラックが落ち、切替レバーが所定の位置へ動く時間を確保する。デコートの説明は、古い同種時計で起こる打ち損じの危険を減らすための措置としている。17
現公式仕様は機械径32.5mm、厚さ7mm、毎時21,600振動、35石とし、時刻側の持続を38時間、報音側を24時間とする。同時代のデコート論文は時刻側を36時間と説明する。後年の公称値と同時代の解説値を分けて見れば、二つの動力源が別であることと、資料の対象時点が分かる。後年の透明文字盤No7についてフィリップスは480点を超える部品と説明している。少数製作の系列の中にも外装と完成時点の違いがある。1 17 26
小型化は音を鳴らす機構と時刻の機械を同居させる仕事であり、音への評価も高い。フィリップスは懐中時計No1の響きを強く明瞭なものと描写する。こうした聴感の評価と、音量や周波数を測定して比較する評価は分けられる。ソヌリの価値は、響きを聞く体験に加え、それを正しい順序で安全に生む機構にもある。27
デュアリティの原理と開発#
学校時計の先例から腕時計へ#
1996年に発表したデュアリティは、二組のテンプと脱進機を差動装置で結び、一つの表示へ歩度を反映する腕時計である。着想には、ジュウ渓谷の時計学校で作られた二重調速の懐中時計があった。本人はTime Museumの図録などで先例を調べ、差動の仕組みを理解するために実験用の機構を作ったと回想している。1 11 12
開発にはロン・デコートも協力した。1997年の同時代論文でデコートは、実験や設計の過程と部品の役割を説明している。時計師本人が最終的に自らの作品へまとめる仕事と、開発中の助言や実験への協力は両立する。デュアリティの誕生を理解するうえで、この協働の記録は後年の概説より具体的である。11
差動が平均するもの#
一つの香箱から伝わる動力は、通常の輪列を通り、四番車部分に設けた差動を介して二つの独立した脱進・調速機構へ伝わる。両方の動きを機械的に組み合わせることで、表示は二組の歩度のほぼ平均となる。一方が少し進み、他方が遅れる場合には、両者の誤差が相殺する方向へ働く。11
ただし、二つのテンプを共振で同期させる仕組みではない。また二つが同じ方向へ同じだけ進めば、その誤差まで差動が消すわけではない。個々の調速機を調整することと、差動で組み合わせることの両方が必要になる。機構が平均化を行うという説明は、すべての姿勢で誤差が必ず半分になるという性能保証とは異なる。11 12
デコートは、一方を止めたときにも他方が動き続ける実験と、その際の表示速度も説明した。これは二つの脱進機の独立性を理解する助けとなる。同論文の計算では両側の寄与にわずかな差があるため、厳密に等しい重みの算術平均という数式を、そのまますべての個体の実測結果として扱うことはできない。11
小さな機械と控えめな表示#
1998年の本人署名記事は、ムーブメント径30mm、厚さ4mm、ケース径34mmとする。二つのテンプは毎時18,000振動で、ブレゲ巻上げひげとフリースプラングの調整方式を備える。小秒針は7時半付近に置かれ、その配置は内部構成を反映する。表からは二重調速機の存在を大きく示さず、裏側で二つのテンプと差動を見せる設計である。11 12
差動装置は小さくても複数の部品から成る。デコートはねじを除いて18部品、1998年の記事は21部品と記す。どこまでを含むかという数え方の違いを解明せず、一方を誤りと断定することはできない。難しさは単に部品を小さくすることにとどまらず、軸や歯車を精密に加工し、組み立てた状態で滑らかに働かせることにある。11 12
当時の計画は25本だった。長く九本として紹介されてきたが、2014年に長年の顧客へ納められたNo10が、2024年の競売で紹介された。また初期個体No3には1999年9月10日付の証明書がある。作品の発表、個々の完成・納入、後年の公開は別の時点であり、全数が1998年までに完成したとまとめることはできない。12 13 57
シンプリシティと仕上げの工程#
複雑機構を持たない時計の設計#
2000年発表のシンプリシティは、時・分・小秒針を表示する手巻き時計である。自名の腕時計としては、グランド&プティ・ソヌリ、デュアリティに続く三つ目のモデルになる。機能を絞ることで、輪列の設計、部品の比例、操作の感触、仕上げを作品の中心へ置いた。1 18
本人は、修復で接した1950年代から1970年代の機械の比例に学んだと語る。適切な太さの軸や歯車を備えた機械では、長く使った後も主に清掃と油の交換で整備できる例を見たという。これはシンプリシティを長く使えるものにしようとした設計意図と経験の説明であり、すべての部品が摩耗しないという保証ではない。1 18
シンプリシティはスイスレバー脱進機、大型のテンプ、毎時18,000振動の構成を持つ。分解観察では、調整おもり、アンクル受けを位置決めするピン、巻上げのクリックとばねなど、完成状態では目立たない部分まで見ることができる。クリックの作りは巻き上げる指の感触にも関わり、本人もその感触を設計上の選択として説明している。18 21
現物を観察したJX Suは、機械の構成を1950年代ジュウ渓谷の伝統、特にバルジューVZSSの系譜へ位置付けた。これは設計を読む専門家の評価であり、古いVZSS機械をそのまま流用したという製造記録ではない。伝統的な配置や比例を学ぶことと、完成済みの機械を仕入れることは区別して考えられる。22
当初のケース径は34mmで、37mmも加わった。大きいケースへ同じ機械をリングで収める方法ではなく、機械を再設計したと出品解説は述べる。2002年7月15日付の証明書を伴う37mmのNo11があり、この時点までに大径版が存在したことを現物記録から確認できる。29 46
加工と仕上げを分けて見る#
設計にコンピューターを使うことと、手作業の仕上げを重視することは矛盾しない。2020年の本人への取材では二次元CADの使用を説明している。一方、工房に残る古い旋盤、歯切り機、装飾用の機械には、手で工程を制御するための役割がある。古い工具を集めることは、道具を保存すると同時に、それをどう使うかを再発見する仕事でもあった。12 39
仕上げには複数の工程がある。受け表面のコート・ド・ジュネーブは帯状の模様を作り、面取りは縁を落として光を返す面を作る。ねじや石穴の周囲、受けの縁、鋭く入った内角は、それぞれ工具を当てる向きと磨く面が異なる。分解した機械と未装飾の部品を比べると、部品を加工する工程だけでは最終的な見え方が得られないことが分かる。21 22
2019年にNo180を観察したJX Suは、ロジウムめっきの真鍮受け、18K金の銘板、穴周囲の鏡面、香箱受けの二つの鋭い角を挙げた。銘板は表面へ単に文字を印刷したものではなく、機械上の独立した部品である。面の広さだけでなく、曲線から角へつながる形と、光を返す面の連続が仕上がりを特徴付ける。22
道具にも具体性がある。Peter Speakeが工房で見たのは、小さな鋼部品を加熱して油で焼き入れする工程、弓で木製工具を回し、石穴やねじ穴の座を磨く工程だった。家族による公式紹介は、近隣のリンドウの茎を加工して面取りの道具に用いることにも触れる。手作業という一語より、どの部分に、どの道具で、どの面を作るかを見ると、完成度の積み重ねが理解しやすい。39 50
日本からの注文と小規模な工房#
シンプリシティの着想には日本との関係があった。本人は、独立時計師アントワーヌ・プレジウソから日本向けの単純な時計を勧められたこと、東京に愛好家がいたことを回想する。日本ではシェルマンを介して顧客と会い、作品を直接説明した。1 2
日本向けの正確な本数については本人の説明にも幅がある。現公式回想は約200本のうち120本、2020年の問答は160本とする。どちらからも日本が主要市場だったことは読み取れるが、同じ集計範囲と時点を示す販売台帳なしに単一の割合へ統一することはできない。2 18
2007年の本人問答では、工房は本人を含む四人で、仕上げは自ら行うと述べた。人数を増やし過ぎれば品質を管理するのが難しいという考えも語っている。独立時計師の名を持つ作品であることは、すべての時代にすべての工程を一人だけで行ったことを意味しない。52
作品と公開できる顧客来歴#
グランド&プティ・ソヌリの個体#
デュフォーの報音時計には、オーデマ・ピゲ向け五つの懐中時計、自名の懐中時計No1、腕時計の系列がある。同じNo1という番号でも、委託製作か自名作品か、懐中時計か腕時計かによって対象が異なる。オーデマ・ピゲ向け第一号はロンドンのアスプレイを通じて販売された。27 28 51
自名の懐中時計No1は1989年製で、2021年に最初の所有者のコレクションから競売へ出たと説明される。イエローゴールドと白いエナメル文字盤の外観に対し、機械には内角や曲線の受け、鏡面の部品、ジュネーブ模様が施されている。2021年のフィリップス・ジュネーブ時計競売XIVでは232万9000スイスフランとなった。27
腕時計No1は1992年、18Kイエローゴールド、41mm、35石の個体で、同じ2021年競売では474万9000スイスフランとなった。懐中時計と腕時計は同一の出品番号でも、同一の落札額でもない。41
腕時計No3は1995年に完成したローズゴールド、白エナメル文字盤、青焼き針の個体である。販売を扱ったA Collected Manは、2021年8月に本人へ確認した来歴として、九か月を費やし、ブルネイ国王へ初納入したと説明する。本人は注文時には最終顧客を知らず、納品の段階でその相手を知ったという。王室顧客という来歴は、この本人への確認を掲載した販売記録に帰属する。35
同社のNo3記録はケースを39×14mmとする。No1やNo7の41mmという記録を全個体へ一律に適用することはできない。注文、外装、完成時点を個体ごとに読む必要がある。35 41 42
2021年8月に本人が同社へ伝えた腕時計の内訳は、八本のうち白エナメル文字盤が五本、サファイア文字盤が三本だった。透明文字盤の形式は1999年に発表され、後年にも個々の完成が続いた。No7は2016年12月8日付の証明書を伴う18Kホワイトゴールド、41mmの個体で、透明文字盤と開閉式裏蓋を組み合わせる。2024年のニューヨーク競売では369万米ドルとなった。26 35 42
デュアリティの仕様と後年注文#
デュアリティの初期作品にはプラチナ、ピンクゴールド、ホワイトゴールドがある。現物記録でNo00は1996年のプラチナ、ケース径35.5mm、40石、No8は1996年のピンクゴールド、34mmとされる。基本説明の34mmを全個体に適用することはできない。6 43
ホワイトゴールドNo3は34mmで、1999年9月10日付の証明書と、ローマ数字を持つ予備のラッカー文字盤、ブレゲ型の針を伴う。交換用の文字盤と針が一緒に保管された個体は、少数製作の作品でも外観に選択肢があったことを示す。ただし、その個体に付属する選択肢を、すべての顧客に提示された一般仕様へ広げることはできない。57
追加注文のNo10は、長年の顧客が注文し、2014年に納入された。つや消しプラチナの34mmケース、灰色文字盤、ピンクゴールドの針とインデックスを組み合わせる。2024年のReloaded競売で紹介され、151万2000スイスフランとなった。九本という初期シリーズの説明と、この後年の注文は時点を分けて読むことができる。13 14
シンプリシティの外観と個体記録#
シンプリシティには34mmと37mm、ゴールドとプラチナ、少数のスチール製がある。白いラッカー文字盤、ギョーシェ文字盤、数字や針の組合せが異なる作品も存在する。白い文字盤を、素材確認なしにすべて焼成エナメルと呼ぶことはできない。1 55
具体例では、No57は2004年3月付の証明書を伴う37mmのプラチナ、ギョーシェ文字盤、21石の作品である。2021年にはソヌリ懐中時計No1、ソヌリ腕時計No1、デュアリティNo8と同じコレクションから出品され、75万6000スイスフランとなった。作家の四つの作品形式を一つのコレクションで見られる機会だった。55
No113は約2007年、37mmの18Kホワイトゴールドで、2007年6月付の証明書を伴う。2022年の香港競売では690万5000香港ドルとなった。同年ジュネーブに出たNo204は別の個体である。2020年製、37mmのホワイトゴールド、灰色ギョーシェ文字盤にブレゲ数字とピンクゴールドの針を組み合わせ、102万2200スイスフランとなった。7 48
20周年作は、従来作とは異なる文字盤と開閉式裏蓋を持つ。販売を扱ったA Collected Manは総数を22本とし、競売のNo00、顧客向け二十本、本人用のNo21という内訳を記す。最初のNo00/20は37mmのピンクゴールドで、2020年11月8日に136万1000スイスフランとなった。番号にある分母と、試作・本人用を含む全体の数は必ずしも同じではない。37 38
協業・教育・他の時計師への影響#
ロカテリから受け継いだ研究と仕事#
ガブリエル・ロカテリは、デュフォーがジャガー・ルクルトへ入ったときの同僚であり、後に師として敬う人物となった。本人は、二人で機械の改善、調整、注油や性能の問題に取り組んだと回想する。仕上げだけでなく、長く使う機械に起こる問題を調べる姿勢も、その関係の一部だった。2 9
ロカテリは退職後、デュフォーの工房で再び仕事をした。公式の追悼文には、その加入より前にシンプリシティの試作機と二本の時計が完成していたという補足がある。師の影響と、特定モデルの着想・試作を共同で行ったかという帰属は区別される。ロカテリは2000年の自動車事故で亡くなったが、デュフォーは彼から学んだ仕事の姿勢を語り続けている。9
ダニエル・ロートの永久カレンダー#
自名の時計以外では、ダニエル・ロートと永久カレンダーを共同開発した。現ブランドの公式沿革は、曜日と月を窓で示す形式の後に、表示を針式の副文字盤へ改めた過程を説明する。動かすエネルギーを減らし、真夜中に同時に切り替わる機構へ至ったという。19
窓の表示と針の表示は、意匠の違いにとどまらない。切り替える部分の負荷が異なるため、表示の選択が機械設計にも関わる。デュフォーの協業は、装飾や最終調整だけでなく、こうした複雑機構を形にする仕事にも及んだ。19
デュアリティがジュルヌへ与えた刺激#
フランソワ=ポール・ジュルヌは、1980年代から共振式懐中時計を研究していたが、十分に完成させられず保留していたと回想する。2023年の本人への問答では、1996年にデュフォーが二重調速機を持つデュアリティを発表したことが、仕事を再開して腕時計を描くきっかけになったと語っている。31
ジュルヌ自身もデュアリティが共振式ではないと区別する。影響は、同じ機構を移したという設計帰属ではなく、未完の課題へ戻る創作上の刺激である。ジュルヌの共振腕時計は2000年に発表され、その後も異なる原理の複数調速機がそれぞれ追究された。31 32
MB&Fにも具体的な接点がある。2013年のLM2取材記事は、創業者マックス・ブッサーが初めてデュアリティを見たとき、二つのテンプを文字盤側へ見せれば美しいだろうと考えたと伝える。LM2では二つの独立した調速機を文字盤側へ掲げ、差動で歩度を平均する構成を見せた。内部の二重調速という着想を、外から動きが見える造形へ展開した事例である。61
日本の工房と教育現場#
セイコーのマイクロアーティスト工房で組立を担った中澤義房は、シンプリシティに触発され、自分たちも芸術品と呼べる単純な時計を作りたいと考えたことが、2008年の「叡智」の出発点だったと述べる。別の駆動原理を持つ工房が、完成度や手仕事への姿勢を制作の目標として受け取った例である。20
デュフォーは日本で装飾技法も教えた。本人の回想に加え、ヒコ・みづのジュエリーカレッジの2022年時計分野案内は、来日時のワークショップと、スイス研修で工房を訪れ、時計製作の講義や仕上げ作業を体験したことを説明する。購入者との交流と教育現場への伝授は、日本との異なる二つの接点である。2 53
ル・サンティエのエスパス・オルロジェでも、デュフォーの仕事に触れられる。2024年の現地報告では、同館の後援者となった本人が来館者と常設展示を巡り、シンプリシティを紹介している。工房に残る道具だけでなく、地域の家族が持つ資料を集め、退職した時計師が整理へ加わることも呼びかけた。自らの作品を見せることと、地域の製作史を後世へ残すことがつながっている。59 60
Naissance d’une Montreと技法の記録#
デュフォーはTime Æonの技術伝承活動に関わり、グルーベル・フォルセイとともにNaissance d’une Montreを進めた。学び手のミシェル・ブーランジェは、パリの時計学校で教える時計師だった。教員が伝統的な工程を学び直すことで、その先の生徒へ技法が伝わる経路も作る企画である。16 33 34
ここで保存したのは、CNCなどの自動加工に依存せず、手動機械で部品を加工し、手で仕上げる工程だった。手動の工作機械を使うことと、動力を持つ道具を一切使わないことは同じではない。完成品だけでなく、部品をどう作り調整するかを継承することが目的となる。34
学校時計の試作は2016年にクリスティーズ香港へ出品された。これとは別に1/11から11/11までの十一本があり、最初の1/11の機械はブーランジェが製作・組立、残りはグルーベル・フォルセイのチームが組み立てた。学校時計を含めた十二本を、すべてブーランジェ一人の製作とまとめることはできない。33 34
2026年に競売へ出た1/11は、当初の所有者の依頼によってケースも手製とした個体で、165万1000スイスフランとなった。第二弾Naissance d’une Montre2では、Oscillonのシラノ・ドヴァンテとドミニク・ビュゼールへ、デュフォーが仕上げについて助言した。当事者の役割を、第一弾の指導や製作の分担と同一に扱うことはできない。34 49
評価と家族への継承#
AHCIの会員記録はデュフォーの加入を1987年とする。1998年には国際時計博物館のGaïa賞「Artisanat-création」、2013年にはGPHG審査員特別賞を受賞した。2014年のGPHG公式発表では審査員の一人に挙げられる。作品、市場、教育のいずれか一つに限られない活動が、時計界の機関からも評価された。8 23 24 30
娘ダニエラは、時計学校に通いながら週末には父の工房で作業し、15歳から取り組んだ学校時計としてのシンプリシティを2021年に完成した。2023年の本人への取材では、父が助言や手本を示した一方、実際の作業は自分で行い、ひげぜんまいも繰り返し作り直したと説明する。通常は製作番号を記す銘板には、自分の名前を刻んだ。25
デュフォー自身は他の時計師の仕事も楽しむ。2007年の問答では、A.ランゲ&ゾーネのダトグラフを、当時自分で買った唯一の新品時計と述べ、正規店から一般客として購入した経緯を話した。同時に古いルクルトも持つと語る。「唯一」はその時点で購入した新品という範囲であり、生涯に他の時計を所有しないという意味にはならない。52
現在の工房と市場#
周年作の販売と家族による会社#
2020年の周年作では、収集家クロード・スフェールが商業面を支えた。本人たちへの問答を掲載したWatchesTVの記事は、製作に加えて販売や顧客対応も自分で担う難しさをデュフォーが話し、スフェールの協力を評価したと伝える。スフェールも、残る十本を国ごとの配分と抽選で割り当てる方針を説明した。作品を作れる数と希望者の数が異なるとき、販売方法も工房の課題となる。58
この協力の歴史と、後に公表した会社の統治体制は、それぞれ時点を伴って理解できる。
2022年7月、フィリップ、妻エリザベート、娘ダニエラによるPhilippe Dufour SAが設立された。2025年2月の本人声明は、エリザベートを会長兼CEOとし、経営、広報、戦略、運営を担う立場と説明する。時計師個人としての独立、作品のブランドとしての発表、法人の設立は、それぞれ異なる出来事である。3
2026年6月の工房訪問記では、フィリップとダニエラが製作を続けている。本人は、以前のような待機名簿は持たず、時間と対応可能な余裕があるときにシンプリシティの注文を受けると説明した。外装や文字盤を少し変える場合にも、37mmのシンプリシティとして認識できる形を保ちたいという。4
受注停止や最終納品という過去の記録を、現在まで続く生産終了と一括して読むことはできない。2007年には本人が130本を完成し、二百本を目標とし、既に追加受注を止めたと述べていた。その後に納品した従来注文、周年作、個別の追加注文があり、製作時期と注文の系列を合わせて考える必要がある。4 52
製作者の仕事と二次市場#
市場の評価は、原通貨、作品番号、取引の形式を伴って見ると理解しやすい。デュアリティNo00は2017年10月26日のニューヨーク競売で91万5000米ドル、No8は2021年のジュネーブ競売で366万スイスフランとなった。どちらもフィリップスの取引だが、同じ年の同じ個体ではない。6 43 44
シンプリシティの最初の公開競売は2016年11月28日のクリスティーズ香港で、198万香港ドルだった。翌日にはフィリップス香港でNo11が200万香港ドル、No30が175万香港ドルとなった。2016年の初登場を、一つの競売会社と一つの通貨へまとめることはできない。45 46 47
ソヌリNo3の2021年取引について、A Collected Manが公表する金額は763万米ドルである。これは仲介販売の申告額で、入札の競り上がりによる落札額とは異なる。競売の価格にも手数料を含むかという条件があり、通貨換算や時点の異なる記録を並べて、永久に有効な最高額ランキングとすることは適切ではない。35 36
2021年には二つのソヌリNo1を収める特製木箱も競売へ出た。作者は木工職人ミシェル・ペルヌーで、開くと二つの時計を見せる仕組みを備える。同じ入札者が懐中時計と腕時計を落札した場合には木箱を付け、そうでなければ別に競売する条件だった。木箱は3万7800スイスフランとなり、出品条件は全収益をAssociation Monégasque contre les Myopathiesへ寄付すると記す。54
高額取引は、作品をどのように評価する収集家がいるかを示すが、その売却益が時計師本人へ支払われたことを意味しない。デュフォーの仕事は、少量の作品を作る能力だけでなく、古い機構を読み、具体的な工程を再現し、人へ教える点にもある。複雑機構と三針時計の双方で、伝統を現在の製作へ結び付けたところに、その活動の広がりがある。2 20 31 39
詳細年表#
| 年・時期 | 出来事 |
|---|---|
| 1948年 | スイス、ル・サンティエに生まれる。8 40 |
| 15歳ごろ | 機械の仕事を望み、ヴァレ・ド・ジュウの時計学校へ進む。2 40 |
| 1967年 | 時計学校卒業。ジャガー・ルクルトで働き始める。8 |
| 初期の勤務期 | ドイツ、英国でサービス業務を経験。後にヴァージン諸島の工房で働く。2 |
| 1974年 | AHCIの経歴による帰国年。帰国後はジェラルド・ジェンタ、オーデマ・ピゲなどで経験を積む。2 8 |
| 1978年 | 独立。修復と自らの機械の製作を進める。8 |
| 独立後 | Galerie d’Horlogerie Ancienne向けに、本人の回想で五年以上、複雑懐中時計を修復する。2 |
| 1982年 | オーデマ・ピゲ向けソヌリ懐中時計の最初の納入。27 51 |
| 1987年 | AHCI会員となる。同年製のAP第五号機械が収蔵記録に残る。8 28 |
| 1988年 | AP向け五つの最後を納入。27 51 |
| 1989年 | 自名のグランド&プティ・ソヌリ懐中時計No1完成。27 |
| 1992年 | バーゼルでグランド&プティ・ソヌリ腕時計発表。腕時計No1は同年のYG個体として記録される。1 41 |
| 1990年代前半 | ダニエル・ロートと永久カレンダーを共同開発。窓型表示から省エネルギーな針型表示へ発展する。19 |
| 1995年 | ソヌリ腕時計No3完成。後の現物記録はPGとし、ブルネイ国王へ初納入と本人確認を伝える。35 |
| 1996年 | デュアリティ発表。PtのNo00、PGのNo8も同年製として現物記録に残る。6 12 43 |
| 1997年 | デコートがデュアリティの開発協力と差動機構を専門誌で説明。11 |
| 1998年 | Gaïa賞「Artisanat-création」受賞。本人署名の記事はデュアリティ25本の計画を記す。12 30 |
| 1999年 | 透明文字盤のソヌリ形式を発表。デュアリティNo3には9月10日付の証明書が付属する。26 57 |
| 2000年 | バーゼルでシンプリシティ発表。同年、ロカテリが事故で亡くなる。1 9 |
| 2002年 | 37mmのシンプリシティNo11に7月15日付の証明書。46 |
| 2004年 | Pt37mmのシンプリシティNo57に3月付の証明書。55 |
| 2007年 | 本人がシンプリシティ完成130本、目標200本、追加受注停止、工房四人と説明。52 |
| 2008年 | Time Æonの技術伝承活動。同年、シンプリシティに刺激を受けた「叡智」発表。16 20 |
| 2013年 | GPHG審査員特別賞受賞。23 |
| 2014年 | GPHG公式の審査員に名を連ねる。特注デュアリティNo10を顧客へ納入。13 24 |
| 2016年 | Naissance d’une Montreの学校時計をクリスティーズ香港へ出品。11月28日にシンプリシティ初競売。ソヌリNo7には12月8日付の証明書。33 42 45 |
| 2017年10月26日 | デュアリティNo00がニューヨークで91万5000米ドル。44 |
| 2020年11月8日 | シンプリシティ20周年No00がジュネーブで136万1000スイスフラン。37 55 |
| 2021年 | ダニエラが学校時計を完成。ソヌリNo3の私売を仲介会社が763万米ドルと公表。25 35 36 |
| 2021年11月 | ソヌリ懐中No1、腕No1、デュアリティNo8、シンプリシティNo57がジュネーブ競売へ出品。二作品用木箱も競売される。6 27 41 54 55 |
| 2022年7月 | Philippe Dufour SA設立。3 |
| 2022年11月 | シンプリシティNo204がジュネーブで102万2200CHF、No113が香港で690万5000HKD。7 48 |
| 2023年 | ダニエラが自作の学校時計と父の指導について取材で語る。25 |
| 2024年 | 2014年納入のデュアリティNo10が公表され競売へ。ソヌリNo7もニューヨーク競売に出る。13 14 42 |
| 2025年2月 | 公式声明がエリザベートの会長兼CEOとしての役割を説明。3 |
| 2026年 | Naissance d’une Montre1/11が競売へ。6月の工房取材では父娘の製作と、対応できる時のシンプリシティ受注を確認。4 34 |
資料・文献#
2. Philippe Dufour, Mon parcours(本人回想)。
3. Philippe Dufour, Une gouvernance ancrée dans la continuité et l’excellence, 2025-02-24。
4. Mark Kauzlarich, A Visit to Philippe Dufour’s Workshop, Hodinkee, 2026-06。
6. Phillips, Geneva Watch Auction XIV, Lot190, Duality No8, 2021。
7. Phillips, Hong Kong Watch Auction XV, Lot975, Simplicity No113, 2022。
8. AHCI, Philippe Dufour(会員経歴)。
9. Philippe Dufour, Hommage à mon ami et mentor Gabriel Locatelli, 2023-05-09。
11. Ron DeCorte, CMW, “Duality: A Double Escapement Wristwatch from Philippe Dufour”, Horological Times, vol.21 no.6, June 1997, pp.40–43。
12. Philippe Dufour(誌面署名), “The Duality: A Double Escapement Wristwatch”, Horological Times, vol.22 no.3, March 1998, pp.8–10。
13. Phillips, Reloaded: The Rebirth of Mechanical Watchmaking, 1980–1999, Lot65, 2024-11-08。
14. Phillips, “Phillips in Association with Bacs & Russo Presents Reloaded…”, 2024-08-26。
16. Greubel Forsey, “Histoire”, 仏語公式年表。
17. Ron DeCorte, CMW, “The Grande and Petite Sonnerie Minute Repeater of Philippe Dufour”, Horological Times, January 1996, pp.34–40。
18. Arthur Touchot, “Revisiting: Philippe Dufour Talks About His Simplicity (Old and New)”, Phillips, 2020-11-04。
19. Daniel Roth, “Historical Models”, 現ブランド公式、日付なし。
20. 中澤義房(本人インタビュー), セイコーウオッチ「マイクロアーティスト工房 組立師 中澤義房」。
21. The Naked Watchmaker / Peter Speake, “Deconstruction Philippe Dufour”, 日付不詳。
22. JX Su, “Hands-On with the Philippe Dufour Simplicity at Phillips’ ‘Well Suited’ Exhibition”, SJX, 2019-03-16。
23. GPHG, “Prix Spécial du Jury 2013”,。
24. GPHG, Press Release, 2014-06-17, “Celebrating the Art of Watchmaking: The 14th Edition…”,。
25. Mark Kauzlarich, “Watch Spotting: Danièla Dufour and Her Personally Hand-Made Simplicity”, Hodinkee, 2023-04-03。
26. Phillips, Press Release, 2024-10-17, “Phillips to Offer One-of-a-Kind Philippe Dufour Grande & Petite Sonnerie…”。
27. Phillips, Geneva XIV, Lot145, 2021。
28. Audemars Piguet, “The epic AP saga”, AP Chronicles150周年記事。
29. Phillips, Geneva XXI, Lot53,。
30. Musée international d’horlogerie, “Les lauréat·e·s”,。
31. Isabelle CerboneschiによるFrançois-Paul Journeとの問答, “Dans la tête d’un génie horloger”, F.P.Journal, no7, édition2023, p.3, Épisode2 “Le Chronomètre à Résonance”。
32. F.P.Journe, 2020, “F.P.Journe Celebrated the 20th Anniversary of the Chronomètre à Résonance”。
33. Christie’s, Important Watches, Hong Kong, 2016, Lot2689 “Montre École”,。
34. Phillips, Geneva XXIII, 2026-05, Lot65, “Naissance d’Une Montre1 (No1/11)”,。
35. A Collected Man, “Philippe Dufour Grande et Petite Sonnerie”, 売却済み現物の販売記録。
36. A Collected Man, “Philippe Dufour”, ブランド/販売履歴ページ。
37. Phillips, Retrospective 2000–2020, Lot206。
38. A Collected Man, “Simplicity 20th Anniversary, Platinum”, 売却済み現物。
39. A Collected Man, “How Philippe Dufour Crafts the World’s Finest Watches”, September2020。
40. A Collected Man, “From the bench: Philippe Dufour”, 2018-03-02。
41. Phillips, Geneva XIV, Lot14。
42. Phillips, New York XI, Lot12。
43. Phillips, Winning Icons, Lot47。
44. Phillips, Winning Icons sale results(1頁)。
45. Christie’s, 2016-11-28結果発表。
46. Phillips, Hong Kong THREE, Lot1090。
47. Phillips, Hong Kong THREE, Lot1091。
48. Phillips, Geneva XVI, Lot232。
49. Logan Baker, Phillips, “Naissance d’Une Montre2: …Part Two”,。
50. Elisabeth Dufour, 公式 “Philippe Dufour – The Art of Horological Excellence …”,。
51. Phillips, Logan Baker, “A Technical Overview Of Philippe Dufour’s First Pocket Watch”, 2023-04-17。
52. Ming (Grisar), Chat with Mr. Philippe Dufour, WatchProSite, 2007-05-13(問答2007-04-20)。
53. ヒコ・みづのジュエリーカレッジ、時計分野2022案内、p.32。
54. Phillips, Geneva Watch Auction XIV, Lot145A(木箱、作者と出品条件)。
55. Phillips, Geneva Watch Auction XIV, Lot115, Simplicity No57, 2021。
57. Phillips, New York Watch Auction X, Lot87, Duality No3, 2024。
58. WatchesTV, The story of Philippe Dufour & Claude Sfein, 2021-12-15表記(本文の本人問答)。
59. Vallée de Joux 360°, Les amis de l’Espace Horloger, 2024-10-22(現地報告)。
60. Espace Horloger, Expositions permanentes(公式展示と所在地)。
木箱の落札結果はPhillipsの作家別取引一覧のLot145Aを参照。
61. Benjamin Clymer, The MB&F Legacy Machine N°2 Explained, Hodinkee, 2013-09-17。