ピエール・ル・ロワ (Pierre Le Roy) — 18世紀フランスの時計職人とマリンクロノメーターの先駆者

ピエール・ル・ロワ (Pierre Le Roy) — 18世紀フランスの時計職人とマリンクロノメーターの先駆者

はじめに#

ピエール・ル・ロワ(1717年~1785年)は、18世紀フランスを代表する時計職人であり、航海用の精密時計(マリンクロノメーター)の開発に多大な貢献をした人物です12。彼は機械式時計の精度向上につながる画期的な発明を次々と生み出し、デテント式脱進機(てこ式ではない「懸垂」脱進機)3温度補償振り子(二種金属による温度補償テンプ)3、そして等時性ひげゼンマイ(振動の振幅によらず周期が一定となるひげゼンマイ)3を発明しました。これらの革新により、ル・ロワは「近代的精密時計の礎を築いた人物」と評価されています4。本稿では、ピエール・ル・ロワの生涯と経歴、技術的発明の詳細とその背景、それらが当時および現代に与えた影響について、専門的観点から詳述します。

生涯と経歴#

幼少期と家族背景 (1717~1740年代): ピエール・ル・ロワは1717年にパリで生まれました5。父は著名な時計師ジュリアン・ル・ロワ(1686~1759年)で、ルイ15世の宮廷時計師を務めた人物です6。ピエールは幼い頃から父の工房で時計製作の技能を学び、卓越した才能を示しました。20歳頃の1737年にはパリで**時計師組合の親方 (Maître Horloger)**の資格を得たとされ7、父の後継者として頭角を現します。1748年には、*「一輪式の報時機構を持つ振り子時計」「デテント(懸垂)式脱進機」*を考案し8、早くも革新的な時計機構の発明者として注目されました。この時期、フランスの時計技術はイギリスに追いつき追い越そうとする機運が強く、父ジュリアンも英国の名匠ジョージ・グラハムに匹敵する精度の時計を製作して高い評価を得ていました910。ピエールはそうした環境で育ち、フランス時計界の次代を担う存在となっていきます。

学術活動と序盤の業績 (1750~1759年): ル・ロワは技術者としてだけでなく学識者としても活動し、フランスの科学アカデミーや時計師コミュニティに積極的に関わりました。1750年には早くも**「パリの時計師たちへの意見書 (Mémoire pour les horlogers de Paris)」を著し、フランス国内の時計技術の水準と自主性を擁護する論考を発表しています11。翌1751年8月18日には、自作の精密時計に関する書簡をフランス王立科学アカデミーに提出し(この書簡は1752年6月の『トレヴー記録誌』に掲載)11、当時最新の時計製作上の工夫について報告しました。これらの活動から、ル・ロワは20代から30代にかけて既に優れた技術者兼研究者**として認知されていたことがわかります。

1759年、父ジュリアン・ル・ロワが亡くなると、ピエール・ル・ロワは父の地位を引き継いで正式に**宮廷時計師 (Horloger du Roi)**となりました12。ちょうどこの頃、フランスおよび欧州では「経度の測定(経度問題)」が国家的課題となっており、航海中でも正確に時刻を保持できる航海時計(クロノメーター)の開発競争が激化していました1314。ル・ロワもまたこの課題に挑み、独自の設計による海洋時計の製作に取り組み始めます。

マリンクロノメーター開発と競争 (1760年代): 1760年、ル・ロワは**『1760年版 天文年代記 (Étrennes chronométriques pour l’année 1760)』を出版しました15。これは時計学に関する歴史的・実践的知見をまとめた本格的な論考で、当時の最新技術と自身の研究成果を盛り込んだ内容でした。彼は1750年代半ばから海上で使える精密時計の構想を練り始め、まず1754年に基本設計図を描き16、1756年頃までに最初の試作クロノメーターを製作しています16。そして1763年、パリで開催されたフランス科学アカデミーの席上で、自身の改良した「航海用時計」(初期のマリンクロノメーター)を発表しました17。この1763年のモデルは直径約1メートル(3フィート)にもなる大型のもので、長期間の航海実験にも供されました。天文学者カッシーニらが行った40日間の航海試験では、ル・ロワの時計の誤差は経度にしてわずか四分の一度程度**(航海40日間で数十海里以内)という驚異的な結果を残したと伝えられています18。これは同時期のジョン・ハリソンのH4航海時計に匹敵する精度であり、フランス国内で大きな注目を集めました。

その後ル・ロワは更なる改良を重ね、1766年に集大成となる傑作のマリンクロノメーターを完成させました19。この1766年モデルは前作よりもサイズを半分ほどに小型化しつつ、後述するデタッチ(脱干渉)式の脱進機構、温度補償機構、そして等時性を保つひげゼンマイという3つの革新的要素を全て組み込んだ点で画期的でした20。ル・ロワ自身もこの装置を「自らの最高傑作」と位置づけており、その性能はハリソンのH4と比肩しうるものだったと評価されています21。実際、イギリスに先行されていた航海用クロノメーター開発で、フランスが一気に追いついたと言える成果でした。

経度賞の獲得とベルトゥーとの競争 (1769~1770年代): 1760年代後半、フランス科学アカデミーは航海用時計の技術競争を促進するため、私財提供者メスレー (Rouillé de Meslay) の基金による賞金をかけた公募を行っていました13(これはイギリスの経度法による懸賞よりも早く1714年に開始されていた制度です)。1768年にはル・ロワ自身が**「ハリソン氏および父ジュリアン・ル・ロワの経度発見に関する業績の概説」を出版し22、国内外のクロノメーター開発状況をまとめています。そして1769年**、ついにピエール・ル・ロワの製作した航海時計がフリゲート艦**「オロール」(Aurore)に積載されて実地航海試験にかけられ、その優秀さが証明されました23。その功績によりフランス学士院(科学アカデミー)から懸賞の「二重賞」(prix double)**を授与されました23。この「二重賞」とは、最良の航海用時計の製作とその時間測定法に関する功績の双方に対して与えられた賞と考えられます2425。ル・ロワはこの受賞によって名実ともにフランス随一のクロノメーター開発者と認められます。

しかしこの時期、ル・ロワには強力な競争相手が存在していました。同じくフランスで航海時計の開発を進めていたスイス出身の時計師フェルディナン・ベルトゥー(1727~1807年)です。ベルトゥーは若い頃にル・ロワの父ジュリアンの工房でも学んだ経歴があり、1760年代には多数の航海時計を試作して実績を積んでいました2627。1769年のアカデミー賞レースでも、等時性ひげゼンマイの発見に関してル・ロワとベルトゥーは競い合いましたが、発見自体はル・ロワが先んじて公表しその栄誉を手にしました2829。とはいえベルトゥーも1768~1769年にかけ自作の航海時計を試験航海に供し、性能面ではル・ロワに一歩及ばなかったものの多数の実用機を製造した点で勝っていました30。その結果、1770年4月1日付でベルトゥーはフランス王から「王と海軍付き機械時計師 (Horloger Mécanicien du Roi et de la Marine)」の地位に任命され、年額3,000リーヴルの俸給と海軍用時計の監督製作の任務を与えられます31。さらに彼には20個のマリンクロノメーターを製造する王命も下り、フランス海軍・海外遠征向けの精密時計供給の責任者となりました32。一方、ル・ロワは期待した公式の肩書きを得られず、この処遇に失望したと言われています33。祖国の航海時計開発に貢献しながらも自らは海軍時計師に任命されなかったことで、彼のモチベーションは削がれ、その後は第一線から身を引くようになりました33。実際、1770年代以降ル・ロワは工房の経営から退き、積極的な製作活動は減っていったようです。

「航海用携帯時計」の提案 (1771~1774年): 現役生活の晩年、ル・ロワは最後の情熱を注いである独創的なアイデアを形にしました。それは、大型の船舶据置きクロノメーターではなく**「携帯型の航海時計」です。彼は従来の懸垂式クロノメーターは船室に据え付けて用いるものでしたが、船員が懐中時計のように携行できる精密時計によって航海中の時刻保持ができれば、船の振動や衝撃にも強く利便性が高いと考えました3435。ル・ロワは1771年7月3日のフランス科学アカデミー会合において「天文家および船乗り向けの新しい時計に関する報告 (Mémoire sur une nouvelle montre à l’usage des astronomes et des marins)」を発表し、携帯型クロノメーターの構想と試作機について説明しました36。彼の説明によれば、この「船乗りの懐中時計 (montre de marin)」は通常の懐中時計サイズでありながら、温度変化の影響を受けにくい補償機構と、摩擦を極限まで減らした脱進機構を備え、船上での使用に耐える高精度を目指したものです3437。具体的には、ハリソンが大型クロノメーターH4で用いた温度補償機構(温度によってひげゼンマイの有効長さを変化させる方式)を小型懐中時計に適用することは困難であるため、長い二種金属製の弓形板(バイメタルの温度計板)をムーブメント背面に配置し、それがテンプの慣性モーメントに作用する独自の温度補償機構を考案しました38。この工夫により、小型時計でも温度変化を補正でき、しかもひげゼンマイの長さ自体は変えないため等時性も損ないません3940。また脱進機に関しては、18世紀初頭のアンリ・スルリーの着想を発展させ、脱進車を地板に垂直に配置した摩擦軽減型の懸垂脱進機を採用しました3441。こうすることで懐中で持ち歩いた際にテンプ軸の上下の摩擦を軽減し、姿勢差による精度影響を抑えることができます。さらに動力保持機構(ゼンマイ巻上げ時の駆動途絶を防ぐ装置)も組み込み、当時フランスでは製作が困難だった穴石(ルビー)軸受**の代わりに特製の焼入れ鋼製軸受を用いるなど、細部まで工夫が凝らされていました4243

ル・ロワの最初の試作懐中クロノメーター(1771年作)は期待通りの性能には達しませんでしたが、彼は改良を続け第二世代機を完成させます441774年、フランス海軍提督にして天文学の後援者でもあったパンティエーヴル公爵(ルイ・ジョゼフ、ルイ15世の庶子)の注文で、ル・ロワは改良型の懐中クロノメーターを製作・納品しました45。この時計は直径約5cmほどの両面に文字盤(片面は時・分表示、もう片面は独立秒表示)を備えた特別仕様で、文字盤を二面にすることで秒読み取りを正確かつ摩擦少なく行えるよう工夫されていました46。まさに**「デッキウォッチ(甲板時計)」**の先駆けともいえる存在であり、その構想と技術は後の19世紀に船舶士官用携行時計として結実することになります47。パンティエーヴル公自身、「馬車や乗合馬車で生じる衝撃にも耐えられる時計を」との要望を出しており、ル・ロワは据置型クロノメーターよりも人間が身につける懐中時計の方が衝撃吸収に有利だと考えた旨を述べています45。この1774年製の懐中クロノメーターはル・ロワの晩年の代表作となり、その後1804年に修理が施され現存していることが確認されています48(2022年現在、同時計は「世界初のデッキウォッチ」として収蔵・展示されることもあります)。

晩年と死去: 上記の革新的試みを最後に、ル・ロワは徐々に公の場から退きました。競争相手であったベルトゥーはフランス海軍やスペイン海軍から多数の航海時計を受注し大成していきますが、一方のル・ロワはその才能に比して不遇ともいえる晩年を過ごしたようです33。しかし彼の地道な研究姿勢と高潔な人柄は同時代の科学者たちに敬意を持って受け止められていました。兄弟には物理学者ジャン=バティスト・ル・ロワ(1720-1800)や医学者シャルル・ル・ロワ(1726-1779)ら啓蒙時代の知識人が多く、ピエール自身も1760年にフランス科学アカデミー会員に選出されています(※兄ジャン=バティストは1751年からアカデミー会員)49。そうした学術ネットワークの中で、彼の知見は次世代に継承されていきました。1785年8月26日、ピエール・ル・ロワはパリ近郊のヴィリー=シャティヨン(現在のヴィリー=シャティヨン、エソンヌ県)で68歳で亡くなりました5

技術的貢献と発明の詳細#

ピエール・ル・ロワが時計史にもたらした技術的革新は、当時としては飛躍的なものであり、後のクロノメーター技術の基盤となりました2050。ここでは彼の主要な発明・改良について、技術的観点から解説します。

デテント式脱進機の発明 (1748年)#

18世紀半ばまでの携帯時計(懐中時計)や据置時計では、振動子(テンプや振り子)に駆動力を伝える脱進機(エスケープメント)による摩擦や干渉が、精度を乱す大きな要因でした51。ル・ロワは1748年、従来型とは全く原理の異なるデテント式(懸垂式)脱進機を発明します352。デテント脱進機では、脱進車の歯を細いデテント(拘束ばね)で一度ずつ静止させ、テンプが公転運動の往復の中心付近を通過する一瞬だけデテントを外して歯車を解放し、そのタイミングで歯がテンプに impulso(衝撃)を与えます5354。この仕組みにより、テンプが往復の半周期ごとに一方向だけ推進力を受け、しかもそれ以外の時はテンプが歯車と接触せず完全に自由振動できるようになります55。結果として摩擦抵抗や振動への外乱が極小化され、当時問題だった等時性の乱れを大幅に減らすことに成功しました。

補足: 従来の代表的な脱進機であるアンクル式(レバー式)脱進機は1755年にトーマス・マッジによって発明されましたが56、これはテンプから見て「能動的な」構造、すなわちテンプがアンクルを押し動かして脱進を制御する方式でした。一方、ル・ロワのデテント脱進機は「受動的・半脱調式」で、テンプは解放のトリガーをかけるだけで自ら歯車を制御しない点で異なります56。この**“脱干渉”**の概念こそが、ル・ロワの脱進機最大の特徴でした。同様の発想はジョン・ハリソンもH3で一部試みましたが(グラスホッパー脱進機等)、本格的に時計へ応用されたのはル・ロワが初めてです20

ル・ロワのデテント式脱進機は、のちの航海用クロノメーターに不可欠な「クロノメーター脱進機」の原型となりました20。実際、彼の発明から30年以上後の1780年代にイギリスのジョン・アーノルドとトーマス・アーンショウがそれぞれ開発・特許取得した**「スプリング・デテント式」脱進機**(ばね懸垂脱進機)は、基本構造においてル・ロワの原理を踏襲しています50。アーノルドとアーンショウはこの脱進機を量産製品に適するよう簡素化し、以後19~20世紀の機械式マリンクロノメーターの標準機構となりました50。このようにデテント式脱進機の発明は、クロノメーター史における決定的ブレークスルーだったのです4

温度補償振り子・テンプの開発#

時計の精度に影響を与えるもう一つの重大要因が温度変化です。金属製の振り子棒やテンプ、ひげゼンマイは温度によって伸縮や弾性が変化し、時計の歩度(進み遅れ)に狂いを生じさせます57。18世紀中頃までに振り子時計ではジョン・ハリソンによるグリッドアイロン補償振り子(異種金属の棒を組み合わせて膨張を相殺する構造)が考案されていましたが、携帯型のテンプ時計における温度補償は難題でした5859。ハリソン自身、H4クロノメーターで温度補正のためバイメタル式の曲げ板をひげゼンマイに付加する試みをしていますが40、ル・ロワはより洗練されたアプローチを提示しました。

ル・ロワの考案した温度補償テンプは、**二種類の金属板を張り合わせた輪(バイメタル環)**をテンプの一部として用いることで、温度に応じてテンプの有効直径(慣性モーメント)が変化し、ゼンマイの力弱まりを打ち消す仕組みです39。具体的には、真鍮と鋼鉄の板を貼り合わせた細長いリム(輪郭)を持つテンプを作り、温度が上昇すると膨張率の高い真鍮側が外側に膨らむためテンプの環がわずかに縮み、逆に温度低下で環が開くように設計しました39。これにより温度変化で遅れがちになる時計を自動的に進ませ、一定の歩度を保つようになります39。ル・ロワはハリソンとは異なり「ひげゼンマイの有効長には極力触れない」方針をとりました39。ハリソン方式では温度でひげゼンマイの有効長を変化させるため、ゼンマイ本来の等時性が損なわれる恐れがありました。ル・ロワはこの問題に気づき、ゼンマイの長さ・弾性は固定したまま、テンプ側の特性を変化させる方が望ましいと考えたのです3940。この発想に基づく温度補償テンプ(バイメタル補償テンプ)は、その後の全ての機械式クロノメーターで標準となりました3950

さらにル・ロワは、小型懐中時計向けには二種金属の板ばね(弓形板)を利用した独自の補償機構も提案しています38。先述のように1771年発表の携帯クロノメーターでは、長いバイメタル板をレバーを介してテンプに作用させ、短い板でも補償効果を5倍に増幅する機構を組み込みました40。この工夫により懐中時計サイズでも十分な温度補償が可能となり、ハリソンの方式では難しかった携帯時計での温度誤差補正を実現しています60

等時性ひげゼンマイの研究#

等時性とは、振動の振幅にかかわらず周期が一定である性質を指し、精密時計の心臓部である振動子に求められる重要な条件です61。理論的には、理想的なばねと慣性モーメントによる調和振動子は等時性を持ちますが、実際のひげゼンマイには厚みや形状の影響で振幅により振動周期がわずかに変化する「偏心等時誤差」が存在しました。18世紀の時計師たちはこの問題にも取り組んでおり、振り子時計では惠更斯(ホイヘンス)が緊張振り子(振幅に応じて有効長が変化し等時性を保つ補正振り子)を提案したりしていました。しかし携帯時計のひげゼンマイでは、18世紀半ばにはまだ等時性確保の理論が十分確立していませんでした。

ピエール・ル・ロワは、自身の経験から「ひげゼンマイの長さと取り付け状態によって等時性が左右される」ことを突き止めました62。特に、ゼンマイの長さ・強さには等時性が成立する最適点が存在し、それを外れると振幅によって進み・遅れが生じることを発見したのです62。ル・ロワは最適なゼンマイの寸法・材料を追求し、自作クロノメーターに組み込むことで高い等時性を実現しました63。1766年の傑作クロノメーターで用いられたひげゼンマイは、当時としては驚異的に精密な振動特性を示し、長期間の航海試験でも安定した歩度を維持する原動力となりました6324

この等時性ゼンマイの発見は、同時期に活動していたベルトゥーも独自に取り組んでいたテーマでした。両者は激しい先取権争いを繰り広げましたが、ル・ロワが1769年のアカデミー懸賞論文で先に公表したことでその功績が認められました28。ベルトゥーも後年1773年に大著『海時計に関する論考 (Traité des horloges marines)』を刊行し等時性ゼンマイについて述べていますが、ル・ロワの実験と結論が先行していたことは明らかです。

その後19世紀に入り、等時性をさらに高めるためにひげゼンマイの形状改良(ブレゲひげやフィリップス曲線)や材質改良(ニッケル鋼製ゼンマイ=エリナバーの発明57)が行われますが、これらはいずれもル・ロワが提示した原理を追求したものと位置付けられます64。すなわち、「ゼンマイの力の変動や温度変化によって振動周期が変わらないようにする」という設計思想は、ル・ロワが初めて明確に打ち出したものであり、それが現代の高精度時計にまで連なる重要概念となりました65

その他の技術革新#

ル・ロワは上述の主要発明以外にも、多くの工夫を時計に凝らしています。たとえば単一車輪による報時機構(1748年の発明)66は、歯車系を簡素化しながらチャイム(時報)を打つ仕組みで、複雑な機構を効率化する着想でした。また、彼は精密時計の製作において摩擦の低減と材料強度に強い関心を持ち、軸受け潤滑に最適な粘度の油を選定したり(父ジュリアンはニュートンの流体実験を応用して軸の油減りを抑えたことで有名です67)、前述のように宝石(ルビー)穴石が入手困難な場合には焼き入れ鋼の穴軸受を代用するといった工夫もしています68。さらに、ハリソンのH4で採用されたフュゼ(チェーンとらせんによる等力装置)に相当する機構も自作時計に組み込み、ゼンマイの力の弱まりを均等化する配慮をしています42。これらは現代でいう精密機械工学的な観点での取り組みであり、彼が単に職人的勘に頼るのではなく科学的・工学的アプローチで時計の性能向上を図っていたことを示しています。

以上のように、ピエール・ル・ロワの技術的貢献は多岐にわたります。彼自身の研究成果は論文やメモワールとしても残されており、後世の時計師たちはそれらを読むことで多くを学びました。第二次世界大戦前夜の1940年に刊行された伝記研究『ピエール・ル・ロワとクロノメトリー』では、「ル・ロワは今日あらゆるクロノメーターに応用されている原理を初めて定式化した人物」と評されています65。この評価は決して過言ではなく、彼の発明した脱進機・温度補償・等時性の3点セットが無ければ、その後の精密時計史は全く異なる様相を呈したことでしょう。

背景:経度問題と18世紀の技術競争#

ピエール・ル・ロワの業績を理解するためには、18世紀当時の技術的背景、特に**「経度の測定」問題について触れる必要があります。経度の測定法確立は、大航海時代以降の世界各国にとって極めて重要な課題でした69。緯度は天測で比較的容易に求められる一方、経度を知るには正確な時刻基準が必要です70。そこで各国は正確な航海用時計(クロノメーター)**の開発にしのぎを削りました。

特に18世紀、海洋進出で先行していたイギリスとフランスはこの分野で熾烈な競争を繰り広げました14。イギリスでは1714年に議会が経度法を制定し、経度1度以内の精度で航海できる時計に最高2万ポンド(現在の数億円に相当)の賞金を懸けました71。これに応えてジョン・ハリソンが数十年かけてH1~H4の海時計を開発し、1761年にH4が初めて大西洋横断航海で実用的な精度を示します5859。一方フランスでは、それに先立つ1714年に富豪メスレーの寄付による懸賞制度を科学アカデミーが設けており、国内外の技術者に経度測定法の募集をかけていました13。フランスの場合、時計による解決策だけでなく天文学的手法(月距法)の研究も並行して進めていましたが、1760年代になるとイギリスのハリソンの成功に刺激されて時計式解決への熱が高まります。

この環境下で頭角を現したのがピエール・ル・ロワとフェルディナン・ベルトゥーでした。ベルトゥーはジュラ地方出身で1745年にパリに出て修行し、1753年にはわずか26歳で親方資格を特例で取得するなど早熟の天才でした7273。彼は1759年に時計調整法の著書、1760年に航海時計の原理書を出版し、1763年にはフランス王の命で渡英してジョン・ハリソンのH4を調査しようとしています7475(ハリソン本人に拒絶され直接の閲覧は叶いませんでしたが、その際に英国王立協会から外国人会員に選ばれるなど国際的交流も行いました75)。ベルトゥーは1760年代を通じて少なくとも数十個の試作海時計を製造し、そのうちナンバー8の時計は18か月の長期航海で経度誤差半度以内という性能を示した記録があります32

ル・ロワとベルトゥーは互いに刺激し合い、フランスの経度時計開発を牽引しました。1766年にはル・ロワが理論的に最先端のクロノメーターを完成させ、一方の1767年にはベルトゥーも自作航海時計を持って英国に赴きグリニッジ天文台でその精度をテストしています(ベルトゥーの時計も優秀でしたが、ル・ロワのものには及ばなかったとされます76)。1769年、フランス科学アカデミーは両者の功績を認めつつも、より画期的な発見(等時性ゼンマイ)を成したル・ロワに懸賞の栄誉を与えました28。しかし1770年には前述の通りベルトゥーが海軍時計師に抜擢され、体制側の支援を得ます31。この結果、以後フランス海軍向けクロノメーター製造はベルトゥー一門(甥のルイ・ベルトゥーら)に委ねられることになりました7778

こうした歴史の巡り合わせにより、ピエール・ル・ロワの開発した革新的技術は、彼自身の手によって量産・実用化されることはありませんでした。しかしそのアイデアと設計は確実に次世代に影響を与えています。イギリスではジョン・アーノルドが1770~1780年代にル・ロワのデテント脱進機と温度補償バランスの概念を独自に再発明し、簡素な懐中クロノメーターを試作しました50。またトーマス・アーンショウはアーノルドの工夫をさらに改良し、より製造しやすい懸垂脱進機を1783年に考案しています50。このアーンショウ式クロノメーターは英国海軍に制式採用され、19世紀を通じて世界中に広まりました。

一方フランスでも、ベルトゥーの甥で弟子のルイ・ベルトゥーがナポレオン時代まで海軍クロノメーターの開発を継続し、1802年にはナポレオンから「帝国海軍時計師」に任命されています(同ポストは当初ブレゲも候補でしたがベルトゥー家が選ばれました79)。ナポレオン戦争後の1815年、ルイ18世の復古王政下ではアブラアム=ルイ・ブレゲ(1747-1823年)が王立海軍時計師に任じられ、ブレゲも自社で航海用クロノメーターを製作しました。ブレゲのクロノメーターにもル・ロワの原理が活かされており、彼はテンプの温度補償や等時性向上(ブレゲひげの考案)に取り組んでいます。こうして19世紀半ばまでには、フランス・イギリスのみならずアメリカやドイツ、スイスの時計師たちもマリンクロノメーターの製造に参入し、世界中の軍艦・商船に精密クロノメーターが搭載される時代となりました。

現代への影響と評価#

ピエール・ル・ロワの技術的遺産は、その後二世紀以上にわたり時計技術の発展に影響を与え続けました。彼が確立した**「脱進機の無干渉化」「テンプの温度補償」「ひげゼンマイの等時性確保」**という三本柱は、19世紀以降の標準クロノメーター設計の要となり50、20世紀初頭まで機械式クロノメーターの基本原理として不動の地位を占めました80

まず航海用クロノメーターの大量導入に関して言えば、イギリス海軍は1825年頃までに自国の全ての軍艦へクロノメーターを行き渡らせたとされています81。これによりイギリスは海上での定位精度を飛躍的に高め、19世紀に「日の沈まぬ帝国」と称される海洋帝国を築く一因となりました82。逆に言えば、クロノメーターの導入の遅れた国(ポルトガル・オランダ・フランスなど)は19世紀の海軍力競争で後塵を拝したとも指摘されています82。この歴史的大局の陰にも、ル・ロワをはじめとする時計師たちの技術革新があったのです。

19世紀後半になると、時計製造にも徐々に工業化の波が押し寄せます。伝統的にクロノメーターは職人が一つひとつ精密調整する手工業品でしたが、スイスのウィリアム・ボンダや米国のハミルトン社などが部品の標準化と互換性を推進し、大量生産による高品質クロノメーター製造を試みました83。特にアメリカのハミルトン社は第二次世界大戦期に「Model21」クロノメーターを大量生産することに成功し、連合国各国の艦船に数千台規模で供給しました83。その基本構造は、ル・ロワ以来の懸垂脱進機+温度補償テンプ+高精度ひげゼンマイという組み合わせに他なりません。ハミルトン社は最新の工業技術でそれらを高精度に量産し、機械式クロノメーター製造の最終到達点を示しました83。20世紀後半になると、さらなる高精度を求めてクォーツ式(石英時計)クロノメーターや電波時刻信号、さらには人工衛星を利用したGPSによる測位が主流となり、機械式クロノメーターは実用の座を降ります。しかし、今日に至るまで機械式クロノメーターはその歴史的価値とロマンからコレクターズアイテムや高級時計ブランドの技術遺産として大切に保存・再現されています。

ピエール・ル・ロワ本人の評価も、時代と共に見直されました。彼の死後しばらくはフランス国内でもベルトゥーの名声が勝り、ル・ロワは半ば忘れられた存在となっていました。しかし19世紀末から20世紀にかけて、時計史研究が進む中でル・ロワの革新性が再評価され始めます。1900年前後のフランス大百科事典やラルース百科事典には、**「ル・ロワはフランスにおけるマリンクロノメーターの発明者と見なされる」**との記述があり2、既に祖国でクロノメーター開発の第一人者と認識されていました。1923年にイギリスのリチャード・グールドが発表した名著『Marine Chronometer, its history and development』では、ハリソンやアーノルドらと並びル・ロワの功績が詳述され84、「ル・ロワの開発した手法こそ近代クロノメーターの礎である」と明言されています4。第二次大戦期にスイスの天才クロノメーター技師ポール・ディティスハイムが著した研究書(前述)でも、ル・ロワの考案した原理と後世の発展(フィリップス曲線やニッケル鋼ひげの導入による改良)とが一直線につながるものであることが強調されました8586

現在では、ピエール・ル・ロワの業績は時計史の中で欠かせない一章として語られます。彼の製作した1766年のクロノメーター(懐中型への試み以前の大型機)はパリの工芸博物館(アル・エ・メティエ博物館)に所蔵され、一般にも公開されています87。また1774年のパンティエーヴル公に納品された懐中クロノメーターは現存する唯一の当時物の「デッキウォッチ」として貴重な文化財になっています。時計愛好家の間では、21世紀になっても時折ル・ロワの名が話題に上ります。例えば現代の著名独立時計師であるF.P.ジュルヌ(François-Paul Journe)は、自社時計のひげゼンマイ調整において**「ル・ロワ以来の等時性原理」**を参照したと語っています8889。このように、ピエール・ル・ロワの遺した知識と技術は時空を超えて生き続け、時計工学の基本原理として現代にも息づいていると言えるでしょう。

主な作品と顧客#

ル・ロワは宮廷時計師として国王や貴族向けの精巧な時計も手掛けており、当時から作品は高く評価されていました。以下に彼の代表的な製作物と、その特徴・背景を紹介します。

  • 1748年: 一輪式報時振り子時計 – 脱進機と報時機構を簡潔にまとめた実験的作品。ル・ロワ20代の意欲作であり、この中で初めてデテント式脱進機の概念が形となりました66。宮廷やパリ市内の裕福なパトロンに披露された可能性があります。

  • 1763年: 第一号マリンクロノメーター – 直径約1メートルの大型海時計。フランス科学アカデミーにて披露され、同年と翌年に行われた航海試験で高精度ぶりを示しました17。観測所長セザール=フランソワ・カッシーニらがテスターとなり、その性能を学術的に記録しています18

  • 1766年: 傑作マリンクロノメーター(第三号機) – 二層の箱に収められた据置型航海時計。大きさは一辺約30cmの立方体状で、船に搭載する際は振り子時計のように衝撃を逃がすための懸架(サスペンション)機構も備わっていました90デテント脱進機・補償テンプ・等時性ゼンマイを全て搭載した史上初の時計であり、その意味で「世界初の近代クロノメーター」です20。現在、パリ工芸博物館に所蔵されています87

  • 1771年: 船乗り用懐中時計(第一世代) – 先述のように航海士が携帯できるクロノメーターとして開発された懐中時計型試作機。温度補償・脱進機構に新機軸が多く盛り込まれましたが、巻上げ構造にフュゼを省いたことなどから精度面で改善の余地が残りました44。このモデルは正式な販売品ではなく、自身で改良のために用いたプロトタイプでした。

  • 1774年: 天文官兼船乗り用二面懐中時計 – パンティエーヴル公爵の依頼で製作された第二世代の懐中クロノメーター45。片面に時分表示、反対面に独立秒表示を持つユニークな二面ダイヤル構成で、テンプを垂直配置にして姿勢差を低減するなど当時最先端のアイデアが投入されています91。公爵はフランス海軍の名誉提督であり、この時計は公爵の支援を受けて完成しました45。実質的に世界初のデッキウォッチ(携帯航海時計)であり、のちにイギリスのマリンクロノメーター発展史にも影響を与えたと考えられます。

  • その他の作品: ル・ロワは上記のほか、宮廷向けの精巧な置時計や天文時計も製作しました。現存する作品としては、1750年代に製作されたルイ15世様式のブロンズ装飾置時計(オルモル装飾クロック)などが知られており、美術的価値の面でも評価されています9293。ただし、彼自身は父ジュリアンほど多作ではなく、また1770年代以降は大半のエネルギーを航海時計の研究に注いだため、市場に出回った作品数は限られています。

顧客層としては、フランス王室・宮廷貴族が主でした。前述のように王室時計師として公式に任命されていますので、ルイ15世およびその周辺の宮殿で彼の時計が使用されたことでしょう。ルイ15世の孫にあたるパンティエーヴル公爵は特にル・ロワを支援し、自身の蔵書館に彼の時計を備えたと言われます45。また、学術方面では科学アカデミーの天文学者や測地学者(例えばカッシーニ家やピエール=シモン・ラプラス等)が彼の時計に関心を寄せ、試験や研究に協力しました。国境を越えたところでは、英国のキング・ジョージ3世がハリソンのH4と並んでル・ロワやベルトゥーの時計にも興味を示したという逸話もあります(実物を入手したかは定かでありませんが、英国王立協会宛にフランスの成果報告が届いています75)。

年表#

  • 1717年 – パリにて誕生(父ジュリアン・ル・ロワと母エティエンヌットの長男)5
  • 1737年 – 約20歳で時計師組合の親方資格を取得し、父の工房で中心的な役割を担い始める7
  • 1748年デテント式脱進機を考案し、一輪式報時時計に組み込んで試作56。この発明により新しい精密時計機構の可能性を開く。
  • 1750年 – 著書*『パリの時計師たちへの意見書』*を刊行11。フランス時計技術の水準向上を訴え、国産振興の姿勢を示す。
  • 1751年8月 – 王立科学アカデミーに懐中時計の構造に関する書簡を提出11(『メモワール・ド・トレヴー』誌1752年6月号に掲載)。
  • 1754年 – 航海用時計の基本設計図を作成16。海上で振動・傾斜に耐えうる時計の構想を練る。
  • 1756年頃 – 最初期の試作マリンクロノメーターを製作完了16。以後、改良を重ねつつ複数の試作を続行。
  • 1759年 – 父ジュリアン・ル・ロワ死去。ピエールが父の跡を継ぎ、宮廷時計師に就任12
  • 1760年 – 著書*『1760年版 天文年代記(エトレンヌ・クロノメトリック)』*出版94。時計学の歴史と最新技術をまとめた専門書。
  • 1763年 – パリ科学アカデミーにて第一号マリンクロノメーターを発表17。同機は直径約1mの大型懐中時計型で、約40日の航海試験を経て優れた精度を示す18
  • 1765年 – (推定)カッシーニらによる2度目の航海試験が行われる。長期間で経度誤差約0.25度(15海里程度)という結果を記録18
  • 1766年第三号(傑作)マリンクロノメーターを完成19。脱進機・温度補償・等時性ゼンマイの三革新を備えた画期的モデル20。後に工芸博物館に収蔵87
  • 1767年『ハリソン氏とル・ロワ氏(父)の経度発見に関する業績の露抹』(Exposé succinct…)を執筆95。フランスと英国のクロノメーター開発成果を比較検討。
  • 1768年 – ベルトゥー、ロンドン訪問(ハリソンのH4調査未遂)および王立協会フェロー選出75。ル・ロワは国内で改良作業を続行。
  • 1769年 – アカデミー主催の航海時計懸賞で、ル・ロワの時計が最優秀と評価され**「二重賞」を受賞23。同時期、フェルディナン・ベルトゥーも複数の海時計を完成させるが、性能で一歩及ばず76。ル・ロワは等時性ひげゼンマイの発見**を公表し、学術的功績を確立28
  • 1770年4月 – ベルトゥー、フランス王室および海軍付き時計師に任命31。以後、海軍向けクロノメーター製造の官営プロジェクトがベルトゥー主導で進む。ル・ロワは官職を得られず失意。
  • 1771年7月 – 科学アカデミーで*「天文家と船乗り用新型時計」*に関する報告を発表36。携帯型クロノメーター(デッキウォッチ)の概念を提唱し試作品を紹介。
  • 1772年 – 懐中航海時計の改良版(第二世代)を製作。フュゼと大型温度計板を追加し精度向上に成功4268
  • 1773年 – ベルトゥー、『海時計に関する論考』出版96。ル・ロワの発表から遅れて温度補償や等時性に関する自身の研究をまとめる。ル・ロワ、この頃には半引退状態。
  • 1774年 – パンティエーヴル公爵への納品時計(懐中クロノメーター第二世代)が完成45。世界初のデュアルダイヤル懐中クロノメーターとして後世に知られる。以降、ル・ロワ実質的な製作活動終了。
  • 1785年8月26日 – パリ近郊ヴィリー=シャティヨンにて死去5。享年68。
  • 1787年 – (参考)イギリスでアーノルドとアーンショウに経度委員会から賞金授与(デテント式クロノメーターの改良と普及への貢献)50
  • 1800年 – ベルトゥー死去(享年80)。フランスの航海時計第一世代が幕を下ろす9798。以後ルイ・ベルトゥーやブレゲらが継承。
  • 1825年 – イギリス海軍、ほぼ全艦艇にクロノメーター配備完了81。各国海軍にクロノメーター普及進む。
  • 1870年代 – 温度によるひげゼンマイ弾性変化を抑えるニッケル鋼合金(エリナバー)の研究が進む。1890年代に物理学者ギヨームが精密合金を開発57
  • 1920年 – シャルル・エドゥアール・ギヨーム、ニッケル鋼製テンプおよびひげゼンマイの功績でノーベル物理学賞受賞99。ル・ロワの課題であった温度と等時性問題に材料科学で答えを出す。
  • 1940年 – Vivielleらによる伝記『Pierre Le Roy et la chronométrie』刊行100。ル・ロワ再評価が進む。
  • 1970年代 – 機械式クロノメーターの製造終了(英マーサー社が1970年代まで伝統的製法を維持101)。以後はクォーツ技術に完全移行。
  • 現在(21世紀) – ル・ロワの開発した脱進機や補償テンプは高級機械式時計の歴史的遺産として称揚される。各国の時計博物館で当時のクロノメーターが展示され、研究が続けられている。

おわりに#

ピエール・ル・ロワは、その生涯において時計技術の根幹を成す数々の革新を成し遂げました。彼の名はジョン・ハリソンほど一般には知られていないかもしれません。しかし、ル・ロワが初めて実現した原理や装置なしに、近代の精密時計は語れないのは明白です65。彼の発明した脱進機は時計の心臓部に革命を起こし、温度補償機構はあらゆる環境での精度維持を可能にし、等時性ゼンマイの理念は時計の理論を一段高みに引き上げました。ル・ロワ自身は栄誉や富を十分には享受しませんでしたが、彼の遺した技術的遺産は世界中の航海者を正確な時刻へと導き、また現在の物理学的時間計測の精度にも遠くつながっています102。学術的にも、ル・ロワの業績は時計史・技術史の貴重な一ページとして、今後も研究と称賛の対象であり続けるでしょう。


参考文献#

  1. Wikipedia英語版「Pierre Le Roy」(最終更新2026年1月9日)339 – ル・ロワの発明(デテント脱進機、温度補償テンプ、等時性ゼンマイ)に関する記述と経歴概要。
  2. Wikipedia仏語版「Pierre Le Roy」(最終更新2023年12月9日)6628 – フランス語版記事。生涯や業績(1769年アカデミー賞、出版物一覧など)の情報を含む。
  3. Day & McNeil (1996) “Biographical Dictionary of the History of Technology”, p.4296333 – ル・ロワの技術史的評価。ベルトゥーに比べフランス国内で過小評価された点や彼の引退について記述。
  4. Larousse百科事典(19世紀版) 項目「Leroy, Pierre」10311 – ル・ロワ親子の業績まとめ。カッシーニによる航海試験結果や著作リスト(1750年~1769年)を収録。
  5. Smithsonian Institute – Time and Navigation 展示サイト「Innovations in France」2425 – フランスにおける経度問題への取り組み。ル・ロワとベルトゥーの海時計開発競争やメスレー賞について解説。
  6. Encyclopedia of Time (Samuel Macey 編)2050 – 海洋クロノメーター史の解説。ル・ロワの1766年クロノメーターが近代クロノメーターの礎であり、後のアーノルド/アーンショウによる発展につながったことを記述。
  7. Marine Chronometer – Wikipedia英語版(2025年版)482 – マリンクロノメーターの歴史に関する詳細記事。ハリソンからアーノルド/アーンショウ、20世紀までの流れを網羅。ル・ロワの役割についても詳述。
  8. Escapement Magazine「Chronométrie Ferdinand Berthoud – the legacy」(2017年)7778 – フェルディナン・ベルトゥーの歴史紹介記事。1770年にベルトゥーが海軍時計師に任命された件や、その後の展開について。
  9. Antiquorum Auction Lot Notes「The First Deck Watch in the World – Pierre Le Roy, 1774」3438 – 1774年製のル・ロワ懐中クロノメーターに関する詳しい解説。ル・ロワ自身のメモやアカデミー講演内容が引用され、技術的特徴が述べられる。
  10. Paul Ditisheim et al. (1940) Pierre Le Roy et la chronométrie(レビュー記事, Hydrographic Review 1943)6564 – ル・ロワの生涯と発明の詳細な分析。近代クロノメーター原理の確立者として評価し、後世の技術(フィリップス曲線やエリナバー)への影響について論じる。

  1. Pierre Le Roy - Wikipedia ↩︎

  2. Pierre Le Roy — Wikipédia ↩︎ ↩︎

  3. Pierre Le Roy - Wikipedia ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎

  4. Marine chronometer ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎

  5. Pierre Le Roy — Wikipédia ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎

  6. Pierre Le Roy - Wikipedia ↩︎

  7. DMG Lib: Browse, Persons ↩︎ ↩︎

  8. DMG Lib: Browse, Persons ↩︎

  9. Page:Larousse - Grand dictionnaire universel du XIXe siècle - Tome 10, part. 2, Lep-Lo.djvu/21 - Wikisource ↩︎

  10. Page:Larousse - Grand dictionnaire universel du XIXe siècle - Tome 10, part. 2, Lep-Lo.djvu/21 - Wikisource ↩︎

  11. Page:Larousse - Grand dictionnaire universel du XIXe siècle - Tome 10, part. 2, Lep-Lo.djvu/21 - Wikisource ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎

  12. DMG Lib: Browse, Persons ↩︎ ↩︎

  13. Innovations in France | Time and Navigation ↩︎ ↩︎ ↩︎

  14. Chronométrie Ferdinand Berthoud – the legacy - WATCH REVIEW ↩︎ ↩︎

  15. Pierre Le Roy — Wikipédia ↩︎

  16. DMG Lib: Browse, Persons ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎

  17. DMG Lib: Browse, Persons ↩︎ ↩︎ ↩︎

  18. Page:Larousse - Grand dictionnaire universel du XIXe siècle - Tome 10, part. 2, Lep-Lo.djvu/21 - Wikisource ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎

  19. DMG Lib: Browse, Persons ↩︎ ↩︎

  20. Marine chronometer ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎

  21. Pierre Le Roy - Wikipedia ↩︎

  22. Pierre Le Roy — Wikipédia ↩︎

  23. Pierre Le Roy - Wikipedia ↩︎ ↩︎ ↩︎

  24. Innovations in France | Time and Navigation ↩︎ ↩︎ ↩︎

  25. Innovations in France | Time and Navigation ↩︎ ↩︎

  26. Chronométrie Ferdinand Berthoud – the legacy - WATCH REVIEW ↩︎

  27. Chronométrie Ferdinand Berthoud – the legacy - WATCH REVIEW ↩︎

  28. Pierre Le Roy — Wikipédia ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎

  29. Pierre Le Roy — Wikipédia ↩︎

  30. Innovations in France | Time and Navigation ↩︎

  31. Ferdinand Berthoud - Wikipedia ↩︎ ↩︎ ↩︎

  32. Chronométrie Ferdinand Berthoud – the legacy - WATCH REVIEW ↩︎ ↩︎

  33. Pierre Le Roy - Wikipedia ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎

  34. The First Deck Watch in the World Pierre Le Roy, Paris, made in 1774, made for the Duke de Penthièvre, restored by Henri Laresche in 1806. Exceptionally rare, extremely important and very fine gold and silver, double-dial, center-seconds, special escapement watch with special temperature compensation “for the use of Astronomers and Seamen”. | Exceptional Horological Works of Art | Geneva, 19th October 2002 ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎

  35. The First Deck Watch in the World Pierre Le Roy, Paris, made in 1774, made for the Duke de Penthièvre, restored by Henri Laresche in 1806. Exceptionally rare, extremely important and very fine gold and silver, double-dial, center-seconds, special escapement watch with special temperature compensation “for the use of Astronomers and Seamen”. | Exceptional Horological Works of Art | Geneva, 19th October 2002 ↩︎

  36. The First Deck Watch in the World Pierre Le Roy, Paris, made in 1774, made for the Duke de Penthièvre, restored by Henri Laresche in 1806. Exceptionally rare, extremely important and very fine gold and silver, double-dial, center-seconds, special escapement watch with special temperature compensation “for the use of Astronomers and Seamen”. | Exceptional Horological Works of Art | Geneva, 19th October 2002 ↩︎ ↩︎

  37. The First Deck Watch in the World Pierre Le Roy, Paris, made in 1774, made for the Duke de Penthièvre, restored by Henri Laresche in 1806. Exceptionally rare, extremely important and very fine gold and silver, double-dial, center-seconds, special escapement watch with special temperature compensation “for the use of Astronomers and Seamen”. | Exceptional Horological Works of Art | Geneva, 19th October 2002 ↩︎

  38. The First Deck Watch in the World Pierre Le Roy, Paris, made in 1774, made for the Duke de Penthièvre, restored by Henri Laresche in 1806. Exceptionally rare, extremely important and very fine gold and silver, double-dial, center-seconds, special escapement watch with special temperature compensation “for the use of Astronomers and Seamen”. | Exceptional Horological Works of Art | Geneva, 19th October 2002 ↩︎ ↩︎ ↩︎

  39. Pierre Le Roy - Wikipedia ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎

  40. The First Deck Watch in the World Pierre Le Roy, Paris, made in 1774, made for the Duke de Penthièvre, restored by Henri Laresche in 1806. Exceptionally rare, extremely important and very fine gold and silver, double-dial, center-seconds, special escapement watch with special temperature compensation “for the use of Astronomers and Seamen”. | Exceptional Horological Works of Art | Geneva, 19th October 2002 ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎

  41. The First Deck Watch in the World Pierre Le Roy, Paris, made in 1774, made for the Duke de Penthièvre, restored by Henri Laresche in 1806. Exceptionally rare, extremely important and very fine gold and silver, double-dial, center-seconds, special escapement watch with special temperature compensation “for the use of Astronomers and Seamen”. | Exceptional Horological Works of Art | Geneva, 19th October 2002 ↩︎

  42. The First Deck Watch in the World Pierre Le Roy, Paris, made in 1774, made for the Duke de Penthièvre, restored by Henri Laresche in 1806. Exceptionally rare, extremely important and very fine gold and silver, double-dial, center-seconds, special escapement watch with special temperature compensation “for the use of Astronomers and Seamen”. | Exceptional Horological Works of Art | Geneva, 19th October 2002 ↩︎ ↩︎ ↩︎

  43. The First Deck Watch in the World Pierre Le Roy, Paris, made in 1774, made for the Duke de Penthièvre, restored by Henri Laresche in 1806. Exceptionally rare, extremely important and very fine gold and silver, double-dial, center-seconds, special escapement watch with special temperature compensation “for the use of Astronomers and Seamen”. | Exceptional Horological Works of Art | Geneva, 19th October 2002 ↩︎

  44. The First Deck Watch in the World Pierre Le Roy, Paris, made in 1774, made for the Duke de Penthièvre, restored by Henri Laresche in 1806. Exceptionally rare, extremely important and very fine gold and silver, double-dial, center-seconds, special escapement watch with special temperature compensation “for the use of Astronomers and Seamen”. | Exceptional Horological Works of Art | Geneva, 19th October 2002 ↩︎ ↩︎

  45. The First Deck Watch in the World Pierre Le Roy, Paris, made in 1774, made for the Duke de Penthièvre, restored by Henri Laresche in 1806. Exceptionally rare, extremely important and very fine gold and silver, double-dial, center-seconds, special escapement watch with special temperature compensation “for the use of Astronomers and Seamen”. | Exceptional Horological Works of Art | Geneva, 19th October 2002 ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎

  46. The First Deck Watch in the World Pierre Le Roy, Paris, made in 1774, made for the Duke de Penthièvre, restored by Henri Laresche in 1806. Exceptionally rare, extremely important and very fine gold and silver, double-dial, center-seconds, special escapement watch with special temperature compensation “for the use of Astronomers and Seamen”. | Exceptional Horological Works of Art | Geneva, 19th October 2002 ↩︎

  47. The First Deck Watch in the World Pierre Le Roy, Paris, made in 1774, made for the Duke de Penthièvre, restored by Henri Laresche in 1806. Exceptionally rare, extremely important and very fine gold and silver, double-dial, center-seconds, special escapement watch with special temperature compensation “for the use of Astronomers and Seamen”. | Exceptional Horological Works of Art | Geneva, 19th October 2002 ↩︎

  48. The First Deck Watch in the World Pierre Le Roy, Paris, made in 1774, made for the Duke de Penthièvre, restored by Henri Laresche in 1806. Exceptionally rare, extremely important and very fine gold and silver, double-dial, center-seconds, special escapement watch with special temperature compensation “for the use of Astronomers and Seamen”. | Exceptional Horological Works of Art | Geneva, 19th October 2002 ↩︎

  49. Page:Larousse - Grand dictionnaire universel du XIXe siècle - Tome 10, part. 2, Lep-Lo.djvu/21 - Wikisource ↩︎

  50. Marine chronometer ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎

  51. Marine chronometer ↩︎

  52. Pierre Le Roy - Wikipedia ↩︎

  53. Marine chronometer ↩︎

  54. Marine chronometer ↩︎

  55. Marine chronometer ↩︎

  56. Pierre Le Roy - Wikipedia ↩︎ ↩︎ ↩︎

  57. Marine chronometer ↩︎ ↩︎ ↩︎

  58. Marine chronometer ↩︎ ↩︎

  59. Marine chronometer ↩︎ ↩︎

  60. The First Deck Watch in the World Pierre Le Roy, Paris, made in 1774, made for the Duke de Penthièvre, restored by Henri Laresche in 1806. Exceptionally rare, extremely important and very fine gold and silver, double-dial, center-seconds, special escapement watch with special temperature compensation “for the use of Astronomers and Seamen”. | Exceptional Horological Works of Art | Geneva, 19th October 2002 ↩︎

  61. Pierre Le Roy - Wikipedia ↩︎

  62. Pierre Le Roy - Wikipedia ↩︎ ↩︎

  63. Pierre Le Roy - Wikipedia ↩︎ ↩︎ ↩︎

  64. https://journals.lib.unb.ca/index.php/ihr/article/download/27109/1882519864/1882520110#:~:text=balance%2C%20by%20means%20of%20bi,of%20the%20balance%2C%20has%20made ↩︎ ↩︎

  65. https://journals.lib.unb.ca/index.php/ihr/article/download/27109/1882519864/1882520110#:~:text=clockmaker%20to%20the%20King,R%20o%20y%20%2C%20after ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎

  66. Pierre Le Roy — Wikipédia ↩︎ ↩︎ ↩︎

  67. Page:Larousse - Grand dictionnaire universel du XIXe siècle - Tome 10, part. 2, Lep-Lo.djvu/21 - Wikisource ↩︎

  68. The First Deck Watch in the World Pierre Le Roy, Paris, made in 1774, made for the Duke de Penthièvre, restored by Henri Laresche in 1806. Exceptionally rare, extremely important and very fine gold and silver, double-dial, center-seconds, special escapement watch with special temperature compensation “for the use of Astronomers and Seamen”. | Exceptional Horological Works of Art | Geneva, 19th October 2002 ↩︎ ↩︎

  69. Marine chronometer ↩︎

  70. Marine chronometer ↩︎

  71. Marine chronometer ↩︎

  72. Ferdinand Berthoud - Wikipedia ↩︎

  73. Ferdinand Berthoud - Wikipedia ↩︎

  74. Chronométrie Ferdinand Berthoud – the legacy - WATCH REVIEW ↩︎

  75. Chronométrie Ferdinand Berthoud – the legacy - WATCH REVIEW ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎

  76. Innovations in France | Time and Navigation ↩︎ ↩︎

  77. Chronométrie Ferdinand Berthoud – the legacy - WATCH REVIEW ↩︎ ↩︎

  78. Chronométrie Ferdinand Berthoud – the legacy - WATCH REVIEW ↩︎ ↩︎

  79. Ferdinand Berthoud & (Pierre) Louis Berthoud - Antiquarian Horology ↩︎

  80. Marine chronometer ↩︎

  81. Marine chronometer ↩︎ ↩︎

  82. Marine chronometer ↩︎ ↩︎ ↩︎

  83. Marine chronometer ↩︎ ↩︎ ↩︎

  84. https://journals.lib.unb.ca/index.php/ihr/article/download/27109/1882519864/1882520110#:~:text=This%20work%2C%20published%20in%201941%2C,i%2C%20N%C2%B0%202%20page%20186 ↩︎

  85. https://journals.lib.unb.ca/index.php/ihr/article/download/27109/1882519864/1882520110#:~:text=Paul%20D%20it%20is%20h,of%20isochronism%20o%20f%20the ↩︎

  86. https://journals.lib.unb.ca/index.php/ihr/article/download/27109/1882519864/1882520110#:~:text=spiral%2C%20his%20various%20longitude%20time,which%20many%20often%20complicated ↩︎

  87. Marine chronometer ↩︎ ↩︎ ↩︎

  88. [PDF] The art of stealthy time - F.P.Journe ↩︎

  89. Browse, Persons - DMG Lib ↩︎

  90. DMG Lib: Browse, Persons ↩︎

  91. The First Deck Watch in the World Pierre Le Roy, Paris, made in 1774, made for the Duke de Penthièvre, restored by Henri Laresche in 1806. Exceptionally rare, extremely important and very fine gold and silver, double-dial, center-seconds, special escapement watch with special temperature compensation “for the use of Astronomers and Seamen”. | Exceptional Horological Works of Art | Geneva, 19th October 2002 ↩︎

  92. LOT 66 - Auctions Results ↩︎

  93. A LOUIS XV ORMOLU MANTEL CLOCK , CIRCA 1750, THE DIAL … ↩︎

  94. Pierre Le Roy — Wikipédia ↩︎

  95. Page:Larousse - Grand dictionnaire universel du XIXe siècle - Tome 10, part. 2, Lep-Lo.djvu/21 - Wikisource ↩︎

  96. Ferdinand Berthoud - Wikipedia ↩︎

  97. フェルディナント・ベルトゥー - Wikipedia ↩︎

  98. フェルディナント・ベルトゥー - Wikipedia ↩︎

  99. Marine chronometer ↩︎

  100. https://journals.lib.unb.ca/index.php/ihr/article/download/27109/1882519864/1882520110#:~:text=by%20P%20a%20u%20l,British%20Navy%2C%20under%20the%20title ↩︎

  101. Marine chronometer ↩︎

  102. https://journals.lib.unb.ca/index.php/ihr/article/download/27109/1882519864/1882520110#:~:text=now%20reached%20an%20accuracy%20which,V ↩︎

  103. Page:Larousse - Grand dictionnaire universel du XIXe siècle - Tome 10, part. 2, Lep-Lo.djvu/21 - Wikisource ↩︎