ルネ・ルクルト(René Le Coultre、1918–2018年)は、スイス時計産業で研究開発と品質評価を推進した技術者である。電子時計研究センターCEHの設立に関わり、ロレックスでも技術部門を率いた。その仕事は、水晶腕時計の試作だけでなく、時計の性能を客観的に測る仕組みと、企業の枠を越えて研究する体制に及ぶ。1 2
訃報には「クォーツ腕時計の発明者」と紹介されることがある。ただし、水晶振動子、電子回路、モーター、製品化は複数の技術者と組織による成果である。ルクルトの役割は、個々の回路を単独で発明した人物というより、研究の必要性を業界へ伝え、研究者と資金と企業を結び付けた人物として捉えると理解しやすい。3 4

図1:CEHが1967年に開発した水晶腕時計試作機Beta 1。著作者・権利帰属:CSEM SA(CEHの権利承継者)。出典:Wikimedia Commons。ライセンス:CC BY-SA 3.0 Unported。変更:なし。
機械工学から時計産業へ#
1918年7月28日、ミラノに生まれた。フランスで学校教育を受け、ローザンヌの工科学校で機械工学を学び、1941年に技師の資格を得た。時計業へ直行したわけではない。家族史資料に収められた略歴によれば、Sulzerでの勤務・研修に続いてチューリヒの工科大学でJakob Ackeretの助手となり、空気力学を研究した。その後Escher-Wyssの可変ピッチプロペラ部門、Paillardの映画機器研究、ジュネーヴのSociété genevoise d’instruments de physiqueの計測機器部門を経験した。2 3
この略歴は著者・原刊年を明示しないため、細かな在籍期間の確定には注意が要る。一方、科学ジャーナリストLucien F. Truebによるスイス精密時計学会SSCの追悼記事も、機械工学教育とこれら企業を経た経歴を記す。同記事では、1953年にラ・ショー=ド=フォンの時計会社Mildiaを義父から引き継いだとされる。大型機械、研究機器、量産時計をまたぐ経歴だった。1 2
時計の品質を測る仕事#
1958年にスイス時計連盟FHへ移り、Gérard Bauerの下で技術的な助言と研究部門の整備に携わった。家族史資料は入職を5月19日、1964年をFHの副ディレクター就任、1969年を研究・技術部門の責任者就任とする。日付の精度はこの資料に依存するが、FHにおける品質管理、規格、研究組織の活動はSSCの追悼とも整合する。1 2
主要な成果の一つが時計の技術検査CTM(Contrôle Technique des Montres)だった。Truebの記述では、時計学校の協力で多数の時計を測定し、振りの変化、姿勢、温度に対する歩度の変化を比較した。1962年にはムーブメントの品質指標が定められたとされる。1
一つの状態で時刻が合うことと、日常の条件が変わっても安定することには差がある。振幅が変わった場合にも周期を保つ性質が等時性であり、時計の向きを変えたときの歩度差が姿勢差である。温度の影響を加えて評価すれば、調整のよい一瞬だけでなく、使用条件に対する安定性を比較できる。ルクルトの品質評価は、このように時計を条件の組合せの中で測る仕事だった。1
また、家族史資料はNIHSの寸法規格だけでなく、防水性、耐磁性、耐衝撃性の品質規格に関わったこと、ヒゲゼンマイや装着時の信頼性を研究したことを挙げる。機械式の改良と電子式への転換は、彼の経歴の中で同時に進められた課題だった。2
CEHの設立と水晶時計への転換#
電子化の構想と水晶方式の選択#
CEH(Centre électronique horloger)は1962年、約20社のスイス時計企業による共同研究の組織として設立された。後継機関CSEMの公式年表では、設立時の目的を電子時計の研究開発とし、水晶が有望な方式として選ばれたのは1965年と記す。セイコーの公式開発史も1962年のCEH創設をルクルトと結び付けている。4 5
ここには、構想、組織づくり、方式選択という別々の段階がある。『Le Temps』の訃報は、ルクルトが1957年にFHから水晶による時計産業振興の報告を求められたと紹介する。他方、TruebはBauerから電子腕時計開発の使命を受けた時点を1959年とする。この二つの記述から、1957年にCEHの水晶腕時計計画が完成形で始まったとまでは言えない。1 3
CEHの開発当事者Armin H. Freiは、さらに具体的な研究内部の経緯を記している。自身とRolf Lochingerが1965年に小型水晶発振器と低消費電力回路を組み合わせる方向を進め、同年末に所長Roger Wellingerが水晶腕時計を重点課題にしたという証言である。これは当事者による貢献と優先権の説明なので、その立場を踏まえて読む必要がある。それでも、組織設立者と各部品の開発者を区別する重要性は明らかになる。6
腕時計の中へ何を収める必要があったか#
水晶時計では、水晶の規則的な振動を電気回路で維持し、その高い周波数を分周して表示に使う。針を動かす場合は、電気信号を機械的な回転へ変換するモーターも必要になる。小型化は水晶だけの問題ではなく、発振器、回路、電池、モーター、輪列を一つのケースへ収める問題だった。7
MIH(国際時計博物館)の2002年展覧会資料は、振動子の支持がエネルギー損失を抑えつつ耐衝撃性を確保すること、電子回路が発振維持・分周・表示駆動を担うことを説明する。電池で長く動かすため、米国で生まれた集積回路技術を、低電圧・低消費電力という時計特有の条件へ適応させる必要があった。7
試作機Beta 1とBeta 2は同じ水晶式でも、表示の駆動方法が違った。Freiによれば、Beta 1はステッピングモーターを使い、Beta 2は256 Hzの振動モーターとラチェット車を使った。後者では高い周波数から毎秒一回まで落とし切る必要がなく、分周回路の負担を減らせた。初期のクォーツ腕時計をすべて「一秒ごとに針が跳ぶ時計」と説明すると、この方式差が失われる。6 7
試作機、コンクール、商品#
1967年にCEHはBeta 1・Beta 2の水晶腕時計を完成させた。MIHはヌーシャテル天文台の同年のコンクールで上位10位を占めたと説明する。その後Beta 2を工業製品へ展開したBeta 21が1970年4月に市場へ登場した。4 7
ここでは試作完成と最初の市販を分ける必要がある。セイコーは1969年12月25日にクオーツアストロン35SQを発売している。CEHの1967年の精度実証と、セイコーの1969年の市販開始は異なる達成であり、一方の事実から他方を否定することはできない。ルクルトの重要性も「世界初」という短い呼称だけで測るより、研究から製品化へ進む共同体を成立させた点に見いだせる。5 7
ロレックスでの研究と機械式時計#
1971年、ルクルトはロレックスの技術部門へ移った。イタリア語のATS配信記事は同年から研究開発責任者だったとし、SSCの追悼記事はAndré Heinigerが技術部門の指揮を任せたと記す。職名の表現には違いがあるが、電子化の研究経験を持つ彼がロレックスの開発を率いたという点は一致する。1 8
Truebは、電子研究室を設けてOysterquartzにつながる研究を進めるとともに、機械式ムーブメントの信頼性・堅牢性の改善にも携わり、1989年に退職したと記す。電子時計の開発を推進した人物が機械式の改良にも働いたことは、その経歴の特徴である。ただし、Oysterquartzの全部品の設計や、ロレックスの機械式キャリバー一つ一つの変更を彼一人に帰するだけの資料はない。1
1984年には、CEH、スイス時計研究所LSRH、スイス微細技術研究財団FSRMの統合でCSEMが成立した。ATSの訃報はルクルトもその創設に参加したと記す。現在のCSEMも、この三機関の統合を自らの起点としている。これは電子時計研究が、より広い微細技術の研究基盤へつながった制度上の節目である。4 8
経験を記録し、伝える#
引退後の仕事には、開発史の記録もある。2002年、Max Forrer、André Beyner、Henri Ogueyらとともに『L’aventure de la montre à quartz』の著者となった。同年のMIH展覧会「Mission impossible, The adventure of the quartz watch」でも科学委員会に名を連ねる。博物館資料は、この展覧会が著者らの仕事と関係を保ちつつ、試作機、実験装置、模型、文書で開発過程を示したと説明している。7
一方、記録の作成者も研究当事者であり、回顧の内容を無条件に中立とはみなせない。Freiの証言と照合すると、共同事業全体の歩み、研究内部の着想、個人の功績について強調点が異なる。誰が機関をつくり、誰が発振器や回路を設計し、誰が商品化を進めたかを分けて読むことが、この歴史を理解する手掛かりとなる。6 7
2018年8月に100歳で死去した後、MIHは翌年の収蔵広報で、クォーツ腕時計成立に関するルクルトの個人資料を受け入れたと発表した。同時に、当時別系統の開発を担ったBattelleのAndreas Rusznyakからも資料・試作機等を受け入れている。異なる開発経路の資料を比較できること自体が、単独の英雄譚では捉えにくい研究史を残す意味を持つ。8 9
SSCは2025年の会誌100号で、1989年に始まった現在の会誌の構想をルクルトの仕事として顕彰した。時計の科学技術を伝え、知識の共有を通じて研究者の共同体を支えるという企図である。水晶腕時計の開発だけでなく、品質を測る制度、研究する組織、知識を伝える媒体までを含めて見ると、彼の仕事の広がりが見えてくる。10
年表#
| 年月 | 出来事 | 根拠 |
|---|---|---|
| 1918年7月 | ミラノに生まれる。誕生日は28日と報じられる | 3 8 |
| 1941年 | ローザンヌで機械工学の技師資格を得る | 1 2 |
| 1940年代~1950年代前半 | Sulzer、チューリヒ工科大学、Escher-Wyss、Paillard、SIPを経る | 1 2 |
| 1953年 | Mildiaを引き継ぐ | 1 |
| 1958年 | FHに入る | 1 2 |
| 1962年 | CEH設立。CTMの品質指標もこの年に成立とされる | 1 4 |
| 1965年 | CEHが水晶方式を有望と判断 | 4 6 |
| 1967年 | CEHのBeta 1・Beta 2完成、天文台コンクールへ | 4 7 |
| 1970年4月 | Beta 21が市場へ登場 | 7 |
| 1971年 | ロレックスの技術・研究開発部門へ | 1 8 |
| 1984年 | CSEM成立に参加したと報じられる | 4 8 |
| 1989年 | ロレックスを退職。SSC会誌の新たな構想にも関わる | 1 10 |
| 2002年 | クォーツ開発史の共著とMIH展覧会へ参加 | 7 |
| 2018年8月 | 100歳で死去 | 8 |
| 2019年 | MIHが個人資料の収蔵を発表 | 9 |
| 2025年12月 | SSC会誌100号が創刊の構想を顕彰 | 10 |
資料の範囲と技術的帰属#
ルクルトの経歴は、家族史資料、専門学会の追悼、報道、博物館の収蔵記録に分かれて残る。学校や企業の在籍簿、FHの任命原記録、MIHが受け入れた個人資料の本文を一括して確認できる状態にはない。特に1957年の構想と1959年の委嘱、1965年の方式選択は、同一の出来事の別の日付として統合せず、それぞれの資料が記す段階として扱う。1 3 4
本稿で扱った資料からは、特定の水晶振動子や集積回路の特許をルクルト個人の発明として確定できない。CEHにおける彼の組織的貢献と、開発者による部品・回路の技術的貢献を区別する。これは功績を小さくすることではなく、共同研究が実際に何を成立させたのかを具体的に理解するための区別である。6 7
参考文献#
- Lucien F. Trueb, 「René Le Coultre (1918–2018), Une des grandes personnalités de l’horlogerie suisse」, Bulletin SSC, no.86, 2018年12月, pp.27–29。SSC公開PDF。閲覧:2026年10月22日。
2. 著者・原刊年未記載, 「Le Coultre René (1918–2018)」, Piguet家族史サイト収録, PDF pp.1–2。略歴PDF。閲覧:2026年10月22日。企業経歴とFH勤務年次を記す略歴。原刊出典が不明な点に留意。
3. Le Temps, 「René Le Coultre, inventeur du quartz horloger, n’est plus」, 2018年8月20日(表示上の更新2023年6月10日)。記事。閲覧:2026年10月22日。誕生と1957年の回想を報告。
4. CSEM, 「History and spin-offs」, 刊年表示なし。公式沿革。閲覧:2026年10月22日。1962年、1965年、1967年、1984年の組織史項目を参照。
5. Seiko Watch Corporation, 「The remarkable achievement of the Seiko Quartz Astron lives on」, 刊年表示なし。公式開発史。閲覧:2026年10月22日。CEH成立、1967年の出品、1969年12月25日の市販開始を参照。セイコー側の回顧である。
6. Armin H. Frei, 「History of the First Quartz Wristwatch」, 2009年、遺産管理サイト収録。開発当事者の回想。閲覧:2026年10月22日。「New Strategy」「The first Quartz Wristwatch: Beta 1」を参照。自身の貢献と優先権を論じる当事者資料。
7. Musée international d’horlogerie, 「Mission impossible, The adventure of the quartz watch」英語プレス資料, 2002年, PDF pp.2–6。展覧会資料。閲覧:2026年10月22日。Beta 21の市場導入、構成技術、共著書・科学委員会を参照。
8. ATS/G.D., 「Morto René Le Coultre, l’inventore dell’orologio da polso al quarzo」, Ticinonline, 2018年8月20日。記事。閲覧:2026年10月22日。ATS配信を用いる他社訃報と独立した証言の数には数えない。
9. Musée international d’horlogerie, 「La moisson 2018 des acquisitions du MIH présentée au public」, 2019年3月12日, PDF p.2。収蔵広報。閲覧:2026年10月22日。個人資料の収蔵発表であり、その資料本文の代わりとはしない。
10. René Ziegenhagen, 「Bulletin SSC : le premier d’une longue série」, Bulletin SSC, no.100, 2025年12月, p.25。公開導入ページ。閲覧:2026年10月22日。1989年の会誌構想を回顧。続きの会員限定本文は参照していない。