トーマス・プレスト(Thomas Prest)

トーマス・プレスト(Thomas Prest)

トーマス・プレストは、アーノルド工房で働き、1820年に鍵を別に持ち歩かずに懐中時計を巻き上げる機構の特許を取得した英国の時計師である。工房の製品にはJohn Roger Arnoldの名が記される一方、その巻上げ方式はPrestの発明として博物館が記録する。製品の署名と機構の考案者を分けて考える必要がある人物である。1 2

生涯とアーノルド工房#

Science Museum Groupの人物記録は、プレストを1770–1852年、出生地Prescotとし、1784年1月5日にElthamのJohn Arnoldへ徒弟入りしたと記す。その後工房長へ進んだ。ジョン・アーノルドと、その息子ジョン・ロジャー・アーノルドは別人であり、プレストの修業を息子だけへの徒弟入りと説明することはできない。1

同館は1821年のChigwell Rowへの移転を記載する。当地での時計づくりを扱ったLoughton and District Historical Societyの2019年記事も、Lancashireで1770年に生まれ、1784年にArnold seniorに入った経歴と、後の独立を説明する。ただし独立資金をアーノルドから特許使用の対価として得たという話は、同記事でも推定として記され、契約書で確認された支払いとして扱えない。1 3

鍵なし巻上げの発明#

鍵をなくすとは何か#

従来の鍵巻きでは、時計とは別の小さな鍵を角軸に差し込み、回して主ぜんまいを巻く。Prestの方式が対象としたのは、この別体の鍵を用意する操作を、時計の吊り環側にあるつまみの操作へ置き換えることである。1820年の英国特許第4501号として、博物館の人物記録と複数の作品記録に結びつけられている。1 4

「鍵なし」は人が巻かなくてよいという意味ではない。自動巻きは身体や時計の運動からエネルギーを取り込む別の仕組みであり、鍵なし巻上げは人がつまみを回して動力を蓄える方式でも成立する。また巻上げと時刻合わせは別の操作なので、一つが鍵なしになった事実から両方が同じ竜頭で可能だったとは断定できない。

1820年特許の目的について、1995年のAntiquorumの作品目録は、ペンダント側のつまみを使い、別体の鍵や巻上げ具なしに時計を巻くための機構という特許文言を紹介する。ただしこれは競売会社による引用であり、本記事では原明細書全文・全図面を確認していない。4

時計の中へどう組み込まれたか#

懐中時計の上部から入力した回転を香箱や巻上げ輪列へ伝えるには、ケースの外側の操作とムーブメント内部の歯車を結ぶ必要がある。Prest式を備えるNo.45の現物調査をまとめた私設コレクションの記録は、巻上げ歯車を支える軸受とねじ、機構の位置関係を説明する。この個体の記述は実装の手がかりになるが、すべてのPrest式時計が同じ香箱や歯車寸法を持つという証明ではない。5

初期の鍵なし方式は、現代的な巻真の引出しによる巻上げ・針合わせ切替機構と同一ではない。機構の比較には、どの操作が鍵なしになったか、力をどこへ伝えるか、調整や取り外しの方法まで分けて確認する必要がある。特許取得年だけで現代の標準方式の完成年を決めることはできない。

作品から確認できる貢献#

John Roger Arnold No.47#

Science Museum GroupのL2015-3307、Clockmakers’ Museum No.378は1821年ロンドン製の時計である。ムーブメントには「Jno. R. Arnold London. Patent. No. 47」と署名があり、館はThomas Prestの鍵なし巻上げを備えると記録する。金ケース、銀文字盤、小秒表示、鋼の針、ルビー製シリンダー脱進機、温度補償を組み合わせる。2

寸法は吊り環を起こした状態で74 × 54 × 17 mm。これはケース直径だけではなく測定姿勢を伴う全体寸法である。No.47を特許番号と取り違えることもできない。作品に付された番号と第4501号という特許番号は別の体系である。1 2

John Roger Arnold No.207#

Clockmakers’ MuseumのNelthroppコレクション案内は、No.207にもPrestの巻上げを記載する。ルビー製シリンダー、鋼製テンプ、温度補償を備え、プレストをアーノルドの工房長、1820年の巻上げ発明者として説明している。No.47とは別の現存資料があるため、特許の存在だけでなく、複数の時計での実用を確認できる。6

これらはアーノルドの名で販売された時計だが、Prestの貢献が失われていない例である。一方、Prestが脱進機、ケース、文字盤を含む全部品を単独製作したと示す記録ではない。巻上げの利便性と、脱進機・温度補償による歩度への対策も、目的が違う機構として区別される。

Thomas Prest署名のNo.527#

Antiquorumの2024年5月12日ジュネーヴ競売lot 271は、1840年ロンドン検定刻印、No.527、直径51 mmの18金懐中時計を掲載した。時・分の特殊な表示と分離可能な秒針を持つと説明し、ムーブメントには温度補償テンプとダイヤモンドの受石を記す。機構は鍵巻きとされ、付属品に鍵がある。7

この点は重要である。鍵なし巻上げの発明者が署名した時計であっても、すべての作品にその発明が使われるとは限らない。署名、時代、表示機能と、個別の巻上げ方式はそれぞれ現物で確かめる必要がある。競売目録の状態評価や希少性の形容は販売側の評価であり、技術史上の順位としては採用しない。7

後継者と生没年の異同#

地域史の記事は、同じThomasという名の息子が時計業を続けたことを記す。そのため、19世紀中頃以後の「Thomas Prest」署名を、父が直接製作した品と無条件に結びつけることはできない。3

没年には異同がある。Science Museum Groupは1852年、2024年のAntiquorumの解説は1855年とする。本記事では博物館の人物記録を基準に1770–1852年とするが、戸籍・埋葬簿等の原記録で決着をつけてはいない。古い時計の帰属では、こうした伝記上の相違も製作年代の判断に影響する。1 7

年表#

年月出来事
1770年生年。博物館はPrescotを出生地とする
1784年1月5日にElthamのJohn Arnoldへ徒弟入り。後に工房長
1820年鍵なし巻上げの英国特許第4501号を取得
1821年博物館がChigwell Rowへの移転を記録。Arnold No.47もこの年の作品
1840年Prest署名No.527のケース検定年。完成日の全体を保証する年ではない
1852年博物館が没年とする。1855年とする競売解説もある
19世紀後半同名の息子が商売を継続したと地域史が記録
2019年地域史記事が工房とPrestの関係を紹介
2024年No.527が競売に登場
2026年博物館の人物記録・現存作品を公開目録で参照可能

調査上の限界#

原特許の請求範囲、全作品の製作総数、No.47・No.207の各工程担当者、個別顧客、工房独立時の資金契約、父子の署名の判別基準は確認できていない。後世の資料が述べる「初の商業的成功」も販売台帳の比較で検証していないため、鍵なし巻上げの世界最初の発明者とは断定しない。

参考文献#

  1. Science Museum Group, Thomas Prest 1770–1852, 人物記録cp33055。閲覧日2026年10月22日。

2. Science Museum Group, Watch with Prest’s keyless winding by John Roger Arnold, L2015-3307、1821年。閲覧日2026年10月22日。

3. Robert Rudkin, Newsletter 221, Loughton and District Historical Society, 2019年4–5月、p.13、No.527図版p.16。閲覧日2026年10月22日。

4. Antiquorum, John Roger Arnold, No.108, London hallmarks for 1824, 1995年10月21日、lot 84。特許文言の紹介。閲覧日2026年10月22日。

5. Antiquarian Horology(私設コレクションのサイト), John Roger Arnold, No.45, London, 1821, 現物記述。学会誌そのものとは区別。閲覧日2026年10月22日。

6. Clockmakers’ Museum, The Nelthropp Collection, PDF p.34、項目83、Museum No.376。閲覧日2026年10月22日。

7. Antiquorum, Thomas Prest, England, wandering hour and minute with splittable seconds, 2024年5月12日ジュネーヴ、lot 271、No.527。閲覧日2026年10月22日。