ウィリアム・ハーディ:観測時刻を支えたばね脱進機

ウィリアム・ハーディ:観測時刻を支えたばね脱進機

ウィリアム・ハーディ(William Hardy、没1832年)は、ロンドンで精密時計やクロノメーターを製作した時計師である。振り子に力を与えるための小さなばねを用いた脱進機を考案し、その時計はグリニッジやケンブリッジなどの天文観測に使われた。星が子午線を通過する瞬間を測るには、望遠鏡だけでなく、安定した秒を刻む時計が必要だった。ハーディの仕事は、この観測の基準となる時刻を機械で維持する試みである。12

試験から天文台の注文へ#

ハーディの生年や初期の修業については、確認できる資料が限られている。活動の重要な記録は、1807年1月8日、彼が経度委員会の書記George Gilpinに、新しいばね式パレット脱進機を王立天文台で試験してほしいと申し出たことからたどれる。時計史研究者Graham Dolanは、この書簡を所蔵資料 RGO14/23/239 に基づいて紹介している。同年3月、天文台長ネヴィル・マスケリンと委員会は試験を承認した。1

試験機は既存の時計にハーディの脱進機を取り付けたものだった。Rory McEvoyによる天文台の振り子時計の研究は、1807年の試験記録を分析し、初期には汚れと潤滑不良で歩度が乱れ、パレットの清掃と再注油後に安定したと説明する。一方、Dolanは清掃の記録がハーディ機と別のグラハム時計のどちらを指すか判然としないと指摘する。このため、清掃と試験結果の因果関係は確定できない。13

その後グリニッジ天文台は、子午環という観測器械と組み合わせる新しい精密時計をハーディに注文した。Dolanが紹介する1808年5月のハーディの書簡には、マスケリンの推薦による注文への謝意が記されている。Royal Museums Greenwichの所蔵記録は発注を1809年とする。時計は1811年までに完成し、天体が基準線を通る時刻を測るための時計として長く使われた。12

米国沿岸測量に関わったFerdinand Rudolph Hasslerの1815年の器械一覧は、ハーディ製の天文時計2台を、ばね脱進機とガラス筒内の水銀振り子を備えるものとして列挙する。同一覧にはハーディの1日巻箱型クロノメーター2台と、300分の1秒を示す時刻計1台も挙がる。表示の細かさは、それだけで測定の実際の精度を証明するものではない。天文時計と携帯用の時計を異なる用途へ供給したことを、この一覧から確認できる。7

ばねを介して振り子を動かす#

重錘で動く精密振り子時計では、重錘の力が歯車列を回し、脱進機がその回転を小刻みに制御する。振り子は時計の周期を決めるが、空気抵抗や摩擦で振幅が減るため、適切な時点に少しずつ力を補わなければならない。問題は、その補給が振り子の周期に余分な乱れを与えないようにすることだった。

ハーディの方式では、歯車列の力を小さなばねに蓄え、そのばねの力を介して振り子を助ける。小ばねは時計を何日も動かす主動力ではなく、重錘と振り子の間に置かれた短い周期の蓄力要素である。ハーディの1820年の説明では、歯車によってパレットがあらかじめ動かされることで、振り子を助ける区間が抵抗する区間より大きくなる。その差が振動の損失を補うという考え方だった。4

McEvoyはこれを定力脱進機の一種と説明する。定力という呼び名は、実際の時計が保守や温度の影響を受けないという保証ではない。所蔵館は、この方式の安定した作動に適切な潤滑が重要で、油が切れると歩度が不安定になると説明する。23

振り子自体にも温度対策が必要である。温度によって振り子棒の長さが変わると周期も変わる。ハーディの現存時計には水銀補償振り子を持つ例があり、棒の伸縮に対して水銀の上下方向の膨張を利用し、振動の周期への影響を減らそうとした。これは脱進機とは別の、温度に対する対策である。5

1820年、ハーディは脱進機についての説明を公刊し、大金メダルと50ギニーを授与された。説明には脱進機の作用に加え、振り子や歯車を仕上げる工具も含まれている。設計と部品の工作、調整を一体の課題として扱ったことがうかがえる。14

現存する時計と観測の現場#

グリニッジの時計は当初、ハーディの脱進機を備えていた。所蔵館によれば、1830年頃にEdward John Dentがデッドビート脱進機に交換し、文字盤にも自分の名を加えた。Dolanが紹介する観測記録では、1830年2月に時計が取り外され、3月に新しい脱進機を付けて戻された。ハーディはこの変更に抗議したが、当時の時計は後年も改造され続けた。現物の現在の構成を、1811年の状態そのままと考えることはできない。12

1850年には時計の機械がAiry子午環の南側にある石の支持体へ設置された。さらに電気接点と記録装置を組み合わせる改造が加えられた。観測者が秒を耳で数える時計から、観測の瞬間を記録へ結び付ける時計へと、使用環境が変わっていったのである。ハーディが考案した脱進機そのものと、その後の電気化は別の時代の仕事である。2

ケンブリッジのWhipple Museumには、1824年頃のハーディ製天文時計が資料番号2800として残る。8日巻、重錘駆動、4輪の輪列、水銀補償振り子を備え、所蔵館はハーディの定力脱進機を記録している。中央に分針、別の小文字盤に時と秒を置く表示は、観測者が時刻を細かく読み取るための精密時計の構成を示す。5

一方、オーストラリアのPowerhouse Museumが所蔵する恒星時時計は、総督Thomas Brisbaneが1821年に持ち込み、パラマタ天文台で使ったものである。後にシドニー天文台でも使われた。所蔵館は初期型の可能性を挙げるが、グリニッジの試験機と同一かどうかは仮説として扱っている。時計が天文台間を移り、修理や改造を受けながら観測に使われたことは確かでも、個体の製作順や当初の部品構成には不明な点が残る。6

年表#

年出来事
1807グリニッジで新しい脱進機の試験を申し出る。1
18085月の書簡にグリニッジ天文台用の時計の注文が記される。1809年発注とする資料もある。12
1811天文台用の精密時計が完成し、代金をめぐる問題が生じる。1
1820脱進機の説明を公刊し、賞を受ける。14
1821Brisbaneのハーディ時計がオーストラリアへ到着する。6
1824年頃Whipple Museum所蔵のケンブリッジ時計の製作年代。5
1830グリニッジの時計の脱進機がDentの方式に交換される。1
1832ハーディ死去。1

ハーディの時計は、精密な設計が観測の精度を支える一方、清掃、注油、調整、温度対策を必要とすることを示す。現存する個体を読むときは、製作者の設計、観測者の運用、後の職人による変更を区別することで、時計が長期間どのように働き続けたかが見えてくる。

参考文献#

  1. Graham Dolan, “Astronomical Regulator: Hardy”, The Royal Observatory Greenwich。1807年の申請、1811年の納入、1830年の改造、1820年の受賞と現存時計の比較。研究記事。閲覧日2026年10月28日。

2. Royal Museums Greenwich, “An eight-day sidereal regulator”, ZAA0591。グリニッジ時計の所蔵記録、発注と後年の改造。収蔵記録。閲覧日2026年10月28日。

3. Rory McEvoy, “The trouble with pendulums”, p.12。1807年の試験記録と潤滑・歩度の分析。公開論文。閲覧日2026年10月28日。

4. William Hardy, “Detached Clock Escapement”, Transactions of the Society Instituted at London for the Encouragement of Arts, Manufactures, and Commerce, vol.38, 1820, pp.165–185。脱進機・振り子・工具の説明。原本公開ページ。

5. Whipple Museum of the History of Science, University of Cambridge, “Astronomical regulator, 8-day longcase clock”, accession no. 2800。収蔵記録。閲覧日2026年10月28日。

6. Powerhouse Museum, “Sidereal-time regulator clock made by William Hardy”。パラマタとシドニーでの使用および個体の来歴。収蔵記録。閲覧日2026年10月28日。

7. Ferdinand Rudolph Hassler, “List of Instruments”, 1815年、項目24–25、30。Founders Online所収原文。閲覧日2026年10月28日。