アーノルド No.485/786 ― 時刻を運んだ懐中クロノメーター

アーノルド No.485/786 ― 時刻を運んだ懐中クロノメーター

一台の時計が運んだ基準時#

アーノルド No.485/786は、ロンドンの時計師ジョン・アーノルドの工房が製作した懐中クロノメーターである。現存する機械は1794年頃、銀ケースは1840年の検定印を持ち、機構も後年改められている。製作当初の姿をそのまま保った時計ではなく、長い使用の間に作り直された一個の作品である。1

この時計はグリニッジ天文台の時刻をロンドンの顧客へ届けるため、ベルヴィル家の三人に引き継いで使われた。天文台で基準時計と比較された携帯時計が動き続けることで、顧客は離れた場所でも自分の時計を照合できた。ルース・ベルヴィルは愛用の時計を「Mr. Arnold」と呼んだ。1 2

現存品を読む#

番号と外観#

銀色のケースと白い文字盤を持つアーノルド No.485/786の懐中時計

アーノルド No.485/786の文字盤。撮影:Geni。出典:Wikimedia Commons。CC BY-SA 4.0、加工なし。

機械には John Arnold & Son, London. Invenit & fecit 485/786 と署名される。二つの数字を持つ署名は一台の現存品を識別するもので、別々の時計を意味するとは限らない。現存ケースは銀製で、1840年の検定印、ケース製作者の印「CBH」、番号485がある。Science Museum Groupの収蔵記録は、白いエナメル文字盤に独立した秒表示と金製のスペード形針、宝石軸受を備える機械とダイヤモンドの受石を記録する。吊り輪を立てた外寸は78×56×25 mmである。1

所蔵記録によれば、時計はサセックス公向けに製作され、1840年頃に大きく作り直された。機械の推定製作年代と銀ケースの検定年は異なり、現在のケースを1794年の当初の外装として扱うことはできない。製作、後の改造、家族による使用を分けて見ることが、この時計の来歴を読む鍵になる。1

脱進機と温度補正#

現在の脱進機は、当初の機構からアーンショウ式スプリング・デテントへ改造されている。テンプも後代の二腕式温度補正テンプである。これらは収蔵館が確認した現状の説明であり、1794年の完成時に同じ部品が入っていたという証拠ではない。改造者や個々の部品が交換された正確な日時も、収蔵記録だけからは分からない。1

一般にデテント式脱進機では、デテントがガンギ車を止め、振動するテンプがこれを解放すると、ガンギ車からテンプへ力が伝わる。薄い通過ばねの働きにより反対向きの通過では車を解放せず、一往復に一度だけ力を与える。時計師Bernhard Stoeberによる別のクロノメーターの修復報告は、この形式の働きと、ばね部分の加工・熱処理の重要性を説明している。それはNo.485/786自体の修復記録ではない。3

温度補正テンプは温度変化による歩度への影響を小さくするための仕組みである。温度だけでなく姿勢や取扱いも携帯時計の比較に関係する。現存品の構造を知ることと、特定の日の移動中にどれだけ進み遅れしたかを知ることは別であり、部品の名前だけから実測精度を算出することはできない。1 4

時計を基準として運ぶ#

照合から顧客まで#

グリニッジで天体観測をもとに維持された基準時計と携帯時計を比べ、携帯時計の表示と基準の差を知る。顧客は運ばれてきた時計とその差に関する情報を使って、自分の時計を合わせる。天文台職員E. Walter Maunderの1900年の説明では、基準との差を知ることが重要であり、比較のたびに針を動かさなければならないわけではない。4

時計店がそれぞれ天文台へ人を送る代わりに、天文台職員ジョン・ヘンリー・ベルヴィルが携帯時計を持って顧客を訪ねるようになった。天文台史研究者Graham Dolanは、1840年までにこの形が行われていたと説明する。所蔵館は家族による使用開始を1834年、伝記研究者David Rooneyは1836年としており、開始年には資料間の違いがある。1 2 5

1856年にジョン・ヘンリーが亡くなると妻マリアが仕事と時計を引き継ぎ、1892年に娘ルースへ渡した。1908年のルースの取材を紹介するDolanによれば、彼女は月曜日に天文台で時計を比較し、約40の顧客を少なくとも二週間に一度訪れた。天文台での照合周期と個々の顧客への訪問周期は同じとは限らない。2 5

正確さをどう読むか#

Royal Museums Greenwichはこのサービスを0.1秒の精度と説明する。しかし、その数字だけでは時計が一週間にどれだけずれたか、訪問先の時計をどの精度で合わせられたかは分からない。基準との比較時の差、移動中の歩度変化、顧客側の読取りは別の段階である。精密時計と繰り返しの照合、運搬、訪問を組み合わせて時刻を伝える仕事だった。4 6

1852年以降はグリニッジから電信でも時刻が伝えられたが、ベルヴィル家のサービスは続いた。電信には受信設備や回線が必要であり、人が時計を運ぶ方法にもそれを選ぶ顧客がいた。どちらかがすべての条件で優れていたと一般化せず、比較と運用の仕組みを区別して考える必要がある。5

引退後の保存#

ルースは1940年に引退した。伝記を執筆したRooneyによれば、彼女は1908年に時計を博物館に置きたいと語り、1921年には天文台に購入の優先機会を与えたいと述べた。1941年に時計師組合Worshipful Company of Clockmakersから年金を受けた後、1943年1月に時計を同組合の博物館へ譲る意向を伝え、死後にコレクションへ移った。2

現在は同組合から貸し出され、ロンドンのScience Museum内のClockmakers’ Museumにある。Clockmakers’ Museumの番号は429、Science Museum Groupの物品番号はL2015-3341である。所蔵館は展示予定を訪問前に確認するよう案内している。1

この時計は、18世紀末の精密時計を19世紀に手直しし、20世紀まで都市の時刻配達に使った実物である。署名は工房を示し、ケースの刻印と後代の脱進機は使用中に変化した物体の歴史を示す。時計単体の性能だけでなく、基準との比較や利用者との関係まで含めて初めて、時刻を運ぶ道具としての役割が見えてくる。

年表#

時期出来事
1794年頃現存するムーブメントの製作時期。1
1830年代ベルヴィル家による時刻配達の開始。開始年は資料により異なる。1 2
1840年頃大幅に作り直される。現存銀ケースの検定年は1840年。1
1856年・1892年マリア、次いでルースが家業を引き継ぐ。2
1940年ルースが引退。2
1943年ルースが時計の寄贈を申し出、死後に時計師組合の収蔵品となる。2
2015年Science Museum内のClockmakers’ Museumが開館。2

参考文献#

  1. Science Museum Group, “Spring detent watch by John Arnold, used by Ruth Bellville and family to distribute GMT c.1834–1940”, L2015-3341、Clockmakers’ Museum No.429。2026年11月3日閲覧。
  2. David Rooney, “How did Arnold get to the Clockmakers’ Museum?”, Antiquarian Horological Society, 2015年11月23日。2026年11月3日閲覧。
  3. Bernhard Stoeber, “Restoration Projects Done at WOSTEP in 1991, Part 7”, Horological Times, 2021年9月、pp.25–27。別個体の修復報告。
  4. E. Walter Maunder, The Royal Observatory Greenwich: A Glance at Its History and Work, 1900、第VI章。2026年11月3日閲覧。
  5. Graham Dolan, “Distribution of time by the Belvilles”, Royal Observatory Greenwich史研究サイト。2026年11月3日閲覧。
  6. Royal Museums Greenwich, “The Greenwich Time Lady: Ruth Belville”, 2023年3月8日。2026年11月3日閲覧。