ジョン・アーノルド No.9/61 ― 航海時計の来歴をめぐる仮説

ジョン・アーノルド No.9/61 ― 航海時計の来歴をめぐる仮説

時計と、その同定の問題#

ジョン・アーノルド No.9/61は、ロンドンの時計師ジョン・アーノルドによる大型の懐中クロノメーターである。2012年のジョージ・ダニエルズ・コレクションの競売では、直径73 mm、1789年のロンドンの検定印を持つ金ケース、ばね式デテント脱進機を備えた時計として出品された。1 2 ケースの検定年はケースの年代を示すが、ムーブメント全体の製作年や改造時期を単独で確定するものではない。

美術商ジョン・ホーキンズは、この時計を2012年に共同購入した後、1772年にジョゼフ・バンクスが注文したNo.5、さらに1773年の北極方面への航海でコンスタンティン・フィップスが使った懐中時計と同一の、後に改造された個体だと提唱した。1 これは現物の痕跡と文書を結び付ける仮説である。フィップスの航海記には懐中時計の番号がなく、No.9/61との同一性は確定していない。

2012年に記録された姿#

競売記述によると、18金のケースの背には王冠状の紋章と組み合わせたモノグラムがあり、ケース製作者の刻印はWLとされる。白いエナメル文字盤にはローマ数字の時表示、外周のアラビア数字による分表示、大きな小秒針表示がある。金メッキのフルプレート式ムーブメントには製作者名と「No 9-61」の署名がある。1 2

ムーブメントの記載には、ばね式デテント脱進機、初期の二重S形テンプ、金製のらせん形ひげゼンマイ、緩急針を用いない調整が含まれる。音ではなく打撃を触覚で伝えるダム・リピーターも備える。競売では四半時打ちと記載されたが、ホーキンズは30分と15分を打つ方式だと異議を唱えている。1 脱進機は輪列の動きを区切り、テンプに力を与える。補償テンプは温度に伴う振動の変化を抑えようとするもので、ひげゼンマイとともに歩度を決める。これらの説明は出品時の状態についてであり、すべてを1770年代初頭の状態として扱えない。

フィップスの航海と時計#

海で経度を求めるには、基準地の時刻を保持する時計と、太陽などの観測から得た現地時刻を比較する。船の揺れや寒暖差の中でも時計の歩度がどれほど一定かが、比較の信頼性を左右する。

フィップスは1774年刊行の航海記で、1773年の航海にケンダルとアーノルドによる時計のほか、アーノルド製の懐中時計を携えたと述べた。懐中時計は128日間に予測した歩度から2分40秒だけずれ、経度の把握に予想以上の結果を得たと報告している。3 これは既知の歩度に対するずれであり、128日間の時計の総誤差が2分40秒だったという意味ではない。航海記だけから、この成績をNo.9/61に割り当てることはできない。

物証から提案された改造史#

ホーキンズは、巻上げ軸の切削や脱進機の取り付け部、署名の一部が後の部品に隠れる状態などを検討し、この時計が複数回更新されたと論じた。彼の再構成では、初期の軸式デテントと三腕テンプが後に改められ、二重S形の補償テンプやばね式デテントが取り付けられた。番号9/61も後から与えられたという。1 残る加工痕は調査の手掛かりになるが、個々の交換日や順序はこの解釈だけでは証明できない。

同じ論考はバンクスが1772年に代金を支払ったNo.5とフィップスの時計をつなぎ、さらにケースのモノグラムをフィップスのものと読む。一方、競売記述は紋章の持ち主についてマンスフィールド伯の可能性を示していた。1 こうした読みの違いは、注文者・航海での使用・後の所有者を一本の確定した来歴にすることの難しさを示す。アーノルドが経度委員会に供給した別の懐中時計についての記録もあり、似た用途だけで個体を同定することはできない。1

アーノルドの他の初期懐中時計についても、後年の仕様更新があったとする時計史の解説がある。4 No.9/61を理解する際にも、現存する部品、ケースの検定、文書上の時計、研究者の再構成をそれぞれ区別する必要がある。

確認できる来歴#

  • 1772年:バンクスがアーノルドの懐中時計No.5に支払った記録をホーキンズが紹介する。No.9/61との同一性は彼の仮説である。1
  • 1773年:フィップスがアーノルド製懐中時計を北方航海に持参した。個体番号は航海記の該当箇所にない。3
  • 1789年:No.9/61の金ケースのロンドン検定印の年。1 2
  • 1963年:競売の来歴欄に、サザビーズの7月9日ロット249が記される。1
  • 2012年:ダニエルズ・コレクションの11月6日の競売にロット98として出品され、ホーキンズとジョージ・ソムロが共同購入した。1
  • 2014年:ホーキンズが物証と来歴を論じた。以後の所在や修復歴は確認した資料からは特定できない。1

参考文献#

[1] John Hawkins, “A ‘Poket Time Keeper’, John Arnold, Joseph Banks and Constantine John Phipps”, Australiana, vol. 36 no. 4, 2014, pp. 18–31. 本文PDF(閲覧日:2026-11-04)。著者は当該時計の共同購入者。

[2] LotSearch, “John Arnold, London”, George Daniels Horological Collection, lot 98. 競売記述(閲覧日:2026-11-04)。サザビーズの出品記述を掲載。

[3] Constantine John Phipps, A Voyage towards the North Pole, 1774, 序文 p. xiv. デジタル版(閲覧日:2026-11-04)。

[4] Antiquarian Horology, “John Arnold”. 解説(閲覧日:2026-11-04)。