鍵なし巻上げを実物で伝える1821年の時計#
ジョン・ロジャー・アーノルドのNo.47は、Thomas Prest(トーマス・プレスト)の鍵なし巻上げを備えた、1821年ロンドン製の懐中時計である。ルビー製シリンダー脱進機と温度補償機構を組み合わせ、携帯時計の使いやすさと歩度の安定を別々の機構で追求している。現在はWorshipful Company of Clockmakersのコレクションに属し、Science Museum Groupの収蔵記録にL2015-3307として登録される。1
この作品でいう「鍵なし」は、独立した鍵を使わずに主ぜんまいを巻けるという意味である。Gouldの技術史はPrestの1820年の発明を、吊り環側からの巻上げ用で、針合わせ用ではなかったと説明する。腕の動きから動力を得る自動巻きや、現代の竜頭による巻上げ・時刻合わせの一体化と区別すると、No.47の技術的な位置が分かりやすい。2
個体の同定と外装#
| 項目 | 所蔵記録で確認できる内容 |
|---|---|
| 製作者・製作地・年代 | John Roger Arnold、London、1821年 |
| ムーブメントの署名 | Jno. R. Arnold London. Patent. No. 47 |
| ケース | 検定刻印のある金製。THおよび47の打刻 |
| 表示と針 | 銀製文字盤、小秒表示、鋼製の針 |
| 脱進機と調速機 | ルビー製シリンダー脱進機、幅広い外周を持つ鋼製テンプ、sugar-tongs補償 |
| 寸法 | 吊り環を起こした状態で全体74 × 54 × 17 mm |
| 館の番号 | Clockmakers’ Museum No.378/SMG L2015-3307 |
以上はNo.47の物品記録による。74 mmをケース径と読むことはできず、館が明記する測定姿勢を伴う全体寸法である。また、作品番号47と館の番号378は異なる番号体系であり、署名中の「Patent. No.47」をそのまま英国特許第47号と解することもできない。1
THという刻印は、別個体No.129の競売記録ではケース製作者Thomas Hardyの印と説明される。ただし、それだけでNo.47のケースの加工・彫刻・検定を同じ人物の仕事と確定することはできない。類似する製品でも、文字盤、ケース、部品の構成は個体ごとに確認する必要がある。3
工房と発明者#
アーノルドの署名とPrestの機構#
ジョン・ロジャー・アーノルドは、ジョン・アーノルドの息子である。Clockmakers’ MuseumのNelthroppコレクション案内は、1796年に同業組合のFreemanとなり、1817年にMasterを務めたと記す。同案内が紹介するNo.207にも、ルビー製シリンダー、鋼製テンプ、温度補償、Prest式巻上げがあり、No.47だけの孤立した実験ではなかったことが分かる。4
一方、巻上げ方式の発明者はPrestである。同案内は彼をアーノルドの工房長とし、1820年の特許に結び付ける。製品に記された工房主の名と、搭載機構を考案した職人の名を分けることで、この時計は分業と協力の成果として理解できる。PrestがNo.47の全部品を自ら製作した、あるいはアーノルドが巻上げ方式を発明した、とする根拠はない。4
1820年10月20日の特許#
同時代の『Polytechnisches Journal』第3巻は、EssexのChigwellで活動する時計・クロノメーター製作者Thomas Prestについて、別の鍵を必要としない懐中時計の新しい機構を1820年10月20日付の英国特許一覧に載せる。1835年の失効特許一覧も、氏名、所在地、日付、鍵なし巻上げという目的を記録している。これは後世のブランド史だけに依存しない、発明の時期を確かめる資料である。5 6
特許番号は、Gouldが第4501号と記す。日付・発明者の照合はできるが、原明細書と図面を確認していないため、請求範囲の全体やNo.47への実装細部まで特許から復元することはできない。2
なお、1820年のドイツ語一覧には「吊り下げた重り」を意味する表現があり、ドイツで既に類似品が作られていたという脚注も付く。この翻訳・注釈を、No.47に自動巻きの重錘が存在する証拠にはできない。1835年の一覧は単に別の鍵を使わない巻上げと記し、現物記録とGouldは吊り環側からの巻上げを示している。同時代の紹介であっても、語の訳し方と実物の構造を照合する必要がある。1 2 5 6
三つの機構を分けて理解する#
鍵の回転をケースの外から伝える#
通常の鍵巻き時計は、鍵を角軸へ差し込み、手の回転を主ぜんまいへ伝える。鍵なし巻上げでは、ケースに保持したつまみと軸がその入力を担う。Prest式の別個体No.41についてChristie’sは、溝を刻んだ丸いつまみがムーブメントのかさ歯車へ作用すると記載する。軸の方向が異なる部品間で回転を伝える歯車を用い、携帯する鍵を省く方式が実際の時計に組み込まれていたことを示す。7
No.129でも吊り環側からの巻上げが確認され、No.207の館目録は香箱から輪列を直接駆動するgoing barrelを記す。これらは、Prest式を理解するための比較個体である。No.41のつまみ形状、No.129のケースや針、No.207の香箱構成を、No.47の未公開仕様として移してはならない。3 4 7
巻上げと針合わせは、動かす対象も必要な力も違う。巻上げは主ぜんまいへエネルギーを蓄え、針合わせは表示を所望の時刻へ動かす。Gouldが区別するように、前者を鍵なしにしても後者まで同じ軸で操作できるとは限らない。No.47の所蔵記録は巻上げを同定する一方、具体的な針合わせ手順や切替機構を記載していない。1 2
ルビー製シリンダー脱進機#
シリンダー脱進機は、テンプと一緒に往復する中空の円筒とガンギ車の歯の相互作用で動く。円筒の一部を切り開き、歯がその内側へ入る時と外側へ出る時に、開口部の縁へ力を与える。『Watch and Clock Escapements』第2章は、歯が円筒の内面・外面で交互に停止し、テンプの回転によって縁が来ると解放される過程を図示する。8
したがって、歯の停止中も円筒と接触する摩擦休止式であり、テンプが振動の大部分で輪列から切り離されるデテント式とは作用が異なる。停止面、入口・出口の縁、歯の斜面の形が、停止の確実さと与える力を左右する。同書が解説する一般的な15歯の設計や加工寸法は、No.47の実測仕様ではない。8
No.47では、この円筒の材質を所蔵館がルビーと同定している。ここで「ルビー製」は脱進機の作用部を指し、時計全体やテンプを宝石製とする意味ではない。硬い材料を用いたという事実から、潤滑不要、特定の日差、無期限の耐久性まで導くことはできない。1
sugar-tongs式温度補償#
鋼製ひげぜんまいは温度上昇によって弾性が変わり、テンプとの振動周期にも影響する。補償方法には、テンプの重りを動かして慣性を変えるものと、ひげの働き方を変えるものがある。No.47について館がいうsugar-tongs、すなわち砂糖を挟むトング状の方式は、後者を理解するための手がかりとなる。1 2
Gouldは、ひげを挟む二つのピンの間隔を熱で狭め、冷気で広げる補償を説明する。ピン間の遊びが狭まると、ひげがピンに接する時間が長くなり、より短いばねとして働く区間が増える。これによって熱で周期が長くなる傾向へ対抗する。一方、ピンとの接触は振幅によって変わるため、温度補償と等時性を同時に保つことは難しい。2
比較対象であるアーンショウNo.764/3368の実物カタログも、両腕の先のピン間隔を温度に応じて変える構成をsugar-tongと呼び、緩急調整装置との結合を記す。ただし、No.47の補償片の合金、接合方法、形状の各寸法、温度ごとの移動量は公表記録で確定できない。機構名が共通でも、比較個体の部品をそのままNo.47の設計図にはできない。9
この補償は、No.47が製作された1821年という年だけを理由に、アーノルドの別の温度補償テンプ特許と同一視できない。館の観察は、鋼製テンプとトング状補償という具体的な構成を示している。1
比較作品と技術史上の位置#
| 作品 | 確認できる特徴 | No.47との比較で分かること |
|---|---|---|
| Arnold No.41、1820年代 | ルビー製シリンダー、かさ歯車へ作用する巻上げつまみ、銀ケース | 近い時期の別個体に巻上げの具体記述がある。7 |
| Arnold No.129、1820年代 | 吊り環側巻上げ、ルビー製シリンダー、銀ケース | 同方式が異なる外装でも用いられた。3 |
| Arnold No.207、Museum No.376 | Prest式、going barrel、鋼製テンプ、補償緩急装置 | 現在のMuseum No.378であるNo.47とは別物。4 |
No.47の価値は、鍵なし巻上げの発展を、特許年だけでなく現存品へ結び付ける点にある。別個体の記録と並べると、工房が巻上げ方式、脱進機、温度補償を組み合わせて完成時計にしていたことが分かる。近い番号があることは比較の助けとなるが、番号順だけで完成月や総製作数は決められない。1 3 4 7
また、Gouldのp.220には、Prestによる別の外部巻上げ案として、ケース側面の縦軸からフュゼ軸へ回転を伝える構成が載る。これは箱クロノメーターの巻上げ方法を論じる箇所で、懐中時計の1820年特許への言及は括弧内にある。この縦軸やフュゼをNo.47の内部構造として描くことはできない。同じ発明者の仕事でも、用途と個体を分けて読む必要がある。2
年表#
| 年・時期 | 出来事と確認範囲 |
|---|---|
| 1817年 | 製作者アーノルドがClockmakers’ CompanyのMasterを務める。個体の製作年ではない。4 |
| 1820年10月20日 | Prestの鍵なし巻上げに関する英国特許。同時代の特許一覧で日付を確認できる。5 |
| 1821年 | No.47の製作年代・場所として、現所蔵記録がロンドンを記す。発注日・納品日は不明。1 |
| 1820年代 | No.41とNo.129にもPrest式に関係する現存例がある。各競売資料による年代区分。3 7 |
| 1835年 | 『Polytechnisches Journal』がPrestの1820年特許を失効一覧に掲載する。6 |
| 1923年 | Gouldの技術史が、Prestの懐中時計用巻上げと別のクロノメーター用巻上げ案を記録する。2 |
| 2026年10月確認時 | No.47はClockmakers’ Company所蔵・Science Museumへの貸与品として登録され、Clockmakers’ Museum Galleryを展示先とする。訪問時の展示は事前確認が必要。1 |
来歴と確認できない仕様#
No.47の発注者、最初の所有者、販売価格、製作期間、修復・部品交換の履歴は、ここで用いる公開資料からは確認できない。収蔵番号の「2015」は製作年を示さず、この番号だけで取得日や寄贈者を特定することもできない。1
実測日差、振動数、持続時間、石数、輪列の歯数、針合わせの操作方法も未確定である。温度補償装置があることは温度試験に合格したことを意味せず、小秒表示があることも航海で使われた証拠にはならない。No.47を説明する際は、確認された個体仕様、比較個体の観察、一般的な機械原理を分ける必要がある。
参考文献#
- Science Museum Group, Watch with Prest’s keyless winding by John Roger Arnold, Collection Online、資料番号L2015-3307/Clockmakers’ Museum No.378。個体の説明・材質・寸法・貸与・展示情報。閲覧日:2026年10月22日。
2. Rupert T. Gould, The Marine Chronometer: Its History and Development, J. D. Potter, 1923、pp.169–171(補償緩急装置)、p.220および脚注(Prestの巻上げと特許No.4501)。後世の専門技術史。閲覧日:2026年10月22日。
3. Christie’s, Arnold. A silver cylinder pocketwatch with Prest’s winding mechanism, signed Jno. R. Arnold, London, no.129, 1820s, Sale 6156, lot 238、個体のDetails。No.47とは別個体の実物記述。閲覧日:2026年10月22日。
4. The Clockmakers’ Museum / Science Museum, The Nelthropp Collection, 項目83、PDF p.34。1895年刊・1902年改訂の旧目録を抄録し現代の補足を加えた案内。Arnold No.207/Museum No.376を扱う。閲覧日:2026年10月22日。
5. Liste der in England vom 9–20. October 1820 ertheilten Patente, Polytechnisches Journal, Bd.3, 1820, Nr.XLIX, p.362、Thomas Prestの項。Repertoryの1820年11月号に基づく同時代のドイツ語紹介。Dingler Onlineの本文を確認。閲覧日:2026年10月22日。
6. Verzeichniß der vom 16. Oktbr. bis 11. Novbr. 1820 in England ertheilten und jezt verfallenen Patente, Polytechnisches Journal, Bd.55, 1835, Miszellen, p.156、Thomas Prestの項。Repertory of Patent-Inventions, January 1835, p.72に基づく。閲覧日:2026年10月22日。
7. Christie’s, John Roger Arnold. A silver openface keyless ruby cylinder pocketwatch, signed Jno. R. Arnold, London, no.41, 1820s, DetailsおよびLot Essay。実物の巻上げつまみと歯車の記述。閲覧日:2026年10月22日。
8. 匿名著者、 Watch and Clock Escapements, The Keystone Publishing Co., 1904, Chapter II, pp.111–129、特にpp.111–114と図122–128。シリンダー脱進機の設計・修理を扱う技術書。No.47の実物調査ではない。閲覧日:2026年10月22日。
9. Antiquorum, Thomas Earnshaw, Invenit et Fecit, No.764/3368 — Sugar-tong, Geneva, 2005年10月16日、lot 40、機械の記述とThe Sugar-Tong Compensationの説明。比較機構の資料であり、No.47の所有歴・仕様を示す資料ではない。閲覧日:2026年10月22日。