ブレゲ No.1711(のちの No.2099)

ブレゲ No.1711(のちの No.2099)

ブレゲ No.1711は、1804年から1805年に製作され、1805年9月にガラコフ氏へ販売された金製懐中時計である。指先で時刻を読むア・タクト機構と、往復するテンプに直接力を伝える初期のナチュラル脱進機を、一つの時計に組み合わせている。翌1806年にブレゲ工房が買い戻し、No.2099として再販売したため、二つの番号が同じ個体の履歴に現れる。1 2

ここでいうNo.1711は個体の製作番号であり、同名の量産モデルではない。ケースにはタヴェルニエ製のNo.2346という別番号がある。精密な計時、暗所での読み取り、肖像を収める私的な装身具という三つの目的が、機械と外装の双方に刻まれた作品である。1

二つの番号を持つ時計#

工房での製作と最初の販売#

クリスティーズの2024年目録が紹介する作業簿によると、ベノワ(Benoit)がエボーシュ、すなわち仕上げ前の機械の基本部分を1804年11月に納め、タヴェルニエが同年12月にケースを供給した。ケールホフ(Kehlhoff)は12月26日に脱進機を納め、ベルノーダ(Bernaudat)が1805年2月12日にルパサージュを終えた。ルパサージュは、部品を一個の時計として組み直し、作動や仕上がりを整える総合的な工程である。この日付は最初の販売日とは異なる。2

最初の顧客はガラコフ氏(M. Galakoff)。販売日はフランス共和暦13年フリュクティドール18日、グレゴリオ暦では1805年9月5日で、価格は3,360フランだった。1991年のアンティコルム目録と2024年のクリスティーズ目録が、ともにこの日付と価格を記す。ただし、両目録が参照する工房帳簿の原頁そのものを独立に照合した記録とは区別する必要がある。1 2

買戻し、外装変更、再販売#

1991年目録は、ブレゲが1806年5月19日にこの時計を買い戻し、番号を2099へ移したと記す。続いて6月14日にタヴェルニエへ渡し、裏蓋に放射状のギヨシェ模様とモノグラムの加工を依頼した。再販売先はカスタネダ氏(M. de Castaneda)、日付は7月31日、価格は3,500フランとされる。1

ここには資料の異同がある。2024年目録の見出しは7月31日の再販売を記す一方、その解説本文は6月14日を再販売日としている。1991年目録では6月14日はケース職人への加工依頼日である。同じ日付が異なる行為に結び付けられているため、原帳簿の確認なしに二つを同一の確定した販売日へまとめることはできない。1 2

カスタネダはスペイン王室の指示による購入を仲介した人物として、1991年目録に説明される。しかし、その肩書だけからNo.1711の最終使用者を国王や特定の貴族と断定することはできない。裏蓋の「E」のモノグラムも、所有者の名を単独で確定する根拠にはならない。1

見る、触る、肖像を収める#

触覚による時刻表示#

ア・タクト(à tact)は、時刻を触って読む仕組みである。一般には時針に対応した指針と、各時刻の位置を示す突起を用いる。ブレゲの公式解説とルーヴルの展覧会解説は、1799年から販売された時計として紹介している。ただし、ア・タクトは読み取り方式の名称であり、内部の脱進機の種類を意味しない。3 4

No.1711ではこの表示が裏蓋の内側に隠されている。1991年目録によると、蓋を開くとギヨシェ仕上げの金製ア・タクト文字盤が現れ、触覚用のピンと隆起した棒、磨かれた大きな金製指針を備える。外蓋に指針を露出させた一般的な説明図を、そのままこの個体の外観として読み替えることはできない。1

別個体のア・タクト時計を収蔵する国際時計博物館は、触覚用の指針や蓋を抵抗に当たるまで動かして読み取り、その後も時計は動き続けるという操作原理を説明する。同館のNo.602はルビー・シリンダー脱進機を使い、別のNo.3801はレバー脱進機を使う。触って読む表示と、内部で振動を維持する機構とが、それぞれ選択できたことを示す比較例である。これら別個体の操作部品や寸法をNo.1711の仕様と同一視してはならない。5

二重の裏蓋と金の文字盤#

ケースは18金、四つの主要部分からなるコリエ形で、肖像用の空間を備える二重の裏蓋を持つ。胴には巻上げ用の開口と、蓋を開ける小さな押しボタンがある。裏面には麦粒模様のギヨシェ、放射状の装飾、月桂樹の枝に挟まれた「E」のモノグラムが記録される。肖像を収める構造があることと、特定の肖像画の作者・モデル・現存が確認できることは別である。1

視覚用文字盤も金製ギヨシェで、平滑な帯にローマ数字の時刻目盛を置く。秒表示は中心からずらされ、2024年解説では10時と11時の間に位置するとされる。小さな緩急調整の扇形表示、青焼き鋼のブレゲ針、XIIの両側の二重の隠し署名を備える。秒針を置く位置は内部構成を反映しており、左右対称の配置だけを優先した意匠ではない。1 2

直径には注意が必要である。1991年目録と2024年目録の仕様欄は45mmとするが、2024年の解説本文は42mmとする。測定部位の違いを示す明記がないため、ここでは仕様欄の45mmと、本文に42mmの異記があることを併記する。「ブレゲ最小の時計」という評価も、比較対象の範囲と寸法の確定を伴わない絶対的な記録としては扱えない。1 2

二香箱と初期ナチュラル脱進機#

動力と調速機#

機械は鍍金真鍮のバー型構成、目録表記で17リーニュである。二つの香箱を備え、胴側面から挿す鍵と直角に向きを変える歯車を介して同時に巻き上げる。香箱は主ゼンマイを収める動力部であり、二つあるという記載だけから、ガンギ車ごとに独立した輪列を持つとはいえない。1 2

調速機は三本腕のバイメタル補償テンプ、端部曲線を備えた青焼き鋼のひげゼンマイである。温度に応じた歩度の変化を抑える補償と、軸への衝撃を緩和するパラシュート機構を備え、目録は後者をテンプ軸の両端に記す。ただし、日差、振動数、持続時間、温度試験の数値は確認できず、精密時計としての設計意図を実測性能へ置き換えることはできない。1 2

部位No.1711として記録された内容
個体・ケース番号製作番号1711、買戻し後2099、ケース2346
外装タヴェルニエ製18金、二重裏蓋、肖像用空間
大きさ仕様欄45mm、2024年解説に42mmの異記
動力二香箱、側面から鍵で同時巻上げ
脱進機ナチュラル脱進機、二枚のガンギ車、目録記載の歯数は5と4
調速・保護三本腕バイメタル補償テンプ、端部曲線付き鋼ひげ、両軸端のパラシュート
表示視覚用時刻・偏心秒・緩急表示、隠されたア・タクト表示

以上は実物を記述する二つの競売目録の情報であり、分解調査による全歯車の実測表ではない。1 2

二枚のガンギ車が果たす役割#

脱進機は、輪列を少しずつ進めながら、振動するテンプへエネルギーを補う。この補給を加衝という。デテント脱進機はガンギ車から直接加衝するが、基本的にはテンプの一往復につき一回である。ナチュラル脱進機は、直接加衝を往復の両方向で行い、加衝面での滑りと油への依存を小さくすることを狙った。2 6

2024年目録の説明では、四番車が真鍮製ガンギ車を駆動し、これに歯車で連結された鋼製の第二のガンギ車を動かす。二枚の間の、軸を中心に揺れる停止部材が、車の縁より上に突き出たピンを交互に止める。二枚は連動して逆方向に回転し、テンプへの加衝を分担する。1991年と2024年の仕様欄は、ガンギ車の歯数をそれぞれ5と4、停止をばねのない方式と記す。この5対4を、そのまま連結歯車の減速比や時計全体の歯数表と読み替えることはできない。1 2

「油に依存しない」という狙いは、時計全体を無注油にするという意味ではない。また、テンプが解放操作で停止部材へ働きかける接触もあり、加衝以外は機械と一切接触しない、と単純化することもできない。プラットの一般原理図は二枚の連動と解放・加衝を理解する助けになるが、No.1711の全形状を復元する個別設計図ではない。6

成功と課題を同時に示す作品#

二枚をつなぐ方式には、動かし始める部品の慣性が大きくなることと、歯車のかみ合いに必要な隙間によって従動側の位置がわずかに揺らぐこと、という課題がある。時計師デレク・プラットは、位置の揺らぎが加衝のばらつきへつながることや、停止部材を確実に所定位置へ保つための「引き」の不足も論じている。これは機構の系統に対する工学的説明であり、No.1711の測定誤差を示す試験結果ではない。6

後世のダニエルズによる独立二輪脱進機は、二枚を別々の輪列で駆動する。No.1711の二香箱・連結二車の構成と、後世の独立二輪列を混同すると、何が改められたのかが見えなくなる。No.1711の意義は、現在の機構と同じ完成形だったことよりも、直接加衝、携帯性、潤滑依存の低減を一つの機械へまとめようとした初期の試行を具体的に残すことにある。1 2 6

来歴と技術史上の位置#

クリスティーズはNo.1711を、初期開発段階のナチュラル脱進機を備える現存四個体の一つ、No.1135に続く二番目の例として位置付ける。他の二個体にはNo.1484とNo.1085を挙げる。ただし、これは目録が整理する開発史であり、製作番号の大小を完成順と同一視したり、発明の優先権を番号だけで証明したりすることはできない。2

No.1711の特徴は、ア・タクト表示と精密機構を組み合わせた点にある。ア・タクト時計には別の脱進機を備えた例もあり、反対にナチュラル脱進機を備えたNo.1135はリピーター付きの別個体である。表示方式、鳴り物、脱進機を区別すると、ブレゲ工房が顧客の用途に合わせながら異なる組合せを試したことが分かる。2 5

近代の公開記録として、1991年4月14日のアンティコルム「The Art of Breguet」第22ロット、2024年5月13日のクリスティーズ「Rare Watches Including the Property of Michael Schumacher」第88ロットでの出品が確認できる。後者の競売名にシューマッハの名が含まれていても、No.1711の旧蔵者が彼だったことを意味しない。1806年から1991年までの連続した所有履歴、2024年以後の所有者・常設展示先は、これらの公開記録からは確定できない。1 2

年表#

年月日製作・販売・公開記録
1799年ア・タクト時計の販売開始。No.1711の成立以前の方式上の背景。3 4
1804年11月ベノワがエボーシュを納入したと2024年目録が記す。2
1804年12月タヴェルニエがケースを供給。2
1804年12月26日ケールホフが脱進機を納入。2
1805年2月12日ベルノーダがルパサージュを完了。2
1805年9月5日ガラコフへ3,360フランで販売。共和暦13年フリュクティドール18日。1 2
1806年5月19日買戻し、番号2099への移行を1991年目録が記す。1
1806年6月14日1991年目録ではケース職人への装飾加工依頼日。2024年解説本文では再販売日とする異同がある。1 2
1806年7月31日カスタネダへ3,500フランで再販売と1991年目録・2024年見出しが記す。1 2
1991年4月14日ジュネーヴ、アンティコルム第22ロットに出品。1
2024年5月13日ジュネーヴ、クリスティーズ第88ロットに再出品。2
2026年11月公開目録で同定と仕様をたどれる。現在の所有者、展示先、歩度試験は未確認。

資料から分かる範囲#

No.1711の個体情報を支える中心資料は、1991年と2024年の競売目録である。実物と工房記録への接点を持つ有用な資料だが、二つの目録に同じ数字があることだけで、独立した二回の原帳簿調査が証明されるわけではない。日付と寸法の異同は、その限界を具体的に示している。1 2

工房作業簿の原頁、製作時の全設計図、近年の詳細な修復記録はここでは確認できない。特許の請求範囲、実測精度、交換部品の有無、肖像の人物像、最終購入者を推測で補うこともできない。それでも、複数の職人による製作、買戻しと改装、二つの表示と初期脱進機の組合せは、資料に即して説明できる。この個体は、ブレゲの発明を単独の名前の一覧ではなく、具体的な機械と使われ方の組合せとして理解するための手掛かりとなる。

参考文献#

  1. Antiquorum, The Art of Breguet, Geneva, 1991年4月14日、lot 22, “A Monsieur Galakoff”。仕様・History・Note。公式目録。閲覧日:2026年11月7日。

2. Christie’s, Rare Watches Including the Property of Michael Schumacher, Geneva, 2024年5月13日、sale 23037, lot 88, “Small montre à tact with échappement naturel No.1'711”。Details・Provenance・Lot Essay。公式目録。閲覧日:2026年11月7日。

3. Breguet, “Sale of the first ‘tact watch’”, 1799年を対象とする公式沿革。公式解説。閲覧日:2026年11月7日。

4. Musée du Louvre / Breguet, Breguet at the Louvre, 2009年、時計類型「Tact watch」。展覧会解説。閲覧日:2026年11月7日。

5. Musée international d’horlogerie, “Montre à tact”, Abraham-Louis Breguet, Inv. I-493, No.602、1790–1810年(説明本文は1800年頃)。触覚表示の原理および他個体との比較。収蔵品記録。閲覧日:2026年11月7日。

6. Derek Pratt, “In Breguet’s Footsteps…”, Horological Journal, 2009年3月、pp.106–109およびPostscript。特にpp.106–108、図1・3。原論文PDF。閲覧日:2026年11月7日。