クレドール ノード スプリングドライブ ミニッツリピーター GBLS998

クレドール ノード スプリングドライブ ミニッツリピーター GBLS998

クレドール ノード スプリングドライブ ミニッツリピーター(Credor Node Spring Drive Minute Repeater、品番GBLS998)は、セイコーウオッチが2011年に発表した、ボタン操作で現在の時分を音に変える腕時計である。長野県塩尻市のセイコーエプソン・マイクロアーティスト工房が製作を担当し、手巻きスプリングドライブ7R11に、時・10分・1分の順に鳴らすデシマル式報時機構を組み合わせた。姫路の鍛冶師・明珍宗理が鍛造した鉄材、空気の粘性を利用する調速機、音源をムーブメントの外に置くケース構造が特徴となる。12

対象は2011年発表の製品モデルであり、製造番号で特定された一点ではない。初年度3本という公表値は生産予定で、総製作数や恒久的な年間限定数を意味しない。以下の基本寸法は発表当時の仕様、操作・保守条件は公開中の7R11取扱説明書による。確認日は2026年11月4日である。13

製品の同定と発表時の仕様#

セイコー創業130周年に合わせた2011年3月24日の発表では、発売予定を同年12月下旬、希望小売価格を税込3,465万円、税抜3,300万円とした。メーカーは、この発表仕様が出荷時に変更される可能性も明記している。当時のバーゼルワールド取材でも、同じ品番・寸法・発売予定が掲載された。113

項目GBLS998の公表内容
ブランド・発表時の商品名クレドール/ノード スプリングドライブ ミニッツリピーター
発売元・製作拠点セイコーウオッチ/セイコーエプソン塩尻事業所マイクロアーティスト工房
ムーブメント手巻きスプリングドライブ、キャリバー7R11、112石
表示・付加機能時・分・秒、パワーリザーブ表示、デシマル式ミニッツリピーター
ムーブメント寸法直径36.6 mm、厚さ7.8 mm
ケース18Kピンクゴールド、外径42.8 mm、厚さ14.0 mm
風防・裏蓋サファイアガラス、表側は無反射コーティング、裏側はシースルーバック
バンドクロコダイル。英語発表資料では18Kローズゴールドの三つ折れ式中留を記載
持続時間全巻きから約72時間、リピーターを使用しない場合
公称精度平均月差±15秒。現行取説は5~35℃で腕に着けた場合という条件を付記
防水非防水

表は2011年日英発表資料を中心に、精度条件と防水区分を取説で補った。「日差±1秒相当」はメーカーの併記であり、月差規格とは別にすべての日の誤差を保証する測定結果ではない。123

製作の背景と人々の役割#

工房の複雑時計への取り組み#

マイクロアーティスト工房は2000年に発足した。精密な部品を手で仕上げ、組み立てる技能を継承する取り組みから、2006年のスプリングドライブ ソヌリ、2008年のノード叡智、2011年のミニッツリピーターへと作品を展開した。ソヌリは一定の時刻に自動で音を出す時計で、GBLS998は使用者が必要な時に時分を呼び出す時計である。189

設計者の茂木正俊は、専門誌の取材で、当初からリピーターに関心があったこと、ソヌリで先に寺の「おりん」を思わせる音源を採用したことを述べている。GBLS998では、裏側から機構を見せるため、音源とハンマーの配置を改めた。したがって2006年のソヌリに分の報時機構を加えただけのモデルではない。8

2020年の茂木とセイコーウオッチの萩原康則の対談は、ミニッツリピーターへの着手を2007年、発表を2011年と説明する。また茂木は、ねじの締め方でも音が変わり、エプソンのプリンター設計側の知識を音響設計に生かしたと回想している。この対談はクレドールによる企画広告であり、開発当事者の証言として読む資料である。7

明珍宗理とフィリップ・デュフォー#

2011年発表が名指しする外部協力者は、明珍家52代の明珍宗理(みょうちん・むねみち)である。担当したのは報時音を生むゴング用鉄材の鍛造で、明珍本舗の履歴にも2011年のセイコーとの腕時計共同開発が記録される。時計全体の設計・組立を明珍が担ったという意味ではない。111

独立時計師フィリップ・デュフォーと工房の交流は、主として部品の面取り、磨き、装飾の技能に関わる。デュフォー自身も専門誌の取材で、工房の時計師たちに仕上げの方法とジャンシャンの使い方を示したと回想している。訪問取材でもこの技能交流が確認できるが、GBLS998の報時機構をデュフォーが設計したとする根拠にはならない。製品の開発・製作主体はマイクロアーティスト工房である。89

時を刻む機構と、音に変える機構#

スプリングドライブ7R11#

7R11の動力はりゅうずで巻いたぜんまいである。輪列を動かす力の一部で発電し、水晶振動子とICを働かせ、電磁的な制動によって回転速度を整える。一般の機械式時計のように、てんぷと脱進機の往復動で輪列を少しずつ解放する構成とは異なる。メーカー資料が説明するスプリングドライブの原理では、電池やステップモーターを必要とせず、秒針は連続して進む。35

取説の水晶振動数は32,768 Hzである。これは時刻の基準となる水晶の振動数であって、音を鳴らす頻度でも、機械式時計のてんぷ振動数でもない。リピーターを動かすガバナーと、時計の進みを制御するスプリングドライブの調速系も、役割の異なる機構である。34

動力源には、表側と裏側に置かれた二つの香箱を直列に組み合わせる構成を採用する。この二つのぜんまいは時計と報時に共用される。ボタンを押すたびに別の報時ぜんまいを巻き上げる方式ではなく、蓄えた動力から鳴鐘のエネルギーも取り出すため、報時すると時計の残りの駆動時間が減る。取説による消費量の目安は1回につき約3~5時間分である。134

デシマル式の読み方#

8時位置のボタンを押すと、二つのハンマーと二つのゴングが順に働く。最初の低い音の回数で時を、次の高低二音を組み合わせた回数で10分単位を、最後の高い音の回数で残りの分を伝える。一般的な15分単位のミニッツリピーターと異なり、分を十の位と一の位に分けて聞ける。34

表示時刻時を示す低音10分を示す二音の組分を示す高音
4時35分4回3組5回
9時42分9回4組2回
1時00分1回なしなし

4時35分は取説の説明例、9時42分は2014年の展示サンプルの報告と対応する。1時00分は同じ規則を適用した読み方である。これらは鳴鐘数を表す説明であり、特定の音名や音程を意味しない。取説に掲載された楽譜も、実際の音程や打つ間隔を示すものではないと明記される。315

鳴鐘数の読み取りには、時・10分・分に対応する三つのリピーティングラックが連動する。操作時に動いたラックが戻る量によって打数が決まり、動力の接続にはワンウェークラッチを用いる。巻き上げ中はクラッチが滑り、リピーター作動時にはロックする。時刻情報の読み取りと、打つ速さの調整をそれぞれの部品が受け持つ構成である。34

取説は、針が示す時刻と鳴鐘で示す時刻に約1分の差が生じ得ると説明する。これは報時機構の読み取りに関する条件であり、スプリングドライブそのものの月差±15秒とは別の特性である。34

空気の粘性を使うガバナー#

報時のぜんまいを自由にほどくだけでは打つ間隔が整わない。7R11では、高速で回転する翼を持つスローガバナーがほどける速さを制御する。空気の粘性を使って作動音を小さくするため、ゴングの余韻に別の調速音が重なることを抑えられる。通常の脱進機の刻音がないスプリングドライブとの組み合わせが、この設計の狙いである。23

関連する技術資料として、セイコーエプソンの米国特許US7590030B2がある。発明者は茂木正俊と高橋修、優先日は2005年10月6日、登録公報日は2009年9月15日である。回転数が上がると遠心力で翼が外へ動き、対向部との間の流体の粘性抵抗が増す構成を説明している。これは非接触の制動を小さな空間で得る技術を理解する資料になる。ただし公報にGBLS998の品番はなく、各実施例の寸法や構造が製品と完全に一致するとは断定できない。6

鉄の音源、二重ケース、手仕上げ#

明珍火箸の技術を小さなゴングに使う#

明珍火箸は、甲冑鍛冶の技術を受け継ぐ姫路の金属工芸品で、火箸同士が触れ合う音を生かした風鈴でも知られる。1988年の北田杲三・岡本善四郎の研究は、火箸の鍛造工程、硬さや組織、音響スペクトルを調べ、工程中の温度と加工、形状と響きの関係を検討した。この研究は腕時計以前の火箸が対象で、7R11のゴングを分析した論文ではない。1112

GBLS998では、鍛造材から切り出した棒状のゴングを時計に収めた。風鈴を小さくしてそのまま入れたものでも、2006年のソヌリの「おりん」を流用したものでもない。2011年の日英発表資料は、鉄材・形状の試作と、周波数、音圧、減衰の検討を重ねたことを説明する。鍛造の伝統を音源へ応用しながら、ケースを含む小さな音響系として調整したのである。123

公表された製品資料からは、ゴングの正確な化学組成、熱処理条件、全形状や個体ごとの音響測定値までは分からない。明珍本舗が別製品に用いる玉鋼や、火箸の研究で使われた材料の組成を、時計のゴングにもそのまま当てはめることはできない。1112

密封する部分と、音を外へ出す部分#

ムーブメントを収める内側と、外側のケースの間にゴングを置く二重構造を採用した。2011年のメーカー発表は、ムーブメント側を密封し、その外に音源を設ける構成と説明する。独立した実機取材では、内側の金属ケースと外側の空間、ハンマーの力をゴングへ伝えるピンが確認・解説されている。取説の側面図にも、ゴングを収め、音を外へ放出するスリットが示される。1310

内側の保護と時計全体の防水性能は同じではない。7R11取説は明確に非防水とし、日本語版では、鐘の音を大きくするため防水構造にしていないと説明する。当時の専門媒体も非防水と記載した。水や水蒸気、高湿度を避けることが必要で、二重ケースを理由に日常生活防水と解釈することはできない。313

機構を見るための外装と仕上げ#

開放された表側からは輪列やガバナーの回転、裏側からはハンマーの運動が見える。18Kピンクゴールドの外装とサファイアガラスは、音を出す器であると同時に、作動を観察するための枠でもある。受けの面取りにはやすりと研磨材を使い、乾燥したリンドウ科植物の茎であるジャンシャンで鏡面に仕上げる。12

2012年に実機を扱ったJX Suは、香箱の透かしに塩尻市の花キキョウ、開口部に塩尻地域に生息するワシの意匠を読み取り、ねじや石穴周辺まで及ぶ仕上げを観察している。これは製作地との結び付きを伝える意匠であり、特定の地域風景を機構の配置に重ねた時計としても理解できる。10

使用上の条件と作品の記録#

安全装置と整備#

針合わせと報時機構の同時操作を防ぐ安全装置を備える。りゅうずを引いた状態では報時ボタンを押せず、報時中はりゅうずを引き出せない。報時中にりゅうずを回しても巻き上げにはつながらない。鳴り終わった直後もしばらく機構が動くため、取説はガバナーの停止で終了を確認するよう求めている。34

この装置は操作を力任せに行ってよいという意味ではない。残量不足のまま起動すると、安全装置の状態によって通常の操作ができなくなる場合もあり、取説に解除手順が用意されている。操作条件を守ることが、時計用と報時用の動力を共用する機構の使用に含まれる。3

メーカーは約2年ごとの点検調整・分解掃除を推奨する。補修用性能部品の保有期間は通常10年を基準とし、修理では外観の異なる代替部品を用いる場合があるとしている。こうした保守条件は、長期使用を志向した手仕上げと併せて理解する必要があり、無整備での永続使用を保証するものではない。3

展示個体と市販品を分ける#

2014年5月のArizona Fine Timeの報告には、バーゼルワールドで見たGBLS998が、針を動かさず報時だけを動かす展示用サンプルだったと記されている。9時42分を鳴らすこの個体の挙動は、販売品の時計機構が作動しないことを示す資料にはならない。展示目的に合わせた個体と市販仕様を区別できる、具体的な記録である。15

2015年の公式価格改定通知にもGBLS998が掲載され、同年8月31日から税抜価格を3,300万円から3,500万円に変更した。これにより、2011年の記念発表後にも同品番が商品として扱われていたことが確認できる。2019年や2024年の工房取材にも作品として登場するが、それだけで各年の生産本数や現在の注文受付を確定することはできない。1498

年表#

年月出来事と資料上の位置付け
1988年12月明珍火箸の製造・材料・音響を調べた北田・岡本論文が刊行。時計の製品開発より前の技術背景。12
2000年マイクロアーティスト工房が発足。89
2005年10月空気粘性を用いる関連ガバナー特許の最先の優先日。GBLS998完成日を意味しない。6
2006年スプリングドライブ ソヌリ発表。後のミニッツリピーターとは異なる音源・機構。18
2007年2020年の開発当事者対談が説明する、ミニッツリピーターへの着手年。7
2008年ノード叡智発表。工房で複雑時計と手仕上げの追求が並行する。18
2009年9月関連する米国ガバナー特許US7590030B2の登録公報発行。6
2011年3月24日GBLS998を発表。初年度3本を予定し、12月下旬発売を告知。12
2011年12月発表資料の発売予定月。個々の完成・納品日の一覧は公表資料から確認できない。1
2012年4月SJXがGBLS998の実機取材を公開。10
2014年5月Arizona Fine Timeがバーゼルワールドの展示用個体を報告。15
2015年8月31日公式通知に基づく同品番の価格改定実施日。14
2019~2024年工房訪問記、開発当事者対談、専門誌の取材記事が、音響設計・仕上げ・製作の役割を伝える。789
2026年11月7R11の公式取説を公開資料として確認。総製作数、最終製造年、現行の受注状況は確定できない。3

評価と調査上の限界#

GBLS998の技術史上の特徴は、既存の十進式報時を、刻音のないスプリングドライブ、空気粘性式ガバナー、鍛造鉄材のゴング、二重ケースへ組み合わせた点にある。2011年英語発表はセイコー初のミニッツリピーターと位置付ける一方、デシマル式そのものには先行例があったと説明している。十進式をこの時計が発明したと理解するのは適切ではない。2

響きの良さについてはメーカーの評価に加えて独立した実機記事もある。しかし、音量や残響時間を複数の時計と同条件で比較した公開実験ではなく、「最良の音」などの順位を客観的に確定するものではない。本稿でも実機の分解測定、音響測定、所有者への追跡調査は行っていない。910

特定個体の所有者、現在の所在、修理・部品交換履歴、全製造番号の記録は確認できない。後年の叡智Ⅱなどは同工房の別製品であり、GBLS998の仕様更新や直接の後継ミニッツリピーターとしては扱わない。工房の作品史と、一つの品番の製造・来歴には、それぞれ異なる資料が必要である。

参考文献#

以下はいずれも2026年11月4日閲覧。メーカー発表・取説・協力者の記録と、第三者の原取材を区別した。

  1. セイコーウオッチ「<クレドール>から、セイコー創業130周年記念コンプリケーションウオッチ<クレドール>ノード スプリングドライブ ミニッツリピーターを発売」、2011年3月24日。開発・製作主体、素材、二重構造、発表時仕様。

2. Seiko Watch Corporation, “The Credor Spring Drive Minute Repeater,” March 24, 2011, Ref. RLS1103-05, pp. 1–3. メーカー原資料の第三者保存版。日英の発表は独立した二つの裏付けとは数えない。

3. クレドール「7R11 取扱説明書」、BG7R11S-2301、発行年月の明記なし。冊子内pp. 5–6、11–16、21を中心に、防水、機構、操作、保守、仕様を参照。HTML版。

4. Credor, “7R11 Operating Instructions: How to use,” 公開年月表記なし。英語の構造・安全装置・報時時の残量消費の照合。

5. The Seiko Museum Ginza, “Spring Drive,” 公開年月表記なし。機構説明、第3・4節。メーカー系博物館の解説。

6. Masatoshi Moteki, Osamu Takahashi / Seiko Epson Corporation, “Governor and a power generating device and an apparatus using the governor,” US7590030B2, September 15, 2009. 要約、発明の説明、実施例、請求項。Google Patents掲載の公報本文。

7. 本間恵子「名工たちが挑む! セイコーエプソン マイクロアーティスト工房が世界に発信する『超絶技巧の腕時計』」、Forbes JAPAN BrandVoice、2020年8月31日。茂木正俊・萩原康則対談、Promoted by クレドール。企画広告内の当事者証言。

8. 広田雅将「クレドール/マイクロアーティスト工房編」、クロノス日本版/webChronos、Web表示日2024年6月21日。工房・茂木・デュフォーらの原取材、写真解説。本文の取材時点とWeb表示日を区別して参照。

9. Elizabeth Doerr, “Visiting Seiko’s Haute Horlogerie Micro Artist Division,” Quill & Pad, May 15, 2019. 2008年などの訪問経験を含む工房取材。

10. JX Su, “Hands-On: Seiko Credor Spring Drive Minute Repeater,” SJX Watches, April 1, 2012. 実機写真、構造、装飾の観察。

11. 明珍本舗「明珍本舗の匠 52代 明珍宗理」、公開年月表記なし。略歴、2011年の共同開発の記載。

12. 北田杲三・岡本善四郎「伝統技術の現況について――明珍火箸」『技術と文明』4巻2号、1988年12月15日、pp. 1–20、DOI: 10.57381/jshit.4.2_1。火箸の製造現場と技術的検討、特にpp. 13–19。時計用ゴングの測定資料ではない。

13. 名畑政治「SEIKO クレドール ノード スプリングドライブ ミニッツリピーター page2」、Gressive、2011年7月現在の表記。バーゼルワールド取材と当時の仕様。

14. セイコーウオッチ「価格改定のお知らせ」、2015年、p. 1。GBLS998、実施日2015年8月31日、税抜価格。

15. Arizona Fine Time, “Seiko Credor Masterpiece Spring Drive Minute Repeater GBLS998,” May 16, 2014. 販売店によるバーゼルワールド展示個体の実見報告。商業上の利害を持つ資料として使用。