アーンショウ E520:フリンダースの航海を支えたクロノメーター

アーンショウ E520:フリンダースの航海を支えたクロノメーター

アーンショウ E520#

アーンショウ E520は、マシュー・フリンダースがオーストラリアの沿岸測量に用いた、番号520の箱入り航海用クロノメーターである。シドニーのPowerhouseが資料番号H3940として所蔵し、トーマス・アーンショウが1801年初頭にロンドンで製作した個体と記録している。「E」は製作者Earnshawを識別するための呼称で、現代の製品シリーズを意味しない。1

この時計の重要性は、航海を無事に耐えたという逸話だけにはない。フリンダースの航海記には、陸上で測った時刻の遅れ、一日当たりの歩度、他の時計との比較、採用した経度、巻上げが途切れた場面が残る。E520は、観測と補正を重ねながら地図を作る現場で、実際にどのように使われたかを追える時計なのである。234

個体の同定と製作目的#

項目確認できる内容
製作者・製作地Thomas Earnshaw、ロンドン
製作時期所蔵館は1801年初頭とする。発注日や組立開始日は示されていない
主番号520
地板裏の第二番号2865。所蔵館が紹介する同定研究で重要な照合材料となった
所蔵・資料番号Powerhouse、H3940
形態・用途木箱にジンバルで支持された航海用クロノメーター、時・分表示と小秒針
登録寸法高さ155 mm、幅212 mm、奥行212 mm。箱を含む収蔵品の寸法であり、ムーブメントの直径ではない

以上は所蔵館の記録による。番号520だけで同定が完結するわけではない。1943年、別のアーンショウ「520」がイギリス海軍省へ売り込まれ、同省が購入を断ったという記録がある。この別個体の所在は明らかになっていない。Powerhouseの説明によれば、1976年にThomas E. ToothがH3940をフリンダースの時計と同定する際、第二番号2865を調べ、Christopher Woodによる主番号と第二番号の対応、1790〜1810年の他のアーンショウ時計と照合した。1

Toothは、1943年の時計について、修理された文字盤の数字を事務員が読み違えた可能性を考えた。しかしこれは対抗する番号記録を説明する仮説であり、H3940の文字盤が修理されたという証拠ではない。同館の1976年年報も、すでに展示されていた520をToothがその年の初めにInvestigator号の時計と同定した、と報告している。年報は同定が当時公表されたことを裏付けるが、番号比較の全資料を掲載した鑑定報告ではない。15

E520が作られた目的は、船が移動しても経度の基準となる時刻を保持することである。フリンダースはInvestigator号の航海に際し、経度委員会からアーンショウ543・520とアーノルド176・82の箱入り時計を受け取った。天文学者John Crosleyは私有のアーンショウ465も携行し、フリンダース自身は河川など小舟での調査に使うアーノルド1736を海軍委員会から借りた。装備は一台の万能時計ではなく、複数の時計と天文観測器を組み合わせたものだった。E520の供給先・使用者はこの記録で分かる一方、製作を担った個々の下職、部品の供給者、代金や注文書は確認できない。26

箱、文字盤、機構#

読む、運ぶ、巻き上げるための形#

所蔵館の現物記載では、シダー材の箱は蝶番付きの蓋を持ち、蓋に円形のガラス窓がある。箱内に固定された真鍮のジンバル環が時計を支持し、機械は円形の真鍮の外囲いに収まる。ジンバルは船と時計の姿勢をある程度切り離す支持方法であり、衝撃や加速度をすべて消す装置ではない。17

文字盤は所蔵館が鋼製と記載し、時表示にローマ数字I〜XII、下部の小秒針に10〜60の目盛を置く。秒を独立して読み取れることは、観測時刻と時計の差を秒単位で記録する用途に適している。ガラスが文字盤を覆い、箱の両側には真鍮の折り畳み式取手がある。内側には緑のフェルトが張られ、二本の付属鍵があり、そのうち一本の収納区画も記録される。鍵の存在から個々の用途や製作時の組合せまでは決められない。1

これらは現存品の記載である。箱、フェルト、鍵、ガラスなどのすべてが1801年のままかどうかは、同じ記録だけでは判断できない。振動数、石数、持続時間、輪列の歯数、ぜんまいとフュージーの寸法をE520の確定仕様として掲げることもできない。同時期の比較個体として、Science Museum Groupのアーンショウ724は、機械番号3195、一日巻、ばね式デテント、二腕の温度補償テンプと記録される。724の仕様を520へ移すことなく、番号と個体ごとの調査が必要なことを示す例として扱う。8

ばね式デテントは何を切り離すのか#

PowerhouseはE520に、アーンショウの脱進機と温度補償テンプが組み込まれていると説明する。ただし、公開されている収蔵記録は各部の寸法を示す分解調査ではない。以下はアーンショウ型のばね式デテントの一般原理を、技術研究と博物館の教材模型の説明から解説したものであり、E520の内部を測定した結果ではない。179

動力ぜんまいの力は輪列を通じてがんぎ車へ届く。デテントの止め石は、その歯を止めている。テンプとひげぜんまいは、振動の大部分をがんぎ車から切り離された状態で過ごし、必要な瞬間だけ動力を受け取る。運動の順序は次のようになる。79

  1. 一方向に回るテンプの解除用の爪が、細い通過ばねを介してデテントを動かし、止め石をがんぎ車の歯から外す。
  2. 解放されたがんぎ車が進み、歯がテンプの衝撃石へ作用して振動に力を補う。
  3. デテントが戻り、次の歯を止める。
  4. 逆方向の振動では、細い通過ばねがたわんで爪を通し、デテントは解除されない。したがって衝撃は往復の振動のうち一方向だけで与えられる。

フランス国立工芸院の1949年の目録は、Théophile Sibonが1844年に作ったアーンショウ型脱進機の拡大模型について、この解除と逆方向の通過を説明している。これはE520の模型ではなく、後世の教育用の機構模型である。また、2018年のCvetkovicらの工学研究は、ばね式支持ならデテントの回転軸受を用いずに済む点や、歯と石の接触に注油を要しない設計上の利点を論じる。時計全体が無潤滑という意味ではない。79

自由な振動を得る一方、デテント脱進機には扱い上の限界もある。Rupert T. Gouldは、急な回転や衝撃によって意図しない解除が起き、余分な衝撃を受ける「tripping」を説明した。これをE520で実際に発生した故障とは認定できないが、海上用の支持と慎重な取扱いが重要だった理由になる。海難後に520が動いていたという証言も、脱進機の一般的な耐衝撃性能を保証する試験ではない。10

温度補償と製作の技術#

温度変化は、テンプの寸法だけでなく、ひげぜんまいの弾性にも作用する。Gouldが説明する通常の切りテンプでは、外周を鋼と真鍮の複合材で作り、外周の一部を切って二つの腕とする。暖まると両金属の膨張差で腕が内側へ曲がり、重りが軸へ近付いて慣性モーメントを減らす。それによって、ひげぜんまいの復元力の低下による遅れを補う。重りの位置調整は補償量に関わり、左右の釣合いを取る作業も必要になる。10

小振幅の理想的なねじり振動では、周期は慣性モーメントが大きいほど長く、ばねの復元力が強いほど短い。この関係が補償の考え方を説明する。ただし実物では振幅、脱進機の接触、ばねの形状、材料の温度依存性が加わる。二つの温度で調整できても、その間の温度まで誤差が完全に消えるわけではない。Gouldが論じる中間温度誤差は、この通常型の補償の限界であり、E520の特定温度における測定値ではない。10

Gouldはアーンショウの製作方法として、鋼の円板の外周へ真鍮を鋳着し、旋盤で中空の形に加工した後、底を切り抜いて横棒と外周を残し、さらに外周を切って補償腕を作る工程を紹介している。補償重りも真鍮の環から切り出すという。素材の接合、同心の加工、外周の切断、重りの配置という工程は、単に「二種類の金属を使う」以上の精密製作を要する。ただしこれは1923年の技術史によるアーンショウの方法の説明で、E520の各部品の製作履歴を示す工場記録ではない。10

アーンショウの初期脱進機と、1801年の時計を同じ段階の設計として扱うこともできない。GouldはThomas Wright名義の1783年特許に示された初期の仕組みと、別体の通過ばねを備えた後の仕組みを区別する。原特許の図面・明細書は探索しても確認できておらず、ここでの説明は実読したGouldの二次資料に基づく。初期特許の図からE520の歯数、寸法、性能や特許の請求範囲を推定することはできない。10

観測、歩度、海図への採用#

時計の遅れと歩度は別の量#

経度測定では、天文観測による現地時刻と、時計から求めた基準地点の時刻を比較する。地球の一回転を24時間とすると、時刻差1時間は経度15度、時刻差1秒は経度15秒に相当する。東経では現地時刻が基準より進む。したがって、時計がどれだけ遅れているかという時刻差と、毎日どれだけ遅れを増すかという歩度の両方を把握する必要がある。6

大きな遅れが記録されていても、それだけで経度測定に使えないとはいえない。差を把握し、歩度が予測できれば補正して使える。逆に、表示時刻が一度正しくても、歩度が変われば航海中に誤差が積み上がる。フリンダースは船上の時計の比較だけでなく、上陸地点で太陽の高度を六分儀と人工水平線で測り、月距離の観測も使って経度を照合した。236

基準時点・場所E520の記録された時刻差記録された歩度史料上の意味
1801年11月1日正午、喜望峰のSimon’s Bay遅れ34分16.62秒一日15.84秒遅れ上陸観測から得た基準。2
1802年11月30日正午、Sweers IslandのInspection Hill遅れ3時間52分19.70秒一日20.01秒遅れ11月16〜29日の観測を用いた基準。3
1803年2月9日正午、Caledon Bay遅れ2時間27分19.55秒一日30.83秒遅れ2月2〜8日の観測に基づく。その前のBlue-mud Bayでは巻上げが途切れた。4
1803年8月2日正午、Port Jackson出港前進み49分54.85秒一日33.38秒遅れJames Inmanによる直前25日間の歩度。11

表の値は各地点で定めた基準であり、製作時の精度保証でも、全航海に共通する一つの歩度でもない。時計の表示に対する時刻差と歩度は、別々に読む必要がある。最後の行で時計が「進み」であっても、その時点では一日ごとに遅れ方向へ動いている。23411

トレス海峡からカーペンタリア湾へ#

1802年11月、フリンダースはInspection Hillで42組の月距離観測をまとめ、経度を東経139度44分52秒とした。そこへ到着した11月16日の位置を、出発地点Upper Headで定めた歩度から計算すると、543は東経140度6分35.2秒、520は東経139度47分42.2秒を示した。フリンダースは、この区間では520の方が月距離による位置に近かったとして、Upper HeadからSweers Islandまで、トレス海峡を含む海図の経度に520のみを採用した。52日間に対応する東向き2分50.2秒の差を日数に応じて補正している。ここでいう分・秒は経度の角度であり、時計の時刻差の単位ではない。3

しかし、同じ滞在中に520の一日の遅れは18.79秒から25.39秒まで増し、フリンダースは信頼の置き方を変えた。以前は不安定だった543が、その時点では安定していたという。一台を永久に「最良」と決めるのではなく、地点と時期ごとに歩度を比較する運用だったことが分かる。3

1803年2月の記録は、機械の性能と運用上の失敗も分けている。Blue-mud Bayで520は誤って巻上げが途切れ、フリンダースはその時計による経度を採用しなかった。その後Caledon Bayで歩度を取り直しているため、この出来事を520の永久故障とすることはできない。4

海難を越えた使用と帰還#

Investigator号での測量後、フリンダースはPorpoise号で1803年8月10日にPort Jacksonを出た。出発前、Inmanから返された543の歩度は不規則で、520には直前25日間の測定値が付いていた。Porpoise号は8月17日にWreck Reefで座礁した。11

航海記でフリンダースは、砂洲の経度を520から算出し、その時計を「excellent time keeper」と呼ぶ。激しい船の動きにも影響を受けたようには見えなかったと述べ、543は停止し、アーノルド1736は海水で損なわれたと対比している。同時に、520から得た経度155度3分は後に補正を必要としたとも記す。時計が動き続けたことと、その位置の数値が無補正で正しかったことは同じではない。11

フリンダースがその後モーリシャスで拘束された間も、E520は彼に伴った。Powerhouseが引用するToothの1981年の調査によれば、1805年に解放されたJohn Akenが時計をイギリスへ持ち帰り、王室天文官Nevil Maskelyneは同年12月12日にグリニッジへ届いたことを報告したという。この帰着日の説明は所蔵館によるToothの紹介に基づき、Maskelyneの報告原本そのものによる照合とは区別する。1

所有史、同定研究、保存#

1805年の帰還から1937年の博物館購入まで、公開記録では連続した所有史が分からない。博物館は1937年5月10日、シドニーのDouble Bayに住む収集家Norman John Nisbetから時計を購入した。当時は航海との関係が認識されず、1976年のToothの研究で再同定された。1979年にはABCのCaroline JonesがNisbetの家族の追跡を助けたが、英国での取得を含む経路は確定していない。15

この所有史の空白を埋める修理・部品交換の連続記録も、所蔵館の公開説明にはない。1943年の別個体に関する文字盤修理説を、E520自身の修復履歴へ混ぜるべきではない。また、現在の収蔵記録が示す箱と付属品を、航海時から一切交換されていない状態と認定することもできない。1

2026年10月時点でPowerhouseの公開コレクションにH3940として登録される。この所在情報と、常設展示の有無、現在の稼働状態、保存のために巻上げを行っているかどうかは別の事柄である。E520の価値は、現存する器物、航海中の数値記録、後世の同定研究を結び付けられる点にある。フリンダースの海図における具体的な採用実績は重要だが、測量の成果を時計一台だけの功績とすることはできない。136

年表#

年月E520と関係する出来事・記録
1783年Wright名義の初期特許。Gouldが後の脱進機との相違を論じる。E520の完成年ではない。10
1801年初頭PowerhouseがE520の製作をこの時期のロンドンとする。1
1801年経度委員会からInvestigator号の探検へ520などの時計が供給される。2
1801年10〜11月Simon’s Bayで陸上観測。Crosleyは病気のため残り、時計の管理はフリンダースへ移る。2
1802年11月Inspection Hillで観測。フリンダースはトレス海峡を含む航路区間の海図に520の経度を採用するが、滞在中の歩度変化も記録。3
1803年2月Blue-mud Bayで巻上げが途切れ、その経度を不採用。Caledon Bayで歩度を取得。4
1803年8月Inmanの測定を受けてPorpoise号に搭載。座礁後にも520の使用を航海記が記す。11
1803〜1805年モーリシャスに伴われ、Akenが帰国時に持ち帰ったとする来歴。1
1805年12月所蔵館が紹介するToothの調査では、12日にグリニッジへ帰着。1
1805〜1937年連続する所有史は不明。1
1937年5月10日にNisbetから博物館が購入。1
1943年別の「520」が海軍省へ売り込まれ、同省は購入を断った。番号の競合は後の同定研究で検討された。1
1976年Toothがフリンダースの個体と同定。博物館年報にも掲載。15
1979〜1981年Nisbetの家族の追跡、Toothの調査の刊行。来歴の全空白が解消したわけではない。1
2026年10月Powerhouseの公開コレクションにH3940として登録。1

参考文献#

閲覧日はすべて2026年10月9日。航海記の数値は原刊本の画像を照合した。所蔵館の説明、当事者の刊行記録、後世の技術史、他個体・教材模型の記録は、それぞれ異なる種類の根拠である。

  1. Powerhouse, Matthew Flinders marine chronometer, H3940。現物記載、寸法、製作、来歴、Toothの同定研究と1981年の調査の紹介。ページに更新日表示なし。
  2. Matthew Flinders, A Voyage to Terra Australis, 1814, vol. I, Book I, Chapter IおよびChapter II, 特にp.41。時計装備、Simon’s Bayの観測と歩度。転写と原刊本画像を照合。
  3. Flinders, 同書, vol. II, Book II, Chapter VI, pp.148–149。Inspection Hillの観測、比較、520の採用と歩度変化。時計番号は原刊本の520による。
  4. Flinders, 同書, vol. II, Book II, Chapter IX, p.216。Caledon Bayの観測、Blue-mud Bayでの巻上げ中断。
  5. Museum of Applied Arts and Sciences, Annual Report 1976, Government Printer, Sydney, 1976, p.17, Department of Technology。博物館刊行年報のデジタル転載で本文確認。Toothによる同定を報告。
  6. Kenneth Morgan, “Finding longitude: The Investigator expedition, 1801–1803”, International Journal of Maritime History, 29(4), 2017, pp.771–787, DOI:10.1177/0843871417725688。装備、観測者、陸上の基準時計、月距離と時計の併用を扱う研究。特にpp.776–784。
  7. Ivana Cvetković, Miša Stojićević and Branislav Popkonstantinović, Modeling, Motion Study, and Computer Simulation of Thomas Earnshaw’s Chronometer Detent Escapement Mechanism, 2018年11月5日, DOI:10.5772/intechopen.79939, sections 1–4。ばね式デテントの構造と工学モデル。計算用模型の寸法・数値をE520の仕様には用いていない。
  8. Science Museum Group, Marine chronometer by Thomas Earnshaw, L2015-4053, Clockmakers’ Museum no.1148。比較個体724/機械番号3195、製作1795〜1805年の収蔵記録。
  9. Conservatoire national des arts et métiers, Catalogue du musée. Section JB, Horlogerie, 1949, pp.118–120, fig.33, inv.12435。Théophile Sibon製の1844年の拡大模型によるアーンショウ型脱進機の説明。フランス語本文・図の説明文を実読。
  10. Rupert T. Gould, The Marine Chronometer: Its History and Development, J. D. Potter, 1923, pp.117–119, 139, 172–175。初期脱進機、製作方法、tripping、通常の温度補償と中間温度誤差。公開スキャンの本文を実読した後世の技術史。
  11. Flinders, 前掲書, vol. II, Book III, Chapter I, pp.297, 312。Inmanによる出港前の歩度とPorpoise号の海難後の記述。原刊本画像を照合。