フィレンツェ大聖堂の時計 ― 日没を24時とするウッチェロの文字盤

フィレンツェ大聖堂の時計 ― 日没を24時とするウッチェロの文字盤

フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂には、日没を一日の終わりとし、一本の針が反時計回りに進む24時間時計がある。「パオロ・ウッチェロの時計」と呼ばれるのは、1443年にこの画家が文字盤を描いたためである。時計機械を最初に製作したのはアンジェロ・ディ・ニッコロ(Angelo di Niccolò)で、現存する機械は1761年のジュゼッペ・ボルジャッキ(Giuseppe Borgiacchi)によるものと管理機関は説明している。絵画、機械、時刻の数え方には、それぞれ異なる歴史がある。1 2 3

24時間のローマ数字と四隅の人物像を備えた、フィレンツェ大聖堂の時計文字盤

文字盤の全景。中央下のXXIIIIが一日の終わりを示す。原画:パオロ・ウッチェロ(1443年)。写真:Jebulon、2011年6月4日撮影。出典:Wikimedia Commons個別ファイル。写真の利用条件:CC0 1.0。原画は作者が1475年に没しており保護期間満了。加工:縮小とJPEG再圧縮のみ。

壁画と機械を分けて見る#

時計は正面入口の内側、入口を振り返ったときに見える壁面の高い位置にある。機械はその壁と外側のファサードの間に収められ、文字盤の背後から針を動かす。公式作品解説は素材を漆喰、顔料、青銅、金、技法をフレスコ画、鋳造、鍍金としている。壁画だけを切り離しても、機械だけを見ても、現在の時計全体の成り立ちは説明しきれない。1 2

ウッチェロの仕事を年代づける手がかりは、後世の画家伝だけではない。イタリア文化財総合目録は、ジョヴァンニ・ポッジが確認した支払記録として1443年2月22日の40リラ、4月2日の10リラを挙げる。ただし、これは公的目録による記録の紹介であり、支払帳の原本画像そのものを示すものではない。絵画の制作年を1433年とする一部の紹介より、所蔵機関と文化財目録が一致する1443年を採るのが妥当である。2 4

正方形に円形の時間目盛を収め、四隅に人物の頭部を配置した構図には、離れた床面からの見やすさと、人物を立体的に見せる工夫が共存する。四人は福音書記者とも預言者とも解釈されてきたが、通常の識別に用いる象徴がなく、人物名は確定していない。文化財目録も疑問符を付けている。4 5

寸法には公表値の差がある。公式作品ページは高さ・幅とも670cmとし、公式詳細目録の説明本文も一辺6.70m、全体約44.9m²、時間目盛の円の直径5.87mと記す。一方、同じ詳細目録の寸法欄には470cmという値もある。以下では全景の規模を示すには公式作品ページの値を用い、異なる数字を同じ測定範囲の確定値として足し合わせない。1 2

日没を24時とする読み方#

反時計回りの一日#

文字盤はローマ数字で24時間を示し、針は一日で一周する。最上部がXII、最下部がXXIIIIで、数字は反時計回りに増える。この方式の名称はオーラ・イタリカ(ora italica)である。ここでは日没が24時となり、その後に次の一日の時間を数え始める。現代の時計の深夜0時を、この文字盤のXXIIIIへそのまま当てはめることはできない。3 5

たとえば、日没を現代の時計で18時とする日に、そこへ針を合わせたと考える。日没の1時間前ならXXIII、日没を過ぎて1時間後ならIを指す。この例は表示の関係を説明するもので、特定日のフィレンツェの日没時刻を示すものではない。反時計回りに進むことと、日没を一日の区切りとすることは、読み方を理解する際に別々に確認すべき特徴である。5

季節を追う調整#

季節によって日没が変わるため、同じ現代時刻でも時計が示す数字は一年中同じではない。管理機関は、日没に最後の時刻が来るよう年間を通じて調整し、2014年の解説では管理担当者が毎週巻上げと時刻合わせを行うと説明する。これは「日没を機械が自動検出する」という意味ではない。3 5

このため、時刻合わせを単純な歩度不良の補正だけと考えると、時計の役割を取り違える。針を進める機械に加え、地域の日没へ表示を合わせる人の仕事があって、この方式は保たれる。少なくとも2014年の公式解説では週単位で表示を合わせる運用が紹介されており、日没との秒単位の一致や、現代の標準時への自動同期を資料から保証することはできない。3

18世紀の機械が動かす仕組み#

動力と調速#

現在の時計を「1443年製の機械がそのまま動いている」と表現するのは適切でない。公式解説によると、初代は修理を重ね、1688年に振子を備えた機械へ交換され、さらに1761年に現在の機械へ置き換えられた。15世紀の機械の詳しい構造は確かでなく、管理機関は重りを用いた仕組みを推定している。初代の脱進機の形式や輪列の歯数を、現存機械から逆算することはできない。3 6

現存機械の動力は重錘である。重りを巻き上げて位置エネルギーを蓄え、その下降で歯車を回す。振子が周期を与え、アンカー型の脱進機が歯車の進みを刻む。2016年に機械室へ入ったジャック・フォースターの取材は、石の重り、巻上げ用の大きなクランク、鉄製の枠、振子とその動きを伝えるフォーク、針へつながる軸を写真とともに記録している。歯車が動力と表示を結び、振子・脱進機が進行を制御する構成が読み取れる。7

機械側にも小さな文字盤があり、壁の向こうの大きな針の位置を確認して合わせられる。ここでは表示が観衆に向く一方、巻上げと調整の作業は壁の内部で行う。大型時計の保守を考えるとき、この確認用表示は目立たないが重要な設備である。7

フォースターは脱進機をデッドビート型らしいと述べるが、これは実見に基づく推定である。機構の分解調査報告で確定された型式としては扱わない。振子長、歯数、重錘質量、運転時の精度についても、確認した公開資料から確実な仕様値は得られず、数値を補わない。7

同じ時計に重なる修理と改造#

初代機械の修理にはデッラ・ヴォルパイア家が関わり、公式解説はロレンツォ、続いて息子カミッロの仕事を挙げる。1546〜1547年には大規模な作り直しが行われたという。さらに振子導入、機械交換、文字盤の上描き、表示方式の復元を経た。部品が一度も変わらないことによってではなく、建物内の同じ役割を修理しながら引き継いだ作品である。3 6

文字盤を取り戻した修復#

十二時間化の年代に残る差#

公式詳細目録は、1669年のアンジョロ・ゴーリ(Angiolo Gori)の上描きの際、時計回りの12時間表示へ変わり、1761年にも別の上描きが加わったと説明する。一方、公式の2014年解説は12時間化を1761年の機械交換に結び付けている。同じ管理機関の説明でも、表示方式の変更をどの段階に置くかが一致していない。確かなのは、現存の見た目がそのまま近世を通じて保たれたわけではないことである。2 3

壁画について公式詳細目録が記す修復期間は1963〜1968年である。上描きの下の絵が調べられ、青い背景の下に緑色の層があることも確認された。現代の星形の針は、この修復期に文書とウッチェロの他作品を参考に再構成したものと同目録は説明する。15世紀の針がそのまま残っているわけではない。1 2

表示方式の復元については、公式2019年解説が1970年代と記す。壁画の保存処置と時計表示の復元を、すべて同じ一年の出来事にまとめるべきではない。詳しい工事記録を照合しないまま、両者を特定の同一年に固定することは避ける。6

2014年の機械修復#

2014年の機械修復は、管理するオペラ・ディ・サンタ・マリア・デル・フィオーレのもと、フィレンツェのI.S.I.S.レオナルド・ダ・ヴィンチの時計修復研究センターに属するアンドレア・パルミエリとウーゴ・パンカーニが担当し、オフィチーネ・パネライが資金面で支援した。公式2019年解説は2014年10月の完了を記している。機械製作者、修復者、支援企業の役割は区別しておきたい。6

この時計の特色は、ルネサンス絵画が大きな時刻表示を担い、後代の機械がそれを動かし、管理者が日没に合わせて運用する点にある。美術品の保存と、使い続ける機械の保守が接する具体例といえる。2026年11月6日の確認時点で公式目録には大聖堂内の作品として掲載されているが、そのことだけから当日の稼働状況や機械室の見学可否まで断定はできない。1 2

年表#

年代出来事と確認範囲
1443年2月・4月ウッチェロへの支払を文化財目録が紹介。文字盤の制作年は1443年。4
1443年公式解説がアンジェロ・ディ・ニッコロによる初代機械の設計を記す。細部構造は不確実。3
1497年公式2019年解説に修理・改変の記載。6
1546〜1547年カミッロ・デッラ・ヴォルパイアによる大規模改修。3
1669年ゴーリの上描き。詳細目録ではこの時点で12時間・時計回り表示へ変更。2
1688年振子を備えた機械へ交換。3
1761年ボルジャッキによる機械交換。12時間化の年代について公式説明間に差がある。2 3
1963〜1968年壁画修復。星形の現針はこの時期の再構成と詳細目録は説明。2
1970年代公式2019年解説が記す表示方式の復元時期。6
2014年パルミエリとパンカーニによる機械修復、パネライが支援。6
2016年5月フォースターの機械室実見記事が刊行。7
2026年11月公式作品ページ・目録の掲載を確認。稼働・見学の現況調査とは区別。1 2

資料の限界#

支払記録や古い修理記録については所蔵機関・文化財目録の紹介を参照しており、すべての原帳簿を実読したわけではない。初代の完全な機構、現存機械の全仕様、修復ごとの部品交換一覧は確定していない。ブルネレスキの関与も公式目録が可能性として論じる段階であり、設計者として確定しない。「世界で唯一」「最古」という評価も、比較対象を網羅した技術史上の認定としては用いない。2 6 7

参考文献#

  1. Opera di Santa Maria del Fiore, Paolo Uccello, Monumental clock。所在地、素材、技法、寸法、復元針の説明。閲覧日:2026年11月6日。

2. Opera di Santa Maria del Fiore, Quadrante di orologio、国指定目録番号0900289644への対応を含む詳細目録。「Descrizione」「Notizie storico critiche」「Restauri」等。閲覧日:2026年11月6日。

3. Opera di Santa Maria del Fiore, L’orologio del Duomo: un’opera d’arte che segna l’Ora Italica、表示日2014年5月22日。現ページには同年10月の修復完了への言及もある。閲覧日:2026年11月6日。

4. Ministero della Cultura, teste di profeti (?) entro clipei / mostra d’orologio、目録番号0900289644、編纂1989年・更新2006年。閲覧日:2026年11月6日。

5. Opera di Santa Maria del Fiore, Paolo Uccello e il suo orologio… Controcorrente!、2013年10月16日。表示方式・人物同定の不確実性。閲覧日:2026年11月6日。

6. Opera di Santa Maria del Fiore, Cosa rende speciale l’Orologio del Duomo di Firenze、2019年3月4日。修理史、表示復元、2014年修復。閲覧日:2026年11月6日。

7. Jack Forster, Inside The Walls Of The Duomo: A Visit To The Great Clock Of Paolo Uccello In Florence, Restored By Officine Panerai、Hodinkee、2016年5月26日。機械室での実見・写真を参照。文字盤の1433年という記載は公式目録と一致せず、脱進機の細分類は著者の推定。閲覧日:2026年11月6日。