木製時計が精密計時の実験装置になる#
ハリソンの第三精密長時計は、1728年、イングランドのバロー・アポン・ハンバーで、ジョンと弟ジェームズ・ハリソンが製作した錘式の長時計である。現在はロンドンのサイエンス・ミュージアム内にある時計師組合博物館のコレクションに属する。資料番号はL2015-3438、組合博物館の目録番号は553。木製の輪列、グラスホッパー脱進機、温度補償振子、巻上げ中も機構を動かす維持動力を備え、ジョンが海の経度問題へ取り組む以前、兄弟が陸上で精密な時を保つために何を追求したかを示す作品である。12
「第三」とは、1725~1728年に製作された三台の精密長時計の最後という意味である。海時計のH3ではなく、また、現存する初期木製時計の三番目に当たる1717年のノステルの時計とも異なる。1717年の時計はアンカー脱進機と木製振子棒を持つのに対し、この1728年の時計には製作当初の格子状温度補償振子が残る。名称だけで番号を対応させず、年代、機構、収蔵番号を合わせて識別する必要がある。16
兄弟の協業と製作の背景#
ケースと機械に残る名前#
文字盤上部のアーチには「Barrow, James Harrison」、日付車には「James Harrison 3rd 1728 Barrow」と署名される。一方、ケースの扉に掲げられた均時差表はジョンの筆跡とされる。これらの署名と付属資料は、ジェームズの名を単なる補助者として省略できないことを示している。12
設計と製作の分担については解釈が分かれる。複製を製作したポール・スミスは、2016年の原稿でジェームズを機構の製作者、ジョンを設計者と見る見解を紹介する。別個体を所蔵するClocktimeの解説は、ジェームズがケース、ジョンが機構を担当したとする。署名から個々の部品の担当まで確定することはできず、本作品は兄弟の共同製作として捉えるのが適切である。38
塔時計から室内の基準時計へ#
兄弟は精密長時計に先立ち、1722年頃のブロックルズビー・パークの塔時計で、木材の利用と摩擦の低減を試みていた。スミスの構造史では、その塔時計の双軸型グラスホッパーから、精密長時計群の単軸型へ発展したと説明される。木製時計であること自体より、接触する材料、軸受、脱進機、振子の調整を一つの計時系として設計したことが重要だった。3
第三時計の注文書や注文主は、参照した作品目録には示されていない。スミスはこの個体をジョン自身の精密時計として紹介するが、これは原注文書の存在を意味しない。顧客向けの製品系列として販売数を数えるより、三台の現存作品を通じて実験と改良の過程を読むべき時計群である。23
外観、表示、基本仕様#
黒く仕上げた松材のケースには、金色の花模様が手描きされている。1975年の組合コレクション目録は高さを7フィート4インチとする。現行の所蔵記録が示す木製文字盤は11インチで、銀色の時刻環を備え、秒と月内の日付は開口部から読ませる。黒い外装と明るい時刻環に加え、扉の窓から均時差表を読める点が、この時計の外観と用途を結び付けている。12
| 項目 | 第三時計について確認できる内容 |
|---|---|
| 製作 | 1728年、バロー・アポン・ハンバー、ジョン/ジェームズ・ハリソン |
| 動力と継続時間 | 錘式、八日巻 |
| 付加機能 | 時打ち、秒表示、月内の日付表示 |
| 骨組みと歯車 | オーク材の地板・歯車 |
| 小歯車 | リグナムバイタと真鍮によるローラー式 |
| 脱進機 | グラスホッパー脱進機 |
| 調速部 | 格子状温度補償振子、調整可能な頬板 |
| 巻上げ | 維持動力を装備 |
| 付属資料 | ジョンの手書き均時差表、1752年の改暦に対応する修正あり |
第三時計の仕様は、現行所蔵記録と1975年目録で確認できる範囲を示す。12
摩擦を減らし、振子へ安定して力を渡す#
木材とローラー小歯車#
時計の錘は輪列を回し、脱進機を介して振子へエネルギーを補う。輪列や脱進機の摩擦が変わると、振子へ渡る力も変わるため、振子の長さだけを安定させても時計全体の歩度は一定にならない。1752年にジェームズ・ショートが王立協会へ報告したハリソンの仕事も、温度による長さの変化と、摩擦・油の状態による不規則性を別の問題として扱っている。4
第三時計では、オーク材の地板と歯車に、リグナムバイタと真鍮を組み合わせたローラー小歯車を使う。小歯車は、歯車の歯を受ける細い棒を籠状に配置したランタン型で、その接触部を回転するローラーとする。スミスが説明する精密長時計群では、リグナムバイタのローラーが真鍮線上を回り、真鍮の軸先はリグナムバイタの軸受で支えられる。木を使うのは装飾上の選択だけではなく、接触と潤滑の問題に応える材料選択でもあった。13
同じ構造説明には、脱進輪軸を反摩擦ローラーで受け、脱進機側の軸にはガラスのV溝で受けるナイフエッジを使うことも記される。これはスミスによる時計群の解説であり、第三時計の全部品について現代の分解監査を示した記録とは区別される。低摩擦という目的を共有していても、「木製だから摩擦がない」「永久に整備が要らない」という意味にはならない。3
グラスホッパーと維持動力#
グラスホッパーは、振子の往復運動に従って脱進輪を進め、失われるエネルギーを振子へ返す脱進機である。ショートはハリソン独自のパレットを、摩擦をほとんど生じさせない工夫として説明した。スミスは、精密長時計群の単軸型を、先行する塔時計の双軸型からの発展として位置付ける。温度補償振子と組み合わせることで、長さの安定と駆動の安定を同時に追求している。34
単軸型の複製を製作・試験した技術解説では、その接触の仕方が具体的に説明される。一方のパレットの先端が脱進輪の歯先に保持されている間、その接点は滑らずに力を伝える。もう一方のパレットが次の歯先へ接すると脱進輪がわずかに戻り、先のパレットは保持を解かれて歯から離れる。これを交互に繰り返すため、歯の表面をパレットが長く滑る接触を避けられる。ここでいう低摩擦は接触がないという意味ではなく、接点での滑りを抑えるという意味である。この説明は単軸型の作動原理を補うもので、後期時計の複製に示された歯数や調整値まで第三時計の仕様とするものではない。10
巻上げも精密時計では無視できない。巻いている間に脱進機の駆動が途切れれば、振子の振れ方と時刻の連続性へ影響する。第三時計の維持動力は所蔵記録にも明記される。スミスが解説する時計群では、走り輪列の第三輪に作用する「ボルト・アンド・シャッター」式で、巻上げの間も脱進機を働かせる。これは時打ちの機構や日付送りとは別に、基準時計が時を失わないための装置である。13
温度補償振子と調整可能な頬板#
熱膨張を打ち消す格子#
振子の有効長が温度で変わると、往復に要する時間も変わる。格子状の補償振子は、鋼と真鍮など、熱膨張の異なる材料を組み合わせ、伸びの向きを折り返して錘の位置の変化を相殺する。ショートの説明では、振動の中心と吊点の距離を保つことが目的とされる。単に「熱で伸びない金属」を選ぶのではなく、伸びる部材を組み合わせて全体の変位を小さくする方法である。4
この第三時計で特に重要なのは、現存する三台すべてに格子振子があることと、三台すべてが最初からその仕様だったことは異なる点である。所蔵館は、製作時に格子振子を備えたのは第三時計だけと説明し、本個体の振子を原部品とする。一方、ショートは1752年に、1726年完成の二台にも自身が説明した補償振子が付いていたと記す。これは現存個体の部品調査とは成立時期も目的も異なり、各時計でいつどの構成になったかには史料の解釈が残る。所蔵館による本個体の原存性評価と、同時代に語られた時計群の説明を区別して読む必要がある。14
振幅と吊り方を調整する#
温度補償と並んで、振子を吊るす部分の頬板も重要である。振子の周期は、円弧を振れる場合には振幅の影響を受ける。ショートはホイヘンスのサイクロイド理論を説明した上で、ハリソンが頬板を用いたと報告する。第三時計の所蔵記録も「調整可能なサイクロイド頬板」と表記する。14
ただし、理想的なサイクロイド曲線の理論と、実際の頬板の形状・調整を同一視してはいけない。スミスは、吊りばねの両側に円弧状の頬板があり、連動して開閉し、ばねが頬板と接する範囲を変える構造を説明する。開きの微調整に加え、頬板自体の曲率をねじで変える調整もあり、過度に曲げれば不可逆の変形を招くという。彼はこうした調整範囲を、時計を実験装置として使ったことと結び付けて解釈している。3
頬板と気圧変動の関係には、同じ著者自身が説明の不十分さを指摘している。気圧に伴う空気の作用と、金属の熱膨張を相殺する格子振子の働きは別問題である。したがって本作品を「温度と気圧の誤差を完全に消した時計」と表すことは適切でない。調整可能な機構が残ることこそ、複数の誤差要因を実験的に扱った証拠として読むことができる。3
均時差表がつなぐ太陽と時計#
太陽の見かけの運動に基づく日時計の時刻と、一様な日を想定する平均太陽時は、年間を通じて一定の差にはならない。地球の公転軌道が楕円であることと、自転軸が公転面に対して傾いていることに由来するこの差が均時差であり、日時計と機械時計を照合する際に必要になる。5
第三時計は、均時差をカムや針で自動表示する時計として記録されているわけではない。扉のガラス窓にジョンの手書き表が掲げられ、日付に対応する差を読む構成である。所蔵館と1975年目録は、その表が1752年のグレゴリオ暦への変更に合わせて修正されていると記す。季節と日付の対応を使う表が改暦後も役立つようにされた点に、精密機構と日々の時刻照合とのつながりが見える。12
「月一秒」という評価をどう読むか#
1752年のショートの報告は、ハリソンの精密時計について、1739年に田舎からロンドンのオレンジ・ストリートへ運ばれた後、報告時までのずれが一分を超えず、月に一秒を頼りにできると述べる。同じ箇所には約15度の振れ、約3ポンドの振子錘、時計やケースから独立して壁へ吊るす方法も記される。4
これは価値ある同時代の証言だが、そこに1728年の第三時計を一意に示す署名や現在の収蔵番号はない。直前では1726年完成の二台が説明されており、この性能をそのままNo.553の実測仕様にすることはできない。また、長期間の総偏差と一か月の歩度の安定性は異なる量である。現代の連続測定で求めた日差や標準偏差へ読み替えることもできない。4
複製製作者スミスは、2016年の原稿で1728年個体を動作中に見たことがないと述べ、性能データと伝聞を区別している。この文章が2024年に専門誌へ掲載されたことは、2024年に原機の試験を実施したという意味ではない。複製の製作と調整は構造理解を深めるが、その結果を原機の現在の精度に置き換えることはできない。第三時計は、単一の精度記録だけで評価される作品ではなく、安定した振動を得るための工夫をまとまった形で残す作品である。3
来歴、修復と復元の基準としての役割#
1975年の組合コレクション目録は、ジョンの子孫から王立造幣局のサー・ジョン・バートンへ渡った来歴を記す。さらに1869年にR・ネイピアが購入し、1877年に時計師組合が取得、1966年に動く状態へ整えられたとする。ただし、この短い来歴記載は各移転の契約書や修復部品一覧を収録していない。「1966年に稼働状態へ戻した」という記録を、全機構を新作したとか、逆に一部品も交換していないという意味へ広げることはできない。2
同じコレクションのNo.552は、第三時計とは別の機構である。1975年目録によれば、No.552には近代のアンカー脱進機などが付いていたが、1970~1971年に第三時計を手本としてグラスホッパー、格子振子、時打ち機構を再構成した。現行所蔵記録もNo.552の脱進機、振子、数取り車、ハンマー、鐘が1970年代の追加で、元から残るのは骨組みと輪列だと区別する。第三時計が他個体の復元の基準になったことと、第三時計自体がその時に再構成されたことを混同してはならない。27
時計師組合の博物館は2015年にギルドホールからサイエンス・ミュージアムへ移転した。第三時計の現在の所蔵・展示記録も後者を示す。古い文献にある「ギルドホール」は、その文献当時の展示場所として理解できる。19
年表#
| 年 | 作品とその理解に関わる出来事 |
|---|---|
| 1722年頃 | 兄弟がブロックルズビー・パークの塔時計で低摩擦機構を発展させる。第三時計に先立つ仕事。3 |
| 1725~1728年 | 三台の精密長時計を製作。第三時計はこの系列の最後に当たる。1 |
| 1728年 | 本個体を製作。日付車に年と「3rd」を含むジェームズの署名。製作時の格子振子を備える。1 |
| 1752年 | グレゴリオ暦への変更に対応する均時差表の修正。ショートは同年、時計群の温度補償と性能を王立協会へ報告するが、その時計と本個体の同定は別問題。14 |
| 年不詳~19世紀 | 1975年目録はジョンの子孫からバートンへ渡ったと記す。個々の移転日は示されない。2 |
| 1869年 | 同目録によるR・ネイピアの購入。2 |
| 1877年 | 同目録による時計師組合の取得。2 |
| 1966年 | 同目録によれば、時計を稼働状態へ整える。2 |
| 1970~1971年 | 別個体No.552を、第三時計を手本として再構成。2 |
| 2015年 | 組合博物館がサイエンス・ミュージアムへ移転。9 |
| 2024年 | スミスの2016年原稿を、修復・複製製作者アンドルー・キングの序文とともに専門誌へ掲載。3 |
| 2026年10月 | 所蔵館はNo.553/L2015-3438を時計師組合博物館ギャラリーの展示品として案内している。1 |
作品の意義と分かっている範囲#
第三時計の重要性は、木製輪列の珍しさと高精度の評判だけにあるのではない。摩擦、巻上げ、温度、振幅、時刻を確かめるための均時差表という、異なる問題への応答が同じ作品に残り、後世には別個体の復元を支えた。海時計以前の陸上時計を、単なる前段階ではなく、精密計時そのものを探る実験の場として理解できる。123
一方、完全な製作台帳、各部品の交換履歴、No.553そのものを対象とする現代の長期歩度測定は、ここで挙げた資料からは確定できない。兄弟の細かな分担や頬板による気圧影響の制御にも解釈の幅がある。現存物の確かな構造、当時の性能証言、後世の復元者の経験を区別することで、作品の豊かな内容と証拠の限界を両方保つことができる。
参考文献#
- Science Museum Group, “Longcase clock by James and John Harrison”, L2015-3438/Clockmakers’ Museum No.553。現所蔵者の作品記録。閲覧日:2026年10月26日。
2. Cecil Clutton and George Daniels, Clocks & Watches in the Collection of the Worshipful Company of Clockmakers, 1975, pp.77–80、項目552・553。公開閲覧用転写。製作者署名、仕様、来歴、1966年の稼働復帰、別個体の復元を参照。転写の段組が混在するため項目番号で区別。閲覧日:2026年10月26日。
3. Paul Smith, “Building a Harrison Wooden Longcase”, introduction by Andrew King, Horological Journal, September 2024, pp.363–367。スミス本文は2016年3月原稿。複製製作者・修復者の経験と構造解説。閲覧日:2026年10月26日。
4. James Short, “A Letter … concerning the Inventor of the Contrivance in the Pendulum of a Clock, to prevent the Irregularities of Its Motion by Heat and Cold”, Philosophical Transactions, vol.47, 1752, pp.517–524、1752年11月9日読上げ。特にpp.519–520、524。時計群の同時代報告で、本個体の現代試験報告ではない。閲覧日:2026年10月26日。
5. Royal Museums Greenwich, “Sundials”。視太陽時と平均太陽時、均時差の説明。閲覧日:2026年10月26日。
6. National Trust Collections, “Harrison Clock”, NT 959830.1、1717年。第三精密長時計と異なる初期作品の識別に参照。閲覧日:2026年10月26日。
7. Science Museum Group, “Longcase clock movement by John and James Harrison”, L2015-3436/Clockmakers’ Museum No.552。別個体の原存部と1970年代の追加部品。閲覧日:2026年10月26日。
8. Clocktime, “John Harrison Wooden Regulator”, 特に注14・20。主対象は1725/1726年頃の別個体。兄弟分担の見解を比較するために参照。閲覧日:2026年10月26日。
9. The Worshipful Company of Clockmakers, “Museum & Archive”。所蔵機関による2015年の移転記録。閲覧日:2026年10月26日。
10. glathoppa, “Harrison Single Pivot Grasshopper Escapement”, 2013年10月11日。単軸型を備えた後期精密時計の複製製作・初期試験の紹介。歯先とパレットの交互の保持・離脱を説明する製作者側の技術解説であり、No.553自体の試験報告ではない。閲覧日:2026年10月26日。