Inspiration One(インスピレーション・ワン)は、時計ムーブメントの設計者マチュー・クレゲールが自身の名を冠したCleguer Horologyから発表した手巻き腕時計である。時・分・秒とぜんまいの残量を示す一方、二つのがんぎ車を用いる独自の「Innate脱進機」と、香箱の巻止めを見せる構造に特徴がある。2026年の初回シリーズ「Souscription」はチタンケースの12本で、作品全体はケース素材の異なる小シリーズと一点製作を含め80本を予定する。1 2
構想から初作へ#
クレゲールは他社向けのムーブメント設計に携わる傍ら、自分の時計を長年構想した。本人への取材によれば、自然脱進機に関心を持ち、ムーブメントを20以上の版にわたり設計し、自己起動の方法を模索したという。初期の顧客12人からの予約金は試作と製作の資金となった。外観は時計デザイナーのLee Yuen-Rapatiと協働し、ケースから文字盤、ムーブメントの見せ方まで検討された。1 3
2026年4月1日の発表時、初回12本は割り当て済みで、納品は同年後半の予定とされた。メーカーの計画では、これに続く4種類のケース素材で各12本を作り、残る20ムーブメントを個別注文に用いる。これは発表時の計画であり、全数の完成や引渡しを意味しない。1
表示と造形#
初回のチタンケースは直径38.5 mm、厚さ12 mm。文字盤側には中央秒針、右上に偏心した時分表示、香箱、左下の大きなテンプが重なる。時分表示の小文字盤は金属の窪みに釉薬を入れて焼成するシャンルヴェの七宝で、繰り返し焼いた面を研磨して仕上げる。香箱の縁には残量表示を置き、ブランド名はケース内側に控えめに刻む。2 3
中央秒針から受け、香箱、地板へと高さを変えた構成は、部品をすべて露出するのではなく、一部を隠して奥行きを作る。裏側には輪列、巻上げの爪とラチェット、マルタ十字形の巻止めが見える。地板と受けは洋銀製で、メーカーはシャンパン色とロジウム色の仕上げを挙げる。文字盤の七宝はBlandenier、部品加工はChristophe Beuchatら、仕上げはMajku Gafurrなど、複数の専門家が参加した。1 2
動力と脱進機#
手巻きキャリバーI1の公称持続時間は36時間、テンプは毎時18,000振動(2.5 Hz)、31石である。メーカーによるテンプ径は12.9 mm。緩急針を使わないフリースプラングのテンプと、末端を立体的に曲げたヒゲゼンマイを組み合わせる。2 4
ぜんまいは香箱に蓄えられ、輪列を通じて脱進機を動かす。マルタ十字形の巻止めは、巻き上げ過ぎとほどけ切る部分を避け、使用できる範囲を制限する。メーカーはこの制限によって駆動トルクの変動を抑える意図を説明するが、それ自体は実際の歩度精度を保証する測定結果ではない。1 4
巻止めはラチェットの上に置かれる。実機を調べたSJXの説明では、巻上げ時にラチェット側の十字車が香箱につながる指部の周りを回り、定められた位置で回転が止まる。残量表示には巻上げ機構の層の間に収めた差動機構を使う。リューズを引くと隠れたレバーがテンプに触れて秒を止め、時刻合わせを助ける。4
Innate脱進機の動作#
ブレゲの自然脱進機は二つのがんぎ車を用い、両方向に振れるテンプへ直接力を与える方式として知られる。Inspiration Oneは二つのがんぎ車という発想を受け継ぎつつ、力をテンプへ直接ではなく中央のレバーを介して伝える。メーカーはファゾルド脱進機の接線方向の衝撃にも着想を得たと説明する。SJXは、この間接的な伝達のため厳密には自然脱進機そのものには分類しない。2 4
二つのがんぎ車は歯車で連結され、一方に輪列から力が伝わる。テンプが戻ると振り石がレバーを動かして停止中のがんぎ車を解放し、その車の別の歯がレバーの衝撃面を押す。レバーはその力をテンプへ伝え、反対側で次の停止が起こる。往復で両車が交互に働く。停止とその直後の衝撃を同じ車が担う点も設計上の特徴である。3 4
この構造は、止まった状態から巻き上げると自ら振動を始めることを狙っている。メーカーは自己起動をうたい、SJXは形状からその説明に合理性があると評価する一方、重い連結車やレバーの慣性が効率に及ぼす影響を指摘した。長期使用時の歩度や耐久性は、構造の説明だけでは定量的に判断できない。2 4
年表と位置づけ#
- 2017年:メーカーによれば、Yuen-Rapatiが設計協力に参加。1
- 2026年4月:初回Souscriptionを発表。12本は割り当て済みで、同年後半の引渡しを予定。1
- 2026年5月:SJXが試作機の構造と脱進機を実機に基づいて解説。4
Inspiration Oneは、単純な時刻表示の時計に、歴史的な脱進機の着想と現代の部品製作、独立した工房の協働を組み合わせた作品である。公表された機構は精度を目指す設計思想を示すが、実用上の性能は設計意図と区別して見る必要がある。
参考文献#
[1] Cleguer Horology, “Cleguer Horology Debuts the Inspiration One Souscription”, 2026年4月1日、プレス資料1–2頁。https://cleguer.com/en-gb/press/download/press-release-pdf(2026年11月4日閲覧)
[2] Cleguer Horology, “Inspiration One”, 製品説明・仕様・製作計画。https://cleguer.com/en-gb/inspiration-one(2026年11月4日閲覧)
[3] Cheryl Chia, “Mathieu Cleguer Makes His Debut with the Inspiration One Souscription”, Revolution, 2026年4月1日。https://revolutionwatch.com/mathieu-cleguer-makes-his-debut-with-the-inspiration-one-souscription/(2026年11月4日閲覧)
[4] David Ichim, “Hands-On: Cleguer Horology Inspiration One”, SJX Watches, 2026年5月1日。https://watchesbysjx.com/2026/05/cleguer-inspiration-one-review.html(2026年11月4日閲覧)