ブレゲ No.160「マリー・アントワネット」

ブレゲ No.160「マリー・アントワネット」

どのような時計か#

ブレゲNo.160は、自動巻き、分まで音で知らせるリピーター、永久カレンダー、太陽の時刻と時計の時刻の差を示す均時差表示などを、一つの懐中時計へ組み込んだ作品である。金色の機構を透明な水晶の文字盤越しに見せる姿と、「マリー・アントワネット」の名で知られる。原作はエルサレムのイスラム美術館が所蔵し、現代のブレゲが製作したNo.1160は別の時計である。専門解説では、原作の寸法は直径63mm、厚さ約26mmと紹介される。12127

製作は一般に1783年から1827年とされる。ただし、44年間同じ仕様を作り続けたと考えると、工房の実像を捉えにくい。製作台帳には、輪列、暦機構、脱進機、石の加工、調整、ケースや水晶の仕上げを異なる職人が担当し、長い年月にわたり手を加えた記録が残る。ブレゲ父子の名を冠すると同時に、専門職人の分業と技術の蓄積を示す時計である。23

透明な文字盤を通して歯車や複数の表示が見える、ブレゲNo.160の正面

図1:エルサレムで撮影されたブレゲNo.160「マリー・アントワネット」(2018年)。写真:Michael.vainshtein(Michael Vainshtein)。出典:Wikimedia Commons。ライセンス:CC BY-SA 4.0(掲載画像にも適用)。変更:縮小のみ(トリミング・色調変更なし)。

王妃の名と発注の伝承#

時計の記録と、後世の物語#

広く伝わる物語では、1783年、王妃の衛兵隊に属する匿名の人物が、費用にも製作期間にも上限を設けず、可能なあらゆる機構を盛り込む時計を依頼した。真鍮を使う箇所はできるだけ金に置き換えるという条件も語られる。しかし、工房の歴史を研究するエマニュエル・ブレゲは、この話を19世紀末に初めて書き留められた口承として紹介している。発注者や受取人の特定と、現物の優れた機構は別の問題として扱う必要がある。24

1887年10月24日付の説明書は、「女王マリー・アントワネットの衛兵の士官」による注文と記す。一方、その見出しは自動巻きを意味する「モントル・ペルペチュエル」であり、製造・販売台帳では「金の時計」などの呼称が使われている。この説明書は注文から約一世紀後の記述で、1783年の注文書そのものではない。フェルセン伯爵を発注者とする説もあるが、その人物がNo.160を注文したと確定できる史料は示されていない。345

所有者となったサー・デヴィッド・リオネル・サロモンズは、1921年の著書で、1917年5月3日にロンドンの店の窓でこの時計を見つけ、「Marie Antoinette」と書いた札に目を留めたと回想する。彼は価格を交渉し、翌朝に購入した。同書の作品解説も「マリー・アントワネットとして知られる時計」という表題である。これは通称が流通していたことの直接の証言だが、王妃が実際に所有したことの証明ではない。1

王妃がブレゲの顧客だったことまで、この不確実性と一緒に否定する必要はない。例えばサロモンズの目録には、No.179が1792年9月4日に王妃へ960フランで売られたとする証明書が収録されている。No.179と、王妃が完成品を見ることのなかったNo.160を混同しないことが、来歴を理解する出発点になる。1

完成年の読み方#

現在のブレゲ社と所蔵館の作品解説は1827年の完成を採る。ブレゲ社の説明では、アブラアン=ルイ・ブレゲが1823年に亡くなった後、息子アントワーヌ=ルイの指揮下で仕上げられた。27

これに対し、1887年の説明書や、それを収録したサロモンズの著書には「1802年頃完成」とある。後年の台帳転写には1810年代の脱進機・テンプ・石・調整の仕事、さらに1827年の部品供給や仕上げが記されるため、1802年だけを最終状態の完成年とするのは難しい。所蔵館の音声案内では製作年代を「1783–1820」と表す例もある。初期の組立、後の改良、展示の準備が重なる作品であり、資料の年の違いを隠して一つの日時へまとめるべきではない。138

製作を担った工房と職人#

長い中断と、記録に残る仕事#

フランス革命は顧客層と工房の活動に大きな影響を与えた。ブレゲ自身のスイスへの退避は1793年で、1789年の革命勃発とは区別される。1795年にパリへ戻ったが、No.160の再開をその年に一括してしまうと、その後の作業経過が見えなくなる。製造台帳には1809年末以降の具体的な仕事がまとまって現れる。35

台帳の転写からは、次のような分担が読める。ここでの金額や日数は、転写された工房の支出・作業の記録であり、時計の販売価格や現在の価値ではない。3

記録上の担当・時期記載される仕事時計の理解に役立つ点
Prudhomme金の輪列歯車系の製作が独立した仕事として計上される
Amiel、Lallemand文字盤下の機構、均時差など時刻以外の表示を担う専門作業がある
Henry Jacobルビーを用いた脱進機早い段階の脱進機に別の担当者がいる
Oudin巻上げ機構自動巻きも分業の一部分である
Courtin、1810年以降テンプとその後の作業調速部に継続して手が加えられる
Hooker、1811年以降穴石の加工・取付け宝石の利用には成形と組付けの技術が伴う
Merceron、1811年11月8日脱進機と関連作業脱進機が後の製作段階でも重要な作業対象になる
Weber、1812〜1814年284日半、228日半、212日の作業各機構を一つの時計へ仕上げる仕事の規模が分かる
Kesselsほか、1817年以降調整・部品への作業1814年で全てが終わったわけではない
1827年鎖、歯車、水晶の再研磨、文字盤の塗装、展示台など最終段階にも機械・外装・展示の複数の仕事がある

1812〜1814年のWeberの記載は合計725日となる。これはエマニュエル・ブレゲの解説とも整合し、「725時間」とする一部の現代記事とは単位が異なる。また転写の総額17,070フラン、1887年説明書の30,000フラン、1887年の売却額600ポンドは、成立時期と指す金額の性格が異なる。単純に同一の「製作費」として並べると誤解を招く。235

後から加わった技術#

No.160の価値は、多くの機能があることに加え、製作期間中の変化を同じ機械の中に残す点にある。台帳には初期のJacobの脱進機と、1811年のMerceronによる脱進機作業の両方がある。どの部品をいつ置換したかの解釈には研究間の違いがあるが、完成状態の全仕様が1783年に固定されていたとする説明は、こうした作業記録を十分に表さない。35

現在見える姿から、初期の外装や構造をそのまま復元できるわけでもない。台帳転写には1810年代の水晶の調達、1827年の二枚の水晶の再研磨、同年10月の水晶文字盤への塗装が現れる。現存する透明文字盤を、製作開始時から一切変わらない意匠と決めつけず、外観も完成へ向かう仕事の一部として読むことができる。3

自動巻きと動力の管理#

錘が動いてゼンマイを巻く#

当時の語で「ペルペチュエル」と呼ばれるのは、携帯中の動きを巻上げに利用する自動巻き時計である。「永久」を連想させる名称でも、エネルギーなしに動き続ける永久機関ではない。No.160では白金の巻上げ錘が使われ、サロモンズの観察記録は二つの香箱も明記する。香箱は動力ゼンマイを収める容器で、錘から受け取った運動をゼンマイのエネルギーとして蓄える。12

サロモンズが記す巻上げ管理は具体的である。香箱の軸の上部にねじが切られ、そこを小部品が上下する。一方は巻上げが限度に達するとレバーを動かして錘を止め、過巻きを防ぐ。もう一方は文字盤の針を動かし、どの程度巻かれたかを時間で表示する。残量表示と巻上げ停止は、ゼンマイの状態を機械的な位置へ変換して利用する、関連した二つの機能なのである。1

文字盤は巻上げの状態を48時間の目盛りで示す。ロンドン科学博物館も、この表示をパワーリザーブ、つまり蓄えられた動力の残りとして紹介している。利用者は時刻とともに、次の巻上げが近いかどうかを読み取れる。6

錘には利用者が停止できる操作子もある。サロモンズの記述では「Masse」のつまみを動かすと錘が固定され、激しい運動の際に使うとされる。さらに巻上げ錘の受け止めばねの先端や錘側にサファイアのローラーがある。高密度の錘を設けるだけでなく、その運動を受け止め、不要なときには止めるところまで含めて設計されている。1

操作を分けるケース内周#

No.160は、現代の腕時計のように一つのリューズで全てを操作する構成ではない。サロモンズは、時刻合わせの角穴、錘の停止、テンプの停止、独立秒の操作、暦の修正、リピーターの速度調整を、ケース内周に沿って記録している。1887年の説明書も各機能を刻印した小さな操作子があると記す。13

表記・部位記録上の役割
VIIとVIIIの間の角穴時刻合わせ
Masse自動巻き錘の固定・解除
Balanceテンプを止める・動かす
Secondes独立秒針の操作
Mois、J De Mois日付針の戻し・日ごとの前進など暦の修正
L、Vリピーターの打つ速さの調整

サロモンズは時刻合わせがリピーターに影響する時間帯も示している。独立して操作できる部分がある一方で、時刻表示と打鐘のように連動する部分もある。表示の数だけでなく、それぞれをどう設定し、連係させるかが、多機能な時計の構成を知る手がかりになる。1

時刻を刻む部分と二つの秒表示#

脱進機、金のヒゲゼンマイ、温度補償#

脱進機は、ゼンマイからの力を調速機へ少しずつ渡し、その往復に合わせて輪列を進める部分である。サロモンズは、二片のサファイアからなる特異なレバー脱進機を記録している。No.160の完成状態について、1887年説明書は自由レバー型の脱進機と補償テンプ、金のヒゲゼンマイを挙げる。サロモンズはヒゲゼンマイを「縦型の金の螺旋」と観察し、平面に渦巻く通常のヒゲとは異なる立体的な形を記録した。13

ヒゲゼンマイはテンプが回転するときの復元力を生む。温度によってばねの性質とテンプの寸法が変われば、往復の周期も変わる。補償テンプは質量の分布を変えることで温度による歩度変化を打ち消そうとするものである。サロモンズは機械を開いた際に、テンプの調整ねじへ到達するための穴があることも記す。温度補償と調整機構、金製の立体ヒゲという複数の工夫が、調速部を構成している。1

1887年の説明書は、テンプ軸の円錐状の軸端をサファイアの受けで支持し、二重の弾性支持で落下時の軸端を保護すると記す。これが二重パラシュートと呼ばれる耐震構成である。宝石を硬い受けとして使うことと、受けの支持に弾性を与えることは異なる役割であり、単に「宝石があるから衝撃に強い」という説明では足りない。3

時針の跳躍と独立秒#

時針は時ごとに跳ぶが、サロモンズによれば正時の5分前に半分だけ進む挙動もある。したがって、正時にだけ瞬時に移る一般的なジャンピングアワーの説明を、そのまま当てはめることはできない。同じ記録は、毎正時前後の一定の時間帯を除き、時針を時間単位で動かしてもリピーターの仕組みを乱さないと述べる。1

秒表示は、小さい秒針と、必要に応じて独立に扱える大きい秒針に分かれる。独立秒は通常の時刻表示を保ちながら秒針を停止・再始動するためのもので、後世の経過時間計測を考える上でも重要だが、現代のゼロ復帰付きクロノグラフと同じ機能一式を備えると考えてはいけない。13

サロモンズは、独立秒用の車を紙のように薄く、製作が特に難しい部品と記す。また、それを動かす星形の車が二枚になっており、歯先どうしが突き当たって止まるのを避けるために、二枚の位置をわずかにずらせると説明する。独立に停止できることと、秒針が一秒ずつ進む「秒飛び」は、異なる性質である。1887年説明書は大きい独立秒と小さい連続秒を区別し、製造台帳はsecondes d’un coupという語も使う。薄い部品の成形と、接触の具合を調整する工夫が、こうした秒の表示を支えていた。13

暦、太陽の時刻、温度を読む#

永久カレンダー#

No.160には曜日、日付、月を示す永久カレンダーがある。単に31日ごとに同じ運動を繰り返す日付表示に比べ、月の長さや閏年を扱う仕組みが必要になる。表示を駆動する機械と、利用者が暦を正しい位置へ合わせる機械は区別され、サロモンズは小秒針の文字盤内の角穴で曜日・月を合わせること、月車上のばねの端に位置確認の印があることを記す。その印はエナメル盤を付けると見えなくなる。1

「永久」という言葉は、止めた後の再設定や、あらゆる暦の例外まで不要にする意味ではない。No.160の暦についてRoobaertは、月末に日付針を後退させる特有の構成を解説する。単に31日の数字を円周に並べるだけでは、月の長さの違いを吸収できない。表示の送りと戻りを組み合わせる機械として捉えると、永久カレンダーの仕事が分かる。14

均時差#

均時差は、日時計が示す視太陽時と、一様に進む平均太陽時の差である。地球の公転軌道の形と地軸の傾きにより、一年の間で差が変わる。時計の進み遅れを測る表示ではなく、異なる二つの時刻の関係を示す表示だ。No.160では暦とともにこの差を示す機能が記録され、工房の台帳には均時差の針に関する仕事も残る。13

太陽の時刻を知ることは、機械式時計の表示と自然の観測を結び付ける。反対に、目盛りがあるというだけで天文時計としての実測精度や、海上での経度測定性能を与えるわけではない。No.160の多数の機能は、異なる量を一つの時計上で読めるようにする点に意味がある。

金属製温度計#

温度計は金属の熱による変形を表示に利用する。ロンドン科学博物館は二金属式と説明している。同じ温度変化でも、調速部では歩度への影響を減らし、温度計では変形を積極的に読み取る。熱を「補償する」装置と「測る」装置が、一つの時計に同居しているのである。6

温度の目盛り、均時差、巻上げ状態が並ぶため、外見上は似た扇形の表示でも、読み取っている対象は異なる。透明な文字盤は機械を見せるだけでなく、複数の情報と内部の構造を同じ視野に置く働きをしている。1

音で時刻を知らせるリピーター#

No.160は、ペンダント部の押し子でリピーターを作動させる。1887年の説明書によれば、時と四半時はケースを打つ「à toc」、分はゴングに打つ方式である。今日よく見る二つのゴングの高低音による説明を、原作の構造として一律に当てはめることはできない。3

分を知らせる際は、直前の時、過ぎた15分のまとまり、その後の分を組み合わせる。例えば10時53分なら、10時間、15分を3回、その後の8分という情報になる。53回の分打ちを聞くよりも短いまとまりで時刻を表せる。科学博物館もこの例でNo.160の報時を解説している。6

打鐘速度を遅く・速くする操作子も記録される。重要なのは、音が出ることに加えて、針が示す時刻と打数が対応し、聞き取り可能な速さで順序が伝わることである。ケースとゴングという異なる打撃先に、聞き分けるための役割がある。音を鳴らす機構と、知らせる時刻を選び出す機構が組み合わさり、文字盤を見ることなく時刻を受け取れる。13

材料、仕上げ、透明な外観#

金は外装だけでなく、地板、受け、歯車など、通常は真鍮を使う部分にも採用された。サロモンズは「鋼を必要とする部分以外は金」と記し、巻上げ錘は白金とする。全ての部品を金で作ったという意味ではなく、ばねや軸など、機能上異なる材料を必要とする部位がある。13

1887年説明書では、輪列の軸受にルビーやサファイアを用い、脱進機や自動巻きの摩擦部分もサファイアを備える。これは摩擦や摩耗を小さくするための構成として理解できるが、宝石を入れるだけで潤滑が不要になるわけではない。また、「全ての摩擦部分」という当時の説明は、歯のかみ合いや全ての接触面が宝石であるという意味へ広げず、説明書が列挙する軸受・脱進機・錘の部位に沿って読むべきである。13

ケースの両面と文字盤にはロッククリスタル、すなわち水晶が使われる。金の部品、針、表示目盛りと、その下で働く車やレバーを同時に見せる構成が作品の特徴だ。1838年の修理記録の転写は、平滑な金のケース、水晶の裏、水晶盤に白で描かれたローマ数字を記す。確認済み写真でもこの透明盤とローマ数字が見える。13

交換用の文字盤も資料に現れる。サロモンズは白エナメル盤を挙げ、透明盤では見える月車の位置確認の印が、エナメル盤では隠れると記す。外観を変えることが、内部の見え方や調整箇所の見え方も変える具体例である。文字盤の違いを、根拠なくそれぞれ王妃の好みや注文時の意図に結び付ける必要はない。1

精密加工についても、実際の記録から読める範囲は豊かである。穴石の加工と再取付け、脱進機の石の手直し、ねじの供給、受け用の金の調達、水晶の研磨などが別々に計上される。No.160を一人の時計師が全ての部品を同時に完成させた作品と見るより、材料と専門技能を集め、個々の部位を合わせていく工程として捉える方が、残る記録に即している。3

所有、盗難、回収と展示#

19世紀の所在とサロモンズの収集#

完成後の来歴には空白がある。エマニュエル・ブレゲは、1833年の工房の棚卸しにNo.160がなく、1827年から1833年の間に一度工房を離れた可能性を指摘する。しかし販売の記録はなく、その時の買い手や金額は不明である。2

1838年の修理記録には、プロヴァンの「ラ・グロワ侯爵」などと読まれる人物の時計としてNo.160が現れる。ところが、同名として挙げられる侯爵は1837年に死亡しており、本人が翌年持参したという物語には問題がある。記録があることと、身元・所有権・持参者が全て確定することは違う。侯爵へ一度販売したと断定したり、修理が成功した証拠にしたりすることはできない。23

1855年のパリ万国博覧会でも、この複雑時計は人目を引いた。Roobaertが引用する同年の時計師ルイ=アンドレ・ボルセンドルフの報告は、自動巻き、均時差、レバー脱進機などとともに、30,000フランという提示額に驚きを示している。1862年ロンドン万国博覧会の審査報告でも、フロドシャムは複雑さの中の秩序を評価した。これらは、20世紀の王妃の名声とは別に、機械としての評価を伝える記録である。13

同じ工房のNo.92「プラスラン公爵」の時計も比較に役立つ。サロモンズの目録では、独立秒、リピーター、永久暦、均時差、温度計に加え、裏側に月相などを示す。多機能時計という点で近い作品でも、表示や操作、構成は個別に異なる。No.160の独自性は単に機能名を数えるより、自動巻きと各表示の統合、金や宝石の使い方、長い改良の履歴から捉えることができる。1

1887年にはスペンサー・ブラントンが600ポンドで購入する。サロモンズは、ブラントンの死後にその弟へ渡り、後に自分のコレクションへ入ったと記す。科学博物館の来歴説明は、その間に美術商マレー・マークス、1904年にルイ・デスウターを挙げる。1904年はサロモンズの購入年ではなく、彼自身の購入回想は1917年5月である。16

1921年の著書には、No.160の透明文字盤側と裏側の写真、技術解説、操作の説明が収められた。サロモンズは1923年のブレゲ没後百年の展覧会にも多数の作品を貸し出し、No.160は収集・研究・展示を通して知られるようになった。12

エルサレムでの公開と盗難#

サロモンズの死後、娘ヴェラ・ブライス・サロモンズが時計を継承し、彼女が設立したエルサレムのイスラム美術館へコレクションが収められた。同館は1974年に開館した。欧州の時計がイスラム美術の館にある背景には、ヴェラの美術館設立と父の時計収集という二つの活動がある。26

1983年4月16日の夜に盗難が起こり、翌17日の朝に106点の時計が消えたことが判明した。No.160もその中に含まれた。同館の事件説明によれば、2006年8月、盗品を見たという美術商の連絡に続いて弁護士から接触があり、交渉の後にNo.160を含む39点が戻った。回収の経緯は2007年に広く報じられた。発見の端緒、返還、事件が公になった時点を一つの「発見日」に縮めると、資料ごとの年の違いを見落とす。29

犯人は後にナーマン・ディラーと判明した。同館の説明は、各地の保管庫に隠されていた時計の回収と、損傷や分解のあったコレクションの修復を記す。時計師ボリス・サンコフらによる修復の後、時計展示室は2009年7月に再公開された。ただし、このコレクション全体の修復記録だけから、No.160自身のどの部品が交換されたかを決めることはできない。9

ロンドンへの貸出#

No.160は2024年12月12日から2025年4月21日まで、ロンドン科学博物館の特別展「Versailles: Science and Splendour」で展示された。所蔵元はイスラム美術館であり、貸出先の展示歴と恒久的な所蔵先を区別する必要がある。展覧会では、宮廷の科学、技術、王権の関係を示す資料の一つとして紹介された。610

再製作されたNo.1160#

原作が行方不明だった2000年代、ニコラス・G・ハイエックの発案で、残る写真、図面、文書をもとに再製作が進められた。開始は資料により2004年または2005年とされる。No.1160として2008年に公表された時計は、原作の修復品ではなく、新たに製作した別個体である。2611

メーカーの再製作発表は、823の部品、48時間の巻上げ状態表示、自動巻き、永久カレンダー、均時差、温度計、独立秒、二重パラシュートなどを詳述する。所蔵館は原作にも823点という部品数を挙げる。再製作により、古い機構の組合せが、現代の時計師が再び製作・調整する対象となった。711

再製作では、古い工具や技法も研究され、輪列の木を使った研磨などが行われたとブレゲ社は説明する。完成品はプティ・トリアノンにあった王妃ゆかりの樫を使う箱に収められた。古い時計の機構だけでなく、歴史的な素材と技術の再解釈を見せる事業でもあった。2

年表#

年月No.160とその周辺の出来事
1775年アブラアン=ルイ・ブレゲがパリで開業。No.160を生む工房の出発点となる。2
1783年通常、No.160の製作の起点とされる年。王妃の衛兵による注文の詳細は後世の伝承として扱う。23
1789年フランス革命が始まる。製作の中断を語る伝承と、後年の工房記録を区別する。13
1792年9月王妃へ別の時計No.179が販売されたとする証明書が残る。1
1793年ブレゲがスイスへ退避。王妃は10月16日に処刑される。45
1795年ブレゲがパリへ戻る。3
1802年頃1887年説明書が完成年として記す時期。後の具体的な製作記録とは区別する。13
1809年12月以降Weberらへの支払と作業記録が続く。3
1810年Courtinのテンプ作業、水晶やケースに関する仕事が記録される。3
1811年Hookerらの穴石作業、Merceronの脱進機作業が記録される。3
1812〜1814年Weberの作業は各284日半、228日半、212日と計上される。23
1817〜1822年Kesselsらの作業、脱進機やテンプの手直しが続く。3
1823年父ブレゲが死去。息子アントワーヌ=ルイが事業と製作を引き継ぐ。2
1827年一般に採用される完成年。部品供給、水晶の再研磨、文字盤塗装、展示台の記録が残る。23
1838年3月ラ・グロワ侯爵等と記される人物の名で修理受付。既知の侯爵の死亡年との不整合がある。23
1855年パリ万国博覧会で複雑時計として紹介され、30,000フランの提示額も記録される。13
1862年ロンドン万国博覧会で、フロドシャムらの審査対象となる。13
1887年スペンサー・ブラントンへ600ポンドで売却。10月24日付説明書が作られる。13
1901〜1904年ブラントン家から美術商を経てデスウターへ至る来歴が伝えられる。16
1917年5月サロモンズがロンドンで発見・購入。本人は3日に店頭で見て、翌朝購入したと回想する。1
1921年サロモンズが『Breguet (1747–1823)』を刊行。No.160の観察記録と写真を掲載。1
1923年ブレゲ没後百年の展覧会にサロモンズの収集品が出品される。2
1925年サロモンズ死去。娘ヴェラがNo.160を継承する。2
1974年ヴェラの設立したイスラム美術館が開館。父の時計コレクションも収められる。26
1983年4月16日夜の盗難でNo.160を含む時計が持ち去られ、17日朝に発覚。29
2004〜2005年資料に基づく再製作計画が始まる。26
2006年8月以降美術商・弁護士からの連絡が回収の端緒となる。9
2007年原作の回収が公に報じられる。2
2008年別個体No.1160が公表される。11
2009年7月イスラム美術館の時計展示室が再公開される。9
2024年12月〜2025年4月ロンドン科学博物館へ貸し出され、ヴェルサイユの科学を扱う特別展で展示。610
2026年製作の変遷と発注伝承を分ける研究が引き続き公表される。5

作品を見るための要点#

No.160は、王妃にまつわる物語だけで価値を説明する必要のない作品である。錘から蓄えたエネルギーを使い、時刻を刻み、複数の量を表示し、必要に応じて音で知らせる。それを透明な盤の下へ収めた具体的な構成に加え、長い製作と専門職人の仕事を記録から追えることが、この時計を技術史の資料としても重要にしている。13

一方、匿名の発注者、初期の仕様、1830年代の所有者、部品交換の全履歴には不確実性が残る。後世の説明書、所有者の観察、現物を管理する館の解説、メーカーの歴史研究は、それぞれ異なる時点と立場から書かれている。原作と再製作を分け、伝承と記録の距離を保つことで、多機能な機械としての豊かさと、歴史資料としての限界の両方を見ることができる。

参考文献#

閲覧日はすべて2026年10月18日。工房台帳・説明書は公刊資料に収録された転写を参照し、保管原本そのものの閲覧とは区別する。

  1. David Lionel Salomons, Breguet (1747–1823), London, 1921。公開原本。pp.4(1917年の購入)、46–48(No.160の証明書・観察・操作)、48–49(No.92)、51(No.179)、図版pp.174–175。所有者による観察と、同書に収録された過去の証明書。

  2. Emmanuel Breguet, The “Marie-Antoinette” watch No.160, Quai de l’Horloge, no.10。工房側の歴史研究。口承の成立、製作日数、1830年代の来歴、再製作。

  3. Breguet工房の製造・販売台帳、1838〜1839年修理記録、Edward Brown署名1887年10月24日説明書、1893年証明書。Bernard Roobaert, The Breguet Grande Complication No.160 “Montre d’Or”, version 1.4, 2021, Appendices I–IV, pp.54–59に転写。製作と操作の同時代記録。

  4. Bernard Roobaert, 同上、pp.6–11(呼称・発注伝承)、32–42(技術項目)。呼称と技術に関する研究。

  5. Carlos Torres, In Depth: Breguet No.160 Montre d’Or, SJX Watches, 2026年3月23日。製作中の変化に関する研究紹介。製作過程の技術的変化を論じる。

  6. Jane Desborough, Fit for a Queen: Famous Marie Antoinette Breguet watch will travel to London for new exhibition, Science Museum, 2024年11月19日。貸出作品の表示、報時、来歴、展示。貸出館の学芸員による解説。

  7. Museum for Islamic Art, The Marie Antoinette Clock。所蔵作品の現行紹介。所蔵作品の同定と部品数。

  8. Museum for Islamic Art, Audio Guide。No.160を1783–1820とする年代表記。

  9. Museum for Islamic Art, The Great Clock Robbery。盗難の発覚、2006年の接触、回収、時計展示室の2009年再公開。

  10. Château de Versailles, Versailles: Science and Splendour。2024年12月12日〜2025年4月21日の会期と企画。

  11. Montres Breguet, Presentation of the “Marie-Antoinette” watch in a re-edition version, 2008年。再製作No.1160の発表と仕様。

  12. Breguet Blog, No.160, 2018年。George Daniels, The Art of Breguet, p.162の仕様記述を引用する解説。直径63mm・厚さ約26mm。

  13. Louis-André Borsendorff, Un coup de loupe à l’Exposition universelle de 1855, BnF所蔵原本、Charles Frodsham, Reports by the Juries, International Exhibition of London 1862, 1863。Roobaert前掲pp.8–9に引用された同時代の展示評を参照。