音で時を伝える腕時計#
パテック フィリップのRef.6301P-001は、2020年11月に発表された、グランドソヌリ、プチソヌリ、ミニッツリピーターを備える手巻き腕時計である。時刻を自動で鳴らす機構と、求めに応じて時・15分・分を鳴らす機構を、三つのゴングに組み合わせた。単一の記念品ではなく、通常コレクションに加わったモデル系列である。12
同社初のグランドソヌリ腕時計そのものではない。先行する2014年のGrandmaster Chime Ref.5175は、両面表示と多数の複雑機構をもっていた。6301Pの位置づけは、そこから自鳴機構を中心に据え、時・分・秒と二つの動力残量表示を一つの文字盤へ整理した点にある。134
開発の系譜#
Grandmaster Chimeからの展開#
開発責任者Philip Baratは、2020年の発表時の説明で、2007年のGrandmaster Chime開発段階から、後にグランドソヌリの系列をつくる構想があったと述べた。6301PはRef.6300から機構を減らすだけの仕事ではなく、元の両面時計にはなかった6時位置の秒表示を、厚さを増やさずに配置することが課題になったという。二人のムーブメント技術者に加え、時計師、試験室、品質管理、工具・組込み担当が関与したとの当事者証言である。5
採用したGS 36-750 PS IRMは、Grandmaster Chimeのcalibre 300から派生したムーブメントである。現在のメーカー資料では、前者は703部品・厚さ7.5mm、後者は1,366部品・厚さ10.7mmとされ、直径はいずれも37mmである。共通の系譜を持ちながら、機能と厚さを組み替えた設計と読める。3
秒表示を加える意味#
小秒針は連続して滑るのではなく、一秒ごとに跳ぶ。Baratは、2014年のRef.5275 Chiming Jump Hourの機構を応用し、基本ムーブメントと同じ高さへ組み込んだと説明する。これは時・分まで跳ぶ5275の表示をそのまま移したことを意味しない。6301Pの中央時分針は通常の時刻表示を担い、ジャンピング機構は6時位置の秒針に使われる。5
二系統の動力と自鳴#
自鳴時計では、音を鳴らすたびにハンマーを持ち上げ、ゴングへ衝突させるエネルギーが必要になる。6301Pは、時刻を進める輪列と打鐘機構に、それぞれ直列接続の二香箱を割り当てる。合計四本の主ぜんまいを二組として使い、時刻側72時間、打鐘側24時間の持続時間を得る構成である。二つの持続時間は別々に文字盤へ表示される。4
りゅうずを押し込んだ位置で、一方の回転方向が時刻側、反対方向が打鐘側を巻く。発表資料は四本のぜんまいに過巻きを避ける滑り機構を設けたと説明する。ただし、打鐘側の24時間は自鳴を所定の条件で動かす値で、リピーターを頻繁に作動させても同じ持続時間を保つという保証ではない。16
三つのゴングは低音・中音・高音に調整され、それぞれをハンマーで打つ。音の速度を整える遠心式ガバナーは、音を次々に鳴らす輪列の進みを制御する。時刻側のテンプと脱進機は時計の歩みを決めるため、両者の「調速」を同一の働きと考えるべきではない。1
三つのモードと打音の読み方#
6時側のケース側面に、プチソヌリ、グランドソヌリ、サイレントを選ぶスライドがある。中央がグランド、9時寄りがプチ、3時寄りがサイレントである。6
| モード | 正時 | 15分・30分・45分 |
|---|---|---|
| グランドソヌリ | 時の数を低音で打つ | 時の数を再び打ってから、経過した15分単位を鳴らす |
| プチソヌリ | 時の数を低音で打つ | 時の打ち直しを省き、15分単位だけを鳴らす |
| サイレント | 自動打鐘なし | 自動打鐘なし。リピーターは要求時に使用できる |
この表は6301の英仏取扱説明書に基づく。プチソヌリを「正時だけ」とする現物レビューもあるが、説明書は各クォーターで時数を繰り返さず、クォーター数を鳴らすと明記する。名称だけで他社・他機種の動作を当てはめず、機種の説明書を基準にする必要がある。26
15分単位は、高音→低音→中音の三打で一組となる。15分に一組、30分に二組、45分に三組である。例えばグランドソヌリで3時30分を迎えると、低音三打で「3時」、続いて三音の組を二回で「30分」を伝える。これは音階を使うが、五つのゴングで鳴らすウェストミンスターの旋律と同一ではない。16
りゅうず内の押しボタンで起動するミニッツリピーターは、時数、15分単位、その後の端数分という順で鳴らす。12時59分なら低音12打、三音の組を三回、最後に高音14打で計35打となる。サイレントは自鳴を止めるモードであり、この要求時の報時まで使用不能にするものではない。6
二つの打鐘特許#
サイレント時の切離し#
CH704950B1は、単に打鐘の開始を阻止するだけでなく、時刻輪列から打鐘を起動する部材の運動を切り離す構成を示す。従来型では、鳴らさない状態でも15分ごとに起動側の部材が動き、摩耗とエネルギー損失の要因になり得た。提案された機構では、サイレントを選ぶと起動部材が時刻側から作用を受けないようにする。7
発明者としてLudovic PunziとCedric Fague、出願人としてPatek Philippeが記録され、出願日は2008年2月26日である。2020年の発表資料がこの特許を6301Pに関連づけるため、発売時に突然生まれた機構ではなく、先行する開発を継承したものと理解できる。打鐘を切り離しても、時計全体の摩擦やエネルギー消費がゼロになるわけではない。17
一つのスライドで選ぶ#
同じ二人によるCH706080B1も2008年2月26日の出願で、ケース外周を往復する操作子によるモード選択を扱う。公報は、一定方向にしか進まない選択機構では、二つの打鐘モードの間を切り替えるためにサイレントを経由する問題を挙げる。往復するスライドは、状態を直接選べる操作へつながる。8
特許の図と請求項は一般的な構成を説明するもので、個々の歯形、調整量、製造公差を公開する整備図面ではない。6301Pとの対応はメーカー発表を根拠とし、公報のすべての実施形態が一個の時計へ同時に入るとは解釈しない。18
ジャンピングセコンド#
一秒ごとの跳躍には、針を一旦止め、エネルギーを蓄え、適切な瞬間に解放する働きが必要になる。CH707181の公報は、駆動輪、復帰ばねで力を受ける旋回部材、中間歯車、秒跳躍輪の組合せを記す。停止中に旋回部材側が蓄力し、解放されるとその復帰によって秒輪が一段進む。一秒の跳びを利用して別の瞬間動作を起動する構成も含む。9
同公報の発明者はDidier VuilleminとMarcel Schenk、出願日は2012年11月14日である。A2公報は2014年、B1公報は2017年に公開された。発表資料が挙げるA2と、ここで読むB1は同じ番号の公報系列であり、異なる三つ目・四つ目の発明として数えない。19
秒針が一秒刻みに見えることは、クォーツ式であることを意味しない。6301Pの時刻を調整するのは、3.5Hzの機械式調速機である。また、一秒刻みの表示自体から、時刻精度や音響性能が改善したと結論することもできない。10
ケースと文字盤#
Ref.6301P-001の現行公式仕様は、プラチナ製ケースの直径44.8mm、厚さ12.03mmである。2020年発表資料の厚さは12mmと記される。資料の表記精度は異なるが、これだけを根拠にケースの設計変更があったとは断定できない。110
文字盤は18金の基板に黒いグラン・フー・エナメルを施し、ホワイトゴールドのブレゲ数字を取り付ける。木の葉型の時分針には夜光を用いる。9時側にMOUVEMENT、3時側にSONNERIEと記した二つの残量表示を対置し、秒は6時へまとめる。プラチナケースを示す小さなダイヤモンドは、6時側を操作スライドが占めるため12時側に置かれた。110
裏面はサファイアガラス越しにムーブメントを見せ、交換用の無垢裏蓋も付属する。10 実物を撮影したSJXの観察では、ケース側面の窪んだつや消し部分、磨いた縁、ブリッジの入り角などが詳しく記録されている。こうした仕上げの観察は、一律に全部品が手だけで仕上げられたとの証明とは別である。2
音量や音色も、ケース材質だけでは評価できない。SJXは実物の音を明瞭でよく響くと評したが、これは取材者の聴感であり、音圧、減衰時間、周波数分布を条件付きで測定した試験ではない。三つのゴングを小さな空間へ収め、互いにも周囲の部品にも接触させずに調律することが製作上の課題になる。12
操作と保存に関わる条件#
6301Pは防水時計ではない。取扱説明書は液体との接触を避けるよう求め、湿気に対する完全な保護も保証していない。また、自鳴・リピーターの作動中と、その後30秒間は時刻合わせを行わないよう指定する。こうした機種固有の条件は、複雑な打鐘機構をもつ時計の使用範囲を理解するうえで重要である。裏蓋の交換もメーカーの専門時計師による作業として指定される。6
系列の展開と年表#
6301Pの所有者一般や全製作数を網羅する公開台帳は、本稿の資料にはない。モデルの技術史と、特定の個体の来歴は区別しなければならない。
2024年のOnly Watch向けRef.6301A-010は、鋼製ケースに青緑色のフランケ・エナメル文字盤とダイヤモンド時標を組み合わせた一点物であり、黒文字盤・プラチナの6301Pとは別仕様である。メーカーは2024年5月10日の競売結果を公表したが、その価格を通常モデル全体の価格や価値へ一般化することはできない。11
| 年月 | 展開 |
|---|---|
| 2007年 | Baratの証言によればGrandmaster Chime開発と並行して、自鳴時計の系列化を構想。5 |
| 2008年2月 | 二つの打鐘関連機構を出願。78 |
| 2012年11月 | ジャンピング表示関連のCH707181を出願。9 |
| 2014年 | Grandmaster Chime Ref.5175、Chiming Jump Hour Ref.5275を発表。15 |
| 2016年 | Ref.6300が通常コレクションに加わる。1 |
| 2020年11月 | Ref.6301Pを発表、自鳴中心の通常モデルとして展開。12 |
| 2024年5月 | 鋼製一点物6301A-010がOnly Watchへ出品。P仕様との相違を伴う。11 |
| 2026年11月 | 公式コレクションで6301P-001の掲載とGS 36-750 PS IRMの仕様を確認。310 |
6301Pは、既存の大複雑時計から必要な機能を選び、二系統の動力、操作の切替え、秒表示、外装を一つの腕時計としてまとめた作品である。その技術的意義は、単なる部品数の多さよりも、自動的に音を鳴らし続ける機構と日常の時刻表示をどのように共存させたかにある。
参考文献#
[1] Patek Philippe, Grande Sonnerie Ref.6301P, press release, November 2020, pp.3–6,10–11. https://static.patek.com/pdf/pressreleases/en/2020_PatekPhilippe_Grande%20Sonnerie_Ref_6301P.pdf(2026年11月4日閲覧)。
[2] JX Su, “In-Depth: Patek Philippe Grande Sonnerie Ref.6301P-001”, SJX Watches, 13 January 2021、Sidney Teo撮影、現物観察。https://watchesbysjx.com/2021/01/patek-philippe-grande-sonnerie-6301p-review.html(同日閲覧)。
[3] Patek Philippe, “Watch Movement: 36-750 Caliber”、現行ムーブメント資料。https://www.patek.com/en/collection/movements/36-750(同日閲覧)。
[4] Fondation Haute Horlogerie, “Grande Sonnerie reference 6301P”、系列と動力構成、仕様。https://www.hautehorlogerie.org/en/watches-and-culture/watchmaking-scene/watches-and-novelties/grande-sonnerie-reference-6301p(同日閲覧)。
[5] Alvin Wong, “NEW: Patek Philippe Ref.6301P Grande Sonnerie”, CROWN, 10 November 2020、開発責任者Philip Baratの発表時証言の書き起こし。https://www.crownwatchblog.com/patek-philippe/new-patek-philippe-ref-6301p-grande-sonnerie(同日閲覧)。
[6] Patek Philippe, Instructions for use, Reference 6301, English/Français, English sections “The grande sonnerie and petite sonnerie”, “Instructions”, “Recommendations”. https://static.patek.com/pdf/instructionsforuse/PatekPhilippe_6301P_001_en_fr.pdf 現行英語版:https://patek-res.cloudinary.com/media/191208/10061/panoplie-pp-6301p-001-en.pdf(同日閲覧)。
[7] Ludovic Punzi / Cedric Fague, Patek Philippe, CH704950B1、明細書・書誌事項。https://patents.google.com/patent/CH704950B1/en(同日閲覧)。
[8] Ludovic Punzi / Cedric Fague, Patek Philippe, CH706080B1、明細書・書誌事項。https://patents.google.com/patent/CH706080B1/en(同日閲覧)。
[9] Didier Vuillemin / Marcel Schenk, Patek Philippe, CH707181B1, “Dispositif horloger comprenant un organe de commande lié cinématiquement à une roue de seconde sautante”, description [0004]–[0013]、書誌事項。https://patents.google.com/patent/CH707181B1/fr(同日閲覧)。
[10] Patek Philippe, “6301P-001”、現行製品仕様。https://www.patek.com/en/collection/grand-complications/6301p-001(同日閲覧)。
[11] Patek Philippe, “Only Watch 2024: a very good result for a unique Patek Philippe watch”, May 2024、鋼製6301A-010の仕様と開催記録。https://static.patek.com/pdf/pressreleases/chs/2024_PatekPhilippe_Only_Watch_Auction_Ref_6301A_010.pdf(同日閲覧)。