グリニッジ(Greenwich)の時計史を特徴付けるのは、時計が示す時刻を確かめ、それを遠くへ渡す仕事が集まったことである。王立天文台の観測、海軍クロノメーターの試験、テムズ川の船への時報、鉄道や市中への電信配信は、別々の装置と人びとによって支えられた。丘の上で得た時刻が、そのまま世界の時計へ届いたわけではない。1 4 6
川辺の町と丘の観測所#
グリニッジはロンドンのテムズ川沿いに位置する。川辺の王宮・海軍施設と、背後の公園の高台に建てられた天文台を、一つの景観のなかで見ることができる。世界遺産「Maritime Greenwich」の対象も、天文台だけでなく、旧王立海軍大学校、クイーンズ・ハウス、公園、市街の歴史的建物を含む。ここで扱うのは、この川辺の歴史地区と天文台を中心とする時計史である。東のウリッジや南東のエルサムまで含む現在の行政区Royal Borough of Greenwich全体とは範囲が異なる。2 16
1675年に天文台の建設が命じられた背景には、航海で経度を求める課題があった。選ばれたのは王立公園内の旧グリニッジ城跡で、王室の土地と既存の基礎を利用でき、観測に適した高台でありながらロンドンの科学者との連絡も保てた。ジョン・フラムスティードは1676年に移り住んだ。研究室と住居が重なったこの場所から、継続的な観測が始まった。1
川辺では、王宮跡を再開発したグリニッジ・ホスピタルが傷病を負った海軍軍人を受け入れた。病院は町の不動産も保有し、1830年代には中心市街地を再整備した。丘での航海科学と、川辺の船員福祉・教育は、王室と海軍に支えられた地域の異なる仕事だった。後に病院の建物は1873年から1998年まで王立海軍大学校に使われ、現在は大学・音楽舞踊教育と文化財公開の場となっている。16
時計を星と比較する#
天文観測に時計を使う場合、文字盤が正しそうに動くことだけでは足りない。ある星が観測地点の子午線を通る瞬間を記録し、既知の星の位置と照合して時計の誤差を求める。時計は観測と観測の間をつなぐ装置でもある。空から得る基準と、連続して動く機械を繰り返し比較することが、時刻決定の仕事になる。3
初期の具体例が、ジョナス・ムーアの注文でトマス・トンピオンが製作した1676年の時計である。一対の機械は八角室の壁面の裏に置かれ、約13フィートの長い振り子を備えた。フラムスティードは恒星の通過間隔との比較に利用した。現在の王立博物館群の解説は、長期間の駆動によって巻上げや整備の中断を減らした点も説明している。7
これらの時計は、科学者だけの閉じた仕事ではなかった。王立協会に残る記録では、その一つが1736年に協会へ寄贈され、1835年に天文台へ戻ったことが分かる。製作者、寄付者、観測者、学術団体の間を動いた実物は、精密な時刻を支える人的なつながりも伝えている。8
18世紀:海へ運ぶ時刻と、空から求める時刻#
海上の経度を求めるには、太陽などの観測から求めた自分のいる場所の時刻と、同じ瞬間の基準地点の時刻を比較する。地球の一周360度が24時間に対応するため、時差1時間は経度15度、4分は1度に相当する。航海用時計は基準地点の時刻を船へ持ち出して保持する道具だった。ジョン・ハリソンは1767年の反論書で、時計が常に完全に合うことと、既知の一定の歩度で動くことを区別し、後者なら進み遅れを補正して経度に使えると説明している。17
もう一つの方法が月距法である。月が明るい恒星などに対して移動する角度を測り、その角距離が基準子午線では何時に起きるかを計算表から求める。観測した角度には視差や大気の屈折の補正が必要で、単に月を見れば時刻が分かるわけではない。『ノーティカル・アルマナック』の1767年用初巻は刊記を1766年とし、この航海に必要な天体位置の数表を提供した。原著の説明はグリニッジの視時3時間ごとの月距を示すとし、視差・屈折の計算にも言及する。米国海軍天文台も、初期の暦の中心的用途を月距法と位置付ける。18 19 27
フランスの天体暦を研究するIMCCEの史料解説は、マスケリンの暦がマイヤーの太陽・月の表を使い、ダンソーンらの計算と検算の分業で作られたこと、ラカイユらによるフランスの航海暦構想とのつながりを示す。グリニッジの子午線を基準にした表は、観測所だけで閉じた成果ではなく、他地域の理論、計算者、出版、船上の観測を結ぶ媒体だった。19
時計法も当地で試された。ハリソンのH4は1766~1767年に王立天文台で比較試験を受けた。ハリソン自身の反論書は、比較時計の管理や立会い、時計と温度計の置き場所、垂直姿勢の試験が航海での利用をどこまで代表するかに異議を唱える。これは当事者による異論であり、妨害の事実をそれだけで証明するものではない。一方で、性能評価には数値だけでなく、比較基準、試験条件、証人の仕組みも関わったことが読み取れる。17 20
関連記事:ジョン・ハリソン、ネヴィル・マスケリン、ノーティカル・アルマナック。
海軍時計を受け入れ、歩度を調べる#
1821年の制度と1822年の初回試験#
1821年6月26日発行の『ロンドン・ガゼット』には、前日付の海軍省公告が載る。海軍用クロノメーターを増やし、製作の改良を促すため、グリニッジの王立天文台に受入所を設けるという内容である。メーカーが時計を預け、試験と選定購入、または個人への売却につなげる仕組みが示されている。4
一方、天文台職員ウィリアム・エリスが1866年に時計師へ向けて行った講演では、最初の競争試験は1822年と説明される。前年の公告を受けて試験が実施された。エリスによれば、賞金を与える試験は13回の後、1836年にいったん中断し、その後は優秀な時計を政府が購入する方式へ変わった。5
一瞬の誤差より、歩度の安定を見る#
歩度とは、一定期間に時計がどれだけ進むか、または遅れるかを表す量である。エリスが述べる1866年当時の工程では、1月に受け入れた時計を冬の冷気、加熱装置、室温、磁気の影響を調べるための置く方位の変更、再加熱にさらし、7月頃まで比較した。評価には週歩度の最大・最小の差と、隣り合う週の歩度差を使い、後者に二倍の重みを与えた。この工程を、1822年当初から同一だったと考えることはできない。5
ここで調べるのは、ある瞬間に針が合っているかだけではない。温度などの条件が変わったとき、進み遅れの傾向がどれほど変化するかである。海上で基準地点の時刻を保つ時計にとって、予測できる歩度と、条件によって変わる歩度は意味が違う。この試験は、精度を一つの美辞麗句で表す代わりに、比較できる観測列へ置き換える仕事だった。5
時刻を持ち出す三つの方法#
船から見るタイムボール#
1833年にフラムスティード・ハウスへ設けられたタイムボールは、テムズ川の船と市民に目で分かる信号を送った。現在の説明では、12時55分に途中まで上げ、58分に頂上へ上げ、13時に落下させる。音を待つのではなく、球の動く瞬間を見る仕組みである。9
現在は冬に13時GMT、夏に13時BSTで運用し、強風時には動かさないと案内されている。これは現在の運用であり、歴史上すべての時期の運用条件を示すものではない。遠くの利用者へ基準を知らせるには、時計の精度に加え、信号が見える条件と受け手の観測が必要になる。9
携帯時計を運ぶサービス#
時刻は電線だけを通ったのではない。博物館が所蔵する1892年のマリア・ベルヴィルの新聞掲載写真の複製は、グリニッジ時をロンドンの時計師へ届ける仕事の記憶を残す。館の解説では、夫ジョン・ヘンリーが1836年から懐中クロノメーターによる定期的なサービスを設け、死後はマリア、さらに娘ルースへ続いたとされる。顧客のもとを定期的に訪ね、天文台の基準と市中の時計を結び付けるサービスだった。10
この事例が示すのは、離れた工房が天文台とつながる経路の多様さである。基準時計と比較した携帯時計を運び、顧客の時計と比較する方式でも時刻は渡せる。電信設備への接続と、人が時計を携行する仕事を、単純な新旧の交代として扱うことはできない。10
電気信号で子時計を動かす#
1852年に導入されたシェパードの系統では、親時計が定期的な電気信号を送り、接続した子時計を動かした。門の24時間文字盤では正午のXIIが下側に来る。公共の表示器は、基準となる時計を一人ずつ見に入らなくても、外から時刻を比較できる場所をつくった。11

図1:グリニッジ王立天文台のシェパード門時計(2015年撮影)。24時間文字盤は正午を下側に示す。作者:Ulke0004。出典:Wikimedia Commons。ライセンス:CC BY-SA 4.0。変更:なし。
天文台の時刻比較机にあった同調表示器ZAA0532も、同じ連鎖の一部である。所蔵館の説明では、毎秒の電気信号で電磁石が作動し、ラチェットを一歯進め、秒針と輪列を動かした。名称にchronometerを含むが、船へ持ち出して独立に時刻を保つ機械ではなく、親時計から信号を受ける表示器である。6
1853年の天文台年報の転写には、観測に使う時計との比較によってNormal Clockを毎日補正し、クロノメーター室、門、構内や鉄道の時計へつなぐ運用が記されている。天文観測、基準時計の補正、配信、利用者の時計との比較は、精度を保つための異なる段階だった。12
放送・水晶時計と、観測業務の移転#
20世紀には時刻を受け取る相手が、船や鉄道、時計師からラジオの聴取者へ広がった。1924年2月5日、BBCはグリニッジの六点時報を初めて放送した。改造されたデントの天文時計2016号が電話線へ電気信号を送り、BBCが音へ変換した。公共時計を見に行く方式に加えて、家庭でも耳で時刻を合わせられるようになったのである。21 22
同年11月にはショート自由振り子時計3号が導入された。親振り子を減圧した容器に収め、表示や信号を送る仕事からできるだけ解放し、電気的に結ばれた子時計へ役割を分けた。所蔵品の製作表示はロンドンのクラーケンウェル・ロードにあったシンクロノーム社を指す。グリニッジはそれを試験し利用する場所であり、使用された時計すべての製作地という意味ではない。23 24
1939年にはNPLの監督で製作された水晶時計を設置した。だが戦争で計画は中断し、1940年末には空襲が夜間観測を妨げたため、時刻業務はアビンジャーへ移った。エディンバラにも別系統が置かれ、戦時中は二つの局を結んだ。1943年には郵政研究所製の水晶時計群が入り、時刻を保持し比較する技術も振り子から水晶へ移っていった。24
これは天文台全部が同日に退去したという意味ではない。ロンドンの煙と光、交通による振動などが観測環境を悪化させるなか、各部門のハーストモンスーへの移転は1948年以降に進んだ。グリニッジの敷地は1953年に国立海事博物館の一部となり、フラムスティード・ハウスは1960年に公開された。1
子午線の合意と、現在の時刻の基準#
1884年の国際子午線会議は、グリニッジの子午線を経度の共通起点にすることを各国政府へ提案した。最終決議第II項には、天文台の中星儀の中心を通る子午線という具体的な定義がある。賛成22、反対1、棄権2で、日本は賛成側に記録される。13
第IV項は、便利な用途のために世界共通の日を使うことと、必要に応じた地方時や他の標準時の使用を妨げないことを併記した。第V項は、その共通の日を起点子午線の平均真夜中から数える平均太陽日とした。ここから、各国の時計がその日に一斉に同じ制度へ切り替わったとは言えない。13
歴史的な子午線と、現在の衛星測位の基準も区別される。現行の国際基準子午線は、天文台の歴史的な線より約102.5m東を通ると館は説明する。庭の金属線をまたいだときに携帯電話が経度ゼロを示さなくても、それだけで史跡の線を設置し間違えたという話にはならない。14
時刻の生成も現在は別の仕組みによる。英国国立物理学研究所NPLは、原子時計群とセシウム一次周波数標準によってUTC(NPL)を維持し、国際的な協定世界時UTCへ寄与している。グリニッジという地名が時間の歴史を象徴することと、現在の英国標準時を丘の上の振り子時計がつくり続けていることは、同じではない。15
時刻の仕事を伝える文化財#
今日のグリニッジでは、建物と装置の配置そのものが時計史を説明する。高台で星を観測する、時計同士を比較する、門で文字盤を見る、川へ球の信号を送るという仕事の違いを、同じ地域のなかでたどれる。トンピオンの機械や同調表示器の所蔵記録は装置の来歴を伝え、門時計は公共表示の場に残る。所蔵記録があることと、いつでも展示室で見られることは別である。6 7 11
文化財の保存も現在の仕事である。2026年10月時点、First Light計画では歴史的建物の修復と、展示・動線・利用しやすさの改善を進めている。館は同年11月2日から敷地全体を長期休館すると告知している。25 26
グリニッジが世界の時刻を象徴する土地になった背景には、一つの傑作時計だけでなく、観測、計算、試験、保守、信号、利用者の比較がある。研究機能が他所へ移った後も、この連鎖を実物と景観から理解できることが、当地の時計文化の価値である。
年表#
| 年 | 地域の時計史に関わる出来事 |
|---|---|
| 1675年 | 王立天文台の建設が命じられる。1 |
| 1676年 | フラムスティードが移り住む。トンピオンの時計が観測を支える。1 7 |
| 1736年 | フラムスティードの時計の一つが王立協会へ寄贈される。8 |
| 1766~1767年 | H4が天文台で比較試験を受ける。1767年用の最初の航海暦が刊行される。17 18 20 |
| 1821年6月 | 海軍省がグリニッジのクロノメーター受入所を公告する。4 |
| 1822年 | エリスの回顧によれば、最初の競争試験が始まる。5 |
| 1833年 | タイムボールが使われ始める。9 |
| 1835年 | 王立協会にあったトンピオン時計が天文台へ戻る。8 |
| 1836年 | 競争試験がいったん中断。ベルヴィルの時刻サービスが始まる。5 10 |
| 1852年 | シェパードの電気時計系統が導入される。6 11 |
| 1866年 | エリスが時計師に試験工程を説明する。5 |
| 1884年10月 | 国際子午線会議の最終決議にグリニッジ子午線採用の提案が記録される。13 |
| 1924年 | BBC六点時報が始まり、11月にはショート3号が導入される。21 24 |
| 1939年 | NPLの監督で製作された水晶時計が導入される。24 |
| 1940年末 | 時刻業務がアビンジャーへ移転する。24 |
| 1948年以降 | 各部門がハーストモンスーへ移転する。1 |
| 1953年/1960年 | 敷地が博物館へ編入され、後にフラムスティード・ハウスが公開される。1 |
| 1997年 | 河港都市の建物群と公園が世界遺産に登録される。2 |
| 2026年 | First Lightによる保存・展示更新が進む。25 |
参考文献#
- Royal Museums Greenwich, History of Royal Observatory Greenwich, “Why is there an Observatory in Greenwich?”。閲覧2026-10-23。
2. UNESCO World Heritage Centre, Maritime Greenwich, Outstanding Universal Value / Integrity。閲覧2026-10-23。
3. Royal Museums Greenwich, Portable transit telescope, AST0986。現物と、時刻決定に使う同型器械の説明を区別。閲覧2026-10-23。
4. Admiralty-Office, 25 June 1821, The London Gazette no.17719, p.1351, 1821-06-26発行。閲覧2026-10-23。
5. William Ellis, Lecture on the treatment of chronometers at the Royal Observatory, Greenwich, 1866-03-01講演、The Horological Journal VII, 1866-04-01, pp.85–92。現代転写で確認。閲覧2026-10-23。
6. Royal Museums Greenwich, Sympathetic chronometer, ZAA0532, circa 1852。閲覧2026-10-23。
7. Royal Museums Greenwich, A history of the Royal Observatory in six objects, “Year-going clock movement”, ZAA0885。閲覧2026-10-23。
8. Ellen Embleton, Flamsteed observed, Royal Society, 2019-05-13。1736年記録と1922年書簡の紹介。閲覧2026-10-23。
9. Royal Museums Greenwich, The Greenwich Time Ball and one time for all。閲覧2026-10-23。
10. Royal Museums Greenwich, Greenwich Mean Time…Mrs Belleville, PAI8786、1892年図版の所蔵解説。閲覧2026-10-23。
11. Royal Museums Greenwich, The Shepherd Gate Clock。閲覧2026-10-23。
12. George Biddell Airy, Reports of the Astronomer Royal, extracts 1836–1868, 1853年報V、現代転写。閲覧2026-10-23。
13. International Meridian Conference, Protocols of the Proceedings, Gibson Bros., 1884, Final Act pp.199–202。Project Gutenberg転写。閲覧2026-10-23。
14. Royal Museums Greenwich, What is the Prime Meridian, and why is it in Greenwich?, “Is the Greenwich Meridian still the Prime Meridian?”。閲覧2026-10-23。
15. National Physical Laboratory, Time scales, “Maintaining the national time scale”。閲覧2026-10-23。
16. Maritime Greenwich World Heritage Site, Our history, 地域の範囲、Astronomy and naval welfare / Education, science and heritage。閲覧2026-10-23。
17. John Harrison, Remarks on a pamphlet lately published by the Rev. Mr. Maskelyne, 第2版、London: W. Sandby, 1767、pp.2–15。Project Gutenbergの本文転記。閲覧2026-10-23。
18. U.S. Naval Observatory, History of The Nautical Almanac, 冒頭・Chronology 1766。閲覧2026-10-23。
19. Guy Boistel / IMCCE, Le Nautical Almanac and Astronomical Ephemeris (1767–1920), 1節・Maskelyne et ses calculateurs。フランス語の研究解説。閲覧2026-10-23。
20. Royal Observatory Greenwich history site, Rates of chronometers and watches on trial at the Observatory, 1766–1915, 冒頭・RGO4/311目録説明。原観測表の実読とは区別。閲覧2026-10-23。
21. Emily Akkermans / Royal Museums Greenwich, The BBC pips: the Royal Observatory and the Greenwich Time Service, The first broadcast / Dent 2016。閲覧2026-10-23。
22. BBC, The BBC Story: 1920s key dates, 1924年2月5日。閲覧2026-10-23。
23. Royal Museums Greenwich, Shortt Free Pendulum System, No. 3, ZAA0539、機構解説と製作表示。閲覧2026-10-23。
24. Harold Spencer Jones, The Royal Greenwich Observatory, 1949-01-27講演、Proceedings of the Royal Society A 198 (1949), pp.141–169、とくにpp.146–149。BGS公開の原版スキャン。閲覧2026-10-23。
25. Royal Museums Greenwich, First Light: Transforming the Royal Observatory, A place protected for generations to come。2026年10月時点の告知。閲覧2026-10-23。
26. Royal Museums Greenwich, Royal Observatory closures, 2026年10月23日時点の休館告知。閲覧2026-10-23。
27. Commissioners of Longitude / Nevil Maskelyne, The Nautical Almanac and Astronomical Ephemeris, for the year 1767, London: W. Richardson and S. Clark, 1766、標題紙・序文・pp.141–142, 163–165(CUDL canvas 7, 11, 155–156, 177–179)。保存原版画像を実読。閲覧2026-10-23。