ラ・ショー=ド=フォンと時計産業の関係

ラ・ショー=ド=フォンと時計産業の関係

概要 #

スイス・ヌーシャテル州にあるラ・ショー=ド=フォン(La Chaux-de-Fonds)は、17世紀以来の伝統を持つ時計産業都市であり、その発展は時計製造と深く結びついています ( MahN: The Jaquet-Droz automata)。農業に適さない標高約1000mのジュラ山地に位置するこの町は、時計製造によって繁栄し、都市計画も時計職人のニーズに合わせて設計されました ( La Chaux-de-Fonds / Le Locle, Watchmaking Town Planning - UNESCO World Heritage Centre)。18~19世紀にかけてラ・ショー=ド=フォンは世界有数の時計生産地となり、20世紀初頭には世界の時計の半数がここから輸出されたとも言われます ( 時計のマニュファクチュール都市、ラ・ショー・ド・フォンの発展の歴史 | 高級腕時計専門誌クロノス日本版[webChronos])。本稿では、ラ・ショー=ド=フォンと時計産業の関係を技術史や産業構造の観点から詳述し、主要な機構や技術革新、都市の歴史年表、現代への影響、さらに文化遺産としての美術館等について専門的に解説します。

時計産業とラ・ショー=ド=フォンの関係 #

ラ・ショー=ド=フォンの発展は時計産業抜きには語れません。1650年代に集落として成立したこの町は、周囲を山に囲まれ農業に不向きだったため、17世紀末から時計製造が副業として根付き始めました ( MahN: The Jaquet-Droz automata) ( La Chaux-de-Fonds, NE | Switzerland Tourism)。伝説によれば1664年には既に懐中時計の製造記録があり ( La Chaux-de-Fonds, NE | Switzerland Tourism)、地元出身のダニエル・ジャンリシャール(1665–1741)が1680年代にイギリス製時計を修理・模倣してこの地に時計作りを本格的に伝えたとされます ( Jean Richard - Chronopedia) ( 時計のマニュファクチュール都市、ラ・ショー・ド・フォンの発展の歴史 | 高級腕時計専門誌クロノス日本版[webChronos])。彼は弟子や息子たちに技術を伝承し、地域に家内制手工業のネットワークを築きました ( 時計のマニュファクチュール都市、ラ・ショー・ド・フォンの発展の歴史 | 高級腕時計専門誌クロノス日本版[webChronos])。18世紀にはピエール・ジャケ=ドロ(1721–1790)が当地で高度な自動人形(オートマタ)や音楽時計を製作し、欧州宮廷に紹介するなど、この町は精密機械工芸の中心地として名を馳せました ( MahN: The Jaquet-Droz automata)。

時計産業の隆盛に伴い町は急成長し、19世紀には事実上単一産業(モノカルチャー)の工業都市となりました ( La Chaux-de-Fonds / Le Locle, Watchmaking Town Planning - UNESCO World Heritage Centre)。1794年5月5日の大火災で町の大部分が焼失しましたが、その後の再建で職人に適した碁盤目状の街路が採用され、建物も東南向きの大窓を備えて十分な採光が得られるよう統一されました ( La Chaux-de-Fonds, NE | Switzerland Tourism)。この合理的都市計画により、自宅兼工房で作業する時計職人たちは効率よく作業でき、生産性が向上しました。19世紀後半には時計部品の分業生産が高度化し、職人たちが自宅で部品を作り、商人が取りまとめて完成品とする「エタブリスモン(工場制手工業)」体制が確立します。一方でアメリカの大量生産方式が台頭した1870年代、スイス時計業界は危機に直面し ( La Chaux-de-Fonds - Wikipedia)、ラ・ショー=ド=フォンでも従来の手工業から工場制への近代化が避けられなくなりました。実際、1876年にこの町に移り住んだディティスハイム兄弟(後のモバード社創業者)は、当時では画期的な近代工場を設立し、分業と機械化による生産性向上を進めています ( La Chaux-de-Fonds - Wikipedia)。20世紀初頭にはラ・ショー=ド=フォンは人口約3万5千人を抱えるスイス有数の工業都市となり、当時世界の時計の約50%を生産するまでになりました ( 時計のマニュファクチュール都市、ラ・ショー・ド・フォンの発展の歴史 | 高級腕時計専門誌クロノス日本版[webChronos])。その繁栄ぶりから、経済学者カール・マルクスは著書『資本論』でこの町を「巨大な工場都市」と呼び、スイス・ジュラ地方時計産業の分業を分析したほどです ( La Chaux-de-Fonds / Le Locle, Watchmaking Town Planning - UNESCO World Heritage Centre)。こうした歴史的経緯により、ラ・ショー=ド=フォンのアイデンティティは時計産業と不可分であり、駅構内の壁画に作業中の時計工員が描かれるなど、市民生活や文化にも深く刻み込まれています ( 時計のマニュファクチュール都市、ラ・ショー・ド・フォンの発展の歴史 | 高級腕時計専門誌クロノス日本版[webChronos])。

技術的解説(技術史・機構・素材・製造技術) #

ラ・ショー=ド=フォンを中心とするスイス時計産業は、精密加工や機械構造の発達とともに歩んできました。18世紀には既に高精度の機械式時計が作られ、ジャケ=ドロ親子らが1768~1774年に製作した三体の自動人形(書記人形・画家人形・音楽師人形)は6,000点もの部品から成り、カムや歯車によるプログラミング機構で文字を書くなど、機械式計算機の先駆ともいえる驚異的なものでした ( MahN: The Jaquet-Droz automata)。これらのオートマタにはフルートや鐘による音響装置も組み込まれており、時計製造の精巧な機械構造と音響工学の粋を集めた作品でした。19世紀前半まで主流だった時計の脱進機は、古典的な揺りヒゲ式(ヴェルジュ)から筒車(シリンダー)式へと移行し、さらにイギリスで発明されたレバー式脱進機(アンクル)がスイスでも広まり、飛躍的に精度と耐久性が向上しました。スイスの職人たちは天文台の精度コンクールにも挑み、高精度懐中時計を競作しました。特にラ・ショー=ド=フォンのジラール・ペルゴ社は1889年の万博で三つの金橋を持つトゥールビヨン懐中時計を発表し、その美術的・技術的完成度で名声を博しました。また1860年代には同地に移住したジョルジュ・フレデリック・ロスコフが「プロレタリア時計」と呼ばれる廉価な大衆向け懐中時計を開発しています ( Roskopf, the forgotten proletarian watch) ( Roskopf, the forgotten proletarian watch)。1867年に20フランという低価格で発売されたこの時計は、部品点数を従来の160点から57点に削減し、独自のピンレバー脱進機や指で直接針を動かせる簡易な時刻合わせ機構(初期型)を採用するなど、徹底した簡素化と工場量産設計がなされた革新的製品でした ( Roskopf, the forgotten proletarian watch)。ロスコフの廉価時計は当初スイス伝統業者から非難を浴びたものの、1868年のパリ万博で賞賛されるとフランスやベルギー、インド、ブラジル等で大ヒットし、需要増に応じてラ・ショー=ド=フォンに「ロスコフ特許」工場が建設され大規模生産が行われました ( Roskopf, the forgotten proletarian watch) ( Roskopf, the forgotten proletarian watch)。これは時計の工業化における先駆的事例であり、同業他社も次第に機械化・大量生産へ踏み出す契機となりました。

材料科学の面でも、この地域は時計精度向上に貢献しました。19世紀後半には穴石(ジュエル)に天然ルビーだけでなく人工宝石が用いられるようになり、摩耗軽減による耐久性向上が図られました。またジュラ地方出身の物理学者シャルル・エドゥアール・ギヨーム(1861–1938)はニッケル鋼合金の研究に生涯を捧げ、1896年に発見したインバー(Invar)と後年のエリンバー(Elinvar)という新素材によって、ヒゲゼンマイや振り子の温度による寸法変化問題を解決しました ( Charles Édouard Guillaume - Wikipedia)。ギヨームはこの業績で1920年にノーベル物理学賞を受賞しており、精密時計の一貫した歩みを支えた素材面での革命でした ( Charles Édouard Guillaume - Wikipedia)。さらに20世紀に入ると耐震装置(インカブロックなど)や耐磁ケース、耐水ケースの開発が進み、腕時計時代に対応した実用技術が次々導入されました。ラ・ショー=ド=フォンのメーカー各社も競って技術革新を行い、たとえばジラール・ペルゴ社は1966年、毎時36,000振動(5ヘルツ)の高振動ムーブメントを業界で初めて実用化し、精度向上に寄与しました ( Girard-Perregaux 1966 and Vintage 1945 Black Onyx “Infinity Editions”)。しかし1960年代後半から台頭したクォーツ式電子時計(精度・低コスト)の衝撃は大きく、1970年代の「クォーツ危機」によりスイスの機械式時計産業は壊滅的打撃を受けます。ラ・ショー=ド=フォンでも多くの伝統メーカーが廃業・統合を余儀なくされましたが、生き残った技術者や企業は高級機械式時計への回帰や新素材・新機構の導入で活路を見出しました。例えば1980年代以降、耐食性や加工精度に優れた新合金部品、コンピュータ制御工作機械による精密加工、自動組立ラインなどが導入され、21世紀にはシリコン製脱進機など最先端技術も試みられています。こうしてラ・ショー=ド=フォンは長い技術史の中で幾度も変革を乗り越え、伝統と先端技術の融合によって現在まで時計産業を維持しているのです。

年表(ラ・ショー=ド=フォンの歴史) #

  • 1350年: 文献に “la Chaz de Fonz” の名で初めて言及される ( La Chaux-de-Fonds - Wikipedia)。中世後期には僅かな人口の農村であった。
  • 1656年: 集落が公式に町(村落共同体)として認可される ( La Chaux-de-Fonds | Watchmaking, Clockmaking, UNESCO | Britannica)。以降、谷の交易路の要衝として徐々に発展。
  • 1664年: 当地で製造されたとされる最古の懐中時計が記録に残る ( La Chaux-de-Fonds, NE | Switzerland Tourism)。
  • 1670年代: ジュラ地方に時計製造が広まり始める。ジャンリシャール(1665年ラ・ショー=ド=フォン近郊生まれ)が1681年頃に初の地元産時計を製作したと伝えられる ( Jean Richard - Chronopedia)。
  • 1707年: ヌーシャテル侯爵領(当時の統治地域)がプロイセン王国領となる。以後19世紀半ばまでプロイセン王がヌーシャテル侯を兼ね、地域の統治者となる(ただし自治は維持)。
  • 1768–1774年: ピエール・ジャケ=ドロと息子アンリ=ルイらが、人形仕掛けの自動人形(三体のオートマタ)をラ・ショー=ド=フォンで製作 ( MahN: The Jaquet-Droz automata)。自動筆記人形は40個のカムによるプログラム可能な機構で任意の文章を執筆できる画期的な装置だった。
  • 1794年5月5日: 深夜に大火災が発生し町の建物の大半が焼失 ( La Chaux-de-Fonds, NE | Switzerland Tourism)。火災後、碁盤目状の計画都市として再建開始。
  • 1815年: ウィーン会議によりヌーシャテルはスイス連邦の一員(カントン)となるが、引き続きプロイセン王の宗主権も残るという特異な地位が確認される。
  • 1835年: 建築家シャルル=アンリ・ジュノーが新都市計画を設計 ( La Chaux-de-Fonds - Wikipedia)。幹線道路(レオポルド=ロベール通りなど)を含む整然とした街並みの骨格が形作られる。以降も数度にわたり火災があったが、その都度グリッド状区画に沿って拡張・再建される。
  • 1848年: ヌーシャテルで共和革命が起こり、プロイセン王の支配を排して完全な共和国州となる。ラ・ショー=ド=フォンでも住民が革命運動に参加。以後スイスの一州として自治確立。
  • 1850年代: 1850年に鉄道(ジュラ産業鉄道)のラ・ショー=ド=フォン駅が開業し、時計の輸送網が改善される。1857年にユダヤ人居住禁止が廃止され、以後アルザスなどからユダヤ人時計商・技術者が移住し始める ( The Blogs: Discover La Chaux-de-Fonds, Switzerland’s Jewish Watchmaking | Meyer Harroch | The Times of Israel)。
  • 1865年: ラ・ショー=ド=フォン時計学校(公式な時計技術学校)が開校 ( History)。組立・調整から理論まで体系的に教える教育機関で、優秀な時計師を輩出し産業発展を支えた。
  • 1867年: G.F.ロスコフが廉価版懐中時計「ロスコフ時計」(通称:20フラン時計)を発売 ( Roskopf, the forgotten proletarian watch) ( Roskopf, the forgotten proletarian watch)。当初はギヨーム式(鍵巻き)で発売され、後に竜頭による無鍵巻きへ改良。大量生産をにらんだ簡素な構造が評価され、海外市場で成功を収める。
  • 1870年代: アメリカのウォルサム社などにより時計の機械生産が本格化。スイス時計業は国際競争に直面し、1876年のフィラデルフィア万博では品質・価格面で危機感を抱く ( La Chaux-de-Fonds - Wikipedia)。ラ・ショー=ド=フォンではこの頃、ユダヤ系移民の経営者らが近代的工場制生産を開始。
  • 1876年: アキレス、レオポルド、イシドールのディティスハイム三兄弟がラ・ショー=ド=フォンに移住し工場を設立 ( La Chaux-de-Fonds - Wikipedia)。彼らの会社は後に1905年に「モバード」と改名し、国際的ブランドへ成長 ( La Chaux-de-Fonds - Wikipedia)。この成功に刺激され、他の企業も機械化・輸出を拡大。
  • 1880年: ジラール・ペルゴ社がドイツ海軍士官向けに腕時計を生産(従来は懐中時計が主流だったが、軍用として腕時計採用の先駆例)。同社は1889年パリ万博でトゥールビヨン金賞を受賞するなど技術力を示す。
  • 1896年: ラ・ショー=ド=フォンにアルザス出身のユダヤ人コミュニティが初のシナゴーグ(会堂)を建立 ( The Blogs: Discover La Chaux-de-Fonds, Switzerland’s Jewish Watchmaking | Meyer Harroch | The Times of Israel) ( The Blogs: Discover La Chaux-de-Fonds, Switzerland’s Jewish Watchmaking | Meyer Harroch | The Times of Israel)。時計産業の発展に伴う人口多様化の一例。
  • 1902年3月24日: 市当局が時計博物館(現・国際時計博物館MIH)の設立憲章に署名 ( History)。当初は時計学校の一室に収蔵展示し、フェルディナンド・ベルトゥー(18世紀フランス王室時計師)の大型マリンクロノメーターNo.12など貴重なコレクションが集められた ( History)。
  • 1905年: ディティスハイム兄弟の会社が「モバード」(エスペラント語で「常に動く」の意)に改名 ( La Chaux-de-Fonds - Wikipedia)。同年、若きハンス・ウィルスドルフ(後のロレックス創業者)がラ・ショー=ド=フォンで時計輸出商社の見習いとして勤務(1900~1903年)し、時計製造と品質管理を学ぶ ( Hans Wilsdorf - Wikipedia) ( Hans Wilsdorf - Wikipedia)。
  • 1909年: 18世紀のジャケ=ドロ自動人形3体が各地を巡回の末、同郷の縁からヌーシャテル市に寄贈され、美術歴史博物館で公開開始 ( MahN: The Jaquet-Droz automata)。
  • 1914~18年: 第一次世界大戦中、中立国スイスの時計産業は軍需に協力し、精密信管や航空機用時計などを製造 ( La Chaux-de-Fonds - Wikipedia)。戦後は需要が落ち込み一時不況に陥る。
  • 1920年: 地元出身の物理学者C.-É.ギヨームがニッケル鋼合金研究の功績でノーベル物理学賞を受賞 ( Charles Édouard Guillaume - Wikipedia)(インバーは1896年発見、エリンバーは1914年発表)。時計の温度誤差補償に革命をもたらしたことが評価された。
  • 1920年代: 腕時計が世界的に普及し、ラ・ショー=ド=フォンのメーカーも懐中時計から腕時計生産へ転換。1924年にはスイス時計工業共同組合(FHの前身)が結成され、輸出振興や品質管理を業界一丸で推進。
  • 1929年: 世界恐慌が発生。高級嗜好品である時計の需要も激減し、町の時計工場は減産・閉鎖を強いられる。1931年にはスイス政府と銀行主導でASUAG(アスアグ)社が設立され、中小ムーブメント工場を統合・救済する施策がとられる。
  • 1933年: ヒトラー政権下のドイツでユダヤ人迫害が始まり、欧州各国との取引に影響が及ぶ ( La Chaux-de-Fonds - Wikipedia)。ラ・ショー=ド=フォンのユダヤ系経営者も苦境に陥り、一部企業は閉鎖やスイス人への売却に追い込まれる。
  • 1939~45年: 第二次世界大戦で欧州市場が壊滅する中、中立国スイスの時計は米軍需(軍用時計や精密タイマー)に活路を見出す。終戦後、輸出需要が爆発し“スイス時計黄金期”を迎える。
  • 1950年代: 機械式時計産業が戦後復興期の好景気に沸き、大量生産とデザイン革新が進む。1955年創業のコルムなど新興メーカーも現れ、市場が拡大。1959年にはラ・ショー=ド=フォン製の時計輸出が年間数百万個に達する。
  • 1960年代: 機械式時計技術が頂点に達し、高振動化や高精度化が追求される一方、1967年にスイス初のクォーツ腕時計試作機(ベータ1)が発表されるなど電子化の兆しも見える。町では時計博物館の新館建設計画が進み、1967年に建設基金が設立、1968年に「国際時計博物館(MIH)」と改称して新館の建築競技が行われた ( History) ( History)。
  • 1972~74年: MIH新館が着工し、地下に大空間を有する前衛的建築として完成 ( History)。だが同時期、安価で高精度な日本製クォーツ時計が市場を席巻し始め、スイス時計「クォーツ・ショック」が本格化。ラ・ショー=ド=フォンでも倒産やリストラが相次ぎ、失業率が急上昇した。
  • 1975年: ラ・ショー=ド=フォン市の人口が約42,000人でピークに達した後、時計産業衰退に伴い以降減少に転じる ( Trade competition and migration: Evidence from the quartz crisis)。
  • 1983年: クォーツ危機の中で低価格路線のSwatchが発売され世界的ヒット。機械式高級時計でも複雑機構ブームが復活し、町の老舗も高級路線や外資資本で再建を図る。MIHでは1980年代に屋外大時計の設置や「時間と人間研究所」創設など文化活動を拡充 ( History) ( History)。
  • 1993年: MIHが時計文化功労者に贈る「ガイア賞 (Prix Gaïa)」を創設 ( History)。以降、時計史研究者や著名時計師が毎年表彰されている。
  • 2000年代: 機械式時計の世界的な復興により、ラ・ショー=ド=フォンの時計産業も活況を呈する。2007年時点で市内に約180社の時計関連企業が存在し、従事者数は約6000人と1997年比で60%増加した ( 時計のマニュファクチュール都市、ラ・ショー・ド・フォンの発展の歴史 | 高級腕時計専門誌クロノス日本版[webChronos])。これは新規参入企業や既存メーカーの工房拡張によるもので、パテック・フィリップやカルティエなど他地域の高級ブランドも当市に生産拠点を設けた。
  • 2009年: 隣町ル・ロックルと共に「ラ・ショー=ド=フォン/ル・ロックルの時計製造都市の都市計画」としてユネスコ世界文化遺産に登録される ( La Chaux-de-Fonds | Watchmaking, Clockmaking, UNESCO | Britannica) ( La Chaux-de-Fonds | Watchmaking, Clockmaking, UNESCO | Britannica)。時計産業に特化した都市計画が顕著な価値を持つと認められた。
  • 2020年: 「機械式時計およびアート・メカニクスの技術」がユネスコ無形文化遺産に登録される ( History)。ラ・ショー=ド=フォンの職人・研究者たちも申請に深く関与し、時計製造の伝統技術が世界的遺産として評価された。

現代への影響 #

ラ・ショー=ド=フォンは現在も「時計の都」としてその遺産を受け継いでいます。市内にはジラール・ペルゴ、タグ・ホイヤー、モバードなど多くの時計メーカーの本社・工房があり、周辺も含め時計部品メーカーや仕上げ業者が集積しています ( 時計のマニュファクチュール都市、ラ・ショー・ド・フォンの発展の歴史 | 高級腕時計専門誌クロノス日本版[webChronos])。長い低迷を乗り越え21世紀に入って雇用も増加に転じており、時計産業は地域経済の柱として健在です。特に新設された工業団地にはパテック・フィリップ、ブレゲ、ブランパンなど大手高級ブランドの製造施設も進出し、伝統と最新技術の交流拠点となっています ( 時計のマニュファクチュール都市、ラ・ショー・ド・フォンの発展の歴史 | 高級腕時計専門誌クロノス日本版[webChronos])。このような産業集積と活況は、機械式時計の復権や高級路線への需要拡大といった世界的トレンドと歩調を合わせたものです。

この町からは時計産業や文化に大きな影響を与えた人材も輩出されています。17~18世紀にはダニエル・ジャンリシャール ( 時計のマニュファクチュール都市、ラ・ショー・ド・フォンの発展の歴史 | 高級腕時計専門誌クロノス日本版[webChronos])やピエール・ジャケ=ドロ ( La Chaux-de-Fonds - Wikipedia)といった先駆者が現れ、ジュラ地方における時計製造の礎を築きました。20世紀初頭にロレックスを創業したハンス・ウィルスドルフはドイツ出身ですが、そのキャリアは1900年にラ・ショー=ド=フォンの時計商社で始まり、ここで習得した品質管理の経験を活かして後に防水腕時計などの革新を生み出しました ( Hans Wilsdorf - Wikipedia) ( Hans Wilsdorf - Wikipedia)。また、ル・コルビュジエ(シャルル=エドゥアール・ジャヌレ)は1887年にラ・ショー=ド=フォンに生まれ、地元の美術学校でエングレービング(彫金)を学んだ後に建築家へ転身した人物です ( La Chaux-de-Fonds, NE | Switzerland Tourism)。彼の初期建築作品(別邸「マゾン・ブランシュ」1912年竣工など)は当地に残り、後に近代建築の巨匠として世界的に知られるようになりました。コルビュジエの都市計画思想にも、幼少期を過ごした整然とした碁盤目都市ラ・ショー=ド=フォンの影響が指摘されます ( La Chaux-de-Fonds / Le Locle, Watchmaking Town Planning - UNESCO World Heritage Centre)。その他にも、自動車メーカー「シボレー」を創業したルイ・シボレー(1878年生まれ)は当地の時計技師の家系の出身であり、精密機械産業で培った技能や企業家精神が新分野で花開いた例と言えるでしょう。時計産業以外では、天才時計師にして時計機構学者であるルートヴィヒ・オクセリンが国際時計博物館館長として当市に長く在住し、複雑時計の製作や学術研究を行っています ( 「今や時計メーカーは、真の革新的技術に欠ける」 - SWI swissinfo.ch)。このようにラ・ショー=ド=フォンは優れた人材を生み、世界の技術・文化に影響を与えてきました。

都市計画と時計産業の関係も現代的観点から再評価されています。町全体がユネスコ世界遺産に登録された背景には、時計製造のための合理的な都市設計というユニークさがあります。住宅と工房が交互に配置された並行帯状の区画、十分な採光のための建物配置などは、産業と都市生活が調和した歴史的モデルです ( La Chaux-de-Fonds / Le Locle, Watchmaking Town Planning - UNESCO World Heritage Centre)。カール・マルクスが指摘したようにラ・ショー=ド=フォンは「一つの巨大な時計工場(ville-manufacture)」そのものとして機能し ( La Chaux-de-Fonds / Le Locle, Watchmaking Town Planning - UNESCO World Heritage Centre)、その空間構造は現在も大きく変わっていません。これは効率性や労働環境を重視した19世紀の社会思潮を色濃く伝えており、現代の単一産業都市の在り方を考える上でも示唆に富みます。市当局も歴史的景観の保全と現代的ニーズの両立を図っており、街区の修復や産業遺産の保存プロジェクトが進められています。また、無形文化遺産への登録(2020年)によって職人技能の継承にも注目が集まり、地元の時計学校や工房では若手育成と伝統技術の保存が奨励されています ( History)。このようにラ・ショー=ド=フォンは、産業遺産・都市遺産として過去を未来につなぎ、現代に生きる教訓とインスピレーションを提供し続けています。

美術館と文化遺産 #

ラ・ショー=ド=フォンには時計産業の歴史と文化を伝える施設が充実しています。中でも国際時計博物館(Musée International d’Horlogerie, MIH)は世界最大級の時計専門博物館として知られ、4500点以上のコレクションを所蔵しています ( Musée international d’horlogerie | Switzerland Tourism)。内訳は時計2,700点、置時計・掛時計約700点など多岐にわたり、時計技術の技術的・芸術的・社会的発展を包括的に展示しています ( Musée international d’horlogerie | Switzerland Tourism)。1902年の創設以来、地元産業界やコレクターからの寄贈により充実した収蔵品には、18世紀の名工による作品が多数含まれます。たとえばフェルディナンド・ベルトゥー作の1774年製マリンクロノメーター(航海用精密時計)No.12 ( History)、ピエール・ジャケ=ドロ作のからくり人形付き音楽時計(9つの鐘と12本のフルートを備えた自動演奏装置、狐とコウノトリの寓話を描いた華麗な装飾付き) ( History)、アブラアン=ルイ・ブレゲ考案のTACT(タクト)式腕時計(触知によって時刻を知ることができる1800年頃の作品) ( History)など、時計技術史上貴重な逸品を見ることができます。館内には修復工房や資料図書館も併設されており、歴史的遺産の保存・研究・公開の拠点となっています ( History)。1974年完成の現在の博物館建築そのものも地下空間を巧みに活用した意欲的なデザインで、屋外には四季ごとに異なる旋律を奏でる巨大なカリヨン時計が設置され、街のランドマークにもなっています ( History) ( History)。

この他、ラ・ショー=ド=フォン美術館(Musée des Beaux-Arts)はアール・ヌーヴォー様式の建物で、地元ゆかりの芸術作品を収蔵しています。とりわけシャルル・レプラトニエやル・コルビュジエといった時計装飾や建築に関わった芸術家の作品群は、時計産業と芸術文化の融合を物語っています。町の歴史博物館には時計職人の伝統的な作業部屋の再現展示があり、19世紀当時の暮らしと仕事の様子を垣間見ることができます。時計学校も博物館同様に見学プログラムを提供しており、現代の見習い職人が先人たちと同じ手作業を学ぶ姿を見ることができます。さらに、市内には世界遺産センターの案内所があり、碁盤目状の街並みや歴史的建造物を紹介するガイドツアーが催行されています ( La Chaux-de-Fonds, NE | Switzerland Tourism)。「都市景観と時計産業」と題した散策路では、19世紀末の労働者住宅や工場建築、時計商の館などが解説付きで公開されており、訪問者は町全体が生きた博物館であることを実感できるでしょう。

ラ・ショー=ド=フォンの時計産業遺産は、単に古い道具や建物を保存するだけでなく、人類の創意工夫や美意識を現在に伝える文化遺産として評価されています。国際時計博物館は近年その活動が認められ、スイス連邦から文化運営予算の支援対象に指定されました ( History)。無形遺産に登録された職人技も含め、これらの遺産は将来世代への貴重な財産です。ラ・ショー=ド=フォンは、時計産業を核とした独自の歴史と文化を誇りとしつつ、それを未来に継承・発展させるべく官民挙げて取り組んでいます。その姿は、「時計の都」が単なる過去の栄光ではなく、今なお時を刻み続ける生きた文化都市であることを示しています。

出典一覧 #

  1. ユネスコ世界遺産センター解説(ラ・ショー=ド=フォン/ル・ロクルの都市計画について) ( La Chaux-de-Fonds / Le Locle, Watchmaking Town Planning - UNESCO World Heritage Centre) ( La Chaux-de-Fonds / Le Locle, Watchmaking Town Planning - UNESCO World Heritage Centre) ( La Chaux-de-Fonds / Le Locle, Watchmaking Town Planning - UNESCO World Heritage Centre)
  2. ブリタニカ百科事典(ラ・ショー=ド=フォンの歴史概要) ( La Chaux-de-Fonds | Watchmaking, Clockmaking, UNESCO | Britannica) ( La Chaux-de-Fonds | Watchmaking, Clockmaking, UNESCO | Britannica)
  3. Times of Israelブログ(ユダヤ人社会と時計産業の歴史) ( The Blogs: Discover La Chaux-de-Fonds, Switzerland’s Jewish Watchmaking | Meyer Harroch | The Times of Israel)
  4. ジャーナル記事(欧州スター)(ロスコフ時計の技術革新) ( Roskopf, the forgotten proletarian watch) ( Roskopf, the forgotten proletarian watch)
  5. Wikipedia英語版(時計産業史、Movado創業者兄弟など) ( La Chaux-de-Fonds - Wikipedia) ( La Chaux-de-Fonds - Wikipedia)
  6. MIH(国際時計博物館)公式サイト(博物館沿革) ( History) ( History) ( History)
  7. MySwitzerland観光局(町の歴史解説) ( La Chaux-de-Fonds, NE | Switzerland Tourism) ( La Chaux-de-Fonds, NE | Switzerland Tourism)
  8. Chronopedia(ダニエル・ジャンリシャールの伝承) ( Jean Richard - Chronopedia)
  9. WebChronos日本版記事(Norma Buchanan執筆の町の発展史) ( 時計のマニュファクチュール都市、ラ・ショー・ド・フォンの発展の歴史 | 高級腕時計専門誌クロノス日本版[webChronos]) ( 時計のマニュファクチュール都市、ラ・ショー・ド・フォンの発展の歴史 | 高級腕時計専門誌クロノス日本版[webChronos])
  10. Hans Wilsdorf伝記(Wikipedia英語版) ( Hans Wilsdorf - Wikipedia) ( Hans Wilsdorf - Wikipedia)
  11. Charles-Édouard Guillaume伝記(ニッケル鋼合金とノーベル賞) ( Charles Édouard Guillaume - Wikipedia)
  12. Girard-Perregaux技術史紹介(高振動ムーブメント) ( Girard-Perregaux 1966 and Vintage 1945 Black Onyx “Infinity Editions”)
  13. ユネスコ世界遺産オンライン(ル・ロクルの時計産業起源) ( ラ・ショー・ド・フォン / ル・ロクル、時計製造都市の都市計画) (※参照)