人工地平器

人工地平器

人工地平器(artificial horizon、portable horizon)は、海の水平線が見えない場所でも天体の高度を測れるよう、器具で水平の基準を作る装置である。代表的なものは、水銀や水の静かな表面、または水平に調整した黒いガラスを鏡として使う。六分儀で天体とその鏡像の間の角度を測れば、水平線を直接見ることなく高度を求められる。1 2

時計史との接点は、天体観測から時刻を決め、時計の進み遅れと一日当たりの誤差の変化を調べられることにある。器具自体が時刻を刻むのではなく、時計が運ぶ時刻と空の位置を比較するための基準を供給した。1803年の測量家アンドルー・エリコットの文書には、人工地平器による等高度観測を時計・懐中時計の誤差と歩度の測定に用いると明記されている。3

何を水平にするのか#

ここで扱うのは、天文・測量・航法の人工地平器である。液面を直接反射面にする外置き型、鏡面を水準器で水平にする型、気泡などの基準像を観測器具に組み込む型を区別すると、同じ名称の下に異なる観測方法があることが分かる。1 2

方式基準の作り方観測と主な制約
液面反射型静止した液体の自由表面を反射面とする天体と液面の鏡像の角度を測る。風・振動・液面の状態に左右される
黒ガラス型平らなガラスを調整ねじと水準器で水平にする携帯しやすい一方、鏡面の平面度と水平調整が必要
気泡・振り子内蔵型重力を基準にした像を視野へ導く外の液面を置かずに観測できるが、移動体の加速度で基準が乱れる
回転体を使う型回転するコマなどを水平基準として利用する船上で基準を保つ歴史的な試み。液面式とは別の構成

外置き型は、地面に置いた反射面を観測者がのぞく器具であり、六分儀に元から付いている「水平鏡」とも異なる。水平鏡は二つの視線を合わせる光学部品で、それだけで重力に対する水平を検出するものではない。1 2

天体高度が二倍の角度になる理由#

液面と天体の鏡像#

静止した水平面で反射した天体の像は、水平を挟んで天体と反対側に見える。天体が水平から高さ30°にあれば、その鏡像は下向き30°の方向に見え、両者の角距離は60°になる。遠方の天体から来る光を平行光線とみなす幾何学である。2

天体中心を一致させる場合、六分儀の読みを S、その読みに加える器械補正を C、大気によって見かけ上持ち上がったままの高度を hₐ とすれば、基本関係は次のようになる。1 2

\[ h_a=\frac{S+C}{2} \]

S、C、hₐ は同じ角度単位で表す。C は誤差そのものではなく、読みに加える符号付きの補正である。たとえば S = 70°00′、C = −2′ なら、補正後の角距離は69°58′、高度は34°59′となる。指標誤差などの器械補正を先に適用し、その後で半分にする順序が大切である。1

この「半分」は、六分儀の目盛がすでに反射鏡の回転角の二倍を表示していることとは別の話である。六分儀が読み取るのは実際の二方向の角距離であり、人工地平器ではその二方向が天体と鏡像だから、さらに高度へ換算する必要がある。1 2

半分にした後にも補正が残る#

得られた値は、ただちに真の天体高度ではない。大気差など、観測天体と条件に応じた補正が残る。一方、海の水平線を見下ろすことによる眼高差の補正は、水平な反射面を使う観測には適用しない。1

太陽や月は点ではなく円盤なので、どの部分を合わせたかも記録する。中心同士を重ねる観測では視半径補正は不要だが、円盤の縁を接触させた観測では対応する補正が必要になる。単に二つの光を接触させただけで、中心の高度を測ったことにはならない。1

測れる高度の上限も変わる。角距離120°までの六分儀なら、液面式で測れる天体高度は原理上およそ60°までである。これはその角度範囲の六分儀と外置き反射面の組合せの制約で、気泡内蔵型を含むすべての人工地平器の上限ではない。2 3

水銀槽・黒ガラス・収納機構#

液面を守るガラスの屋根#

水銀式の典型的な構成は、浅い槽、保管用の瓶、風除け、収納箱である。スタンリーの測量器具書は、錬鉄の槽の上に傾いた二枚の平行ガラスを屋根状に置く構造を説明する。ここで平行とは、二枚が互いに平行という意味ではなく、それぞれの板の両面を平行に加工することを指す。光を通すカバー自体で余分な角度誤差を作らないためである。2

王立グリニッジ博物館のNAV0018は、1845年ごろのCharles Wilson製で、マホガニーの槽と屋根枠、二面のガラス、使用後の水銀をしまう木製容器を備える。器具の名称だけでなく、液面を風から守る部品と、液体を運ぶ部品が一組になっていたことを実物記録から確認できる。5

水銀は必須ではない。エリコットは20年以上の経験から水を好むと述べる一方、水面の太陽像が弱く見えることにも触れている。また、風除けと水の容器を接続すると、風で揺れるカバーから水面へ振動が伝わるため、別々にする方がよいと指摘した。これは材料の明るさだけでなく、装置の支え方が観測へ影響する具体例である。3

固体の鏡は自動で水平にならない#

黒ガラス型では、平らな鏡を持ち運べる代わりに、設置ごとに水平を作る。スタンリーの説明では三本の調整ねじと独立した水準器を使い、異なる向きで水準を確かめる。枠がガラスを押してひずませれば反射面が変形するので、支持方法も光学精度に関わる。2

ケンブリッジのWhipple Museum所蔵1093は、1825年ごろとされる黒ガラス型で、真鍮枠と三本の調整ねじを持つ。元はWollaston Collectionに含まれたが、現在は水準器と箱を欠く。残った鏡面だけを見て、当初の調整操作まで再現できる完備品と考えることはできない。6

水銀を移し替える改良#

Captain George型は、保管室と観測用の槽を管とコックでつなぐ。空気栓を開き、一方を持ち上げて水銀を流すことで、観測と収納を切り替える構造である。スタンリーは、流体を露出した瓶から注ぎ移す型と比較し、携帯性と扱いやすさの改良として説明した。さらにIonides型では保管室を観測槽の下へ置き、全体を小さくした。2

Science Museum Groupの1981-847は二つの黒く塗られた鋼製容器、接続管、コック、水平調整用の脚を記録し、Captain Christopher Georgeによる1868年の仮特許No.2624と結び付けている。この番号は所蔵館の記録に基づくもので、原公報の請求範囲や権利成立まで示すものではない。所蔵館の製作年欄と本文にも幅の違いがあり、個体の製作年を一点には固定できない。7

時計の誤差と歩度を調べる#

等高度観測で空と時計を結ぶ#

同じ場所で午前と午後に太陽が同じ高度を通る瞬間を時計で記録する方法を、等高度観測という。太陽の赤緯が変わらない理想化なら、二つの観測時刻は地方の真太陽正午を挟んで対称になる。実際の時刻決定では赤緯変化などを考慮し、平均太陽時へ移す際には均時差も区別する。高度を一回測るだけで正しい時刻が自動的に得られるわけではない。3 1

エリコットの1803年4月18日付の添付文書は、正午の少なくとも二時間前と二時間後に観測し、午前の観測後には六分儀の指標を動かさず保管して午後の観測へ移るよう記している。時刻だけが目的なら高度の度・分・秒の値自体は重要ではないとも述べた。同じ角度条件を再現することで、時計の読みによる時間間隔を比較するのである。3

時計の誤差と歩度も異なる。ある時点の基準時刻との差が誤差で、その差が一日ごとにどれだけ変わるかが歩度である。人工地平器は時計の内部機構を改造せずに、この外部比較を可能にする。航海書でもクロノメーター誤差とその一日当たりの変化を区別している。1

経度の算出では役割を分担する#

天体高度、観測時刻、天体暦は、それぞれ異なる情報である。人工地平器は角度の水平基準を与え、六分儀が角度を測り、時計が時刻を運び、暦と計算が位置や時刻の解釈を支える。エリコットは等高度観測に月と太陽の角距離観測を組み合わせ、緯度と経度を得る手順も提案している。人工地平器一つで経度が直接表示されるわけではない。3

揺れる場所で使うための発展#

船上で液面を使う難しさ#

陸上で水平を作れることは、揺れる甲板上でも同じ精度で使えることを意味しない。Whipple Museumの解説も、水銀型は船上では実用に適しにくいとする。液面の波、支持台の運動、観測者の姿勢変化が加わり、人工的な基準を安定させること自体が課題になる。6

回転体で水平を保とうとする試みもあった。James Shortが1752年2月6日に王立協会で報告した実験は、John Sersonの磨かれた上面を持つコマを扱う。天体をこの面で反射させ、海の不鮮明な水平線の代わりにするという構想で、ShortはSmeatonの空気ポンプを用いた減圧実験も記録した。これは回転する面の挙動を調べる初期の実験であり、後世の航法用ジャイロの完成性能を証明するものではない。4

気泡を視野に入れる#

内蔵型の人工地平器では、気泡や振り子などで作った基準を光学系へ入れ、天体像と比較する。航空用では、連続した観測値を一定時間で平均する仕組みも重要になった。米空軍の2001年の航法教範は、機体の動きが気泡を動かすため平均装置を用いること、気泡が小さすぎるとレンズに付着し、大きすぎると中心を決めにくいことを説明する。8

改良の一例がThomas L. Thurlowの米国特許US2304129Aである。1941年10月15日に出願され、1942年12月8日に登録・公表された。粘度などを変えて応答や減衰の異なる複数の気泡を並べ、その動きを比較して振動の平均位置を判断する構成を記述する。主眼は、移動体の加速度で単一の気泡が示す基準が乱れる問題への対処にあった。9

この公報は構成と発明者の性能上の主張を確認できる一次資料だが、それだけで量産、特定機種への採用、比較試験の結果を確定できるわけではない。また、外の液面に天体を反射させる方法と違い、内蔵型に外置き型の「読みを半分にする」操作を一律に適用してはならない。9 1

現存する器具と性能の読み方#

浅皿、折り畳んだガラス屋根、水銀容器、革ケースを分けて置いたCary製人工地平器

図1:Cary製の携帯用水銀式人工地平器(1907年)。部品を分けて置いた状態。撮影:Matilda Vaughan。© Museums Victoria。出典:Museums Victoria, HT 28906。ライセンス:CC BY 4.0。変更:なし。

Museums VictoriaのHT 28906は、1907年にロンドンのCaryが製作した携帯水銀式である。折り畳む金属・ガラス製の屋根、浅い金属槽、保管容器、革製ケースが残る。ケースと屋根の銘、および内部の手書きメモを伴い、同館はシャクルトンの南極探検で使用された器具として記録している。目録は使用年を1908年と記すため、器具の1907年銘と探検全体の日程を混同しないことが必要である。10

精度は方式と環境を分けて評価する。『The American Practical Navigator』2002年版は、熟練者が陸上で二分間の平均を取る気泡・振り子式の高度測定について、約2′の精度の目安を挙げる。ただし大気差の異常、鉛直線偏差、計算・作図などの追加誤差を含まない値で、飛行中や船の揺れがある条件では悪化する。これを水銀式や歴史的な全製品の保証精度に置き換えることはできない。1

同じ2002年版は一部航空機の補助系として内蔵式を説明するが、その記述だけから2026年の装備数や運航上の標準を推定することはできない。現存品は、時計、天体暦、角度計と組み合わされて成り立った観測作業を理解する資料である。1 5 10

年表#

時期確認できる事項読み分ける点
1752年2月ShortがSersonの回転鏡面を使う実験を王立協会で報告人工地平器全般の発明日ではない 4
1803年4月エリコットが水の人工地平器と等高度法による時計の誤差・歩度測定を説明本人が述べる経験と一般的な性能保証を区別 3
1825年ごろWhipple Museum所蔵の黒ガラス型の製作年代現在は水準器と箱を欠く 6
1845年ごろCharles Wilson製水銀式NAV0018の製作年代槽・屋根・保管容器を一組として確認 5
1868年Captain George型に関する仮特許No.2624を所蔵館が記録原公報の請求範囲は未確認 7
1907年Cary製の携帯水銀式HT 28906の製作年ケースに英国南極探検の1907年銘 10
1914年スタンリーの器具書第4版が黒ガラス型、水銀槽、George型、Ionides型を説明発明年ではなく当時の製作・使用法を伝える 2
1941年10月〜1942年12月Thurlowの複数気泡式特許の出願から登録・公表特許の成立と製品採用は別 9
2001〜2002年航法教範が気泡、平均化、誤差、クロノメーターとの組合せを説明記述当時の装備・運用範囲 1 8
2026年11月確認時点複数館が液面式・黒ガラス式の器具情報を公開現代の普及率や全製品の性能は示さない 5 6 10

成立史と資料の限界#

人工地平器は、液面、水平鏡、気泡、振り子、回転体という異なる方法を含む。そのため、一人の発明者と一年の成立年だけで全体を説明することは難しい。本稿で確認した同時代の観測文書、技術書、特許、現存器具の記録は、それぞれの方式が解決しようとした問題を示すが、すべての方式の最初の実用例を確定するものではない。1 2 3 4

時計との関係では、「安定した時刻を保持する」ことと「その時刻がどれだけずれているか調べる」ことを分けると役割が明確になる。人工地平器は後者の観測を支えた。水平線が見えない陸地や氷の上でも空を測るため、反射面の材料、平面度、風除け、収納、気泡の応答までが計時と位置決定の精度に関わったのである。2 3 8

参考文献#

  1. National Imagery and Mapping Agency, The American Practical Navigator, 2002 Bicentennial Edition, §§1600–1601・1614–1618、図1528dの説明・§§1800–1801、特にpp.243・268–269・275–276。米国議会図書館所蔵PDF。閲覧日:2026年11月6日。

2. William Ford Stanley, H. T. Tallack改訂, Surveying and Levelling Instruments, Theoretically and Practically Described, 第4版、1914年、§§654–662、pp.444–449。Project Gutenberg本文。閲覧日:2026年11月6日。

3. Andrew Ellicott, “Enclosure: Remarks on Observations with a Sextant,” 1803年4月18日付として編纂、原稿は無日付。The Papers of Thomas Jefferson, vol.40, pp.223–224。Founders Online/米国国立公文書館。閲覧日:2026年11月6日。

4. James Short, “An Account of an horizontal Top, invented by Mr. Serson,” Philosophical Transactions, 47, pp.352–353、1752年2月6日朗読。原論文・DOI。閲覧日:2026年11月6日。

5. Royal Museums Greenwich, “Artificial Mercurial Horizon,” NAV0018、Charles Wilson、1845年ごろ。所蔵記録。閲覧日:2026年11月6日。

6. Whipple Museum, 所蔵番号1093、“artificial horizon, 1825 (c)”。所蔵記録。閲覧日:2026年11月6日。

7. Science Museum Group, “Artificial mercury horizon,” 1981-847。所蔵記録。閲覧日:2026年11月6日。年代・仮特許番号は目録情報として利用。

8. Department of the Air Force, AFPAM 11-216, 2001年3月1日、§13.4、特にp.281。該当章の原教範PDF(NavList配信)。閲覧日:2026年11月6日。

9. Thomas L. Thurlow, US2304129A, “Multiple bubble sextant or other altitude measuring device,” 出願1941年10月15日、登録・公表1942年12月8日。公報全文。閲覧日:2026年11月6日。

10. Museums Victoria, “Artificial Horizon - Portable, Cary, London, England, 1907,” HT 28906。所蔵記録。閲覧日:2026年11月6日。