針を合わせても時計を壊さない結合#
筒カナ(cannon pinion)は分針を取り付け、日の裏車を通じて時針側へ運動を伝える部品である。典型的な構造では、一時間に一回転する二番車の軸に筒カナを摩擦で嵌める。普段は軸とともに回り、針合わせの際は軸に対して滑る。これにより針を動かしながら、時計の輪列を無理に逆回転させずに済む。1 2
摩擦は偶然生じる抵抗ではなく、通常の表示に必要な駆動力を伝え、針合わせの入力には滑るように選ばれた結合である。緩すぎると時計の輪列が動いていても表示が遅れ、きつすぎると針合わせに過大な力が必要になり、機構を損なうおそれがある。1
運動の経路と滑る位置#
典型例では、香箱からの力が輪列を経て二番車を回す。二番車の軸と筒カナは摩擦によって一緒に回転し、筒カナの歯が日の裏車を回す。日の裏車から時車へ伝わる減速により時針は分針より遅く回る。針合わせではリュウズ側から表示輪列を回し、筒カナと軸の間で相対運動が起きる。1 2
すべての時計で摩擦が筒カナと二番車軸の間にあるわけではない。輪列の配置や中央秒針の構造により、別の軸や車に摩擦部を置く例がある。筒カナの外形だけで摩擦位置を決めず、対象ムーブメントの構造を確認する必要がある。1
保持と滑りの両立#
軸と筒の接触には押し付ける力が必要である。円筒を局所的にくぼませる方式では、内側に生じた突起が軸の溝や段差付近へ接触する。摩擦力は接触圧、表面、潤滑や材料の状態に左右される。保持できるトルクは、接触する力と摩擦条件だけでなく、接触点の回転中心からの距離にも依存する。3
設計上は、通常の表示輪列を動かすのに必要なトルクより滑り始めるトルクが大きく、針合わせで扱える入力より滑り始めるトルクが小さいことが求められる。温度、油、摩耗、寸法のばらつきなどを考慮する必要があり、単一の数値をあらゆる時計に適用することはできない。正常な動作時に不要な滑りが起きないことと、設定操作時に適切に滑ることの両方が重要である。1 3
割りと圧痕#
1886年の米国特許US345800Aは、筒カナの端に直径方向と軸方向の短い割りを設け、中心車軸の円錐状のボスに弾性的に被せる構造を示す。ボス上に広げて嵌めることで摩擦を得る。公報は従来の別の割りと突起による方式にも言及しており、この文書だけで摩擦結合の発明者や初出を確定することはできない。4
別の方法では筒の外側を挟んで塑性変形させ、内側の二つの突起で軸に接触させる。2022年に公開されたUS20220155726A1は、硬化前に圧痕を作り、その後に硬化する製造方法を提案する。公報は、加工のばらつきが摩擦トルクに影響することを問題として扱っている。3
この公報は、500組以上について名目値2.0 mN·mに対する標準偏差0.20 mN·mが得られると述べる。これは出願人が示した特定の実施例であり、全時計の規格値や製品への採用の証明ではない。特許の公開・登録と、実際に販売された時計での採用も区別する必要がある。3
1974年公告のUS3789691Aは、偏心した二番車の軸とその上のカナの間に、切れ目のある弾性ワッシャーを使う別構造を示す。ワッシャーの突起が軸の溝とカナ側の爪に関わり、薄い摩擦結合を作る提案である。公報の耐摩耗性などの説明は出願人の主張であり、量産採用の証明ではない。5
調整と保守#
摩擦が不足すると針表示が遅れることがあるが、それだけで原因を決めることはできない。針の取付け、輪列や他の摩擦結合も含めて点検する必要がある。圧痕を締める作業では、力をかける位置や形状が不適切だと部品を変形・損傷させるおそれがある。既存の締め工具や方法は構造に合わせて選ぶもので、すべての筒カナに同一の処置を適用できない。1

図:筒カナの調整に使うBergeon 30001工具の先端。写真:Auckland Museum Collections(撮影 Bong Errazo)。Collection of Auckland Museum Tāmaki Paenga Hira, 2004.51.9。出典:Wikimedia Commons。CC BY 2.0。変更:縮小。
摩擦面の潤滑も、単に抵抗をなくせばよい問題ではない。潤滑条件は伝達と滑りの双方に影響するため、具体的な油種・量・調整値は各ムーブメントの整備資料に従う。摩擦結合は時刻を合わせるための部位であり、輪列の速度を一定に保つ脱進機や調速機そのものではない。
年表#
| 時期 | 確認できる事柄 |
|---|---|
| 1886年7月 | US345800Aが、割りを入れた筒カナを中心軸のボスに嵌める方式を記載。4 |
| 1974年2月 | US3789691Aが弾性ワッシャーを使う別方式を公告。5 |
| 2004年5月 | AWCIの技術記事が摩擦嵌合、針合わせ、緩みと過締め、および構造の違いを説明。1 |
| 2018年9月 | US20220155726A1に記された優先日。硬化前の圧痕加工を扱う。3 |
| 2022年5月 | 同米国出願が公開。11月には対応する米国特許US11507021B2が公告された。3 |
この年表は確認できた資料の例であり、各方式の初採用や普及時期を示すものではない。
参考文献#
[1] Jack Kurdzionak, “Cannon Pinions,” Horological Times, AWCI, May 2004, p. 29. 本文PDF(閲覧2026年11月6日)。
[2] British Horological Institute, Technician Grade Lesson 10, pp. 11, 18. 教材PDF(閲覧2026年11月6日)。
[3] J. Javet and C. Prenez, “Method for producing friction by indenting,” US20220155726A1, 2022年5月19日公開。公報(閲覧2026年11月6日)。
[4] G. G. Moor, US345800A, 1886年7月20日公告。公報(閲覧2026年11月6日)。
[5] Roland Zaugg, “Frictional coupling device for watch movement,” US3789691A, 1974年2月5日公告。公報(閲覧2026年11月6日)。