クロナジー脱進機(Chronergy)

クロナジー脱進機(Chronergy)

レバー式の効率を改善する設計#

クロナジー(Chronergy)は、ロレックスが2015年に導入したスイス・レバー式脱進機の改良である。ガンギ車の歯とパレットの衝撃面の比率、部品の慣性、アンクルからテンプへの運動の関係を変え、従来方式の確実な休止と安全性を保ちながら、伝達損失を減らすことを目指す。ガンギ車とアンクルはニッケル・リン製、パレットは合成ルビーである。1

メーカーは効率の15%向上を公表する。この数値は絶対効率が15%という意味でも、時計の全損失が15%減るという意味でもない。初採用のキャリバー3255の約70時間の持続時間は、クロナジーだけでなく香箱、輪列、自動巻き、調速器を併せた改良の結果である。1

技術の成立と先行研究#

歯とパレットの比率を見直す#

スイス・レバー式では、歯がパレット上を滑る区間と、パレットの先端が歯の衝撃面上を滑る区間がある。両区間の長さと角度をどう配分するかで、摩擦とエネルギー伝達の関係が変わる。1969年4月14日を優先日とするKenji AbeのUS3628327Aは、長い歯の衝撃面を使い、歯とパレットの面長の比を従来とは違う範囲へ置く研究を記載する。米国では1971年12月21日に特許が公開された。3

クロナジーの関連特許US8529122B2は、Abeの方式に加え、パテック フィリップのEP1892589も先行技術として検討する。前者は歯側、後者はパレット側の衝撃面を重視しており、同じ効率向上へ異なる方向から接近していた。ロレックスの特許はさらに細いパレットを使い、動作を模型と試作品で比較する。2

発明者・特許・製品導入#

US8529122B2の発明者はRaphaël Cettour-BaronとAlexandre Chiuve、出願人はRolex SAである。優先日は2009年12月21日、米国出願日は2010年12月8日、A1公開日は2011年6月23日、B2公告日は2013年9月10日となる。欧州ファミリーはEP2336832である。2

これらはレバー式の幾何学に関する発明の記録で、2015年の市販クロナジー発表とは日付も資料の役割も違う。キャリバー3255についてメーカーが挙げる14件の特許はムーブメント全体のものであり、クロナジー脱進機単体に14件あるとは読めない。1

動作の順序#

ガンギ車は輪列からトルクを受けるが、歯がパレットの休止面に支えられる間は回れない。テンプの振り石がフォークへ入り、アンクルを動かすと休止が解かれる。この解放にはテンプのエネルギーを少量使う。その後、ガンギ車がアンクルを押し、フォークから振り石へ衝撃を返す。2

歯がパレットの衝撃面を押す区間を特許はimpulse A、パレットの先端が歯の衝撃面に接する次の区間をimpulse Bと呼ぶ。接触が終わるとガンギ車は落下角だけ進み、反対のパレットで次の歯が止まる。休止面の引き作用はアンクルを安定位置へ保つ。次の半振動で入口・出口の役割が交代する。2

テンプが自由に振れている区間には、ガード部と小円板がアンクルの不意の移動を防ぐ。効率を上げるために休止や安全作用を除けば、腕上の衝撃で動作が乱れる。クロナジーの課題は、損失を無条件にゼロへ近づけることではなく、解放、衝撃、落下、休止の各機能を成立させたまま必要な寸法を減らすことにある。2

幾何学と検証#

細いパレット、長い歯面#

関連特許は、出パレットが担う角度をLs、歯面が担う角度をdとし、相対パレット幅を次のように定義する。入口ではLsをLeへ置き換える。2

\[ L_{pl}=\frac{L_s}{L_s+d} \]

各角度はガンギ車まわりで測る。これは部品の重量比やルビーの断面比ではなく、衝撃を担う角度の配分である。特許の主請求項は両パレットについて60%以下、従属請求項と実施例は45%以下などの条件を示す。請求範囲と実施例の推奨値は区別する必要がある。2

実施例ではパレットの衝撃面長を200µm未満にし、歯の衝撃面長をパレットの1.5倍より大きくする方向を記す。ガンギ車とテンプの軸を結ぶ配置が一直線かどうかについては、効率に大きな影響はないと説明する。したがって、曲がったアンクルの外観そのものを効率改善の原因とする説明は不十分である。2

メーカーの製品説明も、パレットの厚さを従来の半分、ガンギ歯の接触面を二倍にしたと述べる。一方、レバー効果の説明には配置のずれを挙げている。これを特許の記載と読む場合は、外観の曲がりと、軸間距離・角度変換の比を分けて考える必要がある。1 2

模型と試作品の結果#

US8529122B2のTable 2では、比較用の通常構造が計算効率45.2%、20歯の改良例が54.4%、24歯の改良例が54.8%とされる。これらは特許で指定した設計と計算模型の結果であり、キャリバー3255の絶対効率の測定値ではない。2

検証には、通常構造と改良構造の振り角を比較する方法が使われた。Table 1は対照275度、シリコン車を使う改良例307度、ニッケル車を使う改良例310度を記す。少なくとも五個の測定平均で、平均の標準偏差は典型的に5度とされる。特許は輪列との伝達効率を見積もりにくいため、絶対効率を直接予測するより振り角を比較したと説明する。数字が公表されていても、試験対象と評価法を離して市販品の性能値に転用できない。2

材料と量産加工#

製品版のガンギ車とアンクルには、常磁性のニッケル・リンを使用する。パレットは合成ルビーで、ガンギ車は肉抜きされ、加速に必要な慣性を減らす。部品はLiGAによる電鋳の微細製造で作る。2015年資料はパレットの厚さを125µmと記しており、従来寸法を縮めた部品を反復製造する能力が設計の実装を支える。1

ここで、特許の試作品にニッケル車とシリコン車があることと、製品版の材料を混同してはならない。クロナジーをシリコン脱進機と呼ぶのは、メーカーが説明するニッケル・リン製の製品構成に合わない。1 2

ニッケル・リンの使用は、部品が磁場によって強く磁化される問題を抑える狙いを持つ。時計全体の耐磁性はヒゲゼンマイ、軸、他の部品にも依存するため、ガンギ車の材料だけから磁場の許容値を決めることはできない。クロナジーを無潤滑のPulsomaxと同じ仕組みと考えることもできず、潤滑と保守は個別キャリバーの指定による。1

持続時間、精度、限界#

持続時間は、おおまかには蓄積エネルギーと単位時間の消費エネルギーの関係で決まる。脱進機効率を上げれば、同じテンプの振動を維持するための入力を減らせる。しかしばねを長くすること、輪列比を変えること、振幅や周波数を変えることでも結果が変わる。

3255ではメーカーが、香箱壁を半分の厚さにしてばねの収容能力を増し、それだけで10時間を超える増加を得たと説明する。クロナジーは持続時間増加のほぼ半分を担うとされるが、70時間という値を脱進機単独の成果とはできない。1

精度と効率も同じ指標ではない。ムーブメントは十分な振幅と安定した衝撃を保つ必要があるが、日差にはヒゲ、テンプの釣合い、姿勢、温度、調整が関わる。ロレックスの完成時計の認定値を、クロナジー単体に固有の日差として引用することはできない。公開特許には比較用の模型と試作品のデータがある一方、全製品の長期摩耗、故障率、潤滑劣化の生データは示されていない。1 2

採用とその後の展開#

2015年の発表資料はDay-Date 40向けのキャリバー3255を扱う。2016年の公式資料は同世代の3235への搭載を説明し、2025年の公式GMT-Master II資料は3285が2018年に登場したことを記す。公式年史は2020年の3230への展開を確認できる。時計機能としては曜日・日付、日付、第二時間帯、日付なしと異なるが、クロナジーを共有する。1 4 6 7

2025年に公表されたダイナパルスは、シリコン部品の転がり接触を利用する別構造である。後発の脱進機が登場した事実は、クロナジーが単なる名称変更でその方式へ変わったことも、従来方式の欠陥が証明されたことも意味しない。ロレックスは異なる材料と運動を持つ方式を区別して説明している。5

年表#

年月確認できる展開
1969年4月14日Abeのクラブ歯レバー脱進機特許の優先日 3
1971年12月21日US3628327A公開 3
2009年12月21日クロナジー関連特許の優先日 2
2011年6月23日US20110149696A1公開 2
2013年9月10日US8529122B2公告 2
2015年クロナジーと3255を導入 1
2016年3235のメーカー資料がクロナジー搭載を説明 7
2018年第二時間帯を扱う3285へ展開 6
2020年日付なしの3230へ展開 4
2025年ロレックスが別構造のダイナパルスを発表 5

参考文献#

  1. Rolex, Calibre 3255: The New-Generation Rolex Movement, Baselworld 2015、pp.3–5、8–11。 AWCIが保存するメーカーPDF。閲覧日2026年10月13日。

2. Raphaël Cettour-Baron, Alexandre Chiuve / Rolex SA, Swiss lever escapement, US8529122B2、2013年9月10日。Description、Tables 1–2、claims 1–20。 特許本文。閲覧日2026年10月13日。

3. Kenji Abe / Suwa Seikosha, Clubtooth lever escapement, US3628327A、1971年12月21日。Descriptionと図面。 特許本文。閲覧日2026年10月13日。

4. Rolex, History — 2013–2022、2015・2018・2020年のキャリバー。 公式年史。閲覧日2026年10月13日。

5. Rolex, The new Rolex Land-Dweller: Opening new horizons、2025年。DYNAPULSE ESCAPEMENT。 公式本文。閲覧日2026年10月13日。

6. Rolex, La nouvelle GMT-Master II : l’accord parfait, 2025年。UN INSTRUMENT, PLUSIEURS FUSEAUX HORAIRES、3285の導入年。 公式フランス語本文。閲覧日2026年10月13日。

7. Rolex, Calibre 3235, Baselworld 2016、pp.5–6、8、11–13。改良機構と搭載。 メーカーPDFの保存版。閲覧日2026年10月13日。