文字盤を記録面にする計時器#
コンプトゥール・ア・ポアンタージュ(compteur à pointage)は、観測した瞬間を文字盤上の点として残す計時器である。19世紀のブレゲ工房の製品案内では、針が示す小数秒を黒い点で固定文字盤へ記録する器具をこの名で呼んでいる。観測者は出来事を見るか聞くかして外部のボタンを押し、後から点の位置を読む。針を止めて読み取る時計と違い、次の出来事を待つあいだも計時を続けられる。1
この技術の核は、時計の運動に出来事の印を重ねることにある。例えば砲の閃光を見たときに一つ、発砲音が届いたときにもう一つ点を付ければ、二点間から音の伝わった時間を読める。暗い場所で刻々の秒数を書き取る代わりに、観測後に灯りのそばで読めることにも意味があった。1845年の科学紹介誌は、この操作を図入りで説明している。2
「点記式計時器」「インク式クロノグラフ」は機能を説明する言い方であり、単一の機械や製作番号ではない。固定した筆先の下で文字盤を回す方式、固定文字盤の上で記録針を回す方式がある。ブレゲの点記式計時器を理解するには、両者を区別し、フレデリック=ルイ・ファットン、ニコラ=マチュー・リューセック、ブレゲ工房それぞれの仕事を分けて見る必要がある。3 4
何を動かし、何を残すか#
回転文字盤と回転針#
リューセックの初期方式は、時計が円盤状の文字盤を回し、周縁近くの筆先で必要な瞬間に印を付けるものだった。一方、ブレゲ工房に結び付く方式は、文字盤を固定し、インクを持つ秒針側を動かした。1850年、アブラアン=ルイ・ブレゲの孫ルイ・ブレゲは、この違いを優先権に関する書簡で強調した。同書簡は1823年の博覧会審査報告を引用し、ブレゲ工房の器具では秒針が小さなインク容器と点記用の先端を運ぶと説明する。4
| 配置 | 時計が運ぶもの | 観測時の動作 | 記録の位置 |
|---|---|---|---|
| 初期リューセック方式 | 文字盤 | 文字盤の近くの筆先がインクを付ける | その瞬間に筆先の下を通った箇所 |
| ファットン/ブレゲ系の固定文字盤方式 | 記録する針 | 針とともに動く先端が文字盤へ降りる | その瞬間に針が示した箇所 |
配置の変更は単なる見た目の差ではない。時計が回転させる部品と、点記のために動かす部品が変わる。ただし「文字盤の質量が大きいからリューセック式は科学観測に使えない」という1850年書簡の評価は、祖父の優先権を擁護する当事者の主張である。比較試験の数値を伴わないこの評価を、すべての回転文字盤式に当てはまる性能判定にはできない。4
秒針、インク容器、上下する先端#
1845年の『マガザン・ピトレスク』に描かれたブレゲ式では、秒針は1分で一周する。針の先端付近に小さな穴があり、その上の容器に着色材を入れる。針の上にはレバーが重なり、レバーの先端が穴に対応する。ボタンを押すと先端が下降して穴を通り、エナメル文字盤に黒点を付ける。レバーは針の回転について動くため、どの角度でも記録できる。2
同誌の記す着色材は、煤黒と油を使うものだった。これは同誌が紹介する器具の配合であり、すべての製作者が同じインクを使ったという意味ではない。黒点と白い文字盤の組合せは、記録位置を読み分けるための構成である。文字盤は時刻を表示するだけでなく、測定後に見直せる記録面にもなる。2
計時する輪列・脱進機と、点を付ける動作は役割が違う。前者は秒針の角位置を時間に対応させ、後者は観測者の合図をその位置へ写す。1845年の記事は点記レバーが時計の走行と独立して働くと説明する。この設計の狙いは、点を付けるたびに時計全体を停止・再始動することを避ける点にある。接触の影響が物理的に完全なゼロだという現代の実測保証ではない。2
ボタンの力をそのまま筆圧にしない機構#
ファットンが1822年9月27日に特許を受けた改良について、翌年の『ポリテヒニシェス・ユルナール』は、英国の技術誌に基づく説明と図を載せた。図9の秒針は1分一周し、小さな分表示は10分で一周する。図10では、外部ボタン、爪、歯のある車、傾斜面を持つレバー、点記先端を動かす弾性腕が組み合わされる。3
説明に沿えば、動作は次の順になる。
- 巻き上げられたばねの力で回ろうとする車を、爪が保持する。
- ボタンを押すと保持が外れ、車が一歯分進む。別の爪の面が次の進行を止める。
- 車の下面の楔状の歯がレバーの傾斜面を通り、レバーを押し下げる。
- レバーが針側の弾性腕を介して先端を下ろし、色材で点を作る。
- 指を離すと爪が待機位置に戻り、次の押下に備える。
人の指は記録動作の開始を指示するが、点記の短い動作には巻き上げられた機構の力を使う。この説明は、押す強さや押し続ける時間と、記録先端の動作とを切り離そうとした設計を示す。ただし、同記事は原特許の全文ではなく翻訳された技術解説であり、歯数と寸法を省略したことも明記する。ファットンとリューセックの原特許明細書・原図は探索したが発見できず、機構は同時代の技術解説に基づいて説明している。原資料が存在しないという意味ではなく、全請求範囲や製造公差を復元するものでもない。3
点の読み方と、周回を区別する工夫#
1分一周の針なら、一周360度が60秒に対応し、6度が1秒になる。二点の角度差だけでは1分を越えたかどうかが分からないため、分の表示や観測の順番も必要である。1845年の記事は、6.3秒と22.4秒の位置にある二点から、16.1秒という時間差を読む例を示す。これは同じ一周内の例であり、二点が一周をまたぐ場合には周回数を補わなければならない。2
固定半径の針では、ちょうど1分後の出来事は前と同じ場所に重なり得る。この問題に対して、1845年刊行のニコラ・ボキヨンの博覧会解説は、ブレゲの点記針が回転中に伸び縮みし、一周後の点を別の円周上へ移す改良を記している。角度に加えて半径も変えることで、前の周回と後の周回を見分ける工夫である。同書はそのための内部機構の全図や歯数を与えておらず、特定のカム形状まで決めることはできない。5
サロモンズが再録した工房案内は、黒色材の準備一回で50回を超える観測に対応し、5分のあいだ点を混同せず残すと述べる。また、秒・分を一つの文字盤に持つものと、別面に時表示を備えるものを挙げる。これは工房が案内した仕様であり、すべての点記式計時器の容量や測定時間ではない。10分表示や1時間・12時間の積算表示を持つ現存例もあり、記録できる点の数、同じ位置の重なりを避けられる時間、積算表示の範囲は別々に考える必要がある。1 3 8
科学観測での使い方と精度の限界#
暗所で出来事を見て、後から読む#
点記は、時計の文字盤を見るために対象から眼を離さなくてよいという利点を持つ。砲の閃光に合わせて一回、音が聞こえたときにもう一回押せば、時計を止めずに二つの出来事を残せる。観測後に文字盤へ灯りを当てて読み取ればよい。2
『マガザン・ピトレスク』は、オーギュスト・ブラヴェ、カミーユ・ブラヴェ、マルタンスによる1844年9月22・24・25・27日の音速実験を紹介する。場所はスイスのファウルホルン山頂とブリエンツで、高低差2,079メートル、斜距離9,651メートルだった。装備はブレゲの点記式計時器二台、クロノメーター一台、青銅の砲二門と記される。相互に砲を撃って観測し、最初の夜を予備実験として除くなど、観測条件も選別していた。2
ここで計時器が担うのは光と音の到着差を記録することだ。音速の算定には距離の測定、気温・湿度、風の影響、両方向の観測をどう組み合わせるかも関わる。点記式計時器が一台あれば、それだけで正しい音速が得られるわけではない。この器具の歴史は、小数秒を示す時計の歴史であると同時に、測定を再検討できる形で残す道具の歴史でもある。2
目盛りの細かさと観測誤差は同じではない#
同誌は誤差を0.1秒以内と評価し、始点と終点で同じ押下をすれば遅れがほぼ相殺されると論じた。これは当時の記事の評価である。読み取った時間差には、時計の進み遅れ、点の幅やにじみ、目盛りの読み取り、出来事を知覚してから押すまでの時間の影響が含まれる。目で閃光を見て押す場合と、耳で音を聞いて押す場合の遅れが同じだとは限らないため、同じボタンを使うことだけで反応の差を消せるとはいえない。2
また、ボキヨンは点記式の説明に続けて、望遠鏡の視野内で表示を読むブレゲの接眼計時器を説明し、その百分の一秒は近似読取りだとする。これは別の器具の記述である。接眼計時器の読取り能力を、そのまま点記式計時器の保証精度に移すことはできない。5
材料と現存する具体例#
点記式には、白いエナメルの記録面、鋼の針、真鍮の機械、銀や金色の金属ケースなどが使われた。素材は作品ごとに異なる。シリンダー脱進機を持つ現存例もあり、点記機構そのものが特定の脱進機を意味するわけではない。実物解説に記載のない潤滑油の種類、針先の寸法、インクの粘度、製造公差や摩耗寿命を、外観から決めることはできない。6 7 8
ファットン No.2:師の名と自分の名を持つ時計#
パテック フィリップ・ミュージアム所蔵S-828は、2023年東京展の公式カタログでロンドン、1822年の作品とされる。機械と文字盤にはファットンの名、ブレゲの弟子であること、ロンドンおよび「PATENT」「No.2」の銘がある。直径60ミリ、厚さ22ミリ、高さ83ミリで、銀製のギヨシェケース、白いエナメル文字盤、鍵巻き、シリンダー脱進機を備える。十時位置のスライダーで脱進機を止め、一時位置のボタンでインクの点を付けると解説される。6
この資料は、走行を止める操作と記録する操作が別に用意された具体例を示す。同時に「ブレゲの弟子」という銘が、ファットン本人の製作名義と併存していることも分かる。銘のNo.2と、法律上の特許番号を同じ数字だとみなすことはできない。6
ブレゲ No.4129:時表示と記録面を分ける#
No.4129は銀と金の両面時計で、一方に一針の時表示、他方にインク式クロノグラフと10分積算を備える。サザビーズの2019年目録は1825年頃と記し、同年8月26日付のブレゲ証明書に基づいて、1826年10月13日にサンクトペテルブルクのChez Wenhamへ2,000フランで販売されたとする。ただし、同じページの来歴欄は1825年8月13日、Wenhemと記し、日付と綴りが一致しない。1826年という日付は証明書を紹介する説明の記載であり、ここでは工房の原台帳によって両者の相違を解消できていない。9
No.557とNo.545:ブレゲ・ヌヴーの大型計時器#
No.557は直径79ミリの真鍮製点記式計時器で、エナメル文字盤、中央の青鋼の記録針、10分積算、シリンダー脱進機を持つ。六時側に始動・停止レバーと点記用押しボタンがある。クリスティーズの出品資料は概算年代を1850年頃とする一方、追記ではブレゲのアーカイブに基づき、1846年12月21日、Pixuへ280フランで販売された「新型コンプトゥール・ア・ポアンタージュ」と特定している。7
No.545は直径81ミリ、金色の金属ケースに白いエナメル文字盤を備え、60分と12時間の積算表示を持つ。アンティコルムの1991年目録によれば、1847年5月16日にキュルゼ子爵へ350フランで販売された。真鍮の機械、シリンダー脱進機、三本腕の真鍮テンプ、青鋼の平ひげが記述され、点記ボタンは始動・停止用の操作部の隣に置かれる。8
両者の署名はBreguet Neveu et Compagnieである。1823年に亡くなったアブラアン=ルイ個人が1840年代に製作・販売したとすることはできない。ブレゲという工房名のもとで、点記式が後の世代にも製品として展開された例である。7 8
発明者と年代をどう読むか#
サロモンズが再録した工房案内は、自らの点記式を、あるフランスの製作者が1821年に特許を取った発明の改良と明記する。しかし、その製作者を名指ししていない。1850年のルイ・ブレゲの書簡は、リューセックの特許日を1822年3月9日とする。ここでは、1821年という初期案内の記載と、後の書簡が挙げる特許日を、同じ意味の確定日としてまとめるべきではない。1 4
一方、ファットンの1822年9月27日の改良特許は、翌年の技術誌に具体的な機構とともに記録される。これによって少なくとも、ブレゲ工房と関係する点記機構を、アブラアン=ルイだけの着想と製作へ還元できないことが分かる。現物に残るファットン自身の署名も、その役割を具体的に示す。3 6
1850年の優先権論争では、孫ルイ・ブレゲが、リューセックの回転文字盤と祖父の固定文字盤を区別し、祖父の名誉を守ろうとした。この書簡は論争が実際にあったことと、当事者が何を技術上の違いと考えたかを知る一次資料である。しかし、後年の当事者の主張一通で、最初の着想、特許取得、製作、改良のすべてを一人へ帰属させることはできない。4
年表#
| 年月日 | 出来事と資料の位置付け |
|---|---|
| 1821年 | 後に再録されたブレゲ工房案内が、点記式の先行発明の特許年として記す。製作者名は記載しない。1 |
| 1822年3月9日 | 1850年のルイ・ブレゲ書簡が、リューセックのクロノグラフ特許日として挙げる。4 |
| 1822年9月27日 | ファットンの点記機構改良特許。1823年の技術誌が日付と動作を紹介する。3 |
| 1822年 | ミュージアム所蔵ファットンS-828の製作年とされる。銘はNo.2、ロンドン。6 |
| 1823年 | 博覧会報告が固定文字盤・可動記録針を持つブレゲ工房の計時器を紹介したと、1850年書簡が引用する。4 |
| 1825–1826年 | No.4129の販売について、2019年目録の来歴欄は1825年8月13日、証明書紹介は1826年10月13日と記す。9 |
| 1844年9月 | ファウルホルンとブリエンツの音速実験にブレゲの点記式二台を使用したと、翌年の科学紹介誌が報じる。2 |
| 1845年 | ボキヨンが、回転ごとの記録を区別するために針の半径を変える改良を記述。5 |
| 1846年12月21日 | ブレゲ・ヌヴーNo.557をPixuへ販売。アーカイブに基づく出品資料の追記による。7 |
| 1847年5月16日 | No.545をキュルゼ子爵へ販売。現物目録による。8 |
| 1850年 | ルイ・ブレゲが科学院の『コント・ランデュ』で祖父の優先権を主張。4 |
| 1921年 | サロモンズが初期工房案内を再録し、点記式の仕様説明を伝える。1 |
| 2023年 | 東京展の公式カタログがファットンS-828の機構・寸法・銘を公開。6 |
時を示すことと、出来事を保存すること#
コンプトゥール・ア・ポアンタージュの意義は、秒針を細かく動かすことだけにない。観測者が見た出来事と時計の表示を対応させ、その対応を点として残した。固定文字盤、可動するインク針、短い点記動作、周回を区別する仕組みは、それぞれこの目的に向けた工夫だった。
今日、これらの器具を理解する手掛かりは、現存品、当時の技術解説、工房案内、科学観測の記述にある。点が残ることは、観測者の知覚や時計の誤差まで消えることではない。それでも、出来事を見ながら時計を止めず、後から測定を読み直せるようにしたことは、表示する時計から記録する計測器へ進む具体的な一歩だった。
参考文献#
- David Lionel Salomons, Breguet (1747–1823), 1921, p.93、第28項、ブレゲ工房案内再録。公開原本。仏語案内の当事者による仕様・評価。閲覧2026年10月16日。
2. Le Magasin pittoresque, 1845, “De la vitesse du son dans l’air”, pp.182–184、特にpp.183–184の点記機構・図・1844年実験紹介。原誌PDF。同時代紹介記事であり実験原報そのものではない。閲覧2026年10月16日。
3. Polytechnisches Journal, Band 12, 1823, Nr.XI, p.51, “Gewisse Verbesserungen oder Zusäze zu Taschenuhren oder Chronometern…”, Tab.III, Fig.9–10。全文と図。London Journal of Arts and Sciences, June 1823, p.281に基づく独語解説。原特許全文ではない。閲覧2026年10月16日。
4. Louis Breguet, “Réclamation de priorité au sujet des chronomètres à pointage de M. Abraham-Louis Breguet”, Comptes rendus hebdomadaires des séances de l’Académie des sciences, tome 30, 1850, pp.206–208。原頁PDF。発明者の孫による優先権主張。閲覧2026年10月16日。
5. Nicolas Boquillon, Études techniques sur l’exposition des produits de l’industrie française en 1844, 1845, pp.274–275。Cnam公開原本。回転中に長さの変わる点記針と、別の接眼計時器を説明。閲覧2026年10月16日。
6. Patek Philippe, Watch Art Grand Exhibition Tokyo 2023, 英語公式カタログ、p.84, S0828 “At the Gallop!”。カタログPDF。ミュージアム所蔵ファットンS-828の現物解説。閲覧2026年10月16日。
7. Christie’s, “Breguet Neveu et Compagnie… No.557”, 2012, lot 5612274。現物解説と販売記録の追記。追記の販売日と概算年代表示を区別して参照。閲覧2026年10月16日。
8. Antiquorum, The Art of Breguet, 1991年4月14日、lot 101, No.545。現物解説。販売日・顧客と機構の目録記述。閲覧2026年10月16日。
9. Sotheby’s, Masterworks of Time, 2019, lot 78, Breguet et Fils No.4129。現物解説。2019年証明書の紹介は1826年販売とするが、同ページの来歴欄は1825年と記す。閲覧2026年10月16日。