レバーとテンプを一本のピンで結ぶ#
クランク・ローラー(crank roller)は、初期のレバー脱進機で、テンプの軸に取り付けた腕やローラーから突き出すピンを、レバー先端のフォークに出入りさせる連結方式である。ピンはテンプが中央付近へ戻ったときにガンギ車の停止を解き、続いてレバーから衝撃を受け取る。往復運動の大部分ではフォークを離れるため、テンプを輪列から切り離して振動させることができる。1
この名称は、一人の時計師が作った一種類の完成機構だけを指すものではない。Rupert T. Gouldはジョージ・マーゲッツの改変として説明し、1921年のChamberlainコレクションのカタログはエドワード・マッシーの現物をクランク・ローラー式レバーとして記録する。レバー脱進機の発明、ピンとフォークの連結、接触部を回転させる工夫、量産時計での採用を分けて見る必要がある。1 2
先行するマッジの構造#
二つの高さから、一つの連結へ#
トーマス・マッジの初期レバー脱進機では、テンプ軸の二つの扇形部品と、高さの異なる二本のフォーク腕が働く。Gouldの図50と説明では、一方の扇形がフォークを押してロックを解き、ガンギ車が動いて爪を押すと、もう一方のフォーク腕が別の扇形へ衝撃を与える。復路は左右を入れ替えて同じ過程を繰り返す。1
この発明の重要な点は、テンプとガンギ車を常時つなぐ必要がなくなったことである。ラック・レバーのようにレバー側の歯列とテンプ側の小歯車を噛み合わせる構成とは違い、テンプは連結が外れた区間を自由に振動できる。Chamberlainの解説は、レバーがラックの歯を減らしただけで発明されたという単純な系譜を否定し、マッジの構想と後のマッシーの構造を区別している。1 2
マーゲッツとエメリー#
Gouldによれば、マッジの模型は支援者ブリュール伯爵を介してロンドンの職人に示され、ジョサイア・エメリーとジョージ・マーゲッツが高級時計や一部の海上時計へ取り入れた。マーゲッツは、テンプから出る短い腕の一本のピンに、解放と衝撃伝達の両方を担わせた。これをGouldはクランク・ローラーと呼ぶ。1
エメリーは一部の時計で、そのピンを宝石軸受に支持し、フォークへの出入りに際してピン自身が回転できるようにした。単なる固定ピン、回転するピン、テンプ軸と一体に動く安全用ローラーは別の部品・機能である。「ローラー」という語があるからといって、どの接触も転がり摩擦だけになるわけではない。1
一往復で起こること#
ロック、解放、衝撃、離脱#
作動は、接触の有無とエネルギーの向きを分けると理解しやすい。以下はGouldのマッジ式の説明と、Chamberlainのマッシー式作動図をもとにした共通機能の整理であり、各型の爪角度や歯数が同じという意味ではない。1 2
| 段階 | 主に動かす側 | 連結部の役割 |
|---|---|---|
| テンプがフォークから離れて振動する | テンプとひげぜんまい | ガンギ車は爪の停止面で止まり、ピンはフォークから離れる |
| テンプが中央へ戻る | テンプ | ピンがフォークへ入り、レバーを動かして停止を解く |
| ガンギ車が進む | 輪列から来る動力 | 歯が爪を押し、レバーとフォークを介してピンへ衝撃を与える |
| 反対側の爪で停止する | ガンギ車とレバー | ピンがフォークを抜け、テンプは再び自由に振動する |
| 反対向きに戻る | テンプ | 左右を入れ替えて解放と衝撃を繰り返す |
解放時にはテンプがレバーを動かす仕事を負担する。衝撃時には輪列がテンプの損失を補う。二つの機能を一本のピンにまとめても、必要な仕事が消えるわけではない。フォークの幅、ピンの位置、レバーの移動量が合わなければ、解放に余分なエネルギーが必要になったり、衝撃の途中で連結が外れたりする。この関係は接触図から説明できるが、現存時計の効率値を測定せずに算出できるものではない。1 2
安全装置とドローは同じではない#
ピンがフォークから離れている間にレバーが勝手に移動すると、次の接近で正しく噛み合わなくなる。マッジ式はテンプ軸に切欠き付きローラーを置き、レバー側の突起が通常はその外周で阻まれ、正しい位置でだけ切欠きを通るようにした。バンキング・ピンはレバーが動ける範囲を制限する。1
さらにGouldがエメリーの重要な改良として挙げるのがドローである。爪の停止面をわずかに傾け、ガンギ車の圧力がレバーをバンキング側へ保つようにする。安全用ローラーは不適切な移動を妨げる装置、ドローは通常の停止中にレバーを安定した位置へ寄せる作用であり、役割が異なる。ピンを回転式にしたことと、ドローを導入したことも別の改良である。1
マッシー式と現存する時計#
1921年カタログのNo.155#
ChamberlainコレクションのNo.155は、製作者銘を「Edwd. Massey」、時計の番号を109とする作品で、カタログは約1814年製と推定する。No.155は展示カタログ番号、109は時計に記された番号であり、同じ番号系列ではない。2
その作動図には、ガンギ車と二つの爪、レバー先端の切欠き、テンプ側の突出部が描かれている。図AからDは接触状態の変化、図Eは高さ方向の配置を示す。二次元の外形だけでなく、高さの違いを利用した連結を理解する資料でもある。ただし図にある形状を、そのまま全てのマッシー式やマーゲッツ式へ適用することはできない。2
ロスケルとアメリカに伝わった個体#
Science Museum Groupの1920-517は、Robert Roskellが約1830年にリヴァプールで製作したクランク・ローラー付きレバー時計のムーブメントとして登録されている。金と鋼のテンプを備えるとされ、時計全体ではなく、現存する機械部分の記録である。3
Willard House & Clock Museumの2.96.54は、Benjamin Goddardに関係する1830–1850年の懐中時計で、直角配置のマッシーII型クランク・ローラー、鋼テンプ、フュジーを記録する。館はケースの巻上げ穴と機械の巻上げ角が一致しないことから、ケースが元のものではない可能性も指摘する。採用地域を考える資料になる一方、現存ケースから機械の製作地や当初の仕様を確定することはできない。4
材料、加工、性能の限界#
ピンとフォークは、衝撃を伝える接触面であると同時に、微小な隙間を保って出入りする組合せである。Chamberlainの図Eが示すように、高さが合わなければ平面上の形を正しく作っても機構は成立しない。軸の支持、ピンの仕上げ、フォークの接触面、バンキングの位置を一組として調整する必要がある。これは図の幾何学的な要求から読み取れる加工条件であり、特定工房の工具や公差を復元した説明ではない。2
Gouldが記すエメリーの宝石軸受は、接触ピンを回転可能にするための支持である。Willardの個体に記された七石やダイヤモンド受石は時計全体の仕様であり、衝撃ピンの素材や全ての接触部の潤滑を指定する情報ではない。宝石を使う部位と、宝石の総数を混同しないことが重要になる。1 4
この機構の価値は、解放・給力の短い時間だけテンプと輪列を連結するというレバー脱進機の構想を、別の部品形状で実現したことにある。単純な連結は製作や調整の利点になり得るが、停止の安全性、接触時の摩擦、衝撃での挙動、温度補償、ひげぜんまいの特性まで自動的に改善するわけではない。1 2
Gouldは1923年時点のダブル・ローラー式を、エメリーの改良を経たレバー式と比較する。これは後世の構造上の説明であり、現代の全ての腕時計が特定のマッシー式から直接派生したという証明ではない。現代のスイスレバー脱進機と比べるときも、二本の爪で交互に停止する機能と、フォーク・ローラーの具体形状を分けて見るべきである。1
年表と史料の限界#
| 時期 | 確認できる展開 |
|---|---|
| 18世紀後半 | マッジのレバー機構がブリュール伯爵を通じてロンドンの時計師へ示され、マーゲッツとエメリーが改変。Gouldの歴史記述による |
| 約1814年 | ChamberlainカタログがマッシーNo.109をこの頃のクランク・ローラー式として記録 |
| 約1830年 | リヴァプールのロスケルによる現存ムーブメント1920-517の製作年代 |
| 1830–1850年 | Willard所蔵Goddard関係時計の登録年代。マッシーII型を備える |
| 1921年 | Chamberlainコレクションのカタログがマッシー式の現物と作動図を刊行 |
| 1923年 | Gouldがマーゲッツ・エメリーの連結部改変をレバー脱進機史の中で説明 |
| 2026年10月 | 現行所蔵記録と歴史図版から、型・製作者・後年のケース変更を区別して比較できる |
クランク・ローラーの厳密な初製作年や、最初の個体は、これらの資料から一律には確定できない。マッシーの脱進機に関わる原特許の全文も確認できていないため、本稿は請求範囲や特許による優先権を断定しない。機構を理解する根拠は、Gouldの歴史説明、Chamberlainの現物記録と図、博物館に残る具体例にある。
参考文献#
オンライン資料の閲覧日は2026年10月13日。図版は参照にとどめ、転載していない。
- Rupert T. Gould, The Marine Chronometer: Its History and Development, J. D. Potter, 1923, pp.149–151、図48–50。原紙面画像を確認。
- Art Institute of Chicago, Watches: The Paul M. Chamberlain Collection at the Art Institute of Chicago, 1921, No.155と作動図。公開PDFの31、33、53ページ。現物記述・図版を確認。
- Science Museum Group, Lever escapement with crank roller, 1920-517。現行収蔵記録の製作者、年代、材料欄。
- Willard House & Clock Museum, Benjamin Goddard (1813–1870), Pocket Watch, Roxbury, Massachusetts, 1830–1850, 2.96.54。機構仕様とケース変更の所蔵館による解釈。