ダブルT補償テンプ#
ダブルT補償テンプ(double-T compensation balance)は、ジョン・アーノルドが18世紀後半のクロノメーターに用いた、温度変化による歩度の変化を抑えるためのテンプである。鋼と真鍮を組み合わせた二本の帯と、それぞれに付いた棒と錘が、テンプの回転軸に対する質量の配置を温度に応じて変える。二つのTに見える構成は、後に広く用いられた切りテンプとは形が異なる。1 2
温度と時計の進み遅れ#
機械式時計ではテンプとひげぜんまいが往復振動し、その周期が歩度を決める。温度が上がると、一般に鋼のひげぜんまいは弾性が弱まり、振動は遅くなりやすい。テンプの寸法や質量分布も変わる。温度補償の狙いは、ばねの変化をなくすことではなく、テンプ側の変化でその影響をできるだけ相殺することにある。2 3
テンプの軸から遠いところに質量があるほど、その質量は慣性モーメントに大きく寄与する。錘が軸に近づくと慣性モーメントが減り、他の条件が同じなら振動は速くなる。温度が上がってばねが弱まる効果に対し、錘を内側へ動かすことで逆向きの補償を与えられる。ただし実際の歩度はばね、脱進機、摩擦や姿勢などにも左右され、テンプだけで時計全体の精度を保証できるわけではない。2
二本の帯と錘#
1978年の時計技術誌 Horological Times は、この形式を鋼の輪と腕、腕に平行な二本の直線状のバイメタル帯で説明している。各帯は内側が真鍮、外側が鋼で、その中央から鋼の棒が横に延び、腕の両端に歩度調整用の錘がある。1
真鍮と鋼は同じ温度変化に対する伸び方が違う。貼り合わせた帯は自由に別々の長さにはなれず、温度に応じて曲がる。その変形が棒と錘の位置を変え、回転軸まわりの慣性モーメントを調整する。冷えれば変形は逆向きに働く。帯が曲がるだけでは補償にならず、錘の位置を周期に必要な方向へ動かす配置が重要である。1 2
温度補償と常温での歩度調整は区別したい。錘の配置を変えれば基準温度での進み遅れを調節できるが、温度を変えたときにどれだけ位置が動くかも補償に関係する。実機の調整方法や精度を一つの数値で一般化することはできない。異なる材料と複数の錘を組み立てるため、個々の部品の状態や調整が結果に影響する。1 2
アーノルドの作品と特許#
アーノルドは航海用の精密時計を改良する中で複数の補償方式を試した。時計史の専門解説は、double-Tとdouble-Sの双方が真鍮と鋼の帯と錘を使い、温度に伴って質量の回転半径を変えると説明している。両者は同じ原理を共有するが、形状を混同してはならない。2
ロンドンの国立海事博物館に所蔵されるNo. 1/36は金のケースを持つ懐中クロノメーターで、博物館は1778年のロンドン極印を記録している。専門解説はこの時計をdouble-Tの例として扱う。グリニッジでの長期試験は時計全体の実績であり、その結果を温度補償だけの効果として切り分けることはできない。2 4
もう一つの例、No. 02/43は、サザビーズの目録でdouble-Tを備えた時計として記載され、ケースに1777年の極印がある。ただし同目録は脱進機の改造と後年のひげぜんまいも記す。現存するすべての部品がケースと同年の原状であるとは限らない。5
1782年5月2日の英国特許No. 1328について、特許目録に基づく研究用一覧は脱進機、温度補償テンプ、円筒形ひげぜんまいの端の曲げを挙げる。サザビーズの解説は、この特許がdouble-Tとdouble-Sを含んだと述べる。特許の原仕様書と図面は未確認であり、具体的な請求範囲や図面の細部はこの二次資料から以上に広げられない。6 7
発展と限界#
同時代の補償方式には、異種金属の変形でひげぜんまいの有効な長さを変える方法もあった。double-Tは振動体側の質量配置を変える方式である。後の切りテンプでは、二種の金属を組み合わせた輪の切れ目側が温度によって動き、輪の錘の位置を変える。どちらも温度と慣性の関係を利用するが、構造は同一ではない。1 2
補償がある温度で合っても、すべての温度で誤差が完全に消えるとは限らない。温度が変わる途中には、各部が一様な温度に達しない可能性もある。これは熱の伝わり方から考えられる一般的な限界であり、この形式の実測値を示すものではない。double-Tは、温度によるばねの変化を錘の位置の変化に結び付けた、精密時計の設計史上の具体的な解答の一つである。
年表#
| 時期 | 確認できる事柄 |
|---|---|
| 1770年代後半 | アーノルドがdouble-T形式を採用。No. 1/36のケースには1778年の極印がある。2 4 |
| 1782年 | 英国特許No. 1328。目録は温度補償テンプ等を記し、後年の解説はdouble-Tを含むとする。6 7 |
| 1978年 | 時計技術誌がこの形式の構成を解説。1 |
| 現在 | 所蔵館や目録で作品を確認できるが、後年の改造の有無は個別に読む必要がある。4 5 |
参考文献#
1. Horological Times, 1978年7月、p. 41、「The Ship’s Chronometer」中のテンプ構造の説明。AWCI公開PDF(2026年11月4日閲覧)。
2. Antiquarian Horology, “John Arnold”, double-T / double-SとNo. 36の節。本文(2026年11月4日閲覧)。
3. Chronométrie Ferdinand Berthoud, “Naissance d’une Montre 3”, 温度変化とバイメタルテンプの説明。本文(2026年11月4日閲覧)。
4. Royal Museums Greenwich, “36”, ZBA1227。所蔵目録(2026年11月4日閲覧)。
5. Sotheby’s, “John Arnold … pocket chronometer with double T balance, no. 02/43”, lot 618(2004)。作品目録(2026年11月4日閲覧)。
6. Mario Biagioli, 科学機器特許の研究用一覧、英国の部p. 1、No. 1328。PDF(2026年11月4日閲覧)。
7. Sotheby’s, Important Watches, 2023年、pp. 112–113、No. 99の目録解説。PDF(2026年11月4日閲覧)。