ダイナパルス脱進機(Dynapulse escapement)

ダイナパルス脱進機(Dynapulse escapement)

エグゼクティブサマリー#

ダイナパルス脱進機(Dynapulse escapement)は、ロレックスが2025年に発表した新型ムーブメント「キャリバー7135」に搭載された “分配(distribution)を逐次化(sequential)する”新機構の脱進機であり、従来のスイスレバー脱進機(Swiss lever)から設計思想(接触・摩擦様式、エネルギー配分、部品材料、組立・潤滑プロセス)を大きく転換した点に特徴がある。ロレックスNewsroom公式資料では、香箱(barrel)に連結された伝達輪(transmission wheel)が2つの分配輪(distribution wheels)を駆動し、これらが交互にインパルスロッカー(impulse rocker)を作動させて調速機(oscillator)を駆動すること、さらに要素間相互作用が “すべり(sliding)”ではなく“ころがり(rolling)” で行われることが明示されている(公式一次資料上の最重要ポイント)。1

発明者(特許上の発明者)としては、少なくとも欧州・米国・日本で同一優先日(2023-07-12)を共有する一連の関連特許群において、Fabiano Colpo、Olivier Karlen、Mai Xuan Tu(/Xuan Mai Tu) が記載される。 2 これらの特許群は、(公開文献として確認できる範囲で) 「2つの能動振動(two active vibrations)を持つ接線駆動(tangential drive)」 を中核に、2つの脱進輪要素+単一の阻止要素(blocking/locking mobile element)阻止力の作用線を回転軸近傍(/通過)に配置して休止時の転倒トルクを低減し、衝撃時の“止め(ストップ)/回り止めピン”を不要化し得るといった設計論を示す。3

初出(初めて利用されたモデル)は、ロレックス公式およびNewsroom資料の整合から、Oyster Perpetual Land‑Dweller(ランドドゥエラー) であり、キャリバー7135は5 Hz(36,000 beats per hour) の高振動と約66時間のパワーリザーブを、ダイナパルス脱進機を含む設計全体で成立させることが説明されている。1

本レポートは、ロレックス公式一次資料(Newsroom/公式サイト/公式プレスリリース)と、公開特許(EP/US/WO/JP)および学術・技術文献(日本時計学会誌、数理解析論文、MEMS量子力学レビュー等)を中核に、(a)発明の同定、(b)歴史的背景と年表、(c)機構・力学・摩擦/接触・音響・材料/加工・潤滑/ナノ計量、(d)影響評価を、ドキュメンタリー制作にも耐える形で再構成する。


発明の同定と一次資料に基づく基本像#

定義と構成要素#

ロレックスNewsroom(フランス語版Land‑Dweller紹介)では、ダイナパルスを 「シリコン製の逐次分配脱進機」 とし、構成を次のように記述している:

  • 伝達輪(roue de transmission / transmission wheel)2つの分配輪(roues de distribution / distribution wheels) に噛み合い、
  • 分配輪が交互にインパルスロッカー(bascule d’impulsion / impulse rocker) を作動させ、
  • ロッカーが調速機(oscillator) を駆動する。4

さらに、同一次資料は、従来のロレックス機械式に用いられてきたスイスレバー系脱進機に対して、相互作用がすべり(glissement)ではなく、ころがり(roulement) で行われるため、脱進機のエネルギー消費を低減できる、という設計意図を明示する。4

ロレックスNewsroomの「Land‑Dweller: Watchmaking features」では、分配輪について 「歯(teeth)とブレード(blades)が同一平面上にある」 という形態学的特徴と、

  • 噛み合い(mesh)
  • インパルスロッカーの位置決め→操舵(pilot)
    という二重機能が要点として明記される。5

発明者(特許上の発明者)#

公開特許の一次資料で確認できる発明者(inventor)は、少なくとも以下の主要ファミリーで一致する:

  • Fabiano Colpo / コルポ・ファビアーノ
  • Olivier Karlen / カーレン・オリヴィエ
  • Mai Xuan Tu(Xuan Mai Tu)/ マイ・トゥ・シュアン

米国出願(US2025/0021049, US2025/0021050)、欧州出願(EP4492154A1, EP4492153A1)、PCT(WO2025012315A1)、日本特許(JP7781970B2, JP7778860B2)で同趣旨の機構が展開され、いずれも上記の発明者が記載される。2

注意(一次資料の限界) :ロレックスは「ダイナパルスに関して7件の特許出願がある」と公式に述べるが、公開データベース上で“Dynapulse”という呼称で横断的に7件を機械的に同定できるとは限らない(名称非記載/未公開出願/国別出願の重複等のため)。本レポートでは、公開一次資料として追跡できた主要ファミリーを中核に整理し、未同定分は「未同定(出典不明ではなく、公開同定不能)」として明示する。4

初出(初めて利用されたモデル)と特徴#

ロレックス公式およびNewsroom資料の整合から、ダイナパルス脱進機の初出は:

  • Oyster Perpetual Land‑Dweller(2025年発表)
  • 搭載ムーブメント:キャリバー7135
  • 高振動:5 Hz(36,000 beats per hour)
  • パワーリザーブ:約66時間(Dynapulseにより高振動でも確保)

である。1

また、Newsroom資料では、ダイナパルスが特別な組立・潤滑プロセス(油をナノリットル単位で塗布、外部支持体上で組立・潤滑してからムーブメントに挿入) を要する点が、技術的特徴として公式に言及される。5


年表#

以下は、(A)ダイナパルス固有の開発・公開・製品化イベントを月単位で、(B)背景となる脱進機技術史を粗密をつけて補助線として示す。一次資料のある項目を優先し、推測は避ける。

ダイナパルス脱進機の開発・公開・製品化(一次資料中心)#

  • 2023-07-12:主要特許群の優先日(Priority date)。
    • 例:WO2025012315A1(維持方法)、US20250021049A1/US20250021050A1(脱進機装置)、JP系対応特許。 6
  • 2024-07-08:日本出願日(例:JP2024109567A/JP2024109565A)としてデータベースに記録。 7
  • 2024-07-10〜11:欧州・米国での出願(EP/US)として記録。 8
  • 2025-01-14〜16:中・欧・米で関連公開(CN/EP/WO/US)
    • 例:EP4492153A1/EP4492154A1(2025-01-15公開)、US20250021049A1/US20250021050A1(2025-01-16公開)、WO2025012315A1(2025-01-16公開)など。 9
  • 2025-04-01:Watches and Wonders(ジュネーブ)時点のロレックス公式プレス資料で、Land‑Dwellerとキャリバー7135が紹介され、ダイナパルスのアーキテクチャ(伝達輪→2分配輪→インパルスロッカー)と主要利点(軽量、耐磁、効率向上)が公式説明される。 1
  • 2025-04-01(同日) :ロレックスNewsroom技術解説で、
    • ナノリットル単位の油潤滑、
    • 外部支持体上での組立・潤滑、
    • 分配輪の「歯とブレードが同一平面」等、量産技術を含む具体的特徴が公表される。 5
  • 2025-12-02 / 2025-12-08:日本で関連特許が登録・公報発行(JP7778860B2、JP7781970B2)。 10

背景技術史(粗密化)#

  • 2014:ロレックスのシリコン製ヒゲゼンマイ「Syloxi」がキャリバー2236で導入されたと公式説明。 11
  • 2015:ロレックスの「Chronergy」脱進機が採用開始と公式説明(スイスレバーの最適化)。 12
  • 2015(Baselworld) :キャリバー3255技術冊子で、スイスレバー脱進機の低効率(香箱→輪列→脱進機→調速機のうち調速機に“3分の1強”しか届かない)と、Chronergyによる効率**+15%**、数値解析(numerical modelling)等の開発手法が説明される。 13
  • 2022:長持続化と低トルク化を背景に、シリコンがんぎ車(escape wheel)導入で香箱→てんぷへの伝達エネルギーが約30%改善したとする日本時計学会誌技術報告(セイコーエプソン)。加工・平滑化・DRIEの具体が記述される。 14

タイムライン(要約)#

timeline
  title Dynapulse escapement を中心とする主要イベント
  2014 : Rolex Syloxi hairspring (cal.2236) 導入(公式)
  2015 : Rolex Chronergy escapement 採用開始(公式)
  2023-07-12 : Dynapulse関連主要特許群 優先日
  2024-07 : EP/US/JP等で出願(公開DB)
  2025-01 : EP/US/WO等で公開(EP4492153/54, US20250021049/50, WO2025012315)
  2025-04-01 : Land‑Dweller & Cal.7135発表(W&W 2025)/ Dynapulse公式技術説明
  2025-12 : JP登録公報(JP7778860B2, JP7781970B2)

技術解説#

ここでは、一次資料で確定できる機構記述を軸に、機械・音響・材料・加工・数理モデルへ拡張する。Dynapulse固有の寸法・角度・力学パラメータの多くは特許で例示される一方、最終製品との一致は必ずしも保証されないため、 「特許に基づく一般化」「製品公式記述」 を分けて扱う。

機構学#

公式記述ベースの作用連鎖#

ロレックス公式資料は、Dynapulseの最小要素連鎖を以下のブロックとして提示する:

  • 香箱に連結された伝達輪2つの分配輪インパルスロッカーてんぷ(balance) の振動維持。 1

このとき、接触様式は“すべり”よりも“ころがり”へ寄せることで、脱進機の消費エネルギーを下げ、高振動化(5 Hz)と実用パワーリザーブ(約66h)を両立させる、と説明される。4

特許ベースの抽象モデル#

公開特許(たとえばUS20250021050A1、JP7778860B2等)では、

  • 第1脱進要素第2脱進要素が噛み合い(駆動歯部の噛合)、
  • 単一の阻止要素(blocking/locking mobile element) が交互にそれらを阻止し、
  • 阻止要素がインパルス受け取り/伝達機能を介して慣性要素(inertial element; balance) へエネルギーを与える、
    という構造が定式化される。7

特に、JP7778860B2/US20250021050A1では、阻止状態(休止段階)で

  • 第1/第2脱進要素から阻止要素に加わる阻止力の作用線を第4回転軸近傍(/通過) に置き、
  • 阻止要素が転倒トルク(banking/overturning torque)を受けにくいように設計することで、
  • 衝撃時の“止め具/回り止めピン”を不要化できる、という安全設計が中核として述べられる。7

これは腕時計の実使用で支配的な外乱(衝撃・姿勢変化)に対し、静的安定性(rest position stability) を幾何学的に稼ぐ設計論であり、量産機での再現性・信頼性とも整合しやすい。

数理モデル#

基本方程式#

一般に、てんぷ‐ヒゲゼンマイ系はねじり振動子として一次近似できる。角変位を $(\theta(t))$ とすると、

$$ I\ddot{\theta} + c\dot{\theta} + k\theta = \tau_{\mathrm{esc}}(\theta,\dot{\theta},t) $$

  • (I):てんぷの慣性モーメント
  • (c):等価粘性減衰(空気抵抗+軸受損失+内部損失の集約)
  • (k):ひげゼンマイの等価ねじりばね定数
  • (\tau_{\mathrm{esc}}):脱進機からのトルク入力(ロック/解放/インパルスの位相依存・非線形・区分関数)

脱進機解析の要点は、(\tau_{\mathrm{esc}}) が連続正弦駆動ではなく、接触位相でのみ生じる区分的・衝撃的トルクである点にある(この観点で、時計脱進機は典型的な“自励振動(limit cycle)を作るフィードバック系”として扱える)。数理モデル化の枠組みとして、時計脱進機の数理説明(例:Graham脱進機を基準として一般化可能)を提示する技術文書が存在する。 15 また、脱進機を衝撃微分方程式(impulsive differential equations)ポアンカレ写像で解析し、極限周期の存在条件を論じる研究もある。16

Dynapulseに対応する“二重インパルス”表現#

特許群は「同一の揺動(1回の往復)中に2つのインパルスを与える」構成を明示する(第1振動で第1脱進要素から、第2振動で第2脱進要素から)。 7 この構造は、モデル上は

$$ \tau_{\mathrm{esc}}(t) \approx \sum_{n}\Big( J_1,\delta(t-t_{n}^{(1)}) + J_2,\delta(t-t_{n}^{(2)}) \Big) $$

のような2系列インパルス列((\delta) はディラックのデルタ)で粗視化でき、各インパルス強度 (J_{1,2}) と位相配置が、歩度安定性・振り角(amplitude)・外乱応答を支配する(※これは一般力学モデルであり、製品定数を主張するものではない)。

摩擦・衝突・振動#

“すべり→ころがり”の工学的含意#

ロレックス一次資料は、Dynapulseがころがり接触を活用してエネルギー消費を下げると述べる。 4 機械工学的には、すべり摩擦が支配的な接触での損失仕事は概ね

[ W_{\mathrm{slide}}=\int \mu,N,ds ]

((\mu):摩擦係数、(N):法線荷重、(ds):すべり距離)で増大するのに対し、ころがり接触では理想的にはすべり距離が抑制され、主損失が転がり抵抗や微小すべり(creep)へ移る。したがって、設計の狙いは「接触点での相対速度を下げ、潤滑・摩耗の感度を下げる」方向になる。

一方、時計脱進機では接触が微小・高周波であり、材料・表面・潤滑の三者(いわゆる“トライボロジー三要素”)の管理が難しい。スイスレバー脱進機を有限要素法(FEM)でモデル化し、接触動力学データを得て摩耗段階も含め制御する試みが、学術出版物として存在する(Swiss lever escapementの接触動力学データは実験的に得にくい、という問題意識が述べられる)。 17 この系譜の上に、ロレックスがChronergy開発で「最先端観察と数値モデリング」を用いたとする公式技術冊子の説明が位置づく。13

慣性低減(cut‑out)と動力学安定性#

ロレックスNewsroomは、シリコン部品を肉抜き(cut out) して慣性を下げ、駆動に必要なエネルギー量を抑える、と明示する。 5 これは、回転体の運動エネルギー (E=\tfrac12 I\omega^2) に基づけば、同一角速度域で (I) を下げることが、直接的にエネルギー要求を下げることを意味する。

この「慣性低減×接触様式の最適化」は、一般論として、長持続化と低トルク化の両立(香箱トルク低下→てんぷ振り角低下→精度悪化の問題)に対して、脱進機側の損失を下げることで補う戦略と整合する。実際、セイコーエプソンの日本時計学会誌技術報告では、輪列で約20%、脱進機で約50%が消費され、約30%がてんぷに伝達されるというエネルギー収支評価を示した上で、シリコンがんぎ車採用により脱進機損失を下げる方針が説明されている。14

音響工学#

“チクタク”の周波数構造#

ロレックスはChronergyの説明で、脱進機の連続動作が「チクタク音」を生むこと、そして(例として)28,800回/時の反復が生じることを説明している(これは従来4Hz級の説明)。 12 一方、Land‑Dwellerの5 Hz(36,000 beats per hour)では、Newsroomが秒針が1秒に10回ジャンプすると説明しており、これは“ビート(半振動)”単位の反復が10 Hz相当で観測され得ることを示唆する(音としては高調波・構造共振が重畳する)。5

解析枠組み(概念)#

脱進機音は、

  • ロック/解放時の微小衝突、
  • 接触摩擦・スティックスリップ、
  • ケース・風防・ブレスレットを含む構造伝搬
    の複合であり、計測系としては接触ピエゾマイクを用いてビート信号を抽出する“タイムグラファー”系の実務がある(研究ツール化も進む)。 18

さらに、摩擦・摩耗や微小破壊が発する弾性波としてのアコースティックエミッション(AE) は、一般の機械システムの状態監視で広く使われ、発生・伝搬・センサ特性の基礎が整理されている。 19 Dynapulse固有の音響スペクトルを一次資料だけで断定することはできないが、少なくともロレックスが“すべりよりころがり”を指向している点は、摩擦起因ノイズのメカニズム(すべり速度に比例する摩擦仕事やスティックスリップ)を抑える方向と整合する、という工学的一般論は成立する。4

材料科学・精密加工・組立/潤滑#

シリコン採用の一次資料根拠#

ロレックス公式プレス資料は、Dynapulseが主にシリコン部品で構成され、

  • 軽量
  • 磁場にほぼ不感(virtually insensitive)
  • 従来より高いエネルギー効率
    をもたらすと述べる。 1

また特許文献(EP4492154A1)では、部品材料候補として単結晶シリコンから多結晶・アモルファス・ドープ・SiO2・SiC・ガラス・セラミック・水晶・ルビー/サファイア、金属/金属合金(Ni/NiP、金属ガラス)など、広い材料空間を列挙している(特許上の一般化)。8

微細加工プロセス(学術技術報告)#

日本時計学会誌(Micromechatronics)の技術報告は、シリコンがんぎ車の製造として、

  • ウェハ研削 → フォトリソ → DRIE(Boschプロセス:SF6エッチングとC4F8堆積の交互反復)
  • 熱酸化+HF除去による平滑化(欠け・割れ抑制)
    を具体的に記述する。 14

この文献は、シリコンの採用が

  • 係合余裕の縮小(加工精度が合金の「数十µm」に対し、シリコンでは「数µm」級)
  • 比重低下(慣性モーメント低減)
    の両面から脱進機消費エネルギーを低減し得る、と論じる。 14

潤滑とナノ計量(ロレックス公式)#

ロレックスNewsroom一次資料は、Dynapulseの潤滑について、

  • グリースではなく油(oil) を使用
  • 曲がった精密針で塗布し、量はナノリットル(nanolitres) スケール
  • 外部支持体上で組立・潤滑してからムーブメントへ挿入(製造アプローチとして“完全に新しい”)
    と明示している。 5

これは、従来のスイスレバーで典型的な“油膜劣化→歩度変化”問題を、接触様式の変化と併せて工程設計で抑え込もうとする試みと読めるが、潤滑寿命・メンテナンス周期の定量評価は公式一次資料には提示されないため、本報告では推測しない。5

量子力学的側面とナノテク応用可能性#

現行スケールでの結論(保守的評価)#

Dynapulse自体は機械式腕時計の脱進機であり、運動方程式・接触・粘弾性・流体潤滑など古典力学+連続体力学が支配的と考えるのが合理的である(公式一次資料も、設計語彙は摩擦様式・材料・加工・潤滑計量にある)。 4

一方で、Dynapulseはシリコン部品や微細加工・ナノリットル潤滑など、 “ナノテク寄りの製造技術” と接続する。特に、微小機械(MEMS/NEMS)領域では、量子起源の表面力(例:Casimir力)がサブミクロン~ナノ距離で作動し、スティクション(stiction) 等の主要課題になることがレビューで整理されている。 20

ただし、腕時計の脱進機クリアランスは一般にMEMSの典型距離(<100 nm級)より大きいことが多く、Casimir力が支配的な設計因子になるとまでは一次資料からは言えない(ここは“可能性の概観”に留める)。

応用可能性(仮説として明示)#

  • 仮説:将来、脱進機要素がさらに微小化し、接触を回避するための微小ギャップ設計(<100 nm級)へ踏み込む場合、Casimir/van der Waals力を含む表面力学が設計制約になる可能性がある(MEMS/NEMSレビューの一般論に基づく)。 20
  • 現実的な近未来(一次資料整合) :Dynapulseで既に示された“ナノリットル潤滑”“外部支持体上での組立・試験”のような、ナノ計量×工程設計は、量子効果というより「製造計測学(metrology)・品質工学」の側面で、今後の高効率脱進機の産業化に影響し得る。 5

技術的背景と影響分析#

発明の背景#

ロレックスの2015年世代(Chronergy)でも、スイスレバー脱進機が「標準である一方、過去50年の技術進化が限定的」で、効率が低い(香箱からのエネルギーの“3分の1強”しか調速機へ届かない)という問題意識が、公式冊子で明示されている。 13 Chronergyは幾何最適化と材料(Ni-P等)により効率を+15%改善した、とされる。 13

Dynapulseは、これをさらに踏み込み、

  • 接触様式を“ころがり”へ寄せる
  • シリコン部品で軽量・耐磁化
  • 高振動(5 Hz)でも実用リザーブ(約66h)を確保
    という方向で、「レバー脱進機を最適化する」ではなく「別アーキテクチャへ移る」発明と公式に位置づけられている。 4

発明による効果(一次資料で確定できる範囲)#

ロレックス一次資料から確定できる主効果は次の通り:

  1. エネルギー消費低減(高効率化の方向性) :要素間相互作用が“ころがり”で行われ、脱進機のエネルギー消費が低減される、と公式に記載。 4
  2. 軽量化・耐磁性:シリコン主体で軽量、磁場に対してほぼ不感と記載。 1
  3. 高振動とパワーリザーブの両立:5 Hzで動作しつつ、パワーリザーブ約66hを確保すると説明。 1
  4. 製造工学上の革新:ナノリットル潤滑+外部支持体上の組立・潤滑という新工程を公式に開示。 5

当時の技術的背景・影響(材料と高周波化)#

  • 2014年にSyloxi(シリコン製)ヒゲゼンマイが導入され、以後ロレックス内でシリコン加工・量産の基盤が拡大していた(公式)。 11
  • 日本時計学会誌の技術報告(セイコーエプソン)は、シリコンがんぎ車が脱進機効率を改善し得ること、DRIE等の半導体プロセスで寸法精度・表面平滑化を確保することを示しており、業界全体として“シリコン×脱進機効率”が技術テーマ化していたことを裏づける。 14

現代に与えた影響(現時点で一次資料から言えること)#

Dynapulseは2025年発表であり、他社・他モデルへの波及を一次資料で断言できる段階ではない。ただしロレックス自身が、

  • 7件の特許出願がある
  • 特別な組立・潤滑工程を必要とする
  • シリコン分配輪の幾何が重要
    と明確に技術情報を公開したことで、脱進機の“産業化”を前提とした新アーキテクチャ設計が、技術議論の中心に戻った点は確実である。 5

比較表・図表・メカニズム図#

ロレックス公式ビジュアル(メカニズム理解の補助)#

Rolex Newsroom掲載:Dynapulse escapement(構成要素の外観)
(画像出典:ロレックスNewsroom)5

メカニズム図(公式記述に忠実なブロック図)#

flowchart LR
  A[香箱 / Barrel(動力源)] --> B[伝達輪 / Transmission wheel]
  B --> C1[分配輪1 / Distribution wheel 1(Si)]
  B --> C2[分配輪2 / Distribution wheel 2(Si)]
  C1 -->|交互に作動| D[インパルスロッカー / Impulse rocker]
  C2 -->|交互に作動| D
  D --> E[てんぷ・ひげ / Oscillator(balance + hairspring)]
  E -->|振動位相が解放条件を形成| D

上図の「交互」と「フィードバック(位相で解放/ロックが決まる)」が、脱進機を“制御系(feedback oscillator)”として捉える鍵である(一般論)。 4

比較表(製品・特許・要点)#

Dynapulse関連の一次資料整理(公開文献で追跡できた範囲)#

区分資料(代表)公開/公表発明者(記載)主題(一次資料で言えること)
製品・公式技術Rolex Newsroom プレスリリース(Land‑Dweller)2025-04-01(発明者名は記載されない)逐次分配、ころがり接触、伝達輪→2分配輪→インパルスロッカー、シリコン主体、7件特許出願、5 Hzと約66hの両立 1
製造・潤滑(公式)Rolex Newsroom “Watchmaking features”2025-04-01ナノリットル潤滑(油)、外部支持体上で組立・潤滑、分配輪の歯+ブレード同一平面、シリコン部品の肉抜き 5
特許(装置)US20250021049A1 / EP4492154A1 / JP7781970B22025-01 / 2025-01 / 2025-12Colpo / Karlen / Tu2脱進要素+単一阻止要素、同一平面協働など(ファミリーの一部) 2
特許(装置)US20250021050A1 / EP4492153A1 / JP7778860B22025-01 / 2025-01 / 2025-12Colpo / Karlen / Tu阻止力の作用線を回転軸近傍へ→休止時転倒トルク低減、ストップ/回り止めピン不要化の設計論 3
特許(方法)WO2025012315A12025-01-16Colpo / Karlen / Tu二つの休止+二つのインパルス(two-wave tangential drive)の維持方法 6
学術・技術報告(参考背景)日本時計学会誌(Seiko Epson)シリコンがんぎ車2022-12Funakawa / NagasakaDRIE(Bosch)+酸化平滑化、伝達エネルギー約30%改善など(材料・加工観点の背景) 14

脱進機アーキテクチャ比較(一次資料で裏づけ可能な範囲中心)#

脱進機代表的採用方式主要材料(一次資料範囲)効率・特徴(一次資料範囲)
スイスレバー(従来)業界標準(ロレックス旧世代含む)すべり摩擦が支配的になり得るルビー石等(一般)低効率が課題で、香箱からのエネルギーの“3分の1強”しか調速機へ届かない、という問題意識が公式冊子に記載 13
Chronergy(ロレックス)2015採用開始(公式)スイスレバー最適化Ni‑P(耐磁)など(公式冊子)効率+15%、数値モデリングで設計パラメータ抽出(公式冊子) 13
Dynapulse(ロレックス)Land‑Dweller / cal.7135(2025)逐次分配+ころがり接触志向主にシリコン(公式)高効率化、耐磁、軽量、5 Hzと約66hの両立。ナノリットル潤滑・外部支持体工程(公式) 1

振動モード図(概念図)#

Dynapulse固有のモード形状を一次資料だけで断定は不可のため、ここでは「てんぷ‐ヒゲ系の基本モード(ねじり基本モード)」を概念図として示す。

xychart-beta
  title "概念:てんぷ角変位 θ(t) とインパルス位相(模式)"
  x-axis "時間 t" 0 --> 10
  y-axis "角変位 θ" -1 --> 1
  line "θ(t) ~ sin" [0,0.59,0.95,0.95,0.59,0,-0.59,-0.95,-0.95,-0.59,0]

「半周期ごとにインパルスが与えられる」発想(特許群の“2つの能動振動”)は、上の正弦波の半周期(往路・復路)を単位としてエネルギー補給位相を設計する、と読み替えられる。 7

材料特性グラフ(加工精度・密度の“相対”比較:一次資料ベース)#

セイコーエプソンの技術報告は、合金がんぎ車に比べてシリコンがんぎ車は

  • 加工精度が数十µm → 数µmへ向上し得る
  • 比重が合金に対して約30%程度で軽量
    と述べる。 14

これを“相対値”として視覚化する(合金=1基準):

xychart-beta
  title "相対比較(合金=1):シリコンの比重と加工精度スケール"
  x-axis "項目" ["比重(相対)","加工精度(相対:小さいほど高精度)"]
  y-axis "相対値" 0 --> 1.2
  bar "合金" [1.0,1.0]
  bar "シリコン" [0.3,0.1]

※加工精度の相対値は「数十µm vs 数µm」という“桁”を図示するための模式(例:合金=1、シリコン=0.1)であり、特定製品の絶対値を主張しない。14


参考文献(一次文献優先、URL付記)#

参照は本文中の [R#] に対応。URLはコード表記で付記。

公式資料(ロレックス一次資料)#

特許(一次文献)#

学術論文・技術報告・専門資料(背景・モデル・加工・量子)#