巻上げ中の維持装置(maintaining power)は、重錘を引き上げたりゼンマイを巻いたりする間も、時計の輪列に力を送り続ける仕組みである。巻上げによって通常の駆動力が一時的に外れる時計では、脱進機への力も途切れる。振り子が惰性で揺れ続けても、巻上げが長引けば振幅が減り、歩度が乱れたり停止したりする。維持装置はこの短い時間をつなぐためのものである。1 2
なぜ巻上げで力が途切れるのか#
重錘時計では、下がる重錘が紐と胴を介して最初の車を回し、輪列を通じて脱進機を駆動する。重錘を上げ直すとき、胴は普段と逆向きに回る。胴と輪列を単純につないだだけでは、巻上げ中の輪列に通常の力を与えられない。止め爪は逆転を防ぐが、それだけでは前進させる力を補えない。2
ゼンマイ時計のフュジーも、通常はゼンマイを収めた香箱が鎖を引いて円錐形のフュジーと輪列を動かす。巻上げ時には鍵でフュジーを逆に回し鎖を巻き戻すので、別の経路で力を補う構造が使われた。すべての時計に専用の維持ばねが必要なわけではない。一般的な回転香箱では、巻上げる軸と輪列を駆動する箱が別に動き、巻上げ中も箱の外周から力を取り出せる。3
ホイヘンスの無端紐#
クリスティアーン・ホイヘンスは1658年の Horologium で、主重錘の巻上げが時計を妨げたり振り子の運動を弱めたりしないよう、両端をつないだ無端紐を説明した。紐は時計の大車と同軸の滑車、主重錘を吊る滑車、爪付きの巻上げ滑車、小さな錘を吊る滑車を通って戻る。小さな錘は紐が緩んで外れるのを防ぐ。1
巻上げ側の紐を引くと爪付き滑車が許された向きに回り、主重錘が上がる。その間も重錘は紐の別の部分を引くため、大車側に力が残る。爪は紐を放したときの逆戻りを防ぐ。ホイヘンスは理想化した説明として大車側に重錘の半分の力が常に作用すると述べているが、実物の摩擦や紐の状態を無視した精密な測定値ではない。1
この方法は補助ばねで短時間だけ代行するのではなく、巻上げ中も主重錘の荷重を使う。後の時計技術書は、古い30時間時計でよく使われた一方、鎖や紐の動きが粗く不均一になり得ると説明する。2
ハリソン式のばねと止め爪#
ジョン・ハリソンは1720年代半ばに別の維持装置を考案した。重錘時計の代表的な構成では、巻上げ胴に加えて、逆向きの歯を持つ維持車と、維持車と大車の間に働くばねを置く。通常運転では重錘の力がばねを介して大車へ伝わり、維持車の歯は固定された爪の下を順に通る。2 4
重錘の力が巻上げで取り去られると、維持車はわずかに戻るが、その歯が固定爪に受け止められる。ばねは支点を保ち、大車を運転方向に押し続ける。巻上げが終わって重錘の力が戻ると、維持ばねも再び押し込まれる。力の経路を切り替えるための爪とばねが、操作者の別操作なしに働く。2 4
フュジー付き時計にも、維持車・爪・ばねを大車付近に収めた例がある。鍵でフュジーを巻く間、維持車の逆転を爪が止め、ばねが大車を押して輪列を進める。維持ばねに蓄えられたエネルギーは限られるので、巻上げ中に力が長時間途切れても無期限に動かせる装置ではない。ばねの力も働くにつれて変わるため、巻上げ中の駆動力が完全に一定になる保証はない。2 3
実例と役割の違い#
サイエンス・ミュージアム・グループが展示する時計師組合所蔵の、ジェームズとジョン・ハリソンによる1728年の長時計には維持装置がある。同館は8日巻きの輪列、グラスホッパー脱進機、温度補償振り子も記録している。維持装置は精密時計の他の工夫とともに、日常の巻上げによる中断を避ける役割を担った。5
ハリソンの海上時計第4号では、維持装置がフュジーに収まる。時計史家ルパート・グールドは、その維持ばねが約11分時計を動かせる一方、巻上げ操作は数秒と記している。この時間はその個体についての記述であり、すべての維持装置に当てはまる値ではない。6
維持装置とフュジーは異なる問題に対処する。フュジーはゼンマイがほどけて力が弱まる間、鎖の作用半径を変えて輪列へのトルク変化を緩和する。維持装置は巻上げ中の動力の途切れを補う。また、周期的に小さな動力源を巻き直して脱進機に供給するルモントワールとも役割が異なる。どちらも補助的な力を使う場合があるが、維持装置の目的は巻上げの間の走時である。3 7
年表#
- 1658年:ホイヘンスが Horologium で、巻上げ中も重錘の力を利用する無端紐の仕組みを説明する。1
- 1720年代半ば:大英博物館は、ハリソンが自動式の維持装置を考案した時期をこの頃としている。4
- 1728年:ハリソン兄弟の長時計に維持装置が備わる。5
- 1759年:完成した海上時計第4号では、フュジー内に維持装置が使われる。6
- 19世紀末から20世紀初め:時計技術書が重錘時計やフュジー付き時計の維持車・爪・ばねの動きを図解する。2 3
参考文献#
1. Christiaan Huygens, Horologium, 1658、英訳、重錘と無端紐の説明。https://theindex.nawcc.org/Articles/Huygens_Horologium_English.pdf (2026年11月4日閲覧)。
2. Edmund Beckett, A Rudimentary Treatise on Clocks, Watches and Bells for Public Purposes, 第8版、1903年、pp. 104–107、maintaining powers。https://www.snglrtywatch.com/wp-content/uploads/2021/08/200320-Rudimentary-Treatise_Watches-Clocks-_-Bells.pdf (2026年11月4日閲覧)。
3. Paul N. Hasluck, The Watch Jobber’s Handybook、改訂第2版、1889年、pp. 113–114、maintaining power。https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/The_watch_jobber%27s_handybook_-A_practical_manual_on_cleaning%2C_repairing%2C%26amp%2C_adjusting_-embracing_information_on_the_tools%2C_materials%2C_appliances_and_processes_employed_in_watchwork%28IA_cu31924031263134%29.pdf (2026年11月4日閲覧)。
4. British Museum, “John Harrison’s Horological Legacy”, Maintaining power。https://artsandculture.google.com/story/john-harrison-s-horological-legacy-the-british-museum/6AVxYKoa1d8DIw?hl=en (2026年11月4日閲覧)。
5. Science Museum Group, “Longcase clock by James and John Harrison”, L2015-3438。https://collection.sciencemuseumgroup.org.uk/objects/co8557977/longcase-clock-by-james-and-john-harrison (2026年11月4日閲覧)。
6. Rupert T. Gould, The Marine Chronometer: Its History and Development, 1923, pp. 53, 55。https://navlist.net/imgx/marinechronomete00gouluoft_b.pdf (2026年11月4日閲覧)。
7. Metropolitan Museum of Art, European Clocks and Watches in the Metropolitan Museum of Art, 用語集 “Harrison’s maintaining power”, “maintaining power”。https://resources.metmuseum.org/resources/metpublications/pdf/European_Clocks_and_Watches_in_the_Metropolitan_Museum_of_Art.pdf (2026年11月4日閲覧)。