クロノメーターの中間温度誤差#
中間温度誤差(middle-temperature error)は、温度補償を備えた機械式クロノメーターを二つの温度で同じ歩度になるよう調整しても、その間の温度では歩度が異なる現象である。典型的な鋼のひげぜんまいと真鍮・鋼の切りテンプの組合せでは、中間で進み、両端のすぐ外側では遅れる方向にずれる。温度補償によって大きな変化を減らした後に残るため、二次誤差とも呼ばれる。これを減らす工夫が二次補償(secondary compensation)であり、誤差そのものとは区別する。12
歩度とは時計の進み遅れの速さで、たとえば「一日に何秒進むか」で表す。ある温度で歩度がゼロでも、時計が示す時刻の蓄積したずれがゼロであるとは限らない。航海では経度の算出に用いる基準時が必要なため、長い航海中に温度と歩度の関係が変わることは実用上の問題だった。3
一次補償と残る曲がり#
テンプとひげぜんまいは振動系を作る。温度が上がると一般的な鋼のばねの弾性率が下がり、同じ角度から戻す力が弱くなって振動周期が長くなる。真鍮製テンプ自体の膨張も慣性を増やし、遅れ方向に働く。ひげぜんまいは長さだけでなく幅や厚さも膨張するので、熱による長さの増加だけを取り出して遅れの原因とする説明は正確ではない。2
一般的な切りテンプは内側の鋼と外側の真鍮を接合した二つの弧を持つ。温度上昇で、より膨張する真鍮が弧を内側へ曲げ、周縁の重りを回転軸に近づける。慣性モーメントが減ればテンプは速く振動し、ばねが弱くなる影響を打ち消せる。重りの位置を変えると、弧の変形による移動量が変わり、温度補償の強さを調整できる。1
ただし、温度に対するばねの剛性とテンプの慣性の変化は、全域でぴったり同じ形にならない。たとえば低温と高温で歩度を合わせても、間ではそれぞれの変化の差が現れる。温度と歩度をグラフにすると、その残差は直線ではなく曲がった形になる。19世紀のデニソンは重りの半径と慣性の関係を使ってその曲がりを説明し、現代の専門解説は鋼の弾性率の温度による非線形変化も重視する。機構全体の効果であり、原因を一つの部品だけに帰すことはできない。12
デニソンが示した例では、32°Fと100°F(約0°Cと38°C)で歩度を揃えると、その間で進む。これは二点で一致したことが温度範囲全体の一致を意味しない例であり、誤差の大きさは個々の時計と調整に依存する。1

図:Omega 30t2の切りテンプとひげぜんまい。出典の説明ではバイメタル式。作者:Duxbelli。出典・権利:Wikimedia Commonsのファイル説明と作者のPublic Domain提供。変更なし。
二次補償の仕組み#
19世紀には弧の変形に重りの別の動きを組み合わせ、温度に対する慣性の変化をより望ましい曲線に近づけようとした。デニソンが紹介した方式は次のように異なる。1
| 方式 | 調整の考え方 | 留意点 |
|---|---|---|
| アイフ | 補償弧がある温度で小さなばねと重りに接し、その後さらに動かす | 接触前後で動作が切り替わる |
| デント | 補償横棒にさらに曲がる部材を載せ、その上の重りを軸へ寄せる | 重りの高さなどの調整が必要 |
| ローズビー | 二次補償用の細い管内の水銀を温度で移動させ、質量分布を変える | 水銀の封入と装置の取扱いが必要 |
接触を利用する別の例として、Kelvin and James Whiteのクロノメーター7506号の修理記録は、クルバーグ式の補助腕を説明する。重りを持つ腕は低温側では調整ねじに接し、高温側ではそこから離れて内側へ動く。ねじは単なる歩度の微調整ではなく、補助機構が働く位置に関わる。修理者は、この個体を広い温度範囲で試験することはできなかったと記している。4
1885年に米国で登録されたヨハン・エルンスト・アドルフ・ウーリヒの特許US311797は、湾曲した鋼ばねを補償弧の両端に設け、温度上昇時の内向きの動きがより大きくなるよう調整する連続式の二次補償を提案した。特許明細書は、ばねの曲率を変えた後に一次補償も再調整すると説明する。これは発明者の設計と主張を示す資料であり、量産や実際の航海での性能を証明するものではない。7
補助部品を足す代わりにテンプ自体の形を変える案もあった。英国国立海事博物館のZBA4371は、真鍮と鋼を三角形に組み合わせた実験的なテンプで、中間温度誤差への対応を意図している。博物館は製作者と製造年を不明とし、19世紀末の英国製らしいと推定している。似た設計の存在から、この個体の発明者や製造者を断定することはできない。5
材料を変える方法#
パラジウム合金製のひげぜんまいは、通常の補償テンプと組み合わせたときに中間温度誤差を小さくする方法の一つだった。純パラジウムと合金は同じではなく、特性を混同できない。英国時計学会誌の解説によれば、1883年のグリニッジ試験で、補助補償のない通常テンプとパラジウム合金ばねを備えたクロノメーターが5位となった。同誌が紹介するパイヤールの報告では、鋼ばね24台と合金ばね16台の比較で、合金側の中間温度誤差は鋼側の3分の1未満だった。これらは特定の集団の結果であり、すべての時計に同じ結果を保証するものではない。2
シャルル=エドゥアール・ギヨームの研究は、温度による膨張特性の異なるニッケル鋼を補償テンプに利用する方向を開いた。ギヨーム・テンプでは従来の鋼の部分にインバー系合金を用い、中間温度誤差を小さくする。さらに、弾性の温度依存を小さくする合金ひげぜんまいは、複雑な切りテンプに頼らず温度変化を抑える別の道となった。材質だけであらゆる温度・姿勢での誤差が消えるわけではない。6
測定と航海上の扱い#
補償の調整には異なる温度で時計を十分に安定させ、基準時計と比較して歩度を求める必要がある。二点だけでは間のずれが見えないので、中間点を含む複数の温度で測る。温度を戻した後の歩度も確かめれば、温度そのものの影響と、潤滑や経時変化など他の影響を見分ける助けになる。12
1882年、米国のクロノメーター製作者T. S.・J. D.ネガスは、自社の通常テンプを用いた時計では約70°F(約21°C)付近が最も進む温度になるよう調整し、温度補正を航海条件に応じて扱うと説明した。同社は70°Fからの差を華氏度で t とすると、基準の最高歩度からの平均的な温度補正を −0.0025 × t² 秒/日と表した。これは同社の時計についての経験的な目安で、他の時計へそのまま適用できない。彼らは補助装置が船上の振動や取扱いに弱いと評価し、天文台での短期試験と海上での安定性を区別した。これは同社の実務上の見解であり、すべての二次補償装置の性能を一律に証明するものではない。3
補償を良くすることと、時計全体を安定して使うことは同じではない。潤滑、姿勢、衝撃、振幅や調整の経年変化も歩度に影響する。中間温度誤差は、複数の温度で測定された結果の一部として扱う必要がある。13
年表#
- 18世紀後半:金属の熱膨張差を利用した補償テンプが発展し、温度上昇によるひげぜんまいの弱まりを打ち消す方法が使われた。1
- 1833年:デニソンによればアイフが二次補償の方法を王室天文官へ伝え、デントも残差の説明を公表した。1
- 1857年:デニソンの著作は、アイフ、デント、ローズビーらの方式と試験結果の評価を記録した。1
- 1882年:ネガス兄弟は通常テンプの温度特性と、航海時に補正を扱う考え方を発表した。3
- 1883年:パラジウム合金ばねと通常補償テンプを用いた時計がグリニッジ試験で5位となった。2
- 20世紀:ニッケル鋼系のテンプや温度変化の少ない合金ひげぜんまいが、補助装置による補正とは異なる選択肢となった。6
参考文献#
1. Edmund Beckett Denison, Clocks and Locks, 2nd edition, 1857, pp. 148–158. National Library of Scotland公開版(閲覧日:2026年10月28日)。
2. David Boettcher, “Balance Springs, Part 1: The Technical Development of a Principal Watch Component,” Horological Journal, September 2018, pp. 397–403. 公開PDF(閲覧日:2026年10月28日)。
3. T. S. and J. D. Negus, “Rules for the Care and Handling of Chronometers,” Proceedings, April 1882. U.S. Naval Institute(閲覧日:2026年10月28日)。
4. The Mariner’s Chronometer, “A Kelvin and James White chronometer overhauled,” 2020. 修理記録(閲覧日:2026年10月28日)。
5. Royal Museums Greenwich, “Chronometer balance,” ZBA4371. 所蔵品解説(閲覧日:2026年10月28日)。
6. American Watchmakers-Clockmakers Institute, “Watch Adjustments,” Horological Times, May 1981, pp. 38–39. 公開PDF(閲覧日:2026年10月28日)。
7. Johann Ernst Adolph Uhrig, “Watch-Balance,” US311797A, 1884年7月23日出願、1885年2月3日登録・公開。米国特許明細書(閲覧日:2026年10月28日)。