時計を作るために長さを測る#
ミリオノメーター(フランス語 millionomètre、英語 millionometre/millionometer)は、ル・クルトルの工房で時計部品の寸法を調べるために作られた、ねじ送りとてこ式拡大表示を組み合わせた接触式の測定器である。名称の「百万」はメートルの百万分の一、すなわち1 µm(マイクロメートル、旧称ミクロン)を指す。時間を百万分の一秒まで測る時計でも、時計に組み込む脱進機でもない。1 2
ジャガー・ルクルトは1844年のアントワーヌ・ルクルトルの発明と位置づけ、微小部品の検査と小型化を支えた道具として紹介している。ただし「1 µmを読める」ことと「測定結果が常に真の寸法から1 µm以内に収まる」ことは別である。この違いを、現存器具についての技術説明と当時の製造記録を通して理解することが、ミリオノメーターの意義を捉える鍵になる。1 3 4
成立と発明者をめぐる史料#
小さく作ることと、同じ大きさに作ること#
歯車とピニオンの製造では、形を削り出す能力だけでなく、出来上がった部品が意図した寸法かを確認する能力が必要になる。メーカーの回顧は、1830年のピニオン加工機、1844年のミリオノメーター、1850年の歯車仕上げ機、1860年の加工機を、一連の製造精度向上として説明する。測定器は加工機そのものではないが、加工結果を数値で調べる仕事を担った。2
この背景を同時代から示すのが、1851年ロンドン万国博覧会の審査報告である。時計部門の報告者E. B. Denisonは、ルクルトルの歯車とピニオンの出来を評価し、対応する歯車を同じ寸法に製造し、破損時には新しいものを入れるだけで交換できると「いわれている」と記した。表現自体が伝聞であり、あらゆる部品の完全な互換性を実験で証明した記録ではない。しかし、寸法を揃え、交換可能にすることが、工房の評価点になっていたことは読み取れる。5
同報告の賞一覧は「Lecoultre, A.」の対象を時計、ムーブメント、ピニオンとし、賞の区分をPrize Medalと記す。メーカー史で用いられる「金メダル」という呼称と、原報告の区分は分けて読む必要がある。この箇所はミリオノメーターの展示、1 µmの試験、または測定器単体への授賞を記録していない。2 5
1844年説、1854年説、ユリスの役割#
現在のメーカー史は、アントワーヌが1844年に製作したとする。1954年11月の社内誌『Tic-Tac』第9号も、最初の器具を1844年、40 mmの測定能力を持つ小型の第2器を1855年としている。他方、地域史家Auguste Piguetのノートを公開した資料には、アントワーヌが1854年に製作したという記述がある。1854年を1844年の単純な誤植と断定したり、すべてを別器の製作年へ割り振ったりできるだけの記録は揃っていない。1 6 7
地域資料『Le millionomètre』は、兄弟アントワーヌとユリス(Ulysse)が協業していた時期の成果として、ユリスの関与が後世の説明から抜け落ちた可能性を指摘する。ただし、どちらがねじを製作し、てこを設計し、組立や校正を担当したかまでは確定していない。同資料が提案する「第2器をユリスが自分の事業のために複製した」という説明も、確定した製造記録ではなく仮説である。7
したがって、1844年はメーカーと1954年の社内誌が伝える成立年として扱い、ユリスの可能な協力と地域史に残る別年を併記する。単独発明者、製作した器具の総数、各現存器の製作年を、後世の簡潔な年史だけで一つに固定しない。
ねじ送りとてこで微小変位を読む#
三段階の読み取り#
1954年の『Tic-Tac』は、真鍮製の三角断面の桁と2本の脚からなる架台、1 mmピッチのねじ、桁上を移動する台、固定側と可動側の測定顎を説明する。移動台の位置を直線尺で、ねじの回転を100分割の大きな鼓で、可動顎の微小変位を900対1のてこ機構と扇形の目盛で読む構成だった。6
| 読み取る部分 | 役割 | 記載された単位 |
|---|---|---|
| 架台の直線尺と移動台の指標 | 大きな移動量 | mm |
| ねじと一体になった100分割の鼓 | ねじ1回転内の細かい位置 | 0.01 mm |
| 可動顎につながる拡大てこと指針 | 接触部の小さな変位を見える動きにする | 0.001 mm |
ここで、ねじのピッチを p、鼓の分割数を N とすれば、理想的な送り量の1目盛は p/N である。記載値から 1 mm ÷ 100 = 0.01 mm となる。さらに細かい桁は、ねじを千分割するのではなく、測定顎の動きをてこで拡大して読む。この計算は記載された構造の読み取りであり、ねじの実際の送り誤差を表す式ではない。6
部品を挟んだときの動作#
操作は、離した顎の間へ部品を置き、右端のつまみを回して移動台を送り、顎が部品に接触するまで近づけるというものだった。ねじによる大きな移動と、接触した可動顎から指針へ伝わる小さな動きを組み合わせる。社内誌は直線尺、鼓、扇形目盛を順に読むと説明するが、指針の向き、ゼロ点設定、補正の符号まで指定した完全な操作・校正手順ではない。6
機構の要点は、微小な接触変位を目で読める位置へ変換することにある。名称に現れる1 µmは、この表示の細かい桁に対応する。1 µmの移動を900倍に拡大する理想模型なら表示側の動きは0.9 mmとなるが、これは記載された比率からの算術であって、実物の全目盛範囲で一定の拡大率や直線性を測定した結果ではない。
ねじや支点の加工が難しかったことも、細かい目盛の価値と一体で考える必要がある。大きな鼓だけを取り付けても、送りの不均一、接触のばらつき、指針の戻りの差まで消えるわけではない。細かい表示を実用的な寸法検査へ結びつけるには、機構全体を評価しなければならない。3 4
1 µmの目盛は何を保証するか#
分解能と測定誤差#
国際計量用語集VIMは、分解能を、測定される量の変化のうち表示の知覚可能な変化を生じる最小のものとして定義する。摩擦や雑音、測定値そのものにも左右され得る。目盛を細かく刻むことは、機構がその変位へ応答し、安定して読み分けられることを自動的には保証しない。3
『Tic-Tac』は、当時の「最近の検査」で、1~30 mmの測定における精度が0.01 mmより良かったと述べている。ただし、試験した標準器、各測定値、温度、接触力、不確かさの表は掲載しない。これは1954年の当事者による検査の報告として価値があるが、1844年当初から100 mm全域で誤差±1 µmを保証する校正証明にはならない。第1器の台の移動能力100 mm、第2器の測定能力40 mm、検査した区間1~30 mmも、それぞれ別の数値である。6
接触力と温度#
接触式の長さ測定では、器具が触れることで対象の形もわずかに変わる。NISTの『Gauge Block Handbook』は、接触による局所変形が力、接触形状、弾性特性に依存することを説明する。また、比較測定の指示値を校正し、接触力を管理する必要を示す。これらは現代の比較測定器を対象とした説明であり、ミリオノメーターが同じ探針や同じ荷重を用いたことを示す資料ではない。8
温度も重要である。同書の熱膨張補正式を単純な一様温度の長さ変化へ書き換えると、
となる。L は基準温度での長さ、α は線膨張係数、ΔT は温度差で、温度区間内で係数を一定とする近似である。同書の鋼製標準の例にある α = 11.5 × 10⁻⁶ K⁻¹ を使えば、100 mmの鋼材が一様に1 K変化する場合、長さ変化は約1.15 µmになる。これは温度の影響を示す計算例であり、当時の部品材質や工房の温度、器具の実際の誤差を推定した値ではない。8
真鍮製架台と鋼部品の温度変化が完全に相殺するとも限らない。器具と対象をどの温度で、どの接触条件で比較したかが分からなければ、指針の1 µmだけから結果の正しさを判断できない。VIMにいう校正は、標準器の値と指示値の関係を不確かさとともに定め、それを測定結果へ結びつける操作であり、単に指針をゼロへ合わせる調整と同じではない。4 8
ミリオノメーターの測定顎の材質・形状の完全な仕様、一定接触力を作る仕組み、ねじの送り誤差の補正表、製作当初の校正台帳は、公開されたここでの技術資料には示されていない。したがって、1 µmの表示能力と当事者が報告した検査結果は、異なる情報として理解する必要がある。
他の測定器との位置関係#
ねじ式測定器の歴史すべての起点ではない#
Science Museum Groupは、Henry Maudslayの1805年頃の卓上マイクロメーターを収蔵する。ただし、その現存する小型例は、大きな器具を計画する模型か、未完成の小型器だった可能性も記す。少なくとも、ねじ式の卓上寸法測定器という発想自体が、1844年に初めて現れたわけではない。9
同館のPalmer式マイクロメーターの複製についての解説は、原方式のフランス特許を1848年9月7日とし、1 mmピッチのねじと20分割の回転筒によって0.05 mm刻みで20 mmまで測ると説明する。複製はBrown & Sharpeによる1867年以後の製作である。館の「circa 1848」という項目を、その現存複製の製作年と混同してはいけない。10
また、Whitworthの1855年製比較測定器は、標準インチ棒と部品を比較する器具で、1851年博覧会にも先行器が展示されていた。「百万分の一インチを検出できる」というWhitworthの主張について、同館は温度の影響と後年のNational Physical Laboratoryの検証を挙げ、成立しないと説明している。メートルの百万分の一とインチの百万分の一は同じ大きさではなく、細かい表示や発明者の性能主張を実証済みの精度へ直結させない点が共通する。11
ミリオノメーターの特色は、時計部品の検査に、ねじ送りと微小接触変位の機械的拡大を組み合わせたことにある。メーカーの「ミクロンを測る最初の器具」という評価はメーカー史の主張として受け止め、すべての光学・天文・工業測定器との優先権を確定する結論には広げない。1
特許と公開範囲#
ミリオノメーターそのものの特許公報や製作時の原設計図は、確認できていない。地域資料は後世の企業史を引用して「特許を取らなかった」と説明する。スイス知的財産庁の機関史は、連邦の特許法が1888年6月29日、担当官庁の発足が同年11月15日であることを示す。1844年のスイスには後の連邦特許制度がなかったという背景と、外国での出願まで一切なかったという証明は区別する必要がある。7 12
公報未取得でも、実物の写真と、実物を扱った工房側による1954年の機構説明から、ねじ、顎、てこ、表示の関係は説明できる。一方、支点の寸法、表面処理、潤滑法、特許請求範囲は、この公開資料からは確定できない。
実用と後世への意味#
1954年の社内誌は、器具が20世紀初頭まで製造に使われたと記す。2024年のメーカー回顧も、少数の器具を工房内で守り、50年以上にわたり精度の基準として使用したと説明する。ここでいう工房内の「基準」は、国家標準のメートルへの校正経路が記録されたという意味とは限らない。2 4 6
メーカーは測定・加工能力の成果例として、1907年の薄型懐中時計ムーブメントCalibre 145を挙げ、厚さを1.38 mmとする。この回顧は小型化との関係を示すが、特定のミリオノメーターでどの部品を何月何日に検査したかを記す製造台帳ではない。「最初に採用した時計」の一点を選べるような資料でもなく、工房の道具が複数の部品や製品を支えたという位置づけである。2
地域資料には、メーカー所蔵器と、当時Espace Horlogerへ貸与されていた個人所蔵器の写真が掲載される。写真の類似から2器の製作年や同一仕様を断定することはできず、現在も同じ展示状態にあるかは別途の所蔵・展示情報を必要とする。7
現代の比較測定では、微小な動きを電気信号へ変える方式も使われる。NISTの解説にあるLVDT式比較器も、接触部の変位を指示へ変換し、その指示と標準器を関係づけて使う。ミリオノメーターをその唯一の祖先とする系譜は示せないが、加工結果を測って比較するという課題は継続している。8
この器具の意義は、時計の精度を一つの数値で劇的に変えたという物語より、微小部品を「作る」ことと「検査する」ことを結びつけた点にある。歯車やピニオンの出来を評価し、寸法を揃え、交換可能性を高めるには、加工技術だけでなく測定の仕組みが必要だった。ミリオノメーターは、その工房内の仕事を具体的な機械として示す例である。
年表#
| 年月 | 出来事と史料上の位置づけ |
|---|---|
| 1805年頃 | Maudslayの卓上マイクロメーター。現存器の完成状態には所蔵館が留保を付ける。9 |
| 1830年 | メーカー史がルクルトルのピニオン加工機を位置づける年。2 |
| 1833年 | メーカー史における工房の成立。1 |
| 1844年 | メーカー史と1954年社内誌における第1ミリオノメーターの成立年。1 6 |
| 1848年9月7日 | Palmer方式のフランス特許日。館の解説で確認し、公報全文はここでは未取得。10 |
| 1851年 | ロンドン博覧会。ルクルトルの歯車・ピニオンと交換可能性の記述があり、Prize Medalの対象は時計、ムーブメント、ピニオン。5 |
| 1854年 | Piguetのノートがミリオノメーター製作を記す年。1844年説との関係は確定しない。7 |
| 1855年 | 1954年社内誌が40 mm能力の小型第2器の製作年とする。Whitworthの現存比較器の製作年でもあるが、別の器具である。6 11 |
| 1867年以後 | Brown & SharpeがPalmer式の原理を採り入れた複製・製品を展開。10 |
| 1888年6月・11月 | スイス連邦特許法と担当官庁の成立。ミリオノメーターの1844年という成立年とは44年離れる。12 |
| 20世紀初頭まで | 1954年社内誌が製造での使用を伝える。使用終了の厳密な年は示さない。6 |
| 1907年 | メーカーが薄型化の成果例に挙げるCalibre 145、厚さ1.38 mm。2 |
| 1954年11月 | 『Tic-Tac』第9号に機構、寸法能力、後年の検査についての説明が掲載される。6 |
| 2024年4月 | メーカーが製造・計時・調速器・複雑機構という精度の歴史を紹介し、ミリオノメーターを製造精度の道具として取り上げる。2 |
| 2026年 | メーカーの公開年史は1844年のアントワーヌの発明として紹介する。地域資料には異説と現存器の情報が併存する。1 7 |
参考文献#
閲覧日はすべて2026年10月14日。複数言語のメーカー資料は同じ企業の説明であり、独立した複数の裏付けとは数えない。
- Jaeger-LeCoultre, 「The Precision Pioneer」、公開日表示なし。1830・1833・1844・1851のメーカー年史。フランス語公式年史にも1844年の説明がある。
2. Jaeger-LeCoultre, 「The Mastery of Precision」、2024年4月9日。The Precision of Production節。工房での使用、加工機、Calibre 145、後代の製造技術を扱う当事者の回顧。
3. JCGM, VIM3「4.14 Resolution」、VIM第3版と注釈。分解能と摩擦等の注記。
4. JCGM, VIM3「2.39 Calibration」、VIM第3版と注釈。標準器、指示、不確かさ、調整との区別。
5. E. B. Denison, 「Class Xb. Report on Horological Instruments」, Reports by the Juries on the Subjects in the Thirty Classes into which the Exhibition was Divided, 1852年刊、報告末尾は1851年10月。公開原本、印刷pp.341–342の原画像を参照。OCRの頁番号に誤読があるため印刷頁を基準とする。
6. M. A., 「Le millionomètre d’Antoine Le Coultre」, Tic-Tac, no.9、1954年11月。『Le millionomètre』PDFのpp.2–3に社内誌記事の画像を再録。ねじ・台・顎・拡大てこ・目盛・検査記述を原画像で確認。
7. Patrimoine de la Vallée de Joux, 『Le millionomètre』、刊年・著者の明示なし、pp.1・4–7。企業史の引用と地域史編者の解釈を区別して参照。Auguste Piguet, 『La désillusion d’Antoine LeCoultre』、ノートの再録、p.1に1854年、p.3注に1998年の再録書誌。
8. Theodore Doiron、John Beers, The Gauge Block Handbook, NIST Monograph 180、1995年。§3.3.1(印刷pp.19–20)、§3.4.1、§5.3–5.4.3、接触変形・校正・比較器・熱膨張式。ミリオノメーターの仕様を証明する資料ではなく、接触式寸法測定の説明に用いる。
9. Science Museum Group, 「Maudslay’s Lord Chancellor bench micrometer」、収蔵番号1900-75、公開日表示なし。現物と1805年頃の年代、模型・未完成器の可能性。
10. Science Museum Group, 「Palmer’s micrometer (replica)」、収蔵番号1928-1120、公開日表示なし。1848年の特許日、1867年以後の複製、ねじと目盛の仕様。
11. Science Museum Group, 「Micrometer type mechanical comparator」、収蔵番号1919-265、公開日表示なし。Whitworth1855年器、1851年の先行器、性能主張への所蔵館の留保。
12. Swiss Federal Institute of Intellectual Property, 「The history of the IPI」、公開日表示なし。1888年6月29日の特許法、11月15日の官庁発足。