定義と解決しようとした問題#
スタックフリード(stackfreed)は、時計の主ゼンマイがほどけるにつれて変わる駆動トルクを、カムとそれに接触する補助ばねによって調整する機構です。主に16世紀から17世紀のドイツ語圏の携帯時計で使われました。時計の速さを直接決める脱進機ではなく、主ゼンマイから輪列へ入る動力を整える装置です。偏心カム、ばね、その先端のローラー、カムを駆動する歯車が地板の外側に配置される形式がよく知られています。12
重錘を動力にする時計は、重さが変わらない限り、巻上げ位置によって動力が大きく変わりません。これに対して主ゼンマイは、強く巻いた状態とほどけた状態でトルクが違います。ばねを動力にすると時計を持ち運べるようになりますが、動力の変化が新しい課題になります。バージ脱進機とひげゼンマイを持たない調速子を用いる初期の時計では、輪列から加わる力が歩度にも影響しました。動力を平準化する目的は、強い力で長く動かすことだけでなく、運転中の進み遅れを小さくすることにありました。1
同じ課題に対するもう一つの解決策がフュジーです。こちらは主ゼンマイと輪列の間に円錐形の部品を入れ、そこへ巻いた紐や鎖の作用半径を変えます。主ゼンマイが強いときにはフュジーの小さい半径へ、弱くなるにつれて大きい半径へ力が作用します。スタックフリードは、これとは別に、主ゼンマイへ加わる抵抗や補助トルクを変える方法を採りました。紐を用いたフュジーと、後世の鎖式フュジーも区別する必要があります。12
成立と名称#
発明者、手稿、現存品の区別#
スタックフリードの発明者と正確な成立年は確定していません。ニュルンベルクの時計師ペーター・ヘンラインが携帯時計を作った記録があることと、彼がこの動力調整機構を発明したことは別です。Dietrich Matthesの2015年の研究は、ヘンラインへの帰属を可能性として検討しながら、発明の証明とはしていません。同研究は、フュジーを備えた15世紀の時計や手稿を挙げ、主ゼンマイやフュジーをヘンラインの発明とする説明も退けています。3
レオナルド・ダ・ヴィンチの『マドリード手稿I』には、同種のばね力補償装置の図があります。Matthesが掲げる図5は、1493〜1502年の手稿の16r葉に対応します。ただし、図に機構が描かれていることは、レオナルドが発明した、あるいはその設計を実機の時計に採用したという証拠ではありません。この図の装置は高さを要するため、後世の平たい時計に見られる外付けの機構と、そのまま同じ寸法上の利点を持つわけでもありません。3
Matthesが2015年に現存最古の年代付き使用例として報告したのは、コペンハーゲンのデンマーク国立博物館所蔵、1533年の卓上時計(資料番号MMCLXIV)の目覚まし上部です。時計本体の時刻用輪列はフュジーを使い、スタックフリードは目覚まし装置にあります。これは一つの時計に二つの方式が別の目的で共存する例であり、1533年を機構の発明年とする資料ではありません。著者が比較した年代付き首掛け時計には、1548年銘と「CW」の署名を持つ例があり、製作者をCaspar Wernerとする帰属は推定です。3
携帯時計の「最古」を論じる際にも、球形容器に入った時計、立てて使える高い円筒形時計、首から下げる平たい時計を分ける必要があります。1533年の目覚まし機構は、平面上へ動力調整装置をまとめられたことを示しますが、そこから同年に首掛け時計が量産されたとまではいえません。年代銘、現存する機構、絵画に描かれた形、工房の記録は、それぞれ異なる情報を与えます。3
名称の確度#
英語ではstackfreed、ドイツ語でもStackfreedと綴り、Federbremseという呼び方も用いられます。名称を「強いばね」に当たるstarke Federに結び付ける語源説がありますが、確定した語源ではありません。1911年のF. J. Brittenも語源を特定できないと記しています。機構の理解を、綴りから推定した意味だけに依存させることはできません。1
スウェーデンの時計研究者Peter Stammlerは、2020年の論考で、18〜19世紀の文献にstochfred、staak freed、stack-freedという表記があると紹介しています。これらは文献を同定する際の綴りの手掛かりです。「ばねブレーキ」という名称も動作の一部をよく表しますが、カムの下りで補助ばねが回転を助ける形式まで、摩擦だけで説明することはできません。4
部品と運動の伝わり方#
主ゼンマイとカムを結ぶ歯車#
標準的な外付け形式では、主ゼンマイ軸の小歯車が、地板の上にある大きな歯車を回します。この大歯車とカムは一緒に回り、曲げた板ばねの自由端にあるローラーがカムの外周へ押し付けられます。カムが回ると接触位置が移り、補助ばねの変形量と、カムへ加わる力の向きが変わります。カムは運転の進み具合を機械的な角度へ写す部品です。1
Brittenが実物の図77について記述した例では、小歯車は8枚歯、大歯車は24歯で、主ゼンマイ軸が3回転するとカム側は1回転に相当する角度を進みます。ただし、大歯車の一部は通常の歯ではなく、2歯分の幅のブロックになっています。そこが小歯車を止め、巻上げ側とほどける側の使用範囲を制限します。この歯数と停止構造は掲載された個体の仕様であり、すべてのスタックフリードの共通値ではありません。1
ここでは、主ゼンマイを納める香箱が必ず現代の腕時計と同じように回る、と考えないことが大切です。Science Museum Groupの1580年頃の報時時計L2015-3081と1600年頃のL2015-3083は、主ゼンマイを囲む香箱を持たない構造と記録されています。Antiquorumが記述した1595年頃のNicolaus Schmidtの時計には固定香箱があります。機構を読むときには、ばねの両端がどこに留まり、どの軸または容器が巻上げ中と運転中に動くかを、個体ごとに確かめます。567
停止装置と動力調整装置#
カムはトルクを調整し、歯車のブロックや無歯部分は主ゼンマイの使用範囲を制限します。二つの仕事を同じ組立の中で行う例はありますが、停止したこと自体が動力の均一化を証明するわけではありません。停止装置は、極端に強い巻上げ端や弱いほどけ端を使わないようにすることもできます。一方、カムとばねは、その間の運転域に対して力学的な補償を加えます。1
カムの外周に凹みや急な段差がある場合、どの範囲をローラーが通過するかも重要です。歯車比、カムの取付け角度、巻上げ停止位置が合わなければ、主ゼンマイが最も強い位置とカムが大きな抵抗を与える位置が対応しません。外形が似たカムを取り付ければ同じ効果になる、という機構ではありません。運転位置と補償曲線を一組として扱う必要があります。
カムが抵抗にも補助にもなる原理#
上り、一定部分、下り#
カムとばねの働きには、接触面や軸受の摩擦と、ばねの弾性力による回転作用があります。両者を分けると、なぜローラーが用いられるか、なぜカムの形が重要かが理解できます。Brittenの実物説明では、巻上げ直後にローラーが凹みから上り斜面へ進む際、補助ばねを持ち上げる仕事が主ゼンマイの力を吸収します。運転末期にローラーが凹みへ下ると、ばねが進行方向へカムを押し、弱くなった主ゼンマイを助けます。1
上りでは補助ばねに弾性エネルギーを蓄え、下りではそれを戻します。したがって、補助方向のトルクが生じても、エネルギーを無から作っているわけではありません。また、カム半径が大きいほど抵抗が必ず大きい、という関係でもありません。ばねの力がカム軸に対してどれだけ回転作用を持つか、すなわち力の作用線と軸の位置関係が必要です。同じ大きさの接触力でも、軸を通る方向へ働けば、弾性力による回転モーメントは生じません。
ローラーを介すれば接触部の滑りを減らせますが、ローラーの軸受、カム側の軸受、接触部の変形による損失までは消えません。ほぼ同心円のカム部分では、理想的な摩擦のない接触を考えたときの弾性トルクは小さくなりますが、実物には接触圧と摩擦が残ります。カムを押す力が運転中に変わることと、必要な補償トルクが得られることは、別の条件です。
エネルギーで表した説明模型#
以下は上りと下りの符号を説明するための準静的な模型です。歴史的な時計の実測性能やNuttallの原論文の数式を再現したものではありません。カム回転角を \( \theta \)(運転方向を正、rad)、無荷重状態を基準に、予圧による変形も含めた補助ばねの変形量を \( x(\theta) \)(m、この模型の使用域では非負)、有効ばね定数を \( k \)(N/m)とします。ばねを線形と仮定すると、弾性エネルギーとカムへのトルクは、仕事とエネルギーの関係から次のように表せます。角度に対するポテンシャルエネルギーの負の微分をトルクとする一般原理は、SussmanとWisdomの力学書の強制剛体の説明に対応します。15
エネルギー \( U \) の単位はJ、トルク \( M_s \) はN·mです。ばねに変形が残る範囲(\( x>0 \))で、運転方向へ進むと変形が増す上りでは、\( dx/d\theta>0 \) なので \( M_s<0 \) となり、回転を妨げます。下りでは変形が減り、\( M_s>0 \) となって回転を助けます。無荷重位置で \( x=0 \) となれば、この模型の弾性トルクもゼロになります。この符号は、実物説明にある上りでの吸収と下りでの援助に対応します。1
主ゼンマイからカム軸へ換算したトルクを \( M_m(\theta) \)、運転中の摩擦損失トルクを \( M_f(\theta)\geq0 \) とすれば、同じ軸での正味のトルクは、
です。目標は使用範囲でこの値の変動を小さくすることです。カム形状だけでなく、補助ばねの強さ、予圧、歯車比、主ゼンマイ自身の出力曲線を組み合わせます。実際の曲がった板ばねでは、力と変位が線形でない場合もあり、接触位置が移るため、単純な半径だけを \( x \) と置くこともできません。この式は、歴史的機構が完全な定力を達成したと保証する式ではありません。
補助ばねが同じ状態に戻る一周期を考えれば、弾性トルクの仕事を積分した値はゼロです。ただし、歴史的時計の実際の運転は停止装置で区切られた範囲であり、巻上げ時にもエネルギーの授受があります。効率を論じるには運転と巻上げを含む系全体を考え、回収可能な弾性エネルギーと、熱などへ失われる摩擦を分けます。
形状の変種と研究#
カムには凹みを持つ円形に近いもの、スネイル形、腎臓形、扇形に近いものなどがあります。Stammlerの実物観察では、スネイル形にも最初に上る部分を持つものがあり、同じ形が早い時期にも遅い時期にも使われていました。したがって、カム形状だけを時計の年代判定表として使うことはできません。彼が示す扇形に近いカムの例は、ローラーを持たず、平らな接触端を使います。4
別の変種として、カム面の高さを変える「垂直スタックフリード」も知られます。これは平板の外周を追う形式とは接触方向が違います。Stammlerは、筒状の部品の縁に斜面を設け、主ゼンマイ軸側の補助ばねと接触させる図を掲載しています。平面カムの説明を、そのまま全変種へ当てはめることはできません。4
Stammlerは、J. E. Nuttallの1997年の理論研究とHeinrich Pavelの2003年の実験研究が、弾性トルクを中心とする理解を支えたと紹介しています。ここで重要なのは、「ばねが抵抗をかける」という観察を残しつつ、その仕事の一部が後半に返される点を含めて説明することです。補償の成否は形状と条件に依存し、すべての古時計で損失のない、完全な一定トルクが得られたという結論にはなりません。4
材料、製作、性能の限界#
実物に見られる材料と組立#
Brittenの図77の個体では、地板、歯車、スタックフリード、テンプ受け、調速子は鉄または鋼で、留め方はピンやリベット、ねじは使われていません。一方、後の例には真鍮の地板と鋼の歯車、金鍍金した真鍮の地板やケースが見られます。材料は一律ではなく、外装の金鍍金と、働くばねの材質を分けて読みます。156
外付けのカムと補助ばねは、フュジーの円錐を地板間へ置く構造と比べ、高さ方向の空間を節約できます。しかし、部品が平面上に置かれることは、製作や調整が不要という意味ではありません。カムの輪郭、接触端、ばねを固定する位置、歯車と軸受の精度が、補償の形を決めます。部品交換後には取付け位相と停止位置も関わるため、外観の復元と機能の復元を分けて考えます。13
歴史的な製造を説明する場合、実物記録から分かる材料・留め方と、工学上必要な条件も区別します。例えば、ばねが弾性を保ち、接触面が繰り返し運転に耐えることは機能上の条件です。しかし、ここに挙げた個体記録は、補助ばねの化学組成、焼入れ温度、硬さ、表面粗さ、加工公差を数値で示していません。特定の時計が一定の炭素量の鋼や同じ熱処理工程を使ったと、外観だけから決めることはできません。
精度、摩擦、運転時間#
補償するのは主ゼンマイの出力変化であり、脱進機、軸受、歯車の不均一さ、姿勢、調速子の性質など、他の誤差まで消す装置ではありません。ひげゼンマイを持たない調速子では、駆動力の変化が歩度へ強く表れるため動力調整に意味がありますが、正味トルクが平らになったことだけで日差を決めることはできません。1
カムへ押し付ける力は接触部と軸受にも荷重を加えます。摩擦は輪列へ渡るエネルギーを減らし、接触面の摩耗やばね形状の変化は補償曲線を変える要因になります。これらは機構から考えられる工学的な限界です。個体の効率や寿命を数値で求めるには、カム輪郭、接触荷重、材料状態、潤滑、主ゼンマイの出力と輪列の消費を測定する必要があります。
運転時間も、機構名だけから一つの値を与えられません。Matthesは、16世紀前半の現存する小型時計について12〜15時間程度という範囲を示し、コクラエウスの1511年記述の40時間は慎重に扱うべきだとしています。Brittenの8対24歯の例は、主ゼンマイの使用を3回転に制限しますが、それが何時間になるかは輪列と脱進機によります。短い持続時間を、すべてスタックフリードの摩擦による損失とすることもできません。13
Oliver Cookeが大英博物館の初期時計を解説した2014年の記事では、一針時計の調速精度を、一般に一日に少なくとも15分程度の進み遅れを生じるものとして説明しています。これは初期時計の表示と使用を理解する目安であって、各スタックフリード個体の試験成績ではありません。文字盤の分割、触読用の突起、鐘による報時は、当時の時計を単に現代腕時計と同じ精度尺度で評価できないことも示しています。8
採用作品と使用の文脈#
卓上時計から首掛け時計まで#
1533年のデンマーク国立博物館の時計は、時刻用のフュジーと目覚まし用のスタックフリードを別々に備えます。携帯時計の薄さに役立つという利点はありますが、用途は首掛け時計だけに限られません。メトロポリタン美術館の鏡形時計17.190.639(ニュルンベルク、1565〜1570年頃)も、開放された主ゼンマイで動く複数輪列を持ち、元のスタックフリードの一部が残ると記録されています。鉄の二枚地板と四本の柱で機械を支え、天文表示、時打ち、目覚ましをまとめた大型作品です。39
同作品は後に短い振り子へ改造され、天文・暦の運動を伝える部品や鐘が失われています。そのため、現在の姿だけを16世紀の完全な構造として読み取ることはできません。所蔵館は、装飾と同群作品から機械を「CR」の時計師へ帰属させますが、個体自体は署名を欠くため、製作者名が直接確認できる作品とは区別しています。9
大英博物館の1958,1201.2203は、1550〜1570年頃のドイツのタンブール形時計としてCookeが紹介しています。一針と触読用の時刻突起があり、暗い場所などで時刻を確かめられました。このような外装は、動力調整の装置と、持ち運び・装身・表示の工夫が一緒に発展したことを理解する具体例になります。8
独立した輪列と装飾#
Antiquorumが2001年に扱った1570年頃のドイツ製タンブール時計(lot 65)は、直径54mm、高さ23mm、機械直径40.9mmです。同社の実物記載では、鉄の全地板、四本の柱、C形スタックフリード、香箱、バージ脱進機、真鍮の脱進車、剛毛を使う調整装置を持ちます。時打ち用には、開放主ゼンマイから駆動する別の五輪の輪列とカウントホイールがあります。外装は透かしを持ち、時刻は一本の針と1〜12、13〜24の数字で示します。10
1595年頃とされるNicolaus Schmidtの銀製楕円形時計(Antiquorum 2003年lot 6)は、固定香箱、四輪の時刻輪列、C形スタックフリードを備え、報時側にも別の固定香箱があります。ケースにヘラクレスとアンタイオスなどの物語を彫り、機械には二つずつの重りを持つ棒状の調速子が記録されています。スタックフリード、脱進機、報時調速器はそれぞれ別の部品です。ばねや調速子の外観が似ていても、それぞれが何を制御するかを見分けます。7
時計師・顧客の記録としては、1627年銘を持つ書物形卓上時計が具体的です。Antiquorumの1989年lot 572は、製作者をDionistius Hessincktiとし、ケースにポメラニア公ボギスラフ14世の名と紋章があると記述します。寸法は113×80mm。時刻側は円形全地板、固定香箱、スタックフリード、バージ脱進機、報時側は独立した長方形の機械です。競売記載は修復の痕跡も認めています。公のための作品という帰属は、具体的な銘と同社の鑑定に基づくもので、一般の顧客をすべて貴族とする証拠ではありません。11
同定と保存の注意#
Science Museum Groupの1937-289は、1580〜1600年、ドイツ、作者不明のスタックフリード付き機械で、寸法34×17mm、材料は真鍮と鋼です。独立した小さな機械の例は、豪華なケースを持つ大作品ばかりを見る場合とは異なる、機構の大きさと材料の情報を与えます。12
一方、同館のL2015-3081ではスタックフリードが失われ、1700年頃のテンプ受け、ひげゼンマイ、脱進車が取り付けられています。L2015-3083もテンプ、ひげゼンマイ、受けは後世のもので、スタックフリードのばねも交換されています。後からひげゼンマイが加えられた時計を見て、1600年頃にこの二つが標準的に併用されたと結論することはできません。保存記録は、現存する部品がいつのものかを考える根拠になります。56
メトロポリタン美術館の17.190.1513も、ケースは1554年、機械は1680年頃という異なる年代を掲げ、機械が後から入れられた可能性を示す作品です。機械の材料欄には鉄製スタックフリードとありますが、時計全体の単一年代として使える例ではありません。ケースの年号や署名をそのまま機構の成立年代へ移さず、部品の組合せと改造歴を確認します。13
他方式との比較と歴史的位置#
| 方式 | 平準化の方法 | 区別すべき限界 |
|---|---|---|
| スタックフリード | カムの位置に応じ、補助ばねが抵抗または補助トルクを加える | 摩擦と弾性作用の比は形状・接触・軸受で変わる |
| フュジー | 紐や鎖の作用半径を増やして、弱まる主ゼンマイの力を補う | 地板間の空間を使い、接続部と輪列にも損失がある |
| 停止装置 | 主ゼンマイの使用範囲を区切る | 使用域内の変化を積極的に相殺するものではない |
| レモントワール | 小さな二次動力源を周期的に補給し、その力で下流を駆動する | 補給周期と設置位置を含む、別の機構設計が必要 |
前二者と停止装置の具体例はBrittenの技術説明に、二次動力源による方式はレモントワール・デガリテに詳しく述べられています。スタックフリードが補助ばねにエネルギーを貯める局面を持つことと、周期的に一定量ずつ補給するレモントワールであることは同義ではありません。1
フュジーはスタックフリードより後に初めて発明された機構ではありません。15世紀の例があり、16世紀には二方式が共存しました。薄さ、地板間の空間、独立した報時輪列を収める余地などを考えると、スタックフリードを選ぶ意味があります。南ドイツの機構を「後発のフュジーにただ置き換えられた」とするだけでは、この共存を説明できません。3
17世紀のドイツ語圏と周辺地域では、他地域でフュジーを使う時計にスタックフリードを採る傾向がありました。一方、ひげゼンマイをテンプへ加える技術は、1675年2月2日付の『Journal de Sçavants』にホイヘンスの考案が発表され、時計の調速条件を大きく変えます。しかし、ひげゼンマイを持つ時計でフュジーを省く試みも完全には成功せず、トマス・トムピオンの時計は再びフュジーを採っています。動力の均一化と調速子の改善は関連しますが、どちらか一方を加えるだけで、すべての問題が解消したわけではありません。2
スタックフリードの主要な歴史的用途は初期の時計にあります。今日、その意味を考える際には、現代の定力装置へ直接受け継がれた発明だと断定するより、動力の変化を扱う異なる設計を比較できる例として見るのが適切です。カム、弾性エネルギー、摩擦、使用範囲の制限が一つの時計に組み合わされるため、単なる「強いばねを摩擦で弱める装置」とする説明では取りこぼす要素があります。
現代特許におけるカムと弾性腕#
2021年1月13日に公開された欧州特許出願EP3764168A1は、可変形状の弾性指針の表示機構に、カムと弾性腕によるトルク調整を組み合わせます。出願人はMontres Breguet、発明者はChristophe Bifrareです。明細書の[0027]〜[0032]では、カム801と弾性腕803、先端のローラー804を説明し、上りでトルクを消費し、下りで系へ返す動作を示しています。14
歴史的な主ゼンマイのほどけ具合を補償する用途と異なり、この出願の対象は指針を変形させる表示機構の負荷です。明細書[0037]は、上りと下りが連続し、古いスネイル形のような輪郭の段差を持たないカムを使う案を、スタックフリードの新しい変種として比較しています。これは現代の設計者による具体的な参照例です。公報の存在だけで製品への採用、歴史的個体からの直接の伝承、実製品の効率を証明するものではありません。14
年表#
| 年代 | 確認できる内容 | 留意点 |
|---|---|---|
| 15世紀 | 主ゼンマイとフュジーを持つ時計が存在する | ヘンラインによる両者の発明説とは両立しない。3 |
| 1493〜1502年 | 『マドリード手稿I』16r葉に同種のばね力補償装置の図 | 図と実機の採用証拠を区別する。3 |
| 1511年 | コクラエウスがヘンラインの携帯時計を称賛する | スタックフリード搭載の証明ではない。40時間という記述にも留保がある。3 |
| 1533年 | デンマーク国立博物館MMCLXIVの目覚まし上部に使用 | 本体はフュジー。Matthesの2015年報告による年代付き早期例。3 |
| 1548年 | 「CW」銘の首掛け時計 | Caspar Wernerへの帰属は推定。3 |
| 1550〜1570年頃 | 大英博物館1958,1201.2203のタンブール形時計 | 一針と触読用突起の具体例。8 |
| 1565〜1570年頃 | ニュルンベルクの鏡形時計17.190.639 | 現存機構は改造と欠失を含む。9 |
| 1570年頃 | Antiquorum lot 65のタンブール時計 | 時刻側と報時側の独立した輪列。10 |
| 1580〜1600年 | Science Museum Group1937-289 | 34×17mmの作者不明の機械。12 |
| 1595年頃 | Nicolaus Schmidtの楕円形時計 | 固定香箱とC形スタックフリード、別動力の時打ち。7 |
| 1600年頃 | Clockmakers’ Museum No.4、L2015-3083 | 現在のばねや調速子に後世の交換がある。6 |
| 1627年 | ボギスラフ14世の銘と紋章を持つ書物形時計 | 顧客帰属と修復の記述は競売カタログによる。11 |
| 1675年2月 | ホイヘンスのひげゼンマイの公表 | 主ゼンマイの動力調整とは異なる技術。2 |
| 1911年 | Brittenの第3版が実物図、歯数、カムの作用を説明 | 成立史の古い説と、直接の機構観察を区別して読む。1 |
| 1997年・2003年 | Nuttallの理論研究、Pavelの実験研究 | ここではStammlerが紹介する研究史として位置付ける。4 |
| 2015年 | Matthesが1533年例とヘンライン帰属を検討 | 発明年や発明者を確定した研究ではない。3 |
| 2020年 | Stammlerが形状、作用、実物の変種を整理 | カム形状だけによる年代判定の限界も説明する。4 |
| 2021年1月13日 | EP3764168A1が公開 | 表示機構の負荷調整をスタックフリードの変種として比較。製品採用の証拠とは別。14 |
資料から分かる範囲#
機構の発明者、各地域での厳密な普及率、廃止の単一年は確定していません。古い時計は機構の欠失、改造、ケースと機械の交換を経ている場合があり、現在の組合せと当初の仕様を分けて理解します。効率、持続時間、日差の数値も、個体の測定条件を伴わなければ機構全体の性能値にはできません。
NuttallとPavelの研究は、Stammlerの実読した論考を通じて位置付けています。両原論文の実験条件や数値をここで直接の測定結果として扱ってはいません。また、この機構の成立に対応する発明特許を特定できる一次情報は確認されていません。これは特許や権利が存在しなかったことの証明ではなく、発明者の帰属を確定する根拠として使える公報を示せないという資料上の限界です。
参考文献#
- F. J. Britten, Old Clocks and Watches & Their Makers, 第3版、B. T. Batsford、1911年、pp.78〜81、図77・78。実物の歯数・停止・カム作用・材質・剛毛調整器の説明。Internet Archive原書。閲覧日2026年10月15日。
2. J. H. Leopold / Clare Vincent, “Seventeenth-Century European Watches”, The Metropolitan Museum of Art、2009年3月1日。フュジーの作用、地域差、1675年の公表、トムピオンの実物例。本文。閲覧日2026年10月15日。
3. Dietrich Matthes, “A watch by Peter Henlein in London?”, Antiquarian Horology, vol.36, no.2、2015年6月、pp.183〜194、とくにpp.183〜186、図4・5、注7〜9。1533年MMCLXIVと1548年「CW」の同定、成立と帰属の留保。原論文PDF。閲覧日2026年10月15日。
4. Peter Stammler, “Stackfreed, en kort betraktelse”, TID-SKRIFT, 第12年次、2020年、pp.34〜38。名称・構造・カムの実物観察・変種、Nuttall/Pavelの研究紹介。原誌PDF。閲覧日2026年10月15日。
5. Science Museum Group, “German striking watch by an unknown maker”, L2015-3081、Clockmakers’ Museum No.1、1580年頃。所蔵品記録。閲覧日2026年10月15日。
6. Science Museum Group, “Watch with an early form of striking mechanism”, L2015-3083、Clockmakers’ Museum No.4、1600年頃。所蔵品記録。閲覧日2026年10月15日。
7. Antiquorum, “Hercules and Antaeus. Nicolaus Schmidt, Germany, circa 1595”, The Private Collection of Theodor Beyer、2003年11月16日、lot 6。実物カタログ。年代と作者帰属は同社の鑑定。閲覧日2026年10月15日。
8. Oliver Cooke, “On the one hand”, Antiquarian Horological Society、2014年1月4日。大英博物館1958,1201.2203の一針・触読突起と初期時計の表示。本文。閲覧日2026年10月15日。
9. The Metropolitan Museum of Art, “Mirror clock”, 17.190.639、1565〜1570年頃。開放主ゼンマイ・残存スタックフリード・輪列と改造史。所蔵品記録。閲覧日2026年10月15日。
10. Antiquorum, “Theseus and the Minotaur. Tambour watch, German, circa 1570”, The Sandberg Watch Collection、2001年3月31日、lot 65。実物カタログ。閲覧日2026年10月15日。
11. Antiquorum, “Dionistius Hessinckti, made for Bogislaus, the XIVth … engraved with … the date 1627”, 東京、1989年12月15日、lot 572。銘・顧客帰属・別機械の構造と修復。実物カタログ。閲覧日2026年10月15日。
12. Science Museum Group, “German watch and watch movement”, 1937-289、1580〜1600年。所蔵品記録。閲覧日2026年10月15日。
13. The Metropolitan Museum of Art, “Table clock”, 17.190.1513。ケース1554年、機械1680年頃と記録された組合せ。所蔵品記録。閲覧日2026年10月15日。
14. Montres Breguet S.A., Christophe Bifrare, Mécanisme d’affichage d’horlogerie à aiguille élastique, EP3764168A1、出願2020年5月27日、公開2021年1月13日。優先権欄は2019年7月12日EP19185917、同月24日PCT/EP2019/069968。本文[0027]〜[0037]、図11・12、請求項2。欧州特許公報PDF。閲覧日2026年10月15日。
15. Gerald Jay Sussman / Jack Wisdom, Structure and Interpretation of Classical Mechanics, 第2版、MIT Press、2015年、第2章「Euler’s equations for forced rigid bodies」、式2.74〜2.76。角度に関するポテンシャルの負の微分とトルク。出版社公開本文。スタックフリード個体の実測資料ではなく一般力学の根拠。閲覧日2026年10月15日。